第五話「砂の城」


 「じゃあ百舌鳥高祭のホームルームこれで終わるねー、各自次のホームルームまでに内容固めておいてねー」

 文化祭実行委員の女子がホームルームを締める。担任が「今しか出来ないことだから頑張ろう」的な旨の挨拶で軽く締め、ホームルームは終わった。

 クラス内はガヤガヤと湧き立ち、部活に行く者、帰路に着く者、寄り道しようとしてる者、居座る者、それぞれが文化祭のことを脳みそから切り離し、現実に着地している。

百舌鳥高の文化祭は夏休み明けすぐ、九月の頭に行わるが、今日は六月五日。本格的な文化祭の準備は夏休み明けからだ。一般公開せず内々で行われるし、ドラマみたいな文化祭の盛り上がりにはならない。こんな文化祭にモチベを高く臨める人は相当の青春渇望症だと思う。

それなのに、目の前の光景にまだ頭の整理が追いつかない。キャパを超える案件を任されたことは確かだ。クラスの人々が散っていった先の黒板には、確固たる事実がありありと、デカデカと記されているように見える。オートフォーカスの機能がぶっ壊れたデジタルカメラみたいに、ピントがある二点にしか合わない。その二点。

 

 『出し物:シンデレラ……………………脚本:尾崎』……なんでや。

 

 遡ること数十分前。一回目の文化祭ホームルームがあった。百舌鳥高校は学年によって催事が変わる。一年生はクラス演劇をするらしく、何の演目をやるか、その配役なんかをこのホームルームで一気に決めてしまうようだった。すみっコぐらしな僕には縁遠い行事なので、我関せず、適当な雑務さえやっておけばいっかーとぼーっとしていると、うとうと睡魔なんかにも襲われ、しっかり船を漕いでいた。自分のオールを誰にも渡さず進んでいると、左腕にゴスゴス破城槌でもぶちかまされてる衝撃が飛んでくる。城になって門破りでもされているのだろうか。この場合、夢占いってどんな結果になるんだろう。この状況を小説にするなら、タイトルは高い城の男とか、城男とかになるんだろうか。冗談じゃない。次第に左辺からの衝撃は強くなり、ついに城門を突破されようかといったところで、目が覚めた。

 コムアイaka小室様が、僕を叩き起こしてくれていた。小室様は首を左に振り、目線で「前見ろ」と合図している。言われた通り前を見ると、クラス中の視線が僕に向いていた。一体何が起こったのだろう。ふと一際ニヤついている視線を察知してそちらに向く。天子が手を合わせて、舌をぺろっと出している。犯人はお前か。

 「あのー、尾崎? 君。起き抜けの路面電車みたいな顔してるところ申し訳ないんだけど」と前方から声が飛んでくる。海を渡るのが見えたんかよ。風集めるんかよ。はっぴいなディスを発する主を見ると、小室様のご友人で、ミヅキと呼ばれていた女子だった。栗色の長い髪に整った顔立ち、クリッとした目と、スッとした鼻が印象強く、スラリとした体型は運動部か何かだろうか、溌剌さと清潔感の中に多少の気強さが感じられる。なんとなくだが、小室様が仲良くしているのもわかる気がする。

 「尾崎君には、シンデレラの脚本をやってもらうわ。これは待ったなしの確定事項よ」

 おかしいな、最近長谷部誠の本を読んで鍛えたはずなのに、整えたはずの心は容易く瓦解した。心臓が動揺で張り裂けそうだ。

 「そんな横暴な」

 「それ以外の役割分担は、君が寝ている間に決まってしまったもの」

 「寝てたのは悪かったけど、脚本はちょっと……他に適役がいるでしょ」

 「適材適所よ。中学生の時、小説を書いていたんでしょ? なら、このクラスの中では一番適役だと思うのだけれど」瞬間僕の顔面はボッと赤らむ。

 「ど、どっからその話を」

 「否定しないのね。つまり多少心得があると白状したようなものよ」

 「ぐふっ」ヒットポイントバーがあればもう真っ赤。次回予告でネタバレされるレベルでタヒりそう。どうやら、僕の中学時代の黒歴史が何者かによって暴露されてしまったようだ。暴露した犯人は誰だ。自分から言う事はないし、言った覚えは勿論ない。このクラスに同じ中学だった人はいないから、このクラスから流出する事はない。まぁ僕のような陰キャの過去なんて誰も興味ないし出回ることはないに等しい。名前さえうろ覚えされてるのに、いわんや過去おや、である。つまり、本来こんな過去バレ?みたいな状況は起こり得ないのである。ならばなぜ? 簡単だ。今までとは違っているから、この状況が発現したのだ。つまり、天子だ。さっきのゴメンのジェスチャーはこのことを指していたんだろう。やっと頭もはっきりしてきた。

思い出したくもないパンドラの箱が開く。中にあるのは、厨二病を煮詰め、拙い文章力によって生成された暗黒ラノベだ。自分の中では会心の出来だと思っていた。その奢りがいけなかった。僕はその特級呪物をあろうことか学校中に見せて回った。得意満面で。拍手喝采絶賛の嵐で学校でも一目置かれる存在になるのだと信じて疑わなかった。しかし現実は真逆に作用した。それまで万年Bクラスの、まるでプレミアリーグのボーンマスのようなそこそこのスクールカーストに位置していた僕の足元がガラガラと崩れ落ち、クソイタオタ野郎の烙印を足の裏に押され、居場所はなくなり、隅に追いやられた。あれ、目からNaClとH2Oが。思い出がいっぱいでしょっぱい。

 「まぁシンデレラの話を芝居用に書き換えるだけだし、こんな擦られてるお題なら、ネット漁ればすぐできるわよね」ミヅキ氏はカラッとした口調で言う。

 「いや、僕バイトあるし……」

 「は? みんな部活なり塾なりやってるし君だけ特別じゃないからね。文化祭も体育祭もクラスのみんなに絶対一つは役割担ってもらうし、なんなら掛け持ちしてくれてる人だっているんだから」

 「センスないし……」

 「嘘言わないでよ。『やっぱりワイの青春がエルフの国の悪役令嬢に転生した逆ハーレムライフなのは間違っている』だっけ? センスあるじゃない」口調は褒めているけど、声音には嘲笑が含まれているのをビンビンに感じる。

 「やめて……いっそ殺してくれ……」

 (ミヅキ、口喧嘩超強いから大人しく諦めたほうがいいよ)古傷を抉られてヘロヘロになっている横で、こしょこしょと小室様が忠告してきた。小室様でさえミヅキ氏のことをこう評すのだから、もう折れる他ないのだろう。お手上げだ。大人しく降参した。

 「わかった、やるよ。やれるだけのことはやってみるけど、芝居の出来を脚本のせいなんかにしないでね」

 「しないわよ。シンデレラの脚本を台無しにできるんなら逆に見てみたいわ。よし、やっと決まったわね。とりあえず次の文化祭ホームルームまでに草稿完成させといて。でないと後がつっかえちゃうから」

 「決まった途端、扱いぞんざい過ぎない? 圧がすごいんだけど」

 「そうかな。あ、あと普通にやっても面白くないし、賞も狙いたいから、ちょっと捻ったストーリーにしてくれない? 配役とかの変更は極力ナシで」

 「無慈悲なクライアントの無茶振りを対応するのは社会に出てからがよかったよ」

 「いずれやらなきゃいけないんだから、今のうちに経験できてよかったじゃん。じゃ、お願いね」

 山盛りの書類をどさっと机に置き、髪を掻き分け、踵を返して颯爽と出ていく上司みたいにミヅキ氏は教壇のほうへと戻っていった。

 「……ドンマイ」

 小室様が珍しく慰めてくださっている。慈愛痛みいりますが、一ヶ月以内にオリジナル脚本か。軽作業バイトかと思ったら〜、宮藤官九郎でした〜。ちっくしょー。すごい無茶振り加減だ。出来るのだろうか。いや、こうなってしまった以上やらないとなのだが。……気が滅入る。複数人の共同作業の中なら責任やタスクが分散されるから多少気が楽である。しかし一人での作業は、結果の出来不出来が全て自分の力量に委ねられている。腕に覚えがあるのならそれにやりがいを見出すこともあるのだろう。しかし、未経験のことに関しては、重責でしかない。押しつぶされそうなほどのプレッシャーで、妙な震えが込み上げてくる。しっかりしろ。たかが文化祭、たかがクラスの催し物の一タスクだろ。そうやって軽く考えようとしても、組織の中に組み込まれる事への不安が一層深くのしかかる。自分の歪んだ歯車が、流れを阻害してしまわないだろうか。自意識過剰かもしれない。実際は、期待などされていない。僕が失敗しようが、成功しようが、どっちだっていいのだ。他人にとっては、期限通りにそれなりの物が用意できていればいいのだ。自分や、友達のことが大事で、それ以外に気を回すほど暇や余裕はないのだ。かく言う自分だって、自分のことで精一杯だ。みんな同じだ。それがわかるからこそ、人の手を煩わせたくないし、お荷物になりたくない。可もなく不可もなくな、六十点くらいの成果を出したい。というのは、案外贅沢な願いなのかもしれない。

 などとつらつら考えていたら、ホームルームは終わっていた。黒板を見る。脚本のところを何度見返しても自分の名前が書かれている。ん、よく見ると尾崎じゃなくて、尾先になってる。失礼だな。クラスのみんなは、すでにお先に失礼していた。尾崎に失礼してることはいいのか。仕方ない。お後ろに失礼することにしよう。などと冗談が浮かぶあたりは、まだ多少余裕なのかもしれないな。などと思いながら教室を出た。

 余談だが、城になっている夢をネットの夢占いサイトで調べた結果、「自己防衛、内面の強さや精神的な頑健さ、孤独や孤立、権威性や社会的地位の願望、自己認識の変化、大きな責任を感じている、または引き受けようとしている表れ、変化への抵抗」などが出ていて、これもう予知夢じゃんってなった。冗談じゃない。

 

 *

 

 「なんで小説のことクラスでバラしたんだよ」

 「ごめんごめんー、良かれと思ってよ。良かれと。健治君の株が上がるかなーって」

 「今までが底値かと思ってたけど、今日で底割れしたわ」

 「まぁまぁ、尾崎君は賢いんだから、脚本ぐらいちゃちゃっと出来るわよ」

 「脚本なんて書いたことないからわかんないですよ」

 最近、天子が喫茶桂にいるのがデフォルトになってきた。学校での僕の脚本抜擢の原因である天子を問い詰めると、ニョロニョロとうまく言い抜け、陽毬さんがなだめる。よくできたトライアングルだ。カウンター席に両手で頬杖をつきながらニマニマ話す天子は、相変わらず水の一杯も飲まない。妖狐は人前であまり飲み食いしないらしい。天子に差し出されたグラスの水量は来た時から変わらず、ただ表面に汗を纏わりつかせ、コースターを濡らしている。宝珠についての進展がないか確認しに来ている、と口では言っているが、その割には来るのがマメすぎる。暇なんだろうか。案外寂しがり屋なのかも知れない。っていうか妖狐って普段何してるんだろう。

 「っていうか僕の小説のこと、なんで知ってたんだよ」

 「秀明君がこないだここで会った時に言ってた」天子が三田川を「秀明君」と呼ぶのがやはり慣れない。

 「あいつ、僕をダシにしやがって」

 「まぁいいじゃない、悪気があるわけじゃないし。それで、あの長いタイトルの小説ってどんな話なの?」

 「そんなの覚えてないよ。中学生の時の話だし」

 「つい最近の話じゃない」

 陽毬さんが言うと説得力が違うな。などと本人に言ったら、凄惨な事件が地方紙を飛び越えて全国紙を飾りそうだから言わない。

 「あんたが言うと説得力が違うわね」

 「あなたも歳変わらないじゃないのよ」

 千歳を超えた者同士の軽口に、悠久の時の流れを鑑みると、いとエモし。今から千年前って、よく考えると鎌倉時代よりも前なんだよな。そりゃあ天子がスマホを知らないのもしかたない。の割には、天子も陽毬さんも現代にある程度フィットしている。それは割とすごいことなのかも。人間も妖狐と同様に、寿命が千歳を越した時、同じように生活様式やリテラシーを現バージョンに馴染ませることができるのだろうか。江戸時代の平均寿命が五十歳。今は八十歳、いや、もっと上だろうか。江戸時代と現代との二、三百年の時代間の内に、日本人の平均寿命は約三十年伸びている。ということは、その分だけ人類は経験値を取得する機会、人生の総プレイ時間が増えたことになる。それにより、進化する能力もあるだろうし、その時間をかけて辿り着く極地があるはずで、それを後世に残すことで、更なる進化を加速させていくことができる。そうしてテクノロジーや学問や文化が発展し、より良い未来が訪れるはずなのだが、……あれ、何が言いたいんだったっけ?

 「どうしたの? 起き抜けの路面電車みたいな顔して?」天子がミヅキ氏みたいに言ってくる。

 「僕ってそんな人気のない珈琲屋で暇を潰してそうな顔してる?」

 「失礼ね。誰が暇な珈琲屋よ」

 「勘違いですよ。まぁ忙しいカフェテリアでないことは確かですけどね」対義語みたいにして言ってみる。

 「ん? 摩天楼の衣擦れが舗道をひたすのがそんなに見たいのかしら?」

 「その歌詞を脅しで使う人、多分陽毬さんが初めてですよ」

 「ていうかそれ脅し文句として成立してるの?」

 「言葉の意味は関係なくて、発する声音に意味があるんですねぇ」

 「わぁ、なんだか学者さんみたいね〜。分析してる暇があるなら洗い物でもしてらっしゃいな」

 「これは私にもわかるわ。今回は言葉の意味も声音の意味も、過不足なく一緒ね」

 「分析してないでフォローしてよ」

 

 *

 

 ……洗い物をしている間も、やはり脚本のことが頭から離れず、あーでもないこーでもないどうしたもんかと考えあぐね、ぼーっとしていた。「水、出しっぱなしにしないで」「それ、もう洗ってたわよ」「ポンコツのロボット、ロボットポンコッツになってるわよ」など陽毬さんや天子に言われたような、言われてないような、上の空に天気雨が降るような小言をスルーしていると、そういえば、天気雨は別名、狐の嫁入りと言われることがあるな。と脳内が飛躍する。。陽毬さんが妖狐だと判明してからというもの、陽毬さんとの距離感がよくわからなくなっている。バイト先の店長としての今までの現実と、今の妖狐としてのフィクション感、非現実的、掴みどころのない狭間のような心地が、それこそ天気雨のようである。陽毬さんは「今まで通りで構わないわよ」なんて言っていたけど、正直難しい。初見から非現実としてあった天子のほうがまだ飲み込みやすい。他人との距離感のピントが、オートフォーカスであれば楽なのに。自分はどこまで行ってもマニュアル操作なのだなぁと思い、嘆息が垂れていく。それが閉じたはずの蛇口から滴り落ちる雫とシンクロする。

 「健治君」と呼ばれハッとして振り返ると、陽毬さんだった。

「どうかしました?」

 「健治君にちょっとお使い頼もうと思って。小学校の向かいに本屋さんあるでしょ〜」

 「ありましたッけ」平静を装っていたが、陽毬さんの名前呼びに語尾の言葉が詰まりかけた。天子の呼びかたが感染ったらしい。慣れない。

 「最近出来たみたいよ。気づかなかった?」

 「いえ全然」

 「健治君本好きだから、とっくに知ってると思ってたわ」

 「まさか智頭に本屋が新しくできるとは思わないじゃないですか」

 「確かにそうねぇ〜。あ、それで、そのお店に配達を頼まれてるのよ、お願いできる?」

 「わかりました」

 「ありがとう。じゃあほら、これ」陽毬さんは茶色い紙袋を僕に渡す。それを自転車のカゴに入れると、小学校のほうへと漕ぎ出す。

 桂から五三号線に進み、道なりに直進。京橋を渡り、緩やかな右曲がりのカーブをまっすぐ行けば、智頭小学校が見えてくる。その向かい、の、本屋、……あ、これかな。

 「Go to books」の真新しい木製の看板が立っていなければ、ただの民家と勘違いしてしまいそうな店構えである。小豆バーのような色の外壁、茶色いスチールに、ストライプのように嵌め込まれた擦りガラスのある重厚なつくりの玄関扉。信楽焼だろうか、でかい狸の置物が千客万来の札を持って玄関横に鎮座し、玄関扉の上には、「五島屋」と筆字で書かれた、木の自然なフォルムを活かした一枚板の厳かな看板が張られている。

少し緊張しながらインターホンを鳴らすと、しばらくして返事があり、「桂ですー」と告げると、「開いてるから入ってー」と声がしたので、入っていく。やはり引き戸の頑丈な扉は、少し重かった。

 店の中に入って辺りを見渡すと、右手のほうから「こっちこっちー」と声がする。靴を脱ぎ、右側の戸を開けて入ると、大人が二人。男性と、女性。インターホンの返事は男性の声だったので、店主は男性のほうだろう。歳は三十代後半くらいだろうか。きめの整った白い肌に、キリッとした眉、すらっと伸びた鼻筋、毛先だけウェーブした髪をセンターで分け、少し袖幅にゆとりのある白いボタンダウンのシャツに、タックの入った黒いチノパンを合わせている。当たり障りない服装なのに、都会風で清潔感のあるように感じるのは、着丈やアイテムのサイジングが絶妙だからなのだろう。

もう一人の女性はマスクで顔が隠れているものの、目元だけで美人であることがわかる。明るいブロンドのロングヘアー、赤いアイシャドーが目尻をはみだし、バッチリとマスカラで上げられたまつ毛が目力を印象強く見せている。上下が白のタイトなカットソーとパンツで、スタイルの良さが際立っており、アクセントに紫色のベルトが。どちらも智頭にはいないタイプの人種で、しばし見惚れて呆けてしまった。

 「デリバリー、持ってきてくれたんだよね」と声が耳に入ってきたのは、見入ってから数秒ほど経った後だった。

 「は、はい。こちらになります」

 雑談を挟む余裕もなく、定型のやり取りをどうにか終えると、妙にドギマギして居心地の悪く、早く桂に戻ろうと思っていたが、本棚を視界に捉えた瞬間、本好きの好奇心が疼き、つい棚に視線が入ってしまう。

 店主の男性はそれを察したのか、「本、好きなの?」と聞いてくる。こくりと頷くと、「ちょっと覗いて行ったら?」「仕事中なんで」「ちょっとぐらい構いやしないさ」の予定調和なラリーが続き、

 「じゃあちょっとだけ」と棚の前に進む。二人は早速袋からコーヒーとたまごサンドを取り出して、何やら小難しい話に講じていた。

 文芸、哲学、詩歌集、絵本、実用書、漫画、ライトノベル……新刊も古本も、本の数はそれほど多くないけど、ざっと流し見しただけでも店主が好きなものや、本を大事にしていることがわかる。

 本棚には、店の、主の、思考や思想、売りたいもの、推してるもの、なんかが表れている。と思っているし、実際そうだと思う。それぞれ店によって、その傾向が変わるから、本屋はどれひとつとして同じ店舗はなく、故にどこに行っても楽しい。気がつくと没頭して本漁りしてしまっていた。スマホがブルブルっと震えるので我に帰った。陽毬さんからの着信。肝が急転直下で氷点下まで冷える。慌て急いで店を後にする。「陽毬さんには僕からも弁解しとくから」と後ろから店主。お礼を言ってそそくさと店を出る。本棚の通り、いい人だ。また折を見て伺うことにしよう。

 自転車を全速力で漕ぐ。嬉しさとヒヤヒヤが同居して、心臓の鼓動がおかしくなりそうだ。単に自転車の漕ぎすぎで息が上がっているだけか。智頭石油のところの交差点の信号が、青になる。京橋を渡り、疲れたので少しケイデンスを落とすと、千代川の夕景が、僕の心境とは裏腹に、和やかに流れていた。

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