第28話 黄金の腕輪の攻防

 状況に気づいた瞬間、寝ぼけていた頭は一瞬ではっきりした。

 眠気とともに毛布を蹴飛ばして、彼女は、部屋を飛び出した。

 「ローグさん! カーラさん!…」

叫びながら飛び出した目の前に、目を丸くしたカラスがいる。

 「…と、ヨルムガルデ! ねえヨルム、あなた、私の部屋から金の腕輪を持ち出してる小人なんて、見てないわよね?」

 「カ…カア?」

カラスは首を傾げている。聞いてしまってから気がついたが、鳥は普通、日が昇ってから動き出すものだ。だとしたら、夜にしか行動しない小人を見ているはずがない。

 (寝てる間に持ち出された、ってことよね? でも、だとしたら一体どこに…)

 「おい、何の騒ぎだ」

ちょうど中庭の奥から、ローグが足早にやって来るところだ。

 「さっき起きたら、腕輪が消えてたの! きっと、小人たちに持ち出されたんだわ」

 「は? …腕輪って、まさか”支配の腕輪”のことか」

一瞬にして、ローグの表情も変わっていく。慌てて、足元の熊のほうを見やる。

 「おい、まずいんじゃないのか。あの腕輪…使える奴が他にいるかは分からんが、誰かに何か誓わせたりしたら…」

熊も、うんうんと頷いている。

 「気付いたのは、さっきなんだな」

 「ええ、そう。今日に限ってフェンリスが居なかったから…」

そう、今までなら、毎日、子犬のフェンリスが部屋で一緒に眠っていたのだ。護衛代わりのフェンリスがいれば、怪しい小人の接近には気づけたかもしれないのに。

 「過ぎたことはいい。あんたのルーンなら探せるんだろう?」

 「あっ、そうか――そうね。今からやってみる」

部屋に駆け戻り、手頃な薄い本を引っ張り出して、その表紙にルーンを描く。

 (探すものは”支配の腕輪”。どこにあるの?)

頭の中に浮かんだ詳細なイメージが、光の線となって探し物の位置を指し示す。

 (…え?)

その線は屋敷の果ての斜め下、地面の中としか思えない場所に向かって延びていた。

 ユーフェミアは、困惑した顔でルーンを描いた本を手に、部屋を出てきた。

 「これ…地下みたい…どこから行けばいいの」

 「小人どもの住処は地下なんだろう? なら、地下に持ち込んだんだろうな。とにかく、場所を特定するぞ。」

 「カア!」

鴉が案内するというように舞い上がる。確かに、上空から見たほうが光の先は分かりやすい。

 「カアー! カアー!」

 「あっちだって。行きましょう」

髪をまとめる暇もない。ユーフェミアは、腰まである長い髪を肩から振り払って走り出した。ローグたちも続く。

 台所の脇を通り過ぎ、花の咲く木のある庭の先、裏口らしきところから丘の反対側へと突き抜ける。

 「そういえば、今日、ヘグニさんは?」

走りながらユーフェミアが尋ねる。

 「朝、一瞬だけ来てすぐに帰っていった。昨日の死体の件で、今朝も警察とかが村に来てるらしい。あんたがまだ寝てる頃だ」

 「そうなんだ…」

ということは、このまま森を突き抜けて村のほうに出てしまうのはまずい。オッタルにローグの姿を見られたら、話がややこしくなってしまう。

 「ローグさん、少し止まって。念の為、姿隠しのルーンを描いておくので」

 「は? …ああ、そういえば手配書が周ってるんだっけか。面倒な…」

 「これでよし、と。あ、ヨルムがあそこにいるわ。近くみたい!」

幸い、光の先は丘の斜面で止まっている。村というよりは停車場の方角で、ちょうど、丘を取り巻く森が途切れるあたりだ。

 けれど、追いついたと思ったその場所で、光はどんどん遠くなっていく。

 「え、嘘。ここだと思ったのに、…動いてる…?」

 「ということは、まさに今、誰かが腕輪を盗んだ奴がブツを持って移動してる最中、ってことだな」

 「……!」

ユーフェミアは、手元のルーンから流れ出る光と行く手を見比べた。屋敷の中から外へは、屋敷の下に小人たち専用の地下通路を使ったのかもしれないが、そこから外に出るのなら話は別だ。

 最初は、小人たちがやったのだと思っていた。

 だが、今は太陽の光の出ている朝だ。こんな真っ昼間に外を移動しているのなら、…犯人は、小人たちではない?

 「カァーッ!」

鴉が、何かを見つけたようにけたたましく鳴いて草むらへと突進していく。それも、一度ならず何度も。まるで、牽制でもしているかのような動きだ。

 「ローグさん、あそこに何か!」

 「ああ!」

男が、地面を蹴ってすごい勢いで飛び出した。走りながら剣を抜く。迷いのない行動だ。ただ訓練していただけではない。実戦を積んだ者の動き。

 熊が唸り、地面を揺るがせながら後を追いかけてゆく。二人は同時に、鴉が狙っていた場所に飛びかかった。黒っぽい、紐のようなものが宙を舞うのが見えた。

 (え、…蛇…?)

ユーフェミアが遅れて追いついた時、ちょうどローグが剣の先に腕輪を引っ掛けて取り戻しているところだった。シュウシュウと、紫色の気味の悪い液体が音を立てながら滴り落ちている。

 「…やれやれ。なんとか間に合ったな」

 「カァ!」

 「え、…ええと、その、蛇が…腕輪を?」

ユーフェミアは、草むらの中でどす黒い血とともに息絶えている、見たこともないほど太い蛇を見下ろした。図鑑で見たことのある、南方の島に住む大蛇くらいの大きさがある。実物はもちろん、このフェンサリルでも、一度も見たことがない。

 「幾ら何でも、こんなモンが屋敷の中に入り込んでたら小人どもが気づかないはずはないだろう。しかも、あの屋敷はかつてのヴァニールの本拠地。ヘビ除けはもちろん、各種守りのルーンはしっかり効いてたはずだ」

 「それじゃあ…」

 「決まってる。中にいた誰かが持ち出して、外部にいる協力者に渡したんだろ」

言いながらローグは、服の裾で腕輪を拭ってユーフェミアに渡した。

 「ほら、今度は無くすなよ。それと、あの小人ども、いちど尋問してみたほうが良さそうだな」

 「…ええ」

返事しながら、ユーフェミアは少し落ち込んでいた。

 信用しよう、と決めたばかりだったのに。

 昨日、ドゥリンと交わした会話は一体なんだったのだろう。少し人を見る目に自信を無くしてしまいそうだ。

 「でも、本当に…あの小人たちのせいなの? ドゥリンさんは、クリーズヴィ家に恩があるって言ってたのに…。」

 「あんたの祖父さんも書き残してたことだろうが。信用するな、って」

 「……。」

俯きながら、丘の上の屋敷へ戻ろうとした時だ。

 足元に、シュッと黒い影が走った。

 はっとして、ローグがユーフェミアの腕を掴んで体を後ろに引いた。

 「危ない!」

 「えっ?」

草むらから飛び上がった黒い蛇が胸元を掠めたのは、ちょうど、その瞬間だった。首にかけていた指輪を吊るす鎖を牙が掠め、閉じようとした顎に石が挟まって砕け散る。

 ローグが、素早くその蛇も斬って落とす。彼は剣を構えたまま、慎重に辺りを見回した。

 「気をつけろ、まだ、いるぞ」

 「カア! カア!」

頭上で、鴉が警戒するように声を発しながら輪を描いている。足元でカーラが何事か言うように唸った。

 「…チッ、なるほどな。こいつら、蛇の氏族クランの手下らしい」

 「え? 蛇の…って、狂戦士ベルセルクの、ですか?」

 「そうだ。かつてヨートゥンについた、裏切り者のな!」

言うなり、彼はひょいとユーフェミアを抱え上げた。

 今や黒い熊の姿は普段の三倍にもなり、半透明だった姿はほとんど実体と化している。

 「カーラ、後ろは頼む! 走るぞ! 屋敷まで戻れば何とかなる!」

 「え、え? ちょっと、待…」

ユーフェミアが言い終わらないうちに、ローグは彼女を小脇に抱えたまま全速力で丘を駆け上り始めた。背後では巨大な熊が、唸り声を上げながら蛇たちを次々と踏み潰していく。

 まるで、悪夢のように醜悪な光景だ。何の神々しさも無く、伝承に歌われるような荘厳さもなく、獣どうしの血みどろの殺し合いに過ぎない。ぞっとして、ユーフェミアは思わず視線を逸らした。

 (これが、千年前の戦い方なの…?)

 以前、霧の中で、戦いに赴く戦士たちの姿を見た時にも感じた、本能的な嫌悪感。なぜ、こんな風に殺し合わなければならないのか、さっぱり分からない。

 こんなことをして、命を賭けて争って、一体、何を手に入れたいと願う…?




 森に駆け戻ったところで、待ちかねていたガルムが唸って、二人を庇うように自分の後ろに押しやった。どうやらガルムは、屋敷の敷地から出ることが出来ないらしい。

 ローグはユーフェミアを下ろすと、汗を拭った。

 「ここまで来れば、ひとまず大丈夫だろう」

 「ごめんなさい、ありがとう…」

 「礼はあとだ。腕輪は無事か? なら、建物の中に入るぞ」

ユーフェミアのほうはあまりの出来事に動転しているというのに、ローグは冷静そのものだ。狂戦士ベルセルクの血筋だから、というわけではなく、これまでの過酷の逃亡生活で培った慣れのようなものか。


 食堂に入り、ヘグニが準備していってくれていた食卓の前に座ると、ようやく「戻ってきた」という実感が湧いてきた。

 と同時に、体に震えが襲ってきた。

 「大丈夫か? 水を汲んできた。ゆっくり飲んで落ち着け」

 「…ありがとう、ございます」

差し出された杯を受け取って喉を潤すと、一息ついた。ユーフェミアは、起きた時のまま、編んでも居ない長いほつれた髪をかき上げ、ようやく、わずかに微笑みを浮かべた。

 「すいません、取り乱してしまって。ローグさんがいてくれて助かりました」

 「まあ、俺を護衛に雇ってなきゃ、あんたはあそこで死んでただろうな」

ローグの言葉は、あっさりしたものだ。まだ気を抜いていない証拠に、視線は窓の外に向けられ、片手は剣の上にある。

 「にしても、まさか敵が蛇の氏族クランとはな…。奴ら、ヨートゥンと一緒に滅びたと思ってたんだが、まさか、まだ生き残りがアスガルドにいやがったとは」

 「千年前、最後の戦いでもシグルズやヘルガの前に立ちふさがった人たちですよね?」

 「そうだ。俺にとっちゃあ、大昔からの宿敵みたいなもんなんだろうな。しかし、奴らが何で未だにヴァニールの族長を狙うのかが分からん。雇い主がいなけりゃあ、戦う意味なんて無いだろうに…」

 『その雇い主が、まだ生き残っているとしたら?』

振り返ると、ちょうど台所に繋がる庭のほうからカーラが入ってくるところだった。疲れた様子で足を引きずっているが、いつもの大きさに戻って、姿も半透明になっている。

 ユーフェミアは思わず、席を立って駆け寄った。

 「大丈夫ですか? カーラさん」

 『心配いらないよ、アタシはもう死んでる。霊体だって、しばらく休めば自然に回復する。――それよりシグルズ、気づいただろ? アイツら、統制が取れてた』

 「ああ。目的を持って集まって来てたな。蛇使いがどこか近くにいるのは間違いない。」

 『その”蛇使い”に雇い主がいるんだよ、おそらくね。それも、このフェンサリルのどこかに。でなきゃ、昨日の今日で腕輪盗む指示は出せない。盗んだあとに回収する必要もあるし』

 「…そういえば、あの蛇たち、腕輪を停車場のほうに運ぼうとしてませんでした?」

ユーフェミアは、さっき腕輪を取り戻した場所から見えた風景を思い出していた。蛇が腕輪を引きずっていた先は、村の方向ではなく停車場のほうだった。

 だとしたら……。

 「…ちょうど貨物馬車が村に来てる時に事件が起きた、か。なるほど、あの御者と警官、どうも怪しいな。屋敷の小人どもに内通者がいるのは確定だが、外部との繋ぎをする人間も必要なはずだ。おい、族長ゴジ。このフェンサリルは、思った以上に敵に侵略されてるぜ」

 「そんなこと、分かってます」

むっとして、ユーフェミアは言い返す。

 「…分かってますよ、最初に死んだ時から。本当は、”呪い”なんて無いんだってこと。もっと直接的な、誰かの仕業なんだって」

 「は? ”呪い”?」

 「クリーズヴィ家の人たちが死んでいった理由は、千年前の族長の呪いなんて曖昧なものじゃないってことですよ。今日、私があそこで毒蛇に噛まれて死んでいたら、村の人たちは何て言ったと思います?」

 「そりゃあ、…」

はっとして、ローグは口元に手をやった。

 「いや、しかし…。歴代の当主全てがそうだったわけじゃないだろう」

 「確かめるんです。お祖父さんが突き止めようとしていたのは、きっと、そういうことだから。毒蛇が蛇使いの話ったもので、その蛇使いに雇い主がいるんなら、それを探しましょう」

ユーフェミアは近くのテーブルに近づいて、表面に”探し物”のルーンを描く。

 (あの蛇たちの雇い主の居場所を)

だが、最後の線を加えようとした途端、指先にバチッという音と衝撃が走った。

 「あっ」

思わず手を引っ込め、指先を反対の手で抑えた。

 まるで、電流が流れたような感覚だった。描かれた線は、いつものように光を帯びることなく端から消えてゆく。空振りの時は、いちど描かれたものが浮かび上がってから消える感じだったのに、こんな反応は初めてだ。

 『ふーん、拒否されてるねぇ』

と、机の端に前足をかけたカーラが言う。

 「拒否?」

 『正確な居場所を探られないようにするための、目眩ましのルーンあたりを使っているんじゃない? 昔の戦場じゃあ常識だったけど、そもそものルーンの使い手自体が居なくなったこのご時世に、いまだ古い防御術を覚えてるとはねぇ』

 「…つまり、相手はヨートゥンではなく、”黄金の一族”の血を引く者、ってことか」

と、ローグ。

 『でしょうねえ。エーシルは全滅してるんだから、ヴァニールの誰か、とか? クリーズヴィの本家の生き残りは一人だけ。なら、過去に分岐した分家でもいたのかも。それなら、”支配の腕輪”を盗もうとした動機も理解できる。心当たりは無いの? ユーフェミア』

 「いえ…私、父の親族のことは何も…」

 「厄介だな」

 「……。」

手を抑えたまま、ユーフェミアは、ルーンの消えた机の表面を眺めた。

 それから、ふと、自分が寝起きの格好のままなことを思い出して慌てた。無我夢中ですっかり忘れていたのだが、寝る前にズボンも上着も脱いでしまって、ほとんど下着姿だ。

 「あっ、あの、とりあえず服、着てきますね!」

ばたばたと寝室に駆け込んで、はああっと大きくため息をつく。

 (危なかった…。)

手早く服を身に着け、あまり時間はかけたくないからと髪は適当に三つ編みにしてまとめる。

 そして、改めて部屋の中を眺めてみた。

 壁の、黄金の杯を隠した場所に変化はない。机の上に置かれた写真立ても、積み上げられた本も移動していない。無くなったものも、他には無さそうだ。

 (私の腕から腕輪だけ引き抜いていった、ってことか。…そういえば、今回は殺されなかったわね)

”前回”は、寝ている間に首をかき切られていた。盗難だけで済んだのなら、まだ、幸運だったと言うべきか。

 (それにしても、この部屋から一体どうやって腕輪を持ち出したんだろう。起きた時、扉は閉まってたし…。)

ちら、と天井の穴を見上げる。

 ふだんの屋敷の中の神出鬼没ぶりからするに、小人たちは、天井裏や壁の中などに独自の通路を持っているらしい。その通路の一つが、外に繋がっているということなのだろうが…

 最後に上着を着ようと、手を伸ばしかけた時、ふとユーフェミアは、首から下げた鎖の先が妙に軽いことに気づいた。

 慌てて引っ張り出してみると、鎖の先にあった母の遺品の指輪が、大きく破損している。

 「あ、…」

あの時だ。

 毒蛇に飛びかかられて、鎖が牙に引っかかった、あの時。父の手製の台座は大きく歪み、指輪に嵌め込まれていた安物の輝石は割れて跡形もなくなっている。

 本当なら落ち込むところなのだが、ユーフェミアの視線は釘付けになったままだった。台座を持ち上げた時、今まで宝石の下に隠されていた刻み目が見えたのだ。

 それは、”守護”のルーンだった。

 夢の中で何度か見た印。小人たちが身につけているよう言ってくれた護符に刻まれていた印。ローグの剣の柄に埋め込まれているものと同じ。

 (…お父さん)

ユーフェミアは、壊れた指輪の台座を両手でぎゅっと握りしめた。涙が一粒、こぼれ落ちる。


 父は、自作の指輪の裏側に自分の大切な人を守るための魔法を隠していた。

 ――アスガルドを遠く離れても、二度と戻れないと思っても…彼はきっと、自分の中にある血を忘れることは無かったのだ。

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