Uncover ~記憶を求めて~

野沢 響

第1話

 時刻が午後六時を回った。

 なぎが端末に今日の業務内容を打ち込んで保存した時、次のシフトの従業員に声をかけられた。凪よりも五つ年上の男性だ。

 自分が担当した業務の進行具合を簡単に伝えて挨拶した後、持ち場を離れた。

 更衣室に向かい着替えを済ませて、出入口のドア横に設置されているパネルが搭載された機器に自分の片手を近付ける。機器のランプと凪の手首に巻かれた認証用のチップが内臓されたリングが同時に緑色に光った。

 パネルには「栗栖くりす なぎ」の文字。

 退勤の手続きはこれで終了だ。


 外に出ると風はすっかり冷たくなっていた。外は晴れているが夕方ともなると気温も下がっているせいか肌寒い。


 凪が向かったのはアパートとは逆方向にある一帯だった。

 いつもだったらまっすぐアパートに直行するのだが、今日は気分が違った。

 黙々と歩みを進めて見えてきたのは、ボロボロの建物が並んだ異様な雰囲気の場所。

 躊躇せずに入っていくと、すぐ横で建物の壁の前でうずくまっている老婆がいた。着ている服は所々擦り切れている。

 そのまま通りすぎて行くと今度は覆面姿の男たちが数人走って行くのが見えた。少し離れた場所から「おい、待て!」という怒号も聞こえる。

 それにも気にせずまっすぐに進んでいく。

 自分を気に留める者はいない。

 ふと知り合いの老人の男性が頭に浮かんだが、今日はこの辺りにいないようだった。

 

 やがて半壊した一棟の灰色の建物が見えてきた。外壁が剥がれて骨組みの鉄骨がむき出しになった建物の中へと入っていく。

 奥にある階段を一段一段注意を払いながら上っていくと、天井が崩れコンクリートと釘が剥き出しになり、割れた窓ガラスの破片が散乱している最上階に着いた。


 ここからは街並みがよく見える。

 数メートル離れた場所に広がっているのは空まで届きそうな高層ビルに所々に取り付けられた大小様々な電子パネル、ビルの中も外も多くの人の姿が見える。

 カフェで談笑する人々もいればスーツに身を包んだ男性が忙しそうに動き回っていたり、制服を来た女の子たちが街頭のパネルに触れながら真剣な表情で話していたりと様々だ。


 凪はいつもここからこの利便性と活気のある街並みを睨み付けていた。

 繁栄地帯と呼ばれているこの場所に凪は今住んでいる。


 凪は睨むのをやめると背を向けて歩き出した。崩れかけている階段を降りていく。

 途中、どこかで言い争う声が聞こえた。反対側では窓ガラスが割れる音が聞こえる。


 凪はそんな騒がしい音と声を背後で聞きながら貧困街を後にした。


 ※※※


 アパートの三階にある部屋の前に着くとドアの横に設置されているパネルに認証コードを入れた。それが済むと退勤の時と同じように片手に付けているリングを当てようとした時、ドアが開いた。

 

 顔を出したのは同居人の洞弥とうや。凪よりも六歳年上の男性だ。

 

 「お帰り、凪」


 「ああ、ただいま」


 凪はそう返すと中に入った。彼が入ったのと同時にドアにロックがかかる。ドアが閉まると同時に施錠される仕組みになっているのだ。


 靴を脱いだ後、洗面所で手荒いとうがいを済ませてリビングに入ると、出汁の良い香りが漂ってきた。

 台所に顔を向けると鍋に大根や練り物、はんぺんやコンニャクなんかが煮込まれているのが見える。どうやら今日の晩ご飯はおでんらしい。

 凪は少し不満そうに眉間にシワを寄せながら洞弥を見て、

 

 「なあ、もしかして今日の晩飯って肉ないのか?」


 「今日は見ての通りおでんだよ。あと今サンマも焼いてるから」


 そう言いながら洞弥が大根を卸し器で刷り始める。

 

 「肉なら昨日食べたじゃないか」


 そう言われた凪の脳裏に昨日の晩ご飯のメニューが浮かぶ。昨日は焼き肉だった。


 「魚もちゃんと食べないとダメだよ。サンマ、今が旬だし美味しいよ」


 「そうかもしんねぇけどさ……」


 凪がまだ不満そうにしていると、洞弥が続けて言った。

 

 「おでん出来たから鍋式置いてくれる? その前にテーブル拭くのも忘れないでね」


 「分かった」


 凪は渋々キッチン用のタオルを濡らすとテーブルを拭き始めた。


 ※※※


 「今日、少し帰り遅かったんじゃない? どこかに寄って来たの?」


 洞弥がほぐしたサンマを口に運ぶ。

 おでんの大根をかじりながら、「ああ、まあ」と凪は曖昧に答えてからすぐに、


 「貧困街に行って来た。街並みがよく見渡せるビルの上でこの街眺めて……」


 「え? あそこに行ったの?」


 洞弥はサンマの骨を外すのを止めて向かい側に座る凪の顔を見た。その表情は驚きと不安が色濃く滲んでいる。彼の瞳は不安そうに揺れていた。

 

「何でまた……。何か用事があったの?」


 「特にねぇよ。ただ懐かしくなって、もう一度あそこから景色見たいって思ったんだよ。それから」


 「それから?」


 「貧困街あの街出てもう二年近くなるだろ? 何か変わってないかと思って行ったんだ。でも、なんにも変わってなかった。俺が住んでた時と全然変わってねぇ」


 凪が生まれてから十八年間過ごした貧困街は彼が出たあとも何一つ変わっていない。何年経っても繁栄から取り残されたままだ。


 「そっか。あのよく話しかけてくれたおじいさんには会った?」


 「いなかった。たぶん寝てるか食いもん探しに行ってるかのどっちかだと思う。あのじいさん、夜は寝ねぇって言ってたし」


 「おじいさん元気だといいね?」


 「ああ。でも、だいぶ年だからな……」


 「見た感じだと長生きしそうだけどね、あのおじいさん」


 「まあな」


 そんな会話をしながら夕飯を食べ進めた。

 夕飯を終えた凪がリビングで寛いでいると、ふと壁に掛けられたカレンダーが目に入った。

 十月のカレンダーを何気なく眺めていると二十八日に赤丸が付けられ、すぐ下には「凪 HB」と手書きされている。


 不思議に思っていると入浴を終えた洞弥がリビングに入って来た。

 

 「なあ、これって」

 

 「凪の誕生日だよ」


 「あっ、そっか!」


 思わず大きな声が出てしまった。

 自分の誕生日が近いことをすっかり忘れていた。


 「やだなぁ、自分の誕生日を忘れるなんて」


 柔らかい笑みを浮かべたまま凪を見る。


 「だって普段気にしねぇし」


 「でも、今年は二十歳の誕生日だろう? お酒呑みながら祝えたらと思ってるよ」


「……おう、ありがとな」


 「うん。お風呂、今入れば温かいよ。入っておいで」


 「ああ、そうする」


 凪はそう言うと、隣接する寝室にパジャマやバスタオル等を取りに向かった。

 

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