第二話 討伐依頼
第二話 一
一
北太平洋に新たな大陸が出現し、人類が移住を始めて二百年以上が経過した。東西・南北幅共に約二千五百キロメートルの広大な土地に、約四千万の人々が住んでいる。
『ビギナーズ・ウェルカム』と名づけられたこの大陸には奇妙な特徴があった。ここで暮らす者は程度の差はあれ何かしらの能力を身につけるのだ。それは異常な筋力であったり自己治癒力であったり、銃弾を通さぬ頑強な皮膚であったり、壁の向こうを見透す目であったり、呪文と共に指先から噴き出す炎であったりした。
ただし、その条件は人間以外にも適用される。動物も、時には植物でさえ生存のために異常な能力を手に入れ、その一部は人を襲う魔物と化す。人類は常に生存圏を懸けて魔物との戦いを強いられていた。
大陸の中央部には一際高い山がそびえている。セントラル山と呼ばれるその標高は四千一メートルで、麓から中腹までは緑豊かで生息する動物も多いが、狩りや採集に踏み入る者はいない。間違ってラインを踏み越えてしまえば絶対に生きて帰れないことを周辺の住民は理解していた。
そのセントラル山に近づく馬車が一台。馬に乗って併走する護衛達は重装備で、油断なく周囲に気を配っていた。
森の中を続く道は次第に狭くなり、凹凸がひどくなる。滅多に人が通らず手入れされていないようだ。
道の上り勾配がはっきりしてきた辺りで馬車の速度を緩めた。それから少し進むと前方に白いラインと立て札を認め、一行は停止する。
護衛が馬車の扉を開けると杖をつく老人が降りた。高級な衣類からそれなりの地位のものだと分かる。
「ここで待機だ。そこのラインから先へは絶対に入るでない」
老人が厳しい口調で皆に命じた。
馬車に同乗していた大柄な護衛が慎重に立て札に近づき、文面を読み上げる。
「許可なく白い線を越えて侵入することを禁ずる。用がある者は声をかけるまでこの場に留まること。セントラル山の管理者、ルナクス。だそうです」
「うむ。内容は変わっておらんな」
「では声がかかるまではずっと待機ですか。ご当主、まだ馬車で休んでおられた方が」
「いや、そう長くはかかるまい。それに、常に見られていると思った方が良い。こちらの誠意を示しておかんとな」
老人は答えた。
地面に描かれた白いラインは幅三十センチほどで、道を横切って淡く輝いていた。見渡す限り左右どちらにも延々と続いており、もしかするとセントラル山を丸ごと囲んでいるのかも知れない。ラインには魔術的な効果がかかっているのか、落ち葉や土が乗って汚すようなことはなかった。
「むっ、ご当主お下がりを」
大柄な男が長剣を抜き放ち老人の前に立った。他の護衛達も身構える。
ラインの向こうに狼がいた。全身の毛皮が銀色であるそれはシルバーウルフと呼ばれ、この大陸ではそれほど珍しくない生き物だ。
ただし、尾を含めた全長四メートル、体重が三百キロをオーバーしていそうな巨体となれば話が違ってくる。種の限界を超えて魔獣化してしまっている。この場にいる護衛達では手に負えないかも知れない。
だが老人は首を振った。
「心配は要らん。よく見ろ、首輪がしてある」
確かに銀色の狼の首には太い首輪が巻かれ、目立つように赤い布が垂れていた。殺気がないどころか気配も殆どないので馬達も怯えていない。
知性を感じさせる瞳が静かに来客達を見据えていた。
「おそらくルナクス様の眷属であろう。こちらがおかしな真似をしなければ襲ってはこぬ筈だ。……初めまして、私はメイキョーの国家評議員でサルトス・ヘルゼンと申します。ルナクス様にお頼みしたいことがあって参りました。取り次いで頂ければありがたいのですが」
魔獣に向かって丁寧に頭を下げる老人に、護衛達は呆れ顔になるのをなんとかこらえていた。
だが次の瞬間、その顔を驚愕に強張らせることになった。
「いいじゃろ。上がってくるが良い」
やや高いしわがれ声が響いたのだ。
声は狼の方から聞こえたが、その口は動いていなかった。
「ルナクス様からラインを越える許可を頂いた、ということでよろしいですね」
サルトス老人は平然と念を押す。
「用心深いのは良いことじゃな。わしはセントラル山の共同管理者じゃ。ルナクスの許可という解釈で問題ない」
「では、よろしくお願い致します」
サルトスはまた一礼し、護衛達を振り返って告げた。
「お前達はここで待っていろ。同伴はレスターだけで良い」
レスターと呼ばれた大柄な男は長剣を収め頷いた。
声が楽しげに言った。
「馬車は無理じゃが、馬なら上れるじゃろう。お主は馬には乗れるかね。乗れぬなら、この背に乗せてやっても良いぞ」
「お気遣いありがとうございます。乗馬は若い頃から嗜んでおりましたので」
護衛が引いてきた馬に、サルトスは手を借りつつ跨った。杖は鞍の後ろに取りつける。それからレスターが別の馬に跨る。
「先導してやる。ついてくるが良い」
銀色の狼が山道を歩み始め、サルトスとレスターはそれを追って白いラインを越えた。特に何も起こらず、レスターはこっそりと安堵の息をつく。
道は細く、傾斜が次第に厳しくなるが馬は問題なく上っていく。筋力と頑強さで選ばれた馬達だった。
途中、木々の奥から見守る影にレスターが気づく。数頭のシルバーウルフだった。しかし先導の狼が一瞥するとすぐに去っていった。
「もう少しの辛抱じゃ。山頂まで行く必要はないからの」
馬の脚で四時間もかかったろうか。蛇行する道を上るうち、七合目か八合目辺りの平らな場所に建物があった。小屋よりはましだが、質素な木造の屋敷だ。
庭には様々な植物が育っており、その多くが食用や薬の原料など役に立つものであった。
二人が馬を降り、繋ぎ場に馬を繋ぐのを待って声が告げた。
「入るが良い。ルナクスが待っておる」
「ご案内ありがとうございました」
サルトスは改めて狼に礼を言った。
入り口の扉をノックすると「入れ」と中から声がした。
「失礼します」
扉の向こうはそれなりに広い部屋だった。中央にテーブルがあり、壁際にシンプルなキッチンがある。キッチンの近くに薪ストーブが置かれ今も火が入っていた。
テーブルの奥側の椅子に座る男が一人。それから若い男がストーブに乗せていたケトルを手にするところだった。
「ルナクス様、お久しぶりです。相変わらずお元気そうで何よりです」
座る男にサルトスが挨拶する。と、その横をスルリと狼が追い越して男の足に体を擦りつけた。男が狼の背を軽く撫でると満足したようで、またサルトスの横を抜けて外へ出ていった。
「座るがいい」
ルナクスが来客へ告げた。
彼は三十才前後に見えたが老成した雰囲気と落ち着きがあり、実際の年齢はもっと上かも知れなかった。屋内でも地味な厚手のジャケットを着ている。無表情で顔立ちに特徴は薄く、別れて少し経てば思い出せなくなりそうだ。サルトスとは旧知のようだが口調は淡々として親しみが感じられなかった。
「この男はレスターといい、当家の護衛長を務めております」
紹介されてレスターは静かに頭を下げた。その目はルナクスの腰にある鉈に向けられ、それから顔を見て、僅かに首をかしげる。
サルトスが手前の椅子に腰を掛けたが、レスターはその後ろに立ったままだ。ルナクスは再度促すことはなかった。
「どうぞ。砂糖はお好みで」
若い男が客達の前にコーヒーカップを置いた。それからルナクスの前にも。テーブルの中央に砂糖とスプーンの入った小瓶がある。客の来る前から準備していたようだ。
「ではお先に頂きます」
毒見のつもりだろう、早速手を伸ばそうとしたレスターを制し、サルトスがゆっくりとコーヒーカップに口をつけた。
「お弟子さんですかな」
「弟子の一人だ」
ルナクスが答えると、若い男はキッチンの前で背を向けたまま、こらえきれぬように淡い微笑を浮かべた。
「用件は何だ」
単刀直入にルナクスが尋ねた。
「魔獣の討伐をお願いしたいのです」
サルトスも直截に答えた。
「魔物領域からメイキョー領に出てきた巨大な鳥の魔獣がいまして、かなりの被害を受けております」
魔物領域とは大陸辺縁部の強力な魔獣がひしめく危険地帯だ。そこから縄張り争いに敗れたものが人類の生存圏に迷い出たり、一帯の主となるまで成長した化け物が戯れに遠征に来たりする。今回の魔獣は後者のようだ。
「現地のハンター達では対処出来ないのか」
「残念ながら、我が国のハンター達では歯が立たぬようです。ベテランでも返り討ちに遭って死ぬ者が続出し、隣国へ避難する住民も増え始めています」
「そうか。報酬は」
「『テスタロッサ』と綽名されたこの魔獣には現在五千万シンの討伐報酬が設定されています。今回は評議会からの指名依頼ということにさせて頂きますので、倍の一億シンでいかがでしょうか。帝国金貨の方がよろしければそちらでお支払い出来ます」
「期限はあるか」
「ありませんが、出来るだけ早い方がありがたいです」
「俺が倒す前に別のハンターが倒した場合は報酬はなしでいい。討伐証明はどうする。持っていくのは死体の頭部だけでいいか」
「充分です。特徴的な赤い冠羽があるそうですから、その部分だけでも構いません。或いは、もし死体を丸ごと持ち帰って下さるのなら素材としての報酬も上乗せ出来ますね。我が国には信頼の置ける真偽鑑定官がいますから、最悪、討伐したというご報告だけでも問題はありませんが」
「証明部位の持ち込みと報告はトウゲンのハンターズ・ギルドでいいか」
「それで結構です。予め話を通しておきますので。万が一問題が起きても私の名前を出して頂ければ対応します」
「なら話が通るまで俺は動かない方がいいか」
「……いえ、通信機がありますので、この後すぐにでも連絡しておきます。では、受けて下さいますか」
「受けよう」
ルナクスはそう答えてコーヒーを飲み干した。
「俺は出発の準備をする。お前達は帰るがいい」
「はい。ありがとうございます。どうかよろしくお願い致します」
サルトスは深々と頭を下げた。
二人が建物を退出すると銀色の狼が待っていた。
「麓まで送ってやろう」
声が言った。
馬に乗って先導されて山道を下り、無事に白いラインの外に出るとサルトスは狼に礼を言った。狼は緩く尻尾を振りながら去っていった。
山道の往復で合計八時間。既に辺りは暗くなっていた。
ハンターズ・ギルドへの連絡を済ませ、最寄りの町へ向かって駆ける馬車の中でレスターが言った。
「伝説の『セントラル山の狩人』ですか……。若く見えました。『恩恵』を寿命を延ばすために使っている者も多くいますが、それにしても若過ぎる気がしますね」
「あの方は特別だ。前回お会いしたのは四十年ほど前だったが、全く変わっておられなかった」
「ご当主相手にも、なんだかそっけない態度でしたね」
レスターの言葉にサルトスは苦笑する。
「あの方は必要なことしかお話しにならないからな」
「それに……奇妙な印象を受けました。強そうに見えないというか、丸っきり普通の人のような……。私が帯剣しているのを気にする様子もなかったですし。あの弟子という男の方が隙がなく、手強そうに思えました」
「お前でもそう感じるか。そのせいで……昔は大勢、死者が出た」
サルトスはそれきり黙った。
メイキョー自慢の高級馬車は馬の強靭さもあって時速四十キロで駆け、王都トウゲンまで二日かけて戻ったが、その時には全てが終わっていた。
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