その2 相良斎 呪術の完成

 外道の呪法が密かに執り行われているとの報が入った。時の陰陽寮天文博士の奏上により、検非違使たちは急ぎ松尾山へと差し向けられた。

 禁術である穢穀道が執り行われている。神域を外れ、目立たぬ岩の懐にひっそりと建つ粗末な小屋――しかし、そこから発せられるただならぬ気配に、検非違使たちは思わず足を止めた。しかし、一人の陰陽師が静かに前へ進み出ると、印を切り、呪を唱えた。瞬間、気配は霧のように消え失せ、検非違使たちはそれを合図に、小屋へと雪崩れ込んだ。


 その頃、相良斎さがらいつきはきよを従え、松尾山を下り、一路、近江の国を目指していた。

 やがて近江を抜けようと不破の関を避け、山道を縫うように進む。背後には常に追っ手の気配があった。美濃を抜け、信濃の峠を越え、三月の後、ようやく出羽の地へと辿り着いた。


 いつきときよは山あいの小さな集落へたどり着いた。乞食のような身なりの二人に集落の者たちは不審の目を向けたが、斎はこの地が日照りにより難儀していることを知るや、雨乞いの儀式を始めた。

 都から来た術者である、との言葉に半信半疑であった集落の者も、ほかに手はなく斎たちと共に祈った。

 驚いたことに、雨が降りだした。

 斎は集落の者たちから感謝され、集落から見える山の中へ堂を建てると、斎ときよをそこへ住まわせることにした。

 ようやく安堵のひと時を得た斎は、しばらくは穀霊道を封じ、集落の者たちとの共生を選んだ。


 きよが二十の歳を迎える頃、集落の田は疫病に見舞われた。稲がみるみる萎び、そして折れていく。集落はたちまちに困窮した。時間の問題で、子を抱え、飢えに耐えかねた母が、祈りの声に涙を混ぜることになるだろう。手遅れになる前に、誰もが、神にすがるしかなかった。

 そして集落の者たちは、斎の力にすがることを選んだ。

 斎はそれまでの間、密かに集落の周囲を調べていた。そしてかつて古代の王であった者の墓が、今は田と変わり果てていた場所を探し出していた。

 --ここであるならば、霊力によりあるいは

 斎は穀霊道の儀式を行うことにした。


 暴れ泣き懇願するきよを集落の男たちは担ぎ上げ、斎の指し示す田の中へ放り込む。そして一斉にきよの頭を田の泥の中へ押し付けた。暴れるきよの口や鼻から泥が水と共に入り、きよの肺を満たす。きよの内を満たしたものは泥だけではなかった。きよの脳裏には、かつていつきに拾われた日の夕暮れの色が満ちていった。だが、あの日の温もりが、今や呪いの始まりであった、と初めて感じた。

 動く力を失いながらも、きよの目は開き、怯えの中に意識を保っていた。

 やがて祈祷を終えた斎が鉈を振るい、きよの左足をめがけて振り下ろす。きよの絶叫が山々にこだました。

 血を流しながらも叫び続けるきよの両の眼を抉りだし、その舌を抜いた時、きよの体に異変が起こった。黒ずんだ光に包まれて行ったのだ。集落の者たちは畏れた。普通であればとうの昔に死んでいるであろう、このありさまでなお意識を保ち続ける姿は、神が贄として受け入れてくださったことに間違いがない。集落の者たちは、凄惨な場であるにもかかわらず、神が贄を受け入れた証と信じ、涙ながらに喜び合った。

 斎は最後の手順としてきよの首を真横に切る。

 きよはそこで初めて意識を手放し、その身は穢れと神性を抱いて昇華し、豊穣をもたらす呪いの神――ヒルマモチとなった。

 稲は色を取り戻し、再び力強く天に向かって伸びた。


 私はとてつもないほどの寝汗と共に目が覚めた。夜はまだ明けてはいない。

 --恐ろしい夢を見た気がする

 その時、早穂が居ないことに気づき体を起こした。いつものファッションショーをやっているような気配はなく、ただ部屋には冬の冷気だけがあった。


 しかし……

 部屋の隅で早穂が膝を抱えて震えていた。


 たとえ真っ暗な中でも私には早穂だけは、はっきりと視ることができる。

 布団を飛び出し、私は早穂に駆け寄った。

 「早穂、どうしたの? 大丈夫?」

 驚きながらも、早穂が怯えていることを感じた私は早穂を抱きしめた。その体は驚くほど冷たかったので、寝汗で湿ってはいたが、早穂を布団にくるみ、そして抱きしめた。

 「大丈夫、私が居るから」

 そう言いながら。

 怯えながらも早穂は微笑み、やがて眠った。


 早穂を抱きしめながら私は考えた。

 --なにか異変が起こっているわ。冬、豊穣神が衰える季節とはいえ、この早穂がここまで怯えるなんて……

 私にはかつて一度だけあった早穂の異変が思い出された。

 --『呪いの指輪』だ。相良京子の呪いが発動した時だ

 そして同時にかつて凛子さんが言っていた言葉も思い出された。

 --『あの廃村で女の幽霊が出るらしいの。行方不明者も出ているって』『バラバラにされてたらしいわ。女性ばかり』

 夢の中身は覚えていないが、私も悪夢を見て目が覚めたのだ。このことは相良京子のことが無関係ではないだろう、と私は考え怖気を振るった。

 --でも今は、去年の『呪いの指輪』に翻弄された私じゃない。早穂としっかり立ち向かえる私になっている

 どこからでもかかってきなさい、相良京子。

 私は、自分を奮い立たせながら目を閉じ眠った。

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