第21話 因縁の起点を探して

 その夜はひどく寝付きが悪く、何か夢を見ていたような気もするがはっきりとは覚えていない。

 目が覚めても、いまひとつすっきりしない。それでも起きないわけにはいかず、寝台を降りて窓のカーテンを開いた。寝台の側で寝ていた子犬がぴくりと体を動かし、大あくびをして起き上がる。

 今日は晴れ間が見える。昨日の雨で溜まった水が中庭のところどころに残っているが、夏の日差しが当たればすぐに消えてしまうだろう。

 部屋の前には、洗濯の終わった元の服が置かれていた。小人たちが夜の間に乾かしてくれたらしい。

 しかも、その服の上には、どういうわけか一羽のカラスが番でもするかのようにちょこんととまっていた。

 ユーフェミアが驚いた顔をしているのを見て、カラスは、「カァ」と一声鳴いて、脇へ飛び退いた。

 「…もしかして、屋上に住んでるヨルムガルデ?」

 「ワン、ワン!」

フェンリスが尻尾を振りながらカラスに挨拶しているところを見ると、多分、そうなのだろう。

 (やっぱり、仲良しなんだ。犬とカラスなんて、変わった友達の取り合わせね)

とはいえ、ここは不思議の城。神話の時代の生き残りの魔狼や小人まで住んでいる城ならば、犬とカラスが友達同士なくらい、大した不思議でもないように思えてくるのだった。

 「カァァ」

ユーフェミアを見上げて、カラスが鳴く。何を言っているのかはさっぱり分からないが、なんとなく、「心配ない」と言ってくれているような気がした。

 「そう。あんたも、私の護衛ってわけね」

 「カァ!」

 「ふふ、それは心強いわね。ありがとう」

通じたと思ったのか、満足げに鳴きながらカラスはどこかへ舞い上がってゆく。

 (…フェンリスに、ヨルムガルデ、か。)

夢の中で見た少年の面影が、どことなく重なる。

 それに、手配書によれば、ローグの本名は”シグルズ”だ。

 偶然とはいえ、夢の中で見た名前が揃っている。――偶然? それとも、これは、何か意味のあることなのか。

 (でも、”フレヴナ”は、ここには居ないわね。…ううん、もしかして、)

縁起が悪いからと、二度と使われることのなかった名前。

 けれど、もし、その名前が禁忌のものとなっていなかったら――

 それに気づいた時、思わず、ぴたりと足を止めた。

 (…私が、”フレヴナ”ってこと?)

思わず、足元の子犬を見やった。

 夢の中で見た光景。忠実な従者である少年たち。護衛でもある戦士シグルズ。――幼い頃に亡くなってしまった父と、叔母のヘルガ。

 名前と、関係性は一致する。違うのは、ヘルガが幼いうちに早世してしまったことと、フェンリスやヨルムガルデが人間ではないということ。

 この差異は何を意味している? そして、ユーフェミアに課せられた役割が、あるいは位置づけが、かつてのフレヴナと重なるものだとすれば、この奇妙な符号は、一体、どう解釈すればいい?




 謎は解けそうで解けず、考えていてもキリがない。

 とにかく今は、いったん考えるのを側において、やるべきことをやろう、とユーフェミアは思った。なんといっても、まずは腹ごしらえだ。腹ぺこの子犬は、早く食堂に行こうと足元で急かしている。

 着替えを終えて食堂へ行くと、ちょうど、ヘグニが食器を並べて朝食の準備をしているところだった。

 「おはようございます」

 「ワン!」

足元の子犬も、元気に挨拶する。

 「おはようございます。――あの、買い出しを頼みたいんですが…」

ユーフェミアは、きのう小人たちに頼まれた調味料のことを切り出した。これも、今やらなければならないことの一つだ。

 「砂糖とかお塩とかコショウとか、味付けに使うものが足りないみたいなんです。お祖父さんはいつも買い出しをヘグニさんに頼んでいたみたいなんですが…」

 「ええ、承りますよ。あとで、停車場の掲示板に書き込んでおきます。」

 「…掲示板?」

ユーフェミアは思わず首を傾げた。停車場に、そんなものがあっただろうか。

 「フェンサリルで作られていないものは、港町のほうから運んでくるのです。週に一度やって来る貨物馬車は、丘の上のホテルに荷物を届けたあと、帰りに掲示板に書かれている内容を見て、一週間後に来る時にその品物を運んで来る。掲示板の横に値段表と、代金を入れておく箱があります。そこでやりとりをするのです。まあ、島外に注文が必要なものは、数ヶ月かかることも良くありますが」

 「あ、そうか…そういえば、あの馬車って、毎日来るんじゃ無かったんですよね」

 「そう、船が着いた日の次の日だけですな。それ以外では、特別なお客か荷物がある時だけです。」

ということは、普段は本当に、一週間に一度しか港町との行き来が無いということだ。フェンサリルは本当に、島の中でも孤立した地域になってしまっている。

 「ま、調味料なら港町で手に入りますから、そう時間はかからんでしょう。明日、注文を出しておきましょう」

 「お金とか品物を勝手に持っていかれる、なんてことは…ああ、そうか。住んでる人が少ないし、みんな顔見知りだから分かるってことですね」

ある意味、治安は良いのだ。というより、悪くなりようがない、とでも言うべきか。

 ただ、港町から人手をかけて運んでくるのなら、それなりの値段はするはずだ。ヘグニに経済的な負担を強いるわけにもいかない。

 「あの、…代金ってどうすればいいんですか。ヘグニさんに渡して、買ってきてもらうことになると思うんですけど…私、持ち合わせとかなくて…。」

 「ん?」

ヘグニは、不思議そうな顔になる。

 「今さらなんですけど、ヘグニさんのお給金とかも…本当は必要なのでは…? お祖父さんは、どうやって支払ってたんですか?」

 「それでしたら、わしの住んでいる土地と耕作地は、もともとクリーズヴィ家のものでして。借用代の代わりに働いておりました」

 「えっ」

予想していなかった答えに、ユーフェミアは戸惑ってしまった。

 借用代?

 「それって、家賃とか…テナント代みたいな? それをお金でやり取りする代わりに、働いてもらっていたってことですか? ええと…雇用契約とか…土地の権利書みたいなものが、どこかにあるってこと…?」

 「先代の族長ゴジが管理されておったはずですよ」

 「わ、わかりました。探して、確認しておきます」

頭は半ば真っ白になっている。

 確かに、書斎にはそれに近い内容の書類があった。あるには、あったが、膨大すぎる。あの、本棚に詰まった山程の、何百年ぶんもの記録のどこかに、ヘグニを含む村人全体に対する契約書か、土地の借用書のようなものがあるということなのだから。

 「とはいえ、必要なものをよそに買い求めなければならんようになったこと自体が嘆かわしい」

ヘグニは、微かにため息をついた。

 「本来、フェンサリルの土地は全て族長ゴジのものだった。それを百年かそこら前に、よそ者に土地を売り渡してしまった不届き者が出てしまったせいで、よそ者が入り込んできた。丘の上の、あんな下品なホテルなんぞが出来たのもその頃です。今では村の人間も減り…かつては、何も仰られなくとも、土地の者たちが作物などを都度都度、お持ちしておったのですが…。」

 (昨日、書斎で見つけた、あの日記の時代のことね)

ユーフェミアは、ちらと食堂の壁にかけられた肖像画に視線をやった。

 百五十年ほど前の当主、エイリミと、その息子たち。東の港町は彼の時代にはじめて作られ、よそ者たちが島に移住するようになり、閉ざされた「神話の島」は、もはや神話の時代のままでいることは許されなくなった。

  島嶼連合ユニオンに参加し、他の繁栄した島々から流れ込む豊かな物質文化や貨幣経済に晒されて、アスガルドの住民たちの価値観も変わってしまったのだろう。

 古い暮らしを続けていた島の人々にとっては、その変化は、あまりにも急激で、大きすぎた。

 ただ、それが悪いことだったのかどうかは、島の外の暮らしを知っているユーフェミアには判断出来なかった。


 魔法――ルーンが仕えるのは、限られた一族の人々だけ。

 それ以外の人たちにとっては、便利な文明の利器があるほうがずっといい。電気も、ガスも水道もない暮らしは、ルーンや小人たちの力を借りてなお、制約が多すぎる。フェンサリルが閉ざされている以上、一般の人々が便利さを求めて港町周辺に移住していくのは、むしろ当然の結果とも言える。

 むしろ、島はもっと早くから開かれているべきではなかったのか。もし外からの影響を忌避していなければ、フェンサリルはここまで衰退していなかったのでは…?


 と、そんなことを考えている間に、朝食の準備は整ったようだ。

 「どうぞ、ごゆっくりお召し上がり下さい」

 「…あら?」

用意してくれた食器が一組しかないことに気づいて、ユーフェミアは辺りを見回した。

 「ローグさんは?」

 「あの方なら朝食は別に食べると仰って、パンをいくつか抱えて出てゆかれましたよ」

 「…そう。今日もなんだ」

そういえば、彼の抱えている問題のほうについては、まだ何も詳しいことは聞けていない。雨が上がったのだし、続きに取り掛かっているのかもしれないが、朝食の時さえ会えないというのは、なんだか少し寂しい。

 (ちゃんとご飯を食べてるのなら、いいんだけど)

ユーフェミアが席につくと、足元で子犬のフェンリスも、自分に出された皿に取り掛かる。

 「そういえば、昨日はずいぶん雨が降っておりましたが、お部屋に雨漏りなどはございませんでしたかな」

ヘグニが、お茶を注ぎながら尋ねる。

 「ええ、大丈夫でした。」

 「こんな雨のあとは、綺麗な滝が見られますよ。普段はちょろちょろとしか水の流れない小川に水が流れ込むので、海に向かって流れ落ちるところに迫力が出るのです。行ってみますか?」

 「えっ、それは是非見てみたいです」

書斎で見つけたメモのこともある。昼間だけでも、小人たちとは関わりのない屋敷の外に出て気分を晴らしたかった。

 「では、のちほど荷車で出かけましょう。停車場に行くついでに、少し遠回りすれば見られます」

そんなわけで朝食のあとは、ヘグニとともに出かけることになった。




 出かけることを告げようと、ユーフェミアは、ローグを探した。

 彼は屋敷のすぐ近くにいた。前庭らしく場所にある崩れかけた馬小屋の側で、上着を脱いで剣を構え、何やらゆっくりと型を繰り返している。それはまるで、伝統技能の剣舞でも見せられているような、思わず見惚れるような所作だ。

 剣などもはや時代遅れの産物という扱いで、中央島セントラルでは実際に持ち歩く人を見たことなど無い。けれど、彼の故郷では、昔の剣技を受け継ぐことに価値が見出されているのかもしれなかった。

 「…ん?」

気配に気づいて振り返ったローグは、眉を寄せながら、さっと剣を体の後ろに隠した。

 「何だ。よく、ここが分かったな」

 「”探し物”のルーンを使ったので。人も探せるってことが分かりました」

 「……そうか」

 「隠さなくてもいいですよ。その剣、実用品なんですか?」

ユーフェミアは、首を傾げながらローグの足元に見えている剣の切っ先を覗き込んだ。

 「あんた、こんなもんに興味があるのか」

 「少しは。…きれいな剣ね」

ローグは、体の後ろに回していた剣をユーフェミアにもよく見えるよう翳し直した。

 両刃の剣は刃こぼれもなく磨き上げられて、無骨な柄の雰囲気は、飾って楽しむ美術品というよりは、実用品に見える。

 「東島エストールじゃあ、男は腕っぷしがなけりゃ一人前とは見なされない。毎年、秋の祭りでは真剣での勝負だってやる。その時に使う剣だ」

 「大事な剣なんですね。そういうのって、お店で買うんですか?」

 「いや。武器屋に売ってるような安物とは違う。これは…親父から貰った」

 「親父?」

 「義理の父親だ。育ての親っつぅか…」

視線を反らしたまま、ぼそぼそと口の中で何か呟くと、ローグは、側に置いてあった鞘を取り上げて、急いで剣をしまった。何か、言いたくないことに触れてしまったらしい。

 「で? 何の用だ」

口調は、少しぶっきらぼうになっている。

 「ヘグニさんとちょっと出かけて来るので、留守番をお願いしようと思ったんです。よろしくお願いしますね」

 「ああ。それなら問題ない」

 「お昼までに戻れないかもしれないので、昼食は、台所のお鍋に入っているものを食べてください。食器は流しに置いておけば、小人たちがあとで洗ってくれますから」

 「分かった」

 「それと…えーと…」

 「俺のことは気にするな。適当にやる」

 「いえ、私のことです」

 「ん?」

ユーフェミアは、意を決してポケットから、くしゃくしゃになった紙を取り出して見せた。処分しようと思っていたのだが、結局、方法が思いつかず、そのまま持ってきたのだった。

 「書斎にあった日記のいちばん後ろに挟んであったんです。祖父の書き置きで…どう思いますか?」

紙を受け取ったローグは、一目見て眉を寄せた。

 「…これ、本当にあんたの祖父さんが書いたのか?」

 「そうだと思います。インクは机の上にあったもののようだし、この屋敷に住んでいたのは祖父ひとりでしょう? 他に、これを隠せる人は居ないですから」

 「…”小人を信用するな――千年の因縁の起点となる者を探せ”」

ローグは、足元にいる黒い熊に聞かせるためか、声に出して文字を読んだ。そして、考え込むような素振りをしながら、ちらと足元に視線をやる。

 「お前は、どう思う」

 『……。』

熊の素振りからするに、何か、ローグにしか分からない言葉で喋っているようだ。

 「…確かにな。おい、お嬢さん。ここに書かれている、”千年の因縁”ってのは、一体何のことだ」

 「えっ?」

 「俺たちには、…俺のほうは、氏族クランに関わる因縁を探している。あんたのほうにも、一族に関わるような何か、因縁みたいなものがあるってことなのか」

 「因縁…千年前の…あっ」

ユーフェミアも気がついた。

 まさにそれこそ、いま、自分がこの島で探そうとしているものなのだった。

 「クリーズヴィ家の呪いの話ですよ。女は死に、男は狂う、って言われてる…。ローグさんの知ってる伝承では、千年前の族長が呪いをかけた、ってことになってるんですよね?」

 「なるほど、つまりあんたは、呪いの源であるフレヴナを探さなきゃならないのか。墓か、或いは――」

 「でも、それならもう、探す必要なんてないんです」

 「ん?」

 「フレヴナは、たぶん私なので」

 「……。」

ローグは目をしばたかせ、目の前の背の高い少女を見つめた。言っている意味が分からない、という顔だ。

 「ん…?」

 「はっきりとは分からないんですけど、この島に来てから、私、千年前の夢をよく見るんですよね。夢の中では”フレヴナ”って呼ばれていて…あ、そうだ」

ユーフェミアは手をたたき、ローグの足元の熊を見やった。

 「確認なんですが、もしかして、その守護霊…”カーラ”って名前じゃありませんか?」

 「!」

熊が、大きく目を見開いて思わず後ろ足で立ち上がった。普段は半透明なのにほとんど実体化して、しかも、普段は子グマほどの大きさなのに、ずっしりと、大人ほどの身長まで膨れ上がっている。

 「ああ、やっぱりそうなんだ。それじゃ、あの夢の中で見た人たちがみんな揃っていることになるわね。ヘルガ叔母さんは、もういないけど…」

 「…あんた、一体…」

ローグは強張った表情で、剣の柄を握りしめている。一瞬にして、目の前の少女が、何の脅威にもなり得ない存在から、得体のしれない亡霊に成り代わったように感じられていた。

 「自分でも良くわからないんです。これが過去の記憶なのか、誰かに見せられているものなのか、魔法の一種なのか…。でも、少なくとも自分の置かれた役割は分かります。千年前に生きていたフレヴナは、偉大な族長ヘルガの兄の娘。フレヴナにはヘルガの息子たちが従者としてついていたの。フェンリスとヨルムガルデ。どちらも、ここへ来て出会った」

 「フェンリス、…って、あの子犬の名前か? 偶然だろう」

 「じゃあ、シグルズとカーラも偶然なの? フレヴナの護衛をしていた熊の氏族クランの二人まで揃っているのに」

 「……。」

男は押し黙り、足元の熊と視線を見交わしている。

 「どういうわけか、私の周りには千年前と同じ立ち位置や役回りの人たちが揃っているみたいなんです。――これが”運命”って呼ばれるものなのかは分からないけど、何か意味があって配置されているんだと思う」

 「意味、意味か。いや…ここはアスガルドだ。そういうことも起きる…んだろうな…」

何か、歯切れのわるい言葉だ。納得しているのか、していないのか曖昧に聞こえる。

 「それで? 呪いをかけたのはフレヴナじゃない、っていうのはどういうとなんだ。あんたが、あんた自身の一族を呪うはずがない、ってことか?」

 「それもあるけど、状況が一致しないんです。フレヴナが本当に一族を呪っていたのなら、その一族が千年も続くはずはない。書斎で記録を調べてみたけれど、クリーズヴィ家って、百五十年前までは栄えていたみたいだし。祖父が最後に調べていたのも、そのことでした。――何か言い伝えがあったにしても、その呪いが一族を滅ぼすほどの効力を発揮し始めたのって、ここ最近じゃないかって…。」

ローグは額に手をやり、しばらく空を仰ぎ見ていたあと、苦い表情で声を押し出した。

 「…つまり、このメモ書きは、”呪いをかけている真犯人を見つけ出せ”っていう、あんたの祖父さんからのダイイング・メッセージだとでも言いたいのか」

 「ああ、そう。そういうこと。上手く表現してくれて、ありがとう」

 「どういたしまして…じゃ、無くてだなぁ! おい、あんた、自分が何を言ってるのか、わかってんのか」

 「何、って?」

ユーフェミアは、きょとんとしている。

 「それじゃまるで、あんたや俺は、因縁だか運命だかに引き寄せられて、この島に来たみたいじゃないか。冗談じゃねえぞ。俺に、運命をなぞってシグルズのように無様に死ねとでも言うのか?!」

予想もしていなかった激しい反応に、今度は、ユーフェミアのほうがきょとんとなる番だった。

 ローグの足元で、黒熊が慌てたように歩き回っている。既に大きさは、元のサイズに戻っている。まるで、弟の癇癪をなだめようとする姉のような仕草だ。


 ユーフェミアにもようやく、彼の抱えている事情の一端が見えてきた。

 自分の名前を嫌っていたこと。ヘグニが、伝説上の英雄について話そうとした時に声を荒げていたこと。

 それは、運命を恐れていたから――そして、その英雄こそ、”誓い”を果たせず、呪いを残した張本人だったから。


 「…もしかして、千年前の”英雄”シグルズは、良くない死に方をしたんですか?」

 「良くない? ああ。良くないさ。雇い主を守りきれず、最後の戦いにも出向くことが出来ずに不名誉極まりない死に方をしたんだ。名もなき敵に討ち取られてな。何が英雄だ――何が偉大なる戦士だ。歌になっているのは、滅びの山が火を吹く前の、大して必要ない戦場での手柄だけだ。一番大事な時には役立たず、一族の恥さらしだ! そいつが契約を完遂出来なかったせいで、俺たちは、ずっと…過去の因縁に囚われたまま…!」

吐き捨てるように言っあと、彼は、言い過ぎたことに気づいたのか、くるりと背を向けた。

 「…今のは忘れてくれ。…あんたが、そういうつもりじゃないことは分かってるんだ。ただ、…これは、俺がケリをつけるべき問題だ」

 「はい、でも、ローグさんの探しているものも、私と同じ千年前の因縁なんじゃ…?」

ユーフェミアは、黒い熊のほうに視線をやった。

 「その熊って、大昔の英雄シグルズさんのお姉さんと何か関係があるんですか? だとしたら、ローグさんが探しているのは…」

 「今は、話したくない」

言いながら、ローグはくしゃくしゃにした紙をぽいとユーフェミアに投げて返した。

 「…そうですか」

でも、”今は”というなのなら、いつか、話してくれるつもりは、あるのかもしれない。

 「あの、夕飯までには帰って来るつもりなので、その時はちゃんと食堂に来て下さいね」

 「……。」

 「カーラさん、お願いしますね」

 『……。』

返事を貰えないまま、ユーフェミアは二人に軽く頭を下げ、屋敷のほうに駆け戻っていく。

 半透明な姿をした黒い熊は静かにため息をつくと、傍らの、頭を抱えたまま表情を歪めている男を、心配そうに見上げていた。

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