第14話 三たび、フェンサリルへ
宿で休んだ次の朝、ユーフェミアは、”前回”までと同じようにフェンサリル行きの貨物馬車に乗った。ルーンで姿を隠したローグは、貨物馬車の屋根に登って、いわば「タダ乗り」している。御者のアトリは全く気づかないままだ。
フェンサリルへ赴くのも、これで三度目だ。
この島では、ほんの少しの雑談から噂が広まってしまうのだと”前回”で学んでいる。島の上陸するよそ者が少ないからなのか、娯楽が少なく人々が噂話に飢えているからなのかは分からないが、とにかく、アトリに何か聞かれても、適当にはぐらかすことに専念した。
馬車は順調に進んでいく。
今回は道中で一度も霧には会わず、停車場へは、予定より少し早く到着した。
「本当に、ここまででいいのかい?」
この会話自体も、もう三度目になる。
「はい。村の方角は分かってますし、途中で誰かに会ったら乗せてもらいます」
「そうか。それじゃ」
道中ほとんど雑談をしていなかったせいなのか、アトリの態度は他人行儀でそっけない。心配する素振りもなく、あっさりとユーフェミアをその場に残し、貨物馬車は、丘の上のホテルのほうに向かって去っていく。
一人になったのを確かめてから、ユーフェミアは一息ついてローグのいるあたりを振り返った。
貨物馬車が泊まった隙に屋根から滑り降りて、停車場の脇に建てられた小屋の影に移動していたのだ。
「もう、出てきても大丈夫ですよ。…って、まだ半透明なのね。」
「まあ、俺は別にこのままでもいいんだが」
と、ローグ。
「最初の、明かりのルーンはすぐに消えたのに。効果の持続時間って、どうやって決まってるんだろう? 中断する方法は…?」
「おい、こら。男の腹をいきなり掴むな。年頃の娘が、おま…」
「あっ、もとに戻った。へえ、一度触れると効果が切れるのね。覚えておかなくちゃ」
「人体実験かよ…」
男は呆れ顔をしてため息をつくと、周囲を見回した。
「で? これからどうする。村どころか何も無いが」
「村はこの先よ。もうすぐ、お祖父さんの使用人だったヘグニさんって人が迎えが来るわ。今日はその人に会って泊めてもらって、子犬を借りなくちゃ」
「子犬?」
「その子も護衛よ。私、毒蛇に狙われてるの。子犬と一緒に寝ないと、ヘビの毒で死んじゃうから」
男は、眉を寄せて考え込んだ。
「…なあ、ユーフェミア。あんた、未来はどこまで視えてるんだ」
「視えてる、っていうか、自分が一度体験したことは分かってる。どうしたの? 何か心配なことでも?」
「いや…。」
ちら、と足元の熊を見やる。
「昨日、契約の前に言っただろう。俺が、ここへ来た目的」
「契約の残骸、とかって話?」
「そうだ。俺の遠い祖先…一族で有名な過去の英雄には、このフェンサリルに何か、果たせなかった”誓い”があるらしい。そいつが何か、ヴァニールの雇い主との契約内容を果たせずに死んだせいで、俺は、呪いによってそいつと同じ年で死ななきゃならない」
「呪い? 死ぬ?」
「その”誓い”を果たない限り、俺は今年中に死ぬことになってるんだよ。」
男は苛立ったようにそう言って、足元の黒い熊をじろりと睨みつける。
「死にたくないわけじゃない。ただ、情けない死に様は絶対にごめんだ。戦うために生を受け、名誉ある戦死を遂げることを何よりも誇りと思うのが”
「つまりローグさんは、自分の死に方を選びたくてこの島に来た、ってこと?」
「そういうことになるのか。…ま、その呪いの件以外には、この邪魔な守護霊のせいで死にたくても死ねない身なんだがな。」
「そう――なんだ。」
どうやら、ローグのほうにも込み入った事情があるらしいことは分かった。
それにしても、”名誉ある戦死を遂げることが誇り”とは、なんとも物騒な考え方だ。
今の世界情勢はおおむね平和で、この
ましてや、銃や自動車が一般的になった時代では、剣をふるって戦うような戦い方など前時代の遺物のようなものだ。それなのにこんな人たちが生き残っていることが、不思議に思えた。
(ま、でも、それは私も同じなのか。私、”神々の子孫”ってことになってる一族の出身だものね。…生まれも育ちも、
少し前までならただの神話だと受け流していただろうが、実際に”死んで時間を遡る”という不思議を二度も体験し、ルーンという魔法が使えることさえ分かった。それに、ローグの連れている守護霊なるものを見ることも出来る。
自分が他の人たちとは少しばかり違った力を持っていることも、この島がいまだ「神話」や「魔法」の生きている場所だということも、認めざるを得ない。
しかしそれでも、ユーフェミアの持つ「常識」は、今まで暮らしていた島の外の、大都会のものだった。
心のどこかで、体験してきたことを「有り得ない」と思っている。
そして、”呪い”なんて本当は存在しないと、どんな不思議にも理由や法則があるに違いないと信じていた。
この島の”不思議”の雰囲気に呑まれてはいけない――そんな警告が、頭の何処かに常に浮かび続けていた。
黙っているユーフェミアの傍らで、ローグは、言葉を続ける。
「この呪いを解く方法は、はっきりしていない。フェンサリルのどこかに手がかりがあることしか分からない。雇用契約を結んでいたのはあんたのご先祖さま、ヴァニールの族長だ。何か思い当たることはないのか」
「ごめんなさい…。それに関する内容は、まだ視たことも、体験したこともないんです」
「そうか」
ローグは、少しがっかりした様子だった。
「でも、一緒に探すことは出来ると思います。私も、一族にかけられた”呪い”の正体は知りたいし…あ、そうか。私たち、どちらも古い”呪い”の手がかりを探しているんですね。それじゃ、協力できることもあるかもしれない」
「協力、って…。俺は、あんたの一族の呪いまでは知ったこっちゃないんだが」
「護衛として守ってくれるだけでもいいんですよ、時間稼ぎにはなりますから。」
「はあ…。しかしまあ、あんた、よくこの島に戻って来る気になったもんだな。あんたの父親は、一族の呪いから逃れるために
「そうかもしれないけど、私も母も、何も聞いてないです。私は呪いのことなんて知らなかったし、知ってたとしてもここへ戻ってきてたと思う。まずは、知りたいと思うはずだもの。ここがどういう場所なのかも、父やご先祖様たちが何をしてきたのかも、何も知らないまま逃げ続けて生き残るなんて、私は嫌」
「……。」
「あっ、ヘグニさんだわ」
キイキイと車軸を軋ませながら、老いぼれロバに引かれた荷車がこちらへ向かってやってくる。
近づいてくるのを待っているユーフェミアを、ローグは、とても信じられないというように首を振りながら眺めていた。
ヘグニとのやりとりは、前回、前々回と同じように進んだ。
家に泊めてもらう流れも同じだ。ヘグニは上機嫌で、今回は、二人分の食事を準備してくれた。
「さすがはヘイミル様の御息女だ。
「はあ…えっと、途中で偶然出会っただけなんですけど…。」
「……。」
ローグは黙ったまま、出された食事の飲み物だけを啜っている。
「にしても、まだ昔のままの
「……。」
「”熊”よ」
ローグが答えないので、ユーフェミアが代わりに言う。
「ほほう、熊か! なら尚更良い。最後の偉大な女首長、ヘルガ様が契約されていたのも、熊の
「ヘグニさん、その、戦士の家系って幾つかあったんですか?」
「そうですよ。それぞれが、その時々に主を変えておった。最後の戦いでは、”熊”と”狼”が我らヴァニールと契約し、”鴉”と”白鳥”はエーシルと盟約を結び、不遜な”蛇”めはヨートゥンについた。戦争は、何百年も続いた。中でも戦功を立てた優れた者たちは、歌にもなっておりましてな。おお、そうだ。”熊”の
「やめろ」
それまで黙っていたローグが、低い声を出した。殺気にも似た気配。
ヘグニが口を閉ざすのと同時に、ユーフェミアの足元で、子犬のフェンリスがびくっとして顔を上げる。
「…そいつの名前は口にするな。不愉快だ」
「あ、ああ…すまんな。それじゃあ、別の話しにしましょう。ユーフェミア様、他に何かお尋ねになりたいことは」
「えっと…そうね。お屋敷に『魔法の杯』があるはずなんだけど、お祖父さんがそういうものを持ってたかどうか、知りませんか?」
ユーフェミアは、急いで話題を変えた。何が逆鱗に触れたのかは分からないが、ローグがあまりに不機嫌で、殺気すら感じられたからだ。
「杯、ですか…。ああ、そういえば、一度だけ見たことがあります。黄金の杯で、骨董品のように見えました。」
「黄金? それって、ものすごく高価なんじゃ…」
「そうですな、食器棚などには置けません。
「書斎、か…。ありがとう、明日、探してみます」
話している側で、ローグが席を立った。
「用を足しに行ってくる」
それだけ言って、するりと外へ出てゆく。
もう、外は暗くなりはじめている。電気の通っていないこのあたりでは、夜になると光ひとつない真っ暗闇に包まれる。
「さて、そろそろお休みください。旅の疲れもあるでしょうから」
「そうします」
ユーフェミアは、ちらと扉の外を見やった。ローグのほうは、たぶん心配ないだろう。呪いの対象は彼ではないのだし、それに、あの不思議な熊の姿をした守護霊もついている。
「フェンリス、今回も一緒に寝てくれる?」
「ワン!」
「いい子ね。」
子犬を抱いて寝室に入ると、ユーフェミアは、念のため”蛇よけのおまじない”を部屋の中に指で描いておいた。
(護符のほうが効くのかもしれないけど、部屋に侵入されるのも嫌だし。…でも、呪いの元って、フレヴナじゃないとしたら一体どこなの? わざわざ毒蛇が命を狙いに来るなんて、まるで蛇使いでもいるみたいな感じだし…)
窓枠にも描いておこう、と窓辺に近づいた時、ユーフェミアは、はっとした。
(霧だ…)
いつの間にか、窓の外が真っ白になっている。ほんのついさっき、ローグが外へ出ていった時には、まだ何もなかったのに。
心配になって、彼女は台所のほうへ引き返した。
小屋には二部屋しかない。ローグが戻っているのなら、そこに、ヘグニと一緒にいるはずだった。
だが、ヘグニは一人だけで、かまどの火種を始末しながら座っていた。
「ローグさんは? まだ戻ってないんですか」
「ええ。ですが、小屋の側にいるだろうし、心配はいらんでしょう」
「でも…」
彼にとってはおそらく、初めて体験する霧だ。真っ白な靄に視界を奪われた上、いきなり真っ暗になったのでは、さすがの彼でも慌てるのではないだろうか。
ユーフェミアは扉を開け、外に向かって叫んだ。
「ローグさーん! そこに居ますか?!」
返事はない。
というより、自分の叫んだ声が、眼の前の霧に吸い込まれていくようで、音の響いている手応えがない。
霧の中に踏み出すのは危険すぎる。扉の前に立ったまま、彼女は、当たりを見回しているしかなかった。
(どうしよう。もし、ここでローグさんに何かあったら…)
胸の奥が、ちくりと傷んだ。
”もう一度、失ったりしたら”
(――?)
自分の意図しない呟きが頭に浮かんだことに気付いて、ユーフェミアはうろたえた。
もう一度…一体、いつのことだろう?
彼に声をかけて知り合いになったのは、”今回”が初めてのはずだ。出会って二日目で、まだ、相手のことをよく知ってもいない。
それなのに何故か、――何故か、ずっと昔から知っているような、朧げな記憶の
彼が死んでしまった時間軸の記憶が…。
その時、霧の向こうから、誰かが歩いてくるのが見えた。背格好からしてローグに違いないと思ったユーフェミアは、ほっとして声をかけようとした。
「良かった。ローグさ…」
言いかけた言葉が、止まった。
霧の中からやってきたのは、実際にはローグではなかったのだ。
◆◆◆
白く霞む霧の奥から姿を表したのは、大柄な古代の戦士だった。
確かに雰囲気や背格好はよく似ている。けれど、身につけているものが全く違う。
古い甲冑。大きな黒い剣。半裸の体には何箇所も入れ墨が施され、頭から肩にかけては熊の毛皮で出来た防具を身に着けている。そして、体中のあちこちに切り傷や擦り傷のようなものがあり、ところどころから血を流している。まるで、激しい戦いの後のようだ。
鋭い目つきでじろりとユーフェミアを見やった男は、視線が合ったにも関わらず彼女を無視し、その後にいる誰かに向かって声を張り上げた。
「戻ったぞ! 開けろ!」
声を聞きつけて、背後から、ばたばたと人が駆け出してくる。軽装の兵士だ。
「ああ、シグルズ様。お帰りなさい、よくぞご無事で」
門が開かれると、傷だらけの戦士は中に招き入れられた。
「敵の斥候部隊と会敵したとの報告がありました。しんがりをつとめられたと聞いておりましたが…」
「全員死んだ。一人くらいは生け捕りにするつもりだったが、逃げられないと知るや仕込んだ毒で自害した。まったく、蛇の
戦士は硬い口調で言いながら、ユーフェミアの側を素通りしていく。まるで、こちらのことは見えているのに故意に無視しているような態度だ。
「解毒の処置は?」
「必要ない。ヘルガ様が事前に術を施してくれていた。」
「そうですか」
若い門番の兵士は、ほっとした顔だ。顔には、まだ幼さを残している。年齢からして見習いの戦士か。シグルズと呼んだ男を見つめる眼差しには、どこか憧憬にも似た輝きがある。
(この人、すごく強そうだものね。きっと凄い戦士なんだ。シグルズ、ってことは…さっき、ヘグニさんが言ってた人と同じ? だとしたら、歌になるような英雄…)
振り返ると、さっきまでヘグニの小屋があったところにはいつの間にか、番小屋のようなものが建っていた。場所がはっきりしないが、丘の上の城のふもと、だろうか。ちょうどいま、ヘグニの小屋がある場所と同じ――。
ユーフェミアは、はっとした。
(…そうか。霧の中で見る幻って、同じ場所の”過去”なのね)
最初に霧と出くわした時は、古戦場で戦いに赴く戦士たちを見た。二度目は、かつて城だった屋敷の屋上で、そこに立つ女族長と戦士たちを。そして三度目、今回は、見張りのための番小屋と、そこに詰めていた戦士たちの姿を見ている。
すべて千年前の光景だ。
港町で霧に出くわした時に何も見なかったのは、そこが新しく作られた町で、”千年前の過去が無い”からかもしれない。
そう考えれば筋が通っている。
だとすればこれは、過去に本当にこの場所で起きた出来事なのだ。この霧は、過去の情景を呼び覚ます魔法なのかもしれない。
もはや彼女は、眼の前の光景が、ただの幻覚や幻聴ではないことを確信していた。
「シグルズ様。ヘルガ様がお呼びです。報告を聞きたいと」
「ああ、分かった」
男は、休息もそこそこに番小屋を出て、迎えに来た兵の手渡した馬のたづなを取る。
そこへ、恰幅のいい女が一人、足早に近づいてくる。同じく、熊の毛皮を身に着けた女戦士だ。仲間だろうか。
「なんだ、シグルズ。戻ってたのかい」
「ああ。ヘルガ様に報告に行くところだ。」
「なら、あたしも一緒に行こう。ちょうど用事があってね」
そう言って、女戦士は気安い態度で、ひょいと男の馬の後ろに乗った。
「…おいカーラ。お前は重い。後ろに乗られると速度が出ないんだが? 降りて走れよ」
「なんだと、姉に向かってその態度は何だ。蹴り落とされたいのか。あたしを走らせるならお前も走れ」
「俺は斥候から戻ってきたばかりなんだが…。ったく…。」
ぶつぶつ言いながらも、男は、後ろに女戦士を載せたまま馬を小走りに歩かせる。
二人と一頭の姿は、霧の向こうへと消えていった。
◆◆◆
――眼の前が晴れてゆく。
闇の中に目を凝らしたユーフェミアは、小屋のすぐ側の柵にもたれるようにして蹲っているローグの姿に気づいて、駆け寄った。
「ローグさん?」
「……くそっ。何なんだ、これは…」
彼はなぜか、脂汗を浮かべて体を震わせている。足元では熊が、オロオロしながら歩き回っていた。
「ローグ…さん?」
「違う! 殺そうなんて思ったわけじゃ――…って、ああ、あんたか…」
夢から覚めたような顔で、よろめきながら立ち上がる。明らかに顔色が悪い。
「いま、霧が出てたでしょう。それで心配して探しに来たんですけど」
「霧? …なら、さっきのは幻か…。そうだよな…あいつが、こんなところに居るはずは…」
「もしかして、」
ユーフェミアには、思い当たることがあった。
「幻覚とか幻聴ですか? 霧の中に幻を見て混乱する人がいるって聞きましたけど」
「幻覚……。くそっ。吐き気がする」
「小屋に戻りましょう。霧に出くわしたら、すぐに建物の中に入るといいです。建物の中なら、何も起きないと思うので」
彼女は、ローグの腕を引っ張って小屋へ戻った。
おそらく彼が見たものは、ユーフェミアとは違うのだ。
遠い過去の世界は誰にでも見えるものではなく、ユーフェミアだけのもの――今のところ、なぜかは分からないが――らしい。
今なら、人々が霧が出た時に大慌てで建物に駆け込んでいた理由が分かる。
誰にだって、見たくないものや苦手なものくらい、ある。それが、ふいに目の前に突きつけられるのだとしたら、避けたくなるのは当然と言える。
霧の晴れた空には、いつの間にか月が出ている。月明かりに照らされた静かな草原には、幻の姿も、霧も無く、不可思議なものの欠片は、既に消え失せてしまっていた。
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