二章

第三話「青春を切り裂く波動」

 

 鳥取駅北口を出て、目の前の地下道を降りてまっすぐ進み、階段を登ったほうが断然早いエスカレーターでゆっくり上がっていくと、栄町にあるサンロードという商店街に辿り着く。飲食店や美容室、個人商店などが立ち並び、人の行き交いはまばらだ。

 そこに「ビリー・ウエスト」という喫茶店があり、高校生の溜まり場になっている。安価なのが高校生の懐に優しい。鳥取駅の南口にはスタバもあるが、スタバはちょっとソワソワする。

 やはり純喫茶のこの雰囲気が好きだな、僕は。趣深いメニュー表、装飾、テーブルクロス、シンプルなカップ、真っ白な飾り気のない皿。どこにでもあって、どこにもない感じ。定型の中の微妙な違いを楽しむのが、案外日本人気質っぽい。コーヒーの味は、さすがに陽毬さんが淹れたものに比べたら数段劣るが、それでもビリー・ウエストのコーヒーも悪くない。ホットケーキ、スパゲティなどの定番フードメニューに加え、チャーハンなんてものもある。デザートもパフェ、あんみつ、プリンア・ラ・モードなどそれぞれバリエーションが豊富で目移りしてしまう。喫茶店は、こういった独自性が面白い。個性と自由ではみ出していて、店舗毎に違う顔があるから、また別のところにも足を運びたくなる。高校生のうちに鳥取県内にある喫茶店をコンプリートしてみようかしら。題して「片っ端から喫茶店ツアー・イン鳥取」。

 などと喫茶店に対する情熱を脳内再生し始めてから十数分。注文の時以来、対面の相手と会話をしていない。他のお客が時折チラチラこちらを見てくるが知ったことではない。気まずさの極地だ。

 相手は注文したものに一切手をつけず、慄然と姿勢よく座って、こちらが話すのを待っているような顔をしている。狐のような耳や、四本に分かれた尻尾が、時折本物のようにピクピク、ファサァと揺れている。アガトンの振り子時計がコツコツと鳴り響く音が、早く会話をしろと急かしているように聞こえる。聞きたいことは山ほどあるのだが、 うまく言葉が出てこない。とはいえ、時間は有限だ。はぁ、何から切り出そうか……。


 *

 

 時は一時間前、謎のケモ耳女子との邂逅を果たした僕は、疑問の洪水に飲まれて溺れそうになっていたところ、「喫茶店に行きたくない?」とその女子が唐突にボソリと言ったのが聞こえ、僕はすんでの所でギリギリ藁を掴みこう言った。

 「い、いい店知ってるから、一緒に行く?」

 その誘い文句に彼女は「うん」とだけ返事をし、現在に至る。これは逆ナンなのだろうか。いや、アクションを起こす言葉を放ったのは僕だから、誘導逆ナンか。サッカーで言う擬似カウンターみたいなこと? 多分違うな。

 「それ、美味しい?」

 また唐突に、彼女は僕の頼んだコーヒーを指して尋ねる。

 「うん。君も飲んだら?」

 「他の人がいるところで食事するの、苦手なんだよね」彼女はにこやかに答える。じゃあなんで「同じので」って僕と同じコーヒー頼んだんだよ。意味がわからない。まぁ電波な彼女のとっぴな設定か何かだろうと勝手に納得して話を続ける。

 「知ってるだろうけど一応自己紹介。尾崎健治です。オザキじゃなくて、オサキね。君の名前は?」

 「千歳飴のチトセに、天使の子と書いてアマネ。あまねく全ての人々に可愛いを。がモットーの千歳天子です。健治君には、天子って呼んでほしいな?」

キュルルンと上目遣いで言われて、ついガードが緩む。く、負けない。

 「質問、いいかな?」天子は「どうぞ」と手のひらを僕に向ける。

「まず、数週間前の朝、僕の友人が君を汽車で見かけたらしいんだけど、それは君?」

 「ええ。間違いなくそれは私よ」

 「その耳とか尻尾ってどうなってるの?」

 僕の質問に、天子の耳はビクンと剃り立った。

 「やっぱり、健治君には見えるんだね。他の人にはこの耳とか尻尾は見えないんだよ」

 「にわかには信じがたいね」

 「本物だってば。そんなに信じられないなら触ってみる?」

 「え? いいの?」

 「本当はイヤだけど、健治君なら、いいよ」天子は恥じらいながら言ってくる。これは危ない。新手の美人局(つつもたせ)かも知れない。とは思いつつ、衝動は抑えきれない。僕は天子の敏感な所に触れようと腰を浮かし、手を伸ばす。手は微かに震えていた。彼女の狐のような耳に触れる。柔らかく、筋はしっかりと硬い。血の巡り、緊張、質感、存在感、毛束感、それらは本物の耳のようにあった。「ひゃん」と声をあげる天子は恥ずかしそうに顔を手で覆っている。なんだかイケナイ事をしている気持ちになる。

 「この状況、他の人にはどう見えてるの?」

 「か弱い美少女の頭付近の空を撫でて、デレデレしてる、気が触れてしまった哀れな男子高校生ね」と言われ即座に手を引っこめる。そう言うのは先に言って欲しいな。

 「尻尾も触ってみる?」天子は冗談めかしく言ってきたが、丁重にお断りした。

 「驚いた。本物だね。こんな精巧な耳作れるわけないし、周囲が騒いでないことにも合点がいく。って事は何なの? 狐っ娘ってこと? 人を化かしたりする?」口ではそう言ったが、半ば冗談だった。本物の狐っ娘なんていないに決まってる。全部良く出来たコスプレだ。

 「ええ。まぁ今の状況だって、健治君以外はみんな化かされてるとも言えるわね」

 「なるほど。じゃあ民間伝承的な化かし方は? 田んぼを川に見せたりとか、尻尾を大根に見せたりとか」

 「幻覚的なやつね、まぁ出来ない事はないけど、必要性がなければやらないわ」

 「何で僕は見えるの?」

 「んー……企業秘密!」

 「事業者かよ。組織で動いてるってこと?」

 「ううん、狐の世界は基本個人事業みたいなものね。狐は二種類にわけられるの。野狐か、野狐以外か。狐の大半は野狐、つまり霊力が低く、イタズラをするような狐は大体野狐ね。それ以外の善狐だけが、ランクアップすることができる。ランクアップは加齢と霊力修行によって行われ、大抵の善狐は五十歳を過ぎてから修行を始め、阿紫(あし)霊狐となる。百歳で地狐、五百年で気狐となり、千年で天狐、三千年で最上位の空狐となるの。階級が上になればなる程、霊力も強くなる。わかりやすいでしょ」なる程、割としっかりした設定だ。

 「天子はどのランクなの?」

 「私は名前の通り、天狐ね。まぁ何にせよ、健治君が私を見つけてくれたのは暁光だわ」

「どうして?」

 「私たち妖狐は、通常、宝珠という術具で、妖力と妖術を媒介して妖術を行使するんだけど、恥ずかしい話、宝珠をどこかに無くしてしまったの。それを探すのを手伝って欲しいのよ」

 「何でまた僕なんだよ」

「見えるから、よ。宝珠を見つけることができるのは、妖狐の姿を見ることができる人じゃないとダメなの」

 「他の人にも天子の姿は見えてるじゃないか」

 「健治君以外の人間には、私の妖術で見せてるのよ。健治君の友達にも同じ方法で姿を現したわ。あの時健治君はまだ、私が見えてないようだったから」

 「宝珠? がないと妖術が使えないんじゃないの?」

 「天狐の妖力を甘く見てもらっては困るわ。まぁこれでも二割使えてるか怪しいくらいなんだけど」

 「天子が相当強キャラってことはわかったよ。その宝珠ってのは、どう探せばいいの?」

 「うーん、それがわかってれば苦労しないのよねぇ」

 「前言撤回。ポンコツかも知れない」

 「ちょっと! でも、健治君なら必ず宝珠を見つけてくれると思うの。ほら、ここ。健治君の鞄に、妖狐の宝珠がついてるでしょ? 私の宝珠もこれに似た形をしているの」

 天子の指先を辿って見れば、鞄のチャックのところに、百円玉程の水晶が紐で下げられたキーホルダーがついている。水晶は透明で、玉の上部が少し角ばったような、早い話がドラクエのスライムのような形だ。小学生? いや、ひょっとするとそれよりも前から持っていたような気がするが、どこで手に入れたのか、いつから鞄につけているのか、記憶は曖昧だった。少なくとも小学校高学年くらいには、ランドセルにつけていたような気がする。

 これが妖狐の宝珠? まさか。

 「そのまさかよ。それは紛れもなく妖狐の宝珠。ちなみに私の宝珠は深い赤色で、ネックレスにしていたの」顔にしっかり心の声が出ていたらしい。何も言ってないのに天子は答える。しれっと大きさマウントもされた気がする。

 「何で妖狐の宝珠なんか持ってるんだろう」

 「……さぁ、そこまではわからないわ。でも、妖狐の宝珠を持ってるってことは、健治くんが妖狐と深い関係にあるってことよ」

 「じゃあ僕にも妖術が使えるってこと?」なら多重影分身の術とかお色気の術とかやってみたいってばよ。

「健治くんは妖狐じゃないから無理ね」天子の容赦ない否定で、僕の幻想は一瞬で立ち消える。

 「なんだ、残念。じゃあこの宝珠を天子に渡せば、問題解決かな?」

 「残念ながら、その宝珠は私には使えないわ」

 「どうして?」

 「持ち主にしか使用できないように、強力な術で封印されているの」

 「スマホの指紋認証とか顔認証みたいなこと?」

 「スマソ? あ、スマソね。モチロンシッテルワ、そう、そのスマソの認証みたいなことよ」

 「スマホはそんなネット民が軽く謝る時みたいな物じゃないよ。コレの事だよ」と制服のポケットからスマホを取り出して、天子に見せる。

 「へー何コレ? 何する機械? ひらたーい」と天子は目を輝かせながら興味津々に尋ねてくる。尻尾がファサファサと揺れている。わかりやすいな。

 「やっぱ知らないんじゃん」

 「し、知ってたし。知らないふりしてあげただけだし。で、何する機械?」

 「遠くの人と会話したり、写真撮ったり、ゲームしたり動画見たり、まぁ色々できる便利な機械」

 「何それ妖術じゃん。人間怖ぁ。私にもスマソ、使えるかな?」

 「さぁ。ただ、僕のスマホは天子には使えないよ」

 「どうして?」

「持ち主にしか使用できないように、強力な妖術で封印されているから」と天子の声真似をしながら言う。

 「もう! 馬鹿にしてるでしょ!」と天子はプクッと頬を膨らませる。あざとさが鼻につくが、それを顔面力が突き抜けて、いっそ清々しい程に可愛い。何それ妖術じゃん。……うん、妖術なんだけど。

 「お客様、そろそろ閉店のお時間でございます」

 と店員さんに声をかけられ、話が遮られる。もうそんな時間か。時計は一九時を回っていた。周りを見ると、僕ら以外の客は既に帰っていた。「帰ろうか」と天子に促して、会計に向かう。テーブルを一瞥すると、口をつけずにいたコーヒーが、冷めた表情で鎮座していた。

 

 *

 

 ビリー・ウエストの入り口を出たところで、天子はペロッと舌を出し、手を合わせる。

 「ごめんね、奢ってもらっちゃって」

 「飲んでもないコーヒーにお金を払うなんて、馬鹿みたいだ」

 「まぁまぁ、アイドルの握手会だと思えば安いものじゃない」

 「何でそういうことは知ってるのに、スマホは知らないんだよ」

 「興味のないことはからっきしなんだよねー。でも今日興味出た。スマソ明日には用意しておくよ。宝珠の件、また連絡するね」スマソ直らないなぁ。

 「まだ連絡先も交換してないのにどうやるのさ?」

 「それは明日のお・た・の・し・み」天子は悪戯を仕掛ける子供のような表情でクリステる。

 「わかった。楽しみにしておくよ。家はどっち? 送っていくけど」

 「大丈夫。一人で帰れるから。じゃあね!」と天子は手を振って、サンロードの北側、駅とは逆方向にパタパタと走っていく。「じゃあなー」とは言いつつ、向かった方を遅れて辿っていく。天子は、サンロードの屋根の切れた道を左に曲がる。

 しかし、僕がその角を曲がった時には、天子の姿は既に消えていて、まるで千歳天子などはじめからいなかったかのような、普段通りの車の行き交いと、一九二号線があるだけだった。

 

 *

 

 いつもより長い因美線の帰路を終点まで寝て過ごし、智頭駅を降りた頃には、空に星が煌めいていた。

 智頭町は、鳥取県の東南に位置する人口六千人程度の町で、町面積のほとんどは森に囲まれ、江戸時代は参勤交代の宿場町として、明治以降は林業の町として栄えたらしいが、僕からすれば何もない、どこの田舎風景とも変わらないような町だ。杉と石谷家住宅くらいしか特筆する点が無い。花粉症の人間からすれば地獄かもしれない。とはいえ、空気が澄み、こうして燦然と広がる満点の星空を見ると、智頭町の町花である満天星(どうだんつつじ)の存在にも頷ける。ちょうど見上げたところに咲き誇る無数の可憐な花々は、この空の象徴としてぴったりだ。

 スマホで時間を確認すると二十時を過ぎた頃。遊びか部活か塾帰りかわからないが、鳥工、鳥商、農林、東高、百舌鳥高……色んな制服の学生が数十人、迎えの車や徒歩、自転車なんかで散りじりになっていく。その姿をぼんやり眺めて、自分も帰ろうと足を踏み出した。

 今日は一度に情報を詰め込み過ぎた。脳がこんがらがって渋滞している。深く息を吸って気持ちを落ち着ける。

 すると、突然後ろから肩を叩かれる。折角整えた息は、びっくりして無駄になった。

 振り向くとそこにいたのは三田川だった。鳥工の紺色ブレザーの制服を着て、少しダボついたサイズを着ている。中学生じゃあるまいし、伸び代を見越してそうしている訳では無いのだろう。おしゃれか? うーん、わからん。

 「遅いな、今帰りか?」

 「そうだよ」と言った後、そういえば、三田川に報告し忘れていた事を思い出した。とはいえ、言いあぐねる。あ…ありのまま今起こった事を話すぜ、実は、お前が探してた美少女は、狐だったのだ! 幻〜。などとは言えない。こっちの頭が疑われてしまう。しばし考え込んでいると、「彼女見つかった?」と僕の心のやらかいとこをついた質問を投げかけてきた。もう言うしかないか。

 「あ、うん……いや、実は今日、見つかったんだよ」

 「マジか! でかした‼︎ 連絡先は聞いたんだろうな?」三田川は静かな町内に響きわたらんばかりの叫声をあげ、僕の肩を掴みガタガタと振るわせる。痛い、痛いよ。

 「彼女、スマホ持ってないみたいなんだよ」

 「何だそれ、SNSフォローされたくない女子の『私アカウント持ってないんだよねー』見たいな常套句。そう言うやつは絶対裏アカまで持ってっから。ソースは俺」

 「悲しいエピソードトークだな。いや、どうやらマジっぽい。ちょっと彼女、世間ズレしてて。ちょっと電波系というか、オカルト好き、というかで……」と三田川に天子の事をはしょって説明する。

 「なるほど、問題ない。かわいいだけでじゅうぶんだ。それで、写真とかないのか?」

 「あぁー、撮ってはないなぁ」三田川、しれっとキューティーストリートへのアンサーソングみたいなこと言ってるな。

 「証拠がないなら報酬はお預けだな。報酬欲しさの作り話という線もある」

 「こんな話、嘘で話してたらヤバいでしょ」

 「どうだかな。お前中学の時、ずっと本ばっかり読んでたしな。作り話、得意そうじゃん」

 読書好きが嘘つきってどんな偏見だよ。僕は人生で一度も嘘なんかついたことがないというのに。などとボケようとしたが、それだと三田川の偏見を実証することになるので、誠実に答えるよう努める。

「明日、その子と会うんだな? 俺も同席したい。頼んでおいてくれないか」

 「聞いてみとくよ」

 「やっと俺にも春が、遅い春が来た……」三田川は目を潤ませていた。

 「気が早いな。まぁ明日また連絡するよ」

と言って三田川と別れた。駅のロータリー側にある駐輪場に向かい、置いていた自転車に跨って帰る。殺風景の中を、聞き逃したラジオを聴いて帰る。エンタメの唐揚げがあったら百個は食べそうなパーソナリティの話が、耳を浸水していった。

 

 *

 

 「おはよ、変態」

 「おはようございます、女王様」

 翌日の学校。ホームルーム前。小室様との『女王様と変態』。今日も変わらず平凡な日常だ。小室様が僕の後ろを通り過ぎると、最後のキスでも無いのに煙草のflavorがして、苦くて切ない気持ちになった。

 「なぁ、変態。……あんなやつ、うちのクラスにいたっけ?」

 「あんなやつ?……」小室様の視線を辿ると、思わずギョッとした。

 そこにいたのは、天子だった。

 天子は出会った時と同じスカート丈の短い、狐っ娘女学生の出立ちで、うちのクラスの生徒とキャラキャラ談笑している。まるで入学式から今日までの時間を共にした学友のように。それは少し奇妙に感じたが、まぁ妖術の類なんだろうと一人納得した。ピョコピョコ、ファサファサ動いている尻尾や耳が、僕にはガッツリと見えているが、誰も何も言及していない。他の生徒には見えてないんだろう。もしくは、そういうものとして受け入れられているのかもしれない。これはまぁ普通に前者の方か。

 昨日言ってたお楽しみってこれの事だったのか。確かにびっくりした。もう一つびっくりしたのは、小室様だ。

 どういう訳か、小室様には天子の妖術の影響を受けていないようだった。小室様には天子がどう見えているのだろう? 天子をどう視認しているのか、それとなく確認してみることにした。

 「よそのクラスの女子なのでは?」

 「よそのクラスにもいないよ。流石にあんな短い丈のスカートであんな顔のやつ、覚えてない方が無理じゃない?」

 確かにあんな美女、百舌鳥高中噂になってない方がおかしい。そして、まず真っ先に触れるであろう外見的特徴を何も言ってこないあたり、小室様も他のクラスの生徒同様、尻尾や耳は見えてないようだ。違和感を感じているのはどうしてだろう? 野生の勘?

 「何だろう、転校生でしょうか?」

 「転校生があんな打ちとけてるほうが怖いわ。私なんて、ミヅキと、あんたみたいな変態としか喋れてないのに」罵倒の中で、クラスに馴染めないのに悩んでいる事を、さらっとカミングアウトしている。意外と気にしてるんですね。孤高の人だと思ってたのに。何それ、ソロ登山とか好きそう。

 「貴重な女王様の話し相手になることができて光栄です」

「おう、褒美に靴でも舐めさせてやるわ。ってかアレさ、あんたが探してたやつなんじゃない?」小室様は、こちらに向いたまま、目線だけでチラと天子を指す。靴は今舐めた方がいいのかしら?

 「そうなんです。実は、昨日の下校中会いまして。一緒に、喫茶店に行きました」

 「な…。変態のくせになまいきだな」

 あれ、小生、盛りのついた豚野郎が女王様にお仕置きしてもらおうと群がるのを阻止するダンジョンマネージメントゲームの話なんてしてましたっけ? 久々に起動したら放置プレイ時間に比例してMポイントとかもらえそう。

 「いえいえ、あちらから誘われたので、仕方なく……」

 「は? 逆ナン? 変態がモテアピールしてんじゃねぇよ」

 「いえ、事実を申し上げているだけでして……」

 「ごちゃごちゃうっせぇわ(私とだって……)」後半の言葉はぼしょぼしょ尻すぼみして聞こえなかった。

 「女王様が思うより健全ですよ。一切合切凡庸な時間でした」

 そんな小室様との茶番劇を繰り広げていると、右側から「健治君、亜衣子さん、おはよう」と昨日聞いたぶりのキュルルンとした声が聞こえてきた。僕を下の名前で呼ぶ人間なんて、両親と彼女くらいしかいない。いつ近づいてきたのか、天子は僕らの席のすぐそばで、にこやかな表情を浮かべている。確かに小室様の言うとおり、こんな美人がウチの学校にいたら、ギャラリーが湧いて湧いて仕方がないだろう。っていうか亜衣子さんって誰?

 「おはよう、千歳さん」僕は勤めて平常心で接する。

 「もう、天子でいいって言ったじゃない」と天子は軽く僕の腕をペシペシ叩く。ダメです、こんなチー牛野郎にボディタッチをしてしまうと、(え? もしかして僕のこと好きなんかな?)と誤解してしまいます。誤解したまま、告白から玉砕まで脳内妄想余裕です。人生のおはようからおやすみまでノーチャンスです。え? 告白しようとするその瞬間、既に振られることが確定してしまってるって、これなんてゴールドエクスペリエンス・レクイエムなん? 終わりがないのが終わり。つまり終わり。

 小室様は僕らの仲良さげなやりとりに、少しびっくりしていたが、スンっと顔から表情が消え、スマホに目を落とし、フルシカトモードに切り替えていく。天子と会話する気はなさそうだった。人見知り出てますね。わかります。僕もよくその閉店ガラガラモードやっちゃいます。話をする気ないから“キナイ”モード、なんつて。

 「そうだ」と天子は小室様を気にする様子もなく、ポケットをゴソゴソして何かを取り出す。「ジャーン、スーマーソー」と秘密道具を出す時みたいに僕に見せつける。

「スマホな」と懲りずに訂正する。天子のスマソ全然直らないな。「どうやって連絡先交換するの?」「こうするんだよ」とさらっと美女のアドレスが僕のスマホに表示される。名前がパァっと光って見えてる気がする。SSRかな。小室様は気になるのか、顔はスマホを見たままなのに、チラチラ視線が僕に刺さる。指は全然動いていなかった。

 「ありがとう、これでいつでも連絡できるね。あ、ちゃんと届くか、今ちょっと何か送るね」天子がぽちぽち不慣れな操作で何かを打ち込む。怖くて周りを見れないから、その操作をじーっと眺めるしかなかった。数十秒後、スマホが振動する。問題なく連絡先は交換できていたようだ。一応届いた内容を確認してみる。

なになに……「亜衣子さんのこと、好きなの?」……。

 即座にスマホの画面を胸で隠し、天子を睨む。天子は変わらず悪戯な笑みを浮かべている。「どうなの?」とでも言いたげだ。チラッと小室様の横顔を盗み見る。僕と小室様は、あれだ。あくまで女王様と変態という体で茶番を繰り広げるだけの関係なのだ。恋愛感情ではないのだ。小室様だって、僕の事を何とも思ってはいないだろう。小室様は可愛い人だと思う。少し気難しく、ちょびっと暴力的かもしれないが、それは人間関係構築が不器用で下手なだけで、本当は優しい人なのだと思う。僕に話しかけてくれてるだけでそう思う。だけど、僕が小室様の事を好きなのかは、わからなかった。

 僕が天井を見ながら小室様について考えていると、「おーい、健治君、健治君?」と天子が目の前で手を振っていたので意識を戻した。「もー、キョドり過ぎー」とまた体をパタパタ叩かれたので「ごめんごめん、何?」と聞き返しながら、少し天子との間隔を空ける。

 「それでね、こっからが本題。例の件を進めたいんだけど、今日はバイトかな?」

 「今日は、バイトだね」スマホのスケジュールを確認して答える。

 「そう、なら好都合だわ。今日の放課後、健治君のバイト先に行くわね」

 「聞いてる? バイトなんだけど」

 「休憩中とかなら少しくらいお話しできるでしょ。それにね、あそこに用があるのよ」

 「ウチの喫茶店、ペット入店禁止だよ?」

 「失礼ね、大丈夫よ。じゃ、また夜に」と言って、天子はひらひら手を振って、また女子たちの輪に戻っていった。

 「……仲良いんだね、昨日会った割に」小室様が少し棘のある口調で言ってくる。

 「天子のコミュ力が凄いだけだと思いますよ」

 「夜会うんだ、バ先で」

 「ちょっと昨日、頼まれ事を任されてしまって。っていうか下の名前、亜衣子っていうんですか?」

 「そうだよ、悪いか。昭和臭くて」

 「いやいや、小室亜衣子……良い名前じゃないですか。天皇の家系みたいで」

 「中学校の時、それでイジられたから自分の名前、嫌いなんだよね」どうやら地雷を踏んでしまったようだ。様付けで呼ばれてたんだろうな。

 「なんかすみません。じゃあテイストを変えて、あいたそって呼ぶことにしますね」

 「殴るよ」

 「やっぱり、女王様が一番しっくりくるなぁ」

 「それも別に認めてはねぇからな」

 「じゃあなんとお呼びすれば?」

 「あ……亜衣子ちゃん、とか?」少し照れ、もじもじしながらもしょもしょ言う様は、年齢よりも幼く見え可愛らしかった。乙女かよ。いつものツンツン具合はどこ行ったんだよ。調子狂っちゃうな。

 「わかりました。……じゃあ、間をとって亜衣子様で」

 「だからそれやめろっつってんだろ」と→+Bで鋭い蹴りの連打が飛んでくる。即キル。対アリでした。座りながらの膝から下だけでこの威力か。ハイキックとか昇竜拳とかされたら一撃でのされそう。照れ隠しにしてはガチすぎませんか。

 それから小室様は、ムスッと机に向き直る。本気で怒っているわけではなさそうなのは、何となくだがわかる。それなりに関係性を持った上で“慮って”を応用すると、ほとんど確信に近い心情把握を導き出す。陽毬さんのアドバイスのおかげだ。多謝。

 ホームルーム開始のベルが鳴り担任がのそのそ入ってくる。今日も今日とて学校生活は変わらない。天子がいようと通常運転だ。担任が「誰だ君は?」と驚くこともない。世界が少しずつ変わっている。それは、外的要因なのか、内的要因なのかはわからない。どちらも、ということもある。ともあれ、担任の声が妙に甲高く特徴があるところはずっと変わらない。どんな声帯してるんだろう。井上陽水をキー二つ上げで歌うような声だ。ホ〜テルはリバ〜サ〜イド。

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