第3話

 翌日は朝イチで、部門長とのミーティングがあった。当然ながら、懸案となっている須藤の件を報告しなければならない。

 麻里は既に、須藤から進捗についての詳しい聞き取りを行っていた。入念に準備しておかないと、色々聞きほじられて口ごもる羽目に陥るからだ。部門長の増山は、麻里が入社当時から世話になっているやり手で、口調は柔らかいが指摘は鋭いといったタイプだった。

 WEB業界というのは、端的に言えば多種多様な人間のごった煮だ。営業、企画、デザイナー、プログラマー、コーダーといった各種の専門分野を担う人々が同じ釜の飯を食べている。会社によって、手を広げる専門分野は様々だ。中には、動画の専門家や、スマートフォン・アプリの専門家を抱える会社もあるだろう。規模によっては、インフラやシステム開発の専門家がそれに加わる場合もある。

 また、年代によっても、WEB業界人というのは様々だ、と麻里は考えていた。知る限りでは、年齢が上になるほど、職人気質の頑固親父が多くなる。あまり上の年代とは直接的な関わりがないが、聞いたところでは、新しいものすべてにケチをつけ、OSにすら気に入らないと口吻を漏らす、化石のような輩も珍しくないそうだ。麻里くらいの若い年代になると、OSどころか、パソコンよりスマートフォン慣れしている場合もあるので、この両者は化石と宇宙から飛来した隕石くらいの違いがあると言えよう。

 増山は四十代だから、化石というほど古い人種ではないが、本人も認めるとおり、昔ながらのプログラマー気質を備えていて、仕事に対する姿勢は非常にストイックだ。昔のWEB業界のブラックな働き方も影響してか、ややタイトなスケジュールを組みがちと言える。それでも、周りの意見にちゃんと耳を傾け、なるべく時代に沿おうと努力はしているようだ。

 増山が生粋のプログラマーであるのに対し、麻里は一応プログラミングも齧っているものの、どちらかというとディレクション―― プロジェクトの進行管理に携わる仕事に重点を置いていた。増山がプログラム以外のことはやや苦手であるのに対し、麻里は営業や企画、管理に対して意気込みがあり、その他のこと―― プログラムやデザイン、システム管理といった業務には明るくない。同じ会社の、同じ部門にいても、増山と麻里はまったく異なる人種なのだ。さらに言えば、二人の下のスタッフたちも、彼らとは違う人種である。

 WEB業界がごった煮などと言われるのは、つまりはそういうわけだ。入社して数年、そういった職場で働くことに麻里はようやく慣れ始めていた。と同時に、この業界に特有の、各人の不得意をお互いに補い合う、というやり方にも馴染み始めていた。とはいえ、今回のこのケース―― こちらの求めるレベルに明らかに達していない人員がいる、という問題は、多様な人種、年代の人間を扱うことに慣れた増山にとってさえ解決が難しいものだろう。

「これが進捗状況か」自身のノート・パソコンを覗きながら、増山が呟いた。画面には、須藤からの聞き取りをもとに麻里が作成した報告書が映し出されている。

 机を挟んだ向かい側で、麻里は思わず肩をすぼめ、小さくなっていた。十人は楽に座れる会議室が、いやに狭く感じられる。

 うーん、と報告書に目を通した増山が唸った。眼鏡の奥の目が、ちらっと麻里を見やる。「これ、どう思う?」

「ギリギリですけど、一応間に合う、ということですよね」微かな息苦しさを感じながら、麻里は答えた。

「ほんとに? 間に合う、これ?」

「どうでしょうか」

 麻里が言葉を濁すと、増山は苦笑を浮かべた。「間に合う、ってのは本人が言ってるだけだよな。自分でも、間に合わない、ってわかってるのに、そう言ってるだけじゃないの?」

 万が一、納期に間に合わない、などということがあれば一大事だ。社内業務なので、外部にクライアントがいるわけではないのだが、とはいえ、納期破りがご法度であることに変わりはない。

 しかも、部門長の増山は化石の一歩手前のストイックな人間だ。納期の遅れは、彼にとってあってはならないことだった。

 麻里は溜め息をついた。「正直、その可能性はあると思います。でも、本人がそう言ってる以上――」

「そりゃ、怒られるとわかってて、間に合わない、なんて言えないだろ。ちゃんと問い質したのか?」

 麻里は息を飲んだ。「いえ、それは」

「ほらな。もっと何度も、問い詰めてみるべきじゃないの? そうしたら、正直なところを認めるだろう」

 声を荒げて本当のことを聞き出せ、と言うのだろうか。それはちょっと前時代的なやり方じゃないか、と麻里は密かに考えた。しかし、納期を守れなかった場合の損害を考えれば、そんなことは言っていられないのも事実だ。

「わかりました。須藤さんには、わたしからもう少し突っ込んだヒアリングをしておきます。それはそれとして、臨時の人材の手配もしておいたほうがいいと思います」

「うん。今回のところはしょうがないな。だが、前回のこともあるだろ? さすがに次はないぞ」

 麻里は胃がぎゅっと締め付けられたように感じた。前回は、納期の瀬戸際になっても作業が追いつかず、須藤だけでなく増山と麻里まで連日残業する羽目になったのだ。

「ええ、わかってます。一応それも踏まえて、ヒアリングしてみます」

 会議後も、胃がキリキリするような感覚は収まらなかった。麻里は自分の席にどっと腰を下ろすと、その振動でユラユラと首を揺らし始めたミーコちゃんを眺めた。羊を象ったキャラクターは、癒し系らしく何の悩みもなさそうな笑みを浮かべている。

 こんな時、マリーならどうするだろう。気がつくと、麻里は考えをさまよわせていた。

 『月光の戦団オルトレーン』のプレイヤーは、その多くが自らの考えたオリジナルのキャラクターを操作している。キャラクターの外見や性別は自由に設定できるため、プレイヤーたちは各々のキャラクターに独自の性格や背景、出自を与えて楽しんでいた。たとえば、DAIのキャラクターは力自慢の肉体派で、純粋であるが故に騙されやすく、監獄に入れられた過去を持つ、といった具合だ。ツヴァイのキャラクターは大剣持ちの獣人で、ツヴァイヘンダーという剣が名前の由来だ。見た目もそうだが、一匹狼の剣豪、というところらしい。

 マリーもまた、麻里が作り出したオリジナルのキャラクターだった。明るく元気でどこまでも前向きな、十六歳の少女。それは、同じ年頃だった頃に麻里が”なりたかった”自分の姿でもある。

 マリーなら、どんな風にこの局面を乗り切るだろう。わたしがもし、あんな明るさと無鉄砲さを兼ね備えていたら――

 あれこれ考えてから、ふっと我に返る。考えてもしょうがないことに時間を費やしてしまった。そう思うと、苦笑が込み上がった。

 マリーほど強くはないけど、何とかするしかない。わたしならできる。そう呪文のように自分に向かって唱えてから、スリープ状態だったパソコンを起動した。



 DAIを先頭に、マリーたち五人は険しい山を登って行った。行く手には濃霧が立ち込め、頭上には不気味な黒雲が広がっている。

 DAIが声を張り上げる。”みんな、後もう少しだ! もう少しで――”

 魔導士たちが灯した祭壇の灯火を消し、亀裂の一つを塞ぐことができる。

 誰もが、言葉にせずともそう理解していた。前回の魔導士の高台での戦いに勝利した彼らは、魔導士から亀裂に関する重要な情報を手に入れていた。ここ、タナートの国の亀裂をどうしても塞げなかったのは、彼ら魔導士が邪悪な祭壇に灯火を掲げ、モンスターたちの目印にしていたからなのだ。灯火を消しさえすれば、今度こそ亀裂を塞ぎ、タナートの民を災厄から救い出すことができる。

 しかも、ここでそのミッションを完遂できれば、亀裂に苦しめられている他の国の励みにもなるだろう。

 同行しているタナート国軍の兵士が口を開いた。「それにしても、貴様らのような寄せ集めのポンコツ集団が、まさかここまでやるとは。我々の誰も、思いもしなかったぞ」

 亀裂から溢れ出るモンスターの進行を止め、亀裂を塞ぐため、帝国軍が兵を率いてタナートへ来たのは、一カ月前のことである。モンスターの進行はなんとか食い止めたものの、彼らにはどうやっても亀裂を塞ぐことができず、やむを得ずギルドで三流の戦士たちを雇うことにしたのだ。搔き集められた連中もここに来るまでの間にばたばたと倒れていき、残ったのはDAIたち五人だけだった。

 重装備で、咆哮技を使いこなす戦士、DAI。

 小柄な獣人ながら、両手剣を軽々と振り回す、ツヴァイ。

 青い肌を持つ、回復魔法の使い手、吟遊詩人のユエン。

 異種族の旅人で、攻撃魔法に長ける、蒼王子。

 右手で片手剣、左手で魔法を操る、金髪の魔法剣士、マリー。

”みんな、わかってるな”DAIが言った。”これは手始めに過ぎないんだ。世界には忌まわしい亀裂がまだ幾つもある”

”それをみんな、俺たちがどうにかしなきゃならないってことか”ツヴァイがぼやく。

”大丈夫! わたしたちならやれるよ。だってここまで、無事にやり遂げてきたじゃない”

 マリーの励ましに、ユエンが続く。

”そうだね。わたしもそう思う。酒場でくだを巻いてた連中が、底力だけでここまで来たんだ。このまま、目にもの見せてやろうよ”

”僕も”蒼王子が呟いた。”皆さんと一緒に過ごせて、よかった。素晴らしい思い出です”

 皆、ちょっとの間黙り込んだ。

”何、しんみりしてやがんだ!”DAIが我に返ったように怒鳴った。”このまま勢いに乗せて、いくぞ!”

 蒼王子が頷く。”勝ち鬨を上げましょう!”

 おう! と全員が声を揃えた。

 奇しくも、前方の空に稲光が走り、青白い光が谷を照らし出した。そして、そこに一瞬、浮かび上がったのである。――谷よりなお深い亀裂の入り口と、そこから湧きだしてくるおぞましい敵の姿が。

”くそっ、奴ら、待ち構えてやがる”DAIが吐き捨てる。”さあ、灯火を消しに山頂に向かおう。兵士の皆さん、足止め頼みますよ”

 ここからは二手に分かれての攻防となる。背後で、鬨の声を上げながらモンスターの群れに立ち向かっていく兵士たちの姿から目を背け、マリーは仲間たちに続いて山頂へと駆け上がっていった――

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