第15話

 レイが上がったら、俺も風呂に入るか。そろそろ自分の体も冷えてきてるのを感じる。濡れた髪が首筋を這うたびに、ひやりとした感触が背筋を走る。


「なんか温かいもん飲むか」


 小さく呟いてキッチンに向かう。ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れると、小さな音を立てて湯が沸き始めた。


 白湯でもいいし、姉ちゃんが置いてったティーバッグの紅茶でもいい。とにかく、少しでも体を温めておきたかった。


 引き出しを開けて、姉ちゃんが置いていった紅茶の缶をいくつか取り出す。アールグレイにダージリン、カモミールもある。どれにするか悩んだ末に、結局手は缶に触れただけで止まった。


 まぁ、俺が風呂上がってから、二人分淹れればいいか。


 そう判断して、紅茶の缶を元に戻す。代わりに戸棚からマグを一つ取り出した。ケトルが“100℃”になったのを告げてスイッチがカチリと音を立てて切れる。とりあえずコップに注ぐだけ注いで、少し冷めるのを待つことにした。


 マグに注いだ白湯から、ふわりと湯気が立ちのぼる。そいつをテーブルに置いて、俺はポケットからスマホを取り出す。


 ロックを解除すると、依織からメッセージが届いていた。


『今日もありがとうございました!』

『雨すごい降ってますね』


 文章の最後には、ぽたぽたと雫が垂れる傘の絵文字。俺はそのまま指先を動かして返信を打った。


『お前は降られなかったか?』


 送信してすぐ、既読がつく。返信も、まるで待っていたかのような速さで返ってきた。


『俺は、お店行った後はずっと家にいたので!雨は無傷です!』


 続けて、すぐにもう一通。


『シキ様は降られちゃったんですか?』


 俺はマグを手に取り、白湯をひと口啜る。ほんの少しだけ喉が落ち着いて、スマホの画面に目を戻した。


「……いや、降られたどころじゃねぇけどな」


『まぁまあ、盛大に濡れた』


 送信ボタンを押して、しばらくそのまま画面を眺めていると、既読がついて、すぐさま返事が来た。


 『大丈夫ですか!?』


 画面の文字を見つめながら、口元が少しだけ緩んだ。やけにまっすぐな気遣いが、喉の奥に残っていた冷たさを少しだけ溶かしていくようだった。


『大丈夫』


 そう打ち込んで送信しようとしたところで、画面がぱっと切り替わった。


 着信。依織からだ。


 思わず苦笑しながら、スマホを耳に当てた。


「……もしもし」


『シキ様!本当に大丈夫ですか!?』


 予想以上に心配そうな声が飛び込んできて、俺はわずかに目を細めた。


「うん、大丈夫」


 俺がそう返すと、通話の向こうで依織は少し息をついたようだった。けれど、まだ不安が抜けきっていない声で続けてくる。


『だって、“まぁまあ濡れた”とか、そういうのが一番危ないんですよ!?ちゃんと服は着替えました!?暖かいもの飲んでますか!?』


 まくしたてるような声に、思わず苦笑が漏れる。


「ちゃんと着替えた。今、白湯飲んでるとこ」


『よかった……っ』


 電話越しに、依織の安堵する息遣いが伝わってくる。ほんと、相変わらずだなって、少しだけ笑う。


「お前さ、心配しすぎ」


『だって、シキ様が風邪引いたら俺、心配しすぎて、寝られなくなっちゃう』


「それは……迷惑だな」


 わざと軽口を返してみるけど、依織はすぐに食いついてくる。


『えっ、ひど……!でもほんとに、しんどかったら明日もリスケするんで、ちゃんと連絡くださいね?俺、全然いつでも合わせますから!』


 優しい声が、ぽんと胸に落ちる。押しつけがましくない、でも確かにこちらを気遣ってくれるその響きに、ほんの少しだけ目を細めた。


「ん、わかった。……ありがと」


 そう答えると、電話の向こうでふっと空気が和らぐのがわかった。依織は素直すぎるくらい、声に感情が出る。


『よかった。今日は、ゆっくり休んでくださいね?』


「お前に言われなくても、そのつもり」


『あ、じゃあ、また明日の待ち合わせ時間と場所を送っておきますね。おやすみなさい、シキ様』


「ん。おやすみ」


 通話が切れたあと、スマホの画面が静かに暗転する。その黒に映る自分の顔は、いつもより少し、柔らかく見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る