第2話

 ゲームが始まると、すぐに心配が杞憂だったことがわかった。画面下に表示されたパーティ・メンバーの名前の中に、彼の名があったからだ。蒼王子、と。

 蒼くん、来てるんだ! 麻理はそれを知ると、飛び跳ねたくなった。

 蒼くんこと、蒼王子がゲームに参加するのは、一カ月ぶりのことなのだ。

 画面では、クエストの内容を知らせるテキストが表示され、続いてムービーへと移行していた。ムービーの間、チャットは表示されなかったが、終わると同時にDAIが発言した。

”蒼くん、ひさしぶり! 戦い方は忘れてないな?”DAIのアイコンは、重装備のいかつい北欧戦士のバストショットだ。

 蒼王子は黙っていて、代わりにユエンが言った。

”そうだね、ほんとひさしぶりだね”

 麻理もうきうきしながらキーボードを打った。”おかえり、蒼くん!”

”みんな、ありがとう”蒼王子が返事を返した。彼のアイコンは、十歳前後の黒髪の少年だ。

 アイコンとは、チャットの際に名前の横に表示される画像で、各プレイヤーのキャラクター画像となっている。キャラクターの容姿はある程度自由に変更できるため、アイコンにはそれぞれの個性が現れていた。麻理のアイコンは明るく笑う金髪の少女だし、ユエンのそれは中世的なエルフ、ツヴァイは獰猛な目をした獣人の剣士だ。

”それじゃ、行くか!”ツヴァイが雄叫びを上げ、先陣を切って走り出した。仲間たちもその後を追う。

 クエストは噂に聞いた通りの難しさだったが、興奮していたためかさほど大変とは感じなかった。それぞれが別の役割をこなさなければならない場面があり、一時的にパーティと別れたりもしたが、それでもなんとか任務をこなし、その後の戦闘でも無事に勝利を収めた。

 仲間同士、互いの健闘を称え終えると、ゲームのチャットからチャット・ルームへ移動する流れになった。ゲーム内のチャットもいいのだが、回線が重い時があるし、少々使いづらい。それに、チャット・ルームには音声チャットの機能があるのだ。

 麻理がチャット・ルームに入っていくと、DAI以外のメンバーが揃っていた。DAIは用事を済ませて、後で来るらしい。

 ユエン、蒼王子、ツヴァイは既に和やかなムードで盛り上がっていた。はしゃいだり、会話をリードしているのは主に蒼王子とツヴァイだ。ユエンは落ち着いた風情で二人を見守っている、といったところだった。

 麻理に気づくと、そのユエンがすぐに気づき、「お疲れ、マリーさん」と声をかけてきた。テキスト入力ではなく、音声で。

 仲間内ではユエンと蒼王子だけが好んで音声チャットを使っている。ツヴァイとDAIは照れ臭いのか、テキスト入力で会話していた。肉声で会話することに少し抵抗のある麻理も、テキスト入力を使用していた。

 麻理も加わり、音声とテキストを交えた会話で盛り上がっていると、そこへ遅れてきたDAIが加わった。

”お疲れ。みんな元気だなぁ”

 ゲームを始める前とは打って変わって素の表情を覗かせる彼に、皆が口々に突っ込みを入れる。

”あれ? おじさんはもうおネムですか?”

「あはは、確かにちょっとおじさん臭かった」

 麻理も笑いながら、DAIさんかわいい、と打ち込んだ。

”からかわないでくれよ。実のところ、本当に最近、腰がヤバくてさ。こうして机の前で座ってるのも辛いんだよ”DAIが泣き言を漏らす。

 麻理は思わず噴き出した。DAIの実際の年齢は知らないが、これまでの言動からして、おそらく四十歳代なのではないかと推測している。

”DAIさん、それならゲーミング・チェアを買わないと。お勧めを教えてあげるよ”ツヴァイが言った。

 ツヴァイもまた、普段のやんちゃな振る舞いに反して、三十代後半に差し掛かっているのでは、と麻理は考えていた。PCや周辺機器、ゲームについて非常に詳しく、話を聞いているとかなり古い知識も備えているからだ。

 とはいえ、ツヴァイには年や素性を隠したがっている様子は微塵もなく、むしろ聞かれれば開けっ広げに教えてくれそうな雰囲気を漂わせていた。ネットの知り合いとそこまで個人の情報を曝け出して付き合うことに抵抗がある麻理は、彼のそんな様子に内心驚かされていた。

 ユエンや蒼王子もまた、自らのプライベートを曝け出すことにあまり抵抗感がないらしい。二人はこの中では特に親しく、電話番号の交換もしているそうだ。また、ツヴァイは実家が農家ということで、大量に送られてきた果物などを希望する仲間に分けることがあり、その際、自分の本名や住所を相手に知られることを気にしていない様子だった。その時、果物を送ってもらっていたのはユエンとDAIだったのだが、彼らのほうもツヴァイに素性を知られても構わないと考えていたことになる。

 正直、彼らのその関係に憧れはあるものの、まだそこまで親しげになるのは早いかな、と麻理は考えていた。WEBの仕事に携わっているせいでネット・リテラシーが身に染みついている、ということもあるが、元々が用心深いたちなのだ。仲間たちのほうも、麻理の考えを尊重してくれているのか、それについては何も言ってこない。麻理は内心、そのことにほっとする反面、ほんの少し寂しさも感じていた。

 とはいえ、仲間たちの、特にユエンと蒼王子の仲の良さを見ていると、自分は到底あんなふうにはなれないな、と感じてしまう。麻理を除くメンバーは皆、数年来の仲だというが、中でもユエンと蒼王子は、かなり長い付き合いらしい。音声チャットでじゃれあっている二人は、まるで血の繋がった姉弟のようだ。

 ユエンは性別不肖のエルフのキャラクターを使用しているが、声は明らかに女性のものだ。やや肉厚な、ゆったりした声で、聞いているだけで心の深い部分が癒されていく。年齢などは不明だが、彼女もツヴァイ同様、三十代だろうと麻理は考えていた。

 DAIはたまに家族の話をしているので、家族持ちらしい。

 ツヴァイは逆に家族の話を一切しないので、独身の一人暮らしなのだろう。

 ユエンについては謎だが、おそらく独身なんだろう、と想像している。麻理ですら、時々夫のことを話したくなるのに、ユエンはごくたまに両親の話をするだけだからだ。もしかすると、両親と同居しているのかもしれない。

 彼女についてはほかに、声楽を学んだことがある、ということしか知らなかった。実際、彼女の奥深い声を聞くと、なるほどなぁ、と納得させられる。以前、興が乗った蒼王子と彼女とで、生演奏と歌声を聴かせてもらったことがあった。蒼王子は趣味でピアノとギターを弾けるそうで、音声チャットを通じ、彼のギターの演奏に合わせて、ユエンが歌声を披露したのだ。曲は麻理の知らないもので、歌詞も外国語だった。いつもはお互い、軽口を叩き合っている仲間たちも、その時ばかりはうっとりとただ聴き惚れていた。言葉を交わさなくても、二人の演奏と歌を聴き、時折彼らが上げる、くすくすという笑い声を耳にするだけで幸せを感じられるひとときだった。

 ゲームで遊んだ後に、こんなふうに過ごす関係は非常に珍しいものかもしれない。お互い、実際には顔を合わせたこともない間柄となれば、なおのことだ。それでも、この関係は現実に存在しているし、あの幸福なひとときも本物だった。麻理はあの時のことを、今でもありありと脳内に蘇らせることができる。わたしは、素敵な人たちと、とても豊かな時間を過ごす幸運を与えられたのだ。そう考えることにしていた。

 皆、お互いの仕事などについては口にしなかったが、蒼王子以外の面々が社会人であることは想像に難くなかった。子供っぽい言動をするツヴァイでさえ、言葉の端々に大人の常識をチラつかせているからだ。その点、蒼王子にはそういった堅苦しい考えや振る舞いがまだ備わっていないように思われた。事実、仲間内で彼だけはまだ社会に出ていない学生なのだ。

 蒼王子は、おそらく二十歳前後。文学部の学生で、現在ドイツのどこかの大学に留学している。

 麻理がパーティに加わった時、彼は既に留学中の身だった。以前はほぼ毎日ゲームに興じていたというが、現在はごくたまにしか参加できない。勉強が忙しい、ということもあるが、時差の関係で日本にいる仲間と予定を合わせるのが難しいのだ。酷い時は今回のように、一カ月会えない、ということもある。彼は非常にシャイな性格だが、気を許すと純粋に相手の心に入り込んでくるタイプで、皆から愛されていた。もちろん、麻理も彼のことが大好きで、彼のファンと言ってもいい、とさえ考えていた。もっとも、彼ともっと仲良くなりたいだの、独占したいだの、そんなことは欠片も考えていなかったが。自分はただここに混ざって、皆と同じ空気―― 仮想的なものだが―― を共有できればそれでいい。そう考えていた。

”蒼くん、学校生活はどう? 忙しい?”ツヴァイが尋ねる。

「うーん、忙しいですね」蒼王子がそれに答えた。いつもの、細い、ソプラノではないけど透明な声。喋り方は、感情に急かされるような早口だ。「課題がたくさんあって…… やることが山みたいにある、って感じ」

”ふーん。文学部だと、課題はやっぱり本?”

「そうです。読むの難しくって。ドイツ語とか…… 難しい。本当は面白いんですよ。面白いんだけど」

”そうだよね。いくら面白くたって、課題じゃねえ”

 麻理も尋ねた。”じゃあ、部屋の中は本だらけなの?”

 蒼王子は笑い声をあげた。「いくら何でも、本だらけ、ってことは。でも、デスク周りは凄いことになってます。デスクの上とか。横とか。下とか」そうして、また軽やかに笑う。

 DAIが質問した。

”そういえば、その部屋って学生寮なの?”

「そうですよ。二人一部屋なんです」

”狭い?”

「うーん、狭いっちゃ狭いかな。でも、ベッドは凄く広いんですよね…… 二つ、部屋の両端にあって。空間は広いかも。でも、同室の人の物がごちゃごちゃしてるから……」

「じゃあ、結局、狭いんだ」ユエンが笑いながら言った。

「そうなるかな」

「友達、片づけなよ、って思うよね。あ、別に友達じゃないのか」

「うん、ルームメイト。でも、仲はいいよ」

「そういえば、旅行に行ったんだよね?」

「そうなんだ。この間――」

 いつもどおり、ユエンと蒼王子の間で話が弾むが、仲間外れにされている、という意識は麻理にはなかった。おそらく、二人が醸し出す温かい雰囲気がそうさせるのだろう。他の面々も同じに違いない。

”旅行の話は、あ明日聞こうかな”DAIが書き込んだ。欠伸をしながらなのだろう。文字を打ち間違えている。”蒼くん、明日も来るの?”

「うん。たぶん来れます」

「DAIさん、もう落ちるの?」

”このままじゃ、寝落ちしちゃうので”

 麻理はデスクトップの時計を見た。そろそろ十一時半だ。

”じゃあ、わたしもそろそろ寝ようかな”

”えー、マリーさんも?”

 宵っ張りなツヴァイは不満そうだが、他のメンバーは、そろそろお開きにしよう、という空気だ。

「今日はここまでにしよっか」と、ユエン。

”マリーさんは、明日も参加できるの?”

”絶対来ます! 旅行の話、聞きたいもの”

 ツヴァイが茶々を入れた。”そこは、ゲームも山場だから、でしょ”

”そっか。そうですよね。明日も、足手纏いにならないよう、戦闘頑張りますので!”

「うん、またね」

「じゃあね、マリーさん」蒼王子の明るい声が、皆を見送った。「ユエン、DAIさん、ツヴァイさん。またね」

 チャット・ルームから退室して、ヘッドホンを外すと、麻理はほうっと息をついた。体の隅々にまで、満足感が広がっている。ゲームによって得られる興奮や快感とはまた違う、温かく満ち足りた感覚だ。

 旅行か、と呟いた。一体どんな話が聞けるのだろう。早くも、麻理は明日が待ちきれずわくわくしていた。

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