第19話 生き抜くための誓い

 雨は、日が暮れてからも降り続いている。

 小人たちに押し切られて着せられた年代物の衣装にブツブツ言いながら二階から降りてきたローグは、ふと、回廊の端のほうに佇んでいるユーフェミアの後ろ姿に気づいた。ぼんやりした様子で、柱にもたれかかったまま何かを見つめている。

 足元にいた黒い熊が、前足でちょいちょいとローグをつついた。分かっていると言うように足元を睨んでから、彼は、ぶっきらぼうに声をかけた。

 「おい」

声をかけても、気づいてユーフェミアが振り返るまでに時間がかかった。明らかに普通ではない様子だった。

 「何してる? そんなところにいると雨に濡れるぞ」

 「ああ、ええと…。貯水槽を眺めていたんです。こんなところにあったんだなぁ、って」

 「貯水槽?」

見れば確かに、建物と建物の間に、石造りの四角い池のようなものがある。その池には、二階のひさしから滝のように雨が流れ落ちている他に、石畳の中庭が少し斜めになっていて、そこからも雨が流れ込んでいた。元の蓋らしい金属の網はあちこち欠けているが、水を貯めるという目的自体は問題なく機能しているようで、既に、人の膝くらいまでの水が溜め込まれている。

 「ヘルガ叔母さんは、ここで亡くなったらしいんです。まだ五歳で…雨の日に、一人で遊んでいて。暗くなっている頃だったので、落ちたことに気づくのが遅れてしまって、助からなかったって…。」

 ユーフェミアは、揺れている薄暗い水面に視線を落とした。

 「私の父が本を読んで作ったスクリューつきの船の玩具で遊んでいた最中の事故、だったらしいんです。いつもは仲良く一緒だったのに、たまたま兄妹ケンカをして、その日に限って別々だった。その僅かな隙をついて、事故は起きた――」

 「…それは、…お気の毒、だったな」

当たり障りのないことを言ったあと、少し迷ったすえに付け加える。

 「辛いことだが、世の中ではままあることだ。それに、その死に方は”呪い”じゃないだろ」

 「はい」

ユーフェミアは頷いた。

 「でも、その話が広まると、村や港町では”呪いで死んだ”って言われるようになったんですって。やっぱり、クリーズヴィ家の女はすぐ死ぬんだ、って。…もともと島の外から入ってくるものに嫌悪感を持っていた祖父も、父の作った玩具のせいだって責めたそうなんです。それで父は、耐えきれなくなって島を出た。――”女は死ぬ、男は狂う”。言われているとおりのことが起きて、皆、ああ、やっぱりって思ったんです。」

 「……。」

 「ばかみたい。」

ただ落ち込んでいるように見えたユーフェミアの語気が、一瞬、強くなる。

 「こんなの、”予言の成就”とかじゃないですよ。ただの思いこみを、自分たちで現実に変えてしまってるだけ。実現させるのなら、もっと明るい未来を選べばいいのに」

ローグは、思わず苦笑した。

 「よりにもよって”予言の巫女”が、それを言うのか。」

 「ええ! 私、迷信とか暗い運命なんて嫌い。だって、この先に明るい日がないのなら、どうして生きていけるんです?」

きっぱりとそう言い切ってから、ユーフェミアは僅かに声の調子を落とした。

 「その、…だけど、父のことを何も知らなかったのは…辛かったです。自分の興味のせいで妹を死なせてしまうなんて、どんなに悩んで、苦しんだだろう…どんな思いでこの島を出たんだろう、って。」

頬に落ちてきた雨粒を指で払ったあと、彼女は、再びローグに背を向けた。

 「少しだけ、一人にしてもらっててもいいですか? 夕食の準備が出来たら、食堂に行くとドゥリンさんに伝えておいてください」

 「分かった」

ローグは、手短に答えてその場を後にする。足元の熊が、慌てて二人を見比べて、何か言いたげな顔でローグの後を追いかける。

 (…参ったな。この城に入るために利用するだけのつもりだったのに…。)

手で髪をかきあげながら、心の中で呟く。

 ほぼ同時に足元から、別の声が響いた。

 『あんた、女の子にはもうちょっと優しくしなよ。一応は契約を交わした、あんたの主だろ? 没落してるとはいえ、クリーズヴィ家の現当主でもある』

 「うっせぇな。契約といっても、ただの口約束だ。それに、この城に入るために必要だっただけで、あいつに仕えてるつもりはない」

周囲に誰もいないのを視線で確認しながら、声に出してそう答える。黒い熊は、フンと鼻を鳴らした。

 『そんなこと言って。あのコのこと結構気に入ってるんだろ』

 「別に…」

 『またまたぁ。』

男は舌打ちして足元の熊を蹴り飛ばすような仕草をするが、実際には当たらず素通りすると分かっているから、熊の方も避けるフリだけだ。

 『こちとら、アンタが三つの時から憑いてるんだからな。顔見りゃだいたい考えてることは分かるよ。情が湧いて、出来れば死なせたくないなーとか思ってる顔だね、それは』

 「……クソババアめ」

 『ふふん、何とでもお言い。アンタがどう思おうが、アタシはあんたの守護霊だし、追っ手に狙われてここまで生き延びられたのは、このアタシのお陰なんだからね』

 「それは…まあ…分かってるが、そもそもだな、俺が追われる羽目になったのも、半分はあんたのせいだろうが。余計なことして被害を増やしやがって…」

 『また、それかい? アタシが加勢してなきゃ、あんた今頃は死んでるね』

 「…くっそ。何としてでも、ここで”呪い”の源を見つけて、あんたから自由になってやる!」

歩調を早め、肩をいからせて食堂のほうへ向かって去っていく若者の後ろを、黒い熊は、年長者の余裕でゆったりとついていく。

 『そうそう、その意気さ。今まで誰も成し遂げられなかったが片付くなら、アタシだって大満足で消えてやるよ』

クックッと人間のように声を立てて笑った熊は、ふと足を留め、回廊の先に続く裏庭への小道のほうを振り返った。


 そこには、使用人部屋に面した小さな庭があり、黄色い花をつけたほっそりとした若木が生えている。

 微かな香りが、風に乗って敏感な熊の鼻に届く。

 黒い、漆器のような滑らかな輝きをもつ瞳が、すっと細くなった。 

 『――この城へ来るのも千年ぶりだけど、まさか、あの木まで残っているとは思っていなかったねえ。』

熊の形をした影が、揺らぐ。――そして、一瞬だけ別の形になろうとしたまま、再び元の獣の姿へと戻って来る。

 『この因縁を終わらせたいのは、アタシだって同じ。今度こそ…この輪廻こそ、約束を果たして終わらせなきゃ…』

ゆっくりと歩き出す足元に、天井に跳ねた水滴が落ちてきて、斑の模様を作る。

 暗い空を流れる分厚い雲の間から、雨は、なおも降り続けていた。




 ローグが去っていったあと、柱にもたれかかったまま、ユーフェミアは溜め息をついた。

 考えていても仕方のないことだとは分かっている。島の上陸していらい、どういうわけか過去に戻って何度もやり直してきたのは事実だが、だからといって、他の死んでしまった人たちのぶんまでやり直せるわけではない。

 やり直しの起点は「自らの死」なのだ。

 それも、痛かったり、苦しかったり。幸いにして大して苦しまずにほとんど一瞬で意識を失っているからいいようなものの、長引く苦痛の果てに事切れるような死に方なら、精神のほうが耐えられないかもしれない。

 本来、死というものは一生に一度の体験だ。

 奇跡的に蘇生することがあったとしても、死は二度まで。それ以上は多すぎる。

 あと何度、この島での出来事をやり直せるのかもわからない。この現象がどうやって起きているのかも分からないし、そもそも、死んでやり直しなどしたくはない。何度も死ぬたびに、目覚めた時の気持ちの疲れが大きくなっているのは感じていた。

 このまま繰り返し続けていたら、自分の体か、心のほうが保たなくなる気がする――

 (今ならまだ、引き返せるのかもしれない。…でも、私はそうしたくない)

中央島セントラルでの暮らしが、少し前までの母との二人暮らしのことが脳裏に蘇ってくる。

 もちろん、母が嫌いだったわけではない。貧しい暮らしは辛かったが、我慢できないほどでもなかった。

 我慢ならなかったのは、周囲の視線。そして、”異物”に対するような扱いのほうだ。


 背が高いだけで”巨人”とあだ名され、からかわれ、どこかに頭をぶつけるだけで馬鹿にされた。あるいは、恐れられた。

 運動神経が悪かったわけではないし、勉強は出来ないよりは出来る方だった。それでも友達は出来ず、言い返せば尚更いじめられ、黙って我慢するしか上手くいく方法は無かった。

 高校の担任教師は、奨学金をもらって大学まで進んではどうかと言ってくれた。母も、もし進学したいならそれでもいいと賛成してくれた。

 けれど、ユーフェミア自身が断った。卒業したら働いて、少しでも家計を楽にしようと決めていた。

 ――それなのに、卒業を目前にした時期、母は職場で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。


 突然、それまで思い描いていた未来が白紙になってしまった。

 学生という身分を失い、唯一の家族も失い、たった一人で大都会に放り出された時の絶望。

 二人で暮らした家にそのまま住み続けることに耐えきれなくなって、せめて引っ越そうと、母の遺品の整理をはじめた時に見つけた、古い手紙。そこに記された、初めて知る父の故郷の住所――。


 行ってみよう、と決めるまで、そう時間はかからなかった。

 どうせ明日が白紙なら、少しでも希望の持てる色を載せたい。

 全てが灰色の、嫌な思い出しかない生まれ故郷を旅立ったのは、そう思ったからだ。

 いつも腰をかがめて、どこかに頭をぶつけないか気にしながら暮らす毎日が嫌だった。それなら、たとえ危険が待ち受けていようとも、背を伸ばして堂々と暮らせる場所のほうがいい。


 ここがいい。

 ここで生きていきたいのだと、既にそう決めていた。

 ”呪い”にも”運命”にも従わない。必ず生き残って、死に抗って、満足できる一生を生きてから死を迎えるのだ。

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