その3 神様はきりたんぽで幸せになる
帰りは達也くんの運転で、たっぷり一日かけて、安全運転で帰って来た。
三橋家当主の帰還を、益次郎翁は笑顔で迎えた。玄関口まで急いで出てきたのは、やはり孫夫婦が心配だったのだろう。そんな益次郎翁にも、私と早穂は丁寧に謝った。
夕食まではぐっすり寝た。自室ではなく座敷で全員が雑魚寝になった。お手伝いさんたちがそっと布団をかけてくれた。
そして夕食は皆で鍋をつついた。なぜか早穂の前にだけ大きな鍋が余分に置かれており、中身は鮭の切身ときりたんぽと煎餅が入っていた。煎餅は青森だよなあ、と思いながらも凛子さんの指示だったので、間違いはないだろうと達也くんは思っていたが、早穂の満面の笑顔を見て、自分の妻の差配に改めて感心したようだった。
けっ。
ひととおりの食事が済んだ頃、益次郎翁が席を立ったタイミングで凛子さんが話し始めた。
「さて、
それを受けて達也くんが話し始めた。
「あくまでも古文書の、それも都の側から見た見解がベースになるんだけれど」
と言いながら、画像をプリントしたものを封筒から出して説明を始めた。それは平安時代に書かれた原本を江戸前期の時代に写本し、残されたものらしい。プリントされた写真は古文書の内容であったが、そのうちの一枚にある挿絵、と言って良いのか、絵に表されたものに私は注目した。
バラバラになった五体に黒い靄のようなものがかかっている。その周囲には黒い水のようなものも描かれている。墨書きなので黒く見えるだけなのかもしれないが、それは、早苗にとって見覚えのある光景だった。
「気が付いた? これは『穢れ』を具体的に表しているようなんだ」
達也くんが言った。
穢れとは本来、死・疫病・出産・月経、犯罪など、具体的な行為によって生じる観念的なもののはずで、目に見えるものではない。それがこのように描かれているのは抽象的なものなのか? 達也くんも最初はそう思っていたようだ。だが、実際、早穂を通して視た「きよ」の姿や、廃村での相良京子の姿から滲み出ていたものは、まさにこの絵に描かれたものであった。
--正しく写本されたものだとすると、平安の頃には、穢穀道の本質がすでに描かれていたことになるのね
私は感心した。一体だれがその本質を見抜いたのだろう?
私の疑問が伝わったのだろうか、凛子さんがぽつりと言った。
「晴明…… あるいは同クラスの陰陽師…… かしら」
「同じ時代に該当したようだよ。相良斎の居た時代は」
達也くんがそう言った。相良斎は安倍晴明と同じ時代に生きていた。それは私には衝撃的な情報だった。
--安倍晴明って式神を使って悪い奴らをばったばったとやっつけて、空も飛んで……
そこまで考えた時、凛子さんが静かに言った。
「凄い術者だったようだけれど、流石に空を飛んだりはないわね」
どうして考えることが筒抜けなんだろう、と私は不安に感じたが、それだけ顔に出やすいという事には気が付いていなかったのだ。
「相良斎は、安倍晴明クラスだった、と考えることもできたかと思うよ」
私はあの時の斎の顔を思い出した。ニタニタといやらしい笑みを浮かべていたあの顔を。
--そんな大物なのか、あんな下衆なおっさんが
そう思うと、首を振り、心の中で否定する。--それはないわ
達也くんがここで疑問を口にした。
「早穂ちゃんもそうなんだけれど、基本は人の目に見えない霊体だよね。早穂ちゃんがその気にならないと、人は触れることができないよね」
達也くんが疑問に思うことがなんとなく想像できた私は口を挟んだ。
「『きよ』も半分は霊体だったわ。だけど体は肉体として再生していた。これはヒルマモチになった直後の早穂も同じだったわ」
達也くんは頷いた。
「あの時、相良京子と立ち回った時の姿は、明らかに肉体だったよ」
凛子さんが言う。
「私たちが霊的な存在に親和性を持ち過ぎている、のだとしてもあれは確かに肉体だったわね」
その時、私がおずおずと手を挙げた。
「わかる気がします」と。
「早穂が殺された時、私の中に考えられないほどのどす黒い感情が沸き上がって……
早苗にとっては思い出したくない記憶だ。
「あの時の感情は真っ黒いものだった…… あれも『穢れ』だったのだと思う。『負』の感情が」
そして凛子さんに向かって言った。
「妊娠している凛子さんを見て、京子が異様に喜んでいたのは、復讐心だけではなく『穢れ』の概念にも合致したからだと思う」
「とんでもない話ね。良い迷惑よ」
今日、検査を受けて、凛子さんの妊娠は確定となっている。あれだけの運動をして大丈夫なのかと心配もあったが、バイクでの帰路、早穂が背に負ぶさっていたのは理由があったのかもしれない。
--さりげなくやるじゃん、早穂
私は早穂が誇らしかった。
「
達也くんが皆に尋ねる。
凛子さんも私も頷く。
「そのために、あのヒルマモチに主人格の京子をへばり付けさせていたんだから」
凛子さんがそう言って、さらに続けた。
「
そうだ、ヒルマモチの主人格は女性でなければ務まらない。私と対峙した時、たしかに斎が表へ出ていたが、それはあくまでもヒルマモチの体を間借りしていたに過ぎなかったのだ。「あの」体の主人格はあくまでも「相良京子」だったのだ。それゆえ決定的なダメージは、京子本人へ与える必要があったのだ。
「途中で、なんとなくだけれど、こっちの思惑に気づいて、なんどか京子と入れ替わろうとしていたようだけれど、京子の無念の方が強かったみたいだね」
そうしみじみと達也くんが言った。それは京子が抱いていた、あの家族団欒の光景が物語っていた。
相良京子は父親に強いコンプレックスを抱いていたゆえに、それを破壊した(と、思い込んでいる)私と、その復讐を妨げた凛子さんに執着したのだ。それは主人格として、呪術師相良斎を抑え込むことが可能なほどだったのだ。
「父親への過度な愛情と依存…… 失ってしまった家族としての記憶、ね」
達也くんは複雑な思いで凛子さんと私を見た。
私と凛子さん、二人の生い立ちからは、希薄にならざるを得ない感情ではなかっただろうか、と。
最後に気なったのは廃村のお堂跡とふもとの村の事だ。それは達也くんがお祖父さんを通して屋敷さんに伝えてあるそうだ。時間はかかるかもしれないが、いずれ連絡があるだろうと、達也くんが言っていた。
「さて、とにもかくにも、今度こそ一件落着ね」
--さんざん、凛子さんにも叱られたあとだし、もうこれで平和が訪れたのよね
私はにこやかに宣言した。
が、凛子さんも達也くんも黙っている。
「え? まだなにかあった?」
私は二人を見つめた。
そして静かに凛子さんが頷いた。
「ええ、とても大切な『大問題』がね」
私は凛子さんの目に宿る光に、嫌な予感が背中を走るのを感じた。
早穂はいつの間にか、袋の中からきりたんぽの追加を出しており、鍋の中身はまたきりたんぽで埋まっていた。
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