COLDEST

狂気太郎

第一話 セントラル山の狩人

第一話

 その男は弓矢を携えていた。

 弓は複数の素材を張り合わせて作った複合弓と呼ばれるタイプで、コンパクトさと威力を両立させたものだ。素材は金属と動物の腱や角を使っているようだ。背負った矢筒には二十本の矢が収まっていた。

 男は無表情に立っている。体格はやや痩せ型で、あまり特徴のない顔立ちだ。三十才前後に見えるが老成した雰囲気があり、実際の年齢はもっと上かも知れない。

 山の中腹のなだらかな丘状になったフィールドに、複数の的が配置されていた。前方五十メートルほど先と百メートルほど先に一つずつ、右の上り斜面に一つ、左方の木の幹に一つ、もう少し奥の木の枝に吊るされたものが一つ、そして男の後方十メートルほどの場所にも一つ。更に、男の立つ位置からは地面の凹凸を挟むため見えないが、前方四百メートルの場所にも一つあった。

 丸太を薄く輪切りにしたそれぞれの的には、一から七までの番号が書かれていた。

 男は左手に弓を持ち、右手は自然に垂らしている。

「今日は右に寄れ。右に三歩じゃ」

 何処かから高めのしゃがれ声が響き、男は黙ってそれに従った。

「では始めるぞ。三四二」

 声が数字を告げると同時に、男の腕が霞むほどの速度で動いた。

 次の瞬間、コココン、と重なるように硬い音がした。右の的、左の木の幹の的、そして前方百メートルの的に矢が刺さっていた。それぞれ綺麗に年輪の中心部に。

「六一五、上に三メートル飛んでそこから四三一」

 声が続く。男は最小限の動きで身を捻りつつ後方へ矢を放ち、すぐに向き直って次を射る。指示通り垂直にきっちり三メートル跳躍し体を小さく丸め、その体勢のまま三連射した。

「着地したらすぐ前転三回して二六、左に四メートル転がりながら一四五、伏せて三六七」

 男は着地した時も転がる時も音を立てなかった。背の矢筒から矢を抜いてつがえ放つまでの動作はコンマ一秒かからず、それはどんな体勢からでも同じだった。

「立ち上がって六四二五三、最後に前転しながら七に五発」

 途中で二十本の矢が尽きたが男は右手で何かを投げた。

 終了後、男はまず最も近い後方の的に歩み寄った。年輪の中心に矢が四本突き刺さっている。鏃同士がぎりぎり触れ合っている状態で綺麗に水平に並んでいた。黙ってそれを引き抜き、矢筒に戻す。

 右の上り斜面の的には矢が三本、やはりぎりぎり触れ合って水平に並んで突き立っていたが、その隣に別のものが刺さっていた。

 全長十センチちょっとの菱形のナイフ。後端は柄の代わりに指が一本通る程度の輪になっていた。刃が薄く、厚いところでも一ミリ程度だった。

 矢を戻した後で男はそのナイフを右袖内の隠しポケットに差した。

 男は近いところの的から順に矢とナイフを回収していき、最後に四百メートル離れた的に着いた。射た場所からは山の起伏が邪魔になって見えない筈だが、やはり中心に一本の矢が刺さっていた。更にその矢を囲むように、五本の薄いナイフが正確な五角形を形作っていた。

「まあまあじゃな」

 声が言った。

「そうだな」

 男が無表情に答えた。感情を含まない淡々とした声音だった。

 五本のナイフはベルトの内側の隠しポケットに収める。

 歩いて戻る途中で下り斜面の茂みからガサリ、と音がした。

 男は気にする様子もなく歩き続け、七、八歩進んだところで茂みから大型の獣が飛び出してきた。

「グォゥギュッ」

 低く唸りながら男に飛びかかろうとしたがすぐさま地に落ちる。その左目に刺さった矢は脳を貫いて後頭部から鏃が突き出していた。

 銀色の毛皮を持つ狼だった。頭から尾の先までは二メートル近いが、痩せてあばらが浮いていた。ヒゥゥと細い吐息を洩らして何度か痙攣した後、狼は動かなくなった。

「今夜は狼肉のステーキか。しかし襲ってくるとは余程切羽詰まっておったか。シルバーウルフは知能が高いから相手を選ぶもんじゃが」

「縄張り争いに敗れつがいを失い、傷も負っていた。仔のためには無理をする必要があったのだろう」

「ふむ、シルバーウルフの仔か。……宿を増やすのも良いな。番犬にも良かろう」

「そうか」

 男は声に淡々と応じながら手早く死体を枝に吊るし、腰の鉈を抜いて首筋に切れ目を入れた。流れ落ちた血が地面を濡らす。

 血抜きを待つ間に男は茂みを下りていった。目的地が分かっているように迷いなく木々の間を抜け、獣道を横切っていく。途中、角の生えた熊がいたが男に気づくとすぐに駆け去っていった。

 岩壁の洞窟というほどではない窪みの奥にシルバーウルフの仔達がいた。まだ生後二週間ほどだろう。両掌に収まる程度の大きさだ。

 三頭のうち、二頭は既に餓死していた。『恩恵』があるこの大陸では暫く飲まず食わずでも耐えられるものだが、それでも限度はある。

 来訪者を認めても唸る元気もなく、放っておけば数日以内に死にそうな仔に、男は無表情に声をかけた。

「生きたいか。ならば契約しろ」

「まあ待て。今から通訳してやる」

 しゃがれ声と共に男の左手から細い緑色の触手が生えて、狼の仔に向かってシュルシュルと伸びていった。


(第一話 完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る