第四話「君のためにできること」


 智頭駅から正面の道をまっすぐ進み、土師川を渡った信号を過ぎると「喫茶 桂」はある。僕のバイト先であり、過疎った智頭町の数少ない憩いスポットでもある。外壁はほぼ植物に覆われ、怪しげな雰囲気が漂っているが、それがかえって隠れ家的で趣深くて良い。道路沿いの壁伝いに鉢が置かれ、植えられた蓮の花が、夏頃になると綺麗なピンク色の花を咲かせる。喫茶店だが、夜も営業しており、こうして僕もバイトに勤しめるわけだ。入り口横には黒板のメニューボードがイーゼルで立てられており、ボード上部のスペースには「店内禁煙。ペット入店禁止。特に犬‼︎」の断り書きがでかでかと書かれている。

 青寄りのターコイズブルーの扉を開ければ、右手に智頭町の特産品である慶長杉を使った立派なカウンターテーブルが目に入る。おひとり様や常連さんは大体このカウンター席に座る。テーブル席にも慶長杉が使われており、二十席程の店内には、窓辺や部屋の隅、テーブルの上などに観葉植物が所狭しと並んでいる。陽毬さんがまめに世話しているけど、なんていう名前の観葉植物達なのかは全くわからない。一度陽毬さんに聞いてみたことがあるが、呪文みたいなカタカナのものばかりで馬耳東風してしまった。

 とまれ、小さな頃から両親に連れられて、桂でモーニングを食べたり、友人とだべったりしていたわけで、ここで過ごしたかけがえのない思い出を数えると両手両足の指では足りない。僕にとって第二の家のような、思い入れのある場所である。

 そんな我がセカンドハウスには今、我が友、三田川と、我が、我が何だろう、な天子が居る。二人は店の一番奥のテーブル席で向かい合い、三田川がひたすらドギカ☆マギカしている。つまりドギマギをひたすらループしてる。髪はワックスでかっちりキメ込み、ブレザーのネクタイもしっかり締め、身だしなみを整えているはいいものの、勇み足感は否めず、忙しなく鼻をかいたり、あたりをキョロキョロ見渡したり、「今日はいい天気ですね」「そうですね」なんていう面白みのない会話を繰り広げたりしている。二十分ほどしか経っていないのに、コーヒーはもう三杯目だった。売り上げに貢献してくれてありがとう三田川。一方の天子は、相変わらず出されたお冷にもコーヒーにも手をつけず、ひたすら三田川をいなしている。事態は平行線で糠に釘、暖簾に腕押し状態だった。

 「そろそろ助け舟出してきてあげたら?」見るにみかねたのか、陽毬さんが僕に言ってくる。三田川と天子については、僕の知り合いだと伝えていたので、気を遣ってくれたらしい。

 「でもまぁ、仕事中なんで」

 「今の所ヒマだから別にいいわよ。行ってらっしゃい。見てられないわ」

 「あいつも自分で頼んで来た癖に、意気地がないんだから」

 学校で昼休みに三田川には連絡しておいた。数秒で返信が来て、「李忠成」とだけ書かれていた。了解の意だろう。了解を省略して「り」、転じて「李忠成」。こう書くことに特に意味はないんだろう。合点承知の助みたいなことだ。俺じゃなきゃボレーシュートしちゃうね。

 「まぁ誰だって緊張するわよ、あんな娘が来たら」

 「綺麗な子ですもんね」

 「まぁ、それもあるけど……」陽毬さんは少し含みのある言い方をした。何か天子の正体について勘付いているのかもしれない。女の勘みたいなやつだろうか。何にせよ、せっかく来てもらったし、売り上げにも貢献してもらってるから、三田川に助力してあげてもいいか。ん? でも、今日は天子と宝珠の件を話したかったのだが、三田川がいるせいで切り出すことができない。あれ、三田川早く帰らしたほうがよくない?

 「じゃあちょっと休憩もらって、行ってきますね」と断りを入れると陽毬さんは「行ってらっしゃ〜い」と手をひらひらして送ってくれた。=(平行線)の具体化の様に硬直した雰囲気のテーブル席に進んでいく。せめて≠くらいの雰囲気になればいいが。≠の雰囲気とは?

 「それで、どこまで話は進んだの?」三田川の横に座り、対面の天子のほうを向き、適当に話題を振る。三田川をチラッと見ると(助かった〜)みたいな顔をしている。本当に何をしに来たんだろうこいつは。昨日の「俺にも春が……」とか言ってたポジティブな根拠のない自信はどこに行ったのか。共学とはいえ、ほぼ男子校な鳥工では、女子に対する免疫をつけられないのかもしれない。紛れもない顔面強者とサシで接する機会なんて皆無だろうし。それは僕も共通しているのだが……。それに、うちも共学だけど、僕のぼっち加減に比べれば、三田川のほうが幾分かマシだと思うのだけれど。何で三田川そんな喋れなくなってしまうのん? 天子は笑みを絶やさずにいるが、それが逆に怖い。一応スマホで「友達紹介したい。今日桂に一緒に来てもいい?」と聞いて「いいよ」と了解を得たとはいえ、宝珠の件が切り出せないうえ、こんな意気地無しに付き合うのは癪なのかもしれない。申し訳ない。

 「健治君がバイトしてる姿素敵だね、って話をしてたのよ」僕の適当な振りに、天子も適当に返事する。

 「そ、そうそう」

 「そのエプロンとか、喫茶店のマスターみたいじゃない」エプロンは緑色の首掛けタイプのもので、端的に言うとスタバっぽい。陽毬さんは茶色のエプロンをしている。トップバリスタってこと? とことんスタバのシステムかよ。

 「格好だけはね。コーヒー淹れるのは陽毬さんの仕事だし。僕は持ってくだけだよ」

 「働く男の子っていいよね。秀明君は、バイトとかしているの?」天子は誰に対してもファーストネームで呼ぶようだ。何だか少しモヤッとした。僕だけじゃないんだ。まぁ別にいいんだけど。別にね。

 「オ…、自分は、バイトとかはまだしてないっス! 無職っス!」三田川は天子に名前呼びされて舞い上がりすぎて、矛盾を指摘しまくって不利な裁判を逆転していくゲームの刑事みたいな口調になっていた。意義あり!

 「無職って(笑)学生じゃないの」すぐさま矛盾を指摘する天子。意義なし!

 「学生は無職みたいなもんっス! そしていずれ無職になる予定っス!」

 「働きなさいよ」

 「待った! この理屈でいくと、進学するって意味なんじゃない?」

 「無職に進学するっス!」

 「何を言ってるのかさっぱりっス」タハ〜と眉をハの字にして肩をすくめる天子も、三田川の糸鋸刑事口調が移ってしまってるっス。

 「……いつまでやるんだよこれ」

 「いやー、戻り方わかんなくなっちゃって」とコツンと頭を小突く天子。あざといな。

 茶番がひと段落したところで、三田川は「ちょっとお花を摘みに行ってくるっス」と席を立つ。「3番はそこ真っ直ぐだよ」と場所を示すと、三田川はそそくさとトイレに向かう。まぁあれだけコーヒーをがぶ飲みすれば、さもありなん。三田川の後ろ姿を見送って、天子が僕に向き直り「面白い子ね」と言った後、目上の人がいる前でチャミスルを飲むみたいに、口元を隠して、横を向き、水を一口飲む。

 「ごめん、あいつがどうしても紹介してくれと聞かなくて」

 「別に構わないわ。若い人間と戯れるのもたまにはいいわね。むしろ仕事中に来てしまった私のほうが申し訳ないわ。今考えれば、終わった後でもよかったんだけど……。それで、宝珠の件だけど、ここの店主に宝珠発見の手伝いをしてもらうわ」

 「店主って、陽毬さん?」

 「陽毬……今はそう呼ばれているのね」

 「知り合いなの?」

 「まぁ、一応ね」天子は奥歯に物が挟まったような言い方をして、チラと陽毬さんのほうを見た後、さらに続ける。

 「三人で話がしたいわ。私が秀明君を適当に撒くから、その後、時間を作れないかしら。陽毬…さんも協力してくれると思うわ」

 「まぁ今日はそんなに忙しくないし、店も二十二時には終わるから、そこからならいけると思うよ」柱にかかっている振り子時計を確認すると、十九時を過ぎたところだった。

 「そう、じゃあそんな具合でよろしく頼むわね」

 「三田川に付き合ってもらったしね」

 「秀明君には、健治君が私を探し出すというミッションを与えた功績があるから、これくらいは訳無いわ」

 「あいつ、君が狐だって知ったらどんな顔するだろう」

 「さぁ、ロングシュートでも決めるんじゃないかしら」

 そんな事を言っていると、あともう十五秒でこのままじゃ三十五連敗顔の三田川がトイレから出てきた。まるで謳うイルカみたいだ。どんな顔だよ。

 

 *

 

 それから僕は仕事に戻り、三田川は変わらず糸鋸口調が抜けず、語尾に「っス」を付けながらぎこちない会話を繰り広げ、それに天子は適当に愛嬌を振り撒いて返事をしていた。

 三田川と天子はその後、数十分ほど二人きりで会話して帰っていった。会計は三田川が天子の分も払っていたが、喫茶店ではあまり見ない金額になっていた。天子のせいではなく、単に三田川がコーヒー&シガレッツのビル・マーレイぐらいコーヒーを飲み過ぎたせいだが。

 二人が帰ると、急に店内は静まり返り、いつもの和やかな空間が戻ってきた。しかし僕は天子から告げられた事で、もやもやとしていた。その主は、フンフンとご機嫌な鼻歌を吹きながらお皿を拭いている。

 陽毬さんは天子とどんな関係なのだろうか。まぁ状況を踏まえて考えれば、陽毬さんも妖狐なのかもしれない。とはいえ、陽毬さんには、天子のような尻尾や耳は生えていない。僕なら妖狐の狐っ娘ルックを暴けるはずだ。ならやっぱり陽毬さんは普通の人間なのかもしれない。単に昔、陽毬さんと天子はひょんな事で知り合いになり、仲良くはないまでも顔見知りくらいの関係性で、互いの生活圏の端っこと端っこで、交わらないように生きてきただけなのかもしれない。

 「私と彼女が知り合いだったのか気になる?」突然陽毬さんに核心を突かれて、拭いていたソーサーを落っことしそうになったが、すんでのところで持ち堪えた。危ねぇ。

 「知り合いだったんですか?」

 「そうねぇ……」陽毬さんは遥か遠くの時間の中にダイブしているかのように目を細めて、どこでもない遠くを眺めていた。

 「話せば長くなるし、それに、彼女もまた来るんでしょ? その時にタイミングがあれば話すわ」

 「あの娘がまたここに戻って来るって言いましたっけ?」

 「彼女がここに来るって事は、男の子をはべらすためだけに来たわけじゃないってことぐらいはわかるわよ。まぁ今日は夜も暇そうだから、早めに閉めてしまいましょ。帰りが遅くなるといけないし」

 そーっすねと返事して業務に集中する。会話の終わりに示し合わせたかのように、ちょうどカランカランと入り口のベルが鳴り、新規のお客さんが入って来た。陽毬さんとアイコンタクトしてすぐ「いらっしゃいませ」とお客さんの応対に入る。さて、もう一踏ん張りしますかね。

 

 *

 

 振り子時計のボーンという時報の鐘が鳴り、確認すると二十二時。天子と約束した時間だ。結局二十一時くらいには客も捌けてしまって、締め作業をしていたので、天子の受け入れ態勢はバッチリだった。

 入り口の看板をオープンからクローズにひっくり返し、メニューボードを片そうとした折、ふと思った。天子はどこで待っているのだろう。閉店時間は言っておいたので、もう近くに来ているかもしれない。そう思い、店の外を左右キョロキョロ眺めていると、後ろから「誰か探してるの?」と声がしたので「えぇ、ちょっと女の子を……」の“を”の口で声のほうに振り向くと、天子だった。

 「…っくりしたー」思わず後ろに仰け反って、倒れそうになっているのを天子が掴んで戻してくれた。天子はケタケタ笑っていた。これが三田川だったら一発殴っていたかもしれない。どんなカラクリを使ったんだろう。まぁ妖術の類か。平静を取り戻すために当たり障りない質問をする。

 「どっかで待ってたの?」

 「ううん、ずっとここにいたよ。気配は消していたけど」

 「中で待ってれば良かったのに」

 「入れてくれなかったのよ、彼女が」そう天子は言って、僕の後ろに視線をやる。振り返ったその先には、手をひらひらさせている陽毬さんが玄関口に立っていた。表情からは本音や内心といったものが伺えない。ただ少し機嫌が悪そうな感じがした。

 「いらっしゃい」

 「さっきも来たわよ」

 「そうねぇ、コーヒーに毒を盛っておいたのに、口をつけないんですもの」

 「私が人前で滅多に飲み食いしないの知ってるでしょ」

 「そうね。水にも入れておけば良かったわ」

 「毒が入ってないから飲んだのよ」

 「あの……会話が物騒なんですけど……」たまらず会話に割って入る。え、毒入れてたん? いや毒って何? 一般人が普通に毒とか持ってる? そして盛る? 比喩表現とかじゃなさ……そうだな。陽毬さんは嘘偽りのない澄んだ目をしてこちらを見つめている。濁ってて欲しかったよ。

 「ちなみに何の毒ですか?」なぜそんな劇薬を持っているのかは、もう考えることをやめた。

 「ストリキニーネ」聞き慣れないカタカナワードが出てきたので、スマホをポケットから取り出して調べる。アロエリーナならわかるんだけどな。「現代人ね〜」と陽毬さん。「そんなこともできるのね、スマソって」と天子。ググったらしっかりストリキニーネのウィキペディアのページが出てきた。開いてしばし画面をスクロールする。

 「ゲ、これ青酸カリより強力なやつじゃないですか」劇薬と名乗るレベルを優に越してるレベルの激ヤバポイズンだった。服毒したら本当に言いたいことも言えなくなるーネ。

 「ほら、うちのコーヒーってちょっと苦味が強いじゃない?」陽毬さんが唐突に言う。

 「えぇ、そこが美味しさの秘訣ですよね」

 「あれはね、『ヒトオモイニーネ』という独自精製のポーションを入れてるからなのよ。材料は主に無毒化したストリキニーネ」

 「無毒なのに殺す気満々のネーミングですね」

 とはいえ、確かにストリキニーネは、医療用として苦味健胃薬、強精剤として使用されることもあるらしい。であれば、桂のコーヒーの少し強めな苦味も頷ける。医療用以外なら、殺鼠剤や害獣駆除剤、興奮剤としてドラッグ的に使われたこともあるっぽい。ウィキより引用。

 「ほら、あそこにマチンの木が見えるでしょ? あの木から採れる実で、ヒトオモイニーネを精製してるのよ」店の外にある見慣れた樹木を陽毬さんが指差した。うわー、あれだったんだ。少し小さいビリヤードの5番の球みたいな実をつけて、実の中にはアフリカ人が見様見真似で作った錆びた鉄屑製のシンバルみたいな形の種があるやつの木だなぁ、くらいのイメージだったんだけど。

 「多分何かの法に触れますよ」

 「あんたまだ根に持ってるんだ」と二人して陽毬さんにドン引きする。根にもつとかは何のことか僕にはわからないけど。昔なんかあったんだろうな。

 「うるさい。この世の鼠という鼠は私が駆逐してやるのよ」陽毬さんが進撃の巨人のエレンみたいになってる。じゃあヒトオモイニーネは反撃の嚆矢だ。ってコト?

 「立ち話もなんですし、そろそろ中で話しませんか」

 「そうしましょ」二人で陽毬さんを見る。

 「わかったわよ。どうぞ、いらっしゃい」

 三人でようやく店内に入っていく。チラっとマチンの木を見る。実をつけるのはまだまだ先のようだ。何だか胃がキリキリするのは気のせいかしら。それともヒトオモイニーネのせいかしら。いや、多分今から殺伐とした会話に参加しなければならないストレスのせいなんだと思う。どうなることやら。聞いてアロエリーナ、ちょっと言いにくいんだけど、持病の仮病が辛いの〜。聞いてくれてありがとうアロエリーナ。うぅ、帰りたい。

 

 *

 

 三田川が来た時と同じ、店の一番奥のテーブル席に三人で座る。奥に陽毬さん。手前に僕と天子。テーブルにはコーヒーが人数分置かれていたが、さっきの今で口をつける気にはなれない。怖い。

 「それで、結局なんの用なの?」陽毬さんは天子に単刀直入に聞く。いつもより声のトーンが低いし、顔も険しい。天子の事を怒っているのか苦手なのかわからないが、普段天女のような柔和さをふんだんにまぶしたような陽毬さんしか見覚えのないので、それが意外だった。

 「私の宝珠を探すの手伝って欲しいの」お構いなしにサラッと告げる天子。

 「大方そんな事だろうと思ったわ。私の薄く張った結界さえ破れないんだもの」

 “結界”なんて言う単語が陽毬さんの口から発せられるのを聞いて、はっきり理解する。陽毬さんも妖狐なのだ。ただ不思議と騙されていた悔しさというか、落胆みたいなものはない。少しびっくりしたくらいだ。例えるならマスオさんくらい。えぇーー、結構びっくりしてない?

 「場所に心当たりは?」

 「それがどこだったか、わからないの。場所自体はどこかの森だったと思うんだけど、それがどこの森だったのか、一向に思い出せないのよ。頭のなかの情景はありふれたものだし、なんなら森でさえないのかもしれない。その時の記憶が不鮮明なの。つまり、ほぼ手がかりなしってこと」

鳥取県の総面積のうち、七、八割は森林地帯である。その中から宝珠を探し出すなんて、鳥取県のほんの一部でしかない砂丘の中から、ダイヤを探しだすより困難なのは自明だろう。

 「落とした時のことは覚えてないの?」

 「気づいたら無かったのよねー」大事なもののはずなのに、呆気からんと言う天子にずっこけそうになる。陽毬さんは変わらず「いつから無いの?」と冷静に状況把握に努めている。大人だ。

 天子は陽毬さんに僕に説明したのとほぼ同じような内容のやり取りをし、陽毬さんは天子の言うことを静かに包むように聞いていた。先ほどまでの喧々した態度はどこへ行ったのだろうか。

話の中で、宝珠についてさらに詳しく知ることができた。陽毬さん曰く、宝珠は基本的には肌身離さず持つべきもので、何処かに置きっぱなしになどはしないため、失くすという事態自体なかなか起こらないらしい。クレジットカードや免許証のように再発行できる代物でもなさそうだし、他人のものは無意味。これ、本当に見つけられるんだろうか? 乗りかかった船だし、美少女の頼み事だし、なんとかしてあげたいが、どうしても見つけるヴィジョンが浮かばない。意気がどんどん消沈し、顔は色を失っていくように冷める。

 「あ、ちょっと! やる気無くしてなーい?」天子が察して僕に言う。

 「だってさ、これ、ちょっと無理ゲーじゃない」

 「そんな事ないわよー、だってほら、ここには健治君と、おとん女郎がいるんだから」

 聞き慣れない紹介で、おとん女郎って誰? となったが、消去法的に陽毬さんしかいない。陽毬さんの妖狐ネームなのだろうか。妖狐ネームて何? 源氏名みたいなやつ?

 「やめてよ、そんな昔の話。今は喫茶桂の美人マスター桂陽毬で通してるんだから」

 「言ってて恥ずかしくないの? 人間に媚びた容姿になるために妖術を磨くなんて」

 「あんたに言われたくないわね。この店を守るためには仕方がないのよ」

 「必死ですこと。亡き旦那の忘れ形見?」

 「喧嘩を売っているのなら買うわよ。今なら私のほうが妖力も上だし、捻り潰してやるけど」

 「あんたの弱っちい妖力なんて、今の私の妖力でちょうどいいハンデだわ」

 「上等だわ、表出なさいよこのショロショロ狐が」両者ガタッと席を立つ。陽毬さんの体の周りからオーラのようなものが滲み出していて、耳飾りの中の宝珠は光り、先ほどまではなかった尻尾と耳が逆立っている。臨戦体制、ということだろうか。いつの間にか二人ともめちゃくちゃに妖狐ルックになっていた。天子は宝珠がないので、別段オーラ的なものは見えないが、それでも態度に余裕があり、口もとには笑みを浮かべ、強者感がある。数秒続く睨み合い。前言撤回、やっぱり全然仲良くない。修羅場だ。聞いてマルゲリータ、ちょっと言いにくいんだけど、ほんともう、帰りたい。

 さらに数秒(僕にとっては何十分にも思われた)、二人は睨み合い、ジリジリと間合いを詰め合う。額に汗が伝う、喉がゴクリと鳴る、汗が顎に垂れ、これが床に落ちたら、闘いが始まってしまいそうだった。

 緊張が席巻する空間に、ケモ耳と尻尾のついた美女が二人、オロオロする男子高校生が一人、傍目から見るとなんなんだろう? 男の取り合い? 浮気バレ? なんにせよ穏やかではない。

しばらく睨み合いは続くかと思われたが、突然「ぷっ」と天子が吹き出す。

すると陽毬さんもつられて吹き出し、二人は爆笑しだす。一体何が起こったのか、数秒わからなかった。

 「なーんてね。ま、冗談なんだけど」と、陽毬さん。天子もニヤニヤ笑っている。状況把握が追いつかない。何? 怒ってなかったってこと? 芝居だったってこと? なんだよもう。

 「びっくりした?」

 「いやびっくりっていうか、……まぁはい、びっくりしました」

 「イェーイ、健治君をびっくりさせよう作戦成功ー」と二人はハイタッチしている。何? ドッキリ? びっくりとかよりガチ喧嘩始めなくてよかったーと胸を撫で下ろす。よかったー。

 「実は普通に仲良しなのよ」と天子。陽毬さんも頷く。

 「え、じゃあ今までのやりとりって?」

 「うん、それもお芝居だよ。面白いかなぁと思って。やっぱり人がびっくりしてる顔見るの好きなんだよね」さらっと告げる天子。頷く陽毬さん。芝居。久々の再会みたいなのとか、宝珠のくだりとか、え、芝居? 凝りすぎだよ。狐の悪いところ出てるなー。

 「ごめんごめん、まぁ宝珠の件とかはほんとだから。私が本気の妖術使えないぶん、彼女にサポートしてもらおうと思って。健治君とはちょうど知り合いだったし、都合がよかったわ」

 「二人で見つけたりはできなかったの?」

 「できなかったのよね〜。私の妖術で探知かけても全然引っかからないのよ」陽毬さんが答える。

 「陽毬さんで無理なら、妖狐でもない僕なんか余計無理では?」

 「そこはそれ、私を見つけた時みたいなミラクルを起こしてくれたらいいから」

 「そんな適当な」

 「まぁ見える時は見えるし、見えない時は見えないわよ」

 「何当たり前なことをさも名言っぽく言ってるんですか」

 「ま、とにかくそういうことだから。三人で協力して私の宝珠探し出しましょうね」

 「こっちに旨みが全くない提案だ」

 「もう、わかったわよ。じゃあ宝珠を見つけてくれてら、健治君の願いなんでも一つ叶えてあげる」

 「なんでもって、なんでも?」

 「もちろん」

 「じゃあ私旦那生き返らせてもらう〜」横で陽毬さんが言う。

 「それは空狐レベルじゃないと無理よ」

 「妖狐って死者蘇生できるんだ」

 「まぁなんていうか、厳密に言うと死者蘇生とはシステムが違うんだけど、おおよそ似たようなことができる。……みたいな?」

 「めっちゃ大雑把だ」

 「説明難しいのよね。私ができるわけじゃないし」

 「まぁ別にどっちでもいいんですけどね」などとつらつら談笑モードで話していると、「…さ、もう時間も遅いし、宝珠探しは明日から頑張りましょ」とパンと手を叩き、陽毬さんが言う。柱の掛け時計を見ると十一時になっていた。「そうね」と天子も首肯し、テーブルを片付け、消灯し、店を出る。陽毬さんが手を振り、天子と僕はそれぞれの道に分かれ、家路を行く。

 一人きりになり、ラジオを聴きながら自転車を漕ぐ。常識はずれの出来事が次々に起こっているのに、もはやそれに慣れ始めている。これ以上のアンビリーバボーな出来事は起こりそうもないし、奇跡というのは遭遇すると案外呆気ないものなのかもしれない。と思うのは、僕の捉え方、感受性だ。他の人なら、この現状をどう捉えて、どう動くだろう。しかしまぁ、僕を知る誰かが今の僕を見れば、僕はその人の予想する通りの行動をしているだろう。どれだけその思惑から外れようとしたって、宿命とも呼べる、一筋の線のような人生に結局は束ねられていくのだろうし、僕も、他の誰かも、その枠から逃れられないのかもしれない。なんて気の遠くなることを考えていると、ついラジオの内容がすっ飛んでしまう。タイムシークバーを巻き戻し、また聞き覚えのあるところから聞き始める。数分聞いて、巻き戻しすぎたのに気づく。そんな緩やかなタイムループの最中、チラッと見上げた夜空に、手を伸ばせば届くかのような、大きく光る星が煌めいていた。さすが星取県。

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