クトゥルフ短編集06 俺は見てしまった――シャッターの向こうに潜むモノ
NOFKI&NOFU
第1話 裏通りの店で目覚める記憶
夜の帳が降りた古都の裏通り。観光客の気配は完全に消え、街灯の光に影だけがぼんやり揺れている。石畳に残る足跡も、いつのものか判別できないほど古びていた。
古物商の小さな店の扉を押し開けると、埃と古い木の匂いが混ざった空気が迎えた。奥の棚には、何十年も触れられていないと思われる品々が、まるで時を忘れたように並んでいる。青年アキラは手にした安物のカメラを握り、迷うように店内を見渡した。
「こんばんは」
扉を開けて入ってきたのは、青年アキラだった。白いシャツの袖をまくり、手には安物のカメラを提げている。
「おう、アキラか。今日も仕事帰りか?」
「ええ。大学の研究室を出たのが遅くなってしまって。ここに来ると落ち着くんですよ」
「ふん……物好きだな。こんな埃っぽい店で」
店主は口ではそう言いながら、どこか嬉しそうだった。
アキラは週に二、三度は顔を出す常連で、世間話を交わす数少ない相手だった。
「そういえば、昨日の話ですけど。大学の考古学研究室の資料で、古都の裏通りにまだ電気が通ってなかった頃の写真を、見たんです。まるで別世界でしたよ」
「ほう、そんな時代もあったか……」
店主は顎をさすりながら、ふと棚の奥を見やる。そこには、まだ見せるかどうか迷っている一台のカメラが眠っていた。
「そうだ、アキラ」
「はい?」
「もし……だ。古い写真機で、古の記憶、つまり過去が撮れるとしたら、お前はどうする?」
唐突な問いに、アキラは笑って答えた。
「そりゃあ興味ありますけど。過去なんて、記録で十分ですよ。覗きすぎたら、戻れなくなる気がする」
「……そう、だな」
店主は小さく頷き、言葉を切った。
胸の内でざわつく感覚を抑えきれず、視線を再びカメラの眠る棚へと向ける。
(見せるべきか……いや、まだだ。あれは……)
やがてアキラが帰り、店は再び静けさに包まれた。
――その時である。視界に入る一つのカメラ……。
店主の手が勝手に伸び、埃をかぶった古いカメラを取り出していた。レンズにはひび、革のストラップは朽ちている。だが指先に伝わる冷たさは、まるで墓場から掘り起こした遺物そのものだった。
そして、何の気なしにファインダーを覗き込む――。
次の瞬間、視界が歪んだ。
店内の煤けた壁は真新しい漆喰へと変わり、埃まみれの商品棚は輝くほど磨かれ、人々のざわめきが耳を打った。知らぬ時代の、知らぬ客たち。
「な、なんだこれは……!」
慌てて目を離す。だがもう一度覗けば、今度は窓の外に馬車が行き交い、ガス灯が夜道を照らしている。まるで数十年前――いや、それ以上に遠い時代の街並みだった。
震える指でシャッターを切る。カシャリ、と乾いた音。フィルムは入っていないはずなのに、脳裏に焼き付く「写真」。そこには街の片隅に、異形の影が映り込んでいた。
人影に似て、だが関節が逆に折れ、四肢は常人の骨格を裏返したかのよう。
その姿を見た瞬間、店主の鼻腔に潮のような匂いが広がり、耳の奥では複数の声が同時に囁くような異音が響いた。
(こいつらは……儂に、気づいている……?)
視界がぐにゃりと歪んだ。ファインダーを離しても、現実の店内が異様に色褪せ、商品棚の隙間から「目玉」のような影がこちらを覗いている錯覚が続いた。
喉の奥に鉄の味が広がり、全身の毛穴が逆立つ。
「う……あぁ……!」
店主は膝を折り、カメラを抱え込んだ。放すことができない。むしろ、この冷たい塊こそが、自分を異界と繋ぐ唯一の『証』だと錯覚してしまう。
――これは呪いだ。いや、『古きもの』の記憶そのものだ。
だが店主はまだ知らない。
このカメラは幾度も持ち主を変え、その度に異界の記憶を広げてきたことを。
そして翌日――
青年アキラの耳にも、微かな囁きが忍び込む。
――「見せてやろう」
次回 第2話「ファインダーに現れた影」
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