オンライン・マーダー~廃教会の薔薇~

戸成よう子

第1話

 打ち合わせ終わりに、麻理はスマートフォンで時間を確認した。午後二時前だ。

 次の打ち合わせは三時からだから、それまでデスクでゆっくりできる。そう考えると、ふっと肩の力が抜けた。

 ゆっくりできると言っても仕事はしなければならないが、打ち合わせの資料の準備程度なので数分もあれば充分だろう。余った時間は、タスク整理でもしながらのんびり過ごすことにしよう。

 そんなことを考えながらオフィスの自分のデスクに戻ってくると、PC脇のマスコットが微かに首を揺らしながら迎えた。ひつじのミーコちゃん、という地方のご当地キャラで、先日、駅前のアンテナショップで手に入れたものだ。

 麻理は指先でミーコちゃんの頭をつついてから、椅子に座った。

 イヤホンをつけ、好きな音楽を聴きながら、ぽちぽちとキーボードを叩く。考えは自然に、”今夜の集まり”に向かっていった。集まり自体を毎回、楽しみにしているということもあるが、とりわけ今夜は特別なはずだった。何しろ、ユエンが、”彼”が参加すると言っていたのだから。

 ふと気づくと、デスク脇に誰かが立っていた。同僚の須藤だ。

 麻理はイヤホンを取って彼を見上げた。「何?」

「……駒田さん」イヤホンを取るまでの間に、何度か喋りかけていたらしい。須藤は心苦しそうな表情を浮かべていた。

 麻理は彼に謝った。「ごめんね。どんな用事?」

 須藤は申し訳なさそうに、さらに背を丸めた。

 須藤裕彦は今年入ったばかりの新人だ。年は確か二十三だったか。同僚とはいえ、麻理にとっては五つも年下で、面倒を見てやらねばならない立場にあるので、実質は上司と部下の関係に近かった。

「あの、進捗報告しろということだったので……」

 須藤にそう言われて、麻理は慌ててチャットを確認した。午前中から打ち合わせの連続だったので、すっかり確認しそびれていたのだ。

「報告、送ってくれてたんだね。ありがとう」そこで言葉を区切り、素早く文面に目を通す。「――うーん、そっか。わかった。一旦、作業に戻ってくれる?」

 笑顔でそう言うと、須藤はほっとした顔になり、自分の席へ戻っていった。

 彼が去ると、麻理は表情を曇らせ、画面に視線を戻した。――須藤の作業の進捗は、あまりよくない。どうしたものか。

 麻理の職場は、一応、大手の部類に入る企業で、そこのWEB部門が所属先ということになっている。役職はヒラだが、部門長の補佐という少しは責任のある立場だ。社内のWEB関係の業務を一手に担っており、サイトの保守やネット上の宣伝に携わっている。スタッフは部門長と麻理のほかに数人、と少なめで、人手が足りない分は下請けで補っている状態だ。先日、プログラマーの一人が退職したため、代わりに入社したのが須藤だった。悩みの種は、彼が前任者の仕事を引き継いで三カ月近く経つが、どう考えても仕事の進みが遅い、ということだった。――このままでは、さばききれない仕事を下請けに回すか、臨時のプログラマーを雇わねばならなくなる。

 困ったなぁ、と心の中で呟きながら、揺れるミーコちゃんを眺める。

 打ち合わせの合間に気分をリフレッシュしようとしたのに、気がつくと再び肩に力が入っていた。

 麻理はため息をつき、画面に向かった。意識を仕事に集中しようとするが、雑念が邪魔をして上手くいかない。このままではストレスが高じて、日々の生活に支障が生じるだろう。

 幸い、仕事内容は決まりきったルーティンが多いため、多忙であっても残業をしなければならなくなることはほとんどない。帰宅すれば、家での時間の多くを自分のために使うことができる。

 その時間を利用し、麻理は今夜、”彼ら”との集まりに参加するつもりだった。今は何よりも癒しを得たかった。



 帰宅すると、麻理は逸る気持ちを抑えて家事に取り掛かった。

 居間と台所は静まり返っていて人気がない。夫の勇二はまだ部屋で仕事中のようだ。

 麻理は鼻歌を歌いながら、ショッピング・バッグを流し台に置いて、中身を出していった。すると、それを聞きつけたらしい勇二が部屋から出てきた。「お帰り。今日の夕食は何?」

「焼き魚だよ」鰆の安いのを買ってきたのでそう答えると、勇二は渋い顔をした。

「あっ、そう」

 麻理は苦笑いして、付け加えた。「豚の生姜焼きもあるよ。少しだけど」夫があまり魚が好きでないことは承知している。

 食卓につくと、二人はとりとめのない会話をしながら箸で皿をつついた。IT系の会社でソフトウェア開発をしている勇二は、週のほとんどを自宅でリモート・ワークをして過ごしている。職種として近いものがある麻理も、たまにリモートで仕事をすることが可能だった。とはいえ、やはり仕事の主体は職場にあるし、打ち合わせも会社で行うことが多い。WEBミーティングにしろ、そうでないにしろ、だ。

 一方、勇二のほうは自宅で仕事をする環境をがっつり整えてしまっているので、むしろ会社では仕事がしづらいのだという。

 勇二は二十七歳。理系だが、サッカー好きでもあるという、文武両道というか、理系と体育会系の両刀使いだ。今も、休みの日には学生時代の仲間と草サッカーをしたりしている。以前はジム通いをしていたが、在宅時間が増えた今はトレーニング機器を買い込んで体を鍛えている。

 会話の内容は、職場であったことや、知人の噂や、ネットやテレビのニュースなど、ごくごく他愛のないものばかりだ。二人とも、食事中はあまり深い話や、込み入った話はしない。勇二もそうだが、麻理も家では頭を悩ませたくないタイプだった。勇二の健全な精神構造は、一緒にいるだけでこびりついた一日の疲れを払い落としてくれる。

 結婚してもうすぐ五年になるが、仲はずっといいし、マンネリ化しているとも感じない。二人とも、どちらかというと穏やかで、喧嘩と縁がない、ということもあるだろう。家事の分担は最初に決めたとおり、麻理が料理、勇二が掃除の担当ということで上手くいっている。その他の家事や、どちらかが多忙な時はフォローし合う、というルールも守られていた。そろそろ、どちらかが子供を作ろうと言い出してもおかしくない時期だった。麻理も半分それを望んでいたが、半分は今の心地いい状態をもう少し続けたい、と考えていた。

 ふと、須藤のことを思い出して、麻理はそれを話題に上らせた。「そういえば、うちに新しく来た子がね――」仕事の話は家庭に持ち込まない、という向きもあるだろうが、職種が近いせいもあって、二人の間にそういう気兼ねはなかった。むしろ、重すぎない内容であれば格好の話題とさえ、麻理は考えている。

 二十三歳の新人が業務をこなしきれず、悪戦苦闘している、という悩みを打ち明けると、勇二は、よくある話だ、と言わんばかりの顔をした。

「うーん。悩ましいよな。でも、考えたってしょうがないだろう、そういうのは」

「そう? しょうがなくはないと思うんだけど」

「麻理が悩んでると、それがその子にも伝わっちゃうと思うぜ。それより、淡々とやるべきことをやったほうがいいんじゃないかな」

 やるべきこと、とはこの場合、須藤の代わりを探すということだ。「淡々と、ね。人材と割り切れば簡単なんだろうけど、難しいのよね。感情が邪魔して」

 それにしても、こちらが悩んでいるのが相手にも伝わる、というのは考えてみたことがなかった。確かに、そういうものかもしれない。

 須藤についての話はそれで終わり、食後は、会話を続けながら食器を洗い、しばらく居間でだらだらと過ごした。そのうち、先に入浴を済ませていた夫は、眠そうにソファに寝そべってテレビのスポーツ番組に熱中し始めた。麻理はそそくさと居間を出て、浴室に向かった。

 頭の中は、すっかり今夜の集まりのことで占められていた。一体どんなことが待っているんだろう。どんな話が聞けるんだろう。そう考えるだけでわくわくする。

 入浴を終えて、髪を乾かし終えると、ちょうど八時半前だった。そろそろ約束の時間だ。

 パジャマの上にカーディガンを羽織って、仕事部屋へ向かう。夫と麻理のパソコン・デスクがある部屋だが、今はほぼ夫のリモート・ワーク用の部屋になっている。ただし、この時間だけは別だ。

 夫はまだ居間で寛いでいるらしい。そのうち、眠くなればもぞもぞと寝室へ引き上げるだろう。麻理がオンライン・ゲームに興じていることは彼も知っているが、特にそれについて口出しはしなかった。といって、彼が妻のすることに口を挟まないタイプ、というわけではない。家族はお互い少しうるさいぐらいがちょうどいい、というのが勇二の信条だった。麻理もそれをわかっているので、口を挟まれないよう、毎晩、夢中になって夜更かしする、などということはやめようと考えている。

 パソコンを立ち上げると、薄暗い室内をディスプレイの光がぼうっと照らした。麻理はいつも通り、チャットをチェックしてから、とあるサイトを表示させた。

 そのサイトはゲーム専門の出会い系サイト、といったところで、オンライン・ゲームの仲間を集ったり、仲間同士で待ち合わせをしたり、といったことに用いられていた。オンラインのゲームの場合、仲間とチームを組んで参加しなければならないことがあるため、こうした場が必要になってくるのだ。

 麻理の場合は、リモートで仕事をする機会ができた頃に、気まぐれでゲームに手を出して、このサイトに辿り着いた。初心者も歓迎、という文句につられて、募集の一つに応じ、今に至っている。その時、訪れた募集スレッドは、DAIというハンドル・ネームの人物が立てたものだった。DAIたちは、麻理が始めたオンライン・ゲームにパーティを組んで参加していて、欠員を埋めるために募集をかけたのだという。

 パーティは五人編成で、DAIのほかに三人のメンバーがいた。どんな人たちだろう、と最初はびくついていたものの、話してみると、皆、感じのいい人たちだった。メンバーとの会話は、掲示板のほかに、ゲーム内のチャットや、チャット・ルームで行っている。年はバラバラだが、比較的、年齢層が高めらしく、そういう意味でも落ち着いた雰囲気だった。

 麻理が掲示板のいつものスレッドを開くと、既にDAIの書き込みがあった。

”時間がきたぞ! 準備はいいか? ぐずぐずしてる間があったら出発だ。月の光が我らを迎えてくれるうちにな!”

 麻理は微笑んだ。やたら格好をつけた言い回しだが、『月光の戦団オルトレーン』はロールプレイを楽しむゲームなので、これから戦いに挑もうとするプレイヤーは皆こんな感じだ。

 そうしている間に、スレッドにはやって来たメンバーによる書き込みが増えていった。

”まったく。こっちは前回の戦いの傷も癒えないのに、駆けつけてやったんだぜ”

”準備はいいよ。でも、そう焦らなくても。エールを一杯やって、歌でも歌ってからのほうが体がほぐれていいんじゃない?”

 と、いずれもDAIの意気込みをからかうような内容だ。

 麻理は自分もキーボードを打ちながら、投稿者の名前に視線を走らせた。最初のが、ツヴァイ。次の投稿がユエンによるものだ。

 ”彼”の書き込みはまだない。

”今、誰かが奢ってくれるって話してなかった? 耳だけはいいんだから、聞き逃さないよ!”

 麻理の書き込みが投稿欄の最下段に表示された。麻理のハンドル・ネームは、ゲームのキャラクター名でもあるマリーだ。

 ロールプレイ上の設定では、”マリー”は十代の金髪の少女、ということになっている。そのため、口調もそれらしく演じることにしていた。ほかの面々も、それぞれのキャラクターと同じ名を名乗っている。

 正直言うと、十代の少女を演じるなんて気恥ずかしい、と感じることもあるのだが、それが当たり前のように行われている空間にいると、これが実に楽しいのだ。役割になりきることで、日常から自分を切り離し、完全な自由を手に入れることができる。もちろん、それは束の間のことなのだが、だからこそ、その爽快感は格別だった。

 このオンライン・ゲーム―― 『月光の戦団オルトレーン』はファンタジー世界を舞台にしたものだ。中世ヨーロッパを思わせる架空の世界を駆け巡る、オーソドックスな剣と魔法の物語である。ざっくりとしたあらすじは、こういったものだ。――舞台は、過去の大戦により、大陸に巨大な亀裂が生じた王国。戦いにより分断された王国は様々な問題を抱えている。そこへ、突如、亀裂から現れた強大なモンスターが襲いかかった。王国を修復し、亀裂の謎を解くため、主人公は仲間たちと共に立ち上がる。

 物語全体はもっと長尺で、まだまだ終わりが見えないのだが、とにかく導入はこういったところだ。プレイヤーは様々な試練を経て、深まる謎に挑んでいかねばならず、その過程はクエストという形式を取っている。各クエストをクリアしていくと、それによって少しずつストーリーが進む、というものだ。

 今回挑もうとしているのは、”魔導士の高台”というクエストで、噂ではなかなかの難所ということだった。序盤のストーリーの山場の一つであることは間違いないため、皆、気合が入っている。

”おいおい! くっちゃべってばかりじゃ、いつまでも出発できないぞ! こら、勝手に乾杯を始めるな! これから悪名高い魔導士と一戦交えるってのに”

 DAIに続いて、ユエンが書き込みを行った。

”しょうがないな。じゃあ、行くとしようか。皆、杯は置いた置いた!”

 その文面に笑みを浮かべながらも、麻理はこう尋ねたい気持ちで一杯だった。――ユエン、彼は来てないの?

 しかし、仲間内では新参者という意識があるため、麻理はその質問を引っ込めた。他のメンバーたちも、なんとなく雰囲気に圧されてか、尋ねなかった。

 麻理はため息をつき、画面をデスクトップに切り替えた。ゲームを起動し、画面が現れるのを待つ間、麻理の中にはわくわくと、待ちきれずじりじりする気持ちが交差していた。

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