〜交差点、春の合図〜
1|朝――“一行”のやりとり
登校前。玄関で靴ひもを結びながら、スマホが小さく震える。
――ユキノ『今日の分:朝の雲、ちぎれてるね』
入力欄に打っては消す。
(「雲、好き」× 「写真ありがと」× 「眠い」×)
親指が迷って、短く落ちる。
――俺『切れ目、好きだ』
既読がつく。二秒、三秒。さらに一行。
――ユキノ『切れ目は、風の入り口だよ』
ふっと笑って、靴ひもをぎゅっと結ぶ。耳の奥がじんわり熱い。火じゃない。まだ、くすぶる芯みたいなやつ。続けてもう一行。
――俺『今日、みんなに紹介する』
すぐに既読。ちょっと時間が経って、
――ユキノ『わかった。新しい風の入り口だね。楽しみ』
俺はユキノがみんなに受け入れられるか、不安と期待を抱えたまま学校へ走った。
⸻
2|昼――紹介するよ
昼休みのベンチ。パンをかじる俺の前に、ナツミがドスッと座る。肩口のリュックのベルトを親指でぱちんと弾く。
「放課後、小学校寄るんでしょ。後輩のピッチング見るんだよね」
「ああ。前で鳴らす感じ、掴ませたい」
「……で、“今日の分”の子も来る?」
「来る。みんなに紹介したい」
ナツミの眉が一瞬だけ上がって、すぐ戻る。足先がコツ、コツ、と床を叩く。
「わかった。あいさつはする。あと――様子見も」
「様子見って」
「いま、タカは微妙な時期。余計な風入れるなら、あらかじめ知っときたいだけ」
言い方はちょっととげが立ってるのに、紙パックのお茶を俺に押しつけてくる手は、いつもどおり丁寧だ。
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3|放課後・昇降口――輪の入り口
昇降口。靴ひもを結び直していると、外の光がふっと揺れた。ユキノだ。制服のポケットに指をひっかけ、校庭を一度だけ見てから、まっすぐこっち。
「タカ、こんにちは」
「こんにちは。――紹介するね。ナツミ、こっちがアユミ。あとヒデも紹介したいんだけど、今、部活なんだ」
アユミは全力で手を振る。
「はじめまして! アユミです! 雲の話、好きです!」
「はじめまして。ユキノです。今日はよろしくね」
ナツミは腕を組んだまま、一歩だけ前へ。靴先がタイルを軽くこすって「キッ」と鳴る。
「……あんたがユキノ?」
「うん。ユキノです」
「確認。タカ、いま少し繊細な時期。空気、乱すつもりある?」
ユキノは小さく首を振り、目だけで「大丈夫」を示すみたいに瞬く。
「乱したくは、ない。混ざれるなら、いっしょに前へ進みたい」
ナツミの視線が、ユキノの靴先→手→目へと一周する。足先のコツコツが止まる。
「言い訳、多いタイプ?」
「言葉は少なめ。うまく言えない時は、見守るほうかも」
「見守るの、嫌いじゃない」
アユミがこっそり俺の肘をつつく。(今の、合格?)って目。ナツミは息を小さく吐いて、腕を解く。
「じゃ、今日の分は様子見。お互い、気を使い過ぎるのはナシ。タカは鈍いから、ちゃんと伝えないと分かってもらえないよ」
「分かった。雑にしない。……タカにも」
「“にも”は余計」
とげは残る。でも、輪の入り口に小さな隙間ができたのを、空気が知っていた。
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4|富士見ヶ丘小――前に進む音
校庭の白線は乾いていて、踏まれるたびに「さらっ」と鳴る。低い雲が校舎の角に引っかかり、風でほどける。フェンスの外、芝の色が少し薄いところに並ぶ。
「縫い目、見すぎんな。前の線へ」
俺の声に、後輩がうなずく。タメ、小さく。踏み出し、大きく。
「スパン」
ミットの音は、日に当たって少し硬い。さっきより音が前でそろった。
ユキノが、見て感じたことを息をそっと吐くみたいに言う。
「いまの『スパン』の前、空気が一回だけ沈んだ。あの沈む感じ、好き」
アユミがうんうんとうなずく。
「前って怖いけど、前じゃないと届かないよね。ゴロも『前・正面・腰』!」
「タカの『前へ』、押す声じゃなくて、一緒に並ぶ声だね」
「俺の声? 一緒に並ぶ?」
「うん。誰も置き去りにしない声。強いけど、優しい声」
ナツミは横目でそれを聞いて、口を結んだまま一言だけ。
「……よく見てる。タカのいいとこ、ちゃんと分かってる」
後輩が水筒を落としかける。ユキノがすっと手を伸ばし、転がる前に止めて、そのまま小さく会釈して返す。ナツミの足先がもう一度だけコツ、と鳴って、止まった。
そこへ、走ってくる足音。ジャージの擦れる音、呼吸のリズム。フェンス際にヒデが現れる。
「タカ! ――部活早めに終わった。一緒に見てっていい?」
「おう。ラスト数球。目、前に置いてみ」
ヒデはフェンスに手をかけ、視線をぐっと前へ滑らせる。
「お、分かる。『スパン』が前に行くと、胸ん中も前に行く……!」
ユキノが会釈する。
「はじめまして。ユキノです」
「はじめまして。俺はヒデ。よろしくね。えっと、“雲、掴める”の人?」
「うん。今日は、素直でいたい人」
「いいね。素直は、強いよ」
最後の球。「スパン」。後輩の肩が軽く回る。
「よし。今日はここまで。おつかれ!」
礼。声が揃う。白線の粉がふわっと舞って、光った。
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5|小さな決意――任せる人、支える人
後輩たちがベンチへ戻っていく。フェンス沿いに残ったまま、風だけが行き来する。
ナツミがふっと息を吐く。視線はまだ真っ直ぐだけど、棘は少し丸い。
「……あんた、目が泳がないね」
「カナヅチだから、かも」
「そういう意味じゃないけど、まあ、いい」
一瞬だけ笑って、すぐ真面目に戻る。
「タカの隣、しばらく預ける。私は後ろで支える係。得意だから。前に出るのはアユミ、引っ張るのはヒデ、止めるのは私。で、止めどころ分かんなくなったら、あんたが言う。『今日の分だけ』って」
ユキノは、真っ直ぐうなずく。
「ありがとう。いさせてもらうね。約束、絶対に雑にしない」
俺が口を開こうとすると、ナツミが先に手をひらり。
「礼は一回で足りる。……それとタカ、調子に乗るな」
「今、何も言ってないけど」
「顔が言ってる」
でも最後の一言は、半歩だけやわらかかった。
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6|商店街――並ぶ音
校門を出て、商店街へ。夕焼けがガラス戸に「橙色の白線」みたいに差し込む。パン屋の甘い匂い、古本屋のインク、文具店の紙のすれる音。四人だった足音に、もう一人ぶんのリズムが混ざって、気づけば五人分になっていく。
自販機の前で足を止める。商品窓のガラスが、雲を四角に切り取って流れていく。
「ここ、声が響くね」
ユキノはポケットからパスケースを取り出す。目線を空へ一秒。それから、俺へ掌を差し出す。
「ちょっと、掴んでみて?」
「掴む」
軽く握る。――体温、俺より少し高い。脈は落ち着いてる。手を離すと、スマホが震えた。
――ユキノ『今日の分:タカの「前へ」の声、好き』
――俺『「前へ」は怖いけど好き』
アユミがのぞきこんで「いいね!」と小さくガッツポーズ。
「わたしの今日の分:二人、お似合い」
「そうだね。俺も、二人が羨ましいよ」
ヒデが肩をすくめる。
「じゃ、俺の今日の分:お腹、空いた」
「方向性だけズレがち」
ナツミは視線だけ俺とユキノに寄越して、短く。
「私の今日の分:調子に乗るな。以上」
「圧、強いな」
「仕様です」
でも、口元は(ほんの少し)緩んでいた。
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7|招待状――晩秋のスタンドから
そのとき、靴音が近づく。掲示板の前で一度足を止め、こちらへまっすぐ。黒いキャップ、まっすぐな目。
「――よ、タカ」
「カズキ?」
「みんなも、一緒か。なら話が早い」
会釈。視線がユキノで止まる。カズキが目を細める。
「君……去年の大会でスタンドにいた子だよな。六回、俺が『ここ見やすい?』って聞いた」
ユキノは瞬き一つ分だけ間を置き、うなずく。
「うん。覚えてる。紙コップ、つま先で止めてくれた」
俺はユキノを見る。ユキノは、まっすぐ返してくる。
「だから、あの日から見てたよ。10番と0番を。……二人。ううん、タカのことを」
胸の内側で、トクンと小さく脈を打つ。カズキは掲示板のチラシを指で弾いた。
「富士野リトルシニア、見学会。明日。……来い、とは言わない。来るか来ないか、お前が決めろ。お前の『前へ』がどっちを指すのか、見せてくれ」
ナツミが一歩だけ前に出る。
「カズキ。条件聞いて。タカ一人に“答え合わせ”押しつけないこと。二人で決める。三人で支える」
「分かってる」
アユミが手を挙げる。
「違う! ユキノも一緒に四人で支える!」
「……強いな、お前ら」
カズキは、もう一度ユキノを見る。
「君の『見届けたい答え合わせ』、まだ途中だ。だから――」
ユキノは、カズキが言い終わる前に俺へ向き直る。いつもの調子で、でも少しだけ息を深く。
「ね、二人に聞いてもいい? どうして野球、始めたのかな。……“最初の白線”はどうやって引いたの?」
カズキと目が合う。うなずき合う。ベンチに腰を下ろす。四角いガラスに、夕雲がゆっくりちぎれていく。カズキが口を開く。
「……長くなるぞ?」
「うん。聞きたい」
「いいじゃん! あ、飲み物買ってくるねっ」
アユミが自販機に走る。ヒデがすっと横について手を差し出す。みんながジュースを手に取ると、俺は話し出す。
「最初の白線はさ――」
カズキは黙って目を瞑り、ヒデは膝に肘を置いて微笑む、アユミは笑顔で懐かしそうな表情、ナツミは腕組みを解いて。春の匂いの中を、晩秋の風がひとすじ通り抜けた。
白線は、ゆっくりと過去へ滑り込む。
⸻
(つづく:過去編へ)
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