第3話

 そして翌日……。


 なんと驚くことに、かなたがまた一緒に弁当を食べたいと誘いに現れ、クラスメイトたちをざわめかせた。


 つまるところ俺は昨日と同様、屋上に連れ出されていたわけだ。


 もちろん困惑したが、下手にここで『どういうつもりなんだ』などと聞いてはかなたがしょんぼりしそうな気がして、俺は黙っている。


 すると、かなたの方から聞いてきた。


「……あの、はるか。もし嫌だったらいつでも言ってね? はるかにしてみれば、私ぜったいおかしいでしょ?」


「――い、いや、別にそんなこと……。確かに驚いたけど、嫌なわけはない。それは絶対だ」


 これは偽りない俺の本心だったし、ここでうそでも『嫌』と言えば、彼女がどこか遠くへ行ってしまうような気がしてしっかり断言する。


「そっか、よかったぁ。それじゃあご飯食べよ。昨日みたいなことにはなりたくないから」


 と、かなたは苦笑した。


「あ、ああ、そうだな」


 今日の五時間目は別に世界史ではないが、昨日のことは俺もけっこう堪えている。


 が、彼女と過ごすせっかくの昼休みだ。


 忌まわしい記憶は頭の隅に追いやり、昨日と同じように昔から今までの思い出を語りながら、楽しい時間を過ごした。


 そうだ、今はこの時間を楽しめばいいじゃないか。


 かなたが急接近してきたことには理由がありそうだが、その時が来ればおのずとわかるだろう。


 俺はそう割り切って彼女との時間を楽しんだ。


 かなたは、俺が変な気を遣うことなく話せる唯一の女の子だからな。


 ***


 この日は部活の帰り、みらいの買い物に付き合わされた。


 駅前のデパートにある文房具屋に行きたいんだとか。


 駅のほうへ歩きながら、みらいはいつも通りの不敵な笑みを浮かべている。


「いや~悪いな、はるか。買い物に付き合わせて」


「気にするな。俺もそろそろノートが無くなりそうだったから、ちょうどいいんだ」


「そうか、なら良かった。――ところではるか、かなたのやつ一体どうしたんだ」


 と、彼は本題に入るように聞いてきた。


 その件について聞いてくるだろうことは予想していたんだ。


 ここで変に答えを返し、やっぱり付き合っているのか、などという結論に至っては面倒なので俺も思うところを素直に伝える。


「俺も正直わからない。けど、きっとなにか理由はあると思う。まあ今は様子見ってところだよ」


「そんなこと言って、実はお付き合い……」


「いや、それはない」


 発言を途中で切られ、みらいは苦笑した。


「でもさ、ほら、お前覚えてるか? 金星台公園で結婚式ごっこしたろ?」


 実にタイムリーなことを言われて内心驚きながらも、俺はまた当時の記憶を思い出して顔をしかめた。


「……ああ、覚えてるぞ。お前のおかげで、恥ずかしいセリフ散々吐かされたんだからな」


「はははは、まあ忘れてたらそれもすごいと思うぞ。そうだな『将来、僕は何があってもかなたを守る!』とか――」


「おい、やめろ……」


「『この先、どんな困難が待ち受けていようとも、最後までかなたを愛します』とか」


「だから、やめろって!」


 みらいは俺が割と本気で嫌がるのを見て楽しんでいる。まったく、この性格は本当に昔から変わらない。


「ははははは! やっぱりお前面白いな。あ、最後の最後、お前自分でなんて言ったか覚えてるか?」


「え――っと、最後……?」


 思い返すべき記憶が無かったので俺が正直に首をかしげると、みらいは驚いたような表情になった。


「え、うそだろ? ほら、なんて言ったか忘れたが、かなたがお前に告白めいたこと言ったろ? その後だよ」


「その……あと?」


 俺は驚きと困惑を同時に覚えた。


 みらいの言う『かなたの告白めいたこと』というのは、恐らく最近しょっちゅう脳裏で聞くあのセリフだろう。


 それに対して俺はなにか答えたというのか。


「マジかー。おまえ、かなたがこの事実を知ったら泣くぞ?」


 みらいは、両手を開いてやれやれと首を振って見せる。


「な、なあ気になるだろ? お前覚えてるなら教えてくれよ」


「うーんそうだなあ、どうしよっかなあ」


 と、みらいは悪そうな顔で考えるようなしぐさをすると、ふいに両手を叩いた。


「そうだ、夏までにそれっぽい記憶を思い出せたら答え合わせしてやるよ。それができなきゃかなたに報告してやろっかなー」


「お、おいっ、ちょっと待て、おかしいだろそれ!」


 俺は非常に焦った。


 みらいには分からないだろうが、今のかなたにその事実は絶対に知らせてはならない。そんな気がしたから。


「ま、ありきたりっちゃありきたりなんだから、ゆっくり考えろよ。――ほら、デパート着いたぞ」


「ぐぬぬぬ……」


 なんだかものすごく負けた気分だが、ここは落ち着いて買い物に集中することにした。


 三階の文房具屋に着くと、俺はさっさと買い物を済ませた。


 家の近くにあった小さな文房具屋が無くなって以来ずっとここで買っているので慣れたものだ。


「ありがとうございましたー」


「どうも」


 大学生ぐらいの女性店員さんに軽く頭を下げ、シールを張ってもらった六冊一セットのノートをかばんに突っ込むと、まだ店内を見ているみらいの元へ向かった。


 彼はシャーペンが売られている商品棚の前でしゃがみこみ、何やら物色している。


「みらい、買うものは見つけたか?」


「あ、ああ、すまんすまん。すぐ買ってくる」


 俺に気づいたみらいはそう言って立ち上がり、レジに向かおうとした。


 その手にあったのは、彼が愛用のシャー芯とボールペンに加え、さっき商品棚の前にしゃがみこんで熱心に選んでいたらしい、ちょっとお高そうなシャーペン。


 それも一般的な感覚で見れば、どう見ても女性向けのもの。


 周囲に視線を向けて気づいたが、俺たちがいる場所は女子向けの商品棚のまえだった。


「な、なあみらい。気を悪くしたらすまないが、そのシャーペンお前が使うのか?」


 レジへの一歩を踏み出しかけていたみらいは、俺の質問とともに右足を止めると俺が指さしたものに視線を落とす。


 なにか少し考えるような間があり、だがその直後には珍しい彼の真顔は消え、いつも通りの不敵な笑みが戻っていた。


「ふ、お前もなかなか面白いことを言うようになったな、はるか。確かに今は男らしさや女らしさより、自分らしさを大切にする時代になってきている。おまえがかわいい文房具を使おうが、フリフリドレスを着ようが俺は否定などしないさ」


「……おい待て。悪いが俺にはそんな趣味はない。想像しただけで気持ち悪いこと言わないでくれ」


 脳内で思わず想像してしまった自分の姿をかき消しながら言うと、みらいはふっと微笑を浮かべる。


「わかってるさ、例えだよ。そしてあいにくと俺にもそういう趣味はない。……これは妹用だ」


「……ああ、ゆずちゃんの。そういうことか」


 最近会っていないが、彼にはゆずちゃんという妹がいる。たしか俺たちより二歳ぐらい年下のだったはずだ。


 俺が納得するとみらいは買うべき商品たちを軽く握る。


「まあそういうことだ。じゃあ今度こそ買ってくるから、店の前で待っててくれ」


「ああ、分かった」


 買い物のあと、俺たちはデパートのフードコートで晩飯を食べて帰ることにした。


 ここは休日にみらいと遊びに来たときなどにちょくちょく利用する。


 その場合のルールに従い、じゃんけんをして今日も俺が負けた。


「く、やっぱ負けるのか……。ほら、さっさと買ってこいよ」


「ははは、悪いな。昔からじゃんけんは強いもんでなあ。それじゃ、行ってくる」


 そう言い残し、勝者の余裕を背に宿したみらいが席から遠ざかっていく。


 これは見ての通り、どちらが先に飯を買いに行くかを決定するじゃんけんだ。


 以前はそんなことせずふたり同時に行っていたのだが、一度荷物を持っていかれそうになって以来、このルールを採用している。


 俺に言わせればあれは、みらいが初のバイト代で買ったちょっといいかばんを放置して席を離れたからなんだよな。


 過去を振り返っていると、友が小型の機械を持って戻ってきた。


 料理ができたら突如バイブと共に鳴り出して少し驚かせられる、あれだ。


「待たせたな、はるか」


「いや、待ってないんだよな。お前、大概同じものしか食わねえからな」


「ふ、『いつもの』ってやつだ。そういうお前だって、どうぜチャーシュー麺チャーシュー増量のAセットなんだろ?」


 まさに図星だったので俺は一瞬言葉を失う。


「……そ、そうだよ。悪いか」


「いいや? ほら、さっさと行ってこい」


 と、俺が行こうとしているラーメン屋の方に右手をひらひらさせるみらい。


「――く、なんか……なんか負けた気がする」


 俺はそう言い残し、友の笑い声を背に受けながら歩き出した。


「あ、すみません」


 店の前に着いて声をかけると、すっかり顔見知りとなったパートのおばちゃんが笑顔で応じてくれる。


 子どもの頃からよく来るので、いまやこうなっているのだ。


「あら、はるかちゃん! さっきみらいくん見かけたから来てるかなって思ってたよ。いつものでいいかい?」


「…………は、はい」


 みらいの言うとおりなのが腑に落ちず少し間をあけて答えると、おばちゃんが首をかしげた。


「あら、どうしたの? 学校で嫌なことでもあった?」


「あ、いえ、そんなことは」


「そう、なら良いけど……。あ、それじゃあこれ、三番で呼ぶからね」


「ありがとうございます」


 俺がワンタッチコール……つまりブーブー鳴る『あれ』を受け取って席に戻ると、みらいはさっき購入した例のかわいいシャーペンを何やら物憂い顔で眺めていた。


「みらい、どうしたんだ?」


「――はるか。……いや、何でもない。それより、数学のノート見せて?」


 と、買ったものを再びかばんにしまい笑顔で手を突き出すみらい。


「……いや、お前俺より勉強できるだろ?」


「それが昨日の夜、ちょっとネッ友とゲームに夢中になりすぎて四時に寝た」


 そこまで言われればあとは説明不要だ。


「はあ、ったくしょうがねえな」


「わるいな」


 俺がノートを差し出すと、彼はその性格からは想像できないようなきれいな字で、スラスラと今日の授業内容を写していく。


「はあ、お前やっぱり何やっても出来てしまうタイプだよな。羨ましい限りだよ」


 俺は友の優秀さを机に頬杖をついて眺めた。



「ん? そうか。お前はよく言うが、俺だって完璧な人間じゃないさ。……よし、終わった。サンキュ」


「おう」


 写し終わったみらいからノートを返してもらい、俺たちが自分のノートをかばんにしまったとき、机の中央に置かれた二つの機械がほぼ同時に鳴り出した。


 どうやら俺たちの晩飯ができたようだ。


 このタイミングも、違う店なのに店員さんが示し合せているのかと思うほど毎回ほぼ同時である。


 そのためじゃんけんの二回戦が行われるが、結果は十中八九同じ。


 俺は、みらいのパーに敗北した己の拳を頭とともに机に落とす。


「な、なぜ勝てないんだ……」


「い、いやあ悪いな」


 と、みらいにしては珍しく少しだけ申し訳なさそうに歩いて行った。


 ちなみに、彼にとっての『いつもの』は、ノーマルなオムライスである。


 それから約三十分後。


 食事を終えた俺たちは、帰路に着くべくデパート内を一階に向かって歩き始めた。


 みらいが驚きを隠せないという声をあげたのは、エスカレーターで二階に降りてきた時だ。


「お、おいはるか、あれ」


「ん、どれ……って、かなた⁉」


「どうみてもそうだよな」


 俺たちは予想外のところで幼なじみを目撃し、思わず足をとめる。


 声をかけようと思ったが、何やら様子がおかしかったので遠くから彼女を見守った。


 二階は電車の駅に直結していて、デパートから駅へ続く扉の横にあるスイーツ店の新作メニューをどこか切ないような表情で見上げている。


 みらいが驚いたときの口調で俺に答えを求めてきた。


「なんだ? かなたのやつ、あれ食いたいのか?」


「いや、だとしたらあの表情はおかしくないか?」


「うーん……」


 かなたの視線をたどってみると、そこにはけっこうなサイズのパフェの写真があった。


 好きな人と食べると幸せになれると言われる最近よく学校で耳にするパフェだろう。


 あいつ、好きな人でもいるのか……? 


 なんてことを下向いて考えていると、みらいが俺の肩を叩いた。


「あ、おいはるか、誰か来たぞ」


 友の声に視線を前方へ戻すと、かなたのもとに見覚えのある男性が歩み寄ってきている。俺は記憶をたどり、親友に確認した。


「あれはたしか、かなたのお父さん……だよな?」


「あ、ああ、最近お会いしてないが間違いないだろう」


 さらに見ていると、かなたのお父さんがなにか説得するようにかなたに語りかけ、かなたはどこか寂しそうに首をゆっくりと縦に振って見せる。


 その後駅のほうへ歩き出しかけ、一度止まって例のパフェを名残惜しそうに見上げると、今度こそ駅のほうへ駆けて行ってしまった。


 彼女とその父親が完全に見えなくなったところで、俺はみらいと視線を交わし合う。


「な、なんだったんだ」


 俺が最初に声を出すと、みらいはスマホの画面をつけて時間を確認した。


「分からん。もうすぐ十九時だってのに、こんな時間からどこへ……」


 と言ったところで俺たちに答えを知る術があるはずもなく、疑問を残したままとにかくデパートを後にする。


 こうして今日という日は終わりを迎えたが、この日のできごとは結婚式ごっこの夢に次いでふたつめとなる、『運命が動き始めることを伝える天からの報せ』となった……。

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