第29話 闇に生きる者たちの真実

 身支度を整え終わったユーフェミアは、食堂にいるローグたちのところへ戻った。

 「さて。これからどうするか、だが――」

 「ちょっと、気になるところがあるので調べるのを手伝って欲しいんですけど」

 「ん?」

 「小人たちの住処です」

ユーフェミアは、ローグとカーラを、渡り廊下の途中にある地下室への入口に連れていった。

 「多分、この下に小人たちの住処があると思うんです。なので、どこに繋がってるのか確かめようと思うんですが」

 「…正気か?」

ローグは、心底嫌そうな顔だ。

 「敵の巣に飛び込むようなもんじゃねーか…。相手が何人いると思ってるんだ。いくら俺でも、こんな狭いところじゃ、あんたを守れきれるかわからんぞ」

 「でも、もし小人たち全員が敵なら、どのみち夜には殺されますよ。このままモヤモヤしながら夜まで待つよりは、昼間のうちに確かめてみたほうが良くないですか?」

 「そりゃあ、まあ…。」

 「それに私、まだ、彼らが敵だなんて信じたくないんです。そりゃあ、ちょっと嘘つきだったり、誤魔化すことがあったりもする人たちだけど、ここに来てから何日も美味しいご飯を食べさせてもらったんですよ? それなのに、私たちの隙を狙ってただけだなんて、思いたくない」

 「…なんで、基準がメシなんだよ…。」

ローグは、思わず額に手をやった。側ではカーラがくっくっと笑っている。

 『ほんと、面白い子だこと。いいじゃないの、手伝ってやりなさいよ。アンタならなんてことないでしょ? たかが小人なんだから』

 「チッ、簡単に言いやがって…。」

ぶつぶつ言いながらも、逃げ腰ではない。ローグは腰をかがめ、暗がりの奥に向かって続く階段に、自ら先頭を切って入っていく。

 「灯りは頼むぞ」

 「はい!」

ユーフェミアが壁に”灯り”のルーンを描くと、足元が明るく照らし出される。屋敷の中と同じく、ここも、ひととおり掃除されて埃や蜘蛛の巣などは見当たらない。

 階段の向きからして、繋がっているのは中庭の真下だろうか。この奥にはまだ、一度も入ったことがないのだ。

 この先には一体、何があるのだろう?


 階段を降りきったところにあったのは、がらんとした広い空間だった。錆びた槍や剣が大量に並んでいるところからして、元は武器庫か何からしい。

 「こいつは、ずいぶんとまあ骨董品だな。何百年前のシロモノだ?」

ローグは、一式揃ったプレートメイルを呆れたような顔でこづいている。動かすと、カツン、と澄んだ金属音が響いた。

 「こっちには盾と革鎧もありますね。ここがまだ城塞で、兵士なんかがいた時代のものかも」

いずれも、古びてはいるものの掃除だけはされている。銃火器の類が一切ないところからして、この城では、近代的な武装をしたことはないらしい。

 武器庫の奥のほうまで進んでいった時、カーラが、何かを嗅ぎつけて立ち止まった。

 『…いるみたいよ』

 「えっ?」

 「小人どもだな」

ローグがユーフェミアの側に立って剣に手をかける。

 灯りを近づけると、奥の壁に小さな扉がつけられていた。明らかに、あとから付け足されたものだ。ちょうど小人たちの背の高さくらいの大きさでもある。

 そっと扉を開いて覗き込むと、奥の方から、かすかないびきのようなものが幾重にも重なって聞こえてくる。もしかして…昼間は眠っている?

 「ドゥリンさん、いますか」

声をかけると、幾つかのいびきが止まった。

 奥の方でばたばたと、身支度を整えるような物音がする。

 待っていると、扉の向こうからドゥリンが転がり出てきた。ヒゲが乱れているし、チョッキのボタンがいちばん上しか止められていないところを見るに、よほど大慌てで出てきたらしい。

 「はい、はい。なんでしょう、ご主人様。こんなお時間に、どうされました」

まるで、真夜中に叩き起こされたような口調だ。夜に活動する小人たちにとっては、人間にとっての昼が夜のようなものなのかもしれない。

 「起こしちゃってごめんなさい。というか、今まで寝てました?」

 「ええ、陽の光が差しているこの時間は、みな眠っておりますよ」

 「嘘をつくなよ」

ユーフェミアの後ろから、ローグが威圧するように見下ろしている。

 「お前たちの誰かが、こいつの寝室に忍び込んで”支配の腕輪”を盗み出したんだ。しかも、取り戻そうと追っていったら屋敷の外で”蛇”の氏族クランの使い魔に待ち伏せされて、襲われた」

 「えっ?!」

ドゥリンの驚きようは、とても演技とは思えない。

 「ど、ど、どういう…?」

 「こっちが聞きてえんだがな。あんたが把握してないんなら、あんたの仲間の中に裏切り者がいるってことになるが」

 「そんな…」

ユーフェミアは黙って、二人のやり取りを見守っている。

 そう、もしドゥリンの言うことに嘘偽りが無いのなら、彼の知らないところで「誰か」が裏切っていることになる。

 思い出してみれば、最初にこの屋敷に来た夜、…寝台の上で殺されたあの時も、直接手を下した犯人の小人たちの後ろで驚きの声を上げていた集団がいた。

 (もしかして最初から、小人たちの中に忠誠心のある者と、裏切り者がいたってこと…?)

ドゥリンは汗を流し、あとから出てきた仲間の小人たちに大急ぎで何事かを何か言いつけている。小人たちのキイキイいう言葉の中身は全く分からないが、どうやら眠っていた者たちを急いで起こせ、と言っているようだ。

 やがて、息せき切って転がり出てきた若い小人が、泣きそうな顔で何かを告げた。

 「……!」

ドゥリンの顔が青ざめる。

 「なんだ。裏切り者は見つかったのか?」 

 「ええ、はい。その…姿を消している者が五名ほど…。その者たちは百年と少し前、外の世界からここへたどり着いた新参者です」

 「新参者? 小人は、ここにしかいないんじゃないのか」

 「その者たちの言うところでは、自分たちはブレギ様について丘の上の屋敷に移った者たちの子孫だと。…あの屋敷が余所者の手に渡り、契約が履行されることも無くなったため、馬車の荷物に紛れて丘を降りてきたのだと…。」

 「あっ」

ユーフェミアは昨日、丘の上のリゾートホテルへ行った時のことを思い出した。

 半地下になっている薄暗いホールに降りた時、何か、天井のほうでカサカサ、コソコソいう小人たちに似た気配を感じていたのではなかったか?

 まさか小人が二箇所にいるなどとは思わず、ネズミだろうと思い直していた。

 実際には、まだあそこには、他の小人たちがいたのでは? ――あのホテルは、元は、かつてのこの屋敷の主人の長男、ブレギが建てたものなのだから、本家から使用人代わりに小人たちを幾らか連れていっても不思議はない。

 その小人たちの一部が戻ってきて、残りはまだ、ホテルになった屋敷のほうに残っている…?

 「あのホテルに、その小人たちの”本来の”主人がいる…ってことかもしれない」

はっとしたようにローグとカーラがユーフェミアのほうを見た。ドゥリンは、苦い顔で俯いた。

 「…申し訳ございません、ご主人様。実は、その者たちはほとんど酒を口にしておりませんでした。酒に弱い体質だと言っておったのですが、今思えば、あれは飲んだふりをしているだけだったのかもしれません。我らにとって契約が絶対なのは事実です。他の主人に誓いを立てていたのなら、二重の契約は出来ません。」

 「ほう。そりゃ殊勝なことだが、要するに、そいつらは本来の主人の命令に従って、この屋敷に百年もの間、密偵として入り込んでたってことになるぞ? 監督不行き届きだな、執事どの。俺はともかく、こいつの命を危険に晒した責任は、どう取ってくれるつもりなんだ?」

 「…はい。面目もございません…」

ドゥリンは力なく言って、がばりとユーフェミアの足元に土下座した。

 「このうえは、どのような罰でも…! ですが、どうか郎党のうち若者たちだけでもご助命を…!」

 「え、あの、私、あなたたちを殺すつもりなんて無いですよ」

慌ててユーフェミアは、ドゥリンを助け起こした。

 「あなたたちにいてもらわなくちゃ、ここで暮らしていけないし。それに、ドゥリンさんが敵じゃなかったっていうだけで良かったと思ってます。」

 「随分とぬるいもんだな。他にもまだ、裏切り者が隠れてるかもしれないってのに」

ローグが後ろでぼそぼそ言っている。

 「疑わしい人を全員殺していったら、誰も残らないでしょ。それに私たち、いま、とても大事なことを教えてもらったわよ」

 「何?」

 「”敵”は、あのリゾートホテルにいるってこと」

膝を払って立ち上がったユーフェミアは、ローグとカーラに視線を投げかけた。

 「私の腕輪を盗んで外に持ち出した小人たちの本来の主人は、かつてのブレギの屋敷、つまり今のリゾートホテルにいる。”蛇”の氏族クランの使う蛇が腕輪を運んでいこうとしていたのは停車場の方角だったわよね? リゾートホテルには毎週、停車場を経由して港町から貨物馬車が往復してるの」

 「…なるほど。小人の往来を手助けするのも、外から連絡を取るのも簡単だな」

ユーフェミアは頷いた。

 停車場の側には、陽の光を避けられる小屋も、伝言板もある。フェンサリルを出入りする人や荷物は全て、貨物馬車を利用する。それなら、この屋敷の情報も、住人たちの情報も、手に入れ放題だ。

 「これが”呪い”の正体ね。屋敷の中で不審死を遂げた一族の人たちの最期には、きっと、その小人たちが関わっていたんだと思う。体が急激に弱ったり、流産したり…ヘルガ叔母さんが貯水槽に落ちたのだって、もしかしたら、そういうことかもしれない」

 「なんと!」

ドゥリンが悲鳴を上げて頭を抱える。

 「そんな、…そんな。同胞が悪事を? まさか…」

 「成る程な。確実に一族の人間を狙うなら、事故や病気に見せかけたほうが早い。屋敷の外には協力者である”蛇”の連中もいる。意図的に情報を漏らせば、外出時にたまたま事故に遭う、なんてこともあり得るわけか」

 「ええ。海に落ちて死んだ人も、実際には突き落とされたのかもしれない。あの屋敷がホテルになる以前は、”蛇”の狂戦士ベルセルクたちがひそかに暗殺の仕事をしていたってことなんでしょうね。それが、小人たちを引き込んでからは仕事が加速した。――この百五十年ほどで、クリーズヴィ家の人たちは、ずいぶん減ってしまったみたいだもの」

ユーフェミアは、食堂の壁にかかる肖像画のことを思い出していた。

 あの絵の時代まではまだ、大勢の人がこの屋敷に暮らしていた。一族が、千年も前から滅びの呪いをかけられていたなどとは到底信じられないほどに。

 『だけど、あの丘の上のリゾートホテル…だっけ? あれって、島の外から来た人間が経営してるって話じゃなかった?』

と、カーラ。

 『アタシたちの敵は、かつてヨートゥンに仕えた”蛇”の連中を従えられて、古いルーンを使えて、おまけに小人――ドウェルグ族との交渉の仕方まで知ってる奴のはずよ。どう考えたって、古い一族の子孫としか思えないけどねぇ』

 「しかも、客を泊まらせる施設だろ。接客のために人間だって雇ってるだろうし、わざわざそんな、外部の人間が出入りするような目立つモンにしたのはどういうわけだよ」

 「それなんだけど、もしかしたらブレギさんの子孫なんじゃないかと思ってました。ヘグニさんに聞いた時、あのホテルは、ブレギさんが死んだあと、島の外から来た再婚相手に相続されたはずだって言ってたんです。もしブレギさんに子どもとかがいたら…」

 「ああ、成る程な。それなら、クリーズヴィ家の血を引く分家ってことになる」

 「――いえ」

と、それまで震えていたドゥリンが、意を決したように立ち上がった。

 「ブレギ様に、お子様はいらっしゃいませんでした。…再婚後も、お子様は出来ておりません…それは確かなことです。」

 「えっ? そうなの?」

ドゥリンの言葉で、見えかけていた敵の正体が再び見えなくなってしまった。

 「はい。最初の奥方とは、お一人目が死産、二人目は難産の果てに母子ともお命を落とされました。再婚されたのはそのあとで、当時の族長ゴジ…エイリミ様が亡くなられるのとほぼ同時期に、島外で亡くなったと報せがありました」

 「それじゃ、今の所有者って誰なの? 島の外にいる再婚相手が相続したとしても、そのあとは…?」

 「わかりません。先代のエイリミ様もずっと気にされていて、亡くなる直前までお調べになっていたようです」

 (それが、書斎にあった、あの古い日記…)

ユーフェミアは、軽く唇を噛んだ。

 祖父が調べようとしていたこと、その理由。あのメッセージの意味していたところ。

 ようやく、見えてきた。何度も死んで、あるいは死にかけて、ようやく…ここまでたどり着いた。


 あと一歩だ。

 あと少しで、自分の命を脅かすものの正体が判る。


 「なら、直接ツラを拝みに行くしかないだろうな」

そう言って、ローグは、くるりと武器庫の出入り口のほうに向きを変えた。

 「行くぞ、ユーフェミア。そいつらが無害だと分かったんなら、もう用はない」

 「あ、…えっと」

ユーフェミアは、足元でこちらを見上げているドゥリンのほうに顔を向けた。

 「今さら申し開きなどいたしません。…ですが、私どもはここで役割を果たし、お帰りをお待ちしているだけでございます。ご主人様、どうか、ご無事のお戻りを」

 「ええ。…ありがとう。」

ユーフェミアは微笑みを返して、ローグの後を追った。

 きっと、小人たちには罪も落ち度もないのだ。

 百年前、外から戻ってきた仲間を受け入れた時だって、まさか、元は同じ主人に仕えていた同族に裏切られるなど思いもよらなかったはずだ。既にエーシル族は滅び、ヴァニール族の長の一族もこの館の外にはもう残っていないと思っていたのなら、尚更そう思うだろう。

 (だけど実際には、誰かが残っていた。…私たちの一族に恨みを持って、滅ぼしたいと考えるような誰かが。一体、何者なの? いつから企みを始めたの?)

薄暗い地下から外に出ると、眩しい昼の日差しに目が眩むようだ。いちど闇に慣れてしまうと、小人でなくとも夏の陽光は溶けてしまいそうな強さを感じる。

 日差しからして、もう昼が近いはずだった。

 「…妙だな」

ぼそりと、ローグが呟いた。 

 「妙って?」

 「ヘグニは、昼頃にまた戻って来ると言っていた。なのに気配がない」

 「あ、そういえばフェンリスもいないわね。村のほうで何かあったのかな…」

 『見に行ってみたほうがよさそうね。どうせ、ホテルに向かうなら途中で通るでしょ?』

 「…そうね」

ひどく嫌な予感がする。

 この先に起きることはまだ、一度も体験していない。――どうなるのか、分からない。

 ちら、とローグの背中を見やる。

 正直に言えば、怖い。ローグは丘の上のホテルに乗り込むつもりだが、本当にそれでいいのかどうか。

 それで上手く”敵”の正体を暴き出せたとして、そのあとは?


 けれど、このままじっとして手をこまねいているわけにもいかない。

 今朝、屋敷の外に集まっていた沢山の毒蛇がもし、村のほうへ行ったら? 港町とリゾートホテルを往復している貨物馬車の御者、アトリは、”敵”側の人間の可能性が高いのだ。生活に必要な物資の運搬を担う彼が表立って離反すれば、フェンサリルに残っている人たちの生活は、とたんに立ち行かなくなってしまう。

 (行くしか…ないのよね)

たとえ、失敗してしまうとしても、できる限り足掻こうと決めた。

 次もまた、同じ時間をやり直せるかどうかは分からない。無駄な失敗などしている余裕は無いのだった。




 丘を降りてヘグニの小屋に向かう途中、森を出るところでローグが足を止めた。

 「…ん、何か景色が白っぽくなってないか?」

 「えっ?」

あたりを見回したユーフェミアも、気付いた。

 丘から見える景色が朧気に霞んで見える。いつもの霧、ではない。アスガルド特有の霧は、こんなにゆっくりと広がったりはしないのだから。

 風に載って薄く広がるそれは、海辺の街で見る朝もやに似ている。

 「海のほうから流れてくるみたいね。普通の靄か何かだと思う。それより、先を急ぎましょう。」

 「そうだな」

屋敷を出たところからついてきていたガルムは、森の出入り口で足を止め、ユーフェミアたちを見送っている。

 「ガルム、ここは頼むわね!」

声をかけてから、ユーフェミアはローグの後を追った。

 丘を降りたところで、道は三手に分岐している。ヘグニの小屋へ向かう道、停車場へ向かう道。そして、村へ向かう道だ。

 ヘグニの小屋へ向かう道を辿ろうとしたユーフェミアは、はっとして足を止める。

 小屋の前に、…小さな毛玉のような塊が転がっている。

 地面に叩きつけられたような跡とともに、点々と散る赤い液体。すぐ傍らには、鴉の黒い羽が一面に散っている。それらが元は何であったのか、すぐに思い当たった。

 「そんな…フェンリス…ヨルム…」

ローグが無言に、ユーフェミアの前に腕を差し出した。見るな、ということだ。

 「手遅れだ。近くに嫌な気配がある、近づかないほうがいい」

戦士らしい非情さを感じさせるものだったが、この状況では正しい判断だ。

 ユーフュミアは黙って頷くと、拳を握りしめた。不思議と、涙さえも浮かんでこない。

 昨日までの日常が、嘘のように消し飛んだ。

 今朝まで、いや、たった今まで、狙われているのは自分の命だけだと思っていたのに、それは楽観的すぎる考えだったのだと目の前に突きつけられてしまった。

 『”蛇”の仕業だね。用済みになった村まるごと処分した、ってとこかねぇ』

カーラが呟き、ちらとユーフェミアを見上げる。 

 『唐突にこんな性急なことをした理由を考えるなら、そうさね。お嬢さん、あんたがその腕輪…”支配の腕輪”を手に入れたことが、相手にとってよっぽど都合の悪いことだった、ということになるのかな』

 「私が? この腕輪を?」

 『言っただろう? その腕輪はこの島にかつて住んでいた九つの種族を支配する力を持ってるって。詳しい使い方や効能のことは知らないけど、魔力を持つクリーズヴィ家の女家長がそれを使えば、神々の御業と見まごうような、”呪い”にも等しい現象を引き起こせるのは確かなんだ。そんな力を持たれちゃあ困るってことなんだろうね』

 「”呪い”…。」

ユーフェミアは、服の袖の上から腕輪をぎゅっと握りしめた。

 『その腕輪を使えるのはクリーズヴィ家の人間だけ。先代で一族が全滅したと思って安心してたところへ、まさか、最後の一人が生きて現れるとは思わないさ。しかも、ずっと現れなかったはずの女家長だもの。そりゃあ、焦ってボロも出すさね』

カーラはクックッと笑う。

 「笑い事じゃありません! 早く村の様子を見に行きましょう。まだ生き残ってる人がいるかもしれない…!」

黒い熊の側を通り過ぎて、足早に村のほうへ向かおうとしていたユーフェミアの足が止まった。

 村の手前、小川にかかる橋のたもとに、ロバのスキムファクシが倒れているのに気付いたのだ。その向こうには、斧を手にしたヘグニが。

 「ヘグニさん!」

駆け寄って助け起こした老人の体は、まだぬくもりを残していたが、冷たくなりかけている。一人で奮戦していたのか、体中が傷だらけで、蛇の噛み跡もある。足元には、砕けた”蛇よけ”のお守りが落ちていた。

 「…そんな、…ヘグニさん…。」

光を失ってゆく開かれたままの瞳には、もはや何も映ってはいない。

 手遅れだ。”毒消し”や”傷を治す”ルーンも絵本には描かれていたが、その程度ではもはや助けられない。

 冷たくなっていく老人の手を握りしめたまま項垂れているユーフェミアの側で、ローグが黙って剣を構えた。

 靄の中から男が一人、こちらに向かって歩いてくる。手には、血に染まる短剣を下げ、何かに恐れているでもなく、まるで散歩でもするかのような気楽な足取りで。

 そばかす顔の男は、ユーフェミアを見つけて少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔になった。

 「なんだ、お嬢さん。外に出てきてくれたのかあ。てっきり、お城の中に引きこもるのかと思ってたんだけど…」

言いながら、くるくると短剣を回して構える。

 「兵糧攻めするよりは、早く終わりそうだな」

 「…アトリさん…。」

ヨーフェミアにも、いまやはっきりと”敵”が認識できた。

 男の足元には、どこから現れたのか、黒い、紐のような毒蛇が何匹もうごめいている。

 初めてこの村へやってきた時、何も知らなかったユーフェミアの命を最初の晩に奪った、あの蛇だ。

 やはり、この男は”敵”側の人間だった――”蛇”の氏族クランの末裔で、蛇使い。この土地を呪い続けてきた者たちの一人。

 最初は疑うことも知らず、誰かに命を狙われるなどとは夢にも思わずに、フェンサリルへ向かう馬車の中で、この男に素性をばらしたのだ。そのせいで、初日の夜に死ぬ羽目になってしまった。

 「どうして…こんなこと…。」

 「”どうして”? そりゃあ、まあ、雇い主の意向だからだなぁ。」

最初に出会った時のまま、男は、陽気で軽薄な笑みを浮かべていた。

 悪意も、敵意も感じられない。それでも、この男がヘグニや村人たちを殺したことは明白で、――おそらく、自分の一度目と二度目の死にも関わっていた。

 なのに憎むことも出来ない。怒りよりも困惑のほうが大きい。

 (この人は…確かに”敵”ではある、けど…最初に島に到着した時は、普通に私を心配してくれていた…)

ユーフェミアはどうしていいか分からなくなっていた。

 雇い主の意向だというのなら、個人的な恨みや理由は特に無いのだろう。ずっと島で暮らして来て、ヘグニや村人たちとも顔見知りだったのだ。

 それなのに、どうして笑みを浮かべたままで、こんな酷いことが出来る? 命じられたからといって、かつての顔見知りたちをこうも無惨に殺してしまえる?

 動けずにいる彼女のほうに向かって、男は、ゆっくりと武器をかざしながら近づいてくる。

 「ま、お嬢さんには悪いんだが…クリーズヴィ家の血筋の人間には皆消えてもらうことになってるんでね。島の外から戻ってきたばかりで何もわからんだろうが、悪く思わんでくれ」

 そのまま、武器を振り上げ――だが、次の瞬間、振り下ろそうとした短剣が彼の腕ごと宙を舞った。

 「よ…?」

笑みが凍りつき、男は、自分の右手が落ちていくところを見た。

 瞬時に、表情が変わった。後ろに大きく飛んでローグが振るったニ撃めを躱し、袖口を縛り上げる。

 屋敷を出る前にローグにかけていた、”姿隠し”のルーンは、既に効果を失っているらしかった。アトリは今や、ローグの姿をはっきりと認識している。

 「てめぇ、指名手配犯?! …狂戦士ベルセルクか! はっ」

アトリは、ローグの足元の黒い影に視線をやった。

 殺気を帯びたカーラの姿は、普段よりはっきりとした輪郭を持ち、実体に近い姿になっている。

 「熊の氏族クラン! くそっ、最初から護衛付きで上陸してやがったのか…!」

言い終わらないうちに、ローグが相手に襲いかかる。無表情なまま、相手の胸元に深い一撃を食らわせ、返す刀で胸の真ん中に刃を突き立てる。吹き出す鮮血が、手甲を染めていく。ユーフェミアは、目をそらすことも出来ず、その光景をただ呆然と見つめていた。

 人が死ぬところを見るのも、これほど多くの血が流されるのも、見るのは初めてだった。

 と同時に、よく知っていると思った人物がそれを成したという事実に、――まるで別人のような冷たい横顔に、固まってしまっていた。


 ローグが人を殺したことがあるのは知っている。手配書にもそう書かれていた。

 でも――。


  『おや、もう終わりかい?』

カーラの余裕のある声で、はっと我に返った。見れば、彼女のほうは足元にうごめく蛇を片っ端から噛砕き、踏み潰して周っている。

 『雑魚も雑魚だね。本物の狂戦士ベルセルク同士の戦いなら、こんな無様な顛末にはならないよ』

言いながら、砕けた蛇の頭をペッと地面に吐き出した。

 「千年も経てば流石に血も薄れる。この島で、住民に溶け込んで暮らすには混血だって必要だろう。東島エストールに移住してまで、ずっと身内で殺し合いを続けていた俺たちのほうがおかしいんだろう」

 『まぁね。でも、これで終わりじゃないよ』

黒い熊は、靄に包まれた南の丘のほうを見上げた。今は霞んではっきりと見えないが、そこには、謎の支配人が経営するリゾートホテルがある。

 あの丘の上からなら、村はもちろん、フェンサリル平原のほとんどは見渡せる。もしかしたら、ここで起きていることも既に知っているかもしれない。

 『おかわりが来る前に突破したほうが良さそうだね。ローグ、そっちの建物の裏から生きてる馬のニオイがする。この男が乗ってきたものかも』

 「探して連れて来る。ユーフェミアを見ててくれ」

 「……。」

ユーフェミアは、握ったままだったヘグニの手を離し、その手を彼の胸の上にそっと揃えて置いた。そして、まだ開いたままだった瞼を、指で下ろす。

 (ごめんなさい、ヘグニさん。助けられなくて…あなたの思いに答えられなくて…。)

立ち上がり、薄く広がる靄の中を見回した。

 村の中は静まり返り、誰かの動く気配もしない。

 もう誰も、生存者はいないのだろう。フェンサリルに残された最後の住民たちは全滅した。たとえ自分だけが生き残ったとしても、この地は滅びる。

 ――この局面は”敵”が勝利者だ。

 (でも、ただで負けてやるわけには行かない)

彼女は、ホテルのある丘の上を睨みつけた。

 こんな酷いことをさせた人物の顔くらい、しっかりと見届けてやりたい。


 馬のいななきが聞こえる。

 「いたぞ」

顔を上げて振り返ると、ローグが、博物館の建物の裏から馬を連れて戻って来るところだった。

 「一頭だけだ。ユーフェミア、後ろに乗れ」

 「わかりました。」

 「カーラ、お前は走れよ」

 『えぇ~、まあいいけどぉ。このアタシを走らせるなんて、あとで覚えておきなさいよ』

いつか、ここで見た光景のままだ。こんな時だというのに、思わず吹き出しそうになってしまう。

 (ああ、…この二人は、千年前から変わらないのね)

”懐かしい”。そして、とてつもなく”遠く”感じられる。

 馬に乗り、ローグの背中に腕を回しながら、ユーフェミアは、これまでに霧の中で見た千年前の風景や、夢の中で追体験したフレヴナの記憶を思い出していた。

 もしも自分がフレヴナだったら、こんな風に想い人の後ろに乗ることを、少しは恥じらったり、戸惑ったりしていたかもしれない。もっと少女らしいときめきを抱いていたかもしれない。

 でも、今の自分には、それが無い。

 そもそもローグとは島に来た時が初対面だったし、彼はいまだに自分に起きたことを話してくれてはない。互いのことをよく知るほど長い時間は過ごしていない。信頼はしているけれど、何を考えているかまでは分からない。


 ただ、死んでほしくない…とは思う。

 一緒に食卓を囲んだ夜のこと。小人たちに着せられた衣装に戸惑って暴れていたこと。

 育ちのよい、気遣いも出来る品のよい若者の顔。人を殺すのに躊躇することのない古い時代の戦士の顔。


 もっと知る時間が欲しい、と思った。

 彼だけではない。ヘグニや、フェンサリル村の人たち。小人たち。生きて、生き延びて、話をしたい――。


 誰もいない停車場を通り過ぎると、丘への上り坂だ。迷うことなく、ローグは馬の速度を上げた。

 いよいよだ。

 この先に、”呪い”を生み出した張本人がいる。

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