第七話 ヒルマモチの回生

その1 穀霊道と相良斎 因縁の始まり

 平安の昔、松尾山の裏谷、大杉谷の奥に、誰も近づかぬ岩陰があった。かつて秦氏が築いた堰の末端、水が滲むように流れ出るその場所に、相良斎さがらいつきは密かに社を築いた。

 社は松尾大社の神域を外れ、神の目を避けるように、岩の懐にひっそりと抱かれていた。

 そこでは、神の力を盗み、穢れを流す呪法が密かに行われていた。


 当時、都は度重なる飢饉と疫病により、多くの流民を生み出していた。右京は荒れ果て、浮浪の童たちが群れをなす地となっていた。

 相良斎さがらいつきは、

 「荒れた里にて、賤しき者らが寄り添い暮らす…… このありさまは食べるものさえあれば救われる者らが大勢おることを示しておる」

 と、巫女である「きよ」へ語った。

 きよもまた浮浪児の中よりいつきに拾われ、そして仕えるようになった娘である。斎の言葉は理にかなっており、ゆえにこそ、陰陽寮にて外道とされた禁呪・穀霊道こくれいどうの成就に、きよは身命を賭して仕え続けていた。

 穀霊道こくれいどう――陰陽寮においては「穢穀道えこくどう」と呼ばれ、禁術として忌避された呪である。すなわち、「人をもって豊穣の神となす」ことを目的とする呪術であり、陰陽道とは異なる力の源泉――すなわち、日本古来の神々を中心とした呪術体系に基づいていた。

 日本の神々を中心とした呪法とはいえ、「穢れを通じて神性を呼び起こす」という逆説的なものであり、神道における「穢れは忌避すべきもの」という価値観とは真っ向から対立していた。

 そのため、彼の行いは祭祀に携わるすべての者たちから忌み嫌われていた。


 きよは葛野川のほとりに立っていた。目の前に十ほどの歳の娘が水を汲んでいる。共に暮らす童たちに汲んでくるように指図されたのだろう。浮浪の童とはいえ、その面差しはどこか整って見えた。

 きよは声をかけた。

 「食べるものが、あるよ」と、やさしく。

 娘は顔をあげ、優しそうなきよの笑顔に二言三言言葉を交わした。やがて娘はきよに付いて歩き出した。


 それは、社と呼ぶにはあまりに粗末な小屋だった。朽ちた板壁の隙間からは風が吹き抜け、灯明の火が揺れている。奥の石壇には、黒ずんだ布に包まれた何かが鎮座し、その周囲には無数の呪符が貼られていた。床板の一部は外せるようになっており、その下には細く冷たい水が流れていた。いつきは、そこを“穢れの口”と呼んでいた。

 きよに付いて来た娘は、その社で勧められるままに器に入れた緑の汁を飲んだ。きよは目を細めた。少し湯で温めているので飲みやすいはずだ。

 やがて娘の目がとろりとしてきた頃、きよは娘の手と足を縛り上げ、口に轡を噛ませた。

 ぼんやりとした面持ちのまま、娘は何が起きているのかすら、悟らぬ様子であった。

 そして奥の、先ほどから祈祷の続いている奥室へ娘を抱きかかえて運び、石壇の前へ寝かせる。

 やがて祈祷を終えた斎が、鉈のようなものを持ち、おもむろに娘の左足めがけて振り下ろす。

 轡を噛ませた娘の口から絶叫が溢れる。切落された左足からは血がとめどなく流れている。斎は意に介さず鉈を振り上げ、右足に向かって再び鉈を振り下ろした。娘はまた轡の中で叫んだ。目からは涙が溢れている。

 --急がなければ

 斎は口の中で呪法を唱えながら娘の左手、次いで右手へと鉈を振り下ろし、そして左眼を抉ったところで、娘は息絶えた……


 声なき呻きを洩らしつつ、斎は鉈を放り捨て、娘の骸を無造作に蹴りつけた。

 「申し訳ございません。薬の効きが今少し足りなかったようでした」

 きよは斎の前に両手をつき、詫びの言葉を述べる。

 --あと少しであった。しかし……

 ここまで持ったのだ、光明が見えたと言って良い。

 斎はそう考え直し、「……後始末を」と、低く短く命じた。

 きよは静かに立ち上がり、床板を外すと、娘の骸を“穢れの口”へと滑らせ、流れに沈めた。

 布に水を含ませ、きよは石壇を洗う。

 血の跡が消えかかる頃、いつきは儀式の終わりとしてきよを押し倒すと、その場で昂ぶりを放出する。きよは斎の顔を見ながら仕える歓びを感じていた。これは穢れを鎮めるための定められた手順でもあったのだ。

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