第14話 胸のうち秘密の扉  ⭐︎

 ベランダの向こうへ立ち去るソウジの背中に、俺は、じっと目を凝らしていた。

 先ほどの詰問で感情が乱れたことで、あいつの体内にじわじわと古い念が積もっていくのが感じられる。


 その身体から、見逃しそうになる小さな、確かに存在している兆しが目に入った。

 白い粒子が、ふわりふわりとソウジの周りを取り囲んでいる。見えない霧のようにほんのりと輝き、まるで守護するように、優しく包み込んでいた。

 

(あれは、……ソウジを守っているのか)


 それが、決して悪意から来ているものではないとわかる。白い粒子は、ソウジの存在を保護し、いまのソウジを支える力となっている。


(……だが、その奥底。あれは、目を覚ましてはいない。始まったばかりだから)


 煙草の火を消し、ひとつ深いため息をついて、俺はその場を離れた。


 ••✼••


 一瞬、思考が白い霧に包まれたような気がした。

 急に足が軽くなり、同時に頭の中がふっと、からっぽになる。何を考えていたか、何を問い詰めていたか、遠いことのようにぼやける。

 僕は、たぶんほんとはとっくの昔に気がついていた。


 女の子だけに反応してるわけじゃなかった。

 バレンタインにチョコを渡された友人に、口では嫉妬を向けていたけど、それは彼にまっすぐ思いを伝えられる、チョコを渡せる女の子への嫉妬だったかもしれない。


 ずっと、なんとなくもやもやしていたけど、決定的に気づいたのは、この間、タカヤナギさん宅に泊まった時だ。
彼女さんとの夜の時間に巻き込まれて、そこで初めて「男でも、タカヤナギさんでも、嫌じゃない」って気づいてしまった。


 それが納得できるわけもなく。
それも相手が三十路の、おっさんだとか、僕の性癖どうなってんの……。


 僕だってかつては彼女もおったし、普通に女の子好きのはずやん!?

 
せやけど、こないだ、彼がリノたちと楽しそうにしているのを見て嫉妬したし、徹夜明けの風呂屋で、タカヤナギさんの裸を見てちょっと心臓がバクバクしてたかもしれん。
筋肉のつき方とか、骨格とか、男らしい彼の身体に惹かれてる自分がいた。


 そういえば、運動する人の筋肉は綺麗だから、ただそれを描いたり見てるだけだと自分に言い聞かせてた。大学でのデッサンは好きだった。

 やっぱり描くのが好きというだけじゃないねんな……。


 くそっ。

 僕の標準装備のピチピチのおっぱいの大きいかわいい女の子センサー、どうした!?

 応答、願います!!


 結局、相手が男だっていうのに絡み合っても嫌じゃなかったし、触られて気持ち良くなって、切なくて身体の芯がきゅっとなって、その説明を欲しがっているのは、ほんとうは僕自身だった。

 どう言うこと?ほんまに。



「このままいってええんかなぁ」 

 今度こそトイレの個室に閉じこもって、溜め息が止まりません。

 こんなサボり方、いつもはしてませんよ、断じて。

 なんで会社来て朝から、こんなんしてるんやらわからへん。もう今日は帰りたい。

今日やるべき仕事あるんやのに。こんな気持ちは仕事をしてきて初めてだ。まだ新年やん、がんばっていくぞ、エロエロなおっさんなんかに負けへんでー。


 心を強く持って、僕!


「お前は。また、でかい独りごと言うて何しとんねん」

 がちゃっと、扉が開くなり、個室前の扉越しにタカヤナギさんの声が落ちてきた。

「は?」

「ほらさっさと仕事しろ、そんで今日は早く上がれ。一昨日の子らんとこ行くで」

 すぐに扉は閉じて、しんとなった。

 慌てて、服を整えて、手を洗ってトイレを出た。


「行くって?」

「すぐ持って行かんとなぁ、鮮度落ちるん早いからなぁ」

「それ僕も行くんですか、マジで」

「ああ。行くに決まっとる。営業の一環や」

うせやん。あの写真と一緒に行くとか、ありえへん!」

「うるさいわ、はよ仕事せえ」

「鬼! アクマ〜!」


 ••✼••



 相当抵抗したにも関わらず、首根っこを掴まれ無理やり連れて行かれてしまった。

「諦めろ。行くで」

 地下の入り口でためらい、ままよ、と扉を開いた。

 店の喧騒が僕を迎える。

「あーっ、一昨日のお姫様が来た!」と、今日は鮮やかな黄色の振り袖をお端折にして着ているリノが嬉しそうに笑いかけてきた。


 ミニーもその後ろからひょっこり顔を覗かせた。今日は百合の花の絵柄の黒の着物、この子はやっぱりモダンな服が似合う。

「あのあと、どうなりました? 襲われた?」

「襲われてません!」

 慌てて僕が言えば、タカヤナギさんも、「ちゃーんと寝かしたわ、ベッドに」

「当たり前や、そのへんに転がされたらたまりませんわ、起きたら痛いやろ」

「もう、テツさんめろめろでしたからね」とミニーが言えば、

「大事にされてるぅ」とリノが両手を胸の前で組み合わせて身悶えた。

「ちょーうらやましかった。大事にそうっと扱われてねえ。ソウたんってば、酔っ払って、セッティングしても何しても前後不覚ですもん。お姫様だっこされてね。あのテツさん見てないのはもったいないぃ」

「ぎゃあ。一生の不覚や」


「ねえねえ、それ昨日のでしょ?見せて」とリノ。

 写真をテーブルに広げると、手のあいている子たちが寄ってきた。

「うわ。きれーい」とミニー。

「私もプロフお願いしたーい」

 次々に覗き込んで歓声をあげている。

「あれえ、この子、誰?」

 『NEW DIVE!!!』の三人娘でないのを見つけて、指差された。

 僕に指が向かってきて、視線が寄ってきて。先刻から恥ずかしさで小さくなっていた僕は、かちんと硬直した。

 タカヤナギさんが、にやにやして黙って僕らを見守っている。


「え。ええ?」

「ちょっと」

「あら。いいね」

「今度バイトに来てくださいよー」

「売れっ子になれるよ、マジで」

「うあー。たまらん、ちょー恥ずかし……」

 頭を抱えて、小さくなろうと努力して、一昨日明け方の寝ているあいだのことを想い起こして赤面する。

「なんやオマエ、照れんなや、本職の人にめっちゃ褒められてるんやで? 恥ずかしいわけあるか」と僕の頭をつついてきた。

「えー、タカやんセンパイー」僕は力なく反応する。


 違う、それだけじゃない。

 僕が恥ずかしいって言ってんのは、アンタが一昨日の晩、僕のことにめろめろだってリノに言われるほどに、本能剥き出しのままで僕のことを見ていたってことだよ。

 それに、あのダナエの構図の写真。

 皆に見られながら撮った、あのキスの写真のことだって。


 わかってるくせに。


 ••✼••


 その日、プロフ写真を撮って欲しい子たちが集まってきて、請われて次週にまた撮影会が行われることになった。

 着物は数組、余分にあるからと人数を確かめ、持参して欲しいものをタカヤナギさんが説明している。ちゃっかり仕事に結びつけていったあたり、さすがのやり手営業マン。

 着物リストを書き出してあって、用意周到ぶりに驚くが、彼は着物が本当に好きらしい。

 僕はといえば、今日もまたタカヤナギ邸へ行く。着物に半衿をつけるのを手伝って欲しいという。(女の子はいないのか、裁縫の得意な……チサトさんとか)

 裁縫はすごく得意ってわけではないけど、手伝うぶんには、やぶさかではない。

 というより、一緒にいるのは楽しい、とか思っちゃってる自分がいて、ほんま浅ましいなあとか思いつつ。

 はぁ。何やってんの。


 ••✼••


 タカヤナギさんの家で、不思議な動きがあった。和室に座り、着物を広げ半衿をつけ始めた頃。彼は突然、「ちょっと」と言って、席を立った。

 ふすまの奥、寝室にしているらしき方向から、何かが擦れるような音と、「ヒュッ」と風を切る音が聞こえた気がした。それに続き、まるで子どものような甲高い、でも小さな「クゥ……」という、声?


(な、なんの音?)


 作業の手を止めて音のする方を向いたが、すぐにタカヤナギさんが戻ってきた。

「誰かいるんすか?」

「何でもない。風が強かっただけや」と、彼は何事もなかったかのように作業に戻った。

 しかし、その縫い針を持つ無骨で大きな手は、なぜかうっすらと白く光って見えた。

「どしたんですか、その手」

「ああ。着物を触るとな、ときどきこういうことが起こるんや。古い着物やからな」

「古い着物やからって手が光るなんて聞いたことないけど」

「気にするな」

(ええ……。それにしても、今の、指先だけじゃなくて、すごく神々しいというか、格好良く見えたけど)


 僕は、知らず知らずのうちに、その横顔に見とれていた。

「手が、止まってるで?」

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