第二話 二
二
依頼人達が山道を下っている頃、ルナクスは荷造りを終え弟子に留守を頼んでとっくに出発していた。持っていく武器はいつもの弓矢と鉈で、肩掛けしたザックには最低限の食料や医療キット、獲物を収納する大袋などが詰めてあった。セントラル山の南西に位置するメイキョー国を、目立たぬよう道を外れて駆け続け、六時間後にはトウゲンに到着した。
夜も更けていたがハンターズ・ギルドのロビーには人が多かった。まだ駆け出しで粗末な装備の若者、顔に傷痕のある中級者、そして他を圧するような雰囲気をまとい、希少な魔獣素材の装備で身を固めた強者。だが彼らの顔は一様に不安と苛立ちに染まっていた。テスタロッサの襲撃を怖れ、城壁の外に出ることを躊躇しているようだ。
そんな中を無表情に歩き、ルナクスは受付嬢に言った。
「メイキョーの法律に変更がないか確認したい」
「はあ。外国の方ですね。ハンターのライセンスはお持ちですか」
「持っている」
ルナクスがライセンス証を見せると受付嬢の顔から血の気が引いていった。ぎこちない笑みを浮かべて告げる。
「ヘルゼン様からお話は伺っております。法律関係の書籍は二階の図書室にございます。それと、テスタロッサについての情報はお聞きになりますか」
「討伐証明には冠羽で、最悪報告だけでも良いと聞いているが、それで問題ないか」
「はい、問題ありません」
「ならそれ以上聞くことはない」
簡潔に答え、ルナクスは二階に上がった。
現行の法律をざっと読み終えると、ルナクスは静かにギルドの建物を出ていった。そのまま城塞都市の正門を抜けて北西に駆ける。道を外れ林を突っ切り、狂暴な猿の群れに気づかれることなく森を抜け、小高い丘の上に到着する。
茂みに身を沈め、西の夜空を見据える。左手に弓を握り、矢を抜いた。
前方の草原から複数人の気配が近づいてきた。ハンターらしき装備の者達が何やら叫びながら走っている。まだそれなりの距離があったがルナクスの耳は正確に内容を聞き取っていた。
「アーノルド、
「相手は空を飛んでるんですよ。意味がありません」
「全くっ、鳥目ってのは嘘だったのかよっ」
「誰でもいいっ囮になれ。おい、臨時雇いの弓、お前、囮をやれ」
「お断りだっ、命捨てられるほどの報酬は貰ってねえ……アヅッ」
グループのうち偉そうな男が弓を持った男の足に切りつけた。男が転び、他の者はそれを置いて逃げていく。
「イデエ……畜生このっ」
転んだ男は足を押さえながら草むらに伏せた。草の丈は四、五十センチほどで、夜間でもあり動かずにいれば見つからずに済むかも知れない。
「ジェイル様、ひどいことを」
術師らしい服装で杖を持つ女が偉そうな男を非難する。
「シルナ、文句があるならお前を囮にしても良かったんだぞ」
偉そうな男にそう返され、女は後ろめたそうな顔をして黙って仲間達と駆けた。
五人のグループが丘の左を駆け抜けていく。その先の森を目指しているようだ。ルナクスはそちらに一瞥もくれず空を見据えていた。
草原の先、岩山の向こうから満月を背景にして巨大な影が舞い上がった。
黒い鷲。或いは烏が鷲に憧れて変異したのかも知れない。翼を広げきった状態でその幅は四十メートル以上あった。両翼の風切羽だけが白く、また、頭頂部にやや後ろ向きにピンと立った赤い冠羽が生えているのが特徴的だった。
イタリア語で「赤い頭」を意味するテスタロッサと名づけられた魔獣。
とにかく巨大だが体のバランスは比較的保たれており、新たな部位が増えるような変異はしていない。足の鉤爪はそれぞれの長さが一メートル近くあり、どす黒く鈍い輝きは超常の力が宿っていることを暗示していた。鉄板などあっさり貫き、馬車一つ余裕で掴んで持ち上げられるだろう。尖った嘴も同様に黒光りしていたが、まだ新鮮な血と腸らしきものが絡んでいた。逃げていたグループの者を食べていたため追跡が遅れたようだ。目が赤く発光しているのは暗視能力の証か。
ゲエエエエエーッ、という濁った鳴き声が草原に響き渡った。傷ついて伏せていた男は反射的に身を固くし、逃げていた者達は恐怖に歪んだ顔で更に加速する。全員身体強化の心得があるようで、息を切らせてはいるがへたばりはしない。
丘の上の茂みからルナクスは巨鳥を見据えている。距離はまだ六百メートルほどあった。
テスタロッサは何度か首を左右に巡らせると、獲物を認めたようで大きく羽ばたいた。左翼に刺さっていた一本の矢がその拍子に落ちる。逃げるグループの誰かが放ったものだろうが、血もついておらず全くダメージを与えていなかった。
向かう先は逃げていく五人だった。まだ森まで距離があるので隠れるのは間に合わないだろう。もし間に合っても木々ごと薙ぎ払われて食われるかも知れないが。
ルナクスは矢を放った。狙いを定める時間もかけず、つがえてから射るまでが一瞬で終わるいつもの動作だった。
テスタロッサはまだ飛んでいた。だが新たな羽ばたきは痙攣にも似て、体勢が崩れるとそのまま急降下して草原に墜落した。
ルナクスが丘を下りて歩み寄った頃には、テスタロッサの目の光は失われ、呼吸も完全に停止していた。
「あ……あんた、何モンだ」
足を負傷して伏せていた男が、訳が分からないといった様子で尋ねた。
「ハンターだ」
ルナクスは簡潔に答え、鉈を抜いて魔獣の冠羽を切り取ってザックに収めた。続いて眉間から少しだけ顔を出している矢筈をつまんで引きずり出す。
ルナクスの放った矢は魔獣の脳を貫いていた。
布で血と脳漿を綺麗に拭き取り、損傷や歪みがないことを確認して矢筒に戻した。
それから改めて巨大な死体を見渡し、足の鉤爪に目を留める。
最も曲がりが少ない一本を選び、付け根部分に鉈を振るうとあっさり切断した。獲物用の袋を広げて爪を収め、巾着になった口を締めたところで背後から声がかかった。
「おい、貴様」
ルナクスが振り返ると、先程まで全力で逃げていたグループが戻ってきていた。
「何だ」
ルナクスは無表情に返す。
「その獲物は俺達のものだ。横取りは許さん」
言ってきたのはジェイルと呼ばれていた、リーダー格らしい偉そうな男だった。
「横取りではない。お前達は逃げていただけだ」
「何っ、貴様っ」
「それにメイキョーの法では、災害レベルの魔獣に関しては一刻も早い討伐が求められるため、横取りは成立しないことになっている」
「……それがどうしたよ」
ジェイルという男は悔しげな顔から一変し、ふてぶてしさが表面化していた。横に立つ大盾を持つ男は眉をひそめ、杖を持つ女は不安そうな顔をしたが、何も言わずにいる。斥候らしい弓を持つ細い目の男はニヤニヤしていたし、こちらも術師らしい杖を持つ中年の男は路傍の石ころでも見るような視線をルナクスに向けていた。
「俺はテルナン王国のクレイマン伯爵家の子息だ。俺が白と言ったら黒でも白なんだよ。切り取った冠羽を置いていけ。その爪もだ。あの化け物を殺すのにどんな凄え武器を使ったか知らんが、そいつも置いていけや」
「お前達は一つのグループだな」
ルナクスは言った。
「この男の主張は、グループの総意と判断するが、それで問題ないな」
ジェイルの仲間のうち杖を持つ女は僅かな動揺を見せたが、リーダーの顔色を窺い反論することは出来なかった。
「俺は違うぞ。メイキョーのハンターで臨時雇われの身だ」
伏せていた男が片手を上げた。
「こいつら自分達がテスタロッサを討伐するってイキッてたくせに、フィックの奴がやられたら途端に逃げ出しやがった。俺はそいつに足を切られたし、そいつらの味方をするつもりはない」
「分かった」
振り向かずにルナクスは頷いた。
「おい、何を言ってる。総意とか何とか、どういう意味だ」
ジェイルのこめかみに怒りの青筋が浮き上がってきた。横に立つ盾持ちの男が言った。
「ジェイル様、今回はやめておいた方がよろしいかと。この男、どうも薄気味悪いところがあります。一人でテスタロッサを殺したのなら相当の強者と見なすべきです。それにメイキョーでは真偽鑑定官が……」
「うるさいっ、俺の言うことに逆らうなっ。おい貴様、さっさと冠羽を出せ。八つ裂きにされたくなければなっ」
ジェイルが剣を振り上げた瞬間、ルナクスの右手が霞んだ。
ジェイル・クレイマンは目を見開いて、何かを言おうとするが出るのはゴポゴポという湿った音だった。その腕の力が抜けて剣が落ちる。
彼の喉に金属の輪が生えていた。他の四人の喉にも同じものがあった。血が止めどなく溢れ、ある者は驚愕を、ある者は後悔を顔に浮かべながら、その場に崩れ落ちていく。
ルナクスは五人の死体に歩み寄り、金属の輪に指を掛けて喉から引き抜いた。菱形の薄い刃は気管と片方の頸動脈を切り裂き、背骨の後ろの延髄まで破壊していた。
血を拭ってベルトの裏に戻し、立ち去ろうとしたところで伏せた男が声をかけた。
「おーい、凄腕さん。すまないが、俺を王都まで運んでくれないか。このままだと獣の餌にされちまいそうなんでね」
ジェイルに切られた傷は深く、一人で歩くことは困難になっていた。
「報酬を払うか」
後はギルドへの報告だが、実質依頼は果たしている。今のルナクスはフリーだった。
「ああ。五万シン、いや十万シン払う。それと、あんたに非はなかったってことを証言してやるよ」
「引き受けよう」
それでルナクスは爪一本と男を一人背負って夜のうちに王都に到着した。
ハンターズ・ギルドに報告と赤い冠羽の提出を済ませ、草原に残された魔獣の死体の素材使用については自分で持ち帰った爪一本以外勝手にして良いと告げ、報酬を受け取るとルナクスはセントラル山へ走って帰った。
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