第16話 小人たちとの契約

 日暮れが近づく頃、ユーフェミアとローグは、食堂で落ち合った。

 ヘグニはちょうど、自分の家に戻ろうとしているところだ。

 「簡単ですが、夕餉の支度はしておきました。食器は、台所に置いていただければ明日の朝に洗います。」

 「ありがとう。でも、ヘグニさんにも自分の仕事があるでしょ? 出来るだけ、ここでの生活は自分たちで出来るようにするわね」

 「お気遣いなく。わしは、族長ゴジにお仕え出来ることが嬉しいのですよ。では、また明日」

 「気を付けて戻ってくださいね」

ヘグニは、ユーフェミアたちに見送られて屋敷を出てゆく。入口には、同じく見送りのつもりなのか、狼犬のガルムがちょこんと座っていた。

 「……。」

 「あっ、もしかして、あんたのご飯も必要だったりするの?」

 「ウルル…」

こちらの言うことが分かっているのか、ガルムは首を振る。頭をユーフェミアの前に下げるので、思わず手を差し出した。

 「わ、ゴワゴワしてるけど意外とフカフカ! すごい! ローグさんも触ってみます?」

 「いや…。てか、あんたよく平気で触っていられるな。そんな化け物」

 「ちょっと大きいだけで、ほとんど犬じゃないですか。なんか見慣れてくると可愛くなってきたな。ねえ、フェンリス? あんたもそう思うでしょ」

 「…ワフ」

子犬は、否定するように尻尾を垂らしたまま部屋の奥にあとすさっている。ローグの足元の、ぼやけた姿の黒い熊さえも、どこか怯えたような眼差しだ。

 「…? まあ、いいんだけど」

 「そいつ、多分、呪いの魔獣みたいなもんだぜ」

ぼそりとローグが言った。

 「えっ? そうなんですか? ちょっと大きい犬じゃなくて?」

 「いや、そんなはず無ぇだろ…。古い呪いでもかけられてるんじゃないか。カーラに聞いた話だが、この島に暮らしていた頃の狂戦士ベルセルクには、戦いの中で高揚すると理性をふっ飛ばして獣に姿を変える、危険きわまりない力があったらしい。――そいつからは微かに人間の残り香がするそうだ。もう記憶も理性も残っちゃいないんだろうが、元は人間の戦士だった可能性がある」

 「それじゃガルムは、大昔の戦いでこんな姿になってしまった狂戦士ベルセルクかもしれない、ってこと?」

改めてじっくり眺めてみても、全くそんな兆候はない。赤い目を覗き込んでも人間らしさは感じられず、、こちらの言うことを理解しているらしいことだけが、知性と呼べるものだった。

 「うーん…。この子の正体って、どうすれば分かるのかしら」

 「本人が答えでもしてくれない限りは調べようがないな。まあ、クリーズヴィ家の人間に害を成さないなら、過去に一族に仕えてた”何か”なのは確かなんだろう。それより…」

ローグは、布に包んでいた剣を手にしながら天井のほうに視線をやった。

 食堂の天井の隅のあたりにも、わかりにくいが、小人たちの出入りするらしい穴が開いている。そこから、射るような視線が幾つも向けられている。

 殺気だというのは、確認するまでもなく分かる。

 「連中、そろそろ出てくるぜ。いざとなったら力づくで黙らせることになるが、構わないな」

 「…ええ。そうならないように願ってるけど」

ユーフェミアは、ちらと玄関のほうを見やった。扉は閉じたが、ガルムが、まだそこに座っているのを感じる。

 (あの子が居るのは、そういうことね。いざとなったら玄関を壊して助けてくれるつもりかも。)

 太陽は西の地平に差し掛かり、日差しの最後の残り火が、屋敷を取り囲む森の上部を赤く照らしている。食堂は薄暗がりに沈み、やがては完全に闇に包まれる。

 ユーフェミアは、いつでも明かりのルーンを描けるよう心づもりをしながら、鞄にしまってあった黄金の杯を取り出して食堂のテーブルの上に置く。

 そして、天井の穴に向かって声をかけた。

 「そこに隠れている小人さん、出てきてくれる? あなたたちに報酬を支払いたいんだけど、杯の使い方が分からないのよ。教えてくれない?」

ざわめきと、キイキイ、カサカサという物音。キイキイいっているのは、何か未知の、おそらく小人たちの使う言語のようだった。何人かが天井裏で話し合いをしているらしい。

 やがて天井の穴から、するりと影が降りてきた。

 壁際のタンスと額縁を伝い、器用に天井から床へ這い降りる。数人かと思っていたのに、その数は、数十にも及んだ。さしものローグもぎょっとして、剣をいつでも抜けるよう柄に手をかけたまま、部屋の隅へと追い詰められていった。

 まだ子犬のフェンリスも、全身の毛を逆立てて唸り声を上げるのがやっとだ。小人たち数人に威嚇され、部屋の隅っこに追いやられている。


 二人と一匹は、あっという間に取り囲まれていた。

 ユーフェミアの眼の前、テーブルの上には、ひときわ体格のよい白いヒゲの小人が立っている。人間でいうところの老人に該当する年齢だろうか。丸い鼻に眼鏡のようなものを引っ掛け、揃いの赤い頭巾とチョッキ。それに、皮で作った立派な靴を履いている。

 背の高さが著しく小さいことを除けば人間と同じ、二本の手と二本の足。絵本に出てくるような小人そのものの姿だ。

 「わたくしはドゥリン。この館の執事であり、”黄金の一族”たるクリーズヴィ家の方々に契約されたものです」

その小人は奇妙に訛った、だが丁寧な口調で自己紹介をして、片手を胸にやり、軽く会釈するように頭を下げた。

 (意外ね。人間の言葉が話せる小人もいたんだ…)

心の中で思いながら、ユーフェミアのほうも答える。

 「はじめまして。私はユーフェミア。前にここに住んでいたエイリミは私のお祖父さんよ」

 「ええ、ええ。そのことについては、疑う理由はございません。その深藍の瞳、実に良く似ていらっしゃる」

 (…瞳、か)

ヘグニも、初めて会った時、自分のことを「瞳が父に良く似ている」と言った。――取り立てて珍しいとも美しいとも思ったことのない自分の瞳は、どうやら、ここの住民たちにとってのこだわりどころらしい。

 「ですが、」

ドゥリンの刺々しい口調で、ユーフェミアは現実に引き戻された。

 「わたくしどもは、まだ、あなた様を主人とは認めておりません。わたくしどもは契約を重んじる民。まずは負債を解消していだかねば」

 「お祖父さんが亡くなってからのお給料ってことよね? いいわよ。で、どうすればいいの」

 「おい、ユーフェミア。そんな軽々しく…」

一歩踏み出そうとしたローグの足元で、小人たちが行く手を阻む。見れば、手には小さなナイフや槍を持ち、小さいながら立派に武装している。

 いくら体格差があるといっても、この数を相手にしては無事では済みそうにない。ローグは、チッと舌打ちして引き下がる。

 ドゥリンはひとつ咳払いし、もったいぶった態度で金の杯の周りをゆっくりと歩き出す。

 「お給金は、この魔法の杯からいただく酒で支払われておりました。この杯は、無限に美酒を沸き立たせる神代の遺物。神々の血に連なる家系の者だけが扱えるものなのです」

 「そうなんだ。それで? 具体的には、どう使えばいいの」

 「それは…、ええと」

もうひとつ、咳払い。ちら、とユーフェミアのほうを見上げる。

 「…本当に、ご存じない?」

 「ええ。お父さんからは何も聞いていないし、ここに戻ってきたのも初めてだから」

 「そう、ですか。ううむ…」

ドゥリンは、何か迷っている様子だった。

 「…以前の主人は、その。杯の中に何やら模様を描き、こう言っておりました。『甘き水よ、来たれ』」

 「甘き水? ビールって、甘くないでしょ」

 「あッ、いえっ。その、ビ、ビールは…ビールの時は、『詩作の友よ、来たれ』です…」

 「……。」

ユーフェミアは、ちらりとローグのほうに視線をやる。彼も同じ考えのようで、小さく頷いた。

 「それじゃ、試してみることにするわね。模様っていうのは、ルーンよね? 確か、”お酒がおいしくなるおまじない”があったわ」

 「上手くいくといいんだがな」

と、ローグ。

 「大丈夫よ、きっと。えーっと…」

絵本で見た模様を思い出しながら、ユーフェミアは、スープ皿のような大きな杯の中に、指で印を描いた。

 「『甘き水よ、来たれ』。」

小人たちが固唾をのんで見守る、一瞬の沈黙。

 ややあって、杯の底のほうで、ごぽっと小さな音がした。

 「で、出た…酒だ! キイ! キキィー!」

ドゥリンが聞き取れない甲高い声で叫ぶのと同時に、小人たちは、武器を投げ捨てて台所のほうへ向かって走り出した。そして、次々と、鍋やコップ、ありとあらゆる器を手に駆け戻ってくる。

 その頃にはもう、ユーフェミアの手の中で、杯は波々とした赤い液体――紛れもないワインをたたえ始めていた。

 「さ、酒を! さあ、こちらへ。注いでください…!」

ドゥリンは舌なめずりし、興奮した様子で鍋を差し出す。言われるままに杯を傾けると、不思議なことに、酒は杯の容量を越えて、本流となって一気に器を満たしていく。

 小人たちは歓声を上げ、次から次へと器を取り替えていく。

 「え、ちょっと。待って、これ、どうやって止めるの? 出てきたものもビールじゃないし!」

 「構いませんよ、五年分のご奉公代なのです。もっと、もっと…!」

 「飲み過ぎはダメよ!」

ユーフェミアが杯を傾けるのを止めると、とたんに、酒は流れるのをやめた。

 金の器の中で、とぷん、と赤い液体が揺れる。そして次の瞬間、ふっと消えた。

 「あ、…」

 「傾けるのを止めると止まる、って仕組みか。」

いつの間にかローグが、隣にやってきていた。

 「ふん、”魔法の杯”ってだけあって不思議な構造だな。」

 「ビールじゃなくて、ワインが出てきたんですけど…使い方、間違っていたんでしょうか」

 「そこの小人が本当のことを全部言わなかっただけだろう」

彼は、仲間たちと奪い合うようにしてワインを口にしているドゥリンを睨みつけた。

 「そっき、そいつが言いかけた言葉があっただろう。『詩作の友』とかなんとか」

 「はい」

 「”詩作の友”は、古い言い回しでビールを指す。ちょうどいい塩梅に酔って頭が冴える、という意味だ。多分、唱える言葉によって湧いてくる酒が違う。試してみろ」

 「…なるほど」

言われたとおり、ユーフェミアはもう一度、”おまじない”の文字を杯の中に描いて唱えた。

 「『詩作の友よ、来たれ』」

ゴポッ、と音がして、今度は、泡だった黄金色の液体が現れた。杯を傾けないでいると、その液体は、杯の縁のあたりまできたところでぴたりと止まった。泡の感じからしても、匂いからしても、確かにビールのようだ。

 「…ローグさん、飲んでみます?」

 「は? 俺が? あんたが試してみろよ」

 「だって私、まだ十八です」

むっとして、ユーフェミアは言い返す。

 「高校を卒業したばかりなので。中央島セントラルじゃあ、お酒は二十歳からよ」

 「俺のいた東島エストールじゃ十五で成人だ。それに、ここはアスガルドだぞ。妙なこだわりはいらんだろ。…まあ、心配なら、そこの小人どもに毒見させればいい」

見れば小人たちのほとんどは、既にワインで、ぐでんぐでんに酔っ払っている。顔を真赤にして、眠りこけている者までいるしまつだ。

 「お酒が好きなのに、弱いのね」

 「ま、だからこそ報酬はワインじゃなくてビールなんだろう。本当は」

ローグは、鼻の頭を真っ赤にしてご機嫌そうなドゥリンのチョッキを掴んで、ひょいとつみまあげた。

 「おいジイさん。てめえ、こいつを騙して、上等な酒のほうを狙ったな?」

 「騙しれは…ヒック。ワインは、特別な日にしか…ヒック。出してもらえませんでな…。溜まっていたお給金…には、ちょうど…良い…れしょう…ヒック」

 「チッ。なら、今回だけだぞ。次からはビールだ。それで? 支払いはどういう間隔で決められてたんだ」

 「毎朝…。仕事の終わりに、瓶一杯分…。台所の…隅の…。」

 「瓶ね。だとさ、ユーフェミア。次からは、ビールを出しといてやれ」

 「分かったわ」

 ひとまずはこれで、小人たちの扱い方は分かった。仕事はきちんとこなすけれど、ずる賢くて、凶暴で、信用しきれないところもある。でも、お酒が大好きで、すぐに酔いつぶれてしまう、どこか憎めない生き物だ。

 「それじゃ、ヴァリンさん。私にお酌させたんだから、これで契約更新は終了、でいいわよね?」

 「ひゅむ。良いでしょう、認めましょう。あなた様は、新しいお館様…我々の主人として認め…。もにゅもにゅ」

 「まったく。酔いが覚めたら忘れてる、なんてナシよ? 食器は、自分たちで片付けてね」

ユーフェミアは、足元に駆け寄ってきた子犬を抱き上げて、食卓の開いているところに腰を下ろした。

 机の上に置かれていたランプの傘に明かりのルーンを描くと、ランプ全体がぼんやりと明るくなり、手元が見えるようになる。

 「それじゃ私たちも、夕食にしましょうか」

 「…やれやれ。賑やかな生活になりそうだな、これは」

ローグがぼやいた。

 とはいえ、酒を沸き立たせる魔法の器にも、小人たちの宴会にもいちいち大騒ぎしないあたり、「不思議なこと」には耐性があるほうらしいのは助かる。

 食卓には、ヘグニの用意していってくれた質素な野菜スープとパン。それに、黄金の杯に溜まった、たっぷり二人分はあるビール。

 「他の飲み物も出せるといいんですけどね。普通のお水とか」

 「今度、試してみたらどうだ? ちなみに俺なら、アクアビットが好みだ」

 「アクアビット? どういうお酒なんですが、それ」

 「じゃがいもで作る、透明な酒だ。別名は”命の水”――。」

魔法の明かり照らされて、酔って騒ぐ小人たちを前にした奇妙な晩餐会。食べ物は質素だが、余興としては他の場所では決して見られないものばかり。

 ユーフミェアは不思議と、少し楽しい気分になっていた。

 彼女が笑っていることに気づいて、ローグは、怪訝そうな顔になる。

 「…何か、面白いことでもあったのか?」

 「いえ。誰かと夕飯を一緒に食べるのなんて何年ぶりだろうって思ってただけです」

 「何年ぶり? あんた、家族は――」

 「ずっと母と二人暮らしだったんですけど、母は夜勤で、明け方に戻ってきた時くらいしか顔を合わせなかったんです。倒れたのも職場でのことで…。ほら、中央島セントラルって物価が高いでしょ? 母子家庭だと家計がキツかったみたい。私も高校を出たら働こうと思ってたんだけど、その前に母が亡くなって、あの街にいる理由が無くなっちゃったから、ここに戻ってきの」

 「…余計なことを聞いたな」

 「構わないわ。これからしばらくは一緒に住むんだし、少しくらいお互いのことは知ってても損はないでしょ?」

 「……。」

ローグは、口を開きかけて、また閉ざした。

 きっと、自分のことは話そうとしても、そう簡単には言えないのだと、ユーフェミアは察した。

 手配書に書かれていた内容の第一は、「養父殺し」。彼にも何か、ここに来るまでの複雑な事情があるに違いない。それを聞くべき時は、まだ、今ではない。

 代わりに、自分のことを話そう、と思った。

 「あの。そういえば、ひとつ気になってたことがあるんです」

 「何だ」

 「最初に船で私に会った時、私のことを見上げたでしょう」

 「…そうだったか?」

 「はい。あの時、正直『女にしては大きすぎるな』とか思いませんでしたか。」

自分でも、どうしてそんなとを聞いているのかよく分からない。ただ、中央島セントラルでは初対面の人に必ず言われた一言が、この男からは一度も出てきていないことは、ずっと意外だった。

 ローグは眉を寄せ、ユーフェミアを見やった。

 「確かに、まあ…背は高いと思ったが、肉付きがいいとか、幅がデカいとかじゃないし、むしろあんた華奢なほうじゃないか? あんま飯食ってない体つきだな、くらいにしか思わなかった。それにまぁ、ヴァニールの子孫がこの島に居るのは分かってたし、ヴァニール族はみんな背が高いはずだからな」

 「でも、それを知ってたとしても、会うのは初めてだったはずでしょ? 私、中央島セントラルではよく、”デカ女”だとか、”巨人”とか、言われていたから――」

 「巨人族か、そりゃ無いな。巨人ってのはヨートゥンのことだろ。あいつらとあんたは、ぜんぜん違う」

言いながら、パンの欠片を口に放り込む。

 「ヨートゥンの生き残りは、そこらの島に散って暮らしてる。この十年、あちこち転々として何度も出くわして来たが、あいつらは背が高いだけじゃなく体も分厚い。それに、決まって赤っぽい髪と目をしていた。あんたは色も雰囲気も真逆だからな。なら、ヴァニールだろうとすぐに思った」

 「…色…。」

 「ヴァニールの祖先の神々とやらは、青い瞳に白い髪をしていたと聞いたことがある。かつては、瞳の色が濃いほど血も濃いと見なされたんだそうだ。あんたは、まさにそういう色をしてるだろ」

 (それで皆、私の目の色のことをずっと言っていたのか)

ユーフェミアは、自分の瞳に手をやった。

 そんな彼女を見て、ローグは苦笑した。

 「もしかして、あんた、自分の背が高いのを気にしてたのか?」

 「え? いえ、気にしてたってほどじゃ。ただ、うんざりするくらい皆に言われてたから…。」

 「まあ、あんたくらいの年齢なら、自分の見栄えも気になるだろうからな」

 「違いますよ。そんなんじゃ…」

むっとして言い返しつつも、ユーフェミアは、今更のように、自分が「背の高い女」としか認識されないことに不満を抱いていたかもしれないことに気がついた。

 ずっと、考えないようにして感情に蓋をしてきた。

 嫌だろうが、言われたくなかろうが、周囲は誰もそんなことは気にしてくれない。飛び抜けて背が高いという事実も変わらない。

 それなら、本心を押し殺して受け流していたほうが楽なのだと。本当は、ずっと嫌で嫌でたまらなかったのに――。

 「ええと、とにかく、この島では目立たなくて良かったです」

誤魔化すように会話を打ち切って、あとは、黙々と朝食に取り掛かった。ローグも、それ以上は何も聞いてこなかった。




 夕食のあとユーフェミアたちは、片付けを小人のまとめ役のドゥリンに頼んで、それぞれの寝室に引き上げた。

 ユーフェミアは、祖父の使っていた書斎。ローグが寝床に定めた部屋がどこかは聞かなかった。

 今夜は静かな月明かりが中庭を照らし出し、明かりのルーンを使わなくても部屋の中が見えるほどだ。

 「…ああ、ようやくね。ようやく、ここまで来られた」

思わず声に出して呟きながら、寝台に仰向けに転がった。

 ひとまず、ここまで準備ができれば、そうそう殺されることは無いはずだった。

 屋敷の中は小人たちが見張っているし、外には魔犬ガルムがいる。この城は先祖代々の住まいで、外から何かが侵入することは無い。

 ただ、気がかりなのは、一族にかけられた「呪い」の発端が、遠い祖先にあたるフレヴナという少女だと言われていること。

 (千年も前の人、なのよね? 恨みを抱いた一族を呪い殺そうとしてたのなら、そもそも、一族が千年も続いてること自体がおかしい。それに、夢の中で見た、あの子は…。彼女じゃないとしたら、本当は…一体…。)

まだ考えたいことはあるのに、疲れているせいか、久しぶりにまともな寝床に横になったせいか、すぐに意識が遠のいていく。

 視界が眠りの靄に包まれて、あとはもう、すべてが曖昧になる。




 朧げに覚えているのは、中央島セントラルの家に帰った夢を見ていたことだった。

 狭い小さな借家。ほんの二部屋しかない狭い我が家の扉を開けると、笑顔の母が出迎えてくれて、食卓には、温かい食事が出来ている。

 ――実際には、一度も体験したことのない記憶。

 なのに無性に懐かしい、そんな夢だった。

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