第15話 黄金の杯

 翌朝、前回と同じようにヘグニの小屋の寝室で目覚めたユーフェミアは、そのまま小屋で朝食を取ると、子犬を抱き、ローグを連れて、丘の上の屋敷へ向かうことにした。

 「まずは、お屋敷の中が暮らせる状態か確認いたしましょう。もう五年も、誰も手入れしないままなのです。雨漏りなど、していないとよいのですが…」

ヘグニは心配そうに言っているが、屋敷の中が小人たちによって綺麗な状態に手入れされていることを、ユーフェミアは知っている。問題は、その小人たちに敵と見なされずに、上手く交渉出来るかどうかのほうだ。

 今朝もやはりいい天気で、夏草のそよぐ草原が心地よい。

 ユーフェミアは、黙ってついてくるローグのほうを見やった。

 「ローグさん、体調はもう大丈夫ですか?」

 「…ああ。昨日は、みっともないところを見せちまったな」

あまりよく眠れなかったのか、少し目の下にくまが出来ている。が、顔色は悪くない。さすがは頑丈と言うべきか、このくらいでどうにかなるほど虚弱ではないらしい。

 彼は警戒した様子で、丘をとりまく森に鋭い視線を巡らせている。

 「…嫌な気配するな。この森、何かいるだろう」

 「昔から、悪い小人が出るという話しがあります。それと、番犬が…」

ヘグニが言い終わらないうちに、森の奥の方から、低く、地鳴りのような唸り声が聞こえてくる。

 フェンリスはぴんと耳を立て、ローグのほうは、とっさに細長い包みに手をかけた。

 布が外れ、その下に隠されていたものがちらりと見える。 

 (あっ、もしかして、剣…?)

ユーフェミアがその細長いものの正体を見留めたのとほぼ同時に、木々の奥から、のっし、のっしと黒い塊が、こちらに向かって近づいてくるのが見えた。

 牛ほどの大きさのある、犬と呼ぶにはあまりにも大きすぎる生き物。

 赤い目をギラギラと輝かせながら、侵入者を阻むように、あるいは値踏みでもするかのように見下ろしている。

 「あれが、城を守る魔獣…?!」

初めて見るローグはあっけにとられ、彼の足元の熊は毛を逆立てて臨戦態勢になっている。一触即発の雰囲気だ。

 ユーフェミアは、ローグを手で制しながら前に進み出た。

 「ガルム、はじめまして。私はユーフェミア、ヘイミルの娘よ。私のことがわかる?」

 「……。」

唸るのをやめ、犬は、じいっとユーフェミアの顔を見つめ、ふんふんと鼻を鳴らした。

 おそらく、匂いを嗅ぎ取って判別しているのだと、ユーフェミアは思った。

 それで主人を見極めるというのも不思議な話だが、見た目が犬に似ているぶん、犬と似た所もあるのかもしれなかった。

 「フフン…」

やがて、巨大な犬は湿った鼻をユーフェミアの前に突き出して、少し頭を下げた。

 「いい子ね。これからよろしく」

ユーフェミアが鼻面を撫でてやると、怪物犬は、フンと鼻の奥を慣らして森の奥へと消えていった。

 「だ、大丈夫でしたな…」

ヘグニが、安堵のため息をつく。

 「そうみたいね。先に進みましょう」

 「しかし、さすがはユーフェミア様だ。臆することなく、あの番犬を手なづけてしまわれるとは」

 「まあ…ね」

二度目なのだし、上手くいくことは分かっていたのだが。

 「……。」

ローグはようやく警戒を解き、剣を元通り布の中にくるんで隠した。ユーフェミアはそれとなく、その、彼の動きを見ていた。

 (銃だって普通にあるこの時代に、剣だなんて。…彼は本当に、古い時代の戦士の生き残りなのね)

昨日、霧の中で見たいにしえの戦士シグルズも、同じような剣を持っていた。さすがに同じ剣が千年も受け継がれているとは思えなかったが、きっと、古い血とともに、戦い方や身に、染み付いた生き方も受け継いでしまったのだろう。

 ――だからこそ彼は、古い呪いによって死ぬことをひどく恐れている。

 追われる身となってもまだ剣を片時も手放せないような古い時代の戦士にとって、抗いようのない運命に従って”ただ”死ぬことは、許容しがたい不名誉なのに違いない。




 屋敷の前に到着すると、ヘグニが鍵を取り出して入口の錠前を外し、扉を開いた。

 「どうぞ、ユーフェミア様。鍵もお渡ししておきます」

 「ありがとう。まずはお祖父さんの書斎を見ておきたいの、行ってくるわね」

 「ええ、それはよろしいのですが、場所は…」

 「知ってます。左の食堂を通り抜けて、中庭に面したところでしょ。あ、ローグさんも行きます?」

 「俺は…そうだな。まあ、最初くらいは付き合うか」

 「じゃ、行きましょう。フェンリス、はぐれないでね」

 「ワン!」

ユーフェミアは、大急ぎで書斎へと向かった。

 小人たちは太陽の光が嫌いなのだから、昼間は出てこないはずだ。ならば、タイムリミットは日没までだ。

 もしもそれまでに「魔法の杯」が見つからなかったら、次の日にまた出直すしかない。夜になれば、怒り狂った小人たちに襲われる――たとえローグが一緒にいたとしても、無用な戦いは避けるにこしたことはない。


 ここへ来るのも二度目だ。構造は、前回でだいたい把握している。

 書斎の扉を開くと、カビたような匂いとともに、かすかな埃が舞い上がる。何かが大慌てで天井に引っ込んでいくような気配があった。

 (やっぱり、いるわよね)

ユーフェミアはカーテンを開き、部屋に光を取り入れた。小人たちは太陽の光に当たると砂になって消えてしまう、と絵本には書かれていた。陽光が苦手なのは間違いなさそうだし、これなら、明るいうちは襲われることはないはずだ。

 「ローグさん、手伝ってくれませんか? この部屋のどこかに、祖父が小人たちと契約するのに使っていた”魔法の杯”があるはずなの。」

 「小人? 杯? …杯って、あの、クリーズヴィ家の神器のことか」

 「知ってるんですか?」

 「ああ、一応な。神代から受け継いだ神聖な道具、とかなんとか…」

 「神器かどうかは知らないけど、家宝みたいな感じの黄金の杯らしいんです。それが無いと、私、屋敷に住んでる小人たちに”敵”認定されちゃうので」

ローグは、警戒したような顔で辺りを見回している。

 「…この城、本当に小人が住んでいるのか? 噂じゃなく?」

 「そうなんです。ずっと人が住んでなかったのに、お屋敷が綺麗でしょ? 小人たちが勝手に掃除してくれてたんだと思います。でも、もう五年も報酬を受け取っていない。だから多分、怒ってると思うの」

そう、雇い主不在のまま、無報酬でずっと働き続けていたのなら、きっと――きっと物凄く、腹を立てているに違いない。契約を重んじる種族、というなら尚更だ。

 (五年分、まとめて支払えば納得してくれるかな…とりあえず、ここに住むからには、まずは話が出来る状態にならないと)

そのためにも、小人を使役できる道具、「魔法の杯」は見つけなければならない。


 だが、すぐに見つかると思われた杯は、いっこうに見当たらなかった。

 ひと繋がりになった書斎と寝室は、それほど広いものではないというのに、全くそれらしいものが出て来ない。引き出しの中、戸棚の上、寝台の下。大切なものを隠していそうな、それでいて毎日取り出せそうな場所は一通り見て回ったというのに、杯状をしたものすら見つからないのだ。

 さすがに、これは想定外だった。まさか、こんなに苦労することになろうとは。

 やがてお昼の時間になり、ヘグニが呼びにやってきた。

 「昼餉の支度を致しましたので、どうぞ食堂へ」

食堂へ移動すると、前回と同じように、ヘグニの小屋で作って持ってきたサンドイッチが、”前回”同様、食器のうえに形だけは立派に盛り付けられていた。立派な食器だ。同じく立派な茶器とポット。水の入ったボウルと布巾。

 年代物のその器を眺めながら、ユーフェミアはため息をついた。

 「台所の食器棚には無い、ってヘグニさん言ってたしなあ…。一体、どこにあるんだろう、杯」

 「秘密の隠し場所でもあるんじゃないのか。宝なら」

ぶっきらぼうに言いながら、ローグは慣れた様子でボウルに指を突っ込んで洗い、布で拭うと、遠慮なくパンにかぶりついた。足元ではフェンリスが、こぼれてきたパンくずをかじっている。

 「隠すって…額縁の裏側とか、机の引き出しの裏側なら、もう探したわよ」

 「あとは、そうだな。王道の隠し場所っていうんなら、本棚の本を取り出すと、その奥に扉がある、とか。本棚の本を入れ替えると秘密の扉が開く。とかだな」

 「そんなの、絶対分からない」

 「だからこそ宝を隠すのにいいんだろ。ま、あんたなら探し出せる。クリーズヴィ家の人間にだけは、分かるようにしてあるはずだ。でなきゃ意味がない」

 「そんなこと言われても…。お祖父さんったら、何かヒントくらい残しておいてくれても良かったのに…」

呟きながら、サンドイッチを取り上げて一口かじったとき、ふいに、ひらめいた。

 (…もしかして)

慌てて口の中のものを飲み込んでしまうと、彼女は、かばんの中から絵本を取り出して捲った。”おまじない”の載っているほうの本だ。

 クリーズヴィ家の者にしか分からない――クリーズヴィ家の者でなければ本来の効果を発揮しない、ルーンの”魔法”。

 (確か、このへんに…あった!)


 ”探し物が見つかるおまじない”。


 本を手に、勢いよく立上がる。

 「おい、メシくらい食っていけよ。」

ユーフェミアはむっとして、サンドイッチを掴むと、一気に口に押し込んで、お茶で乱暴に流し込んだ。

 「ごちそうさまでした! 先に戻ってるわね」

 「……。」

ローグは何も言わず、あっけにとられている。

 ユーフェミアが駆け出すと、子犬も慌てて追いかけてくる。遊びに行くとでも思っているらしい。

 書斎に戻った彼女は、本を手に、部屋の中を見回した。

 (”探し物が見つかるおまじない”は、探し物を具体的にイメージしながら、手に持って歩けるものに描くこと。そうすると、探し物のありかがピンときて、自然に探し物のところまで導いてくれるでしょう。――か。なんだか曖昧だけど、きっと、これで見つかるはず)

彼女は、手にした絵本の表紙に模様を描いた。

 (見つけたいものは、”魔法の杯”。骨董品みたいな感じで、金色だってヘグニさんは言ってたわね…)

模様の上に、ぼんやりと光が浮かび上がる。その光が、矢印のように一定方向に向かってまっすぐに向かっていく。

 「! これ…そうか、隠し場所まで連れていってくれるってことね」

本を手に、ユーフェミアは、光の指し示す方角に向かって歩き出した。

 光は、寝台の枕元の壁を指し示しているようだった。何の変哲もない、石組みの壁だ。

 「ここ?」

首を傾げながら壁に触れる。叩いてみると、かすかに音が反響した。後ろが空洞になっているということだ。

 本を置くと、彼女は、その場所を叩いたり引っ張ったりして、なんとか開こうと試みた。

 だが、びくともしない。

 場所はここで合っていそうなのだが、どうやら、開くには何かまだ必要なものがあるらしい。

 「もう。せっかく、ここまで来たのに…!」

寝台に上に膝をついたまま、じっと眼の前の開かない壁を睨みつける。

 その時、風でカーテンが揺れ、窓から昼の日差しが差し込んできた。

 ほんの一瞬、その光が部屋の奥まで届いた。石の壁にうっすらと、何か、溝のようなものが浮かび上がって見える。

 「…あれ?」

ユーフェミアは首を傾げ、岩の表面をそっと手で撫でてみた。

 気のせいではない。

 表面が僅かに削れて、凹んでいる場所がある。その凹み方は、今までに何種類も描いてきたルーンとよく似た雰囲気で、まるで、同じ場所を何度も何度もなぞり続けて出来たくぼみのようにも思えた。

 それなら、もしかして――。


 おそるおそる、そのくぼみを指でなぞってみる。

 一度目は、何も起きなかった。

 だが、書き順を変えて試してみた二度目には、石が勝手にせり上がり、ゆっくりと手前に押し出されてきた。

 「やった!」

思わず声を上げて、その石を取り外す。

 思ったとおりだ。裏側には空間があり、そして、――クッションの上に寝かされた、金色に輝く立派な杯が隠されていた。

 取り出してみると、それは、形こそ杯ではあるものの、飲み物を入れて飲むにはあまりに大きすぎる器だった。入り口はスープ皿ほどもあり、深さは花瓶になりそうなくらい。この杯に満たした酒を飲み干せる者がいるとしたら、よほどの酒豪くらいだろう。


 ちょうどそこへ、ローグが戻ってきた。

 「どうした? 見つけたのか」

 「はい! ありました、これ」

ユーフェミアは、クッションごと杯を取り出して見せた。ローグはぎょっとしている。

 「うお…。本当に金だな。しかもデケエ…。重い、よな?」

 「結構重いですよ。持ってみます?」

 「いや。いい…。そういう高価そうな宝物は、触らないほうが無難だ」

言いながら、ふいと視線を逸らす。財宝を目にしても、好奇心にかられたりはしないらしい。

 「あとは、この杯でビールを注げばいいはず、なんだけど…」

壁の石を元通りはめ込んでから、ユーフェミアは、杯を両手で持ち上げてみた。重たすぎて、とても片手では持ち上げられないのだ。

 絵本には、城主が小人たちに杯からビールを注いでいる絵がつけられていた。

 けれど、どうしてわざわざビール樽からではなく、この杯から注いでいたのだろう。それに、ビールは一体どうやって準備していたのかも気になる。毎日、小人たち全員にビールを飲ませていたら、それなりの量が必要になるはずだ。

 (そういえば、台所の地下にあった食料庫にはワイン樽しか無かった。ビール樽はひとつも見てないわね…)

杯をひっくり返し、全体を眺めてから窓辺の書斎机の上に置いてみる。金色にきらきら輝いてやたらと重たいところ以外は、何の変哲もない杯だ。骨董品のように見えるのは、縁の部分に作られた蔓草の絡まる文様が、古代の雰囲気を醸し出しているからだろう。

 それと、表面につけられた大きな宝石。赤と青、それに白。色の違う宝石が、三箇所に輝いている。何か仕掛けになっているのかもしれないと触れてみたが、なんの反応もない。

 「ここから、どうすればいいんだろう。ここまで来たのに…」

指で、そっと杯の縁をなぞる。

 「まあ、やり方は、必要な連中に聞けばいいんじゃないか?」

言いながら、ローグは天井のほうを見上げている。

 さっきから、チイチイ、ゴソゴソと鳴き声や動き回る物音のようなものが天井の穴の奥から聞こえている。ユーフェミアが壁の隠し場所から杯を取り出したことを見て、慌てているのかもしれなかった。

 「確かに、そうね。小人たちは明るいうちは出て来ないはずだから、夜を待ちましょうか」

ユーフェミアが黄金の杯をクッションごと鞄に突っ込む時、天井裏から、ため息にも似た吐息が漏れた。ちら、とそちらを見ると、小さな人影が穴の縁にうごめくのが見えた。

 (大丈夫みたいね。思ったとおり、日没までは、彼らは出てこられない。今のうちに屋敷の中を調べてみよう)

書斎の扉をわざと大きく開け放ち、外の光が差し込むようにする。

 「それじゃ、先にローグさんのほうの探し物を探しに行きましょうか」

 「俺の?」

 「ローグさんのご先祖様が残した呪いの件、調べるのを手伝いますよ」

 「ああ…それなんだが…」

ローグは、なぜか気まずそうな顔をしている。

 「すまないが、そいつを探すのは、あんたに手伝ってもらうわけにはい。…説明するのも難しいしな。ひとまずは、この城に入れただけで十分だ。自力でなんとかするさ」

 「それじゃ、お屋敷を見て回ってきたらどうですか? ローグさんのお部屋も、決めておいたほうがいいでしょうし」

 「そうさせてもらう」

夕方にまた落ち合うことにして、二人は別れた。

 (さて、と…。)

ユーフェミアのほうは、もう少し屋敷の中を探索してみるつもりでいた。”おまじない”の使い方も分かったのだ。試してみたいことがある。

 「お父さんの住んでた部屋はどこ?」

言いながら、探し物のルーンを描く。光が、一直線に書斎の外を差す。

 「こっちね。フェンリス、おいで」

 「クゥン?」

手にした絵本の上に浮かぶ光を頼りに、彼女は、二階へ続く階段を登った。

 二階の部屋は、家族の居住区だったらしい。子ども用のおもちゃの置かれたままの部屋。夫婦のための寝室。女性用のドレスなどがたくさん収納された部屋。そして、天球儀や地図の置かれた部屋。

 光は、その、天球儀の部屋を指していた。

 「…ここなのね」

部屋に入って見回すと、そこに住んでいた少年の姿が浮かんでくるような気がした。どこから手に入れたのか、望遠鏡や測量の道具、図鑑など、好奇心の赴くまま、様々な知識を集めた部屋だ。

 父は、もしかしたら本当は学者になりたかったのかもしれない、とユーフェミアは思った。

 外の世界には、この辺境のフェンサリルでは手に入らない知識も、道具もある。故郷は狭すぎた…中央島セントラルへ出ていったのは、そのせいでもあったのかもしれない、と。

 (お父さんは、ただ呪いから逃げたわけじゃない…)

手垢のついた、使い込まれた望遠鏡を撫でて、彼女はそう思った。

 (きっと、そう。…お父さんのことはあんまり覚えてないけど、そうでもなければ、島を出たあとに、いちばん栄えてる島に行ったりはしないはずだもの)

既に亡くなってしまっている以上、本当のこところは分からない。けれど、単純に呪いや一族の指名から逃げ出した、などとは思いたくない。

 島の外から来るものを嫌っていたという祖父とは逆に、父は、外の世界にずっと興味を、関心を向けていた。そして遂に、望みを叶えて飛び立ったのだ、と。


 部屋の中を眺めていたとき、背後で、何かの気配がした。

 「ワン!」

フェンリスが吠え声で答え、尻尾を振りながら窓枠に飛びついた。

 不思議に思ってカーテンを開くと、外にいたカラスと目が合った。

 「カア、カア」

 「あれ? 君、もしかして前回、屋上にいたカラス?」

 「…カァー」

 「ワンワン!」

窓を開き、子犬を抱き上げて窓枠に乗せてやると、カラスは、その隣にやって来た。まるで、昔からの知り合いのように馴染んでいる。

 「ずいぶん仲良しなのね。カラスさん、ここに住んでるの? それなら、名前をつけてあげようかな」

 「カア?」

 「そうね…うーん…」

カラスの賢そうな眼差しを見つめていた時、ふと、夢の中の情景が思い浮かんだ。

 ”フェンリス”という名の少年とともにいた、もう一人の、聡明な瞳の少年――。

 「あなたは、ヨルムガルデ。どう?」

 「カア! カアー」

 「気に入った? じゃ、これからはそう呼ぶわね。よろしくね、ヨルム」

 「カア!」

 「ワンッ」

子犬のほうも、満足げな顔をしている。

 (一人でここに住むつもりだったけど…良かった、少しは、賑やかになりそう)

庭を見下ろす窓辺に立って、ユーフェミアは微笑んだ。

 あとは、小人たちの件さえ何とかなれば、ここで暮らしていく準備は整う。


 そう、ここで”暮らしていく”。彼女の心は既に決まっていた。

 ここでならきっと、新しい人生を歩める。生まれ育った島とは何もかもが違うけれど、この場所こそ、自分が生きるべき場所に違いない。

 ただ、そのためには、「殺されない」「死なない」ための準備が必要なのだった。クリーズヴィ家の女たちは、呪いによって死んでしまうという。その”呪い”の正体を突き止めなければ。


 そして――

 自分だけ生き残っても意味がないのだということにも、既に気づき始めている。

 この”フェンサリル”という土地自体が死んでしまったら、自分一人だけでは、ここで生きていくことは無意味になってしまう。

 既に寂れ、限界集落に落ちぶれようとしているこの地方を、一体どうしたら蘇らせることが出来るのか。そのためには、あの、どうしようもなく湧いてくる霧を止めなければならないが、どうすれば方法が見つかるのか。

 もしかしたら、それこそが、自分の果たすべき”族長”の役目なのかもしれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る