26日目 カボチャ畑『役立たずの案山子以下』

 ニアが目を覚ますと、ゼルがニヤニヤと笑いながら立ち尽くしていた。


「今日は何をして遊ぶの……?」

「昨日の続きに決まっているではないですか」


 ニアが魔女の服に着替えると、ゼルはニアを鏡の前へ案内した。鏡の中は真っ暗で、遠くの方で何かが燃え尽きようとしていた。ゼルはニアにそっと囁いた。


「この鏡が映し出しているのは今の現実の世界です。お気づきでしょうが、この部屋は貴女の夢の世界。この世界での1日は、現実世界での3分ほどに相当します」


 ニアは驚いた。この部屋に入ってから25日ほどを過ごしてきたつもりだった。しかし、現実世界ではゼルと奴隷少女ヴァニアが契約してからまだ1時間くらいしか過ぎていないことになっている。


「それじゃあ、現実世界での私はどうなっているの!?」


 ニアの背筋を悪寒がぞくぞくと駆け上った。ニアは燃える納屋を前に、村人たちに取り押さえられたところまでしか記憶がない。


「ご覧になりますか?」


 ゼルは手のひらをくるくると回して、哀れな奴隷少女ヴァニアの姿を鏡の中に映し出した。


 そこにいたのは、まぎれもなくヴァニアだった。しかし殴られて腫れあがった顔は原型をとどめておらず、身体のあちこちからは血が流れていた。そしてその華奢な身体はカボチャ畑の真ん中で大きな杭に縛り付けられて、案山子のような姿で貼り付けにされていた。


『この恩知らず』

『カボチャ頭』

『役立たずの淫売が』


 ねえ、わたし、なにかわるいことをしたの?


 虫の息のヴァニアに、村人たちが心無い言葉を投げかける。


『ああ、気持ち悪い』

『そこで鳥にでも食われちまいな』

『万聖節のその前に、悪魔に魂を持って行ってもらいましょう』


 そう言って、村人たちはヴァニアに祈りを捧げる。


『主よ、大いなる地獄の主よ。この愚か者でもって、我らをお救いください』


 村人たちは思い思いに悪魔に祈りを捧げていた。カボチャ畑の真ん中で、ヴァニアの意識はどんどん薄れていった。


「もし、悪魔がいるのなら……私の、願いは……」


 おそらく、悪魔とはよく知らないが願いを叶えてくれるとても素敵なものなのだろう。そんなことをヴァニアはぼんやり考えた。その時、ひときわ大きな羽音が聞こえて顔に虫が張り付いた気がした。それがヴァニアの覚えている、最後の記憶であった。


***


「何故、貴女がこのように特別扱いされているか、知恵の実を食べた貴女ならご存じでしょう?」


 ニアは夢の世界の鏡の前で、今までのことを思い出していた。ニアの知識は労働に関することと、子供たちの漏れ聞こえる噂話と、大人から受ける惨い仕打ちだけであった。ニアの世界には神はもちろん、悪魔も存在していなかった。


「ええ、私が、神も悪魔も知らなかったから……」


 ゼルは手を叩いた。


「その通り! 悪魔を召喚する儀式であるというのに、その生贄が恐れも恨みもなくただ黙って運命を受け入れる哀れな存在! そんなもの、私たち悪魔にとっては最高に面白い存在だと言えるんじゃないでしょうか!?」


 ニアはようやく、この悪魔は何も知らなかった魂に喜びや絶望を教えて喰らう気であることに気が付いた。


「さて、これから残りの時間何をして遊びましょうか?」


 ゼルの目が宝石のようにきらきらと光った。


「お菓子に玩具、ご馳走に宝石。それに私は貴女のためなら何にでもなることができますよ。豊かな王侯貴族にも卑しい奴隷男にも、何なら優しい乳母にもなって差し上げましょう。まだ、貴女の遊びの契約は有効ですので」

「もし、契約が終わったら?」


  ニアはゆっくりと尋ねた。悪魔はにやりと笑って答えた。


「さあ。一人前の魔女になったとしても、このくらいの復讐をしているのであれば、地獄行きは間違いないんですけどね」


 時計の音が大きく響いた。ニアはこの場をとりあえず乗り切る言葉を思いついた。


「それじゃあ、まだ復讐が足りないの。私をこき使っていた牧場の主人をここに連れてきてくれないかしら。それからでも、私を地獄へ連れていくのは遅くないでしょう?」


 悪魔はニアから一歩下がって、頭を下げた。


「仰せのままに」


 そう言って、悪魔は姿を消した。ニアは黒猫のノクスを撫でながら考えた。契約期間が過ぎれば、悪魔はニアの魂を喰らってしまうだろう。でもニアはまだ消えたくなかった。せっかく知恵の実を食べて知識を手に入れ、これからもっといろんなことをしたいと思ったばかりだった。ニアは悪魔に食われないためにはどうすればいいのか考え、そのうち眠り込んでしまった。何とも恐ろしい日であった。


『26日目:終了』

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