第14話
俺がエントランスの扉を押し開けて振り返ると、レイはまだ軒下でぽかんと立ち尽くしていた。目はぱちぱちと瞬いている。
「えっ……あの……ほんとに? いいの?」
びしょ濡れの前髪から雫を垂らしながら、まるで夢でも見てるかのように、レイは戸惑った声を漏らす。
足元を見て、俺の顔を見て、また視線を彷徨わせて。まさか俺の家に来ることになるとは思ってなかったらしい。俺も、連れてくることになるなんて思わなかったが。この前、雨に降られながら帰って体調を崩した俺の二の舞になられたくなかったから、連れてきただけだ。
「濡れたままだと、風邪ひくぞ」
呆れ混じりにそう言って、俺は濡れた袖越しにレイの手首を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってってば、心の準備が」
「うるさい。はよ来い」
そうして俺は、エントランスの扉を片手で支えたまま、まだ固まってるレイをずるっと引っ張った。引かれるまま、レイの靴が床を擦る音がして、ようやく中へ足を踏み入れる。
マンションの内廊下はしんと静まり返っていて、雨音が遠くなった代わりに、靴から滴る水の音だけがやけに耳についた。
「こんなことになるなんて……」
ぼそっと呟くレイの声が後ろから聞こえてくるが、俺は無視して、無言で廊下を進んだ。103号室の前で足を止め、鍵を差し込む。
鍵を回してドアを押し開けた俺は、一歩先に玄関へと足を踏み入れた。
そのまま振り返ると、未だ呆けた顔で立ち尽くしているレイが、ぽたりぽたりと濡れた前髪から雫を落としていた。
「おい、突っ立ってんな。入れよ」
そう言って軽く腕を引けば、レイは「え、ちょっ」と情けない声を漏らしながらも、抵抗なく玄関に押し込まれた。
ドアを閉めて鍵をかけると、背後でカチャリと確かな音が響いた。レイはそこでようやく自分が“俺の家の中”にいることを実感したのか、玄関に立ったまま、口を開いたり閉じたりしている。
「マジで、ここ、シキくんち……」
「喋ってないで先にシャワー行け。濡れたままだと本当に風邪ひくぞ」
俺は無造作に濡れた前髪をかき上げながら、廊下を指で示す。
「風呂、奥のドア。バスマット敷いてるから。タオルは洗面台の引き出しに入ってる。服は洗濯機ん中入れといてくれたら後で回す。着替えは何がいる?」
少し間を置いて、レイが小さく「あ……」と声を上げる。
「えっと……替えの下着はあるから、それ以外お借りしたい、です」
「ならスウェット準備しとく。サイズ合わないかもだが、我慢してくれ」
そう言って俺は自室に向かおうとしたが、動く気配のない隣の彼の様子を見てみると、レイは靴を脱いだまま玄関に突っ立って、なんだか落ち着きなくきょろきょろしていた。
「レイ」
「は、はい!」
「風呂場。あっち。GO」
「はい!!!」
勢いよく返事したレイは、バタバタと脱衣所に消えていく。その背中を見送って、改めて自分の服を見ると、見事にぐしょぐしょだった。上着からシャツ、ズボンまで、雨水を吸って体にぴったり張り付いている。
こっちも、まあまあ悲惨だな。
さっきのレイを送り出す余裕なんて、本来こっちの状況にはない。肩口が冷えてきて、背中を伝う水滴が妙に気になる。
部屋に戻ってから脱ぐかと一瞬思ったが、濡れたまま歩き回るのも嫌だった。廊下に水が垂れれば後で面倒なことになるし、何よりもう、肌に張り付いた布が不快すぎる。
俺は玄関の壁に背を預けるように立つと、服の裾に手をかけた。
ぺたりと肌に貼りついた生地を、ゆっくりと剥がす。脱いだ服はずっしりと重く、冷たい水がぽたぽたと床に落ちた。
続けてズボンも下ろす。水を吸って硬くなった布地を引き剥がすようにして脱いでいくと、ようやく肌が呼吸できるような気がした。
パンツ一丁で小さく肩をすくめながら、濡れた服の山を両腕に抱える。脱衣所の前に着くころには、シャワーの音が聞こえ始めていた。
そのままそっと脱衣所に入り、洗濯機の蓋を開け、濡れた衣類を放り込んだ。
タオルでざっと体を拭いたあと、自室へ向かい、クローゼットを開けて中を漁った。レイ用に少し大きめのスウェットを探しつつ、適当に引っ張り出したTシャツと部屋着のズボンに袖を通す。
「うーん、これぐらいしかないか」
俺より背も高く、肩幅もあるレイには、少し窮屈かもしれない。けど、背に腹は代えられねぇ。
選んだのは、普段俺が寝巻き代わりにしてるスウェットの上下だ。
寝るときはゆったりしてた方が好きだから、いくつかサイズが上のを買ってある。この家にある服で、一番デカいのがこれ。
生地は柔らかいから、レイにとってはむしろちょうどいいサイズかもしれない。まぁ文句言ったら裸で寝かそう、なんて思いながら、俺はスウェットの上下を脇に抱えて脱衣所へ向かった。
俺は脱衣所のドアを開け、中に足を踏み入れた。
脱衣所の鏡は浴室から漏れた湯気で少し曇っている。目の前の浴室からは、シャワーの音は途切れずに続いていて、俺が脱衣所に入ってきたことには気づいていないようだ。
「レイ」
浴室の扉越しに名前を呼んでみると、シャワーの音がぴたりと止まった。少しの間を置いて、扉の向こうからくぐもった声が返ってくる。
「……シキくん?」
「着替え、洗濯機の上に置いとくぞ。タオルも一緒に出してあるから」
そう声をかけながら、スウェットの上下とバスタオルを洗濯機の上に置いた。
「ありがと」
「んー」
短いやりとりを終えて、脱衣所のドアをそっと閉めた。
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