【第四夜】明かり
一色
episode1.
いつも通り、定時上がり。
19時に会社を出て、電車で30分。最寄り駅前のスーパーに寄って、夕飯と明日の朝食を買い足す。家に着くのは大体20時ごろ。それがいつもの流れ。
私の住むマンションは駅から徒歩5分と近く、1K7帖のオートロック付き。建物自体はそれなりに古いものの中はきれいにリノベーションされており、高層階の部屋のわりに家賃も手頃ですぐに入居を決めた。駅が近すぎるがゆえの弊害があるかなとも考えたけれど、実際に住んでみると夜遅くまでカタンカタンと聞こえる電車の音が一人の寂しさを紛らわせてくれる良いノイズとなっていた。
ぐぐっと体に空気がのしかかり、10階でエレベーターが止まる。鍵を取り出し玄関のドアを少しだけ引くと、目の端に明かりが染みた。
「あーあ、またやっちゃった。」
声に出して、ため息を一つ。私はかなり忘れっぽい。財布や家の鍵はよくどこに置いたか分からなくなるし、家中の電気やエアコンがつけっぱなしなんてのも珍しくもない。片付けも苦手でいつも玄関には二、三足の靴が転がっていた。直さなきゃな、とは思いつつも一人暮らしとなると注意されることもなく迷惑をかけることもない訳で、ついつい自分に甘くなってしまうのだ。そんなだらしのない性格は自分が一番よく分かっているはずだ。
だけど今日は、一足だけ。まるで私を出迎えるかのように玄関の隅にきっちりと揃えられている。
「……昨日、片付けたんだっけ?」
小声で呟く。私がやった?まったく覚えがない。というか、そもそも。スーパーの袋をその辺に置いて、しゃがんでそれを見る。
数ヶ月前に購入したナイキのスニーカー。真っ白のボディに水色のロゴが入っていて、シンプルだけど可愛いデザインが気に入っていた。でもこの数週間は洗えていなくて、少し汚れていたはず。目立つシミがついてしまったし洗わなきゃいけないと思っていたのだ。それなのに。そこにあるスニーカーは新品のように真っ白だった。
(これも私が洗った…?忘れているだけ?本当に?)
明らかに何かがおかしい。いくら自分が忘れっぽいとはいえ、こうも覚えのないことが重なると流石に気味が悪い。不快な感触が背筋をなぞって全身の毛を逆立たせる。頭が混乱する中、その靴をまじまじと眺めていると視線がサイズタグに落ちた。
26cm。
………26?
「は?」
思わず声が出た。胃がひっくり返るような感覚が、喉を駆け上がる。
(なんで???誰の??え????)
私の靴は24cmなのだ。間違ったってこんなサイズは買わない。考えたくない答えが脳裏に浮かんだ。
(部屋に誰か居る……?)
ドッドッドッと心臓の音が全身に響く。半分開いた部屋の向こうへ廊下の明かりが差し込んでいる。姿は見えない。でも玄関の靴、誰かが置いたのだ。確かめなければ。息を殺して靴を脱ぐ。そろそろと廊下を進んでいく。それはまるで地獄へ続く扉のようだ。開けてはいけない気がするのに、確かめずにはいられない。膝が震えて体は重い。鼓動がうるさい。荒くなる呼吸を必死に抑え、そっと部屋の扉に近づいた。指先がスイッチに触れる。
——パチッ。
部屋には、何もいなかった。7帖の部屋は一歩入れば全体が見渡せるほどの広さしかない。だけど隠れようと思えば、家中どこだって…。一度疑い始めると全てが怪しく思えてしまう。じっとしているほうが怖かった。窓際に近づき、カーテンに手をかける。やはり、躊躇した。怖い。もし本当に誰かが潜んでいたら?私に何ができる?でも、私は早く安心したい。この焦りから逃れるには確かめる他ないように思えた。意を決して、一気に開けた。
誰も、いない。
窓を開けると、重く淀んだ部屋の空気が一気に流れ出す。代わりに夜の湿気が押し寄せてきた。むっとした夏の気配を感じる。珍しく外はとても静かだった。電車もちょうど行ってしまったようで、静寂に包まれた夜がそこにあった。空を見上げると、まん丸じゃない月が欠けた輪郭に淡い光を滲ませている。ああ、こんな時でも夜空は綺麗だ。裸足のままそっとベランダへ出る。ベランダに置いた鉢植も月明かりに照らされ生き生きとして見えた。手すりに寄りかかっておもむろに月を見上げる。拍子抜けというか、一段落というか、緊張していた体がゆるんでいくのが分かる。
そのとき、背後で人の気配がした。
脳がそれを認識したときにはもう遅い。気配が動く。影が伸びる。
——ガンッ。
視界が真っ白になった。何が起きたか理解できないまま体が床に倒れ込む。じくじくと後頭部が熱い。音も、光も、月も、すべてが遠ざかっていく。意識が、途切れる。
朦朧とした意識の中、最後に感じたのは、耳元で小さく囁かれるような声だった。
「おかえりなさい。」
暗闇が、すべてを飲み込んだ。
【第四夜】明かり 一色 @ishiki1011
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