第23話 驚愕のSSD
この時代、WMEでは予選は行われない。最終的に走行距離で結果が決まるためである。無論、その中にあっても抜きつ抜かれつは当然生じる訳だが。
翌日の決勝には、ホームストレートの内側に、エントリーするマシンが斜めに停車して、レースの時を待っていた。
その間も様々なセレモニーが行われ、場を盛り上げる。無論開催には無数の住民も協力しており、ル・マンにとっては、まさにお祭りにも等しい。
そして、華々しいセレモニーに、モータースポーツとは、文化なのだということを、改めて噛み締める一行だった。
尚、最終的に実現はしなかったが、河野洋平は、日本版ルマン24時間まで構想していたと言われている。しかし、当時の経済事情や、更にその後オイルショック、そして日本ではスプリントレースに人気が集中してしまったことも不運であった。
もしもこれが実現していた場合、日本に於けるモータースポーツの立ち位置は大いに変わっていたろうし、日本の自動車メーカーにとっても更なる有為なデーターが手に入ったであろう。
21世紀現在、日本でも耐久レースが改めて注目されつつあることを考えると、是非とも実現してほしいものだと思わずにはいられない。
この世界に於けるルマン24時間決勝は、朝4時から翌日の朝4時である。因みに何故史実の夕刻4時ではないのか。これは、夕刻だと徐々に暗くなり始めるため、薄暮で非常に危険だと主催者が判断したためで、開催地によってスタート時刻は異なるものの、夜明けから朝がスタート時刻なのは共通で、最も遅いセブリング12時間でも午前11時となっている。
時計の針は現在午前3時50分。スタートまであと10分となり、徐々に周囲を静寂が包み込んでいく。
スタート3分前の午前3時57分、ドライバーが整列。尚、ワイルドカードで出走するSSDは、最後列であり、スタートドライバーは浮谷東次郎、生沢徹であった。
くどいようだが、この時代、耐久レースではレースの性格上予選にはあまり意味がないため行われておらず、エントリー順である。
なので、優勝候補筆頭のフェラーリは、何とSSDの隣であった。
完全に無音状態となり、鼓動が聞こえてきそうな中、ドライバーの表情が俄に引き締まり始める。競技委員長も、フランス国旗を振り下ろす準備に入っていた。
日本から来た一行にとっては、まるで武道の真剣試合を彷彿とさせる。そう、間もなく世界レベルで想像を絶する真剣勝負が始まろうとしているのだ。
そして、時計の針が午前4時を指した、その時!!
フランス国旗が振り下ろされると同時に、マシンへ駆け寄るドライバー。当時は所謂ルマン式スタートであった。見た目は迫力があったものの、少しでも早くスタートしようとシートベルト未着用のまま走り出すケースが後を絶たなかったことから、70年にはマシンに乗り込んで待機状態、71年から例のローリングスタート方式に改められることになる。
また、史実では69年、ジャッキー・イクスがこのスタートの危険性への抗議として、歩いてマシンに向かい、最後尾からスタートしながら見事優勝したため、ルマン式スタート廃止に繋がった。
次々とエンジンが始動、スタート地点には鼓膜が破裂しそうな程の爆音が響き渡る。昨今WMGPでの爆音も凄まじいが、さすがに四輪は一味違う。
因みに四輪の爆音には、複雑な要素が絡んでおり、排気量の大きさもあるが、それ以上に車体などの構成要素が複雑に共振することで轟音が増幅されるのである。
特にモノコック構造の場合、共振も激しい。なので、昨今ではレースですら問題になっている騒音を根本的にどうにかしようとすれば、車体構造にもメスを入れなければどうにもならない。
しかし、それをやればモータースポーツそのものが廃止に追い込まれるだろう。なので、この騒音は一時的な必要悪として黙認する以外ない。
今年の優勝候補の筆頭はフェラーリであり、案の定、三台はいずれもトップグループでフォーメーションを固めて疾走していく。因みにこの世界のルマンはスタート地点こそ同じだが、左回りだ。
SSDは最後尾からのスタートにも関わらず、特に浮谷が素晴らしいスタートダッシュを披露。1コーナーへ飛び込んでいく時点で既にセカンドグループに位置していた。
尚、今年のルマンにエントリーしている台数は47台。24時間後、どれだけの台数が完走していることか。その完走率は概ね30%前後だという。
そして、次々とマシンが森に飛び込んでいく中で、驚愕すべき事態が発生していた。
何と、バックストレートにあたるユーノディエールで、SSDの二台がフェラーリさえも悠然と抜き去り1-2を形成していたのである。
他車に比して非常に軽く(400㎏しかない)、スーパーチャージャーを装着しているとはいえ、僅か1800㏄4気筒で300馬力しかないことを考えると、当時3000㏄12気筒を搭載していたフェラーリからすれば、大いにプライドを傷つけられる光景であったろう。
しかもそのマシンは、日本製である。
SSDの勇名は、無論フェラーリにも届いており、その上WMGPでも因縁浅からぬ関係であったことを考えると、ドライバーは複雑な感情であった筈だ。
その上、
「うるせえっ!!何だよあのマシン!!」
一人は抜き去られる際、ステアリングに八つ当たり。実は、あのマシンもまた、SSD特有の超音速現象の例外ではなかった。抜き去った後に轟音が聞こえるのだ。
そして、これにはアナウンスも大興奮であり、語学堪能な耕平は、SSDが所謂やらかしをしたことがすぐに分かった。
「さすがはオレの親友だな。相変わらずやってくれるよ」
やがて、ホームストレートに最初に現れた真紅のシルエットに、観客も総立ちとなる。何しろ誰一人予想してなかったのだから当然だろう。
ワイルドカードなので結果には反映されないとはいえ、驚愕の光景であった。
『わあ、スゴイ……』
その光景にハモっている渦海と風也。
そんな中、一人冷静にその光景を見つめていたのが、洋平であった。そして独白する。
「これでこそ、富士で開催する自信が湧くというもの。これで、今年の開催は決まったな」
実は、父一郎がSSDのワイルドカードでの出場に於いて水面下で交渉を重ねており、洋平も無論尽力していたのだが、それだけの価値はあったと言える。
仮にこの直後リタイアに終わったとしても、オープニングラップを制しただけで日本で開催する資格があることをアピールするには十分過ぎた。
耕平は、この光景を見て確信を抱く。
「これなら、我々のマシンにも十分勝算がある……」
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