第2話 ファインダーに現れた影
夜の研究室は、異様な静けさに包まれていた。
アキラは机の上に置かれた古いカメラを見つめ、息をのむ。
――どうして俺は、こんなものを持ち帰ってしまったのか。
思考の奥底で小さな警鐘が鳴る。しかし同時に、好奇心がその声を踏み潰す。
「アキラ、まだ帰ってなかったのか?」
研究室のドアが開き、同期のマコトが顔を出した。
「おお、マコト。ちょうどいいところだ。見てくれよ、このカメラ」
「骨董品?また変なモノ拾ってきたな。研究材料か?まさか、卒論のテーマにするつもりじゃないだろうな」
「いや、ただの骨董じゃない。店主は……正気を失っていた。俺に押し付けるみたいに渡してきたんだ」
アキラの口調には、恐怖よりも熱がこもっていた。
マコトは呆れ顔で肩をすくめる。
「そういうの、また論文ネタにするつもりだろ。お前の探究心は止まらないな」
「……止めたら、何か大事なものを逃す気がするんだ」
独り言のように呟き、アキラはファインダーを覗き込んだ。
視界は一変する。
研究室の白い壁が、古代遺跡の石壁へと変貌したのだ。
刻まれた古代文字、燭台のような祭壇――教科書にも記録されていない光景。
「見ろよ……」
アキラは震える声で言った。
「これが、真の歴史だ」
カシャリ。シャッター音が室内に響く。
現像した写真には、確かに古代都市の姿が刻まれていた。
だがその片隅――異形の影が佇んでいた。人とも獣とも言えぬ輪郭。
「……何か写ってないか?」
マコトが背筋を寒くしたように覗き込む。
「気にするな。ただの影だ」
アキラは強がったが、心臓は早鐘を打っていた。
「影じゃないだろ、アキラ。なんだその輪郭。気持ち悪い。すぐにそれを処分しろ。お前の顔色、さっきから妙に青白いぞ」
マコトは珍しく語気を強めた。彼は、アキラの過度な集中力と、カメラから発せられる微かな冷気に、本能的な嫌悪感を覚えていた。
「心配するな、マコト。これは俺の『鍵』だ。お前は早く帰って、その健康的な理性を守るべきだ」
次の日も、その次の日も、アキラはカメラを抱え、遺跡を巡った。
ファインダーを覗けば、そこに栄華を誇った都市が甦る。
だが、写真の中の異形は日ごとに数を増し、輪郭を明確にしていく。
――彼らは、俺を見ている。
そんな妄想めいた確信が、アキラの胸に広がっていった。
ある夜、彼は写真の古代文字を解読した。
「……クトゥルフ……ルルイエ……」
その名を口にした瞬間、視界にノイズが走った。
「な、なんだ……!」
研究室の壁が脈打ち、生臭い潮の香りが鼻腔を焼き、触手の影が蠢く。床から巨大な眼球がのぞき、空気は耳障りな囁き――古代の言語ではない、不快な周波数の振動音で満ちた。
(視界が侵食されている……! これは、『古きもの』の記憶だ)
それでもアキラは、カメラを抱きしめる。
「手放すものか……これは、鍵だ。真実への扉なんだ……!」
理性が叫ぶより早く、研究者としての欲望が勝っていた。
彼の精神は、古代の記憶と共鳴しながら、確実に狂気へと沈んでいく。
研究室は夜の闇に沈んでいた。
誰も知らない。その静寂の中で、囁きはアキラの耳を侵し、彼の研究心を踏みにじる未来を、静かに形作っていたことを。
次回 第3話「影に見つめられる研究室」
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