その4 そして早穂はヒルマモチを辞め、普通の神様になった。早苗は……
食卓の鍋をかたづけ、テーブルの上には淹れたてのお茶と水ようかんが並んでいた。
私は最近気が付いたのだが、三橋家のデザートはすべて凛子さんに決定権があるらしい。だから菓子業者はしきりに凛子さんへ接触しようとしていると、お手伝いさんから聞いたことがある。
--『将を射んと欲すればまず馬を射よ』ね。でも、本当はこの家の『将』は……
と考えたところで、達也くんが咳ばらいをした。
私が首を回して早穂を探したところ、離れた場所で小さなテーブルを出してもらって、早穂は、そこで鍋をまだ突いている。
--ああ、味方がいない
なにか恐ろしい予感に震えながら、私は首をすくめた。
「で、これからどうするの?」
凛子さんがいきなり聞いて来た。
「え?」
私は頓狂な声をあげる。
「“え?”じゃないでしょ。あんた、人間辞めたのよ」
その一言は、どこか遠くで鳴り響くお寺の鐘のようだった。
--ほお。人間辞めたのか……あたし
また咳払いをして、達也くんが凛子さんに言う。
「もうちょっと丁寧に説明してあげようよ」
うんうん、と心の中で頷きながら、私は凛子さんの説明を待った。
若干のイラつきを見せながら、それでも凛子さんはゆっくりと話し始めた。
「以前も少し言ったけど、山の神の一件で、早苗は早穂とかなりの部分で合一化が進んだわ。確か、人でなくなるかもしれないって言わなかったかしら」
--そう言えば言われたような気がする
「で、今回よ。一度は早穂とリンクが切れたって?」
--はい
「で、髪を依り代に再召喚したのよね」
--え? 初耳です。あれってそういうことだったの?
「結果、早穂とあんたはほぼ完全な合一化が成ったの。ここまではおーけー?」
--まあ、一部わかんないけど、概ねは…… おーけーかな
「さて、解体されている間、早穂は自分のヒルマモチの体の中に京子たち、相良一族を置いて来たのよ」
--ソウデスネ
「それで、早穂はヒルマモチじゃなくなったの」
「はあ?」
思わず声が出た。「それってどういう理屈で? 早穂はあの通り変わりなく食い意地張って食べてるし……」と言ったら早穂が怖い顔で睨んだ。私はまた首をすくめた。
「そうよね、早穂は早穂よ。変わりはないわ。私が言っているのは、人の手で成ったヒルマモチという存在の事よ。早穂はヒルマモチという人工的な神様ではなくて、本当に神様になったのよ」
そして言う「あんだすたん?」
びくっと、背筋を伸ばして私は思わず言った「あ、あいしー」と。
--それって、毎朝、二礼二拍手一拝が必要なのかな?
と、思いながらも、凛子さんが怖くて聞けなかった。
「そう、早穂の事は別に良いのよ、むしろ良かったわ、変な縛りがなくなったと思えるから。もしかしたらご利益も増えるかもしれないし……」
--なにか、不穏な言葉が混ざっていますが……
「問題は、あんたなのよ。神様と合一化しちゃった巫女のあんた」
--えーっと? 飲み込み悪くてすみません……
一拍おいて凛子さんは言った。
「たぶんあんた、早穂が死ぬまで死なないわ」
--ああ、それは知ってる、早穂は、私が死ぬまで死なないんでしょ…… え?逆?
ようやく事態を悟りつつある顔になった私を見て、凛子さんは畳みかけてきた。
「早穂は放っておいても信仰がなくならない限り死なないわ。その信仰は、巫女であるあんたに依っている。で、巫女であるあんたは早穂が死ぬまで死なない…… わかるでしょ、このサイクル」
--Oh! 永久機関、完成……
「おめでとう、人類の夢、不老不死の実現よ」
凛子さんの言葉は、流石の私にも突き刺さった。
「八百比丘尼?」
私が呟くと、凛子さんはにたっと笑った。
「それ以上よ。自ら死ねないの。わかるわよね」
私はごくりとつばを飲み込んだ。
「これって、逆死刑判決…… 最高じゃん!」
私の一言に、凛子さんの口が開いたままになった。
「ちょ、あんたわかってるの?」
「ずーーーーーっと、早穂と一緒に居られるんでしょ? 最高じゃない!」
達也くんが凛子さんに目配せした。凛子さんは諦めたように頷いた。
「完全に、合一化したのね…… 早穂には完敗よ」
凛子さんが目を転じると、きりたんぽを咥えながら勝ち誇った顔の早穂が居た。その顔に凛子さんがむかついているのがわかる。
必死に深呼吸しているけれど、たぶん「胎教に悪いから落ち着け」と自分に言い聞かせているんだろう。
「とにかく、これからの身の振り方を考えなさい。必要なら三橋が手を貸すわ」
--えっと、凛子さん、そのセリフは当主の達也くんのセリフでは? 本当に乗っ取っちゃったんですか? 良いの、達也くん? そりゃあ、ずいぶん前にそう言ってあげたけれど……
そして凛子さんは咳ばらいをした。
「で、当面はここで暮らしなさい。少なくとも半年はね」
「え?」
「忘れたの? あんたわたしに『借り』があるのよ、結構たくさん」
そう言えば最初のヒルマモチ騒動からこっち、かなりの「借り」があったような気がする。それもほぼ返していない……
「はっきり言うわ。この子が無事に生まれるまで、あたしの安産祈願のために、ここで暮らしなさい。これは命令よ」
早穂が咥えていたきりたんぽを落とした。私の口がぽかんと開いたまま閉じなくなった。
「こ、こ、公私混同……」
「うるさいわね、私がそう言ったらそうなの。つべこべ言わずに、毎日私の安産祈願をしなさい」
「そ、そんな無茶な。早穂は豊穣の神様で安産祈願は管轄外…… え? できるって?」
振り返った早苗に、早穂がしぶしぶという体でそう伝えてきた。
最後に大きく息を吸って大きな声が響く。
「わ、私だって初めてなのよ、出産なんか! わかんないのよ! だからそばに居て欲しいの、わかる?」
凛子さんの本音がついに爆発した。
達也くんが爆笑を始め、凛子さんに蹴られていた。
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