25日目 鏡の中『私は何を願ったのかしら』

 ニアが目を覚ますと、隣で黒猫のノクスが丸くなっていた。そしてゼルはニアとノクスをじっと見降ろしていた。魔女の服に身を包んだニアはゼルの前で小さく小首を傾げてみせた。


「ねえ、今日は何をして遊ぶの?」

「そうですね。遊ぶ前に貴女も随分と立派な魔女になりましたので、そろそろご契約についての確認をしたいと思います」


 ゼルが手を振ると、例の何でも見せてくれる鏡と、大きな時計が部屋の中央に現れた。


「悪魔は契約の存在とされています。つまり、契約次第で私はどんな力でも引き出せます。貴女の場合、契約期間は1か月、契約内容は『もっと遊びたかった』でした。契約内容に間違いはございませんね」


 ニアは腑に落ちなかった。自身の惨めな境遇や村での酷い仕打ちは思い出したが、どうしてもゼルと契約を結んだ瞬間を思い出せていなかった。


「確認も何も、私は契約したことを覚えていないのよ」

「それでは、これ以上の契約は破棄ということでよろしいですか?」

「そんなことは言ってないわ。その鏡で、私と契約したときのことを思い出させてよ」


 ゼルの目が宝石のようにきらきらと光った。


「そうですね。では、改めて貴女がどういう境遇だったのかを思い出してもらいましょう」


 ゼルが鏡を撫でると、鏡は暗い夜空と、燃え尽きようとしている納屋を映し出した。奴隷少女ヴァニアの知っている顔ぶれが、鏡の中で憎悪の表情を浮かべている。


「おっと、その前からご覧になったほうがわかりやすいですね」


 ゼルは鏡の前で手をひねった。すると夜空は明るくなり、陽の光の降り注ぐ一見のどかな村が映し出された。


『さあ、今日は前夜祭だ』

『今年も祈りを捧げなければ』


 村人たちは集会所に集まって、前夜祭の準備をしていた。子供たちのハロウィンのお祭りの準備とは別の準備であった。その祭壇に用意されたものをみて、ニアは顔をしかめた。


「知恵の実を食べた貴女ならお分かりでしょう? 牛の頭蓋骨にたくさんの蝋燭、真ん中に魔法陣。これから彼らが祈るのは神ではなく、我々悪魔なのです。毎年彼らはこうやって悪魔に祈りを捧げてきました」


 どうして村があんなにも閉鎖的だったのか、ニアはやっと理解することができた。村人たちは悪魔崇拝主義者であった。山奥に追われた彼らはそこで村を作り、一般的な世の中からは遠ざかって生きているのであった。


『毎年のことながら、前夜祭はワクワクするわね』

『前夜祭は悪魔が降りてきやすい。今年こそ、悪魔をお迎えしなければ』


 そう言って村人たちは悪魔召喚の儀式の準備を続けていた。鏡を見つめるニアに、ゼルが囁いた。


「何も知らない奴隷少女には、神も悪魔も関係ないですけれどね」


 それからニアは、ずっと鏡の中を見つめていた。自分がぼんやり思い描いていたものがぼろぼろと崩れていくような感覚がニアを支配していた。やがて鏡の中の時間は夕方になり、子供たちのハロウィンが始まった。めいめいに仮装をした子供たちがあちこちの家を回って、お菓子をもらっていく。


「ああ嫌よ、だって、この後は……」


 ニアは目を閉じようとした。ニアは、自身が少年たちの慰み者になっているところは見たくなかった。すると、ゼルは鏡を操作して暗くした。


「それでは今日のところはおしまいにしましょうか。その代わり、明日は契約についてきちんと思い出していただきますからね」


 それからゼルは、ニアを追い立てるようにベッドに叩き込んだ。納屋の火事の後のことを、ニアは全然覚えていなかった。それを知るのが怖い反面、全てを見透かしたようなゼルの瞳の奥をもっと覗き込みたいとニアは思った。これが魔女になるってことかしら、と複雑な心持ちでニアは眠りに落ちた。時計がカチカチと大きな音を立てた。明日が来なければいいのに、と思うような日であった。


『25日目:終了』

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