第35話 鬼籍の恋
自分の部屋だけど久々に帰宅して、絨毯に転がっていつもの定位置。四十平米足らずの部屋だけど、寝るだけの部屋としては充分。
落とし気味の光量のライトで、ゆるい時間を過ごす。
広くはないが、ゆったり過ごせるように寝心地の良いタブルベッド。小さめのちゃぶ台に、小さなキッチン。一畳分のロフト。布団はそこにおいてある。鴉はロフトを片づけて寝床にしていた。それにセパレートタイプのトイレと、風呂。風呂場は水色のタイルの床でレトロだけど小さな窓がついている。湯に浸かりのんびりできる時間は、ささやかな僕の至福のとき。
不動産屋に破格の値段と聞いて入ったアパートは、寝に帰るだけの場所だったのが、鴉が同居人になってからは、いつも綺麗に整えられている。
彼が来るまで、最低限の調味料、塩コショウ、砂糖、鍋やフライパン程度しか持っていなかった。冷蔵庫の中は、缶ビール、納豆、冷凍室にはクラッシュアイスと、バニラアイス。それだけ。
今は鴉が購入した調味料が増え、グレードアップした料理が出されるようになった。オリーブオイルに、ごま油に、キャノーラ油に、バター。フライパンと食材との緩衝材にする油だけでもこんなふうに増えている。
鴉は料理人をしていたことがあるらしく、いつも規則正しい包丁の音を響かせ、たちまち料理を仕上げてしまう。
そして食べ終えた皿はさっさと洗われ、食器棚に片付けられる。
小さなシンクというのにあっという間に散らかってしまうような、以前の自分の部屋とは違う。
片付いた部屋って、安心するな。思考や感情が落ち着くような気がするのだ。
「ソウジ、グラスさげてきて」
「ほいきた」
鴉は、牙に鳥と書いてカラスと読む。
クラブの用心棒を兼任する黒服、New DIVE!!!の系列店の店長。
僕の家、つまりこの家の居候。
今は殆どの仕事を任せられる人材がいるのか、割と家の細々としたことをしてくれている、優秀なハウスキーパーである。
彼の濃いグレーでツヤのある紙に印刷された名刺は、うちの会社、リヴコードデザインが作った。50%くらい薄くしたトライバルな図案と鴉という漢字一文字が盛り上がるように印刷してある。これ、僕が入社する前に、タカヤナギさんが手がけたらしい。
いつものトサカのような髪型は、今は入浴して、柔らかくふんわりと癖っ毛で顔にかかっている。
目尻は下がっているが、くっきりとした眉と目の間はごく近く彫りの深いエキゾチックな顔立ちでイケメンだと思う。
とくにこんな柔らかい色の明かりのもとでは、顔に影が落ちて、いっそう整っているのが際立つ。
後ろで彼が、ごつんと派手な音を立てた。
「う……」
「あー。またその壁にぶつかったん?そこ毎回よな?」
「日本の家は俺に合ってないんだ、仕方ないな」
「鴉な、昔っからそんなに背が高かったん?」
「ああ。江戸時代か?もっと前か?」
「ええ!?そんな前から生きてるってことやん?びっくりするわ。もっと最近、明治くらいの返事が来る思うてた」
「江戸時代は、俺ももう少し背が低かったな。周りの日本人も、もっと小さかった」
「へえ。鴉、成長し続けてる……。昔はどんな仕事してたん?」
「江戸時代の労働形態を知りたいか?」
「もちろん!ハローワークっぽいのはあった?」
「『人市(ひといち)』のことだな。主に農村近くにあったはずだ。米や野菜などの市場がたつ関所近くでは、必ず人も売買された。俺はそこに行き、職業を得た。もっとも長く奉公先にいると気味悪いと嫌がられるから、山に篭って、獣や妖怪と過ごしている時期もあった。ある程度時間を置いて、また奉公の手続きに出かけた」
不意に江戸時代の詳細な景色が立ち上がってきて、面白いことになってきた。
「人身売買?」
「少し違うな、自分を労働力として売り込む。そして通商手形を発行して貰う。ちなみに串団子は4文だが、日雇いの日当は200文が相場だ。背が高い、体格が良いものは多めに払ってもらえるんだ。生まれた土地の寺で往来手形を発行されて、病気の時には医者に見せて、田舎に送り戻してくれた」
「保険が効く、みたいな感じやろか」
「らしいな。江戸時代に入って、しばらくは呉服屋で奉公をしていた。服は昔、稼ぎの良い商売で、呉服屋は花形だった。そこの若旦那が、めっぽう綺麗な顔をしていてな、歌舞伎役者に似ているとかで、慕う女人も多くいた。俺は体格もあって、若旦那にいたく気に入られていた。ところがあるとき、はやり病にかかってしまった。表向きはそう言われていたが、実際は
「イモリの黒焼きぃ?」
「ああ。長屋の前あたりで行商人がイモリを惚れ薬として売っていた。現代もまじないや、チャームや、占いがあるだろう。あれと同じだ」
「ほうほう」
「しかし、次第に本格的なまじないをかける者が現れた。それで俺は、やまいを持ち込んだと、追い出された。若旦那はそのまま鬼籍に入ってしまった」
「ええぇ、理不尽な話やな」
「まあ、よくあることだ」
「確かに。どの時代にも色々難癖をつける人はおるもんやからな。……ところで、その若旦那、鴉は好きやったん?」
「ああ。彼は、コハルの匂いをかすかに残していたからな。追い出されても、しばらくは中の様子を伺ってはいた。狐の面を被って、托鉢をしたり、獅子舞をしたりして、お金や食べ物を恵んで貰った。それなら、呉服屋の家の周りにいてもおかしくないからな」
「お面に、獅子舞? 面白そうやな」
「なかなかのどかで、いい時代だった。当時は、夜早々に皆寝てしまうから、女郎屋の用心棒をして転々とした。人間はすぐに亡くなってしまうから、な。あまりに顔が変わらぬ者は、訝しがられる」
「それもそうか。30代で一緒に仕事してて、60代で隠居して、まだ若々しいっていうのは奇妙やんな」
「他に流れ中間と言って、口入屋に依頼して武家屋敷に出稼ぎ人として雇って貰うことが多かった。体格が良い、と武家屋敷の籠かきをした時には、俺は、もっと美丈夫だった」
「筋肉質やった?」
「そうだ。体重は10キロほど重かった。重宝がられたが、長居しすぎて気味悪いと言われて辞めた。武家はどこも情報が繋がっていてな、居られなくなった。だいたい秋ごろ信濃あたりから出稼ぎ人が来る。それに紛れて口利きして貰ったのだ。『雪降れば椋鳥江戸へ食いに出る』と言う。田舎じゃ雪が深くて働く場所もなくなる。江戸は、今と同じように外の者を受け入れる場所だ。小さい場所の割に過ごしやすい。『入り鉄砲に出女、入り女』は、厳しく取り締まれていたが、俺は男で、往来手形を偽造する機関を知っていたからな」
「ちょ……そんな機関、ほんまにあったん? 歴史の教科書には出てけえへんけど、実際にあったってこと? それってもう、妖怪普通におるって話になるやん」
鴉は答えを明かさず、ふっと口元をゆるめた。
彼のまわりの空気が、風もないのに、ゆらりとざわめく。
今の彼は、用心棒の仕事をしているだけあって、身の丈はゆうに百八十を超え、浅黒い肌に、少し猫背のいかつい目つき。そこに佇むだけで、人を遠ざけるような迫力があった。
どのくらい強いのかなんてことは、僕みたいなへなちょこが、そんな場面に出くわすこともそうそうないから、本当のところは知れないんだけど、笑わないとめっぽうコワいっていう顔と、身長のでかさだけで皆避けてくれるに違いない。
自分には、なぜだかそんなコワい人には見えなくて、気軽に初対面で宅飲みにつきあわせてしまったが、なにやらタカヤナギさんの着物と祖母だか祖父だかに曰くありの人物だった。
僕が着物を着ていたとき見つけられ、匂いに惹かれて来て、ある日僕の家に転がり込んできた。
家は大月の山沿いにあったが、通勤が面倒だからと、ウチのアパートをシェアしている。
あまり自分から話はしてこないが、生来聞き上手なのか、僕にとって居心地の良い相手だと思うのには時間がかからなかった。
他愛のない話でも、ぽつんぽつんと相づちをうってくれて、昔の話を聞くのはおもしろいし、ことさらに騒ぐことなく静かに呑めるのがありがたい。人ではない、妖怪だとわかっていても、気を許してしまう。
それに、あれこれの動き、まるでオカンのようやとすら思う。
僕には、そんなふうに目配りしてくれる母はいなかったから、想像やけど。
酒癖の悪い自分には、こんなふうに穏やかに付き合ってくれる相手がいるのは、ほんまにありがたい。
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