■八月三十一日:論理も一つの感情論

 そろそろ潮時だ。人間はいつか必ず死ぬ運命。だからこそ、死ぬ事に対して理由なんて必要ない。死にたいから死ぬだけさ。人は勝手に産まれてくる。だったらせめて死ぬタイミングくらいは自分で決めさせてくれ。


 本当はもっと早く高層ビルからのダイビングを決め込むつもりだった。でも、女友達のアイツが面白いゲームを薦めて来やがるものだから、時期が遅れてしまった。

 でも。アリアンロッド3は飽きちゃったし、あの女友達も彼氏と仲良くやってるみたいだし……。いやまぁ、アイツと付き合いたいと思った事すら無かったけど。

 まぁなにはともあれ。アイツには感謝しておこう。最後の最後に、面白いゲームを紹介してくれてありがとう。なんかお前いっつも彼氏の悪口ばかり言っていたけど、あんまり悪く言ってやるなよ。多分あれだ。えーと……まぁなんか、色々あるんだろう。うん。


 とにかく。最後に面白いゲームで楽しい時間を過ごせた事だし、そろそろこの世界からオサラバするとしよう。

 なぜ死ぬのか? 別に深い意味なんて無いけど、強いて言うなら論理を言い訳に生き続ける事に疲れたからさ。結局の所、論理の出どころは魂であり、魂は感情のカタマリである。

 論理の出どころは脳みそだと思うか? それはそうかもしれない。しかし脳みそと魂はリンクしている。なんなら魂の在処は脳みそかもしれない。心臓はあくまでも人間を動かすためのエンジンであり、道具であり、機械であり、心臓そのものに神秘性を見出すことは出来ない。

 人は脳みそで考え、脳みそで感じる。だとしたら、常に論理と感情はごちゃまぜ状態であり、論理は感情であり、感情は論理である。


 しかし俺はどうも、感情というものを上手く理解出来ないでいる。だとしたら、俺はきっと壊れているのであろう。


 世界は論理だけじゃ回らないらしい。でも俺は、唯一神なんて認めていない。唯一神を認めろと言う奴が目の前にいたら、俺はそいつを大気圏の外までぶん投げるだろう。てめぇの居場所は宇宙のどこかにある。この丸っこくて可愛らしい地球からさっさと出ていけ。


 まぁ俺の居場所も、どうやら地球には無いみたいなんだけど。

 という事で。これまで俺の文章を読んでくれた方々、本当にありがとうございました。ただまぁ……なんていうか。


 俺もアイツも元カノも、本当に自分勝手だなって思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る