Ella
@ioi_ioi
Ella
(1.I)
「せーので、いく…から」
私は、そう言ってから傍に居る、みゆちゃんと手を繋ぎ直した。
「大丈夫。いっしょ。いっしょだから」
けど、私の口から出るのはガタガタな言葉だけ。当の私も唇の震えが止まらなかった。
「ゆあちゃん。すきだよずっと」
そんなこと、はじめて言われた気がする。
ぜんぜんときめかなかった。
「せーの…」
*
二人で、屋上の縁から身を投げ出す。
さっきまで身を包んでいた重力から見放されて、生の実感、逸る呼吸、その全てが高い夕空へ吸い込まれていった。
高校の制服のブレーザーやスカート、肩まで伸びた髪の毛が、羽みたいにバタバタと翻る。本当に飛んでるみたい。
背後に地面が迫ってくる気配がする。
校舎四階の窓が、遠くにあった。
あのとき、カラスの鳴き声がうるさかった気がする。
黙らせるように、私は着地した。
*
「いった…」
私は、あまりの衝撃に目を覚ます。けど、視界が暗くて何も見えない。恐らく、床の上でうつ伏せになっていた。
床に腕を突き立てて、なんとか身体を起こそうとする。その瞬間、骨身の至る所、特に鼻と胸辺りが痛んだ。起き抜けの私の腕力と、その痛覚の下では、上体を起こすまでにしか至れない。
それでも、周囲の景色は確認できるようになった。人中に流れてきた生温い鼻血を吞み込みながら、辺りに視線を移す。
「りかしつ」
私は高校の理科室に居た。理科室の黒くて高い机の上から、寝返りか何かで落下して、顔を打ったらしい。天井から吊るされた蛍光灯の白い光が、うざったいくらい眩しかった。
見慣れた空間に安堵したからか、頭の調子が戻ってくる。
「ん?」
ブレザーのポケットに手を突っ込んだ。そこにあるはずのスマホを探す。
「…」
スマホはバキバキに割れていた。液晶にヒビが入ってるとか、そんなレベルじゃないくらいグシャグシャだった。昔の携帯みたいに、本体ごと二つ折りできる。
そして、これが更に疑問を膨らませた。
私は、あのとき、屋上から飛び降りたはず。
一先ず、スマホが役に立たないので、理科室にある黒板の上の、備え付けの時計を確認した。
一時十二分。夜か昼か全くわかんない。
「…んー」
徐々に痛みに慣れてきて、フラフラと立ち上がることができた。窓際の方へと歩き始める。鼻血はまだ止まらない。生温い血が首筋を伝って、シャツの襟の内側へと這ってくる。今はどうでもいい。
「シャッ」
真っ黒いカーテンを開ける。すると、また真っ黒な景色が広がった。今は、たぶん深夜。
私は、深夜一時、高校の理科室で、鼻血を出しながら、スマホをべきょべきょにした。
「?」
そもそも、あの飛び降りの顛末がわかんない。成功したのか、それすらも謎だった。
でも、背骨が砕けていく感覚は憶えているような気がする。背骨とスマホがバキバキになっても、人って案外生きてけるらしい。
「ふぉっふぉっふぉっ」
そこで突然、何処からか声が聞こえてきた。
「ようやくお目覚めになれらたか。みゆちゃん、君を待っていたよ」
身に覚えのない、ガキのような声が脳内に響く。
「なに?どこ?」
私が尋ねると、背中の方から応えが返ってきた。
「いま、姿現すからちょっと待ってね」
その声が止むと同時に、私の背骨が唸り始める。小枝を踏み潰したようなラップ音が、辺りに鳴り響いた。そして、右の肩甲骨辺りから、何かがうねうねと生えてきているような気配がする。
「おいしょっと」
私の背骨辺りから生えた巨大な何かが、制服のシャツとブレザーを引き裂いた。何が起きてるのか確認したくもない。
「こんにちは。みゆちゃん」
背中から生えた突起物が、私の顔前まで伸びてくる。赤黒いレバーの塊みたいなモノが、鼻先で蠢いていた。
即座に胃酸が食道を突き抜けて、吐しゃ物となって口から散らばる。鼻血塗れ、ゲロ塗れで最悪だった。
「人の顔見ていきなり吐き散らかすの、お行儀悪いよぉ」
ゲロ、止まらない。
「はじめまして!ボクはポップン!君たち『魔法少女』の頼れる相棒だよ!」
ゲロ、まだまだ。
*
深夜一時三十分。私は出すべき物を出しきって、ようやく平静を取り戻してきていた。けど、今ここで巻き起こってる何かは、まだ吞み込めていない。夢を見ているのかもしなれないなんて仮説は、鼻奥の痛みに一蹴されていた。
もしかしたら、めっちゃキマってるのかも。幻覚とかならありえそう。いろんな仮説が浮かぶくらいには、脳みそに余裕ができていた。
「キマってるとかじゃないよぉ。ボクはれっきとした『魔法生物』!メンヘルランドから来たんだよ!」
私の背中に生えている、赤黒い肉塊が言う。いつの間にか、肉塊の表面には、きゅるきゅるな二つの眼と小さな口が形成されていた。本当に気持ちが悪い。
「なんで私の思考読めんの?名前知ってんの?」
初めての意思疎通を試みる。
「ボクは、今やみゆちゃんと一心同体だからね!」
「は?なんで?嫌なんだけど。きもすぎ」
「イヤって言ってもねェ!君、死んじゃうからねェ!ボクがいないと」
喋り方まできもい。
「君、屋上から飛び降りたでしょ?それで身体が弾けた。けど、そこにたまたま通りかかったボクが、君を宿主として依り所にした。ボクの力で君は生き永らえているし、ボクも君から養分を吸い取っている」
きっ
「きもいって言わないでょ~。かなしいょ~」
「…てか、シチミは?七海結愛。いっしょに飛び降りた子」
「うーん。そんな子いた?ボクは知らない!あそこで死んでたのは君だけだったよ!」
そんなはずは無い。けど、不思議とあの子のことなんて気にならなかった。とりあえず、七海の事は置いておくことにする。
「…『魔法少女』ってなに?」
「魔法少女は、ボクたち魔法生物の宿主になっている女の子のこと!ボクたちが分け与える魔法の力を使って、人を殺したりするんだ!」
「は?なに?」
ごめんけど、何も理解できない。
「じゃあ、魔法をみせてあげるよ!ほら、立ってよね!」
言われるがままに立ち上がる。ポップンと名乗った肉塊は、寄生だとか宿主だとか言っていたけど、身体の所有権は未だに私が持っているらしい。安心だった。
「床のゲロに魔法を使ってみて!消え去れぇみたいなことを思いながら!」
私は試しに、ゲロの方へ手を伸ばして、念じてみる。
すると、手のひらから白い光線のような物が放たれた。床に散らかっていたゲロが、発光しながら消え去っていく。
「すごいでしょ!魔法があればなんだってできるんだ!」
「…」
ゲロ消す前にスマホ直せばよかった。
(II)
現在時刻は、たぶん深夜二時ちょっと前くらい。
「ちょ、なにあれ。おい!ポップン?ねぇ!」
私は、通学路の途中にある商店街を突っ走っていた。後ろを振り返る余裕もなく、ただ前だけを見つめて脚を動かしている。
「おーい。君ぃ。魔法少女でしょー」
やけに嗄れた知らない声が、私の背筋に追い縋ってきていた。声のする方から飛んで来る光の球が、私の頬を掠めていく。光球の勢いで巻き起こった風は、脇にある閉じたシャッターを大きく揺らした。
「ねぇ!あれ何!?訊いてんだけど!」
走りながら叫ぶのは、思ったよりもキツい。
私は咄嗟に、店の立ち並ぶ通りから一本逸れて、脇道へ入った。そこで膝を突いて息を整える。口に入った後れ毛を除けた。
「みゆちゃん、よんだ?ポップンだよ!」
「よん…でんの!ねぇ!なに?あれ!」
深夜の商店街は全く人気がない。私を追っていた不審者の靴音だけが、遠くに聴こえた。
「あれはね、たぶんみゆちゃんと同じ魔法少女かなぁ。めっちゃ殺しにきてるね!」
「なんなの!?なにそれ。魔法少女じゃないって!私!」
まだ信じてられていなかった。さっきの理科室も、今追ってきている不審者も、心の奥底では悪い夢だって、まだ思っている。
「魔法少女は他の魔法少女を殺すことで、『魔力』を手にすることができる。だから襲ってきてんだと思う!」
「なにいってんのかわかんない。わかんないんだけ…ど」
「とりあえず、こっちも迎え撃とう!みゆちゃんは結構強いはずだから、勝てると思うよ!」
「は?やだ」
明滅する街灯の下、地面を見つめて思考を巡らせた。今度は、数時間前の屋上の景色が脳裏に蘇る。
「…いや、いい。死んでも。もともとそういう気だったし」
そう。初めからそうだった。さっきの飛び降りも、全部。なのに、勝手に生かされて、戦えとか。わかんない。
「ゲホッケホ」
絶え絶えになった息が器官で痞える。『死んでもいい』という言葉とは裏腹に、私の肺は酸素を取り込む事に必死だった。
汗が滴った目元を拭う。手の甲が僅かに黒ずんだ。崩れたアイラインと涙袋の上を、少しばかりの涙が伝っていく。吐いた息は、そんな涙と眼球を乾かした。
『みゆちゃんはこれから幸せになれる。絶対!』
数時間前の屋上で、こんなことを七海に言われた。今思っても無責任で、馬鹿げた言葉だと思う。
だけど、あの子の言葉には確かな温もりがあった。七海はたぶん世界で一番かわいくて完璧で優しい人だった。なのに私は。
「…わかんない。なんもわかんない」
胸の奥底で脈動が高まっていく一方で、鼓膜を揺らす不審者の靴音も大きくなっていく。
数秒後、靴音の主が路地へと入ってきた。私は背中を、不審者に取られるような格好になる。考える暇も無い。
「君ぃ~、止まりなさぁい。逮捕ー。即逮捕ですー」
背後で歪んだ楽器のような異音がした。何か力を溜めているような。
「みゆちゃん。変身!っていうんだ!ほら!」
黒ずんだ手の甲を、もう一度見つめる。汗かラメか、わかんないけど、手の甲は街灯の薄暗い明かりを反射して、キラキラと煌めいていた。
「…」
私はゆっくりと、口を開く。
「きて」
瞬間、羽織っていた制服が、まるで熱された『蝋』のように、ドロドロと溶解を始めた。堅苦しかった灰色のブレザーも、腰を覆っていたスカートも、擦り切れたローファーも、熱を持った蝋のような液体へ変わっていく。私の肌の上を泥濘のような感触が這いずり回った。
やがて、蠟は凝固を始める。徐々に元の制服とは違う、新たな装いが身を包んでいった。
一方、黒い前髪の毛先からは、墨のような雫が滴り落ちていく。雫は、段々と量と勢い増して、地面へ垂れていった。そうして雫が流れ出る度に、髪の色素も抜け落ちていく。視界を覆っていた黒い前髪は、一瞬で淀みない純白に塗り替わった。
「よしキタ!」
ポップンが叫ぶ。
また、背骨から生えた赤黒い突起物が、疼き始めた。突起物は、薄く大きく広がって、徐々に鳥の翼のような形を模っていく。泥濘に包まれる私の身体を覆い隠すように、形成された二枚の純白の翼が折り重なった。
「マジカルチャージ」
口が勝手に動く。声は全く震えていない。
脳裏に過った、その言葉を合図に、折り重なっていた翼が開かれた。翼に覆われていた目の前の景色が、一気に開け放たれる。
「ほらぁ、やっぱ魔法少女!」
さっきまで着ていた制服は、まるで一等星のような煌めきを湛えた白銀一色のドレスに変容していた。声を上げる不審者を、純白の前髪越しに睨む。背中に生えた純白の翼は、私の身体を重力から解放してくれた。
「タン!」
ゴツいワイドヒールで地面を蹴る。私は常人ならざる高速で、不審者の方へ突撃を始めた。
一直線で風に乗る身体の、腰から踝までを包んでいるティアードスカートは、翼のはためきに倣って翻っていく。段になった裾の先にあしらわれている光沢したフリルも、風に揺られて一斉に踊った。
「はっやいね!君」
対して不審者は、形容し難い鈍色のドレスを身に纏っている。喉元には、首輪のような鉄の塊を嵌めていた。顔は、ピンク色の美少女アニメのお面で隠されている。
「はい!大人しくなさーい」
やたら背の高い不審者は、手にしていた二メートルほどの黒鉄の槍を掲げた。その槍先は、突撃していく私に向けられている。
「ギュイン」
不審者の槍が唸った。黒鉄の槍の先に、碧い光球が生成されていく。
馬鹿な私にもわかった。このまま突撃してあれを食らったら、身体が消し炭になってしまう。純白に変わった私の虹彩は、その光球の輝きを何倍にも増幅して吸い込んでいた。だからか、畏怖が凄まじい。
「みゆちゃん、くるよ!」
「うん」
私は、不審者の数歩手前で急停止した。そのまま右足で地面を踏み込んで、フリルの付いたバルーン袖から手を突き出す。向けられていた黒い槍を右手で掴んだ。
「え?マジか!」
槍をバキバキと音を立てながら、へし折っていく。槍先は光を失って、ただの大きな棘になった。
「邪魔…しないでほしいです」
私は後退りした不審者の顔を目掛けて、左手を翳す。
すると、手のひらに円い穴が開いて、そこから骨のような物体が飛び出してきた。その物体は眩い光を纏った後、銃口のような形状を成していく。手のひらに銀色の銃口が生成された。
「ばぁん」
私がそう言うと、銃口から閃光の球が放たれる。暗い路地がパッと明るくなった。左の手を振動が伝って、前腕が吹き飛びそうになる。
「ッ…」
不審者は、私が放った光球を受け止め切れず、暗い路地の外へ弾き出された。
私が放った光球が大きすぎたのか、不審者の身体を銃弾のように貫くことはできなかったらしい。不審者の姿は商店街の奥の暗がりに紛れていった。
「…勝った?」
「どっかいっちゃったね!」
「はぁー」
わざとらしくため息を吐いてみる。
とりあえず、不審者はどっかいったみたい。あれだけやったんだし、死にはせずとも気を失ったりはしてるはず。知らないけど。
背中に生えた白い翼を折り曲げてみた。これは私が自在に動かせるようになってるらしい。よく見ると、翼は羽の集まりで形を成しているのではなく、羽っぽい形状の白い肉塊で形成されていた。表面に所々、青い血管が奔っていたりしていてきもい。
「ポップン。これ羽なんだし、飛べる?」
「ポップ~!飛べるポプ!羽ばたくんじゃなくて、空中浮遊ポプだけどね!羽はバランスを制御するためのものポプ!」
「そっか」
私は、さっきへし折った黒い槍の先端を拾い上げて、地面に立てた。鋭く尖った一メートルほどの棘の先は、暗夜の空に向かって伸びている。これでセッティング完了。
「どーやって飛ぶのこれ」
「空を飛ぶんだ!ってイメージすれば飛べると思うよポプ!」
「へー」
「…え?みゆちゃん?ダメだよ?」
「うっさい。うるせぇポプよ。ポップンは」
私は数時間前、空中に投げ出されたときのことをイメージして目を瞑った。
私はただ…。
「みゆちゃん!飛んでる!飛んでるよ!」
いつの間にか、身体が宙を浮いていた。冷たい大気が、白銀色の前髪の隙間を突き抜けていく。まだまだ上へ飛んでいけそう。
足元では、夜の街の景色が一望できた。都会でも田舎でもない、この中途半端な街の夜景は、綺麗でもなんでもない。
深夜二時でも明かりが付いている、マンション最上階の一室。古びた商店街を覆う、黄みがかった屋根。数十キロ先の都会の街は、あんなに綺麗なのに、ここにはまるで何も無かった。
「え?今二時なの?」
ポップンが言う。本当に、私の思考は全てポップンに漏れ出ているらしい。
「学校出たの一時四十分過ぎくらいだったから」
商店街までの道中、何度も魔法でスマホを直そうとしたけど、何故かできなかった。だから、未だに正確な時間がわかんない。
「あー。やばいわこれ。落ちちゃうポプ」
「…は?」
「魔法は夜十時から朝の二時の間しか使えないんだよポプ!」
「飛べなくなって、そのまま落ちんの?別にそれでいーけど」
「ダメだよ!ガチ落下死になっちゃう!魔法で揉み消せなくなっちゃうよ!」
「え?なにそ…」
急に身体が重たくなった。途端に、白いドレスがドロドロと溶け始めていく。ポップンの言う通り、魔法の効果が切れたらしい。
私は夜空の雲間で、魔法少女から人間へ戻っていく。白い翼も、徐々に赤黒い肉塊へと逆戻りしていった。
「ボピャミチィィイ~!!」
重くなった私の背中は、そのまま地面へ墜落していく。畏怖が頭上の空に吸い込まれて、頭から爪先まで熱い諦観が満たしていった。
あの時と同じ、血の温もりと充足感に包み込まれる。
息が吸えなくなって、頭がぼーっとしてきた。黒く静まった髪の毛と、制服の袖やスカートの裾が、また一様に暴れ始める。
走馬灯を見るのにも、もう慣れた。目を見開くと、黒い空の上で記憶のプロジェクションが始まる。
*
『お前みたいなのが居るから、私たちみんな幸せじゃないんだよ。ぜんぶあんじゃん。そっちが馬鹿にしてる気がなかったとしても、私らは馬鹿にされてる気分になんの』
『じゃあ、わたしが死んだら、みゆちゃんは満足してくれる?』
*
死ぬなら、ここで。この空から落ちたかった。
墜落した先、設置しておいた槍の先が、ちょうど心臓辺りを突き刺してくれる。
これだけやれば、今度こそ。
(Fragment)
「始発にまほしょーじょいてわらった」
「最近、コンカフェ嬢が神田まで漏れ出してきててカス」
「魔法少女になった!お局消す」
(壱)
今日も今日とて、僕はタクシーの後部座席で揺られている。
ふと、カーキグリーンのスーツのポケットから、黒いガラケーを取り出して、時刻を確認してみた。
七月七日金曜日。深夜一時十二分。我ながら社畜にも程があると思う。
タクシーの車窓から、ド田舎の山奥の景色を流し見た。辺りは何処まで行っても木々だらけで、本当にこの車が前進しているかも疑わしい。さっさと仕事を終わらせて、街へ帰りたかった。
この間買ったばかりのガラケーを、またスーツのポケットに仕舞って、少し伸びをしてみる。薄めた瞼の隙間から、馬鹿ほど回ったタクシーのメーターを見据えた。たぶん、降車する頃には財布の中身が空っぽになってしまうだろう。
*
「おっ。きたきた」
タクシーを降りてすぐ、例の先輩刑事の声が鼓膜を玉砕した。声だけが、やたらデカい。去っていくタクシーのエンジン音より、先輩の声の方が万倍デカかった。
「はい。きました。僕が」
「やる気ねぇのか!名乗れ!」
「組対、瀬良ミタル。誕生日は十二月十二日。出生時刻は十二時十二分。マイナンバーの下四桁は一二…」
「うるせェ!黙れェ!」
僕は誰も居ないだだっ広い未舗装の道路を、先輩に連れられて進み始める。
「あ~これは魔法少女ですね」
「え?なに?まほ…」
「魔法少女ですね。これは」
「魔法少女ってなんだ!知らねェこと言うな!」
「こっちでテキトーにやっとくんで、引き継ぎだけやっといてください」
路肩の木陰に、男性と女性の遺体が棄てられていた。二つの遺体は一本の針葉樹に寄り添うように力を失っている。
おそらく男性の方は四十代後半くらい。頭部が消し飛んで、身体の至る所に丸く抉られたような痕がある。両脚も無くなっていた。男性の遺体は言わば、腕の付いたトルソーの様だ。
一方、女性の方は、胴体の右半分と、その先に付いた右腕だけがのこされている。しかも、それが焦げて炭化していた。証拠隠滅しようとしたか何か。明らかに女性の方だけ故意に燃やされている。遺体というより、炭になった黒い腕と胴だけがのこっているといった方が正しい。
「なんだよ。魔法少女って…」
「魔法少女ってやつらがいんですよ。チーマーみたいな」
「なんだよ。それ…」
「これだけ痕跡残してんなら、まだザコでしょうね。ザコォ少女」
「なんだよ。ザコォ少女って…」
「先輩、もう帰っていいですよ」
僕がそう告げると、先輩は踵を返して車の方へ向かい始めた。なんかまだボソボソ喋ってる。
僕は先輩が車で去ってから、ようやく本格的に遺体の身元の特定を開始した。
まず男性の方。ジャケットのポケットに携帯電話が入っていた。
「…エイトかよ。ラッキー」
遺体の手を掴んで、携帯のタッチIDを解除する。とりあえず、通話履歴とメッセージアプリを確認した。そこから被害者の身元がある程度、特定できる。
男性の名前は七海孝雄。シチミタカオと読むらしい。中々景気の良い上場企業の役員か何かをしているらしく、電子マネーアプリの履歴がガチでエグかった。羽振りがいいのに、携帯電話は最新機種じゃない事が少し気になる。携帯電話は数年前にリリースされた機種でカラーはレッド。他、目ぼしい痕跡は特にない。唯一、娘と思しき人物とのメッセージ履歴を除いて。
『あしたあいにいくからきて』
昨日の夕方に送信されたメッセージだった。送信元の名前は。
「シチミユア」
こいつがシチミタカオの娘、そして魔法少女であり、加害者の可能性が高い。
魔法少女の親殺し。まぁ、良くあることだった。ただ、親を殺すにしても、両脚を捥いだりする必要性があるのだろうか。
「あ」
そこで僕は重大なことに気が付いた。
「足無いわ」
車も無ければタクシーも通らない山奥で、ご遺体夫婦と取り残されてしまった。当然、財布は綺麗に空になっている。
(III)
「おきて!みゆちゃん!おきて!」
私は声を無視して寝返りを打つ。
「が」
すると、白いベッドから転がり落ちた。けど、真っ白ふわふわカーペットの心地も最高すぎる。窓から入る陽光を浴びながら、二度寝の構えに突入した。
「あさになったよ!おい!ガッコいけ!」
私はカーペットをゴロゴロと転がりながら、その辺に置いてたはずのスマホを探す。
「チッ…」
「舌打ちしないでよぉ。こわいょ」
スマホ壊れてんだった。しぬ。
「いかないスマホない」
流れるように二度寝を敢行した。
次に目が覚めたのは、昼下がりだった。
ベッドから起き上がって、よろよろと窓辺へ向かう。白基調に揃えられたベッドやカーテンが陽を反射して、部屋中を柔らかな温もりで満たしていた。
部屋の角には昨晩破った制服と、いつ買ったのかも憶えてないコスメの残骸が朽ちている。そっちを見なければ、この部屋は天国みたいだった。
気持ち良い目覚めがあるだけで、人生がこれ以上無いほど順風満帆かのように錯覚できるらしい。昨日、あんなに死のうとしてたことが馬鹿みたい。
「おはよう!みゆちゃん!ガッコいけよ!」
結局、一晩寝てもコイツは消えていない。白い翼は背中に収まってなくなってはいたけど、ポップンの声だけは聞こえる。これがテレパシーってなやつなのかもしれない。
「いかない制服ないし」
ボサボサの長い黒髪を梳きながら、テレビのリモコンを探した。
「テーブルの下だよ!ガッコいけ!」
白いローテーブルの下に、スウェットに絡まったリモコンがあった。引っ張り出して、動画サイトを開く。トップに出てきた、聴いたことのない曲を再生した。
「なんでそんながっこー?行かせたがんの?」
名前すら知らないようなラッパーたちが、画面の中で横揺れを始める。『この人たちってどうやって生計立ててるんだろ』とか考えながら、テーブルの上になんか置いてあったグミの封を切って、口に放り込んだ。傍らにちょうど、少しだけ中身が残ったお茶のペットボトルもあったので、それで喉を潤わせる。部屋が私を生かしてくれていた。
「ボクら魔法生物が生きていくには、もっと多くの魔力が必要なんだ。たくさんの魔力を貯めるには、人を殺す必要がある。学校に行けば人がいっぱいいるでしょ?学校で目ぼしい人を見つけられるかなぁ~って!」
「うん?」
「学校に行って、ターゲットを絞って、夜に殺す。これがボクたちのルーティンワークなんだ!」
なにいってんだこいつ。話半分で聞き流す。
ラッパーの薄っぺらい人生自慢がようやく終わって、今度は知らないアイドルちゃんが画面の中で踊り始めた。頭上に何かの数字を浮かべながら、女の子の顔が代わる代わるアップで抜かれていく。
「みゆちゃん、この頭の上に浮かんでる数字、みえるでしょ?」
「え?これそういう演出じゃないの?」
「違うよ!これはなんてゆーか。うーん…『顔面偏差値』かな!」
「あ?」
「顔面偏差値は、人を殺せるラインを測れる数値で、魔法少女としての強さを現す数値!みゆちゃんの顔面偏差値は、二一一二〇だよ!ボクといっしょにたくさん人を殺して、さらに上の顔面偏差値を目指そう!」
まだ寝起きで頭がぼーっとしてるし、ずっと上の空で話を聞いていた。興味ないマンガを飛ばし飛ばしで読んでるみたい。
「みゆちゃんが人を殺したとして…みゆちゃんは、その死んだ人が持っていた顔面偏差値を吸収できる!つまり、顔面偏差値を上げれば、みゆちゃんの容姿はどんどんかわいくなる上に、魔法少女としても強くなるんだポプ」
「へぇ」
「しかも、ある程度まで顔面偏差値を上げたら…」
充分な間をおいて、ポップンは言う。
「ボクがみゆちゃんのお願い事、『イノリ』を一つだけ叶えてあげる!お金だって、人だって、なんだって、魔法で創り出してあげるよ!」
これでやっと長々とした説明が終わったらしい。
テレビの電源を切った。モニターが即座に暗転する。黒くて静かな画面の奥に居る歪んだ私と、目が合った。二日目のアイラインが、よれによれている。
「…」
グミだけじゃ全然お腹が膨れないことに気がついた。
*
コンビニに行く道中、昨晩私が落下した通りに行ってみることにした。
「なんも残ってないねー。槍もないし。みゆちゃん、ここで死んだんだよね?」
ポップンの言う通り、私は昨日ここで死んだ。槍に胸を貫かれて、血反吐を吐いた。はずだった。はずだったのに。
明け方、私はこの場所で目を覚ました。要は、また自殺に失敗してしまった。
それから、夢うつつな頭をぶら下げながら、しょうがなく帰宅して、寝て、起きて、寝て、起きて、訳の分からない説明をされて、外へ出て、今に至る。
何が現実なのか、ずっと検討が付かないし、気持ちの整理なんて当然ついていない。昨日、変身して戦ったことも、記憶としては何処か朧気だった。人は一日で何度も死ぬと、生きた心地を失うらしい。さっきの部屋といい、今いる世界が天国な可能性だってまだあった。
「ねぇ、ポップ…」
「あっ!居た。おーい!君ー!」
突然、後ろの方で大きな声がする。私の問い掛けがかき消された。
「えーと、未結さん!」
声の主は私を呼んでいるらしい。けど、明らかに友だちや知人ではない。その中性的でエッジの効いた掠れ声に聞き覚えはなかった。
「君でしょ。未結さん。六月未結さん!」
忙しない足音が背後で急停止する。振り返ると、そこには息を切らして灰色の頭を垂れている謎の人物がいた。
「だ…れですか」
姿を見ても、彼が誰なのかわかんない。今日は顔面をつくってなかったから、あまり人と目を合わせたくなかった。
私は付けていたマスクを鼻先まで上げて、黒いキャップを深く被り直す。前髪を摘まんで目の下まで撫で下ろした。
「ハァやば…走んのキツ」
「あの…」
「あー。ごめんなさい。ゲッホァッ。やばいと思いません?これ」
ありえん怖かったので踵を返す。
「ちょっまっ。僕、警察ですけど?」
絶対、嘘。
「見ます?拳銃」
ちょっと見たいかもだけど無視する。
「えっと、あの!昨日の…ここ…深夜…の事件を」
「え?」
思わず振り向いた。依然、謎の人物は息を切らして地面を見つめている。
*
さっきの通りの先にある小さな公園の中で、謎の人物の話を聞くことにした。
もしかしたら魔法のこととかがバレていたのかもしれない。バレていたところで別にどうということでもない気もするけど。話を聞くだけなら損はない。
私は古びたブランコに腰を下ろした。一方、彼は私の真ん前に突っ立っている。いざとなればブランコを用いて彼の顎を蹴り上げられるので、ちょうど良い配置だった。
「遅れてごめん。僕はマジのその辺の警察、瀬良です」
瀬良と名乗る彼は警察手帳らしき物を広げて、姿勢を正す。すると、彼のスラっとした細身の高身長がより映えた。厚底の革靴を履いていたけど、それを度外視にしても、たぶん一七〇か一八〇センチくらいはある。私と二、三〇センチくらい身長差があった。
彼は上下共にカーキグリーンのスーツ姿で、その粗雑そうな口調とフォーマルな服装が、底知れない印象を生み出している。中に着込んだ灰色のシャツのボタンは、キッチリと首元まで留められていた。
「えーと、所属は警視庁組織犯罪対策部総務課。好きな食べ物は甘味。好きな色は赤。好きな指は中指…」
瀬良さんは、胸元に下した訳のわからねぇ柄の黒ネクタイを弄りながら、自己紹介を続ける。
「あの、なんで私の名前知ってるんですか?昨日の事件ってなに?」
瀬良さんの事はどうでもいい。ポップンといい、最近私の個人情報がダダ洩れな気がする。それがかなり怖い。訊きたい本題はこっちだった。
「名前は調べた。僕、警察だから。事件のことはウソってか、当てずっぽう」
私はブランコを引く。蹴り上げる準備はできた。
「そうやって言えば、君が話を聞いてくれるかなって思った」
瀬良さんは、センターパートのウルフっぽい髪の毛を弄りながら言った。アッシュグレーの髪の毛先が、彼の長い指先の中で踊っている。
「逃げられたくないから言うけど…」
突然、瀬良さんは猫のような瞳で私を凝視してきた。咄嗟に視線をずらしても、続く言葉に引き戻される。
「君、魔法少女でしょ?」
「え」
「僕は、『シチミユア』という魔法少女を捜してる。彼女が居そうな場所とか、心当たりない?」
彼と目を合わさずにはいられなかった。
(Fragment)
『18↓|maj|3019!くら以外フォロリク通しません!』
『5120 sjk infp』
『4000↑:crown→inDM』
(IV)
「そう!その立駐入ってった!」
「みゆちゃん、たぶん敵は三人くらいポプ!」
「おっけ。ねぇ、瀬良さん。バテるの早すぎ」
「ここ…空気うっす」
「いたわ。私、剣だから無理だけど。ヒナ?」
「よっし!囲んだ!横の奴は後、白い魔法少女優先!」
「えっ…二万ってヤバくない?いける?」
「こっち三人だよ!いけるって!」
「瀬良さん、私が前出てテキトーにやるから、逆側のあっちのドアの方まで走って」
「わかった。死ぬなよ。未結ちゃん」
「え?うん。いきます。せーのっ」
私は停まっていた軽自動車の影から、勢い良く飛び出した。飛び出した先、通路の両端を囲んだ魔法少女に、それぞれ手のひらを向ける。すると、昨日みたいに手のひらに銀色の銃口が生えきた。
「ばぁん」
駐車場の淀んだ蛍光灯の光が、発光する銃弾の煌めきに上書きされる。
「未結ちゃん!またあとで!必ず追いつく!」
「早く行ってくれません?」
ようやく瀬良さんが駆け出した。出口のドアがあるところまで、たぶん二百メートルくらい。対面駐車された車と、その間にある通路、それが四ブロックほど続いた先に駐車場の出口はあった。
「バレてるって、そんなの!」
如何にもゴスロリっぽい、緑色の服を着た魔法少女が叫ぶ。彼女は私の銃撃をなんとか受け止めきれたらしい。彼女は右手に、刀身が赤い剣を携えていた。よく見ると、その剣と彼女の右腕は一体になっている。
一方、逆側に居た、黄色いアイドル衣装を着た方は起き上がってこなかった。相当食らっちゃったらしい。
瀬良さんに七海が居そうな場所を訊かれて、七海がSNSで紹介していたネイルサロンが入っているビルへ来たところで、この二人の魔法少女に襲撃された。
今は戦闘の真っ最中だから、七海が居なかったことなんて気にしている暇はない。瀬良さんを守りつつ、残った一人の魔法少女を…。
「あ、やばっ。瀬良さん!」
緑の魔法少女が、瀬良さんを狙って地面を駆け始めている。
「みゆちゃん、攻撃、防御、移動、回復の魔法を使い分けていくんだポプ」
「うっさ」
今そんなことを考えてる余裕なんてない。
私は、疎らに停まっていた自動車の合間を縫うように飛行する。背中に生えた純白の翼を一心不乱に動かして、緑の魔法少女へ突進した。巻き起こった大気の流動に停車中の車たちが揺れ動く。
「アッが…」
なんとか、緑の魔法少女の背中に追いついた。彼女を抑え込むように重なって、通路へ倒れる。
「邪…魔すんなッ。雑魚!」
私の身体の下敷きになった緑の魔法少女は、声を荒げながら罵声を吐いた。彼女は、幾重にもレースが重なったミニスカートの裾から、あらぬ方向へひん曲がった右脚を覗かせている。当分は立ち上がれなさそうなので、言われた通りに彼女を解放してやった。
「バキ、パキペキキ…」
すると、彼女の身体から異音が鳴り響き始める。
「みゆちゃん!回復しちゃうよ!」
回復魔法を使って再生をしているらしい。緑の魔法少女は息を切らしながら、右脚を抑えていた。
「はやく殺そうポプ!」
ポップンが煽ってくる。背中から伸びている白い翼の先に、綺麗な白い歯を並べた人の口のような物が生えていた。そこから彼の耳障りな声が出ている。
「グチャ」
私は、その口を鷲掴んで捻り潰した。手中に血が溢れて、ポップンが黙る。
「殺せば二万、二万千…」
灰色のコンクリートの上に倒れ込んでいる緑の魔法少女は、そのピンクで華奢な唇を震わせて、執着を吐き連ねていた。まだ身体中をパキパキと鳴らしている。
「うわァァァッ!!」
緑の魔法少女が奇声を上げながら立ち上がった。折れていた右脚も治っている。彼女は獣のような眼光を湛えて、勢い任せに赤い剣を振り被ってきた。深紅の刃先が、駐車場の照明の光を受けて、一瞬輝く。
「は?えっ」
私は、彼女の剣を真正面から受け止めた。
なにもせず、防御もしない。
剣は威勢を殺さずに、私の肩を切り込み始めた。スルスルと、肩の肉が抵抗も無しに裁断されていく。
切断されていく肩はとても熱い。熱線に身体を焼かれているみたいだった。痛すぎて、最早痛いのかなんなのかわかんなくなってくる。
「みゆちゃん!熱い!いたいよ!」
けど、これで良かった。純白のドレスのサテン地と刺繡に、赤い染みが広がっていく。
私がここで彼女に殺されれば、私の持つ二万の顔面偏差値は彼女に還元される。彼女のためになる。それに加えて私は死ねる。自殺できないなら、誰かのためになってあげても良いと思った。それくらいの善意はあるつもりでいる。
徐々に、意識が薄らいでいった。
「…ちょっ!未結ちゃん!」
曇った意識の中、出口へ向かったはずの瀬良さんの声が聞こえる。ハウリングが幻聴を思わせた。
「なにしてん…の」
瀬良さんに身体を持ち上げられたらしい。翼の根元に、彼の細腕の感触を感じた。
「ぁ」
遂に、視界が暗転する。
「未結ちゃん!」
「コツコツ…」
「起きて!」
「コツコツ…」
瀬良さんの声の合間を繋ぐように、ヒールの靴音が耳の奥で反響した。
そういえばさっきポップンが敵は三人居るって言っていた気がする。たぶん、それ。熱い。血が、垂れてる。このまま殺されて、今度こそ死ねたと思った。
*
「なんで…!」
終電間際の人気の無い電車内で、私は叫ぶ。電車が上下に揺れる度に、斬られた肩の痛みは和らいで、涙が垂れた。
向かいの席に座っている瀬良さんの冷静な視線を、見ずにも感じている。けど、焦燥の抑えが効かない。血の染みた頬に、無色透明な雫が次々と滴っていく。
「…未結ちゃん、なんでああした?」
私の着ているドレスのせいで、ボックスシートはとても狭い。こうして優しく訊いてくる瀬良さんは、長い脚を縮ませて席に収まっていた。そんな些細なことも、今は申し訳なく思う。惨めだった。
「マジで死にたいの?」
「うん…」
泣きすぎたのか、喉が渇き切っている。声が掠れた。
「なんで?」
「だって…わかんない。魔法少女とか馬鹿みたい。子どもみたいだから…。死にたいのに」
言葉がぐちゃぐちゃなのは理解している。でも、何を言えばいいのか、自分がどうしたらよかったのか混乱していた。
「七海もいなかったし、無駄足だった…今日は。瀬良さんだって巻き込んだ。スマホもないし」
瀬良さんに七海の居そうな場所を訊かれて、私がそこへ案内するだけのはずだった。それだけなのに、魔法少女に狙われて、殺されなくて、七海も居ないし、瀬良さんを巻き込んで、死ねなくて、最悪。気持ち悪かった。
「違うでしょ」
「…え?」
「別に急いでないから。ゆっくりでいいよ」
私は泣き腫らした顔を上げてみる。瀬良さんの顔色を伺うつもりだった。
ただ彼は、トンネル内の何の景色も映っていない車窓の方だけを眺めている。そのせいで表情が読めなかった。そしてそれは、心地良い。
「…ん」
瀬良さんに、言わないと。話して、落ち着きたい。私の喉奥に痞えていること。私が死ぬべき人になったあの時のこと。
私は、私が七海を殺してしまった日のことを、瀬良さんに語り始めた。
*
「私は、
『お前みたいなのが居るから、私たちみんな幸せになれないんだよ』
って言った」
「私は、
『ぜんぶあんじゃん。お前が馬鹿にしてる気がなかったとしても、私たちは馬鹿にされてる気分になんの』
って続けた」
「そしたら
『じゃあ、私が死んだら、みゆちゃんは満足してくれる?』
ってあの子が言った」
*
「『私は、みゆちゃんの言うように、全て持ってる。お金、才能、愛も、全部。でも、全然幸せじゃない。私は、幸せなの?幸せをみゆちゃんは知ってるの?』」
*
『は?なにそれ。そんなんわかんない。でも、お前が死ねば満たされる人はいるでしょ。そ…れだけで充分』
「わかった。じゃあ私、死ぬから」
「え」
「私のぜんぶ、あげる。できる?…うん。ありがと。あ、お墓つくって!うん!」
「は?誰と喋ってんの?」
「ん?あー、そのうち慣れると思う!テレパシーみたいな。じゃあ、みゆちゃんこっちきて」
「は?なに?触んな。ねぇ!」
「大丈夫!みゆちゃんはこれから幸せになれる。絶対!」
せーので、いく…から
夕空を裂きながら、怨嗟を屋上へ置き去りにした身体は、純心で軽い。私は、そんな状況でやっと、思いを重ねて、思考をできるようになった。
ただ、何処を辿っても、この結論に帰結する。
あの日、あの場所で死ぬのは私だけで良かった。
恵まれた人を憎んでいた。あの子は顔がかわいいし、親も金持ち。頭もいいし、なんでもできて、ネットでもリアルでも誰にだって愛されていた。
私は全部が不細工で何も無い。どこにでもありふれていて、その人混みの中ですら更に底へ沈んでいくような人間だった。
背後にアスファルトが迫りくる中、気が付いたことがある。本当は、あの子に死んで欲しかったんじゃない。私が生きたくなかっただけ。
だから、空回って、ただ伸び続けていく糸なんか裁ち切ってしまえば良いと思った。
でも、それすらも魔法が叶えない。これから一生死ねないし、許されない。私は…。
*
「瀬良さん、ありがとございます。ここまででいいです」
瀬良さんはホームの外まで見送りに来てくれた。
「ん。危ないから気を付けてね。まぁ、平気か。強いし」
さっきまで私たちが乗っていた電車が、駅から発っていく。静けさに支配されたこの街の夜に、電子音のメロディーが大きく轟いた。
「また、あした会えますか。ちゃんと謝りたいです」
「え?別になんも悪いことしてないと思うけど」
「はなしきいてくれた」
「あ、そう?てか、携帯ないんでしょ?」
「うん」
「じゃ、これあげる。エイトだけど。使ってないから」
瀬良さんがスーツの内ポケットから赤いスマホを取り出して、手渡してくる。確かに、そのスマホは古い型で、私が普段使っていたヤツよりも小さかった。
私はお辞儀して、そのスマホを受け取る。白いドレスはポケットも何もないから仕舞えない。
「それに直接電話すんね。めっちゃ朝に」
「おきてたらでます」
「めっちゃ昼に」
「はい」
「あと、駐車場のとき助けてくれてありがと。でもその後、駅まで運んだの僕だから。それでチャラね」
「…うん」
「じゃあ、また明日!」
瀬良さんは目尻を下げて、屈託のない笑顔をつくった。長い腕をユラユラと揺らして、手を振り始める。私は、そんな彼に頭を下げてから、踵を返して帰路に着いた。
散々泣いた後に見る夜空は、やたら冷ややかで澄んでいる。対して身体は火照っているから、外気と私との間に差異を感じた。ただ、互いに馴染んではいる。
何も解決していないし、私は屑で変わりない。それなのに、靄掛かった心の内がちょっと晴れた気がした。こういうところも、私は私がいちばん嫌いだった。
(Fragment)
「私、ゆあのこと絶対許さないから」
「みゆちゃんのこと許さないで」
(V)
「みゆちゃん!あつい!」
「あつくない!」
二日ぶりに髪を巻いてる。思い返すと、ちゃんと髪をセットしてないのに外に出てたの、かなりやばい。胸の内がもわもわして発狂したくなってきた。
「みゆちゃん!ながいよ!」
「もっかいやり直すから」
なんか思うようにできなかった。顔がいつもと違う。固まった前髪を爆散させて、デカすぎたカラコンを外した。
「何回髪こねるポプ?工房じゃん」
「お前…」
土曜日の昼十二時十二分。私はやっと支度を終えて、家から飛び出した。当然、瀬良さんとの待ち合わせ時間には遅れている。
マンションのエレベーターに乗ってから、ピアスが気になってきた。もうちょっと控えめなヤツでも良かったかも。
右肩に提げた黒いバッグから、昨日貰ったスマホを取り出す。暗証番号がわかんなかったので、ロック解除もできない。このスマホは瀬良さんからの電話を受け取ることと、時間の確認しかできなかった。
なにもできない黒い板をミラー替わりに、目元を見直す。エレベーター内の照明が暗すぎて、あまりよく見えなかった。
今日は黒いレザーっぽいショートパンツと、オーバーサイズの黒いブルゾンを着ている。厚底のスニーカーも黒かったし、ネイルチップも黒と灰色のグラデみたいな感じ。
相変わらずセンス皆無全身黒ずくめ不審者ルックだった。たぶん八割くらいネットでまとめて買ったやつ。なんか待ち合わせ場所に行くのが嫌になってくる。
エレベーターを降りて、薄暗いマンションのロビーを抜けた。脳内で昔から好きだったドラマのオープニングテーマを流しながら、駅までの道を歩いていく。雲の間の暖かい陽射しが、曲のリズムに合わせて見え隠れした。
*
「で、もう大丈夫なの?」
駅前のミスタードーナツの店内にて、瀬良さんはオールドファッションハニー、私はポンデストロベリーを頬張っている。久しぶりに、ちゃんとした物を食べていた。
「はい。一応、大丈夫です」
こうして誰かと一対一で向かい合って、お喋りして、お茶みたいなことをするの、人生で初めてな気がする。頭上で回る換気扇が、店内の甘い香りをかき混ぜている一方で、私の頭も緊張でぐるぐると回っていた。
「あの…瀬良さんに話聞いて貰っただけだけど、ちょっと治まった気がします」
昨日まで頭を埋め尽くしていた希死念慮は、少しの間、何処かへ遠退いてくれている。別にこれといって、なにをしたわけでもない。問題も罪も解決した訳じゃない。ただ、瀬良さんが話を聞いてくれただけで、私は今日も起きることができた。希死念慮なんて、案外そんな物なのかもしれない。
「ふーん。じゃあ、『死にたがりの最強魔法少女』は卒業ね?」
「いったんです」
「うん」
瀬良さんは、オレンジジュースのコップに刺さったストローをクルクルと弄っている。彼の長い指先に付いたマットな赤い爪が、滑らかに光を反射していた。
瀬良さんは昨日と同じように、折り目正しくカーキグリーンのスーツを着こなしている。アッシュグレーでセンターパートの前髪の狭間には、軽いベースメイクを施した肌を覗かせていた。
改めて見ると、彼は顔とスタイルがよく整っている。口を思い切り開いてドーナツを頬張っていても、所作や仕草にも品性があった。俯瞰すると、私が向かいに座る権利なんて到底ないように思える。でも、お喋りは続いた。
「で、未結ちゃん。今日は『シチミユア捜し』を手伝ってくれるってことでいい?めっちゃ助かるんだけど」
「はい。お礼したいし。でも…」
「死んでる?」
「私が…」
「それがねー。みてこれ」
瀬良さんはポケットから、グシャグシャになった紙くずを引っ張り出す。それを机に突き出して、顎をクイと上げた。私はその紙くずを拾って広げてみる。
「なにこれ」
「今日のレシート。払って」
「私は払いますよ。パパ」
「それやめて。ジャブだからこれ。おもしろキックボクシング」
打ち負かした。私に負けた瀬良さんは、懐の奥から新しい紙くずを出してくる。彼はグシャグシャのA4用紙を摘まんで、宙でプラプラと揺らしながら言った。
「見て。これにある通り…シチミユアは死んでいない。彼女は生きている」
「え」
当惑する私は無視されて、説明が続く。
「昨日の未結ちゃんの話によると、シチミユアが死んだのは、一昨日の午後。けど、この資料にある通り昨日の午後一時十分から約十二分間、彼女は自身のフォロワー約二十万人のSNSにて、顔を映した生配信を行っている」
瀬良さんの赤いネイルが文字列の上を滑っていった。
「ここにある通り、こっちで詳しく調べたんだけど、僅かに配信に乗っていたテレビの音声が、当日の同時刻に放送されていた物と一致した。整合性から見て、録画や過去の映像から縫合して作った映像を流していたとは考え難い。声は僅かな差異があったけど、誤差のレベル。声紋は機材や環境によって、まちまちだからあまり当てにならないんだけどね」
「…じゃあ、加工とかで七海の顔だけつくったとか?」
私はそれっぽい推測を並べてみる。七海が生きているという事実を、未だ吞み込めないでいた。
「それも違う。加工の痕跡がなかったから」
「痕跡?」
「うん。知ってる?人の特徴が最も出る部位は、耳。耳は人毎の形状の差が顕著に現れる。そこで、過去にアップロードされた彼女の写真と生配信時の彼女の耳を照合したんだけど、これが見事に合致した」
瀬良さんが後れ毛を耳に掛ける。彼の右耳には一つのピアスと一本のインダストリアルが嵌っていた。
「正直、耳まで凝ってトレースしたり加工することってあまり無い。AIとかで模倣しても、耳なんて手より不得意中の不得意でしょ。この配信に映ってるシチミユアは、顔も耳もその他身体的特徴も、シチミユアと寸分違わない」
「生配信に映ってたのは、本物の七海?」
「そう!どう?そう!」
七海は生きている。どうやらそれは間違いないらしい。
安堵なのか罪悪感なのか。全く経験したことのない思念が、飲み込んだ唾と共に胸中に落ちる。そんな私を尻目に、瀬良さんは机に身を乗り出して言った。
「まぁ、何が言いたいかって言うと…」
彼の大きな瞳孔が、また私を捕える。彼の薄い唇が言った。
「こんなの、魔法でしょ」
私の襟元から皿の上へ、細くて赤黒い肉塊が伸びていく。肉塊の先端には小さな口が生えていて、それがポンデリングに齧り付いた。口がしばらく蠢いて、ドーナツは流砂のように何処かへと流れて消えていく。
そんな様子を見届けながら、私は瀬良さんの顔色を伺った。
「き…」
「ありがとうパパ。ドーナツ美味しかったです」
「いや違う。キテレツだねっていおうとしただけ」
七海のことを聞いた後、瀬良さんに魔法についてをいろいろと説明した。まだ私にもわかんないことが多い。ここ最近いろいろなことがありすぎて、メンタルと記憶の処理が追いついていなかった。瀬良さんに上手く伝わっているのかも怪しい。
「まとめると…」
ありがたいことに、私に代わって瀬良さんが纏めてくれるらしい。
「魔法少女は顔面偏差値?の上昇、つまり容姿の研鑽を目的に人を殺してます、と」
瀬良さんは小声で『馬鹿っぽ』と付け加えた。
「んで、魔法で人を殺すことで、一般人でも魔法少女でも、その人が持っていた顔面偏差値を吸収できる。そして、顔面偏差値はイコールで魔法少女としての強さの数値にもなっている。つまり魔法少女は、顔面偏差値が高ければ高いほど、容姿が整っていて、魔法少女としても強い。その上、多くの人を殺している」
これはポップンに説明されたのを覚えている。
「魔法少女が自身の顔面偏差値以下の一般人を相手取った場合、魔法で蹂躙ができる。対して、魔法少女対魔法少女の構図になった場合は、腕っぷしだけで下剋上ができる。昨日、駐車場で未結ちゃんが狙われていたのもそれだね」
昨日戦った魔法少女たちは、私の二万の顔面偏差値を奪うために、剣を抜いていた。脚が折れても、必死に私を睨んでいた。
「その他にも、ある程度の顔面偏差値まで達すると『イノリ』を使える。イノリは基本的になんでもできる万能の魔法。お金増やしたり、恋人つくったりもできるのかね」
これで粗方まとめは終わったと思う。たぶん、要点は瀬良さんに伝わっていた。私の下手くそな説明でも、彼は難無く理解してくれる。
「なんか、魔法生物に良いように使われてるってだけな感じがしなくもないけど。魔法生物が生きていくのに、人の死体が必要ってだけなんじゃない?これ」
「だって、ポップン?」
「…」
背中から生えたポップンは、未だにポンデリングを貪っていた。流石に食べ過ぎだったので、首根っこを掴んで潰す。綺麗な歯型の残ったポンデリングの最後の一欠が、白い皿の上に残った。
「基本的に魔法が使えるのは夜の間だけで、夜の間も、攻撃、防御、移動、回復とか戦闘的な魔法しか使えない。未結ちゃんのスマホが直んなかったのも、そもそもそういう用途で魔法は使えないから。それで合ってる?」
肉塊が瀬良さんのオレンジジュースの方へ伸びていく。肉塊はコップの中に頭を突っ込んで、ジュースを少し吸い込んだ。それからまた流れるように、瀬良さんの鼻先へ伸びていって、首を縦に振る。『合っている』という意思表示らしい。
「いいよそれ。もう飲めないからあげる」
瀬良さんは私の前にコップを滑らせてきた。
「ただ一人一回、さっきも言ったイノリという魔法があれば、基本的になんでもできる。未結ちゃん、スマホ直してみてよ」
瀬良さんは頬杖をついて、私を見据えてくる。私は咄嗟に、摘まんでいたポンデリングの一欠を皿に戻した。
「…普通に嫌です。一人一回しか使えないし」
「でも、昨日スマホないから死ぬっていってたよ?」
「あれは…あん時はそーゆー気持ちだったってだけ。DMとかみれないし、寝る前暇だけど、なんかちょっとこの生活にも慣れてきたから。なんかそんな物に生活を支配されてたの、馬鹿っぽくなってきました」
これは本当。自分でも驚いたけど、スマホが無くても結構生きていける。
「言うね。じゃ、あげたスマホのロック番号教えなくてもいい?」
「おぢが言うなら、ねだんない」
「一二一二一二ね。テキトーに初期化していいよ」
*
ミスタードーナツを出て、街へ繰り出す。
信号機の音と車のエンジン音、横を二人組の子どもが駆けていく足音。ノイズキャンセリングされてない街の喧騒が、少しだけ新鮮に感じた。
「じゃあ、こっから質疑応答タイムね。良い?」
「ポプ!」
襟元から伸びた肉塊が、瀬良さんと会話を始める。私は瀬良さんの歩幅を追いつつ、街並みを歩いた。
「まず、イノリは顔面偏差値がいくつになったら使えるの?」
「二万二千ポプ!だからみゆちゃんはあと八百くらいだね!」
「…へー。高すぎね?」
「ポプ!」
「めっちゃ殺せよーってシステムになってんね」
*
高架下は肌寒い。フェイクタイツ越しに秋風の冷感を感じた。左側の車道をハイビームを付けた白い車が抜けていく。真っ昼間なのに眩しかった。
「顔面偏差値って、大体どれくらいが平均?」
「一般人の顔面偏差値の平均は三千くらい、魔法少女は、五千から六千くらいだよ!」
「未結ちゃん二万でしょ?じゃ、めっちゃくちゃかわいいのかね?」
「そんなわけないです」
*
歩道橋の階段を、瀬良さんの背中に追い縋るように上がっていく。橋の下を車が通過する度に、足元が上下に揺れた。
「例えば、昨日みたいに三人で徒党を組んで一人の魔法少女を殺したとして、顔面偏差値はどうやって分配される?」
「うーん。そもそも、一人を殺しても、その顔面偏差値がそっくりそのまま還元されるわけじゃないんポプ!何パーセントかは死体の消去とかに使うからね。それを引いてからの分配は自由!三等分にも二等分にもできるよ」
「税?」
「義務ポプ!」
「え、てゆか、分配ってなんですか?そんなことできるの?」
「うん。魔法少女はSNS上で『クラン』とか『クラウン』っていうコミュニティをつくってる。昨日みたいなグループをそう呼んでるんじゃないかな」
「へー」
「そういうコミュニティができるってことは、殺したときに顔面偏差値を分配できるのが前提でしょ?」
私ですら知らないことを、瀬良さんは知っていた。流石に警察というだけのことはあるのかもしれない。質疑応答が再開する。
「普通の人と、魔法少女を殺した場合の顔面偏差値の還元率は一緒?」
「いや、魔法少女の方が還元率が高いよ!一般人を殺すリターンと罪悪感、魔法少女を殺すハイリスクとハイリターン。これによって一般人も魔法少女も、日々の死亡数はトントンくらいになってるですポプ!」
「さっきからあんまなにいってるかわかんないです」
「ねー」
向かいから、制服を着た中学生が歩いてきた。二〇三〇の彼女は、瀬良さんを密かに一瞥して通り過ぎていく。
*
短い横断歩道を渡った先の中央分離帯。向こう側の歩道へ行くには、ここからもう一個横断歩道を渡る必要がある。今はまだ、辺りのの信号が赤一色に染まっていた。
「そもそも、顔面偏差値って女性しか見えないの?」
「そうポプ!男の子の血肉は美味くねぇから」
「瀬良さんの顔面偏差値見えないです」
「へー。まぁ、きもいし見えなくていいけど」
信号が青に変わる。横に居たおばあさんが、遅々とした一歩を踏み出そうとしていた。この人は一〇〇三。瀬良さんが渡り始めたのを見て、私も続いた。
「ん?魔法で殺せるの、女性だけ?」
「そうボブ!男の子の血肉は美味くねぇから」
「ふーん」
「…顔面偏差値、ずっと出てて邪魔なんだけど。消せないの?」
「消えろ!って願えば消えるよ!出てこい!って願えば出てくるポ」
「脳ブレイブだ」
*
ちょっと広めのコンビニの駐車場。銀色の鉄柵に二人並んで寄り掛かっていた。
瀬良さんは、またオールドファッションを買い食いしている。カロリー度外視すぎた。
「結局、瀬良さんは、どういう類の浮浪者なんですか?」
「瀬良さんは魔法少女事件を主に担当する警察系浮浪者です!」
「うーん?」
「ただ、魔法少女みたいな超常現象系の事件は物証もクソもないし、立件なんて以ての外だから、基本的に全ての事件を未解決にしたり、テキトーにまとめたりするって感じ」
「え?結構めちゃくちゃなことやってません?」
「元々、汚ない面ならいくら汚してもいいだろって感じ」
「左遷ポプ!」
*
昨日も来た、ネイルサロンが入ってるビルの前。昨晩はこの建物から出てきたところを、魔法少女たちに襲われた。ガラス張りのドアの向こうに、仄暗いロビーが見える。
「瀬良さんは、なんで私が魔法少女ってわかったの?」
「僕は元々シチミユアを追ってたんだけど、いまいち近づけなくて。魔法少女のことについても全然わかってなかったし、魔法少女にダイレクトに行くのがいーかなーって…」
瀬良さんは建物に背を向けて、車道の方を見ていた。通り過ぎていくタクシーやバイクを、憂いを帯びた伏し目で眺めている。
「魔法少女になるには、死ぬか殺されるかしないといけないのはわかってたから、魔法少女になりそう顔の子を国家権力で監視してた。学校の中だけだけど」
「私、魔法少女になりそう顔?」
「もちろん!」
ビルから如何にも仕事ができそうな女性が出てきた。仄かなローズレッドの髪を靡かせている。私だったら二分で足を痛めそうなヒールを履いていた。
「瀬良さんは、なんで七海を追ってたの?魔法少女を揉み消すため?」
「んー。それもそうだけど、シンプルにかわいーからかなー」
「え?」
「でも、シチミユアは魔法少女って噂があった。じゃあ人殺してんのかなーって。現に僕はシチミが加害したらしい遺体と接触してる」
スマホを弄りながら犬の散歩をしている少年が目の前を通る。トイプードルは嬉しそうに尻尾を振りながら、地面に落ちた枯葉の上を歩いていた。
「たぶん魔法少女って皆、人を妬んだり殺意を向けたり僻んだり、そういう元からあった感情を吐露する舞台を与えられたんだよ。そしてそれがそのまま直接的に自己研鑽に繋がっていく仕組みになってる」
瀬良さんが言っていることは少し難しい。頑張って聞き耳を立てた。
「確かに綺麗になりたくて、人を僻んだり、自分を変えようとしたりする気持ちは誰しもあるんじゃないかなって思う」
これは言っていることが分かった。私はそういう気持ちから、七海にああやって言ってしまったんだと思う。
「でも、これじゃあ誰も幸せになれないって、なんとなくわからない?アイツらって何を考えて、人を殺して、自意識を満たしてんのかね」
少し言い方に引っかかったけど、喉まで出掛かった言葉を呑み込んだ。私がどうこう言えることじゃないと思う。
陽が落ちて少し暗くなってきた空は、瀬良さんの端正な顔立ちに影を落としていた。
*
ビルからすぐ近くの、ショッピングモールに隣接した立体駐車場へ向かった。三階まで昇って、昨日私が死んだ場所にたどり着く。通路を歩きながら、昨日の血痕を探したけど、何処にも見当たらなかった。
「シチミユアは現役女子高生のインフルエンサーとしては、目立っていた方ではあるし、同年代の人間を引っ張っていくような力があった。尤も彼女が魔法少女らしい思想を持っていたのも見て取れる」
瀬良さんは滔々と続ける。
「だから、何がわかんだよって言われても良いし、殺されてもいい。僕は魔法少女を、シチミユアを追う」
彼が、さっきまでと正反対の剣幕を纏っているような気がした。
「…ちょっとこわいです」
「勿論、仕事柄もあるよ。シチミユアを知れば、魔法少女事件を未然に防げるかも」
「なんか…きらいになってきました」
「そ」
「…え?」
そのまま駐車場を抜けて、ショッピングモール内のエレベーターに乗る。エレベーターの稼働音しか聞こえないくらい、私と瀬良さんは黙していた。
一階に到着する。新鮮な魚を推す店内放送や、買い出しをする客の話し声で、一気に騒がしくなった。午後一七時のスーパーマーケットは、あらゆる人でごった返している。
「で、未結ちゃんはこの後、どうするの?」
アイスが陳列された大きな冷凍庫の前で、瀬良さんが尋ねてくる。瀬良さんはハーゲンダッツのクリスピーサンドを三つ取って、冷凍庫の扉を閉めた。
「僕と一緒にシチミユアを追うの?」
「え?」
ずっとそのつもりでいた。七海が生きてるなら、謝りたいし。
「話聞く感じ、未結ちゃんを魔法少女にしたのシチミユアでしょ」
「…そうなんですか?」
「聞いたことがある。魔法少女の力の『継承』。瀕死の魔法少女だけが行える儀式みたいな」
瀬良さんは、今度はジュースの棚で立ち止まって吟味を始めている。
「未結ちゃんは言ってしまえば、巻き込まれた側でしょ?一度死んだ君は、シチミユアの力で生き返った。君が持ってる二万の顔面偏差値もそういうこと。勝手にいろいろされて、君は憤るべきじゃない?」
「なん…」
夕時だからかセルフレジは混雑している。やたら沢山の商品を抱えた男性が、有り得ないほどもたつきながらレジを操作していた。
「君が僕にお礼したいってんなら、もうそれは済んだ。今日いっぱい話してくれたから」
「なんか…」
「ん?なに?」
「考えておくので…」
「わかった!じゃ、今日はここで」
それから帰宅した。帰って早々、メイクも落とさず服も脱がずにベッドに倒れ込む。その衝撃で目の中に睫毛が入ってきて、痛んだ。目元を擦りながら、口に入ったブレスケア二粒を嚙み潰す。
*
翌日、ちゃんと朝に起きられた。
とりあえずメイクを落としてシャワーを浴びたので、髪を乾かしていく。この時間が何もできなくて最高に怠い。
「ドライヤー持って。はい」
ポップンにドライヤーを持たせながら、昨日のバッグを漁ってスマホを取り出した。
教えてもらったロック番号を打ち込むと、アプリがやたら少ないホーム画面が開く。
そこでようやく、昨日の出来事が全て現実だったという実感が湧いた。一旦、スマホの電源を消して、ベッドに放り投げる。
「『私ってずっとこうだから勝手に信用して勝手にうらぎられた気分になる でもやつあたりしないだけましだとおもうし、成長してるでもこういうとこなおさないといけないなって気もちもあってだから毎日辛いし自分のことむりになってきた べつに瀬良さんだってわるくないしいい人だからたぶんわたし↓がずれてるのがいけないんだよな』ポプね!!」
「は?なんも言ってないけど?おいまだドライヤーつけんな」
ポップンを黙らせてから、自分でもなんで付けてるのかわかんない液を髪に馴染ませた。この液は髪の骨?をつくってくれるらしい。
その辺に落ちていたコームを回収して、やっとドライヤーを付ける。ついでにさっき投げたスマホも拾った。
スマホの初期化は、やり方がわかんないし、めんどくさかったのでやらなかった。とりあえず、いろいろアプリを入れて、SNSのアカウントは新しくつくり直す。前のアカウントのパスワードは当然、憶えていなかった。
ふと、流れで七海のアカウントを覗いてみる。
確かに、ここ数日の間も投稿が更新されていた。画面上に七海の整った顔面が連なっている。自撮り、他撮り、PR、他撮り…。ぜんぶの顔がかわいかったし、非の打ち所がないほど完璧だった。
彼女はピンクゴールドに染まった綺麗な髪を靡かせて、ひけらかしている。最近はハーフアップか、低めのツインテールを結っていた。
基本的に服の話か爪の話しかしてない。写真に添えられた文章にも、あまり生活感というか人間味を感じなかった。
でも、私が七海を殺したとき、一緒に飛び降りたとき、彼女は怯えていたような気がする。そして結局、七海が生きているのは本当らしい。それだけは確か。なら私も七海に会って…。
(Fragment)
@your__nam3
みなとみらいで、イベントやります。。。。
✛
魔法少女がクランたいこうで、いちばんさいきょうにかわいい魔法少女をきめます!!!
✛
参加詳細は…
「え」
七海の顔の下に文が添えられている。イベントの告知のようだけど、明らかに異様だった。魔法少女の…。
「あっつ!」
突然、指先に痛みが奔った。ドライヤーを当て過ぎた後ろ髪を不用意に触れてしまったらしい。指が火傷したみたいに痛む。けど、痛みは直ぐに退いていった。
「ねーみてこれ」
ポップンの方にスマホを向ける。肉塊の表面に眼が生えた。窓から入った日差しによって、表皮が若干透けている。
「さいきょうの魔法少女ポピィ。なんすかね。瀬良さんに連絡して訊いてみない?」
「連絡先しらないしむり」
「着信履歴みればいいでしょ!」
「なにそれ。どこでみれんの。わかんないからいい」
(Fragment)
『なんかめっちゃ車内に地雷系おるんやけど、俺得か?」
『久しぶりに新大久保いってきたんだけど、駅からみんなカワイイ服着てる子ばっかで萎えた。私なんかは近頃の流行りについていけないんですわ」
『まほうしょうじょになったのでどうそうかいにはいけません、、』
(VI)
結局、あれから一週間くらい何も起きなかった。そして今日は例のイベント当日。
私は、学校帰りの制服のまま、家とは逆方向へ向かう電車に乗り込んだ。一週間前の度重なる自傷を生き残ったスカートと、運良く替えがあったシャツの上に、白いパーカーを羽織っている。灰色のリュックサックは、とても軽い。
言うまでもなく、イベント会場のみなとみらいへ向かっている。自分でも、なんで向かっているのかは、わかんない。
ここ数日の間、瀬良さんからの連絡は、全くと言って良いほど無かった。その逆も然りで、私から彼に連絡することもない。そもそも、連絡しても何を話せばいいのかわかんないし、電話をすること自体ハードルが高い。後回しにしていたら休みが明けて、学校が始まって忙しくなった。私が何もしなければ日々は勝手に過ぎ去っていくし、魔法だって起きない。
でも、みなとみらいに行けば、七海を追ってる瀬良さんに偶然会うかもしれない。そのときいろいろ話せるかも。七海も来てると思うし、会えるかもしれない。彼女に会ったとして、別にどうという訳はないけど。
人が溢れている午後の電車内を進んで、いつものドア際の定位置を陣取った。電車がスピードを増しても、肌に纏わり付くベタついた湿気と熱気のせいで、気分が後退していく。頭が痛くなってきたし、早く電車を降りて外の空気を吸いたかった。
車内から視線を逸らすと、黒い夕空の雲間、山並みに寄生するように建つ古家や、劣化した小学校の校舎や野球場が、車窓に無理やり追い縋っている景色が見える。そこなにがあるのか知らないし、興味も湧かない。横浜周辺のそんな景色が永遠と続いていた。
車内アナウンスが流れる。次は降りる駅。
*
日の出町駅を出て、とりあえず駅周辺を歩き周ってみる。
辺りに、たぶん魔法少女だろうなって人が結構居た。ずっと切っていた顔面偏差値の表示を、瞳の上に映し出してみる。四〇六〇、六〇八七、五一八〇…。みんなかわいい服を着ているし、めっちゃ細い。制服で来た私は明らかに浮いていた。
逃げるように近くのコンビニに入る。昼からなにも食べていなかったので、お腹が減っていた。パンが陳列された棚で、しばらく立ち止まる。
「あれっ、未結ちゃん?」
知らない声が私を呼んだ。やっぱり個人情報が何処かに晒されてるらしい。恐る恐る、声がした方へ振り向いてみる。
そこには、水色と白基調のジャージっぽいアウターを着た女の子が立っていた。黒い姫カットボブが、まんまるでかわいい。
「ごめん。だれ」
言ってから気づいた。こういうことをすぐ口にするから、瀬良さんにも嫌われる。
「えっと、中一の始めのとき、隣の席だった…」
ぜんっぜん思い出せない。彼女は、サブカルっぽいアイメイクから下を黒マスクで隠していた。当然、仔細に見ても思い出せない。当てずっぽうで言ってみる。
「あー、ぎ…」
「そう!ひまり!陽葵だよ!HRのとき呼び捨てで呼ぼって、仲良くしよって言ってくれたよね」
ぜんっぜん思い出せない。
私の中学での思い出といえば、陸上部の活動中に、全く関係ないところで転んで左腕を骨折したことと、中三のときに好きになった子と特になにも起きなかったことくらいしか無い。
「未結ちゃん、ひさしぶり!あのさ…」
「うん。なに?」
「…二万って、すごいね」
「えっ」
そういえばそうだった。陽葵は魔法少女かもしれない。自然と後退ってしまう。背中側にある冷蔵食品棚の冷気が勢いを増した気がした。
「え?あ!ごめん!未結ちゃんにはなにもしない!そもそもまだ七時でしょ?」
「そっか。いや違う。殺されるとか思ったんじゃなくて」
「やっぱ、魔法少女なんだね」
「えっ」
さっきから『えっ』しか言っていない。平静を取り戻すべく、再びパンの棚に視線を向けた。片耳だけで、陽葵の声を受ける。
「未結ちゃん、ちょっと話したいことあるんだけど、買い終わってからでいいから。外で待ってるね!」
「…わかった」
陽葵が去ってから、私は目の前にあったいちごロールを掴んだ。勢い良く握ったせいで中身がちょっと潰れる。買わざるを得なくなった。
「まずはー…クラン所属してる?」
コンビニの裏手にある大きなゴミ箱を背に、私はさっき買った、いちごロールとミルクティーをお腹に押し込みながら、陽葵はしゃがみ込んでスマホを弄りながら、会話を交わしていた。
「クランは入ってない。あんまわかんないし」
もごもごと答える。
「そうなんだ。ちょうどよかった!私も入ってない!今回のイベントはクラン対抗で競い合う感じになってるから、仲間をみつけなきゃなんだけど、私コミュ障だから…あの、未結ちゃん居てよかった」
ふと、陽葵の顔を横目で伺ってみる。ブルーライトが、彼女の長い睫毛を際立たせていた。その下の視線が揺らいでいる。
「呼び捨てでいいよ。なんかこれから仲間?なんだし」
数年前の私も、彼女にそう言ったらしい。クラスメイトになったあのときとは違って、これからはクランのメンバー同士になる。だから、呼び易い方が良いと思った。
「え、組んでくれるの?うれしい!!未結ちゃ…よろしくおねがいします!」
陽葵は立ち上がって、黒いマスクの裏側に笑顔をつくった。めっちゃかわいい。なんで中学のときは仲良くなれなかったんだろうと、少し不思議に思う。
「クランは二人以上四人以下で組めるらしいんだけど、どうする?まだメンバー捜そっか?」
「うん。私あんまつよくないから」
成り行きで本格的にイベントに参加することになってしまったけど、心の何処かで願ったり叶ったりに思っている部分もあった。これで少しは寂寥感とアウェイ感を拭えたと思う。あの魔法少女だらけの街へ繰り出しても、やっていけるような気がした。
(Fragment)
「えっ?もう八時?はやっ。使徒十二人、プラスゆあ!これでぜんいん集まりましたぁ。これから魔法境域をはるよ!がんばります!」
(弐)
横浜駅東口付近の喫煙所にて。
「せぇ~らぁ~。ねぇ~」
阿保ほど間延びした声で、同僚の三木が言った。
「ほら!ん!」
三木は火の付いた煙草を口に加えながら、僕の土手っ腹に煙草の箱を押し付けてくる。ここ五分くらいずっとこんな調子だった。
三木は艶やかな黒髪のポニーテールを背中に垂らして、僕と同じカーキグリーンのスーツのセットアップを着込んでいる。傍から見れば、さぞ漫才師のようだろう。
「絶対、嫌。僕、もう喉終わってんだって」
「一回するだけって!吸わなくてもいいから!」
「尚更、嫌。誰お前」
周りの喫煙者たちの視線が辛い。元々息苦しい喫煙所が更に息苦しく感じた。もう、屈するしかない。
「はい!」
「チッ」
僕は箱から一本だけ煙草を摘まみ取る。それをそのまま口元に咥えた。すると、三木が後ろで一つに結っていた髪を解いて、顔を近づけてくる。彼女は流れるように、僕の煙草の先端と自身の煙草の先端を擦り合わせ始めた。
「んー。むい」
中々思うようにいかないのか、三木は僕の煙草の根本を摘まんで調節してくる。彼女の細めた目を見るに、普段の仕事以上に真剣らしい。仕方ないので、大きく息を吸い込んでやる。
「あっつ!いわ。こりぇ。でお、でぃた!」
僕が咥えていた煙草に火種が移った。無論、一睡もせずに灰皿へ擦る。それでも三木は満足そうで、大変に何よりだった。
「うまい?これ」
「わかんないくらいうまい!」
「なるべく早くに死ぬよ?」
「へーき!これのための不死のイノリだし!」
そんな会話を交わした後、二人揃って喫煙所の外へ出る。
僕は、ビルに浸食された夜空を見上げつつ、ポケットからガラケーを取り出した。液晶に映る時刻はちょうど午後九時。一応、作戦は開始している。
「いつまでそれ使ってんの?」
「これ去年発売されたヤツだけど?」
「まだガラケーって新しいの出てんの?こわ」
僕と三木は勢い勇んで指定された配置へ向かった。
(Fragment)
全一二名の現着を確認。予定通り横浜駅、桜木町駅、元町・中華街駅周辺に各二名、他六名は魔法境域展開予測エリア内の巡回と使徒の捜索に配置。
(VII)
行く当てもなかったので、私と陽葵は桜木町駅の方へ歩を進めた。辺りはこの時間になっても車が多く行き交っていて、飲み屋やお店の明かりが騒がしい。
歩道の右手にある川は、底が見えないほどの暗黒色に淀んでいた。水面にゴミが浮きすぎていて、川とは呼べないほど流れを失っている。
「なんか、なんでこっち来たんだっけ…」
ここが夜に歩くべき道じゃないのは明らかだった。陽葵と並んで歩いていても、自然と心拍数が高まってくる。無意識のうちに人通りが少なそうで、魔法少女が居なさそうな道を選んでしまっていたのかもしれない。だとしても、魔法少女とは違う、別の何かが出そうな雰囲気だった。
「もっとおっきい道いけばよかったね…」
陽葵も怯えている気がする。早く明るい道へ出たい。
「そこ、曲がろ。てか、仲間捜しにいかないとなのに」
「…うん」
「ん?」
そこで突然、陽葵が私に少しだけ近寄ってくる。私のパーカーの袖と彼女のアウターの袖が擦れ合った。
「未結、いい?話したいことあって。ほら、仲間だし」
唐突だとは思う。でも、会話に困っていたところだったし、別にいい。首を縦に振った。
「えっと、あのね。私、人殺しちゃったの後悔してた」
「え?」
陽葵が告白を始める。促した手前ではあるけど、言葉を失った。私の無言に彼女が覆い被さる。
「私さ、魔法少女になったとき自殺したんだよね」
さっき私が示した曲がり角に差し掛かった。先に見える大きめの通りは、今居た道より大分舗装されていて、少し明るい。一方、陽葵の足元から伸びる影は色濃くなっていった。
「…なんで自殺したの?」
一先ず訊いてみる。
「んー。なんか行きたかった高校とか行けたんだけど、私みんなと違うなって思って。ネットの子も中学のときの友だちも、みんなかわいくなってって。で、どんどんおかしくなって、がんばって首吊った」
自販機の明かりが、一瞬だけ陽葵の顔を照らした。その隙に、陽葵の首元を見ようとしたけれど、止まらない歩みが、彼女の姿を宵闇に隠していく。傷痕が無かったように見えたのが気のせいか否か、判別も付かない。
「で、そこでちゃんと死ねたって思ってたんだけど、気付いたらなんか魔法少女になってて…」
私は相槌すらできなかった。必要ないのかもしれない。
「そのときだった。ゆあちゃんが言葉を見たの」
陽葵が肩を大きく上下させる。
「『世の中なんて運命しかないんだから、いっぱい運命つかみとったやつが勝てる!』みたいな」
彼女の呼気と勢いが乗った言葉は、少しだけ震えていた。
「私は、私の幸せを掴むために魔法少女になったんだって思った。幸せを掴むために努力をしようって」
やっと大通りに出る。しかし胸を撫で下ろしている暇なんてない。陽葵が鈍重な言葉を吐いた。
「だから、やっちゃった。ふつうの子を」
「は…」
「で、睫毛が伸びた。みて」
陽葵は立ち止まって、私の顔を覗いてくる。ただ、私はあちこちに視線が泳いで、彼女の瞳すら捉えられない。
「やっぱり未結、すっごいかわいいよね。二万かー!私ももっとがんばらないと」
「…ち」
と、反射的に口を吐いた物の、陽葵の言う事は何ら違わない。道順はどうあれ、私は人を殺していた。だから彼女を咎められる訳でもない。
「ありがと!未結と会えて良かった!」
私は、陽葵のマスク越しの笑みに、何とか同調しているフリをして笑い返すことしかできなかった。純粋無垢な彼女の笑顔は、暗い夜道でも淡い光を湛えている。
少し歩くと、大通りが途切れた。ここからは、日の出町駅前のちょっとした広場を歩いていく。出戻りだった。
「てかさ、この前その私が殺しちゃった子と会ったんだけど、魔法少女になってて…」
「ん?え?なにそれ」
これには私もリアクションをせずにいられなかった。息を整えて訊きなおす。
「殺しちゃった子と会ったってなに?」
「え?魔法少女の私が普通の人を殺したんだよ?」
「うん」
「知らないの?魔法少女が殺した一般人の死体は、魔法少女になるんだよ。死体が消えるのは、魔法少女が魔法少女を殺したときだけ」
そんな話聞いたことがない。
「なにそれ。ポップン。聞いてない」
「…」
ポップンも私の話を聞いていない。次出てきたら捻り潰す。
(Fragment)
「えーっと、さんぜんにひゃくじゅういっ、じゅうに人のみなさまぁ。さんぜんさんびゃくじゅうさ…いっか。十時になりました!イベントスタートです!やれ~!かかれ~!やぉ~!」
(参)
「人めっちゃいんねー横浜駅って」
隣を歩く三木が愚痴る。
僕と三木は横浜駅周辺の警邏を任されていた。人手が無いとは言え、この馬鹿のように広い駅を二人で視回れだとか、上層部の指示は粗雑にも程がある。
改札を出てすぐの東口周辺は、夜十時半を越えてから少しずつ落ち着きを取り戻していた。しかし、人混みは失せていない。人々が生み出す熱気が、ブティックやカフェやらが立ち並ぶ構内の通路一帯に籠っている。
「てか、人多すぎて誰が魔法少女わかんねぇね。ねぇ?瀬良、聞いてる?」
「いや、あれそうでしょ」
実は先程、その人混みの中で、それを見つけた。しばらく観察していたけど、彼女は明らかに異様。魔法少女だった。
「え?あれ…『使徒』じゃね?なつき?みたいなやつ」
あれは恐らく使徒の魔法少女の一人、吉村夏希。彼女はかなり高身長で、人混みの中でも一際目立っていた。深い紺色のゴスロリ系ドレスを纏っていて、黒いマスクで顔を隠している。傍には、一メートル以上ある黒い日傘のような物を携えていた。恐らくあれが彼女の魔法生物だろう。
吉村はこちらに気づいた様子も無く、閉じたシャッターを背にして、携帯を弄っていた。黒いリボンが付いたヘアドレッサーを頻りに弄っている。
「どーする?勝てる?」
三木が一切の緊張感も無しに訊いてきた。彼女は黒い革靴の爪先を地面の上で弾ませて、アップを始めている。
「確か顔面偏差値、二万ピッタくらいだった気がする。四捨五入すれば一万切んね」
「じゃーいける!いつも通り、瀬良が落として連れ出して!」
そんないつもは無かった気がする。けど、ここで断れば、またゴネ始めるのが目に見えていたので黙って了承した。僕は吉村の方に一歩一歩近づきながら、どう軟派しようかとプランを練る。
「あっ」
ただ、たった今この瞬間、吉村と目が合ってしまった。彼女が目に見えるような動揺を浮かばせていく。彼女は即座にスマホを仕舞って、携えていた日傘を両手で持ち上げた。
僕は急いで彼女の方に駆け出す。口説き文句を言い放った。
「お嬢さん、俺と一緒に抜け出さない?はい、せーの?」
「…」
「こんなつまらないパーティー」
吉村は無言で、黒い日傘の先端を僕に向けてくる。その傘がメキメキと音を立てながら開き始めた。開いた傘からは、長く鋭い棘のような物が高速で突き出てくる。
風を切りながら突出してくる棘に、僕の右腕は斬り落とされた。
(Fragment)
『魔法境域』についての概略
「防御魔法の一種である魔法境域の効果により、境域内での魔法使用は一般人・建造物に於いて、記憶や記録上での影響を及ぼさない。(魔法の被害を受けたり目撃したりしても、後に記憶、記録の改竄や調整が行われる。また建造物に関しては大規模な損傷がない場合に限り、損傷前の状態に修復される)ただし、実害が出ることには留意が必要。魔法少女に明確に敵意を向けられた一般人(女性)は、死傷する可能性がある。使徒の内の数名は魔法境域維持のために、主要な建物や駅に駐留している可能性が高い」
(VIII)
『へぇ、貴方が未結ちゃん?二万で使徒じゃないってマジか。言うほどかわいくもないし。ま、いっか。雑魚だったら殺すね』
さっきまでそう言っていた志保さんの身体が、みなとみらいにある遊園地『コスモワールド』の入り口にて倒れ伏す。
首諸共切り裂かれた志保さんの金髪は、宙でパラパラと舞い散った。血飛沫が広がって、暗い夜空が上塗りされる。硬い頭蓋が地面に落ちる音がした。
「陽ま」
遅かった。突如現れた薄紫色のウエディングドレスを纏った魔法少女は、地面を蹴り飛ばして、陽葵の方へ移動している。高速で飛翔する紫色の物体は、目で追うことができない。
「へんし…」
陽葵が、言葉を言い終わる前に切り裂かれた。大きな黒い鎌の刃先が、夜空を引っ搔くように回転する。大鎌は勢いのままに二、三度ほど陽葵を切り刻んでから、ピタッと停止した。
もちろん次は私。またパンプスが地面を劈く音がする。
「…あ」
突然の死を予感しても、思考を回転させる余裕があった。慣れだと思う。走馬灯か、それとも今生の最後の足搔きかはわかんない。脳がフルに稼働していた。
「ゴ」
その間にも、視界の隅で陽葵で倒れ込んでいく。ここで理解した。
どうやら私は他人が死ぬ様をみて、本物の死を実感しているらしい。数秒後に降りかかろうとしている災厄が、思考に拍車を掛けているだけだった。
つまり、私は今、死ぬことを恐がっている。
今更可笑しな話だと理解していた。あれだけ『死にたい』と声高に叫んでいたのに、瀬良さんに会って突き放されて嫌になって、陽葵と再会して何とも言えなくなって。それは悲惨だったけど人間らしい生活でもあった。もしかしたら私は最初から、死ぬことを求めていながら、人間として生活を取り戻そうとしていたがっていたのかもしれない。
そんな私だから、能動的に呟く。
「きて。ポップン」
白いパーカーがドロドロと溶け始めた。私は、蝋に塗れていく身体を捻って、向けられた大鎌の大振りを回避する。白い蝋が辺りに飛び散った。
回避のせいで振り乱れた髪からは、黒い雫が飛沫していく。一瞬で髪が白銀色に染まっていった。
こんな抵抗、する意味なんて無い。そう思っている。そう思っているはずだった。
一方、行き場を失った大鎌の刃先が空を切っている様を、白銀の眼で捉える。
「タン」
爪先で地を蹴った。高速で飛ぶ身体は、純白のドレスに覆われていく。
飛翔した先、私は大鎌の刃先を片手で掴んで、地面へ突き刺した。大鎌の刃先が地面に埋まって、動きを止める。そこからまた飛翔した。
「陽葵」
私は宙で翼を形成しつつ、血に染まった陽葵の元へ駆け寄る。死相に満ちた彼女を支えた。
「…」
頭上に広がるジェットコースターのレールの一角から、視線を感じる。高所に佇む紫の魔法少女が私を睨んでいた。彼女は携えていた大鎌を失って、レールの上へ退いたらしい。薄紫のウェディングドレスを纏っていて、顔面偏差値は二万二千。
私は手ひらから銃弾を放って、紫の魔法少女を牽制してみる。レールの上を舞うように回避する彼女を横目に、陽葵を両腕で抱え上げた。そのまま、コスモワールドの中心にある建物へ逃げ込む。
陽葵は私の腕の中で、大きく呼吸を繰り返していた。おそらく魔法少女化、変身には間に合っている。彼女が着ていたアウターやハーフパンツは、水色基調のジャージメイド服に成り代わっていた。肩から広がった白いフリルの裏側で、大きな傷口が再生を続けている。治る見込みがあるのかは、まだわかんない。
閉まっていた自動ドアを蹴破る。停止したエスカレーターを避けながら飛行して、更に上の階へ。未だに扱い方を掴んでいない白い翼を羽ばたかせながら、ゲームセンターフロアへと昇ってきた。
陽葵を音ゲーの筐体に凭れさせるように降ろす。私はその隣に腰を下ろした。脚を折り曲げて両腕で抱える。スカートの裾が床の土埃に擦れても気にならかった。
「陽葵…治せる?」
陽葵は答えずに、胸を激しく上下させている。彼女の水色のジャージ風のメイド服は、傷口から噴き出した血によって、赤黒く汚れていた。
さっきまで陽葵の顔を覆っていた黒いマスクは、変身したからか、白い金属製のマスクに変容している。口元を覆う甲冑のようなマスクには、所々に空気穴が開いていて、中からくぐもった息遣いが聞こえた。白いチョーカーを巻いた喉も、呼吸に合わせて小さく動いている。
暗いゲームセンターフロア中を、遊園地内にある観覧車『コスモクロック』の明かりが、仄かに照らしていた。この明かりが消えてしまえば、陽葵も助からない。何故かそんな気がした。
「大丈夫だよ!ひまりちゃんなら治せる!」
いつの間にか、陽葵の首に付いているチョーカーから白い肉塊が伸びている。ポップンと同じように、肉塊の先端には小さな口が生えていた。それが喋ったらしい。たぶんこれが陽葵の魔法生物。
その魔法生物の言うように、確かに陽葵の身体は、パキパキと微かな音を立てている。前に戦った魔法少女と同じ。回復してるらしい。
『大丈夫』の一言を聞いて、胸が少し安らいだ。私も、逸る脈動を抑えようと、埃っぽいゲームセンターの空気を思い切り吸ってから吐いてみる。張っていた翼を畳んで休ませた。
そういえば、陽葵は首を吊って、魔法少女になったって言っていた。今、彼女のチョーカーから生えている魔法生物と、私の背骨から生えているポップンを鑑みるに、死んだときに致命傷を負った身体の部位に、魔法生物が寄生する仕組みなのかもしれない。
「そうポプねぇ!たまには鋭いとこあるんだね!」
閉じた翼の表面にポップンの口が生えた。きもいからテレパシーでいいのにわざわざ生える。
「ねぇ、さっきの魔法少女なに?てか、志保さんが言ってた『使徒』ってなに?知らないんだけど」
ポップンに訊いてみる。コイツはこういうときしか役に立たないから。
「わかんない。ボクもしらねぇ」
ポップンを握り潰した。辺りが一気に静かになる。
「さっきの魔法少女が、使徒だよ!」
また陽葵のチョーカーから肉塊が生えた。彼はポップンと同じような鼻に付く声を発している。しょうがないので、彼に尋ねた。
「使徒ってなんなの?ずっと訊いてんだけど」
「使徒は、シチミユアの傘下にいる十二人の魔法少女のこと!シチミユアは魔法少女の中でも桁外れな力を持っていた。そんな彼女を尊び、崇める魔法少女たちが使徒!使徒たちはいずれも高い顔面偏差値をもってるワイねぇ」
「…さっきの二万二千くらいあった」
薄紫のウエディングドレスを纏った、細身の魔法少女を思い出す。黒く大きな鎌が肉を断つ音が、鼓膜にこびりついていた。あ、やば。はきそ。
「七海ってそんなすごかったの?」
「うん!シチミユアは全ての魔法少女の始まり、『原初』の魔法少女と呼ばれていて、絶対的な最強の力を持ってるんだよ」
「は?なに?絶対的?」
「そうワイ!例えば、イノリを何回でも使えたとかって噂もある。たぶん自分の支配下にある魔法少女に命令してたんだろうけど」
七海が魔法少女だったこともまだ吞み込めてないのに、彼女が最強の、原初とか呼ばれている魔法少女だと言われても、中々確信を抱けない。しかも、そんな七海に私は力を授かってるらしい。瀬良さんが言っていたことが、私の焦燥を欹てた。
「未結…」
傍らから、今にも途切れそうな、か細い声が聞こえる。
「陽葵!」
私は陽葵の肩に触れた。出血が止まって、開いていた傷口も塞がっている。
「うん。ゴホッ。大丈夫」
陽葵は喋れそうなくらいには回復しているらしい。けど、彼女の声色は先程までと、まるで違った。ハスキーで渇き切った老婆のような声と、かわいらしい少女のようなあどけない声が二重になって聴こえる。
「大丈夫だよ。…回復した。よし!」
陽葵が立ち上がった。羽織ったジャージメイド服の裾をはたいている。
「未結、ありがと。ほんとに助かった!」
陽葵は床に座っていた私に手を差し伸べてきて、目尻を下げた。私は彼女の手を取って立ち上がる。
「マジで大丈夫?」
「うん!ふふ。未結、かっこいーね。ハイトーンも似合ってる!」
「声…なんか」
「あー、こうなっちゃうんだよね!たぶん首に魔法生物がいるから」
そう言って、陽葵はゲームセンターの奥へと歩き始めた。私は彼女の背中を追いかける。
誰も居ない夜のゲームセンターフロアは、言いようがないほど気味が悪かった。外の月明かりと、コスモクロックのライトアップと、非常口の明かりが僅かに灯っている。静かに黙したUFOキャッチャーの前を通っても、何も心躍らなかった。
「えっと、未結。これからどうしよっか」
「追ってきたらやばくない?さっきのやつが」
入り口に居た紫の魔法少女が追ってくるかもしれない。二万二千、それでいて使徒と呼ばれる魔法少女を相手に、勝てる自信なんて微塵も無かった。
「そうだね…うん」
陽葵がカートレースのゲーム機の前で立ち止まる。彼女はそのまま徐に、ゲーム機のシートへ座り込んだ。そして言う。
「じゃあさ、未結が私のこと殺してよ」
「え?」
(Fragment)
各駅に滞在していた使徒を四名撃破。また魔法境域内で発見された使徒二名を撃破。これにより、当作戦は充分な成果を出したと推測。十一時十二分、退却を開始。また当作戦により組織メンバー、六名が死亡。
陽葵はレースゲームのシートに座りながら、動きもしないハンドルを握っていた。私は彼女が座っているシートの背凭れを握り込んで、声を上げる。自然に語気と指先が強張った。
「ごめん、意味わかんない。そんなんできるわけない」
「いや、いいよ。さっきのでわかった。たぶん、私と未結が力を合わせても、あれには勝てない。二人で偏差値的に勝ってても、判断力とか場数とか、たぶん相手のほうが上」
陽葵の言う通り、さっきの魔法少女は明らかに人を殺し慣れている。不意をとってからの先制攻撃。殺し易い人間を瞬時に見極めて、狙いをつける判断力。大鎌を振り回す慣れた手つき。成り行きで今ここに居る私とは、根本から違った。
「でも、未結は空飛べるでしょ?ほら、座って?」
陽葵は空いた隣のシートをポンポンと叩いてみせる。私は言われるがままに、そこへ座った。
「あー」
そこで突然、陽葵がハンドルに頭を預ける。項垂れた運転手のような体勢になっていた。
「なに?どうした?」
「いや、ごめん。未結に会ってから、ずっと性格わるいことばっか言ってる。わかってる。わかってるんだけど」
「え?」
「みて。これ私の武器」
陽葵は首の辺りに手を翳す。するとチョーカーの表面に、灰色のクナイのようなものが生えた。陽葵はそれをパキッとへし折って、握りしめる。
「無限に出せる投げナイフみたいな?あんま強くないよね」
「いや…」
「ううん。だから、私を殺して、魔力を吸って。未結は空も飛べるし、逃げることくらいはできる」
陽葵は、無感情でいて、ガシャガシャの声で連ねた。丁度良い薄暗がりのせいで、彼女の顔色が読めない。
「仮に私が未結を殺して力を得ても、この武器で勝てるわけない。私、他の魔法もうまく使えないし。てか、そもそも私もう人殺しちゃったんだ。だから、罰せ…」
「私さ」
そこで私は、陽葵の言葉を遮る。彼女が、どんな表情を浮かべていようと、ここでなにを言うべきか、どんな言葉を話すべきか、さっき思ったことも纏めて、必死に考えてみようと思った。私が度を越えた口下手なのは私が一番わかっていたけど、ここで後悔したくはない。
「私ね、なんかずっと死にたくて。だって性格終わってるし、七海に酷いこと言ったりしたし…」
陽葵は黙って聞いてくれている。彼女はハンドルから頭を離して、背凭れに体重を預けていた。
「で、何回か死のうとしてみたんだけど、なんか死ねなくて。なんでだーってなって、それでもずっと薄っすら死にたくて。しかも、生きてても理不尽ばっかだし、失敗ばっかで、どうしたらいいのって思った」
何度も自殺を失敗したのもそう。瀬良さんに突き放されたのもそう。クランメンバーになってくれた志保さんを守れなくて、陽葵を傷つけてしまったのも、失敗だった。
「それでさっき、陽葵が切られたときに思ったんだけど…」
これが、陽葵に一番伝えたいこと。
「なんか、死にたいから死ぬとか、何かの意味をつくるために死ぬとか、ぜんぶ傲慢すぎるのかもって思った」
あのとき、身体が息を吸っていたこと、思考をしていたことを思い出す。
「えっと、それで…」
ただ、言葉に詰まった。喉の奥で出かかっている想いが中々吐き出せない。
「ガシャーン」
口籠る私を押し潰すように、何処か遠くで建物が崩れたような音が聞こえた。さっきの魔法少女かもしれないし、コスモワールド周辺に他の魔法少女が来ているの可能性もある。
ピシッ。
「ん、いった…」
そこで突然、銃弾で貫かれたような痛みが頭に奔った。でも、痛みは瞬時に消え去っていく。
「え?未結?だいじょぶ?」
「…大丈夫。陽葵、聞いてくれる?」
「うん」
頭痛なんて今はどうでもいい。私は頭に過った言葉を連ねた。
「えっと、私が言いたいのは…死ぬことって、ほんとはもっとただそこにあるだけのことなんじゃないかなって。だから、死ぬことも、殺すことも意味なんて生まれないのかも」
暗闇の中、少しの明かりに照らされた陽葵の顔を見つめる。位置と角度もあってか、ようやく彼女の瞳を捉えることができた。
「私も陽葵も、人を殺してる。もう許されないと思う。だから、これ以上誰も殺さないで、償っていかなきゃって思う。なんか、めっちゃ当たり前のことで馬鹿みたいだけど…」
言葉尻はともかく、これで言い終えた。しばらく、気まずさだけの静寂が間を繋ぐ。上手く伝わっているのか、わかんない。やがて、陽葵が静寂を止めてくれた。
「…うん。そうだね」
「え、言いたいことわかった?」
「なんとなくだけど」
陽葵は、そう言ってレースゲームの座席から離れる。私もそれに続いた。彼女の答えと背を追う。
「未結が言いたいのは、そもそも殺すのも死ぬのも、肯定できるものじゃない。だから、その上に死ぬことを、肯定できないことを重ねても、何にもならない。みたいなこと?」
「そう!そうかも…」
「うん。未結の言うように、私もたぶん幸せになってなかったんだと思う。人が死んで成り立つ幸福とかないって。いや、わかってたんだけど。こんな当たり前なのに、なんで…」
ちゃんと伝わっていそうで安心する。陽葵が悪いだけじゃない人なことも、何となくわかったからよかった。
横目でちらりと見た、彼女の口元を覆う白い甲冑の上、くっきりと描かれた涙袋の隅に、水泡の跡が残っている。
「未結、ごめんなさい。死ぬとか言って」
「ううん。とりあえず勝と。作戦会議しよ」
私は陽葵に、ぎこちない笑顔を向けてみた。けど、衰えた表情筋がピクピクして敵わない。私は結局、陽葵みたいに噓でもかわいく笑えなかった。
ただ、この胸中には、以前と違う意識が芽生えている。
私は七海と会わなきゃいけない。彼女に会って謝る。許されなくても、間に合わなくても、そのためだったら、なんでもしなきゃいけないと思った。これが私の償いへの足掛かりになるから。
閉園した遊園地コスモワールドの静寂が、私たちを取り囲んでいる。
魔法少女は殺さなで、この戦いから抜け出す。そのための作戦会議が始まった。
(Fragment)
「わっやばっ下、めっちゃ人いる。おー!あそこ殺し合ってる! 新しい使徒たのしみーめっちゃ!がんばれ~みんなかわいーよー!!」
地面を蹴って、何も走っていないジェットコースターのレールに飛び乗る。そこから飛翔を重ねて空へと舞い上がった。深夜の高い秋空は、肌に擦れて冷たい。
私は、夜空に浮かぶ白い月と煤けた雲を背に、翼を広げた。純白の両翼を、コスモクロックのライトアップの七色の光が彩る。作戦が始まった。
『じゃあ、その魔法境域?が消えかかってる所に逃げれば、魔法少女が追ってこない?』
『たぶん。特に横浜駅方面に張ってた境域は弱まってるっぽい。だよね?ワイニー君』
『可能性はあるワイねぇ』
『喋り方きっもいんだけど』
『アイツが未結と私を追ってこないのは、大きい鎌持ってるからかも。狭いとこには向いてなさそう。それか境域があっても、建物自体に被害を出すのは避けてるとか』
『じゃあ、ここから橋渡って、反対のクイーンズに行く?みなとみらい駅から電車乗れるし』
コスモクロックが示す時刻は二十二時四十二分。眠りに就いた遊園地の中で、煌びやかなドレス姿を見つけ出すのは容易かった。
「居た。ジェットコースターの一番高いとこ。陽葵、いいよ」
通話を繋いだイヤホン越しに、陽葵へ合図を送る。それを皮切りに、陽葵がさっきまで居た建物一階の入り口から飛び出して、遊園地の出口まで走り始めた。彼女のスニーカーの厚底が、カラフルな地面を幾度も蹴り飛ばしていく様を、足元で見届ける。
無線イヤホン越しに、陽葵の息遣いが聴こえてきた。傷を受けて瀕死だったときより、必死に息を吸い込んでいるような気がする。私も自然と意気込んだ。
紫の魔法少女は、少し遠くのジェットコースターのレールの上に佇んでいる。私が浮遊している上空と、彼女が居る高度は同じくらい。無論、彼女も私の姿に気づいている。
紫の魔法少女が居るレール周辺に白い光が落ちて、彼女の右手に黒い大きな鎌が現れた。彼女が視線を送っているのは、私の足元。陽葵の背中だった。
「みゆちゃん、行くポプ!」
「うん」
私は翼を折り曲げる。移動魔法の勢いを得るため、頭にイメージを描いた。
陽葵の推察通りなら、紫の魔法少女は、高速移動魔法が使えても、浮遊魔法は使えない。さっきみたいに地面を蹴りながら、高速移動することしかできないのなら、翼を持つ私の方が移動魔法に於いて自由だと思う。
私は空を垂直に切り裂いて、イヤホンの逆位相ですらかき消せない轟音を立てながら、紫の魔法少女が居るレールの方へ飛翔した。彼女もこちらに気付いたようで、受け身を取ろうとしている。
「カン!」
甲高い金属音が鼓膜を突いた。
私の手から生えた銀色の銃口と、紫の魔法少女の大鎌の柄がぶつかり合う。
私は銃口を彼女の顔に向けて、光球を生成しながら、手首を捻った。銃口に絡まった鎌の柄は、今にも捻じ曲がろうとギシギシと音を上げていく。
これも推察からの行動だった。彼女の大鎌を破壊できれば、さっきみたいに一時的に撤退させることができるかもしれない。
私が得も言われぬ形相で手首を捻じっている一方で、紫の魔法少女は嘆息も吐かずに抵抗を続けてきた。月明かりの逆光で、彼女の顔を隠す薄紫のウェディングベールには濃い影が落ちている。
「はい。これあげる」
そこで、そのウェディングベールがもぞもぞと動いた。彼女は、密やかな声を出しながら、私のお腹に手を翳してくる。
瞬間、熱線に焼かれたような衝撃が身体を突き刺した。
「あッつ!」
思わず、大声が漏れた。気がつくと、あばら辺りに穴が開いている。
あまりの痛みに、私は体勢を崩して、絡め取っていた大鎌から手を離してしまった。そのままレールから転げ落ちて、地面へ墜落していく。
「…っぶな」
コンクリートに突っ伏す前に、何とか体勢を立て直せた。この間にも、あばらに開いた穴は塞がっている。
一先ず浮遊魔法を切って、地面に降り立った。さっきまで居た辺りを確認する。
紫の魔法少女の姿は、無い。
「…やば。陽葵!」
イヤホン越しに呼ぶ。体勢を立て直して、また翼で飛び上がった。上空から、遊園地と対岸の地とを繋ぐ橋の、ちょうど中腹部あたりを走る陽葵の背中を見据える。彼女は車道を走るトラックの横を、一生懸命駆けていた。
「未…結、大丈夫!まだ来てな…」
イヤホン越しに、肉を断つが聞こえる。
「いっ…」
「ッガン!!」
という衝撃音が、耳元とイヤホンの中で重なって響いた。
私の目の前で、紫の魔法少女が背後から入れた蹴りを鎌で受けている。なんとか間に合った。
「陽葵!行って!」
陽葵は橋の欄干に凭れている。鮮血が滴ったクナイが傍らに落ちていた。彼女の片脚はソックスごと切り裂かれている。裂け目から覗く彼女の肌の上に、生々しい傷が奔っていた。まだ辛うじて繋がってはいそう。見るだけで血の気が引いた。
視線を逸らして、紫の魔法少女を睨む。視界の端で、陽葵が脚を引き摺りながら、立ち上がり始めていた。
「やろっか。いい加減邪魔」
紫の魔法少女が呟く。やっと私にヘイトを向けてくれたらしい。
遊園地の傍を流れる川の上、そこに架かっている橋一帯を、橙色の古ぼけた街灯が照らしていた。向かい合った私たちの横で、車道の上をバイクやトラックが、エンジン音を上げながら通り過ぎていく。まるで私たちのことなんて見えてないみたい。
橋の下を流れる水音が、いやに心を落ち着かせる。白銀のドレスと純白の翼が、潮風に吹かれて寒かった。その上、張り詰めた緊張感は、私のヒールを竦ませている。紫の魔法少女の動きを伺うことにした。
彼女は車道の中央へ身を乗り出している。私も倣って車道へ出た。
「待って」
そこで、紫の魔法少女が、通り過ぎようとしていたタクシーに向かって手を突き出す。すると、橋を過ぎようとしていたタクシーがスピードを殺して急停車した。彼女は、それにゆっくりと歩み寄っていく。
「おいで。私のこと、好きでしょ?」
紫の魔法少女が窓に向かって妖艶に囁いた。すると、男性がタクシーから降りてくる。彼は虚ろな瞳で紫の魔法少女を見上げていた。
「え?な…」
ようやく、殺していた息に困惑が乗る。彼女が何をしているのか、わかんない。奇怪な光景が、余計に足を竦ませた。
やがて、車道上で停止したタクシーに堰き止められるように、行き交っていた他の車も停まっていく。
あっという間に、私たちの周囲を車の山が取り囲んだ。例に漏れず、そのトラックや車の山からも、次々と男性が降りてくる。全員が生気を失って、よろめいた足取りで、紫の魔法少女のもとへ群がっていった。
いい加減、私は震える手のひらを彼女に向ける。
「ばぁん」
私が光球を放ったその瞬間、さっきタクシーから降りてきた男性が紫の魔法少女の前に飛び出してきた。
「は?」
男性に当たったはずの弾は、霞のように消え去っていく。
ここで思い出した。魔法で男性は殺せない。瀬良さんと話したときに、ポップンがそんな感じのことを言っていた。魔法少女の魔法は男性を前に無効化されるのかもしれない。
いつの間にか、私は十人ほどの男性に取り囲まれていた。
「これが私のイノリ…」
紫の魔法少女が含み笑いで言う。
それでも、気圧されはしない。私が彼女の気を引かなければ、陽葵は殺される。
(Fragment)
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。
ランドマークタワーを出て直ぐの銀行の前、止まったエスカレーターを降りる。よくわからないオブジェの下。
左腕から声がしない。左腕が、無い。みんないない。
「ん。おこぼれだ。おこぼれ三人目」
「んじゃ、分の一ね」
知らない声に取り囲まれる。
「ニキビ跡治んねーかなー」
「しょーもな」
(Fragment)
横浜に住んでても、中華街ってあんま行かない。結局、どうせ外食すんならもうちょっと遠いとこ行こってなるから。だから、このデカい門を潜るのも数年ぶりだった。
やっぱり昔の記憶と違わない。地面にはゴミやらなんやらが転がっていて、それが青白い街灯に照らされて光ってる。ただ、喧騒だけは明らかに違った。
魔法少女の血。魔法で壊された道路標識。魔法が放たれるおッ
(参)
右腕って、あまり取れちゃいけないのかもしれない。一応、利き手だし箸を持てなくなる。
僕と三木は、コンビニの前でしゃがみ込みながら、夕飯を頬張っている最中だった。クイーンズスクエア内のこの通りは、夜十時五十分を過ぎても照明が落ちていない。ただし、コンビニはあと十分で閉まるらしい。かなりギリギリの晩餐になった。
「ランドマークタワーやべぇのかね」
三木の声が辺りに響く。仄暗い照明が照っている、この半屋内の通路は、吹きすさぶ風の音が行き交っているだけだった。それだけに僕らの話し声は、よく反響する。
確かに、このクイーンズスクエア周辺には魔法少女があまり居なかった。たぶん、ここに来るなら間違いなくランドマークタワーへ向かっているからだろう。
事前情報によると、みなとみらいのおよそ中央に位置するランドマークタワーの頂上には、シチミユアが居るらしい。今回のイベントは、シチミユアが自身の支配下となる新たな使徒を選抜するために開催された物だった。
「シチミユアが居るから。皆、シチミユアに使徒として認められて、イノリを使いたいんだろーね」
僕はテキトーな返答をしつつ、夕飯のパスタサラダを貪った。コンビニで三百円くらいで買ったやつ。
「よくわかんないけどなぁー。使徒じゃなくてもイノリは使えるでしょ?」
「うん。でも、使徒になれば安全にイノリを使える。一人で力をつけてっても、顔面偏差値が高ければ、他の大勢の魔法少女に目ぇ付けられて狙われる日々になるでしょ?その上、既に使徒になった奴らからも狙われるし」
「うーん?」
「新たな使徒になれれば、シチミに服従を誓う代わりに、コミュニティ内で守り守られながら、安全にイノリを使える。その後も情報が流れてくるし、今回みたいな定期的な撒き餌もある」
僕は一気に説明した。どうせ聞いていないから。
「初めに使徒とか名乗る馬鹿みてぇなヤツが出てきたせいで、そこに馬鹿みたいなシステムが積み重なってった。みんな命がどんだけ脆いか知ってるから、保身に走って、馬鹿に乗って、とりあえず目の前の目的を達成したいんだよ。アンタみたいなヤツには何回言ってもわかんねぇだろうけど」
案の定、三木は話も聞かず、紫玉ねぎを箸で摘まんでは、僕のサラダに投げ入れているだけだった。僕も対抗して、三木のサラダに豚肉を移していく。肉を失った僕のサラダパスタは、紫玉ねぎで一杯になった。
「瀬良くん。食い終わってないのに喋んな」
「はい」
僕は手に持っていたサラダと、三木のサラダを交換する。僕は器に満ちた豚肉とツナを一気に吸い込んで、三木もパスタと紫玉ねぎを一気にかっさらって喉に押し込んだ。それから一本のいちごミルクを二人で分けて飲み干して、晩餐終了。作戦に戻った。
「おっ、あれ。魔法少女じゃね?」
三木が立ち上がって、ポケットを探りながら言う。
「路喫やめろ」
言い合う僕らの目の前を、水色のジャージメイドさんが駆けて行った。彼女のリボンが付いた白いロングソックスには、血が染みている。脚を怪我していたらしい。
「どーする?瀬良」
「うーん。やっか。死体だし」
僕は地面に置いてあったサラダのゴミを拾って、レジ袋に押し込んだ。
水色の魔法少女は、少し離れた柱の前で足を止めている。小さな声で誰かと通話しているようだった。こちらの敵意に気づく様子も無い。
「…ん?」
突然、拍子木を叩いたような音がした。
水色の魔法少女の首が消し飛ぶ。
「クソ馬鹿のみなさんこんばんは」
かわいらしい声が辺りに響く。それと重なって、再び、拍子木を叩いたような音がした。
三木の胴体が消し飛ぶ。
「そして瀬良さん。はじめまして」
完璧でかわいらしい少女が、そこに居た。あれは間違いない。シチミユアだった。
彼女は豪奢な黒いドレスの裾をたくし上げて、丁寧にお辞儀をしてみせる。続いて彼女は、ピンクのツインテールを指先で遊ばせながら、完璧でかわいらしい声を連ねていった。
「てかさぁー、アンタら組織が来ることなんかわかってんだって。馬鹿みたいにのこのこ顔出して。死なずに帰れるとでも思ってんの?」
シチミユアの後ろには背の高い三人の魔法少女が付き添っている。いずれも赤、水色、金と派手な髪色をしているけど、服装は黒一色。シックなスーツやドレスを着ていた。三人共、黒いマスクをつけている。あれが使徒らしい。
「…」
遺った三木の脚がバランスを崩して、ドミノのように倒れた。
「あー、あれ?如何なる犠牲も厭わないから一矢でも報いようってヤツ?じゃあ腕も要らないよね。瀬良さん?」
シチミが人差し指で僕を差す。
拍子木を叩いたような音がした。
僕の両腕が消滅する。
「あのさ、ユアちゃんの置き土産、何処やった?」
そう尋ねてくるシチミユアの右眼から、青白い石膏のような『腕』が伸び始めた。その腕の手のひらから、また腕が生えて、その腕の手のひらから、また腕が生えて、その腕の手のひらから…。
シチミユアの右眼から生えた豪腕が、彼女より十メートルほど離れた僕の首をひっ掴んでくる。
「ねぇ、言わないの?もっとやろっか?」
首が絞めつけられて、呼吸の主導権を奪われた。
(Fragment)
さっき脚を切られたときに、右耳のイヤホンを落としちゃった。今頃、無線イヤホンが橋の上をコロコロと転がっていると思う。
紫の魔法少女は、私を狙っていた。それはたぶん利確を優先してるから。だから私が陽動して、クイーンズスクエアまで引き込む。未結は川を中心に空中から射撃。
するはずだった。
もうプランは壊れている。結局、この作戦も未結に任せっきりなところがあった。未結に会いたい。彼女にも、まだまだ謝らなきゃいけないことが沢山ある。
(IX)
位置的有利。陽葵が言っていた。川の上を飛んで、安全に遠距離攻撃が一番つよい。けど…。
「チッ」
飛び上がろうとしても、紫の魔法少女の傀儡になった男性に足を掴まれる。私は白いヒールで、付き纏ってくる顔を思い切り潰した。
すると、その隙を待っていたかのように、紫の魔法少女がトラックの荷台を蹴る。彼女は勢いのまま、こっちに突進してきた。
「ばぁん」
射撃でとりあえず牽制する。紫の魔法少女は、突進の軌道をずらして回避した。
向こうもこっちの目論見を読んでるらしい。さっきから空へ飛び上がろうとしても、傀儡と、彼女の高速移動から繰り出される攻撃で、阻害される。何処か大きな隙をつくらないと無理そう。しかも、彼女は完全にこっちを殺しにきていた。もう陽葵のことなんか眼中にないみたい。でも、恐がっている暇も無い。
振り翳されてきた大鎌を、右の銃口でガード。金属が擦れて不快な音を響かせる。
「みゆちゃん!アレ使おう!」
いや、まだ。不意を突ける一瞬が絶対に来る。ポップンの指示は一旦無視した。
左手の銃口に光球を生成する。当然、放っても普通に避けられた。射線上にあった黒いタクシーのフロントガラスに穴が開く。
右後ろから傀儡が迫ってくる。蹴りで牽制した。魔法が効かなければ、体術しかない。
この傀儡になった男性たちは、イノリの力で動いてるらしい。紫の魔法少女が言ってたことから推測するに、彼女は周囲の男性の好意を操っている。イノリには、他人の意識や認識を操れるほどの力があるらしい。ちょっといいなって思った。
「未結!つい…た!もうだいじょぶ!」
イヤホンから陽葵の声が聞こえる。どうやら陽葵は逃げ切れたらしい。これで第一目標クリアだと思う。
けど、そんな一瞬の安寧を打ち壊すように、紫の魔法少女が呟いた。
「はい。ストップ」
「え?」
彼女は右手でキツネのようなハンドサインをつくっている。その指示に従うように、私を取り囲んでいた男性たちが一斉に動きを止めた。騒がしかった橋の上が、急にしんと静まり返る。
「…」
何をするのかわからない。翼で飛び立つ準備をしながら、紫の魔法少女の動きを追った。
「タンタンタン」
紫の魔法少女のパンプスが、さっきまでとは打って変わって、ゆっくりと地面を蹴っていく。彼女が歩みの先には、トラック運転手の若い男性が居た。
二人は徐々に近づいて、互いに向かい合っていく。二人の視線が交錯したところで、男性が、紫の魔法少女の顔に掛かっていたウェディングベールをたくし上げた。
「え…」
露になった紫の魔法少女の口元は、紫色の肉塊のような物を纏っている。その肉塊が、彼女の口元から男性の口元に向かって、徐々に伸びていった。
紫の魔法少女が男性の肩を掴んで踵を上げる。
「やっば」
逃げろ!私は飛び立った。
「ねぇ、みゆちゃん!すごいね!」
「うっさい!さっきから!」
「え?どうしたの?未結、だいじょぶ?」
「なん、でもない!なんでもない!」
意味わかんない。必要ですか。今の演出。
私は欄干を飛び越えて、川面スレスレを飛行していく。沸き上がった体温を冷ましたかった。そのまま向こう岸にあるクイーンズスクエアを見据える。風に乗ろうとした、そのときだった。
「みゆちゃん!後ろ!」
「は?」
突然、ガンという衝撃音がした後、身体の軌道が逸れる。向こう岸にある建物まで、吹き飛ばされた。
「ガッ」
息が止まる。一瞬で脊椎に鈍痛が奔った。玉砕された骨身が、コンクリートに沈み始める。打ち落とされた私の下敷きになった建物が、屋根ごと崩れ落ちているらしい。
いたい。なおれなおれなおれ。
「…いった」
瞬時に回復が終わって、なんとか立ち上がることができた。意識もちゃんと保てている。魔法少女の再生力えぐい。
足元や周囲にできた瓦礫の山を見渡した。紫の魔法少女の姿は無い。建物は壊さないって推測、ミスってた。ぜんぜん壊すんですけど。
今居る場所は、さっき居た観覧車やジェットコースターがある遊園地エリアの、川を挟んで対岸側にあたる。こっちのちょっとしたアトラクションと建物たちも一応、コスモワールドの敷地内だった。
向こう岸にある観覧車のライトアップの光が届かないからか、周囲は正に閉園した遊園地のイメージを、そっくりそのままに湛えている。
私はとりあえず、大鎌が振るえなさそうな狭い建物の中、『コスモパニック』というアトラクション施設に逃げ込むことにした。
びっくり不思議館(?)、コスモパニックは人の錯覚を利用したアトラクションで、よくわかんない電飾に囲まれた部屋や、錯視が起こる仕掛けが設置された謎空間が広がっている。
私は壁の全面にミラーが貼られたエリアで休息を取ることにした。湾曲した鏡が視界の端から端までを埋め尽くしている。鏡の迷路のような一室に、若干の酔いを感じた。
「陽葵?」
さっきの衝撃で、イヤホンを片耳だけ何処かへ落としちゃったらしい。しかも、残った右耳のイヤホンもぶっ壊れたのか、陽葵の声が聞こえない。
イヤホンを外して、ポップンに食わせた。
「おいし?」
「むしゃポしゃ」
これはさっきワイニー君に教わった魔法生物の収納機能。ポップンが食った道具は、異次元のバッグみたいな感じで、いつでもポップンから引き出せる。スマホとかも一応、ポップンの口に仕舞ってあった。
ドレスの裾を折って、床に座り込む。ようやく一息ついた。身体の痛みも引いてくる。乱れた白銀の髪を手で梳いた。
大丈夫。陽葵は逃げれている。さっきそう言っていたから。ここから陽葵が居るはずのクイーンズまで、あと数十メートルある。落ち着いていけば大丈夫。
「死に際に一つ、良いこと教えてあげようか」
覚えのある、妖艶な声が静寂を切り裂いた。息一つ乱していない艶やかな声は、私の意識の全てを攫って行く。
「あ、クイズにしよう。お姉さん、ユーモラスなんだ。とっても」
紫の魔法少女が、鏡の迷路の進行方向からやってきた。出口側から、この建物に入ってきたらしい。
「チッ…ばれてんじゃん」
私は立ち上がって、身構える。
「問題。魔法少女の唯一の弱点、なんでしょうか」
「…は?」
魔法少女の弱点?いや、答える必要はない。ここでは大鎌を振るえないから、私の近接の方が有利。落ち着け。銀色の銃口を手のひらに生成する。
「答えないの?もう。そういうところがいつまで経っても、ウブで垢抜けない原因なんじゃない?」
私は喋り続ける紫の魔法少女に銃口を向けて、光球を放った。けど、防御魔法で簡単に防がれる。彼女の周りに半透明のバリアが浮かんでいた。
「はい。時間切れ。じゃあ正解発表」
紫の魔法少女が指を弾く。
「え?」
一瞬、足元の鏡に、オレンジ色に揺れる何かが映った。そして辺りが、段々と暑くなってくる。パチパチと焚き火のような音がした。
「火?」
「ふふ。遅かったから不正解」
彼女の手のひらから、火球が飛んでくる。
「あっつ!」
飛来した火球が、私の足元の床を燃やした。
熱い。暑い。視界に映る鏡の湾曲が、更に度を増した。
「あつ、あつい」
燃える。羽が燃えて、ドロドロ溶けていく。やば。熱い。汗で髪の毛が張り付く。
ここで思い出した。数日前のヘアアイロンとドライヤー。やたらポップンが『あつい』と騒いでた気がする。さっきのあばらの穴もそう。ぜんぶ、あつい。
「魔法少女は火に弱いの。それだけ。じゃあ、さようなら」
揺らいでいる視界の奥で、ぐにゃぐにゃに曲がった紫の魔法少女の背中が遠退いていった。
「ッハァ、燃えっ」
私はその場で膝を突く。脚が震えて、息ができない。
「あ」
外から火を付けられて燃やされるんだと思った。炎に包まれていくコスモパニックが目に浮かぶ。私もドロドロに溶かされて。結局、陽葵は大鎌で。
ドレスの裾が焦げる。ダメ。入り口に戻んないと。翼が燃えている。
「みゆちゃん!熱いよ!」
白い煙が目に入る。眼球に沁みた。流れる涙も秒で蒸発する。気持ち悪かった。
「ひ」
非常口を目指す。這いつくばって、溶けていく翼を退けて、なんとかたどり着いた。
「ぎ」
開かない。指先が燻ぶられている。熱い金属のドアの上で、白いネイルが焼けた。非常口に身体をなすり付ける。
「おねがい…」
(Fragment)
十一時零分(おそらく
ランドマークタワー殲滅部隊を急きょ編成し、突入しました。しかし、シチミユア及び使徒は発見できず。残存魔法少女を処理し、撤退しました。魔法境域が予想より小規模で展開されていたため、後日、事後処理を予定しています。(魔法境域が予想より小規模なのは、シチミユアがあの場所に居なかったからかも)
「バキ」
突如、私の願いに呼応するかのように、非常口が崩壊を始めた。黄緑色のドアは、まるで塵芥のようにバラバラになって消滅する。非常口ドアに凭れかかっていた身体が、建物の外の地面へ倒れ込んだ。
「いっ…」
「マジで死ぬかと思ったよォ!あ、ポプゥ!」
何が起こったのかはわかんない。でも、間一髪助かったことだけはわかった。
地面を踏みしめて、焦げた身体を回復させる。翼を折り曲げて地面から飛び上がった。
「ポップン。ゲホッ。いこ」
「うん!」
火の付いたコスモパニックの上空を漂いながら、建物の付近に居た紫の魔法少女を見つける。けど、同じタイミングであっちも私に気づいたようだった。
アレを使うにはここしかない。出し惜しんでたら殺される。
私は大きく煙と息を吸って呟いた。
「変形」
左の翼が発光する。私の言葉に従って、翼が溶解しながら変形を始めた。
「武器になれ」
左肩に手を添えて、翼だった物を掴み取る。
「やっちゃおポプ!」
翼が変形して生成された白銀の太刀の切っ先を、紫の魔法少女に向けた。鋭利に研ぎ澄まされた刃には、辺りで燃え盛る真っ赤な炎が映り込んでいる。今度は私の番。
私は右肩に残った片翼を軸に、空中で身体を翻した。地面を貫くほどの勢いを以て、太刀の刃先で風を切った。
*
細長い、人間の指のような形状をした白い太刀。剣先の方には爪とネイルみたいなのがついていて、たいへんにかわ。夜空の下の狭い遊園地の中で、研ぎ澄まされた刃が不気味に光っている。
下品なほどに宝石のような物に飾られた柄を強く握って、とりあえず突いた。よくわかんないけど、リーチを活かした戦い方をしてみる。
太刀の突きは、敵の大鎌の刃で受け止められた。一旦、バックステップで退いて様子を見る。
「変形」
刀が光って、今度は槍になった。これもなんか指とか腕みたいな物で形成されていて、柄の部分には薄く血管が浮いていた。
槍先に回転を掛けながら、また突いてみる。紫の魔法少女は防御魔法で、半透明のシールドを張った。槍先がシールドの表面を削る。
「変形」
普通サイズの剣。いつかの魔法少女が使ってたような感じ。距離を詰めて、一気に振り下ろす。弾かれた。
「へんけー」
ハンマー!巨大な肉叩きをぶんぶん振り回す。これもめっちゃ避けられた。狙いが逸れたせいで、遊園地の青い地面にヒビが入る。
「もどれ」
ハンマーが背中に収まって、右の翼に戻る。いつも通り、二枚の翼が背中に収まった。ここからいつもの銃撃。
紫の魔法少女は、小さな火球で対抗してくる。彼女は片手で何回も指を弾きながら、私の銃撃を避けつつ、大鎌をぶん回してきた。マルチタスクすぎる。
私は大鎌を避けて、空に飛び上がる。勢いを付けて、踵落とし。
「いッ!」
これが入るのなんか意外。ようやく一撃決められた。
「こっからみゆちゃんの番ポプ!」
「うん」
私の戦い方。作戦会議のときにポップンと話した。さっきの翼変形もそう。そして、この距離感と手数の多さ。あとは。
「ふっ…」
紫の魔法少女が嗤う。私の左手が、大鎌によって手首から切り落とされていた。
ここで決める。
切り落とされた左手を右手でキャッチした。これを敵に向けて…。
「ばぁん」
手首から離れたはずの左手から光球が発射される。
「ぐ…」
敵に顔面直撃の不意打ちを食らわせた。私は、その隙に左手を手首にくっつけて、一瞬で回復させる。左手の感覚が瞬時に戻って来た。
たぶん私が得意なのは回復魔法。いくら切られても私は死なない。いくら落ちても私は死なない。身体の傷は一瞬で治る。これを使った戦い方をすれば、圧倒できる自信があった。だけど。
「めっちゃ痛い!これ」
「ね!でも、いい感じ!追撃いけるポプ!」
紫の魔法少女は光球を食らった顔を抑えながら、数メートル後ろに飛び退いていった。私は右足で地面を蹴って飛翔して、そんな彼女に追撃を掛ける。
彼女の目と鼻の先で急停止して、左足を踏みしめた。そのまま左足を軸にして、身体全体に回転を掛けていく。
白く眩いスカートの裾が、身体の回転に倣って、広がっては翻った。私は、はためくスカートのスリットの隙間から、右足のヒールを繰り出す。蹴りをかました。
「ガギャッ」
大鎌の刃とヒールが、ぶつかり合う。ただ、今度は鍔迫り合いが起こらない。
私の後ろ回し蹴りを食らった大鎌は、拉げながら空中へ投げ出された。刃の曲がった大鎌は、紫の魔法少女の手元から離れて、地面に落下する。カシャンと軽やかな金属音が響いた。
大鎌を無力化できた。これでもう、私の勝ちは決まっている。
「パチン」
それでも、また指を弾く音がした。小さな火球が私の腹部に穴を開ける。
紫の魔法少女は、まだ負けを認めていない。そんな火球を食らっても、私はどうともならないのに。
「もう、負け、だって!」
私は一思いに、両手から巨大な光球を発射する。発射された光球は、瞬く間に、武器も何も持っていない紫の魔法少女の腹部に、空洞をつくった。衝撃を受け切れなかった彼女は、背中から地面へ倒れ込む。
「ぐ」
遊園地の楽しげな地面の上に、紫の魔法少女の噴き出した血が広がっていった。僅かな明かりを発している青い街灯が、彼女の惨い有様を薄らと浮かび上がらせる。これでようやく、明確な勝敗が喫した。
「ま」
仰向けになった紫の魔法少女が口を開く。彼女は腕を震わせながら、また魔法を繰り出そうとしていた。
黒煙の匂いが風に乗って、私の鼻腔を掠めていく。背後で燃えているコスモパニックが、まるで柔らかな陽の光ように私の翼を温めていた。もう、焼けるほどの暑さは感じない。
私は倒れた彼女に近づいて、馬乗りになる。
「…これくらいなら治るでしょ」
私は紫の魔法少女の右手首を握って、へし折った。脚の間で、彼女の身体がビクンと跳ね上がる。
力を失った彼女は、両腕を地面に垂れた。それでも体温は失っていない。死んではいない。
私の放った光球が、彼女のお腹に開けた大きな穴。そこには、まるで器に水が満ちるように、地面を底として血が溜まっている。ぐっろいね。
「…」
彼女の顔を覆うウェディングベールも乱れている。
ただ、さっき彼女がこれを捲し上げていたとき微かに見えた、あの横顔は、もう十二分に美しかった。
「もう人なんて殺さないで。あなたは綺麗だよ」
そう言ってあげれば、彼女は少しでも幸せになれるだろうか。
私は薄紫のウェディングベールを指先で摘まんで、ゆっくりと上げる。
「…え」
????????????
「七海?」
そこには、完璧でかわいい七海の顔があった。彼女の透き通って美しい肌は、血飛沫によって汚されている。
(X.2)
恐い。手の震えが止まらなかった。なんで七海の…いや、あとででいい。
「みゆちゃん、平気ポ?」
「うん。はい」
コスモワールドの外柵を飛び越えて車道に出る。異様なまでに辺りが寒かった。
クイーンズスクエアの周辺は、ポツポツと街灯が照っているだけで、建物やビルは生気を失っている。白い月明かりだけが命を帯びていた。人に、陽葵に会いたい。
車道を抜けて、クイーンズスクエア前の広場へ。誰の物かもわかんない血で染まった白いドレスを引き摺りながら、ただ走る。髪の毛先に血が、こびりついて凝固していた。それを爪の先で除けて、髪を梳く。外にはねた後ろ髪は、そこまで乱れてはいなかった。大丈夫。落ち着け。陽葵は助かっているから。
「ポップン、スマホ」
翼に裂け目が形成されて、中から赤いスマホが出てくる。手に取ってみると、なんか微妙に温かった。とりあえず陽葵に連絡する。
「…」
数秒経っても返信は無い。通話にも応じなかった。足早にクイーンズ内の屋内通路へ駆け込む。
通路の中は深夜十二時を過ぎようとしているのに、やけに明るかった。
周りを見回して、陽葵を捜…。
「いっ…」
頭に、銃弾に貫かれたような衝撃が伝う。
そこにあった。首を失って横たわる水色の死た
「ん?あれ!コイツじゃね?ユアちゃんの置き土産!」
少女の声が通路中を反響して、鼓膜を突き刺す。何処か聞き覚えのあるような、彼女の完璧でかわいらしい声に脳が揺さぶられた。
「…ひ」
頭が重い。まるで幼児のように、首が頭蓋を支えられなくなった。上下に揺れる脳みそに連れられて、冷えた胴体が震えていく。自分でも訳がわかんない。
「んー。じゃ、瀬良さんは解放してあげるー!まだ訊きたいことあるんで」
せ?あれ。なんで私、ここに居るんだっけ。眼球の裏が痛い。痒い。
「てか、やっぱユアちゃんって運命力えぐ!」
顔の左側がとろけていくみたい。顔の左側がとろけた。喉が渇いてくる。声が漏れ出てきた。
「え?大丈夫?この子。あはは!めっちゃ唸ってる」
支えられなくなった身体が、何かに掴まれて浮いた。なんかきもちいい。
「確か白い魔法少女だったよね?コイツで合ってる?アズマさん」
「この子で間違いない。瀬良は私が持つよ」
「え?」
「重いでしょ。一人で二人も担いだら」
「うん!ふふ。ありがとうございます!すき!」
「はいはい」
ああああああああ あ
あ ああああああああ
ああああああああああああ
(Fragment)
「おきてー。みゆちゃ!ん!」
何処からか声がする。瞼をこじ開けた。
「わ!おきた」
視界の右端から超絶美少女きゅるきゅるフェイスが飛び出してくる。
「…え?」
うまく驚けなかった。というか驚かなかった。
「七海?え、なに」
嫌というほど脳裏に焼き付いている、完璧でかわいい顔をした七海結愛が右隣に居た。私は寝そべっていた身体を起こして、今一度、周囲を見渡してみる。
不気味な程に雲一つ無い、作り物のような青空の下に居た。熱い日差しが目に入って、寝惚け眼が痛む。寝起きの不快感が更に増した。
足元へ目を移す。私たちは、校舎の屋上の縁のような場所に腰を下ろしていた。そもそも、さっきまで着ていたあの白いドレスも、学校の制服に変わっている。私は、靴を脱いでタイツだけになった両足を、屋上から向こう側の宙へ曝していた。
勿論、隣に座る七海も。同じ制服を着ている。彼女は、陶器のような白い裸足を緩やかに組んで、宙でプラプラと泳がせていた。それよりも、決定的に目を奪われる物がある。
私たちの足の先には、無色透明な水が張っていた。足元にある校舎を浸すように、澄み切った水が満ち満ちている。その水は遠くの先で青空と水平線を結っていた。
永遠のプールのようなこの場所で、プールサイドになった屋上の縁に、七海と二人腰掛けている。結局、状況は何も掴めなかった。
「ねぇ、なにこれ」
疑問符が頭を埋め尽くす。寝起きに弱い私の脳が、とてもいじらしかった。
「わかんない。私にも」
七海は、いつもと違わない完璧にかわいらしい声色で答える。足元のプールもあってか、言葉がやけに冷たい気がした。問答を続ける。
「私さっきまで、みなとみらいに居たんだけど」
「うん。知ってる」
「…あ」
そこで思い出した。
「ねぇ!陽葵は!?」
私は七海の方を見て、問い質す。彼女のEラインは波のようでいて静かに青空を裂いていた。切り立った小さな唇が告げる。
「死んじゃった」
「は?なんで!?お…」
すぐに言い止めた。
「あの子が殺した。黒いドレスの子、憶えてる?」
なんとか記憶を遡る。クイーンズスクエアに入って、頭痛がして…あまり記憶はハッキリとしていない。けど、黒いドレスを纏った七海の姿は憶えていた。
「あの馬鹿みた…お姫様みたいなヤツ?」
「そう。馬鹿みたいなヤツ」
「…え?てかあれ、七海じゃないの?」
「違うけど。わかってるでしょ」
「いや、わかんない」
なんか煽られてるのかもしれない。私は七海みたいに要領も良くなくて、頭が良くないってことを、彼女は知らないらしい。
「せつめい、聞きたい?」
とりあえず聞きたい。理解できる気はしないけど。
「私は、『原初』と呼ばれる、はじまり魔法少女。今存在する全ての魔法少女は私がつくりだした」
このことは少しだけゲームセンターで聞いたことがあった。私が聞きたいのはそこじゃない。
「で、みゆちゃんも、知ってるでしょ?えっと、顔面偏差値?」
「うん」
「顔面偏差値は、上がるにつれて容姿がかわいくなるでしょ?でも、それは実際には間違い」
七海は一息置いて、語った。
「顔面偏差値は、その魔法少女が、『どれだけ私の顔に近づいているか』を現す数値」
「は?」
途端に、また頭の中で疑問符が乱立する。
「顔面偏差値が上がれば上がるほど、魔法少女の容姿は、完璧でかわいい七海結愛の容姿に近づいていく。だから、みんな私と同じような顔をしてる」
「…は?」
「今居る魔法少女は皆、私の劣化コピーだから。黒いドレスの子もそう。ちなみにあの黒い子は一番最初の使徒。名前は…やば。なんだっけ」
「は?」
さっきから、疑問が一つも解決していない。それどころか疑問が増え続ける一方だった。当惑する私を置いて、七海は続ける。
「あの黒い子、イノリ使って名前を変えたんだけど、ごめん。だから名前、思い出せない」
「名前なんてどーでもいいけど」
「うん。えっと、で、あれ。…へへ。あはは!なんの話してたか忘れた!」
七海がコロコロと笑った。置いて行かれている私の身にもなって欲しい。
「なんなの。まじで」
「ドジっ子!ちゃめっけ!かわいい?」
私は無言で七海の肩を揺さぶり始めた。落ちればいい。
「ちょっおちちゃっぬれっ」
ばしゃーん。ぶくぶくぶく。
「はい。負け!私の勝ち!」
しばらくして、七海が浮き上がってくる。彼女の淡いピンク色の髪の毛が、濡れた束になって、その丸い額に張り付いていた。それでも尚、彼女はかわいらしい。メイクは何故か崩れてないし、睫毛も落ちていない。
「みゆちゃんも来て!めっちゃつめたい!」
顔が崩れないなら入ってみてもいいかも。私は縁の上で立ち上がって、空に飛び立つように入水した。
けど、水に落ちてから思い出す。私は泳げない。水の中で目を開くことすら、めっちゃこわい。恐る恐る、瞼を上げてみた。おー。案外、痛くない。
今潜っている水深は、校舎のちょうど二階辺り。校舎の窓の向こうには、普通に授業を受けている生徒たちの姿が見えた。水の中でも皆、がんばって授業を受けている。
「…」
そこで生徒たちの視線が一気に、こちらへ向いた。やばい。
私は水面を見上げて、必死に腕をかき回し始めた。徐々に空へ近づいていく。口から泡を吐きながら、私は水面に顔を出した。
「ねぇー、めっちゃ掛かったぁ」
傍に居た七海が迷惑そうに言ってくる。彼女はプカプカと浮力を我が物にして、水の上を漂っていた。
「別に濡れてもいいでしょ」
「え?なんで?」
「…かわいいから」
「ね!!!」
「だる」
一気に水面へ出たせいで、私も髪の毛が顔中に張り付いた。首とか顎とかにもべたべたと引っ付いて、全部を引き剝がそうにも、中々思うようにいかなくて、じれったい。
私が髪を整えている間に、七海が何処かからか黒い鳥型のフロートを持ってきた。翼を広げた黒い鳥のような平たいフロートで、なんの鳥がモチーフになっているかはわかんない。
「乗れる?」
七海はフロートによじ登って、こちらへ手を伸ばしてくる。私はその手を取って、慎重にフロートへ這い上がって、七海の横に乗り込んだ。鳥形のフロートの、左の翼に七海が乗って、右の翼に私が乗っている。
「なに?この鳥。鷹?」
「わかんない!だいたいこーゆーのって、白鳥とかフラミンゴ?とかなのに」
「あんまかわいくない」
七海が手で水面を掻いた。フロートがゆっくりと校舎から離れ始める。
二人きりの異空間遊覧が始まった。
「七海さ、首のとこ、ホクロあるんだね」
とりあえず、会話を切り出してみる。濡れた七海の首元を見て、さっき気づいた。
「えっ」
七海は、即座にピンクのネイルで首元を隠す。
「あ、なんか…嫌?」
「ううん。そう。いっつも隠してる」
「そー…なんだ」
しばらく、沈黙が流れた。
「…」
私にはこういうところがある。私がいちばん知っていたのに。瞬時に人の立場になって物事を考えることができない。そして秒で後悔する。最悪だった。そして、七海に気を使わせてしまう。
「えと、みゆちゃんはコンシーラーとか、どこの使ってる?」
「んぇ?キ…煽ってる?」
「え!?なんかごめん!?」
「うざ」
鷹のようなフロートは、徐々に自走を始めていた。私たちが会話を交わす間も、波一つ立っていない水面を、ただ目的地もなく進んでいる。
何故だか、心地良さしか感じない。自分が異空間にいること、以前の煩わしさ、さっき一瞬浮かんだ後悔、そういう雑多な思考は、冷たい空気と仄かな塩素の香りが、押さえつけていた。何かを考えようとか、そういう気持ちが全く起きない。
足元の水中に、最新型のテレビやゲーム機が沈んでいるのが見える。岩礁のようになった無数のプレイステーションには、灰色の蟹が這っていた。
「もうちょっと…」
ふと、七海が遠くを見ながら呟く。水平線はまだ遠く、果てしない彼方向こうにある。振り返っても、屋上と校舎は見えなくなってしまった。終着点は無いように思える。
「ん?なにがもうちょっと?」
「もうちょっとみゆちゃんと仲良くなりたいなって!」
七海が翼の上で立ち上がった。少しだけフロートが傾いたけど、また安定する。私は振り落とされないよう、フロートにしがみついて、彼女の声に耳を傾けた。
「陽葵ちゃんを殺したのは、あの子」
七海が水平線の向こうを指差す。
すると、空から一本の巨大な白い『腕』が水面へ降ってきた。石膏のような巨大な腕は、着水した勢いで辺りに大きな波を発生させる。フロートがひっくり返りそうになった。
「うわ!なんか出た!腕?」
白い腕は力を失ってだらんとしている。水平線に向けて、その大きな指を広げていた。白い腕は、あれだけの質量がありながらも相当の浮力があるらしく、私たちのフロートに並走するように遊泳を始めていく。
「あの腕、七海が出したんじゃないの?」
「いや、違う。実は…私もこの場所がなんなのかわかってない」
フロートの上に立っている七海の顔色を伺った。本当に混乱しているようで、視線が泳いでいる。
「もしかしたら、『エラ』の力かも」
七海が声を潜めた。また、訳の分からない言葉が飛び出してくる。
「ん?エラってなに?人の名前?」
「エラっていう『時空間を操る全能の魔法少女』が居るんだって。原初の私ですら知らない」
「ごめん。なに言ってる?」
「あー。えっと、あの…」
私が要領が悪いことを、彼女も察したらしい。一旦、説明を区切ってから、彼女は続ける。
「陽葵ちゃんを殺したのは、あの子」
七海が、また水平線の向こうを指差した。すると、また巨大な腕が降ってくる。荒波が立って、フロートが揺れた。
「なに!?これ」
「もういいよ。で?」
正直、意味不明な物事の連続すぎて、動乱する気も起きない。少し先の水面に、二つの腕が不気味に浮いている。私的には、それよりも七海の話の方が気になっていた。
「…みゆちゃんは、あの子に陽葵ちゃんを殺されて黙っていられるの?」
七海が腰を下ろしながら訊いてくる。少し虚を突かれたけど、私は陽葵と話したことを思い出した。
「いや、私知ってるから。人を殺しても意味なんて生まれない」
「じゃあ、殺意を向けられても、殺されても、それを受け入れるの?」
「いや違う。違うけど」
「大丈夫。無理に変わろうとしないで。人ってそんな絵本の物語みたいに、どんどん成長していけない」
私は七海の顔から視線を逸らす。口も噤んだ。
「そもそもみゆちゃんが戦ったって、変わろうとしたって、皆は何も変わらない。そうでしょ?」
七海は息を吸って続ける。
「こんな会話も、あんな言葉も、そんな信念も、なんの意味だってない。馬鹿げてるって、厨二病ですかって、冷やかされるだけ」
「…」
「だから、みゆちゃんは間違っているって知りながらも、彼らと同じ殺意を持って刃を振るう。みゆちゃんが陽葵ちゃんみたいに殺されないために…」
七海がゆっくりと入水しながら言った。
「皆が持ってる気持ちと殺意を、認めて許してあげる。そうでしょ?」
彼女はそう言ってから、私の足元に寄って来た。彼女の柔らかい手が、私の両脚を掴んでくる。
「陽葵ちゃんを殺したのは、あの子。黒いドレスを着た魔法少女」
また子どもに言い聞かせるみたく言われた。
「これは復讐じゃない。制裁でもない。雨が降ったら空が晴れ渡るように、ごく自然で当たり前なこと」
七海はフロートに登って、私を押し倒してくる。力を失った私は抵抗もできない。彼女が胸元へ倒れ込んでくる。
「…たすけて、みゆちゃん」
七海は私の胸の上で泣いた。
二人分の体重が、鳥のフロートの片翼だけに偏る。フロートはバランスを崩して、ひっくり返った。私は水に投げ出される。
曙光のような、熱を失った光が水中を照らしていた。肺に酸素が回らない。私はゆるりと溺死を受け入れた。
*
「…」
瞼が重い。けど、薄靄のような意識が確実に戻ってきている。
寒い。覚えのある潮風が、白銀の前髪を揺らしていた。夢か何か、あの異空間から出られたらしい。今居るのは現実。たぶんまだ横浜に居る。
「はい!異陽軒の納豆餃子です。瀬良さんもどーぞ」
すぐ近くで、七海の…黒い魔法少女の声と、食卓に皿が置かれたような音がした。脚は動かない。恐らく椅子に座らされていた。屋外にあるテーブル席に座っている?
「右腕無いと食えませんけど」
聞いたことのある掠れ声が言った。
「あ、そっか、治します。はい。…みゆちゃーん。ぎょうざぁ。食べない?」
僅かに開いた視界の中で、箸に掴まれている餃子がチラついている。少しして、餃子が視界の外へ消えていった。空腹は刺激されない。それどころじゃない。なにしてんのかわかんない。
「瀬良さん、それ。醬油取ってください」
「左腕無いと取れないですけど」
「めんどくさ。はい」
視界が完璧に機能しない中、かわいらしい七海の声と、瀬良さんの声。他、いくつかの靴音や喋り声を拾っていく。
恐らく、私が見知った二人の他にも、数人の使徒たちが周囲に居た。事実確認はできない。少しでも目を瞑ると、また瞼の裏にプールの景色が見え隠れする。
「瀬良さんは、なんでみゆちゃんを探ってたんです?」
「ん?結愛ちゃんの使徒になりたくて、結愛ちゃんを探ってた矢先にこの子と会った。でも、彼女は死んでるらしいってことがわかって、こっちも組織の業務上、魔法少女と長くつるんでる訳にもいかないから放した。殺されるかもしんないし」
瀬良さんが使徒になりたかったなんて、聞いていない。ありえなかった。
「どうせ僕が放しても、今日ここに来るのはわかってたし、テキトーに泳がせといても問題ないと思った。この子、君と同じタイプなんだよ」
「…ふーん。使徒になりたいってのは嘘ですね。他は合ってんのかな。右腕、消しますね」
拍子木を叩いたような音がした。
「私はユアちゃんを復活させるのが目的なんです。なにか掴んだ情報は?」
「…墓。墓があるらしい」
「それを知ってるから訊いてんですよ。今度は指から落とします」
拍子木を叩いたような音がした。
「あっつ!肉汁やば。舌火傷したぁー」
拍子木を叩いたような音がした。
「絶対、ペース配分ミスってるって」
「え?指三本あれば箸持てません?」
「逆マナー講師?」
カチャカチャと食器が動く音がする。私も、少しだけお腹が減ってきた。
「で、他はないんです?餃子食べれなくなりますよ?」
「ちょっ、僕の皿から取るな。わかった。とっておきね」
瀬良さんが、もごもごしながら喋り続ける。
「六月未結の魔法生物は、シチミユアから継承されたもので間違いない。それで、その魔法生物は…」
私も耳をすませる。続く彼の言葉に息を呑んだ。
「未結ちゃんに人を殺させたがっている」
「?」
突然、身体が震える。私の喉の奥から、何かが生えてきた。それは瞬時に口蓋まで伸びて、閉じた私の顎を思い切り開こうとする。歯を折りながら、半開きになった唇をこじ開けたのは、二つの『手』だった。
口の内側から飛び出した十本の指は、まるで堅牢な引き戸をこじ開けるように、私の両頬の肉を掴む。地面を引き剝がすかのような音を周囲に響かせながら、私の口は引き裂かれた。
口を裂いた二本の豪腕は、天に至る勢いでまだまだ伸びていく。今度は顔を裂いて、頭蓋骨を真ん中から割った。最早そこに顔が付いていたのかすらも、わからない。
頭を失って、首から二本の白い腕を生やした私が、椅子の上に座っている。
「は?」
黒いドレスを纏った魔法少女が言った。彼女の声がした方へ、その白い腕は伸びていく。本来の比率や長さを留めていない、二の腕がやたら長いような不格好な両腕が、彼女の黒いドレスの襟元を掴んだ。
その黒衣を引き裂くように、二本の腕が離れていく。
プチンビリップチン。
黒いドレスにあしらわれていたパールやフリル、リボンやホックやらが辺りに散らばる。豪奢なドレスは、見るも無残な有り様となってしまった。
今度、引き裂かれるのは少女の身体。
腕が、少女の細い首筋を掴み上げる。咽ぶ少女の小さな足は、意味もなく宙で空回りした。
静けさを湛えた横浜の街。赤いレンガ造りの建物がある。
拍子木が割れたような音がした。
シュルシュルと、鮮血を浴びた腕が首元に収まっていく。それも束の間、収まった二本の腕は、熱された蝋のように溶け出して、形を失っていった。
ドロドロと白い泥土のような物が、かつて私だった生き物の首元を包む。それは徐々に凝固して、やがて人の頭部を模っていった。
完璧な輪郭。完璧な唇。完璧な鼻筋。完璧な両の眼。淡い桃色のなだらかな髪が、その丸い額を覆った。
純白のドレスや白銀の髪には、内側から桃色の染みが広がっていく。襟元のフリルやスカートの裾、爪の装飾までもが、桃色に染まっていった。
穢れを知らない純白のドレスは、ピンクと白を基調としたドレスに様変わりしていく。
そんな完璧でかわいらしいドレスを纏った、完璧でかわいらしい少女は言った。
「瀬良さん、おはようございます!…あ、それ私のものです」
少女が円卓に身を乗り出して、置いてあった餃子を素手で口に運んだ。
「あっつ!肉汁やば。舌火傷したぁー」
少女が舌を出しながら悶える。そして、啞然と固まった周りの人々に言った。
「私、戻ってきました!!」
七海結愛が両手にピースサインをつくる。彼女のピンクと白のスカートは、潮風に悠々と揺られていた。
数分前までそこに座っていた六月未結の姿は、最早見る影もない。六月未結は、紛れもなく完璧でかわいらしい七海結愛の姿へ変容していた。
(Fragment)
「じゃあ、みゆちゃんのポップンあっちに送るから。また会お!約束!」
(3)
「いった…」
あまりの衝撃に目を覚ました。けど、目の前が暗くて何も見えない。たぶん灰色の床の上で、うつ伏せになっている。
私はなんとか腕を床に突き立てて、上体を起こした。床はとても硬くて冷たい。コンクリートのような質感だった。
周囲を確認しても、部屋中の壁が全面鏡になっていて、ここが何処なのか、皆目見当もつかない。私がさっきまで寝ていたらしい銀色の金属の台のようなものが、この狭い部屋の大半を占拠していることだけはわかった。
まだ頭がぼーっとしていて、壁の鏡に映る私の鏡像もぼやけている。脳を金槌で殴打されているみたいだった。
「ん、おはよう。未結ちゃん」
曇った視界に、見知らぬ綺麗な女性が現れる。彼女は、サッとその場にしゃがみ込んで、私と目線を合わせてきた。
「ゲホッ」
部屋中に薄い煙のようなものが舞っている。息が苦しかった。だから咄嗟に返答ができない。
鼻骨が痛む。鼻と口の中に血が滲み始めた。温い鼻血が人中にゆっくりと流れ出てくる。息苦しさにまた咳き込むと、その血が飛沫して床が汚れた。そんな中、命辛々に尋ねる。
「だ…れ?」
「前に会ったんだけど、覚えてない?」
「…ごめんなさい」
あー。こういうところ、直んない。
「いや、未結ちゃんは気を失ってたんだっけ。その後もすれ違った程度。ごめん。私が悪いよ」
女性は両腕を広げて、首を少し傾けた。
「私は、アズマ。東と書いてアズマって読むの。シチミユアの使徒の一人」
アズマと名乗る彼女は黒いマスクで顔を覆っていても、その上にある両方の目尻を緩やかに下げている。グレーっぽいカラコンが、仄かなローズレッドに染まった前髪の隙間を彩っていた。
「ほら、おいで。未結ちゃん」
「なにが…ですか」
寝起きすぎて、頭も舌も回らない。
「うん?ぎゅーって、ハグ」
アズマさんが、ピンと腕を張を張り直す。
「…いいです」
なんかよくわからない。思考が追いつかない。
「私がしたい。お願いできる?」
「いや、したくないって訳じゃなくて…」
別にアズマさんに対して懐疑的だとか、嫌悪感があるとかではない。むしろ本当は、今にも誰かに抱きつきたいほど、途方もない謎の寂寥感だけを抱えていた。
けど、随分杜撰に寝ていたのか、私の髪はヴォッサパサだったし、服もよくわからない薄汚い病衣みたいなのを羽織っていた。こんな状態で綺麗なお姉さんに抱きつくなんて、したくない。
「じゃあ、私から行くね」
「え…。ぁ…ぃ」
アズマさんは立ち上がって私に数歩だけ歩み寄っきてから、血で汚れた床の上へ脚を畳んで腰を下ろした。彼女はそのまま、私の背中に腕を回してくる。途端に、上品な桜のような香水が鼻腔を擽った。
私は彼女の腕に身を預けてみる。体温が上昇して、この部屋中がかなり寒々しかった事に気が付いた。
「ふふ。未結ちゃん、温かい」
「血…ついちゃう」
「大丈夫」
私の血が唇を伝って、アズマさんの白いブラウスへ垂れていく。
「いろいろなことがあって辛かったね」
アズマさんはそう言って、ローズレッドの後れ毛を耳に掛けた。彼女は私の右耳に近づいて来て、こそばゆくなるほど穏やかな声を響かせる。さっきまで寝てたのに、なんかまた眠くなってきた。
「未結ちゃんはただそこに居ただけなのに、巻き込まれて、傷つけられて、痛かったね」
「…え」
「でも未結ちゃんは優しいから、誰にも怒らないんだよね?」
「…いや」
「ううん。私は見てた。未結ちゃんのせいじゃないこと、私は知ってる」
「違…」
「違わない。自分のこと信じられなくなっちゃってるね。ごめんね。私がもっと早く、あなたのこと守ってあげられたらよかった」
「は」
アズマさんは、私の肩甲骨を撫でるように、病衣の上で指を滑らせてくる。今度は、さっきよりも優しく肩を抱かれた。とてもあったかい。
「もう嫌でしょ?戦うのは、痛いのは」
「いたいの、いやです」
「うん。だから、これからは私があなたのこと守る」
「…うん」
「その代わりに、未結ちゃん…」
「私の言うこと、きける?」
血が流れ出ていく。脳に巡っていたもの、心臓に巡っていたもの、爪先に巡っていたもの。全てのヘモグロビンが、鼻より垂れていく。
しばらくして、私はアズマさんの抱擁から解放された。瞬きが苦しい。睫毛が重い。
「ねむくなっちゃったね。じゃあ私、外で待ってるから寝て…」
「まって」
「ん?どうしたの?」
「いっしょがいい」
「わかった。じゃあ血拭いて、いっしょに寝よ?」
力の抜けた手を、柔らかい滑らかな指先に掬われる。ちゃんと歩けない足取りを支えられながら、再び、鉄のベッドに横になった。
(XI)
「え、じゃあアズマさんと瀬良さんは仲間?」
「というか仲間になった。東、結愛ちゃんのことめっちゃ教えてくれたよ」
「え、めっちゃってなに。私、アズマさんとそんな仲良かった覚えないけど」
私はそう言いながら、エレベーターのボタンを指の第二関節で押した。『12F』の文字が書かれたパネルがピカッと光って、エレベーターのドアが閉まる。
私と瀬良さんを乗せたエレベーターは、落ち着いた稼働音を響かせながら、上へ上へと上昇した。ドア上のモニターに映し出された数字も、フロアを通り過ぎる毎にゆっくりと繰り上がっていく。その数字が増す毎に、家に近づいている実感が胸中に降り積もって、同時に疲労感も膨らんでいった。
「で、初対面のヤツを家まで誘うってなに?倫理は?」
「いや、いいんです。瀬良さんがどういう人なのかは、なんとなくわかってるし」
黒い魔法少女が打った消滅魔法は、かなり強力だったらしい。瀬良さんの右腕と左手の指は、消滅したまま、まだ治っていない。けど、出血などをしている訳では無いらしく、特に痛みもないようだった。彼のカーキグリーンのスーツの片袖は、生気を失って萎んでいる。
ぽーんという音がして、エレベーターが停止した。私たちはマンションの屋内の廊下を少し歩いて、目的地のドアの前にたどり着く。そこで気が付いた。
「あ、鍵失くしたかも」
「最強魔法少女ピッキング使えないの?昼間だけど」
「できます!下がってて」
「は?」
私は手のひらに意識を向ける。人前だから、いつもより声高々に叫んだ。
「きて!ポップン!」
右の手のひらから、光を纏った白いメスが生えてきた。私はそれを握って、上に掲げる。空中に円を描くようにメスを振り回した。
すると、そこにあった空間が、円の形に沿って裂け始める。やがて、円の中からドロドロとしたピンク色の蠟のような液体が流れ出てきた。私の頭と身体は、それをそのまま受け止める。
「マジカルチャージ!」
私の声に従うように、ピンク色の蝋が髪と服に浸透し始めた。蝋は次第に、羽織っていた白いパーカーや制服のスカートを溶解させていく。泥濘ようなの柔らかな感触が、頭頂部を這って、デコルテを這って、手首からネイルまでの先を、少し浮かせた踵を、包み込んだ。
「へんしん!」
叫びに呼応して、蝋に包まれた全身が淡い光を放つ。溶解した衣服が、白とピンクを基調としたミニワンピースのドレスに再構成されていった。
胸元に大きなリボンが結われる。両耳には、イヤーカフとピアスが嵌った。それは、マンションの内廊下のライトで煌めく。
続いて、両側の側頭部から白い杭のような物が生えた。まるで細い骨のような杭は、髪を纏める輪となって、広がるピンクの後ろ髪を二つに分けて縛り上げる。
ピンクの大きなツインテールが、頭の横から腰上に掛けて、垂れ下がった。
「おわり?」
「まだです!」
頭上の円形に裂けた空間から、白い金属のティアラが落ちてくる。
「ガンッ」
ピンク色の頭頂部にティアラがぶっ刺さった。それを合図に背中の左側から、純白の片翼が生える。最後に詠唱を添えた。
「夜空を灼き尽くす一番星!きゅ…」
「うるせぇー。声でか」
これで変身完了!やっぱりこっちの方が落ち着く。
私は、白いヒールを軸にターンを決めてみた。白とピンクのスカートの裾が、腰回りで揺れる。心地の良い重さを感じた。
「なんか…今の必要だった?みんな口上とか言ってないと思うんだけど」
「言わないから弱いんです!じゃあ、ピッキングします!」
私は背中でピンクのツインテールを揺らしながら、家のドアへ近づく。パールを帯びたピンクのネイルに彩られた指先を、ドアノブ翳して、魔法を使った。
「ぇやっ!」
ドアが外れて向こう側に倒れる。玄関に置いてあった靴たちが下敷きになった。
「いらっしゃいませ!七海結愛のちいさなお家です!」
私は完璧かわいい笑顔で瀬良さんを迎え入れる。
玄関から白でまとめたアンティーク家具や小物が溢れている私の家。バニラのルームフレグランスを纏った空気が、私たちを迎合する。人をお誘いしたのなんて初めてだと思う。たぶんぐちゃぐちゃだと思うけど、瀬良さんなら別にいい。
瀬良さんを玄関に上げた後、パチンと指を鳴らした。ドアが独りでに立ち上がって、元在った場所に収まる。
「ルームツアーします!いいですか?」
(4)
鉄のベッドで眠ってから数時間後、今度は寝返りでベッドの上から落ちるなんてこともなく、目覚めることができた。当然、私を寝かしつけてくれたアズマさんは、まだそこに居てくれている。枕元に座り込むように、寄り添ってくれていた。
彼女に支えられて、ベッドから降りる。ひとまず、鏡張りの部屋を後にすることにした。
アズマさんは、めちゃくちゃ高そうなアイボリーのハイヒールと、黒いスキニーパンツを履きこなしている。身長は、私よりも遥かに高くて、脚が札幌~稚内くらい長い。清楚な彼女の唯一の汚点と言えば、着ている白いブラウスに、私の鼻血が染みをつくっていることだけだった。
私が前を歩く彼女の背を、ぼーっと追っていると、あの仄かな薔薇色の髪が翻って、黒いマスクの下に浮かんだ微笑が、こちらを向いてくる。眼前に手が差し伸べられていた。取ると柔い。
鏡張りの部屋の外には、美術館のような荘厳な通路が広がっていた。そして、その廊下を少し歩いた先、『湯灌室』と銘打たれた部屋の前で立ち止まる。
「入ってみよっか」
「…うん」
アズマさんに手を引かれたまま、白い自動ドアを跨いで部屋の中へ入った。
ゴシック調の壁紙が貼られた真っ白い部屋が、視界一杯に広がる。部屋の真ん中には、棺のようなサイズの白い台が設置されていて、その側には、おそらく湯が出るシャワーヘッド、木製の桶やタオルが置かれていた。
この部屋は簡易的なシャワールームなのかもしれない。棺のような白い台の奥には、豪奢な鏡台やドレッサーがあった。いずれも几帳面に白一色に揃えられている。
*
「湯灌どうだった?未結ちゃん」
濡れた私の髪にドライヤーを当てながら、アズマさんが訊いてくる。
「別に、ただのシャワーでした。てゆーか、ゆかん?ってなんなんです?」
私は結局、湯灌が何かわからなかったので、とりあえず部屋の中央にあった台に座って、シャワーを浴びたところだった。白い台の表面は少し凹んでいたけど、浴槽ほど底があるわけではない。シャワーを浴びながら、自分が今お風呂に入っているのか、なにをしているのか、わからなかった。
「湯灌っていうのは、遺体を燃やす前に身を清めてあげる儀式のこと」
アズマさんさんが、ドレッサーに置いてあった古めかしい櫛を私の髪に当て始める。
「遺体?」
「うん。未結ちゃん死んでないのにね」
髪を乾かし終わってからは、アズマさんが簡単な化粧を施してくれた。鏡台周りの収納には、見たこともないような古風な陶器や道具の他、廃番になったハイブラのリップ、Gillstuartのゴテゴテしたコスメが納まっている。
アズマさんはその中からいくつかの道具を手に取って、私の終焉した顔面をめかしこんでくれた。お姫様みたいと言えば聞こえは良いけど、実の所もう、半分介護みたいになっている。
ただ、素肌を見せる抵抗よりも、彼女の施しを受けたい気持ちが勝った。彼女なら、嫌な顔せず不細工な私を受容してくれる気がする。
「未結ちゃん、ここにホクロあるんだね」
化粧をしながら、アズマさんが私の唇の左下を優しく撫でた。
「…うん。いつも消してます」
「そう。かわいいけど。じゃあ隠すね」
「い…。あ、あの」
自分でも引くくらい言葉が痞える。介護されておいて、更には雑魚も晒してしまった。けど、今はどうでもいい。
「アズマさん、なにがあったのかわかります?」
ようやく、頭がスッキリしてちゃんと正常な思考をできるようになった気がする。まず、私が何処に居て、私に何があったのかを整理したかった。
「そうだね。いろいろと説明しようか。といっても、私もあまり知らないけど」
そう言って、アズマさんはドレッサーの前にあった何かのボタンを押す。すると、部屋のライトが暗転して、ドレッサーに向かって右側の壁がスライド移動した。さっきまで白い壁が覆っていた物が露わになる。
私の眼前に広がったのは、山に囲まれた広大な草原だった。直径十メートル程のガラス窓越しに、青青と茂る低い草木と白い花、遠くの稜線を覆う霧が見える。やけに青白い陽光が、草原一帯に生命を息吹かせていた。
「…え」
「この場所は、シチミユアが魔法で造り出した『墓』」
アズマさんの言葉が頭に入ってこない。眼前に広がった草原に目を釘付けにされている。
「道すがら、いろいろ説明するね」
アズマさんが立ち上がった。私は彼女に着いていくように、湯灌室を後にする。
(XII)
結局、ゆあがふだん一番使っているこの寝室は、ぐっちゃぐちゃに荒れている。脱いだ服とか、いつ買ったかも憶えていないコスメの残骸とか、いろんな物が好んで床に自生していた。テレビのリモコンは何故か毎回、スウェットに絡まっている。
瀬良さんが、部屋の隅に脱ぎ捨てられた黒いブルゾンを拾い上げた。
「この黒い服、なに?」
「ちょっ、勝手に触んないでください!」
「あー。これは僕がやばいか」
瀬良さんが、今度は部屋の隅のコスメ廃棄エリアから、ファンデーションを一つ拾い上げる。
「これ、貰っていい?」
「それメガ割で買ったやつなので、めちゃ割れてます」
「…割れてないけど」
「割ってやったっていんですよ。私は」
「陶芸家?」
瀬良さんは続いて、選ばれしコスメたちが納められてるドレッサーを物色し始めた。
「…これ、なんで筆?あんの?」
「それは書写のやつです!」
散らかってはいるけど、いちばん必要な物がいちばん取りやすい場所にドロップしていると思えば効率的でもある。
私は部屋をちょっとだけ片付けながら、二人分の座るスペースを確保した。
「はい!瀬良さん、そこ座ってください」
「むりです」
結局、私は魔法少女のドレスのままベッドに座って、瀬良さんはドアに背中を預けてる形になった。
「じゃあ、こたえあわせしましょう!」
私は瀬良さんに笑顔を向けて、これまでの出来事を教えてあげる。
(5)
湯灌室から出て、また美術館のような通路をしばらく歩いた。私はアズマさんに手を取られながら、『墓』の出口を目指す。
アズマさんによると、私が目覚めたのは墓の地下奥深くで、外へ出るには各階層を抜けていく必要があるらしい。
墓は七海の魔法の力なのか、意味不明な構造をしていて、まるでバラバラな場所の景色を無理やり繋ぎ合わせたような造りになっている。さっきの湯灌室の草原も、今いる第四層の景色も突拍子がなかった。
「シチミユアが今いる全ての魔法少女のはじまり。原初なんだって」
「…げんしょ」
アズマさんが、語ってくれるいろいろを、何もわからないまま聞いて、歩いて、歩き続けている。
今居る、第四層の出口付近は、夜空の下で営まれている田舎郊外の電車のプラットホームのような景色になっていた。上りと下りの二本の線路に挟まれた小さなホームは、屋根すら無い。端から端まで百メートルもないような簡素なホームを、いくつかの細い街灯型の照明と、ポツンと置かれた自販機の明かりが照らしている。
「けほっけほ」
「大丈夫?未結ちゃん」
「…はい」
「飲み物買おうか。なにがいい?」
「え…おらんじーあ?」
アズマさんが街灯の下に佇んでいた自販機で、ジュースを買ってくれた。私は、ひんやりとしたペットボトルを受け取って、キャップを捻る。
「けほ」
「咳、止まらないね。痛みとかはない?」
「うん」
「そっか。その内止まるかな」
「起きたとき、なんか煙?めっちゃ吸っちゃって…」
「あー、あったね。水もあるよ」
「…いや、だいじょぶです」
なんとも言えないような味のジュースが、喉の奥を通り抜けた。突き抜ける夜風と炭酸が、灰色の病衣を羽織る私を田舎の静寂に紛れさせていく。
(XIII)
私は瀬良さんの方を向き直りながら、こたえあわせを開始した。
「うーん。どこから話しましょうか?まず魔法少女について?」
「はい」
「さっきのピッキングを見てわかる通り、私は『イノリと同レベルの魔法を昼夜問わず、何度でも使えます』。何故なら、私が全ての魔法少女のはじまり。『原初』の魔法少女だからです!」
ここで完璧なウィンクとギャルピース。瀬良さんは床を見つめて黙っている。折角、私が途轍もなくかわいいのに、勿体無いと思った。瀬良さんを無視して続ける。
「いろいろ省きますけど…私は去年、自殺しました。そこで、謎の生物と出会って、魔法少女になってしまいました。魔法少女になった私はいろんな魔法を使いまくって、いろんな夢を叶えました」
私はいろいろな思い出を脳裏に思い浮かべる。自分だけの家を手に入れたとき。いろんな物を無限に買ったとき。ポップンと夜の街を飛んだとき。
「君が両親を殺したのは、その時?」
「え、知ってるですか!?そう。そのときです。父が死んでたと思いますけど、普通の魔法で男性を殺せるのは、原初の私だけです」
瀬良さんは、思った以上に私のことを知っているらしい。
「そして、それから数ヶ月後、私はとある目的を叶えるために魔法少女を増殖させることにしました。私の力をみんなに分け与えることにしたんです。いろいろ力の制限は付きましたが、ポップンが思いついた顔面偏差値のシステムやイノリの力を求めた人々によって、普通の魔法少女を生み出して、増やしていくことができました」
(6)
駅のホームに真っ白な新幹線が到着した。私とアズマさんは車内に乗り込んで、空席に座る。私たち以外の乗客は居なかったけど。
「あ、車内販売だって、なに買う?」
「アイス、ほしいです」
「わかった。アイス二つで」
「…かた」
「ふふ。うん。ちょっとだけ待とっか」
(XIV)
「私の劣化コピーの魔法少女は順調に増えていきます。しかし、そこで使徒という存在が出てきました。使徒は、私を神格化して、尊敬する人たち。ここで、私は私の目標が達成できないことを悟りました」
ベッドに座りながら喋るのも飽きたので、立ち上がる。
「ただ、魔法少女の増殖が無駄になってしまっても、私はあきらめません!だって、私は最強の魔法少女だから!」
身振り手振りで、かわいく語ってやった。
「そんなとき、みゆちゃんと出会いました。そこで私は、『みゆちゃんを私と同じ最強の魔法少女』にする計画を始めました」
瀬良さんにはフル無視されているけど、指を上げつつ、説明を続ける。
「まず①。私とみゆちゃんが同時に飛び降ります。しかし、それをあえて失敗させました。事前に、私は『イノリ』を使って不死の身体に。みゆちゃんは死ぬ寸前、仮死に留めておきました。私は飛び降り失敗、仮死のみゆちゃんは墓へ運びます」
続いて、人差し指と中指を張った。
「そして②。私がみゆちゃんに、なりすまします。またイノリを使って、私は私の体を基に、私の思い描いたみゆちゃんを作り上げました。私はみゆちゃんの顔をして、自分がみゆちゃんだと錯覚しながら生活していきます。魔法少女の能力も、少しずつ制限を掛けました」
(7)
アズマさんの手は、指先まで温かい。新幹線の座席も座り心地最高。また微睡みが脳を蝕む。
(XV)
「続いて③。みゆちゃんのフリをしながら生きる私が、人を殺すように仕向けます。ここで顔面偏差値を上昇させたんです」
上げた三本の指を下げて、部屋中を歩き回ってみる。ドアに凭れる瀬良さんの前で止まった。
「瀬良さんなら、もう予想ついてそうですけど、顔面偏差値。この数値は、その人が、七海結愛の容姿にどれだけ近いかを表す数値です。大体、顔面偏差値が二万を超えた魔法少女の顔は、完全に私の顔に変容します」
「…使徒は、全員、七海結愛の顔をしてるってこと?」
「はい!顔が完全に私になったら、次は声や身長が変わるらしいです。また、イノリが使えるようになるのは、実際は一万二千からになります」
段々、喋り疲れてくる。ベッドの上に戻って横になった。
「昨晩、みなとみらいで、みゆちゃんのフリをしていた私は、黒い魔法少女を殺しました。結果、顔面偏差値が上昇します。そこで、七海結愛の顔を取り戻すことになりました。取り遅れていたものが一気に精算された訳です」
(8)
私はアズマさんと一緒に新幹線から降りて、家電量販店のような場所を歩いていた。主張の強い蛍光灯が、通路の両脇にある商品棚を照らしている。この商品棚は先が見えないほど遠くまで続いていた。
そんな通路の先、私たちの行く手を阻もうとする二人の魔法少女の姿が見える。
「未結ちゃん、下がってて」
アズマさんが付けていた黒いマスクを外して、脇の棚に捨てた。彼女の横顔は、完璧でかわいい七海の顔と、寸分違わなかった。
(XVI)
「そして④。ポップンがイノリを使って、私に七海結愛としての意識を戻します。これで、みゆちゃんのフリをしていた私は完全な状態の七海結愛に戻りました」
ベッドのシーツにくるまりながら、最後の工程を説明する。
「最後、⑤。ポップンを二つに分けます。ポップンの片割れを仮死しているみゆちゃんを安置している墓へ、転送しました。そこで、みゆちゃんを殺します。死んだみゆちゃんはポップンの片割れに寄生されて、魔法少女になります」
ガバッと起き上がって、元気に告げた。
「これで、みゆちゃんは私と同じ『最強の魔法少女』になりました!」
(9)
「来い」
アズマさんの身体が、ドロドロの赤い蠟に覆われていった。彼女の白いブラウスは黒いシルクのジャケットと、品の良さげなシャツへ変容していく。彼女の長い脚は、赤みを帯びた鋼のような物を纏い始めた。ふくらはぎや腿の裏辺りからは、鋭利な棘やバイクの排気口のような物が生えている。
「タンッ」
アズマさんのハイヒールが床を蹴った。彼女は瞬く間に、数メートル先の二人の魔法少女たちの元へ移動している。
数秒後、ミキサーで肉を混ぜたような音が、家電量販店の店内放送をかき消した。
「終わった。先行こう」
アズマさんは、いつの間にか私の隣へ戻って来ている。私は再び彼女に手を取られて、歩き始めた。
私は最強魔法少女の七海と同じ力を持っているにも関わらず、後ろで突っ立っているだけだった。
(XVII)
私は全部言い終えてから、またバタンとベッドへ倒れ込む。
一方、瀬良さんは、黙りながら一部始終を反芻しているらしい。数分経ってから、やっと彼の口が開いた。
「あんま何言ってるかわかんないけど、結局…顔面偏差値とイノリのシステムを使って、最強の魔法少女を複製したってこと?」
「そうです」
「自分で考えたゲームの上で、よくわかんない特殊勝利キメてるってこと?」
「それを伏線回収ってゆーんですよ!」
「おままごとだろ」
私は落ちていた床に落ちていたグミの包装を畳んで、白いローテーブルの上に置いた。絶対あとで捨てる。忘れない。
「じゃ、細かいとこ訊いていい?」
どうやら、ここからは恒例の質疑応答タイムらしい。私は海のように心が広いし、優しいので答えてあげることにした。
「まず、あの黒い魔法少女が君に代わって、ライブ配信してたってこと?」
「らしいです!最近の投稿もお仕事も全部あの子がやってます」
「あー。終わってんだ?リテラシー」
「楽しんでたからいいかなって。私、あんな変な文章書けないし」
あの子は死んじゃったけど、私の復活のためって言ったら許してくれそう。そのくらい、彼女の妄信っぷりは酷かった。
「未結ちゃんが、魔法少女の変身が解けても死ななかったり、身体ぶった切られても死ななかったのは、元々、君の身体に不死のイノリが掛かってたから?」
「そうです!イノリの効果は昼夜関係なく、恒常的に発揮されます。例えば、魔法少女になって夜の内にイノリを使って、お金を増やしたとします。そのお金は朝になっても消えません。イノリは絶対に破綻しない最強魔法ですからね!」
「あ?テキトー言うな」
「…え、うーん?あー。お仲間、死んでましたね。不死のイノリでした?組織って全員そういうイノリ使ってるって聞いたことあります。瀬良さんも?」
瀬良さんは返答せずに、またコスメ山(ざん)を物色し始めた。
「ポップンがイノリは二万二千から使えるって嘘ついてた。あれは、君がイノリを求めて人を殺せば、その時点で勝ちだったから?」
「そうです!良いアドリブでした」
背中に生えた純白の片翼がバサッと動いた。ポップンも喜んでる。
「てか、ここも元々君の家?僕、最寄りまで送ってやったんだけど」
「はい!ここは私の家です。私、みゆちゃんの家知らないので、帰る場所はここしか無かったんです」
「ワキ甘くない?家くらい建てれないの?」
「今の魔法はそんな簡単じゃないんです」
なんかちょっと煽られたみたいでムカついた。ので、反撃してみる。
「で、瀬良さん」
「ん?」
「あなた、私を殺したいんですよね?どうせ」
「うん。そーだね」
私は幾度も人に殺意を向けられて僻まれてきた。だからなんとなくわかる。瀬良さんの大きな瞳の眼光や、薄い唇から発せられる言葉は、一つ一つ丁寧に殺意を込められていた。綺麗な顔立ちをしていても、彼の裏にある暗い情感が透けて見える。
「ゆあを殺してなんになるんですか?」
「…」
「『エラ』が目的で?」
瀬良さんは黙って、動揺を一切見せない。それがただ、動揺を表に出していないだけなのか、それとも本当に動揺していないのか、彼の横顔からは見当も付かなかった。
「一先ず、どーしましょうか。私はいつでも魔法使えるし、不死のイノリも効いてるので、殺し合いには分が悪いと思いますけど」
「そうなんだよね」
「まぁ、今だけは殺しません。瀬良さんを殺したら、みゆちゃんから嫌われそうだし!」
「もう嫌われてると思うけど」
「うっさいです」
瀬良さんに向かって、さっき畳んだグミのゴミを投げた。なんか結局、負けてるような気がする。
*
瀬良さんがガラケーを弄り始めた。おそらく、私が話したことを仲間のアズマさんに共有している。
「…んー。アズマさんにみゆちゃんのこと任せるんじゃなかった」
「ねー」
昨晩、私は私として復活した後、アズマさんにみゆちゃんの回収を頼んだ。使徒の皆はここ数日間、墓の調査をしていたみたいだったし、アズマさんは使徒として信頼がある方だった。
けど、瀬良さんとアズマさんは繋がっていたらしい。さっき、瀬良さん自らが明かした。そうなるとアズマさんがみゆちゃんに何をするか、わかんない。
だから、こうして懇切丁寧に説明をして、みゆちゃんが私と同じ規格外の最強魔法少女であると警告した。
みゆちゃんが私の力の半分を得て、どれくらいの魔法を使えるのかは、まだわかんない。私自身、力の半分を失ったことで、魔力がかなり落ちている気がする。一先ず、さっきの説明が抑止力になって、アズマさんがみゆちゃんを安全に地上まで導いてくれればいいと思った。瀬良さんをこうやって家まで連れ回したのは正解だったかも。瀬良さんの方が監視するべき人物に思える。
とりあえず、なんとか瀬良さんとアズマさんに邪魔されないように、みゆちゃんに会いたい。
「早く僕たちも墓行かない?」
瀬良さんが、ガラケーを仕舞ってから言う。
「今、準備してるんですー!」
「あっそ。じゃあこれ、カラコンと書写の筆貰ってくから」
「えー、やっぱさいあくです!瀬良さんって!」
私は部屋の隅に落ちていた黒い服を掴んで、背中の片翼に食べさせた。ポップンの口がもぐもぐと、黒いアウターを咀嚼していく。
数日前、私がみゆちゃんのフリをしていたときに着ていた黒のショートパンツやブルゾンを墓に持っていくことにした。みゆちゃんに会ったら、服を渡してあげる。
(Fragment)
xx書店横浜店
2018/2/12(月)12:12
-領収書-
マホウショウジョトイウイキカタ ¥1212
:
合計 ¥1212
お預かり ¥1212
お釣り ¥0
(10)
家電量販店を抜けて、夜の湖畔を抜けて、知らない大学のキャンパスを抜けて、今は大きいホームセンターのベッド売り場を歩いていた。別に階層を上っていっている気はしないけど、今は第二層辺りを歩いているらしい。
スリッパを履いている私の足は、めっちゃボロボロ。一方、アズマさんは一切疲れを見せていない。ヒールで床を蹴る音が、規則正しいリズムを刻んでいた。
「ベッドあるし、休んでいこっか」
「…うん」
ベッド売り場には、まるで1LDKの家を切り取ったかのような空間があった。灰色のカーペットが床に敷かれていて、木製のローテーブルやベッド、テレビまでもが設置されている。ローテーブルの上には、ノートパソコンが蓋を閉じて置かれていた。
私はスリッパを脱いで、木の匂いがするシーツに潜り込む。アズマさんは私が寝転んだ逆側に周って、腰を下ろした。
「アズマさん」
「ん?なに?」
「なんで、アズマさんたちは七海を…狙ってるんです?」
ここに来るまでの道すがら、アズマさんは、瀬良さんと手を組んでいることや、自分たちの目的について話してくれた。七海が私に何をしたのかとか、正直よくわからなかったし混乱していたから、その時は彼女の話を掘り下げないでいたけど、今はちょっと頭も冴えてきている。アズマさんのことをもっと知りたかった。
「瀬良が本当はどう思ってるかとかは、正直知らない。私と彼が会ったのは、この前の駐車場が初めてだったし、ただ利害の一致で組んでるってだけ。だから、私の話だけになるけどいい?」
「うん」
私はアズマさんの方へ寝返りを打つ。彼女もそれに気がついたようで、靴を脱いでからベッドの上に脚を上げた。彼女は、枕元にあるちょっとした棚に背を預けながら、脚だけをシーツの下に入れる。
寝転んだ私の頭の横に、アズマさんが座り込んでいるような形になった。近くに彼女の体温を感じるような気がして、また微睡む。重い瞼で彼女と目を合わせて、話を促した。
「私の目的は…」
アズマさんの心地いい声が鼓膜を揺らす。
「この価値観をブッ壊すこと」
「え?」
アズマさんは柔らかく口の端を上げた。
「私は、この魔法少女が蔓延る、社会が心底嫌い」
私は口を噤む。少しアズマさんの雰囲気が変わったような気がするけど、黙って話を聞いた。理解ができなくても、少しでも彼女の事を知った気になりたい。
「未結ちゃん、知ってる?ほとんどの魔法少女はイノリを目指すより、顔面偏差値を上げることを目的にする。イノリの発動を目指すのは、私たち使徒みたいな頭のおかしい連中だけ」
アズマさんは溜息混じりに続ける。
「つまり、ほとんどの魔法少女が、もっとかわいくなろうとするために人を殺している。人殺しの是非はさておき、自分が自分をすきでいられるように努力をすること、そういう自己研鑽は真っ当なことだと思う」
彼女のあばら骨が一度だけ大きく膨らんで、また萎み始めた。
「けど、時代が進むにつれて、その研鑽の結果だけを見るような馬鹿が現れた。人を見た目だけで判断する馬鹿。これが正しくないことだって、誰にでも一瞬で理解できる。私たちは、そんな馬鹿ではないはずだった」
アズマさんは郷愁に耽っているかのような口調で続ける。
「でも、そういう価値観を否定した先の今、私たちはまた苦しんでる。時代は進んで、技術は進歩していってるのに、なんでこんなに生き辛いままなんだろうね」
また、彼女が目を合わせてきた。反射的に頷くと、語りが再開した。
「私が思うに、それは皆、『人を見た目で判断しない』という前提があるのに、『かわいくて綺麗でなければいけない』という風潮と強迫観念に囚われてるからなんじゃないかなって。例えば、人を顔で判断するのはダメっていってるのに、自分がブスなのは許せない、みたいな。なんか矛盾してるよね」
これは私にも何となく、身に覚えのある話な気がする。
「そうやって、『これは矛盾してるな』って自覚しながらも、それを受け入れたり、周りに馴染むために受け入れざるを得なかったり。…それってとても辛いことだと思う」
アズマさんの声色には、深い同情と慈悲があるような気がしてならなかった。
「こんな強迫観念、こんな風潮、前までは無かった。こんな物が蔓延ってない時代の方が、遥かに幸せだった」
そう言って、アズマさんは口を閉じる。これで終わりらしい。
私も所々、頷きはしたけど、実際、話をあまり理解できている気がしない。言葉の節々に共感できる足掛かりがあっただけで、彼女の言葉の意味まで辿り着けていない気がした。
自分の気持ちはいくらでも口を吐くのに、人の気持ちは理解しようとしない。私の性格の悪辣さを、今ばかりは反省するべきだと思った。アズマさんの話に気の利いた返答をしてみたかった。
アズマさんが枕元の棚の上に飾られていた玩具の骨格標本を手に取る。私にはそれが鳥か魚か、なんの生き物の骨なのか、わからない。彼女は骨格標本を持ったまま、ベッドから立ち上がって、ローテーブルの方へ歩いた。そしてカーペットの上に腰を下ろして、机上のノートパソコンの蓋を上げる。当然、ノートパソコンの画面は暗転したままで、電源がついていない。
「未結ちゃん。見てて」
「…え?はい」
彼女はノートパソコンを持ち上げて、骨格標本と共に放り投げた。
「パチン」
アズマさんが指を鳴らす。数秒後に鳴り響くはずだった鈍い音は、アズマさんの魔法に掻き消された。さっきまで形を保っていたパソコンと骨格標本が、灰のような細かな粒子となって、カーペットに降り積もっていく。物を灰に変えるような強力な魔法を打ったらしい。
「昔の方が良かったとか、今は生きづらいとか、口にするのは簡単で、そんな言葉に意味が生まれないのは誰だって知ってる。だから私は魔法少女として力をつけて、今ここに居る」
アズマさんはまた枕元に戻ってきた。
「未結ちゃんは、『エラ』って呼ばれてる時を操る魔法少女、知ってる?」
「なんか…聞いたことはあるかもです」
七海が何処かで話していたような気がする。どうもあのときの記憶は曖昧模糊としていて、ちゃんと思い出せなかった。
「エラは、ある時には『時を率いる白の星』とか、ある時には『時を貪る灰色の化物』だったり、いろんな噂をされてる。そして、彼女は恐らく、シチミユアをも凌ぐ魔法少女」
「そうなんですか?」
「うん。シチミユアも知らない何か強大な力が確実にそこに存在している。そして、エラを呼び出すには恐らく、シチミユアを殺さないといけない」
啞然とする。アズマさんが七海を狙っているのは知っていたけど、彼女がそこまで深い執念を持っていることは、知らなかった。
「エラなら時代を、時を変えて、時代を塗り替えられるって、私は信じてる」
そう言ってアズマさんが、私の被っていたシーツを除ける。私をベッドに打ち付けていた重石が一気に無くなって、解放感と肌寒さが手足を襲った。
「アズマさん…?」
思わず声を震わせる。嫌な予感がした。
「あのさ、私が未結ちゃんのことを殺そうとしたら、未結ちゃんは私のこと殺す?」
「ん…え?私は、私は…殺」
殺すとか殺さないとか、久しぶりにその言葉を出力しようとしたとき、私の脳は、やっと回り始めた。そういえば、私がこれからどうするべきなのか、考えなきゃいけない。
「…えっと」
私は七海に勝手にいろんなことをされたけど、それに対して嫌悪感は抱けなかった。私が七海に死ねって言ったことが、たぶん全ての始まりだから。私が考えなきゃいけないことを考えてるだけ。七海が私を巻き込んだというより、七海が私に考える場所を作っているんだと思った。もう、人を恨んだり魔法少女と戦ったりすることにも疲れてきたのも確かだった。
私は陽葵と生きなきゃいけないって思った。あの場所に本当の私が居ても同じ判断をしたと、なんとなく思う。
私は正直、全てがよくわからなくなった。そもそも、人の気持ちを考えるのは無理だったし、なにが正しいかとかも考えるだけで嫌になってくる。
けど、七海が泣いてたのは確か。まずは七海に謝らないといけないと思う。それは変わらない。もちろん、それでどうにかなるとは思ってない。けど最強の魔法少女の七海と話せれば、アズマさんの目的?も達成できるかも。
とりあえずアズマさんとは離れたくない。墓は広いし、知らない場所だから独りになりたくない。アズマさんと墓の外に出て、七海に会いに行く。今はそれだけ。
「私なにがあっても、アズマさんのこと殺しません。絶対」
「そっか。ありがとう」
アズマさんが、ベッドに寝転んでいた私の身体に馬乗りになってきた。彼女の全体重を、私の棒のようになった脚が受け止める。
「えっ…アズマさん?」
アズマさんに腕を掴まれた。力を失った私の腕は、アズマさんによってベッドに沈められる。
「あのね…」
アズマさんが覆い被さってきた。赤い髪の毛が、私の頬に擦れてくる。くすぐったかったけど、その髪を振り払うことすら許されなかった。胸が、爆発しそうになる。
「未結ちゃん」
アズマさんの顔が鼻先で停止した。彼女は七海と全く同じ顔立ちをしてはいたけど、シェーディング、ハイライトの入れ方、アイラインの色や主張の薄さが、七海の顔とは、まるで違う。こうして、こんな状況なのにも関わらず、私は彼女の一挙手に視線を吸い込まれてしまっている。彼女の喉の僅かな筋肉の動きに魅入られた。
「今から私は未結ちゃんのことを殺そうとするから、未結ちゃんは私を殺さないように抵抗して」
「…は?は?」
こわい。
「え、なにがッ」
アズマさんの指が私の首に添えられる。一瞬で骨が軋んで、喉元の血が止まった。
(XVIII)
「姫、準備できた?」
「はい!あ、まって」
白いベッドに放られている壊れたスマホを見つけた。二つに折れた液晶を撫でる。すると、ひび割れが一瞬で修復された。新品同様になった最新機種のスマホは、あと十二パーセントだけバッテリーを残している。
「…」
とりあえず、みなとみらいで生き残った二人の使徒を墓に向かわせて、アズマさんの殺害を命じた。その上、アズマさんを殺したら使徒として認めるという情報も流した。これで数時間後には、数百人くらいの魔法少女が墓に向かうと思う。アズマさんを殺せれば、安全にみゆちゃんと合流できるはず。
「ポップン、おたべ?」
スマホをポップンに食わせる。
そういえば、瀬良さんから貰った赤いスマホがどっかいっちゃった。みゆちゃんのポップンが持ってるのかもしれない。
「瀬良さん、準備できました!」
「はい。墓まで転移とかできないの?」
「できます!最強なので!」
「不士霊園?」
「はい。一応飛べるのは霊園の入り口らへんです。そこからは徒歩」
「あ、コンビニ寄っていい?」
「はーい!」
私は壁に凭れる瀬良さんを避けて、寝室のドアノブに手を掛けた。たぶん忘れ物はないと思う。家の鍵は結局無かったから、鍵開けてかないと…。
「えっ、ちょっと待って」
ドアノブを下げた私の手が、瀬良さんの、指が欠けた左手に掴まれる。
「…なに?」
「コンビニまで転移できないの?」
「まじでうっさいですね!できません!歩いていきます」
「はァ~?じゃあさ、背中に乗るから飛んでくんない?」
「タックス込みで十二万です」
「マジでか!?!?!?!?!?!?」
結局、私と瀬良さんは、仲良くお手手を繋いで最寄りのコンビニまで歩いた。
魔法少女のドレスの衣擦れが何処か懐かしい。翼は片方欠けていて、左の片翼だけだけど、これはこれでかわいかった。
見覚えのある通りを、改めて眺めてみる。私の身体とみゆちゃんの身体で見える世界は、少しずつ違っていた。
腰くらいの高さのガードレール。前髪の隙間から覗く信号機。街路樹の下に折り重なった枯れ葉と空のビニール袋。
魔法生物には、魔法少女の意識の欠片が蓄積されている。薄っぺらいこの僅かな情感も、みゆちゃんと分かち合えたと思うと悪くはない気がした。
「おまたせっ。結愛ちゃん、待った?」
「ん?はい」
「待った?って訊いてんの」
「うん。うざ」
コンビニ前の入り口辺り、スマホを弄って時間を潰していた私は、顔を覗いてきた瀬良さんを睨んでから、再び道なりへ足を向けた。
今、入れ替わりで、コンビニへ入っていこうとしている少年が、私たちを見て明らかに動揺している。魔法のドレスとスーツ姿の私たちは、街並みから相当浮いていた。
瀬良さんはコンビニで煙草を買っていたらしい。彼が、カーキグリーンのスーツのポケットに、鳥の絵が描かれた煙草の箱を仕舞っている様を横目で捉えた。そんな彼は、私を待たせていたという感慨も無さそうに言う。
「てかさー、今行っても意味無くね?東たちが出てくるの一日後とかでしょ?」
「ん!そうえばそーですね」
確かに、今ここから転移魔法で墓へ行っても、またあっちで待つことになりそう。
「どうする?」
「…じゃあ、瀬良さん!」
「ん?」
「旅行いこ!デート!」
「死ね」
(Fragment)
二〇一二年十二月十二日
「東京都墨田区スカイツリー周辺にて、十人以上の女性が突如、行方不明になる事件が発生。警視庁は事件当日から約一年間、被害にあったと思われる女性らの捜索及び身辺調査を行ったが、情報が錯綜し難航。これにより加害者はおろか、正確な被害者数すら不明なまま未解決事件となった。事件に対するあまりの情報不足や不可解な印象から、インターネットやマスメディア上では(中略)
同日、SNS上にてスカイツリー近辺、押上駅構内で挙動不審な女性を目撃したとされる情報が数多く投稿されている。女性は所謂ゴシック風な衣服を着用しており、背中に翼のような物が生え…」
私と瀬良さんは、静岡県のよくわかんないけど高級そうな旅館に来ていた。広い和室の中央に置かれた木製の長机に、よくわかんないけど高級そうな料理が並んでいる。
ふと、窓の方を眺めると、さっきまで浸かっていた大きな露天風呂が、湯気を立ち昇らせていた。その向こうにある陽が落ちた山間には、濃紺の木々が葉を広げている。紅葉はもう疎らではあったけど、それはそれで綺麗だった。
向かいの席に座る瀬良さんは、よくわかんない草を黙々と食べている。彼は私が今着ている物と同じ、紺色の浴衣を着ていた。瀬良さんの右袖は未だに萎んでいる。彼は帯の結び方を知らないのか、浴衣の襟元がぐしゃぐしゃだった。
「私、人と二人っきりでこーゆーとこきたの初めて!です!」
「へぇ」
「ねぇ、瀬良さん。これ、食べる?」
「うん」
私はよくわかんない魚を箸で摘まんで、身を乗り出しながら瀬良さんの口元へ運び入れる。彼の薄い唇に、脂身の乗った白身魚が吸い込まれていった。この人いつもなんか食べてる気がする。
「魚嫌いなの?」
「うーん。嫌いじゃないですけど、好きでもないです。瀬良さんは好き?」
「魚は好き。お前が嫌い」
私は箸を茶碗の縁に置いた。クリップで一つに纏めていたピンクの後ろ髪を解いて、手で梳いてみる。家から持ってきた使い切りのシャンプーの香りが、指の間を抜けた。途端に旅行気分が霧散する。
「別に気にしてないんですけど、ゆあ、そんなに嫌われるようなことしました?」
「は?魔法少女をつくったの、君でしょ」
「それはそーですけど、この世界に足を突っ込んで来たのは瀬良さんですよね?自分から突っ込んできた癖に被害者面?結局、私を殺して何がしたいの?」
「お前を殺すのは過程。最終的には魔法少女をこの世から全て消す。それが目的」
「組織のために?」
「それだけじゃない」
瀬良さんは喋りながらも、器用に箸を動かし続けている。小指と薬指を失くした左手が、世話しなく口元へ運ばれていた。彼は綺麗に掠れた声で続ける。
「魔法少女が、害だから」
「害?」
「どう考えたって他人を殺すこと、殺意を向けること、それが正当化される訳がない。そもそも、死が成り立たせる絶対的な大義なんて無い」
瀬良さんは、誰にでも言えるような、お弁茶羅をつらつらと並べた。並べ続けた。
「ただ、無意識に殺意を向けてしまうことはあると思う。人間、人に害意を向ける構造になっている節もある。けど、それが許容されるようになった現状は悪だろ」
瀬良さんはアッシュグレーの前髪の隙間から、鋭利な眼光で私を睨んで言う。
「なんで自分の性格が終わってるのを言い訳に、善い人であることを棄てれるんだよ」
瀬良さんは、そう言って箸を置いた。湯吞みに注がれた水が、彼の声に少しの潤いを与える。
「要は、問題なのは、簡単に殺意を出力できるようになっていること」
「それが魔法ですか?」
「魔法少女そのものが、そういう道具。魔法少女を消す。お前らが持ってる価値観なんて何の意味もない」
私は、瀬良の顔を見つめてみた。彼はずっと、一寸の揺らぎも見せない。とりあえず煽ってみる!
「じゃあ瀬良さんは、人を殺すのが駄目って言いながら魔法少女を殺すの?矛盾してないですか?」
「は?魔法少女なんてただの死体だろ」
「…」
そこで夜風が窓硝子に吹きすさぶ。私たちの間に続く沈黙を、唯一騒ぎ立てたのが風音だった。
「瀬良さん」
「ん?」
「私も、あなたも、何も理解できないんです」
私は、みゆちゃんとフロートの上で話した事を思い出して、続ける。
「知ってますか?ほとんどの魔法少女は顔面偏差値の上昇、容姿をより良くしようと頑張ってます。みんな辛いんです。毎日生きてるだけで自己肯定感が削られていく」
私が一番知っている。そういう人を五万と見てきた。
「でも、結局この世界は、圧倒的に価値がある人だけが幸せになれます。例えばそれは、私や瀬良さんみたいな元々顔が綺麗な人。そういう人がどうしても得をするのが現実」
現に私は、あらゆる物事において、何一つ困らない生活を送ることができている。こうして高級な旅館に来れている金銭的余裕も、そうだった。
「思想とか価値観とか社会とか間違ってるとか正しいとか、関係ないんです。みんな現実をみてるだけ」
私は最後、吐き捨てる。
「私はその渦中を受け入れるって決めた。意味ないんで踏み荒らさないでほしいです」
そこで、瀬良さんが頬杖をついた。紺色の浴衣の裾には、紅いネイルが見え隠れしている。不敵に笑っているでもない、虚を突かれている訳でもない彼に、私は立て続けに浴びせる。
「そもそも、あなたは嘘ばっかり。嘘つき。正義じゃない。私は知ってます。貴方の…」
言うならここしかない。嫌味なく、かわいく告げた。
「『他人の意識を操る』イノリについて」
正直、推測だけど、どう考えてもそうだと思う。私は誰より魔法少女に詳しい。
「どうせ、瀬良さんのイノリは『他人に男性だと認識される』とか、そういう系ですよね?」
私は間を置かずに続ける。
「たぶん戸籍諸々も男性なんでしょう。魔法少女の力は使えるからいいとこどりみたいな感じ?顔面偏差値も見えないし、不意打ち向きなのかな。情報収集には向いてそう。それにしては半端ですけど。ね?」
わざとらしい完璧きゃわきゅるスマイルを作ってみせた。
「警察っていうのも嘘。瀬良さんが所属しているのは、魔法少女による魔法少女を殺すための対策組織。もう、ほんとは目的も嘘なんでしょ?」
これだけ言っても、瀬良さんは微動だにしない。だから拍車掛かる。
「貴方は、正しくないから~とかテキトーなこと言って、その実、自分の思い通りに物事を捻じ曲げたいだけ。楽しいですよね?総意面して好き勝手言うの。わかります!」
一旦、区切って、今度は心底から嘲った。
「半端なイノリを纏って、正義の代弁者気分、気持ちいいね?」
瀬良さんが食卓の上に立つ。空いた皿を素足で蹴散らして、私を見下してきた。そして彼は、この距離ですら聞こえないほどの小さな声で口籠る。
途端に彼の紺色の浴衣が形を失って、どす黒く染まっていった。彼のネイルのように艶やかな紅でもない。屋上から見える空のような澄み切った青でもない。煤に塗れて、塵芥に溺れて、色とすら呼べなくなってしまったような鈍色が、瀬良さんの白い胸板を上塗りしていく。
鈍色のドレスを纏った瀬良さんが言った。
「これ、食ってもいい?」
彼は憶えのある、身の毛もよだつような不快な声でが鳴る。彼の細く長い首筋には、まるで黒鉄の首輪のような物が巻き付いていた。
「どーぞ」
私がそう言うと、激しい轢音と共に、彼の左肩に漆黒の蜥蜴の尾のような物が形成されていく。尾の先端は机上を這って、置いてあった料理を全て吸い込んでいった。
しばらして、のた打つかの如く動き回っていた尾が動きを止める。黒い蜥蜴の尾は、みるみる人間の腕へ変容していった。
「数日ぶりですね!」
みゆちゃんが初めて魔法少女になった夜。あのときの、鈍色の魔法少女が目の前に立っていた。
彼は机上から私の横へ降りて、畳を踏みしめる。流れるように、私は彼の両手に肩を掴まれて押し倒された。
「…」
「瀬良さん」
私は低い机と横に並んで、寝転んでいるような体勢になっている。その上に瀬良さんが覆い被っていた。
私の髪の毛が、背中の間で畳と擦れて、ジャリジャリと不快な音を立てている。一方で、瀬良さんのグレーの髪は、カーテンみたく垂れ下がって、私の視界と周りの景色とを遮断している。
彼の顔が鼻先にあった。心音が漏れ聞こえそうな程、私たちは接近している。
瀬良さんが生え変わった右手で、私の手首を掴んできた。彼の紅いネイルが手首に食い込む。
「なんですか?」
「…」
「イノリ使い終わってるし、雑魚魔法しか使えないのに、勝てるって思ってます?」
瀬良さんの瞳孔は静止していた。その落ち着いた瞳の横で、左耳の銀のインダストリアルが煌めいている。
「瀬良さん、殺すよ?」
脅してみた。それでも瀬良さんは動揺しない。機械か何か別の生き物と接しているみたいだった。
「結愛ちゃん」
不快な声が耳を劈く。
「なに?」
瀬良さんが、私の浴衣の襟元に右手を翳してきた。そのまま五指を首筋へ滑らせてくる。彼の滑らかな指の腹が、私の首の肌の上で遊んだ。
「どう?」
瀬良さんが少しばかりの力で、喉を圧してくる。
「くるしい」
私がそう言うと彼は更に力を強めた。首が軋む。
「ねぇ、い…つまでやんの?瀬良さ…」
そう言うと、瀬良さんは更に顔を近づけてきた。私の耳元で、彼は妖艶に囁く。
「首、落ち続けろ」
(Fragment)
尾後朝羊著「魔法少女」(一九一二年)より
「己は、初めは眼を潰されたのだと思った。違う。瞼を屡叩せて辺りを見る。ほどなくして、それが何であるのかを悟った。己が魔法少女を見たのは、これが最初で最後だった。」
(肆)
片田舎の運転免許センターの一室。部屋の壁紙は至る所が剝げていて、机も傷だらけだった。天井に吊るされた古びた蛍光灯は、隅に虫が溜まっていて、鬱陶しいほどジリジリと音を鳴らしている。その音は、早く家に帰りたいという心持ちを更に急かした。
「有り得ないよなァ?瀬良さん」
年増の男性教官にブチギレられている。
「自分でも無いなって思います」
「だよなァ。車ぶち壊して、教員が怪我して病院送りなんて聞いたことねぇよ」
「自分もです」
「で、なに?警察?なれる訳ねぇよなぁって」
「はい。がんばります」
「いや、免許無かったらなれねぇっつってんだよ」
「え?いってました?」
「帰ろっかァ」
昔からどうも物持ちが悪い。というより、物ブチ壊し癖が抜けない。携帯電話の機種変更をしてみても、ショップを出て数分後に画面が砕けたり、今回のブチギレられもそうだった。筆記試験を如何に満点ですり抜けようとも、実施になれば車を大破させる。試験を受けたのは、これで三回目だったけど、毎回、例に漏れずそんな体たらくだった。
自分自身、そういう性分に慣れてきてもいる。これまで幾千万の大人に阿保ほどキレられては、とても面白い謝罪ですり抜けてきた。省みてない分、普通の人間よりしっかり質が悪い。
免許センターの建物を出ると、もう夕陽が落ちかかっていた。山並みが深い紺色の影を落として、空が橙色の帯を纏っている。初冬の田舎街は、言い表せない侘しさに包まれていた。
灰色のトレンチコートのポケットから、黒いガラケーを取り出す。スマホは液晶がすぐ破壊されるので使っていない。
親指の爪を携帯の側面滑らせながら画面を開いた。着信履歴を確認する。不在が一件だけ入っていた。番号的に義母さま。すぐに折り返してみる。しかし繋がらない。もう少ししてから掛け直そう。
義母の家には、六歳かそこらのときに引き取られた。当時のことはあまり憶えていないし、思い出したくもないけど、実の母がよく分からない怪事件に巻き込まれて亡くなって、その償いのような形で義母が家に引き取ってくれたらしい。
元々女手一つで成った家から、更に女手一つで成った家へ移った。そういうくじ運なのかもしれない。
それでも、義母は自分に沢山の愛情を注いでくれた。
お正月はPS2を引っ張り出して、一緒に桃鉄とぼくなつ2をやった。春先は毎年デカいマグロを捌いてケーキをつくってくれる。夏は二人とも嫌いだったから爆破して、秋は近所のスーパーに売ってるスイーツを片っ端から食い荒らした。
義母の職業は警察らしいけど、ドラマでみる警官や、交番に駐留している警官とは何かが違った。義母はいつも、ラフでいてスタイリッシュなカーキグリーンのスーツを羽織って、仕事場へ向かう。平日は、ほとんど夜中の内に家を出て、朝方に帰ってきた。
それでも容姿は衰えないし、顔に皺は一つも浮かんでいなかった。彼女の正確な歳は知らない。たぶん、めっちゃ食ってるから阿保ほど元気なんだと思う。
そのシャンと伸ばした高い背と、俳優のようなハッキリとした顔に付した深紅のリップは、いつにも衰えない彼女の勇猛さを表している。
そんな義母の義母なりの強さに憧れた。その結果が、研修用の車の大破。義母に向けられる顔など残っていなかった。
時折、思い出す。
『お前はお前の道を生きるんだよ。誰の邪魔もせず、誰にも邪魔させず』
義母がいつだかに言ってくれた言葉だ。憧れた義母は確かにそういう人だった。
だから、生きることを止めないし、夢を諦めたくない。
*
家の最寄り駅に着いたのは、夜十時五分。途中のターミナル駅で降りて、夕飯を食べたり、デパコスを豚のように嗅ぎ回っていたら、こんな時間になってしまった。連絡を折り返すのも忘れていたし、たぶん義母さまにキレられる。ポケットから切符を出して改札を抜けた。駅を出て、国道に歩を進める。
国道沿いの街並みは専ら肌寒い。薄暗い夜道の中、マクドナルドの看板だけが煌々と照っていた。真横の車道をトラックが通り去って、白いガードレールを揺らしていく。あまりの静寂に、逆側の歩道沿いにあるスナックの音漏れすら聞こえた。思い切り息を吸い込むと、冬の草葉とガソリンの匂いがする。
赤信号で止まった。誰も居なくたって止まる。
「ん?」
何処か遠くで、壊れたギターを爪弾いたような異音がした。あれはたぶん家の方角。異音は、山並みに響く鳥の声のように、ビルと建物に反響を続けた。
勘がざわついて、何か嫌な予感がしてくる。
信号が青に変わった瞬間、クラウチングスタートを切って走り始めた。
体力はない。息が切れる。家はこの突き当りを曲がった先、アパート三階の角部屋。肺が焼ける。オレンジのカーブミラーを追い越して。向かい風が目に染みる。すれ違う四人組の見知らぬ少女。グレーの前髪が裂ける。階段を駆け上がって。黒いドアの向こう。家具の少ない我が家。
「誰?」
「え、びっくりした…まだ居るんだけど」
「義母は?」
「ん?あ、子持ちだったのか。ベランダにいるけど」
「邪魔」
「いや、待って。いま食ってんだって」
部屋中がパッと明るくなる。右腕が吹き飛ばされた。
「てか、マジか。顔偏クソ高けぇ。これでピッタだ。ラッキー」
目が眩む。今度は左脚が吹っ飛んだ。這い擦ってベランダへ。
グチャグチャとガムを食むような音。
その向こう。
ボロボロになった義母。
「ねぇ、な…にしてんの」
返事は無い。けど、胸板は上下している。息がある。
「いや、それこっちのセリフね」
義母の白い顔を閃光が照らす。脇腹に穴ぽこ。痛くない。痛くない。
「イ…リは」
「え?なに…」
母の右脚から、人の手のような赤い肉塊が伸びている。やがて肉塊が、さっき開いた脇腹の穴に添えられた。
「お…ガッ」
苦しい。母に血を吐きたくない。奥歯を食いしばる。瞼を閉じる。
「と…わ」
「ママ」
「うーん。もういいや!ガキから食うか!」
閃光に包まれる。
首と胴体が別れた。
耳鳴りがする。
回転する自分の頭が見えた。
あっ、死んだ。マ…。
『私の全部を十環に託す』
「…守ってやって。ずっと」
ドロドロとした液体が、私の胴と首を繋ぎ留める。
瞼の裏に残った母の顔を跳ね除けるように、僕は目を開いた。
(Fragment)
【名】瀬良和泉
【出生日】昭和xx年二月二日
:
【魔法少女化推定日】平成xx年七月五日
【死亡日】令和x年一月十二日
:
【備考】瀬良和泉の養子、瀬良十環は、瀬良和泉の死亡日に魔法少女化している。瀬良十環の持つ魔法生物は、その際に瀬良和泉から継承されたものである。
※『継承』とは、人間から魔法少女へ、もしくは魔法少女から魔法少女へ、魔力や魔法生物を引き継ぐ行為。継承する側の魔法少女が、瀕死である場合のみ行うことができる。
また同日、瀬良十環は自身の『他者の認識を書き換える』イノリを発動した。
(11)
痛くて苦しい。アズマさんが両手で思い切り、私の喉を潰そうとしている。
「あッざ」
抵抗しようにも、彼女のことは殺したくない。
四肢が、ベッドの上で暴れ回っている中、突然、右の肩甲骨辺りから、勝手に純白の片翼が生えてくる。まるでベッドの上で、鳥が絞められているみたいな有り様になった。
首周りの感覚が無くなってくる。息ができなくて頭に血が回らくなってきた。下瞼の隙間から空気が抜ける。眼球が乾いた。
「このままだと普通に死んじゃうよ。未結ちゃんの身体、不死のイノリが効いてないから」
不死?不死。
不死になれば。不死になれ…。イノリを。
「死にたくない。もう殺さない」
「かっ…お」
吐くものはあまり残っていない。ベッドの上で身体を起こして、なんとかぶち撒けるのを堪えた。
「水。飲んで」
私はアズマさんから水を受け取って、口まで上がって来たもの全部を押し戻す。肺に痛みが奔るまで、息を吸っては吐いてを繰り返してした。目の奥が熱い。ベッドが水のように硬度を失って、ぐわんぐわんになっているような気がした。
「い」
いつの間にか目の端に涙が溜まっている。やがて涙は眼窩を過ぎて、唇に沿ってから口内に流れ込んできた。
「未結ちゃん」
また、アズマさんが抱きついてくる。彼女は、私の右の肩甲骨から生えた片翼に、腕を回してくきた。
「や」
私はアズマさんを跳ね除けようとする。けど、そんな力は残っていない。私は成す術なしに彼女の腕に抱かれ続けた。
「ごめんね」
涙を流すのに必死で、受け答えができない。それでも、アズマさんが落ち着いた声を出ながら、耳元で囁き続けてくる。
「未結ちゃんが私のこと信じられなくなってもいい。けど、私には未結ちゃんしかいないの」
アズマさんは更に強く私に抱き着いた。彼女は頭を私の肩に擦り付けてくる。
「未結ちゃんを守るために必要だった。不死のイノリ、頑張って使えたね。イノリは使う時にちゃんと強く願わないと、中途半端になっちゃう。だから、首を絞めた」
「…」
「未結ちゃんはもうこれ以上、誰にも傷つけさせない。だから私がやるしかなかった。ごめんね。もうしない」
咳込んだ。大きく揺れる私の身体がアズマさんに抑えつけられる。
「せめて、ちゃんと外まで連れていくから。それまで一緒に居させてくれる?」
胸やけをしているような感覚が、身体中から消えなかった。苦しいし、なんか浮遊感もある。身体は芯から凍り付こうとしているのに、アズマさんの腕がそれを許さない。体温が強制的に底上げされて、呼吸を急かされる。左脳の重みが無い。右脳にだけ血が巡っている気がした。右の頭蓋骨の内側の筒が蓋を開いて、中に温かい砂がさらさらと入り込んできてるみたい。
「…」
アズマさんが居なくなったらと思うと、私はとてもこわい。ずっとベッドで疼くまっているしかないと思う。独りは一番こわい。結局、七海に会えない。謝れない。私は私が嫌になって、お腹を細切れにする。嫌だと思った。
「…アズ、アズマさん、もうしない」
「うん。絶対」
咳。
「未結ちゃん」
「あずまさんいっしょに」
「うん。ずっといっしょ」
*
いつになっても翼が仕舞えなかった。病衣の背中に穴が開いている。片翼を引っ提げたまま、ベッド売り場を後にして、上層を目指して歩いた。
もしかしたら、ベッドでちょっと寝てからだったかもしれない。よくわからないけど、アズマさんの手をずっと離さないように握っていたことだけは憶えてる。途切れない彼女の体温が、ぐるぐる回る思考を落ち着かせてくれるから。
気がつくと、私たちは見覚えのない閑静な住宅街を歩いていた。朝靄が掛かった冷たい空気が翼を刺す。
「あっ、見て」
アズマさんが空を指差した。彼女の黒い爪の先の空には、白い飛行機が飛んでいる。ここから見ると粒のような大きさしかない飛行機は、広い青空を平行に横切っていた。
「ひこうき?」
「うん。もう少し歩くと空港があって、そこを抜けたら外に出られる。頑張れそう?」
「がんばる」
それからだいたい三十分くらい歩いて、空港に到着した。風を切るような轟音がさっきよりも近い場所で鳴り響いている。空港に来たのは初めてだったし、墓の構造もわからないし、ここから何処を通れば外へ出られるのかもわからなかった。アズマさんに手を引かれ続ける。
空港入り口付近には、人が乗っていないタクシーが大量に停まっていた。アズマさんの腕に顔を埋めながら、建物の中へ進んで行く。建物内は、案外電車の駅と変わらない。コンビニとかレストランとかお土産屋さんとかいろいろなお店が、大きな通りに沿って立っていた。
アズマさんのヒールが小気味よくタイルを蹴っている。一方、私はよれよれのスリッパでペタペタ歩いた。ちょっと靴擦れが痛い。
「未結ちゃん、止まって」
「…?」
エスカレーターに乗ろうとしていたところで、アズマさんが立ち止まった。彼女に体重を預けていた身体が、一気に引き戻される。
そこで私も気が付いた。目の前で、独りでに稼働するエスカレーターが赤い液体で汚れている。そのエスカレーターの段に沿うように、三つのカラフルな頭が乗っていた。
「アズマさん…」
「うん。二階にたぶん居る。最後の使徒、王路」
「おうじ?」
「ちょっと待ってて。電話する」
アズマさんはそう言ってから、自身の脚に手を翳す。彼女の黒いスキニーパンツに穴を開けながら、赤い肉塊が生えてきた。彼女は、その肉塊からスマホを取り出して、手早く液晶を叩いてから、耳元に添える。それから五分ほど、誰かと連絡を交わしていた。
「うん。王路は来てる。読み通りほぼ全員食ってると思う。…は?チッ。死ね」
彼女はそう言って、通話を終えた後、脚の魔法生物の中にスマホを仕舞い込む。また、優し気な笑顔が私を向いた。
「未結ちゃん。瀬良と結愛ちゃんがこの先で待ってるって、行こっか」
アズマさんは徐に血の付いたエスカレーターに向かって歩き始める。
「…えまって」
私は彼女の袖口を引っ張った。ちゃんと訊く。
「いくの?」
「うん。あ、私たぶん殺されるから」
「え?え?」
「大丈夫。未結ちゃんは絶対に死なない。不死のイノリがあるし、先制で強い魔法打たれても平気」
「ちがう。いきたくないんです」
「うん?なんで?」
「だから!アズマさんが…」
大きい声を出しすぎた。言葉が尻窄みになって続かない。俯いた私に、アズマさんはしゃがみ込んで目線を合わせてくる。目を逸らそうにも、逸らせなかった。
「私は未結ちゃんを信じてるから。未結ちゃんなら絶対できる」
「なにを?」
「私が言ってたこと憶えてる?」
「…いまは生きづらいみたいな」
「そう」
私の身体は、アズマさんの長い腕に抱かれる。耳元で囁かれる言葉が、脳髄に沁みた。
「未結ちゃん、あなたがエラなんでしょ?」
いつもと変わらない優しい口調だった。
(Fragment)
詩-題「異装」-著者不明-二〇〇四年
「はじめっから死体のようだった私は、死体を重ね死体を辞めた。あした、母の墓前にドレスで往くか。」
(伍)
「くるしい」
僕の眼前で、仰向けに横たわるシチミユアが言う。言葉とは裏腹に、彼女の可愛らしい顔は苦悶一つも浮かばせていない。
僕は更に力を込める。彼女の柔い首筋に、鈍色のドレスの袖口から出した指をめり込ませた。
やっとシチミユアの息遣いが少し乱れる。彼女の均整の取れた白い歯の隙間から漏らした吐息は、僕の頬に当たって消えた。
「ねぇ、い…つまでやんの?瀬良さ…」
内心、かなり勢い任せに彼女の首を絞めてしまっている。どの道こうするつもりではあったけど。
「結愛ちゃん」
僕は最上級の憎しみを込めて呟く。
「首、落ち続けろ」
「え?」
ガコッという音共に、シチミユアの首が胴と離れた。瞬間、彼女の細く白い首筋は、真ん中に空洞が開いた只の筒になる。筒の先には彼女の驚嘆した顔がついていた。
喉は、ちょうど真ん中を輪切りにしたように断たれている。頭を失った胴体は、未だに僕の身体の下敷きになっていた。
何の音も立てずに、彼女の首の断面から血が噴出する。シチミユアのピンク色の髪が鮮血に染まった。
僕は羽交い締めにしていた彼女の身体を解放する。ドレスに血をつけたくなかった。
何もない木製の机を踏み越えて、食事中に座っていた座椅子へ腰を下ろす。頬杖をついて、向かいの席で起こる有り様を眺めた。
それから数秒後、未だ横たわっていたシチミの胴体から、木片を踏んだような異音が鳴り響き始める。やがて、頭を失くした胴体が起き上がってきた。首の根元の辺りから赤い繊維のような物が伸び始めている。恐らく、その繊維の先は離れてしまった頭蓋と繋がっているのだろう。
「べちゃ」
シチミユアの首無しの胴体に、離れていた完璧でかわいらしい頭が、再接続された。ここまでは想定内。首を落とした所で、不死の彼女は再生するだろう。
「せ」
シチミユアの小さな口が言葉を発する。
「ガコッ」
彼女が一語を紡ぐ前に、また首と胴が分かたれた。
「ゆ」
再び首が元の位置に収まる。
「ガコッ」
シチミの頭が外れて、机の上にずり落ちた。胴体から落ちた頭に向かって、赤い繊維が伸びていく。
「ら」
再び首が元の位置に収まった。
「ガコッ」
シチミの頭が机の上にずり落ちた。
「ら」
再び首が元の位置に収まった。
「ガコッ」
シチミの頭が机の上にずり落ちた。
「はは」
笑う。
イノリを使って、シチミユアの首を落とし続けることに成功した。ほとんど賭けだったけど、どうやら上手くいったらしい。
テキトーに探りを入れた感じ、彼女は未結ちゃんに魔法生物を分けたことで弱体化している。転移を温存していたりしたのも、それが理由であると察した。
弱体化しているのなら、僕程度のイノリでも原初に一矢報いることができるかもしれない。その自惚れの結果、目論見通り、シチミユアの首が胴体と離れ続けている。
「ガコッ」
義母は死に際、僕に魔法生物を『継承』して、同時に他人の意識を欺くイノリを掛けた。
あの時、魔法少女になってなければ死んでいたと思うし、義母がイノリを掛けてくれなければ、僕が組織にイノリを使用済みであると詐称することもできなかった。元凶に報いるために秘めておいた僕のイノリを、ようやくここで使えたという訳だ。
「み」
「ガコッ」
やはり、僕の中にはシチミユアの言った通り、私怨があったのかもしれない。彼女の有り様が愉快で堪らなかった。
ただ、魔法少女を消したいのは本当。僕は魔法少女に全てを奪われてきたし、自分以外の人にこんな思いをして欲しくないとは思っていた。
「ゆ」
「ガコッ」
首が落ち続けるシチミユアを見て、僕の身体は充足感に浸されている。視界が澄み切って、息が冷たい。
「…」
「ガコッ」
「…お前はお前の道を生きるんだよ。誰の邪魔もせず、誰にも邪魔させず」
独り唱える。化物のような声が和室に響いた。魔法生物が首に居るせいで、喉がイカれてしまっている。
義母に言われたこの言葉のように、僕は正しさを証明し続け…。
「ガコッ」
「…は?」
「ガコッ」
今、一瞬、シチミが嗤っているように見えた。
「ふ」
「ガコッ」
やがてその疑念は確信に変わる。シチミユアは間違いなく、首を落とされながら完璧でかわいらしい笑みを浮かべていた。
(Fragment)
記録上、魔法の存在が初めて確認された事案は、二〇一二年の港区大量行方不明事件である。しかし、それ以前から存在する小説や詩集の文芸作品、近世絵画や地方に土着した伝承までにも、魔法少女の存在を表していると思われる描写が度々確認できる。また、原初の魔法少女と呼ばれている七海結愛の魔法少女化日は、近年のいずれかであると推測できる。
このことから、魔法少女の発生が二〇一二年であるという記録は誤りであると考えられる。
:
memo瀬良十環
魔法少女が使用する魔法には、『時空間を操る四次元的な能力がある』という説が唱えられている。
例えば、組織メンバーがイノリを使用して、名義を変更したという例がある。それを個人的に調べた結果、彼女は初めてからイノリ使用後の偽名で生きていることになっていた。出生届がイノリ使用後の偽名で受理されているし、過去の知人からもその偽名で認知されている。
魔法が時空間を操っているという例を挙げるのならば、魔法境域もそうだ。魔法境域内の崩壊した建物の修復は、時間的な逆戻りのような力が働いている。
魔法やイノリがその場凌ぎで事実を書き換えているとするならば、何処かで歴史的資料の矛盾、認知の歪みが起こりうるかもしれない。
(陸)
「ごめん。まだなんかあるかも」
僕は、下るエレベーターの中、電話越しで東に伝える。首が落ち続けるシチミユアの左手を、生え替わった右手で掴んでいた。
「は?チッ。死ね」
通話が切れる。とりあえず起きた事を全部伝えて、今後の動きも雑に合わせた。
「結愛ちゃーん」
嗤うシチミユアの顔に向かって手を振ってみる。未だに彼女の首は落ちては再生してを繰り返していた。
正直これまで、魔法もイノリも不確定要素が多すぎて、即興で動くしかなかった。東と共有しているのは、『シチミユアを殺すこと』と『結果的にエラを呼び出すこと』だけ。
東が上手くやったらしく、未結ちゃんは東お姉さんに懐柔され切っている。言い成りにまでにはいかないにしても、東がある程度、未結ちゃんの意思を操れるようになってはいるはず。
シチミユアに関してはこの有り様だった。あとは未結ちゃんにシチミユアを解釋でもさせればいいだろう。
そして、ここからはかなり読み通りになった。僕がテキトーにシチミユアを煽てた結果、彼女は大量の魔法少女を墓に送ってくれた。それに釣られて、シチミユアですら手を付けられなかったらしいガチイカレの使徒、王路が墓に来ている。王路に、そこに居る魔法少女を全て食わせれば、数百人分の顔面偏差値を蓄えさせることができるだろう。
そしてこれは今後の動き。最後、王路とシチミユアと同等の力を得た未結ちゃんに殺し合いをさせる。
結果、勝者は絶大な顔面偏差値を蓄えて、完全な原初の力を我が物にした最強の魔法少女になる。そしてそいつが恐らく、時を操る全能の魔法少女エラになる。まぁ、未結ちゃんが百パー勝つだろうけど。
実際、どうなるかはわからない。こんなことでエラが呼び出せるのかも不明。けど東も僕も、これに賭けるしか残ってない。
「ポーン」
エレベーターが停止する。七海結愛之墓内部、[ここに大喜利を挿入]空港第二ターミナル三階、国内線のレストランフロア兼出発ロビーに着いた。
シチミユアの腕を引いて、エレベーターから降りる。ロビー全体が血と焦土のような匂いに塗れていた。
「へんしん」
いつものカーキグリーンのスーツが、鈍色のドレスに変わっていく。オフショルで肩と首元を曝した鈍色ドレスは、冬場だとかなり冷えた。首輪から背中に垂れた鋼鉄の鎖が、うなじと擦れる。背筋が寒気立った。
「へけ」
僕は鎖を掴んで呟く。鎖は熱を発しながら、槍へと姿形を変えた。
とりあえず肩慣らし。エレベーターを降りてすぐ、頭から血を被った魔法少女が居た。オレンジ色のメイドさん。
「えっゆ」
カッと周囲が明るくなる。真っ赤なメイドさん。
昨晩から昼過ぎのチェックアウトまで、旅館で考えていた。
シチミユアの目的について。これは未だに検討が付かない。布団に寝かせてやっても、露天風呂に入れてやっても、首を落とし続けるシチミユアは嗤っていた。
現状、シチミユアを無力化していたとしても、事前にイノリや何やらを仕込まれていたら、僕らは何もできない。何度もイノリを使えるだなんて馬鹿げている。
ただ本来、『魔法』と言われて思い浮かべるのは、そういった自由で超常的な物象だし、恐らく、シチミユアのその馬鹿げた状態こそが、ありのままの魔法少女の形なのだろう。僕らは所詮、廉価版で劣化版に過ぎない。
「あえ?」
手っ取り早く腹に穴を開けてやる。斃れる緑の魔法少女。
シチミユアに関して一つ引っ掛かることがあるとすれば、彼女の両親の死くらいだった。
僕は、山中に捨てられた七海夫婦の遺体を思い出す。頭と脚を失った男性の遺体と、燃やされた上半身と腕だけの女性の遺体。
魔法少女に関連する事件に於いては、情報という物自体が一切機能しない。それは、例えば僕のイノリのように、過去の戸籍情報や人々の記憶の改竄であったり、そういう様々な事実の改変が頻発するからだ。そして、イノリでない通常魔法でも事実の改変は起こり得る。例えば魔法少女による魔法少女殺しでも、殺された側の魔法少女は、テキトーな死因で過去に死んだことになっていたり、そもそもそんな魔法少女が存在しなかったことになっていたり、そういった帳尻合わせの事後処理が魔法で自動に行われる。
つまり、魔法による記憶や情報の改竄は、割と些細な事柄でも起こり得る上、時間的考証が機能しない。
それを加味した上で、僕が吟味している事実があった。
シチミユアの母親は十二年前に病死している。
(Fragment)
二〇一六年一月一二日一六時十二分
今日はお店前にぱくぱくでした!
お肌がベビーになっちゃった。。
五時までです!
(13)
エスカレーターに乗って、二階の出発ロビーへ向かう。生温かい、動く手摺を右手に、アズマさんの柔らかい手を左手で握っていた。振り返ると、さっきまでいた一階のロビーが遥か遠くに見える。
いきたくない。いきたくない。アクション映画をシアターの最前列で観た後みたいに、身体中を倦怠感が支配している。
「…」
アズマさんに行かないでって言えない。嫌われたくない。
「下、血あるから気を付けて」
「あっ、はい」
アズマさんに支えられながら、私は揺れ動くエスカレーターから足を離した。空港の出発ロビーに到着する。
水色と白で構成された清潔感のあるロビーだった。天井が美しいアーチ状の梁に支えられている。向かって左手側には、大きな窓ガラスが一面に貼られていて、その奥には快晴の空と滑走路が広がっていた。滑走路には、ちらほらと大きな飛行機が停まっている。真正面、ロビーの中央には荷物を預ける機械がいくつも並んでいた。
血塗れだったのは、何故かエスカレーター付近だけで、ロビー内には死体どころか血痕一つ無い。それでも陽葵の最後の姿と漂う死臭が、脳裏にフラッシュバックした。
「王路」
静寂に満ちたロビーにアズマさんの声が響く。
「…あずま?」
窓際に置かれていたソファに、寝転がっている少女が居た。彼女はすぐさま身体を起こして、私たちの方に首を傾ける。
「子ども?」
小さな女の子だった。小三とかそのくらい。
「あずまちゃん!」
少女がソファから降りる。
彼女は、形容し難いぐちゃぐちゃなドレスを着ていた。カラフルな絵の具を出したパレットを掻き乱したような色合いをしたロリィタのワンピースが、少女の小さな背丈を包んでいる。所々からアクセントのように、原色に染まった只の布が脈絡もなく飛び出していた。銀色のツインテールが縦ロールを作って、小さな頭の横で揺れている。
「王路、久しぶり」
王路は音もなく瞬間移動していた。彼女は、いつの間にか、アズマさんの鋼鉄の脚に抱きついている。近くで視る王路の横顔は、正に七海を幼くしたような雰囲気を持っていた。
「あずまちゃん」
「うん。今日もかわいいよ」
二人は私なんて見えていないみたいに会話を続ける。私も気がつくと、アズマさんの手を離していた。
「王路、ここに来たやつ全員食べた?」
「はい!でもちょっとにがしちゃった」
「そっか。あのさ、結愛ちゃん来なかった?ブスと来てるはずなんだけど」
「見てない」
「うーん。あ、アイスあるよ。食べよっか」
「食べる!」
二人は私を無視して、ソファの方へ歩き始める。私は縋るように、彼女たちの背中を追った。
ソファに座る二つの背中を、私は後ろから突っ立って眺める。窓の向こうで、快晴の空模様が滑走路を照らしていた。
「王路、スプーンあるよ。はい」
「…かた!うざ!」
ロビー中に幼い少女の怒気に満ちた声が反響する。
「…」
?
「アズ」
アズマさんが居なくなっていた。
「こい」
私は病衣を溶かす。ボロボロのスリッパも、ドロドロと。右の片翼が勝手にバサバサ動く。
「ばぁん」
私は、蝋が滴る黒い前髪を振り乱しながら、王路の後頭部に光球を打ち込んだ。
「お前だれ?」
溶けた後頭部を再生させながら、幼い彼女が振り返る。生え変わり掛けている小さな歯が、瀟洒な唇の間に並んでいた。
「…いけ」
私は後ずさりながら、両手から二発、光を発する球を打ち込む。王路の頬と額が丸く抉れた。
「いったい。強いね」
王路がソファから立ち上がる。顔と頭に開いた三つの穴は、もう塞がっていた。
「ぼんぼわん。おねがいします!」
王路が大声を上げる。彼女のワンピースの裾が膨れ上がっていった。それに連れて彼女の背丈も増していく。
胸中の畏怖が高鳴った。ただ幼女の顔が付いただけの巨躯の化け物を前に、私は。
「ガンッ」
気がつくと、身体が荷物を運搬する機械の上に、吹き飛ばされていた。首と脳みそに衝撃が響く。顎を閉じられなくなった。右肩に金属かガラスか何か硬い物がぶっ刺さっちゃった。痛いのかもしれない。
「えいっ!あれ。消えろ!ん?」
遠くで化け物と化した王路が叫んでいた。天井に頭が付きそうなほど、彼女の身体は肥大化している。まるでウェディングケーキのように何段にも、幾重にも、ドレスの裾が折り重なって、彼女の下半身を覆っていた。裾の下には何本もの巨大な腕がついている。蜘蛛の化け物みたい。
「い」
なんか、もう。アズマさん死んじゃったのかな。わからない。
「うーん。きれて!」
私の右脚が斬られる。最早痛すぎて痛くない。
なんでこんなことしてんのか。斬れた右脚は勝手にくっつく。
「ふ死?」
そうだった。私にアズマさんがかけてくれたイノリ。アズマさん。
「…変形」
私の背中に生えた片翼が、白い大鎌に変形する。それを支えに身体を起こした。地面を蹴っ飛ばす。
「はや!」
とりあえず、王路が下半身に蓄えている大量の脚みたいな腕をいっぱい斬った。ブチブチと音を立てながら、王路はバランスを崩していく。私はゆっくり目を閉じて。
「ポップン、アシスト」
「了解ポプ!」
目を開く。顔面偏差値、久しぶりに見たような気がする。
「なにこれ。数かぞえらんない」
「ざっと、百二十万ポプ」
意味がわからない。
「へん形!」
また王路が叫ぶ。すると、彼女の下半身から生えていた豪腕が次々と溶けていった。
「ねこ。あ、やっぱ犬!」
ロビー中に、犬か猫かよくわからない巨大な怪物が溢れ返る。彼女の魔法生物が変形して、獣のような怪物になったらしい。私は宙に飛び上がって、一旦離れながら様子を伺った。
右手に握った大鎌が冷たい。翼が無いから、スピードは落ちている。みなとみらいのときみたいにやっても、絶対に勝てない。あのときのことは憶えている。
「みゆちゃん、イノリも使えるよ!」
「うん」
「え?泣いてるポ?」
「泣いてない。しゃべんな」
足先、指先が冷えて震えた。動悸が内側せり上がってくる。網膜が焙られているみたいに、痺れて熱くなった。
「銃」
とりあえず、足元に群がる化け物を銀色のサブマシンガンで殺しながら、王路のもとへ飛んだ。王路は向かってくる私に対して、炎魔法で弾幕を張ってくる。めんどくさかったので、防御せずに突っ込んだ。王路の眼前で停止して、焦げた銃口を向ける。
「犬、守って!」
私が引き金を弾いた途端、眼前を覆うように灰色のハイエナのような怪物が現れた。怪物は大きな腹で銃撃を受け止める。王路への銃撃は阻害された。
「…じゃまくさ」
私は呟く。
「バキベキバキベキベキベキ」
突如、建物が崩れるような轟音が辺りに響いた。
「え?犬?」
王路が困惑を漏らす。辺りに湧いていた怪物たちが、まるで上からプレスされたかのように潰れ始めた。ロビーの白い床に、幾つもの血溜まりができる。
ロビー中に薬莢の焦げた香りと、濃い血の匂いが膨らんでいった。不快感を刺激される。私は大きく口を開いて、怨嗟を…。
「王路。し…」
「みゆちゃん!?」
「犬、たべて!」
怪物が、頭から私を呑み込む。鋭い犬歯と粘ついた舌が、私の首元を包んだ。微妙に温かい。それが気持ち悪い。前も何も見えないまま、右手に持った銃を自分へ向けた。軽く引き金を弾く。
「ばばばばばば」
怪物を私の頭ごと銃撃した。私を呑み込んでいた怪物は、頭と顎を失くして床に落ちていく。
「いった」
怪物の口を貫通して、幾つかの銃弾が私の脳を貫いていた。その穴も、次の瞬間には塞がっている。私は翼を躍動させながら、ぶっ壊れた機械の所まで戻った。
「みゆちゃん!殺さないと、殺されるよポ!」
「わかってるって。わかってる!マジでうるさい。喋るなって、喋んなって言ってんじゃん!」
「イノリで一発でしょ?」
「うるっ…さ。もういい」
さっきから、とても寒い。その場で膝を落とした。膝が、白いドレスの裾ごと擦り剝ける。
もう、殺すとか殺さないとか無いって思ってた。アズマさんが守ってくれるって言っていたし、私はこれ以上人を殺したくないって思ってたから。
でも、やっぱり殺意は消えてない。アズマさんが殺されて、私は王路を本気で殺したいって思っちゃった。七海がフロートの上で言ってたことは正しかったのかも。
近く、すぐそこに王路の靴音が聞こえる。
「うわー、めっちゃブス!かみに血ついてて、いっぱい。ぐちゃぐちゃ」
「…」
「やっぱ、いちばんわたしの顔がかわいい!」
幼稚な金切り声が耳障りだった。私は声のする方へ顔を向けてみる。
あの白く小さい輪郭に浮いているティントを纏った唇が、何故か心胆寒からしめた。アズマさんが魔法少女を嫌っていた理由が、なんとなくわかったような気がする。
考える時間が、選択する時間が必要だと思った。
「犬、もどれ」
また王路の背丈が嵩を増していく。再び、彼女の下半身に幾つもの腕が生えた。
「体バラバラ魔法!」
王路が叫ぶ。すると、瞬時に私の脚や胴体に、大量の切れ込みが刻まれた。
このままだと、サイコロステーキになる。考える時間。考える時間。間に合わない。いや。
「王路、止まれ」
王路の動きを止めた。
「ザクザクジャブッ」
でも、私の顔がサイコロ大にカットされて血を噴き始めなおれ、わおえ、あ え。
「っあっぶな」
何とか再生が間に合った。バキバキと音を立てながら、身体の至る所に刻まれた切り傷が塞がる。
立ち上がって、王路のもとへ近寄った。彼女の身体は、時間と空間に取り残されたように、静止している。見開かれた瞳が、乾きなど知らないように瞬き一つもしていない。等身大のフィギュアがそこに設置されているみたいだった。
辺りを見渡してみる。犬が潰れてできた血溜まりと、整然とした出発ロビー。相も変わらず大きなガラスの向こうの滑走路が、ただそこに広がっていた。
アズマさんはやっぱり何処にもいない。
「…」
「みゆちゃん!瀬良さんたちも来てるよ!」
「あ」
誰もいないはずのロビーの中で、二人分の靴音が反響した。滑走路を眺めていた身体を翻す。
(Frangment)
散文-2020/2/12
「高架下のベンチ。いつからかここが私の居場所だと思っていた。だから、ここまで逃げてきた。灰のような、ヘドロみたいな、あの魔法少女。エラって言うんだって。気が付くのが遅かった。ここは死に場所だった。」
(XIX)
「ガコッ」
頭を外されながら
「ガコッ」
タクシーに乗せられる。
「ガコッ」
あ、やば。
「べちょべちょ」
一応変身しといた。
「ガコッ」
翼が座席とシートベルトの間を圧迫する。
「ガコッ」
首を落とされながら、ずっとみゆちゃんのことを考えていた。度々途切れる意識の中で、みゆちゃんの顔が空白を埋める。サブリミナル効果みたい。
浮かぶのは、あの日、屋上の夕景を背に泣いてるみゆちゃん。怒っていたはずなのに、涙を浮かべていた。感情が高ぶると泣いちゃうみたいな。みゆちゃんはきっとそんな人。
エレベッ。エレベーターが停まったような音がした。視界の端に居た瀬良さんが、手を引いてエスコートしてくれる。
「瀬良さん!」
みゆちゃんの声がした。ヒールでカツカツと床を蹴りながら駆けてきている。たぶん。
「はい、こんばんは」
瀬良さんの、がじゃがじゃの声がした。いつ聞いても不快。
「え?は?」
みゆちゃんが後退ったのが、ちょっとだけ見えた。
「その後ろに居るヤツ、王路?」
「…」
みゆちゃんは答えない。たぶん初めて魔法少女になったときのこと、思い出している。
「ゆ。し…」
あ、そうだった。私も首が落ち続けています。
「まぁ、いっか。じゃあ未結ちゃん、結愛ちゃんのこと、楽にしてあげな?」
「や」
「なんでだよ。一回殺してんだから、もっかい殺したって変わんないでしょ?」
「…」
「何、泣い…めんどくさ。人殺しの気持ち、わかんねー」
瀬良さん、めっちゃ煽ってる。自分が死んでもいいのかな。
「わかった。じゃあ未結ちゃんがシチミユアを殺すまで、僕が未結ちゃんの事、攻撃し続けるから」
「なんで…?」
「はい、よーい、スター」
突然、辺りに天井が崩れ落ちるような轟音が響いた。がしゃーん。どごぉ。
「は?」
瀬良さんが困惑している。
「王路!」
みゆちゃんが叫んだ。
突然、前方で人が電車に撥ねられたような轟音が響いた。だん。ぶちん。
(14)
突如現れた、白い怪物が、私の視界と意識の全てを奪い去った。
巨人のような女性の体躯が、私の思考と息を止める。巨人は純白で煌びやかなドレスを羽織っていた。その大きなフリルが付いたドレス襟元からは、石膏のような一本の巨腕が生えていた。
頭から腕の生えた巨体の下敷きになった王路は、やや形を残しながら拉げて潰れる。王路の遺したぐしゃぐしゃなドレスが、鮮やかな一色に染まっていった。怪物が着ていた白いドレスにも、その血飛沫が染み入いる。ただただ、グロテスクだった。
それから、しばらくの静寂が訪れる。私の後ろにいた瀬良さんも啞然としていた。
「ガコッ」
そんなことには意にも介さないように、七海が首を落とす。そしてまた再生して…。
「え?」
何も追いつかない。
「お前が、エラ?」
瀬良さんが白い怪物に向かって尋ねた。怪物が、私と瀬良さんの方へ振り向く。あの巨大な手のひらが、こちらと向かい合わせになった。私は口を半開きにすることしかできない。
「グッ」
怪物の頭に生えた大きな手のひらが拳を作って、親指だけを上げた。
「お前がエラか」
瀬良さんの嗄れた声が、若干震えている。
「ズ…」
エラの頭に付いた手が、今度は私の方を指差した。大きな人差し指に、否応も無く目を引かれる。
「いっ」
そこで、銃弾で貫かれたような痛みが脳に奔った。意識が世界から弾き飛ばされる。気を失った。
*
「はい、じゃんじゃん」
瀬良さんの声。
「?」
水音と食器が置かれる音がする。まだ意識がはっきりしない。でも目覚めることはできた。
「はい、どんどん」
「?」
首を起こして、微かに開いた瞼の隙間から辺りの景色を確認した。
目の前には木製のテーブル。その奥にはカウンターがある。カウンターの向こうには厨房が見えた。
料亭か寿司屋に居るのかもしれない。脚が椅子に縛り付けられていた。両腕は自由に解放されている。
「はい、もっと」
「?」
瀬良さんの腕が、背後から伸びてくる。彼が目の前の狭いテーブルに、小さな茶碗を置いた。茶碗の中には、赤黒い液体と細切れにされた麺のような肉が入っている。
「お、起きた。未結ちゃん、これ食べて」
瀬良さんが耳元で囁き続けた。
「はい、じゃんじゃん」
厨房にさっきの白い怪物、エラが居る。彼女の白いドレスは、板前のような服装に変わっていた。
「瀬…良さん、これ何?」
「王路の魔法生物。これ食えば、王路の顔面偏差値を吸収できるよ。はい、じゃんじゃん」
「いや…」
私が抗おうとする一方で、厨房にいたエラは、目の前のカウンターに十個の小さな茶碗を突き出してくる。いずれも、赤黒い液体と細切れにされた肉片が入っていた。
「未結ちゃん、食わないと、伸びるよ」
「は?」
瀬良さんが私の顎を掴んでくる。
「はい、どんどん」
「が、」
顔面目掛けて茶碗の中身がぶち撒けられた。閉じていた唇の隙間から舌の上に、錆びた鉄のような液体が流れ込んでくる。私は咄嗟に口をすぼめて、それを吐き出した。口に入っていた小さな肉片が、私の膝に落ちる。
「大将!」
瀬良さんがエラに向かって言った。エラが私に人差し指を向ける。
「痛」
再び意識が遠退いた。視界がブラックアウトして、五感が、音しか。
「はい、じゃんじゃん」
べちょ。
「はい、もっと」
べちょ。
「はい、しぴしぴ」
べちょ。
「はい、どんどん」
べちょ。
「はい、てぃるてぃる」
べちょ。
「はい、よいしょ」
べちょ。
(Fragment)
189?年東京市本所区(現在の東京都墨田区)日記著者不明
「二月十二日晴午前一時ニ吉丘町御用屋敷ニテ…白妙ノ魔法少女〔以下数行空白〕又緩歩シテ手前…腕ヲ振ルイ…」
(15)
「おきてー。みゆちゃ!ん!」
かわいらしい声に呼ばれて、目を覚ました。起きた瞬間、理解する。
「またこれ?」
私は、みなとみらいで見た夢と同じ謎空間に居る。
「そう。夢みたいなやつ」
今回は、部屋の隅に置かれたシングルベッドに寝かされていたらしい。
「キャビンホテル?っていうんだって。小さい箱みたいな部屋に、ベッドとテレビだけ置いてあるホテル。ビジホみたいなやつ」
七海の言う通り、この部屋の七割くらいをベッドが占有していた。明らかに二人用のベッドじゃないのに、私と七海は身体を縮こませながら、シーツの上に収まっている。
足元の方の壁際には、テレビが垂れ下がっていて、その背面の壁は全面ガラスになっていた。ガラスは引き戸になっていて、外へ出ることができそう。狭いけど、妙に落ち着く。部屋中に、如何にもホテルらしい柔軟剤のような匂いが満ちていた。
「空港の中?」
「うん!さっきいたとこと同じ墓の中、こおそ空港」
「そ」
「…」
沈黙が流れる。当たり前に気まずい。
そういえば、いつの間にか変身が解けていて、いつかに着ていた全身黒ずくめ不審者ルックを纏っていた。ベッドの上で脚を伸ばしてみると、柔らかな衣擦れがハーフパンツを包む。
七海は、フリルが要所にあしらわれた白いワンピースを着ていた。若干着古した印象があって、肩の周りに薄く透け感がある。彼女は、両膝を丁寧に抱えていた。彼女との共通の趣味や話題なんて、何もない。
「あのさ、七海。…なんか、話すのめっちゃ久々な感じする」
「うん!久々。みなとみらいのときは、私が考えたみゆちゃんと私との会話だったから」
「今はちゃんと七海と面と向かってしゃべってる?」
「うん。だからそう思うと、飛び降りた日ぶりのおしゃべり」
「へぇー。そんな感じしない」
「うん。え?」
「ん?あ、なんかおかしかったかも」
話すのが久々だって言ったり、そんなことないかもって言ったり、思い返すとめちゃくちゃだった。次の話題を、上書きするように無理やりねじ込む。
「てか、前の事もまだわかってないんだけど、私」
「なんか、私の顔をみゆちゃんの顔に書き換えたみたいな…感じ」
「なにそれ」
「今見せよっか?今ならみゆちゃんの顔、完璧にトレースできるかも」
「きもいからいい」
魔法少女、イノリ、全部がよくわからない。もう、考えるのも嫌だった。
「…あ」
「みゆちゃん?」
私は足元のシーツを手繰り寄せる。それを抱えて身体を縮こませながら言った。
「アズマさん、死んだ」
「…うん」
「は!?なに。なんなの」
八つ当たり。自分でもわかっている。
「…みゆちゃん」
七海が急にベッドの上で立ち上がった。彼女は依然、かわいらしい声色を崩さずに言う。
「私のこと殺して?」
「え」
「いいよ?」
「は?…なんで。意味わからない」
意味不明なことばっかで、ずっと置いてけぼり。墓で目覚めて、空港まで来て、アズマさんが死んで、王路も死んで、化物がそこにいて、瀬良さんがこわくて、勝手に物事が進んでいく。わからない。わからないってずっと言い続けてる。
「マジで…」
思わず口から漏れた。違う。こんなんじゃ変わらない。変わらないと。一回、唾を飲み込んだ。
「七海」
「なに?」
話を聞いていないから、わからないんだと思う。七海が考える場所をくれてるって、自分で言ってたのに。アズマさんのことは、あとで考える。今は七海の話を聞く。ぜんぶ解決したりできない。私が器用じゃなくて馬鹿なことは私が一番知ってる。
「話聞かせて。なんで私が、七海を殺さないといけないのか、言葉で説明して」
私がそう言うと、七海はまたベッドの上に座り込んだ。私の右隣でうずくまりながら、彼女は喋り始める。
「私の目的は…死ぬこと。それだけ。みゆちゃんは私と同じ、最強の魔法少女でしょ?私のこと殺して欲しい」
(0)
枕を買いました。ラグジュアリー、ピロー(?)。うまれてからずっと、枕無しで寝てたけど、最近めっちゃ寝つきが悪かったから。
近頃はベッドの上で目を瞑っても、脳内で『七海結愛のこれまで。Season1』が、幾度となく語られ始めて、睡眠が阻害される。事あるごとに、行く宛ての無い自家撞着と、過去に解決した問題の起承転結が、章仕立てになっておさらいされた。でも、今日からは枕がある。
「…」
「…」
「…」
無理だった。肌触りとぅるとぅるすぎる枕を敷いても、私の頭上の鬱屈は静まらない。仰向けになっていた身体を横に倒して、首と背を丸める。
明日、学校いかなきゃなのに。これ以上無いくらいイラついて、シーツをかき乱した。別にどうにもならない。
私は寝返りを繰り返して、カーペットの上に落下した。額と頬骨と腰骨と左肩に鈍痛が響く。程良く心地良かった。床の上に寝転がりながら、ちょっとだけぼーっとした。
『いや、お前は…顔良いほうだから』
もう顔も憶えていない中学の同級生に言われた。
『自睫毛?エグ。竹林じゃん』
数ヶ月前のいつか、隣の席の女の子に言われた。
『いや…結愛は違うよ。良い意味で。ね?わかんないでしょ?実際』
向かい合わせた学校机越しに言われた。
『びみょうに垢抜けてないのわかる人いない?』
画面の向こうの誰かから言われた。
『結愛ちゃんは頭良いし成績だって良いんだから!もっと上の高校行けるよ!』
ちょっとだけ行っていた個別指導塾の先生に言われた。
『こいつ好きな男ロリコンだけだろ。数年後たのしみだは』
声の無い、文字だけの誰かに言われた。
『高校、頑張れよ!』
中学の卒業式のときに、すれ違った音楽の先生に言われた。
全部が、まるで微弱な毒を水で希釈したかのような言葉たちだった。期待、称賛、悲哀、嫉妬。その全てが須く、私が受けるべき言葉だし、それに否を突き付けられるほどの信念を、私は持っていなかった。ただ、確かに累積していく毒素が手指を痺れさせている。
ずっと同じ体勢でいたからか、枕にしていた左腕の感覚が狂ってきた。身体を起こして、スマホを探す。今回は、名前も知らないサンリオさんのキャラクターのぬいぐるみの下敷きになっていた。
スマホを引っ張り出して。白くてでかい毛玉みたいなぬいぐるみを、腿と胸の間で挟み込む。このぬいぐるみは、友だちとゲーセンに行ったときに偶然取れちゃって、無理やり誕プレにされたやつ。何気に捻り叩き潰し心地が良くて、ここ数年間ずっとセンターに選ばれている。
照明を落とした暗い部屋の中、鼻先をブルーライトが照らした。ロック解除から二秒後、情報の大海へ身を投げる。
また、悪意と賛辞が濁流のように打ち出でてくた。他者の思考の大群が、脳の隙間に入り込んでくる。あばばばば。
「…あ゛~~~」
喉の上の方を使って、呻き声を上げた。これはかわいくないかもしれない。
だんだん鼻で呼吸をするのが苦しくなって、眼球の端が熱くなってくる。液晶の上に指を滑らせた。
『しに…』
文字を打ってから消す。これをあと四回くらい繰り返した。
私は知っている。
こんなことしたって何の意味も生まれない。何も変わらない。だったら、言葉になんてしないに越した事はない。これが正解だってことも自明に思う。無数に送られてくる好意も蔑ろにしたくなかった。
「…」
ふと、昔好きだったバンドの曲を再生する。しなやかな歌声のボーカルが、嘆くように悲恋を歌い上げた。知りもしない大人の世界の恋愛観が、詩として私に流れ込んでくる。もし、ここで死ななかったら、この先こんな恋愛ができるのかもしれない。
私が泣いているのは、その悲恋に共感したからじゃない。この前まであった何かを、今はもう失くしてしまっていたから。
もう、好きな食べ物、好きな曲、好きな映画、なにひとつも思い出せない。コンビニのアイス売り場に行っても、自分が何を食べたいのかわかんない。だんだん焦燥感が湧いてきて、何も買わずに家に帰る。そんな日々を送っている。
才能が、他人に生き方を委ねるような道を舗装して、私は毎日その畦道を行き来していた。
それでも私は恵まれていて、よくわかんないけど幸せらしい。実際、何不自由無い生活を送っている。だから、なにがつらいのか自分でもわかんない。
「…ごめんね」
抱えていたぬいぐるみを解放してあげた。白い毛玉の頭を優しく撫でて、立ち上がる。
心臓が脈打つ度に、冷たい涙が流れ出た。右目に浮かぶ雫は、涙腺を破って、下睫毛の間を縫って、無色の涙袋を下って、頬から落ちる。手の指先だけはやけに温かい。
充電が切れたスマホをベッドに投げて、白いパーカーだけを羽織ってから家を飛び出した。
*
別にここに来たかったとか、この海が好きだからとか、そんな理由は一切ない。レインボーブリッジのライトが反射した海面を見つめる。ゴミが浮きまくっていた。
遠く遠くまで来てしまった。
最上級の幸せを、私は抱いている。
でも。
これ以上、誰にも褒められたり、貶されたり、邪魔されない場所へ行こう。
がいこくのこじまについてはまべとりについばまれるの。わたしの真っ白な頭蓋骨。
「ふふ」
頭おかしくなっちゃったって自分でわかってる。
「あ」
もう、終電が無い。
背中から水面へ飛び込んだ。
私は泳げない。
肺に満ちる水が冷たいのかどうかすらもわからなかった。
(Fragment)
「…」
泡。泡。泡。
「…」
少女が水底へと落ちていく。まるで、暗夜の空に吸い込まれていくようだった。
水面に照る月光が、波の描く凹凸を浮かび上がらせている。
空と海の違いなんて、その程度の物でしか測れない。
「ゆ」
泡。手。泡。
「…」
「あ」
手。手。泡。
「?」
「…」
泡。泡。泡。
「?」
「…」
泡。泡。泡。
「…」
「死にたくなかった」
酸素に喘ぐ彼女の肺を救ったのは、はち切れんばかりの情感を持った『翼』だった。肺胞を破って、肋骨を壊して、胸板を断ち切って、純白の翼が生命を帯びていく。
風も得ずにも、少女の祈りを以て、翼がはためいた。翼は水泡を搔き混ぜて、溺れる彼女を水面へ突き上げる。
「…え?」
死だなんて、人が制するものでは無い。そう嘲っているかの如く、少女の瞳孔の中で月光が嗤った。
(XX)
みゆちゃんは私の隣で、対して面白味も無い『七海結愛のこれまで。~なんで私が!?魔法少女になっちゃった!!編~』の話を聞いてくれている。
「私、魔法少女に覚醒したとき自殺して、めっちゃ溺死してたんだけど、そのとき死にたくないって思っちゃったみたいで…不死のイノリが発動した」
別にもう、泣いてもいない。だから自然に回想を続けられる。
(Fragment)
ピンクと白のドレスが夜風でかき分けている。夜景って、そんなに胸が踊る物でもない。何度も見れば、それはただの明かりと淀んだ東京。
家で遊んでる方がたのしいかもしれない。祠の謎解きは、ぜんぶ終わっちゃったけど。街の住人は、これ以上話してくれないけど。
魔法少女になって数ヶ月、空を飛び飽きた私は空から落下した。
地面に血反吐を散らしても、私は事切れない。わかっていた。これもまた私のせいだった。
(Fragment)
「あの…なんかいろいろ言ったけど、あの死にた…いだけなの。もういいかなっておもって」
「いや、死ぬとか簡単に口にするなよ」
「…うん」
「パパはお前の倍以上生きているし、お前の知らないこと、知ってると思う。だからこそ、結愛に断言するんだけど…命はそんな簡単に投げ出して良い物じゃないんじゃかな」
「…」
「それに…お母さんから貰った命でしょ?結愛は別に頭だって悪くないんだから、もう少し冷静になって、ゆっくり物事を俯瞰してみな?辛かったらいつでも話聞くから」
「…なんなの」
「ん?」
「なんで」
(XXll)
「父を殺したとき、めっちゃイラついてて」
「…うん」
「あ。私、片親だったの知ってた?」
「ううん」
「ね。そのまま、父の死体を捨てに行って、私も死のうとしたんだけど、むり。いや、不死のイノリ掛かってるから、わかってたんだけど。身体斬ったり燃やしたりした」
あの澄んだ夜と山道は、今でも思い出せる。思い出したくなかった。
「で、そこからあんま憶えてなくて、魔法少女としていっぱい人を殺したりした。なんかイライラしたからとか、人に頼まれてとか、いっぱい。ここはどうでもいいんだけど」
「…え?」
「でも、結局死にたい気持ちは変わんなくて…そのときに思いついた。私と同じ魔法少女なら、魔法で私のこと殺せるんじゃないかなって。で、ポップンと魔法少女を増やし始めた。初めは魔法少女になってみたい人をネットで集めて…それが使徒のはじまり」
(Fragment)
会食パーティーを開いた。私含め、十人の使徒が円卓を囲んでいる。
父に連れられて、何回か高級フレンチみたいなところに行ったことあるけど、全然楽しくなかったし、憶えていない。だから、このパーティーも曖昧な記憶の見よう見まねで頑張った。
先週出会った、王路って子を膝に乗せてあげる。るんるんみたい。かわいい。
なんだかんだ、皆でご飯を食べるのは楽しかった。使徒は、私を殺してはくれないけど、これはこれで良い。最近ちょっとだけ楽しくなってきた。
とか思っちゃった。
円卓の一つが欠けた。この前、使徒の内部で諍いがあったらしい。それで一人死んだ。
結局、使徒パには行かなくなった。
でも皆、私が居なくても勝手に色々やってるみたい。居ても居なくても変わらない。
家のベッドの上で寝ている。枕めっちゃ気持ちいい。買ってよかったな。ずっとここで、毎日、液晶上に映る賛美と罵詈雑言を上から下に流すだけ。
どこに行っても、何になっても変わらないような気がした。
けど、使徒やイノリに、実際に触れて気が付いたことがある。
『不死のイノリを破綻させる方法』。それは『自分より強い魔法少女から、強力な魔法を受けること』。
不死のイノリは、肉体の回復力を限界まで高める魔法らしい。要は、回復魔法の上位互換。威力の高い魔法を受けると肉体の再生が間に合わなくなって、死ぬ。私にはこれしか残っていない。
(16)
「私と同じくらい強い魔法少女をつくって、その人の魔法を受けて死ぬ。これだったら、私は死ねるなって思った。瀬良さんとかにいろいろされたけど、結局、私は死ねればいい。それだけ」
七海は淡々と語った。言い終えても、彼女の、呼吸に従った肩の動き、そこにある体温の気配は、数分前と何一つ変わらない。
今流れている沈黙は、一連を聞いた私も、私自身が何を感じたのか、あまりわからなかったからだった。彼女に同情しているのか、それとも他人事なのか、上手く言葉で言い表せない。
「…なんで私だったの?」
私は尋ねる。七海が私を最強の魔法少女にした理由を知りたかった。
「みゆちゃんを選んだ理由?」
「うん」
「えっと…初めてだったから。顔を合わせて死ねって言ってくる人」
「…」
「ふだん悪口言ってくる人も、みんな一対一で私の前に立つと、なんか誤魔化したり謝ってきたりするから。みゆちゃん、始めからずっと私を殺したかったんでしょ?」
「いや、あのさ」
「それに私は、みゆちゃんを殺して魔法少女にした。みゆちゃんは怒って当然だし、私に復讐して当ぜ…」
「ねぇ、待って!」
「…ん」
「あ」
気がつくと、勢い任せに七海の肩を掴んでしまっていた。その手をすぐに離す。
これじゃないと、直感的に思った。また一個、間違いを踏み潰す。そしてから、ようやく思い出すことができた。彼女に言わなきゃいけないことがある。
「違う。七海、言わなきゃいけないことあって…」
思い切り、間を開けてしまう。でも、引き返さない。続けて言った。
「七海に死ねとかいろいろ、言った。い…あの、本当に。こんなんじゃ足りな…」
「え?」
「七海が何も感じてないって言ってても、こんなこと言っても七海は迷惑がるかもしんないけど、私が単純に悪かった。間違ってた。勝手にみんなが死ねって思ってるとか、阿保だった」
何故か私が泣いている。ぶっ飛ばしてやろうかと思った。
「許されようとか、思ってない。そもそもなにかを選べる立場じゃない。『ごめんなさい』『いいよ』だけで済ませる気も無い。私たち、もうそういうんじゃないし。でも、だから謝れないとかは違うって思ってて…」
潤んだ眼を何も気にせず、思い切り拭う。吸え。息を吸え。ここからでしょ。
「七海」
「…」
「ごめん。ごめんなさい」
「え?」
「もう、貴方のこと殺したくない」
「ん?え、あの。みゆちゃん?」
「うん」
「なんで」
七海がゆっくりと顔を上げる。その横顔は、見たこともないくらい綺麗にぐしゃぐしゃだった。今度は彼女が口を開く。
「みゆちゃん」
「うん」
「わ、私も間違ってるって思ってたのに、のに。ずっと…殺…」
「…」
「ごめ…ごめんなさい。みゆちゃん。ごめん。ごめんなさい」
「私もごめん。本当に」
激しく上下している肩と肩を、少しだけ寄せ合った。
噓みたいで、馬鹿馬鹿しい。こんな事で何かが変わるとか、そんなのアニメかフィクションの中で起こり得ない。
言葉で尽くせない。
私は、私たちは馬鹿すぎて、こんな当たり前で薄っぺらい言葉しか紡げなかった。
(Fragment)
岩手県の一部地域及び東北地方にのこる『魔法少女』の伝承について概略
「毎年十二月十二日から約一週間、家屋の中で一番高い場所(屋根や屋根裏、神棚など)や、湖沼のほとりに拵えた御宮に、子どもの切った爪を入れた壺と神饌、そして煌びやかな白い織布で誂えた着物・衣服を供える風習がある。これは一家息災を願うと共に、『何某』かを畏敬した風習であるとされているが、その『何某』が何であるかは不明である。また、この風習は近年その意味不明さと奇怪さから、執り行う家庭が激減している。…これは東北地方で信仰されている『おしら様、お白様』の伝承と、その他別の伝承が、混流して形成された風習であるとされているが真偽は不明。『深野物語』(明治時代に執筆された岩手県周辺の伝承を記した説話集)の初版には、『魔法少女』という項があり、当風習とかなり似通った信仰があったと記されている。これにより、この風習に登場する『何某』は、『魔法少女』もしくは『白い着物を着た魔法少女』だとされている。」
(17)
「テレビ、みたい。アニメ」
七海はそう言って、鼻を啜りながら棚を探り始めた。
私は、枕元に置いてあったリモコンを七海に渡す。
「これみる」
「うん」
七海はテレビに入っていたサブスクリプションサービスの中から、毎週日曜の朝に放映されている子ども向けアニメを選んだ。女の子が日常生活を送りながら、友だちと一緒に、脅かされる街や人を守るアニメ。
「七海、好きなの?これ」
「うん。私結構、大きくなっても観てて、たぶん小四か小六くらいまで観てた」
「ほんと?私も中一くらいまで追ってた。誰にも言ってないけど」
「え、めっちゃ観てる」
「は?小六も中一も変わんないでしょ」
それから約二十分間、二人で黙ってアニメを観た。ちょうど空港が出てくる話だった。
「最近のやつもめっちゃかわいい」
「ゆあ、これ毎週観てた!いまのもみてる!」
「高校生なっても追ってんじゃん」
すっかり落ち着いた七海は、私が知ってるいつも七海に戻っていた。明るくてかわいいらしい普通の子。
むしろ、私は七海の素が、あんなに暗い感じの子だということを知らなかった。そんな彼女の両面に何故か安心を覚えたのか、私も、ようやく息をちゃんと吸えるようになってくる。ほんと馬鹿すぎ。
「ねおなかへったぁみゆちゃ」
七海が私に凭れかかってくる。質量が無さすぎた。けど、彼女の体温は確かに感じる。
「たべいく?フードコートみたいなとこあったけど」
「ぱふぇ」
「めんどくさ」
「じゃあ一人でいく!」
「…行くから」
*
空港の第二ターミナル五階のカフェ。滑走路が見える窓に沿って設置されたボックス席に、二人向かい合って腰を下ろした。七海がパフェを食べるている様を、私はただ眺めている。
「みゆちゃん、食べて?」
「いらない」
「ご飯がよかった?うどんとか」
「うどん嫌い」
「なんで!?」
「声でか」
滑走路の向こうの空には、灰色の雲が浮かんでいた。私たちしか居ない空間で、どうでもいい話だけが続く。
「なんか、うどんもちもちしてるから」
「そーゆーものでしょ?」
「なんか息つまる」
「喉ちっちゃー!」
「?」
七海が小さな口でパクパクとバニラアイスを食べ進めていく。インターネットが眼前で繰り広げられてるみたいだった。
私の凝視に気が散ったのか、彼女は一度、ニコリと笑ってからスプーンを止めて言う。
「でも、なんかそれでいいと思う」
「なにが?」
「別に好きってだけじゃなくても良いと思う。お仕事でもないんだし。嫌いがあるのも良いこと」
七海はそう言って、スプーンをパフェに突き刺すように置いてから、窓辺へ目を向けた。彼女の瞳が灰色に曇る。
「…七海は、ほんとにすきなものないの?」
「え?えっと、あー。この間、瀬良さんに首絞められたんだけど…」
「ん?」
「首絞められるの、ちょっといいなって」
「きーつ」
「知らないでしょ!みゆちゃんは!本気の首絞め!」
「知ってる。アズマさんに首絞められた」
「へー。いいなー!」
ここでまた口を吐いた。
「…アズマさんさ」
けど、言葉に詰まる。自分でも、見切り発車で彼女の名前を口に出してしまったような気がした。ただ、いずれ話さなければならないことではある気がするから、必死に言葉を集めて、続ける。
「死んだ。私がぼーっとしてなければ、殺されなかった。でも、王路を…」
「憎むのも、違う?」
「…うん」
それから、私たちが無言でいる内に、カフェと滑走路と隔てる傍の窓へ、雨粒がぶつかってきた。その一つの雫を皮切りに、一つまた一つと水滴が増えていく。パフェの甘い香りが、湿気の香りと混ざりあっているような錯覚が起きた。
「私、ほんとに…ごめんなさい。ぜんぶ自分が始めたことなのに」
また七海が俯く。
「何か恩恵がないと魔法少女が人を殺さないかも、魔法少女が増えていかないかもって、ポップンに言われて…みんな顔がかわいくなれればいいんじゃないって、私が提案した。でも、恩恵じゃなかった。たぶん誰も幸せになってない」
七海は、まだスプーンを止めていた。さっきから、一口もパフェを食べ進めていない。
だから、私は席を立ち上がって、七海の隣の席へ移動する。窓にぶつかる雨音が少し遠退いた。
「食べて?」
私は放られていたスプーンを手に取って、イチゴとアイスを掬う。それを七海に突き出した。美少女餌やり体験。
「ほら、パフェは好きじゃないの?」
「…あまいもの食べてるときくらいしか脳が幸せって感じないから」
「好きでいいでしょ」
「すき」
掴んでいたスプーンを強奪される。それでいい。
「なんか考えよ。やり直せるって。私たち魔法少女でしょ?」
「…うん」
「まず、ここから出なきゃ。謎空間」
「うん。…うん!」
正直、私は七海を引っ張っていこうと、虚勢を張っているだけだった。ただ、性格が終わっていたとしても、それを引き摺り続けたり、諦めて受け入れたりするのは、なんとなく嫌だと思い返している。忘れていた自分の純心さを、このまま埋もれさせ続ける訳にはいかないと、七海の回想とアニメとパフェとの間で感じた。悪い人なら悪い人なりに足搔きたいと思う。
「で、七海。どうやったらここから出れんの?」
「えっ知らない!」
「満々ね。自信」
「墓は、私がめっちゃ頑張って魔法で生み出したんだけど、こういう別次元?別空間?みたいなのは私つくれないもん」
「やっぱり、エラの力か。前出れたのはなに?」
「私が…目的を達成したとき」
「うーん?」
とりあえず七海がパフェを食べ終わるまで、考えることにする。あと半日はかかりそう。
(Fragment)
『ころされる』零時十分
『かくれてる。エラ???』零時十二分
『きたばれた死ぬ』零時十二分
(XXIII)
展望デッキに来た。当然、小雨は止んでいなくて、私たちはずぶ濡れになっている。みゆちゃんは、もう墜ち掛かっている前髪を必死に守ろうとしていた。
二人並んで、薄霧掛かった滑走路を眺めている。不思議と寒気は感じない。梅雨時の雨天のように、少し温もりを含んだ雨模様だった。
「じゃ、外出れたとしてどうしよっか。とりあえずこっちじゃない?」
デッキの床に溜まった雨水を蹴飛ばしながら、みゆちゃんが訊いてくる。床の材木と彼女の靴が擦れて、甲高い音を発していた。
「みゆちゃんは魔法少女、どう思う?きらい?」
「うーん。嫌いとかじゃないかも。私は恵まれている人を引きずり下ろしたいとか思う側だから、そういう気持ちわかるつもりだし」
「うん。みんな辛い現実に足掻いているだけ」
私は、瀬良さんと話した旅館の景色を思い出してみる。みゆちゃんは彼と違って歩み寄って、理解して、答えを見つけようとしている気がした。
傲慢なのは理解しているけど、私は彼女にわかってもらいたい。でも、まだちょっとこわい。みゆちゃんのこと、ちゃんと信じたいのに。
「どうすんのが、正解なんだろーね。どうすれば、みんな幸せになれんのかな」
「…うん」
雨が肩を濡らす。薄い布が肩に張り付いた。
「…いや、違う。人を殺すことが良い訳なくない?」
「あ、うん」
みゆちゃん、カフェのときにめっちゃ心配してくれてた気がする。だから、今度は沈まない。
「こういう人が絶対とか、完璧にかわいくなきゃダメとか、そういう価値観はどうしたらいいかわからないけど、それが人に殺意を向けていい理由には、絶対ならない。殺意とか死ぬことで成り立つ幸福なんてどこにもないから。これは間違ってないと思う。わからないけど」
みゆちゃんが頑張って言葉を紡いでいるのがわかった。続く、彼女の言葉に虚を突かれる。
「私たちで、魔法少女消さない?」
私は、みゆちゃんの顔を見やった。彼女の真剣な横顔を見つめてから、また滑走路の方へ向き直る。
「できる?…そんなこと」
「うーん。でも、エラが居たでしょ?どうにかして、エラと話すとか」
「エラ、強かった?」
「めっちゃ強かった。なんか脳操られた。何回も」
「イノリかな。意識を操る系のやつ。みゆちゃんレベルの魔法少女を本人の意思関係なく、しかも連発で操れるなら、エラも私たちと同じ最強なのかも」
急に身体を悪寒が奔った。雨に打たれすぎたのかも。みゆちゃんの方にちょっとだけ近づいた。
「…てかさ、アズマさんってイノリ使ってた?」
彼女に訊かれてから、思い出してみる。
「私が使徒パ行くの辞めたギリちょっと前くらいにアズマさんが来たから、わかんない。少なくとも、私と初対面だったときは使ってなかった、と思う」
「へー。じゃあ、たぶん私、アズマさんのイノリ受けたかも」
「え?」
隣に佇むみゆちゃんが、遠くを見ているような気がした。そういえば、この間彼女になにがあったのかは、まだちゃんと聞いていない。聞かなきゃいけないと思う。
「アズマさんのイノリ?」
「うん。私、墓で起きて、魔法少女になった辺りから、ずっとぼーっとしてて、アズマさんの言いなり?だった。たまに解けたんだけど、その度にアズマさんが耳元で囁いてきて…」
「あー。確かにみゆちゃん、瀬良さんに会ったとき、ばぶばぶしてた!」
「してない。やば。してないけど?」
「声でか」
なんかちょっとアズマさんに対して、モヤモヤした気持ちになった。自分でもよくわかんない。
「七海言ってたじゃん。えっと…不死?とかと一緒で、意識操る系のイノリも無効化できる?」
「できる。アズマさんのイノリは、みゆちゃんがアズマさんにばぶばぶしてたから、ある程度効果があったんだと思う。みゆちゃんは最強だから、自分の意識をしっかり持ってれば、意識操作も無効化できると思う」
私が瀬良さんの首落とし続けるイノリを受けたのもそう。私は首を落とされ続けても、全然良いって思ってた。いまはちょっと違う。
「…あ」
気が付いた。
「え?なに?」
「ううん。なんでもない。絶対ばぶばぶしてたなーって」
「…私、めっちゃキモくない?」
「でも、実際ばぶばぶしてたから!」
「じゃあ、ばぶばぶしなければエラに勝てるの?ねぇ!?」
「おう!!!勝てるかも!!!」
みゆちゃんは前髪を守るのを諦めたらしい。キレ散らかす彼女の黒髪には、水滴が滴っていた。作戦会議は続く。
「んじゃ、エラに攻撃しまくって、負けるかもって思わせたとこで、私か七海がイノリを使ってエラの意識を操るとか。二対一だし」
「たぶん、今は私よりみゆちゃんの方が強い」
「なんで?」
「王路ちゃんの顔面偏差値、魔力を吸収してるから。ゆあ、瀬良さんの後ろで見てた」
「そっか。じゃあイノリは私が掛けんね。で、エラを操って魔法少女を消す。時間を操れるんだよね。確か」
「うん。噂だけど」
正直みゆちゃんは、ただ私が黙らないように話を繋いでくれているようにも見える。勘繰りすぎかもしれないけど、私はそれが嬉しかった。せめて私もみゆちゃんの力になりないと、本当にそう思った。ずっと奥底に落ちていた猜疑心が、やっと解れてくる。
*
展望デッキ全体に、雨が降り積もっていた。コツコツと消え入りそうな音を立てて。
鉄網越しに眺めている滑走路には、大きな飛行機が止まっていた。あれはたぶん、一生、空を飛ぶことは無い。エラの力で作り出されたこの空間で、あの飛行機は宛ら羽を折られているみたいだった。
雨足が強まって来たので、展望デッキの隅にある、ちょっとした屋根の下へ避難する。
「あ、ねぇ七海?見て」
みゆちゃんが、自分の唇の下を思い切り擦り始めた。水に濡れた黒いブルゾンの袖が、みゆちゃんの口元を歪ませている。
「どう?落ちてる?」
「うん。めっちゃ、ちょっと、だいぶ」
彼女の唇の左下に、丸くて小さなホクロが薄っすらと浮かんでいた。最近のコスメすごい。あれだけ擦っても、落ち切ってはいない。
「知らなかったでしょ」
「知らなかった!」
「七海はここ?」
みゆちゃんは、黒いネイルの先で、自分の首元を指した。私のホクロの位置とは逆だったけど。
「こっち」
私はみゆちゃんの手を取って、自分の首元の右側に当てがった。
「首あったか。ばぶばぶしてんね」
「もっと力入れて。掴んで」
「ガチできもい。むり」
みゆちゃんが私の首元から手を離す。彼女の体温が退いた。
「…でもほんとに、知らなかった」
と、何故か口にしてしまう。またすぐ落ち込む悪い癖だった。
「ん?えと、あった方がいい?いつも消してたんだけど」
「あってもなくてもかわいい。ごめん。私もわかんない」
「七海?」
「…」
少し、思考が逡巡する。そして、気が付いたことがあった。
私は、何処かの誰かとか、友だちとか、周りの大人にも、望まれたらそれに従って、都度の私を繕ってきたつもりでいる。ただ思い返せば、そんなこと、本当はできていなかったのかもしれない。
ホクロがある方がかわいいか、無い方がかわいいか。こんな簡単な問いにすら、完璧な答えを見つけ出せなかった。私には、完璧がなんであるかなんてわかんない。私は完璧じゃなかった。
だから、ここで言うべきだと思う。言わなかったら後悔する。私が、伝えなきゃいけないことがあった。
奥歯を食いしばって、震える瞼を閉じる。雨が滴って重くなった睫毛で涙を抑えて、彼女に言った。
「みゆちゃん。完璧な答えとか、完璧に皆が救われるとか目指さなくていいと思う」
「え?」
自嘲的になってくる。あれだけもてはやされておいてのこれだった。でも、これは綻びであるだけじゃない。救いでもある。
「初めから完璧じゃない私たちが目指す完璧なんて、完璧な訳が無い
体温に触れて生温くなった雨が、ピンクゴールドの髪の間をすり抜けて、首元へ垂れてくる。不快でも続けた。
「まずは自分が救われて、あわよくば誰かも救えるような…そんな不細工な答え、探しにいこ?」
「…うん」
「ポップン、きて」
濡れた服を貫いて、背中から片っぽだけの白い翼が生えた。
(19)
片翼を生やした七海が一歩一歩、近づいてくる。その度に足元で水音が鳴った。今や私と七海の距離は数センチほどしかない。いつもとは少し違う緊迫感が、心臓を押し潰そうと迫ってきた。
「みゆちゃん。前にこの空間を出られた理由、わかる?」
七海が首を傾げながら訊いてくる。かわいらしい彼女に向けて答えた。
「七海が…目的を達成したとき?」
「ふふ。やさしー」
「なにが?」
優しくしたつもりなんてないし、七海が何を考えていて、知っているのかわからない。困惑する私を置いて、彼女が答える。
「前にここを出られたのは、私が人を、黒い子を殺したとき。ゆあの推測だけど、この空間は何かスイッチみたいな感じで解放されるのかも。人を殺せば扉が開くみたいな。境域とかも、事前にそうして効力とかを決めれる」
七海は少し上の方を見上げながら、説明口調で続けた。どう考えても、私より彼女の方が魔法について詳しい。
「じゃあ、次。エラの目的、何かわかる?」
「…ううん」
「エラはみゆちゃんに王路ちゃんを食べさせた。そして、この場所に閉じ込めた」
七海が大きく息を吸う。そして言い放った。
「エラの目的は、みゆちゃんをより強い魔法少女にすること。みゆちゃんに私を殺させること、だと思う」
七海が進んできた数歩の道程を引き返していく。彼女の小さな背には、大きな純白の片翼が生えていた。
「…え、待って。なんで?」
「わかんない」
「いや、そんな訳ないでしょ。そんなことしてなんになるの?」
「うーん。わか…んない。でも、瀬良さんたちは、それを目的に動いてたんだと思うから。少なくとも、私の敵はそうやって動いてる」
「は?」
「たぶんアズマさんがみゆちゃんに掛けたイノリは意識操作。『好意を操る』とかだと思う。みゆちゃんがアズマさんのことを好きになったのも、イノリの力」
急に出てきたアズマさんの名前に、少したじろぐ。でも、七海の言うことは、何となく合っているような気がした。
「アズマさんは王路ちゃんに殺されても、結果的にみゆちゃんが王路ちゃんに殺意を抱くようにしたんだと思う。そうしなくても、みゆちゃんを言いなりにしてれば、ある程度何でもできるし。私だったらそうする」
「…うん」
「アズマさんがみゆちゃんの首を絞めたのは、イノリの効力を試すためでもあったんだと思う。みゆちゃんは首を絞められた後も、アズマさんの言う事きいてた?」
首を縦に振る。これは私がよく知っていた。墓の出口を目指す途中も彼女の腕を離せずにいたことを憶えている。
「みゆちゃんに王路ちゃんを殺させて、食べさせた後、更に私を殺させて、強い魔法少女にする。これが私の敵の目的」
七海の後頭部を見つめる。ピンクゴールドの後ろ髪は、風に靡きも、揺らぎもしていない。ただ、彼女の声は震えていた。だから覆い被さる。
「…ねぇ、まって」
「いや、いい。どうでも」
「なにが?」
「私は魔法少女をつくって、たくさんの人を巻き込んで殺した。だから、許されるとかそういう立場にすらない」
私は七海の肩を後ろから掴もうとした。けど、彼女はまた一歩遠退いていく。
「ねぇ、違うじゃん。一緒に行こって。一緒に越えようって。私だって許されないんだよもう」
「ううん。私はみゆちゃんのこと許してる」
「…は」
「別に後ろめたさとか後悔とかで、私を殺して欲しいなんて思ってない。死ぬことが、なんの意味も成さないこと、私も知ってるから」
「…」
「ごめん。私、もうどうやって償えばいいのかもわかんない。償える立場なのかもわかんない。馬鹿だから、今は自分のやりたいこと、守りたいことしかわかんない。だからこれは、ただのわがまま。嫌だったら、拒否していいんだけど…」
矢継ぎ早に七海が言葉を繋ぐ。でも、本心であることがなんとなくわかった。彼女が吸って吐いた息が、白く立ち昇っていく。
「何も気にせず、私の翼、食べてほしい」
そう言って、七海は走り出した。
数メートル先で彼女は、再び身体をくるりと回して、純然な美しい両の瞳を私に向けてくる。長い睫毛が、瞼と共に少しだけ伏していた。勢い任せのまま、彼女は叫ぶ。
(XXIV)
「翼、折れ…」
「あ」
間の抜けた声を上げながら、私は水溜まりに膝を落とした。
「ねぇ、やめて!七海、やめて。マジで」
呆然とする私のもとへ、みゆちゃんが駆け寄ってきてくる。俯いた私の視界の隅、同じ水溜まりに膝を落としている彼女が見えた。
「お」
あ、倒れたい。今すぐうつ伏せになりたかった。
「ねぇ!」
前に倒れようとした私の身体を支えたのは、みゆちゃんの雨に濡れた胸元。
「んー。やば」
これ、やばいやつ。
「大丈夫?」
「みゆちゃん」
「…なに?」
脳が左右に揺すられます。こんなとこ人に見せちゃ駄目だってわかっている。
「…や」
ただ、結局、またいつものやつ。悪い思い出。後悔。懺悔。勝手に脳で暴れ出して、私を泣かせようとしてくる。いや、自分で泣かせている。泣くのはちょっときもちがいいから。
「ねぇ、聞くから、話聞くから。ほんとにやめて。いや」
「わ」
閉じた瞼の裏側で、瞳がぎゅるぎゅる動いている。
こわい。また死ねなかったらって思うと。違う。
みゆちゃんがわかってくれて、寄り添ってくれて、彼女と離れたくないのに、守るにはこうするしかなくて、嫌?今更、死ぬことが嫌になっちゃった。
そうやっていつも、取り返しがつかなくなって、それでも嫌ってずっと逃げて、それが背後について回ってきている。
「…」
頬をはたかれる。それはもう優しく。
「大丈夫?七海!」
寝たい。このまま、いっしょうここで。潰れたい。それなのに言葉が口を吐いた。
「全部、私が取るに足らない雑魚だった。初めから。人の言葉が信じれない。人の言葉がきらい。人の言葉に呆れてる」
「…え?」
「何も助けてくれない!言葉が。かわいいねとかがんばってとかきもちわるいとか、ぜんぶいっしょ。なんでそんなに傷つけるの?わかってる。私のせい。人格終わってるもん」
嗚咽か何かが漏れる。
「無責任に褒めないでほしい。本当につらいとき助けてくれないんだから。そうやってひねくれた自分が嫌。自分の言葉、ずっときもい」
「ちょ…」
「みゆちゃんも、信じたいのに、死なせたくないのに、私が死ねばいいのに死なないの!?」
「七海?どうしたの?ねぇ!」
あれ。声、出ちゃってるよ。続行!
「やだ!来ないで!嫌」
みゆちゃんの身体を突き放した。こういう子なんです。また私に嫌われる。私が私をもっと嫌いになる。
「七海?」
「…せっかく、せっかく、みゆちゃんがやさしくしてくれてたから。死にたい。まもらなきゃ。死にたいのに。死ね。みないで。ごめんなさい」
みゆちゃんが私の身体を再び抱えて
「くれた。…お」
涙腺も焦げて、身体全体がふわふわしてくるころ。さっきまで冷えていた身体が、だんだん温まってくる。
「いつも、こやってねてる」
「うん」
一頻り泣いて、身体が落ち着いてきた。あったかい。みゆちゃん。いつもはここでおやすみ。
「七海?」
ぐちゃぐちゃになった顔で、みゆちゃんを見上げた。彼女もぐちゃぐちゃだったから、もうどうでもいい。その声だけを聞く。
「…七海は言葉が信じれない?」
「うん。嫌。しゃべんないで」
「わかった。私…」
「ん」
「七海と一緒に、この場所を出るっていうのは…。私の行動だから。気持ちじゃない。それで…これは私の償いで私が勝手にやってることだから。七海は気にしないで、無視して。でも…ごめん。わからないよね」
あまり伝わらなかった。私の頭がぼやけてるせいか、それとも言葉なんてなんの意味も持っていないからか、わかんない。
そうだった。わかっていた。言葉は無力な癖に傷だけをつける。これが、私、辛かった。でも…。
「七海。私、なにされてもいいよ」
みゆちゃんは、私の身体から腕を解いた。ただ、彼女はそこに居てくれている。それだけだった。
「…」
なんで彼女がこんなに優しくしてくれてるのかわかんない。彼女が寂しいから、優しくしてくれてるだけなのかもしれない。それでも、私は勝手にみゆちゃんの背中に腕を回す。
「みゆちゃん」
「なに?」
私は、雨で濡れた彼女の首元に頭を預けた。そこで言う。
「…ありがと」
「ううん」
私は引き寄せていた彼女の身体を解放した。邪魔だった涙を振り払う。身体が異様に軽い。
私に必要だったのは言葉じゃなかったと気づいた。今度こそ祈る。
「翼…折れて!」
肩から、雷が天地を引き裂いたかのような音がした。
「バキベキベキバキ」
「いたいいたいいたいいたいいたいいたい」
翼と背中だけじゃない。全身の骨という骨や臓器にまで、激しい振動が伝わってきて、何もかもを揺らした。器官が萎縮する。肺から昇ってくる熱い血を、成す術なく吐いた。
「え?は?やめ…」
「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい」
雨水と血が溜まったデッキの上をのたうち回る。こんな恥ずかしいところ、さっきまでは見せたくはなかったけど。
「み」
やがて、全身の痙攣が止まった。髪と服が赤い雨水で、ぐしゃぐしゃに濡れている。耳の穴に血が入ってきた。
「も」
崩れた私の身体は、またみゆちゃんに持ち上げられる。もう、脚にも何処にも力が入らなかった。砕けた左肩を、彼女の胸元へ預けてしまう。みゆちゃんを血で汚してしまった。
「七海!もうやめ…て。やだ!嫌!」
ごめんねって言おうとしたけど、ダメだった。舌の上を掠れた吐息が通過していく。声より先に喀血が止まない。
「ポップン!」
みゆちゃんが叫んだ。彼女の背中にも、白い片翼が生える。私があげた物。私から欠けた物。
「し、治って!治れ!」
イノリを掛けようとしてくれているんだと思う。けど、私の意識は揺るがない。治さない。
「な…や」
しばらく、雨音しか聞こえない。
これでも私の身体には、まだ魔力が残っているみたいだった。ちょっとずつ喋れるようになってくる。
でも、五感が所々欠けてしまっていた。魔力の源、魔法生物を失った魔法少女は、また死体へ逆戻りしてしまうらしい。恐らくこれも、一瞬でも意識を綻ばせてしまえば、不死のイノリによって再生してしまう。だから、ただ、翼が折れるように願いながら声を出した。
「みゆちゃ…?」
「な、なに。何?」
「しあれて…?」
「うん。…聞こえる。聞こえるよ」
笑ってしまうほど情けない。一方的に、みゆちゃんに凄惨なことをして、恥を晒して、それでも尚、彼女の身体に覆い被さることしかできなかった。
「う…げぱ」
一度、口に溜まった血を吐く。大丈夫。意識の全てを耳と話す事だけにつぎ込んで、まだ言いたい事があるから。
「みゆちゃ、わ、ゆあね」
「うん…うん」
みゆちゃん絶対、泣いてると思う。みえないけど。
「ま…もと、はなしたい。みゆちゃと」
「うん」
「ずっと、いっしょいいていい?」
「うん。ずっと一緒に居て…」
とても温かい。私がこんな想いをしていいのだろうか。
「ねぇ、こっち見て」
「ない?」
見えないんだ。ごめんね。
「私、絶対、忘れない。絶対、離さない」
みゆちゃんが言う。
「私、ゆあのこと絶対許さないから」
ハッキリと聞こえた。
「ゆあも、私のことずっと許さないで、ほしい。おねがい」
あー。やば。ずるい。
みゆちゃんに、もっと名前呼んで欲しくなった。もっと話したくなった。私が名前を呼ばれて振り向いて、そしてそこにみゆちゃんが居て、そんな事してみたくなった。
やがて、荒天は晴れ渡っていく。七海結愛之墓は、血と静寂がまざまざと残っていた。
「…くな」
(19)
高速道路を走るバスの中、車窓の向こうを眺めながら、私は身体と頭を休ませようと意識している。つまり、何も休まってはいない。
静岡から東京行きの夜行バスは、陰々鬱々とした重苦しい空気を湛えていた。隣の席に座っている瀬良さんも、心なしか疲弊しているように見える。いや、疲れていて欲しいと思った。こわいから。
「で、エラどこいったんです?」
何気ない会話を装って訊いてみる。
「スカイツリー周辺だって。組織情報によると」
「はい。じゃあ転移しますね。ばいばい」
「は?置いてくの?」
「もう二時過ぎてますよ?」
現在時刻は恐らく深夜四時を優に回っている。なんなら、バスの窓から見える空模様には、藍色が差していた。
「いや、バスめっちゃ嫌なんだって」
「瀬良さんも魔法少女化しないと、転移に耐えられないかも。身体、バラバラになります」
「Don't来い」
瀬良さんのコンディションは、その横顔を一瞥しただけだと、露程も読めなかった。
「いきます。手、繋いで」
瀬良さんの手を取って、私はスカイツリー周辺を鮮明に思い浮かべる。東京の淀んだ夜景。イメージを固めて、そこに落ちていく感覚。
転移魔法を発動した。
*
明け方の東京都墨田区は、東京とは思えないほど空気が澄んでいる。何処か優しさを持った柔らかな風が、私の黒髪を撫でた。
東京スカイツリーを下から覗く。遠くの青い空の下、銀色の天辺の先に、白い人影のような物が見えた。ここから見ても、あれが人ならざる巨人であることがわかる。エラが、あそこに居た。
ここで全部終わらせる。終わったら、墨田区観光ぶちかます。
私と一緒に転移してきた瀬良さんは、ツリーの入り口の辺りでウロウロしていた。手にタバコの箱を持っているのが見える。喫煙所を探す人間特有の不審者的ムーブが、何故か様になっていた。一先ず彼は、どうでもいい。
私は地面を蹴った。
今までにないくらい軽やか且つ、清々しい飛翔だった気がする。背中に二枚の翼を形成しながら、澄んだ空気を切り開いて、上へ、更に上へ、飛び出した。
「きて」
宙で鳴らした私の声に呼応して、着込んでいた黒い衣服が、熱された蠟のような物へ変わっていく。
天へ上昇する私の身体を這っていく白い蠟は、まるで塗膜が剝がれ落ちるかのように、裂かれた風に乗って、地面へ垂れていった。その蝋が剝がれた下、陽光を澱みなく照り返す、純白のドレスが見え隠れしている。
「…マジカルチャージ」
続いて呟いた。すると、風で自在に暴れていた黒髪にも、白い蝋が這っていく。髪に纏わりついた蝋は、頭蓋に沿って姿形の再形成を始めた。
一瞬にして、ティアラのような、かわいらしい銀色の装身具が形成される。荒ぶる髪を鎮め込んだのは、冷たい鉄の重みだった。
一方で、抑圧された黒髪は、まるで色が抜け落ちていくかのように、暗黒色を失っていく。白銀の束が頬を優しく撫でた。
地上から、六百三十四メートル離れた上空。雲に紛れそうな二つの白い人影が浮いている。
「エラ」
純白のドレスを纏った私は、同じく白いドレスを纏っている巨人の名前を呼んだ。その頭部に付いた巨大な手のひらが、こちらを向いてくる。改めて、その異形な姿が私の畏れを焚き付けた。両手のひらに、銀色の銃口を形成して、警戒をとる。
「…え?」
エラの手のひらと向かい合った瞬間、空が歪んだような気がした。無いはずの地面が揺らいで、少し酔いを感じる。けど、特に攻撃を仕掛けられた訳でもないようだった。今はいい。
「ズ」
エラの頭部から伸びた大きな手が、ゆっくりと拳をつくる。今、人差し指が上がろうとしていた。
「言う事、利け!」
私の方が早い。全身全霊の祈りを込めて、異形の怪物に言い放った。
「…」
私のイノリは無効化されたらしい。白い怪物は、動きを止めなかった。
「ピュン」
そこで突然、見えない銃弾のような物が頬を掠める。白銀の後ろ髪が、少し断たれた。あれは、たぶん意識を操るイノリ。大丈夫。対策できている。
「いける」
無鉄砲な確信を抱いた。
「変形」
私は、右の翼を変形させる。
エラも浮遊魔法を使えるらしいけど、彼女は私みたいに翼を持っていない。こっちが片翼になっても、素早さでアドバンテージが取れる自信があった。
「剣」
剣というか太刀のような、白い得物を片手に握る。敵を見据えた。
「…ザン!」
剣を振りつつ、エラの脇を通り抜ける。
「ぶしゃ」
巨体の怪物の脇腹辺りに、切れ込みを入れた。
エラは、私を目で追えていない。彼女の白いドレスが血で染まっていく。
「…」
けど、そんな居合はエラの回復魔法前では無力に等しい。私が瞬きをした次の瞬間には、彼女の傷は跡形もなく再生している。
次はエラのターン。彼女は宙でゆっくりと身体を傾けた。
来る。
「いっ…」
無数の巨大な火球が、エラの方から飛んでくる。その球の、あまりの速さと大きさに、とても反応ができない。何処へ飛ぼうとも被弾してしまうような無数の大火球に、私の右脚は貫かれてしまった。即座に傷の具合を確認する。大丈夫。これくらいなら治る。
「盾」
私は眼前に、巨大なただの四角い板を張った。これで追撃の火球を防ぐ。板が火球を受ける度、シュウという音を立てて僅かに揺れた。
今度はこっちのターン。
「脚、ジェット」
白いワイドヒールに、厳つい装甲を纏った。
「ビュン」
私は、皮膚が裂けそうなほどのスピードで空を駆けた。縦横無尽に攪乱させた後、エラの膝元で急停止する。
「変形、ハンマー」
そこで、私の体躯以上の大きさがある白い肉叩きをぶん回した。
「よっし」
私の一撃の衝撃を受けきれず、エラは背中からスカイツリーに突っ込んでいった。途轍もない轟音が空気を揺らして、金属が傾ぐ音がする。見ると、エラの腹にスカイツリー天辺の白い鉄骨が突き刺さっていた。
「ここポプよ!」
「うん」
私はエラに追撃をかけるために、また飛翔する。両翼で宙をかき回した。
「ドン!」
エラの身体に、肩から突進する。
「…」
彼女は腹部を撞かれて、またダメージを負ったのか、動きを止めた。
ここで溜められる時間がある。
「ギュインギュインギュイン」
両手のひらが、熱で温まった。私は銀色の銃口の先で、巨大な光球を生成していく。
「いけ!」
エラの胴体を打ちのめす、二つの光球が発射された。
「バァン!!」
「った」
私は、自身の発した光球の衝撃によって、反動を浴びる。前腕が吹っ飛ぶどころか、身体ごと着弾点から弾き飛ばされた。
「みゆちゃん、おきてポプ!」
目を開く。気がつくと、スカイツリーの天辺から十メートル程離れた上空を浮遊していた。空中でなんとか踏みとどまったらしい。よくわかんないけど。
吹き飛んで消えた前腕も、光球の勢いで焼け焦げたドレスも、既に再生を始めていた。そこで気付く。
「…え」
生え変わっていく前腕の先、袖口についた純白のフリルに、ピンク色アクセントが入っていた。他にも、知らず知らずのうちに、ドレスの至る所が薄く淡い桃色を染まっていたり、ネイルまでもがピンクパールに染まっている。
「ふふ。…うわー」
早く戦いを終わらせたい。
「あ、エラは?」
ドレスチェンジに魅入られて、完全に忘れていた。辺りを見回す。
「ん?」
いつの間にか、頭を、巨大な手の指先に摘ままれていた。
「ドォン!!」
そして、投げ飛ばされる。
訳もわかんないまま、私はスカイツリーのデッキに突き飛ばされた。身体が、頭が、硬い鉄骨を拉げて壊していく。デッキに着弾するまで、脊椎や、あらゆる骨が折れては、再生を繰り返して、徐々に身体全体の感覚が失われていった。
「あえ」
痛くない。痛くない。痛く感じないから、まだがんばれる。
ガラス片がぶっ刺さった瞼を上げた。ガラスを引き抜いて、一度瞬き。
「…なおれ、おれ」
治った。立ち上がれた。床の、地面の感覚がある。ドレスをはたきながら、辺りを眺めた。
私が着弾したのは、スカイツリーの『天望回路』辺り。ドーナツ状だったデッキは、私に突っ込まれたことで、崩壊して欠けてしまった。一口齧られたドーナツが、白と銀色のタワー上部にぶっ刺さっている。現状は、たぶんそんな感じ。
「…」
私は、変な方向に曲がった左腕と首を治しながら、開け放たれた空を見上げてみる。日が昇り始めた早朝の空は、薄紫とオレンジで描かれた水彩画みたいだった。
「ファーン」
「…しもと、…い…ださい」
私の安らぎの狭間で、謎の音楽とアナウンス音声が流れる。エレベーターの方から聞こえた気がした。急いでデッキ中央のエレベーター付近へ駆けて行く。
「ザー…」
ゆっくりと、エレベーターのドアが開いた。
そこに、エラが居る。
私は右の翼に変形させた。また剣を生成する。エラに向かって、思い切り振り被った。
「カン!」
正直、剣の振り方なんてわかんない。ゲームのキャラの見よう見まねで振っている。
だからか、当たり前に隙が生まれた。
エラの魔法に、お腹の真ん中を貫かれる。
「ハァ…ハ。ガォポ」
剣を床に落とした。お腹に開いた巨大な穴に目を向ける。数ミリ程しか残っていない脇腹が、グラグラと上半身を支えていた。もう、どうして身体が繋がっているかも、わかんない。
「ど」
内蔵が零れそうになった。治れ。まだ。
「…」
エラは余裕そうに、頽れていく私を見ていた。
「あ」
だんだん、穴が塞がってくる。ただ…。
「バチン」
エラが頭に付いている指を鳴らした。今度は、私の右脚と左腕が消し飛ばされる。私は顔面から床へ倒れ込んだ。
「ど」
かてない。かてない?今まで、死んでいった人たちの顔を思い浮かべた。屋上、みなとみらい、空港。
「…」
視界の端に、さっき落とした銀色の剣が見える。地べたに這いずりながら、剣を手繰り寄せた。
「へんけ…」
何処にも力が入らない。けど、銀色の剣は変形してくれた。
「バシュッ」
弱った右腕で、生成した銀色のクナイを放り投げた。それは目では追えないほどの勢いで、エラの方へ飛んでいく。
私は最後の力を振り絞ってエラの方を見上げた。当たれ。あたってて。
「ツ」
エラの頭部の手に生えた中指に、僅かな赤い線が入っている。
それだけだった。
視界が揺らいでいく。鼻と床が擦れる。
あ、右腕が消えた。
エラの足音が近寄ってくる。
「ギチギチ」
私の後頭部の上で生肉を揉み込んでいるような音がした。
「バキバキベショブシッ」
エラが頭部から、血か何かが噴出しているらしい。
私のひれ伏した頭は、そんなエラの両手によって持ち上げられた。普通の人の手。柔らかくて温かい指が、私の頬に触れる。
フェードアウトしそうな意識の中、私の視界に映ったのは、エラの顔…ではなく。
紛れもない、悲壮に満ちた六月未結の顔だった。
(X3)
うーん。家か。とりあえず。
私は腹に大穴を開けて気絶した、六月未結、つまりは私を魔法で浮遊させた。自宅を別次元で作って、そこで再生させて、いろいろ話す。それがいつものパターンだった気がする。
東京スカイツリーの天望回廊は滅茶苦茶に壊れていた。でも、魔法境域を張っておいたので、たぶん直ると思う。魔法境域用に攫った子たちも、今頃はお家に帰っているだろう。
私は最後に、鬱陶しいほど煌めく日の出を、目に焼き付けた。二〇一二年一二月一二日は過去の物となって、二〇一二年一二月一三日が迫り来る。別にセピアでも、まだレトロでもない。ただの日の出だった。
*
「ただいま」
普段は絶対そんなことを言わないけれど、何故か口に出したくなる。
私の自宅、マンションの一三〇二号室は、相変わらず玄関から小綺麗に掃除されていた。母は、かなりマメな性格をしているのに、何故か私は掃除がまともにできない。でも、それはあの子も同じだった。だからいい。
「…ん?」
帰宅から二時間後、私と同じ色のドレスを纏った六月未結がソファの上で目覚めた。私は彼女の隣に並ぶように座りながら、テレビで朝の情報番組を見ている。
「おはよ」
声を掛けた。
「え?」
六月未結が明らかに困惑した表情を浮かべる。私ってこんなにも顔に出るタイプなのか。
「なん…」
「尺無いから。まず答えから言うね。その後、解説。質問は無し」
私はテレビに流れていたニュースキャスターの冷淡さを真似つつ、語り聞かせる。
「未結ちゃん。これから貴方には『全能の魔法少女エラの力』が継承されます。貴方はその力を使って、貴方の答えを探しに行ってください」
私は白銀色の髪を弄りながら、目の前の机に置いてあったオランジーアを一口飲んだ。潤った喉で続ける。
「じゃあ、解説ね。まず私は、第十二代目全能の魔法少女エラ。そして六月未結。六月未結は、これから私たちが行う『エラの力の継承』を、これまで十二回繰り返し行ってきた。今回で十三回目」
いつ飲んでも、このジュースの味は私の舌には合わない。それでも舌を回し続ける。
「『エラの力』とはすなわち、『時間を移動する能力』のこと」
自分で言っておきながら、突拍子もない魔法だと思う。
「初代の私が、どうやってこの力を手に入れたかはわからない。けど、何処かで過去へ移動する力を得た初代の私は、こうやって力の継承を繰り返し行えるような体系をつくった。エラの力は、繰り返し継承を行うことで、増強されていく」
私は立ち上がって、ソファに座った六月未結の前に歩み寄る。胸に手を当てながら、威張るように説明した。
「ちなみに私は十二代目。私は百年単位で過去を移動できます。その力を使って、貴方をここへ導いた」
その工程は語るまでもない。というより、煩雑すぎてかったるい。だからパスした。
「さっきも言った通り、これから私は貴方に力を継承します。そして貴方は、十三代目全能の魔法少女エラになります。そこで得た、時間を移動する能力を以て、貴方は貴方だけの答えを探しに…もし見つからなかったら、そこで終わり。死ぬなりなんなり好きにして」
これで全部、言い終わったと思う。
私は六月未結の顔色を伺った。彼女は暗転したテレビを見つめていて、呆けているのか話を聞いているのか全然わからない。
私自身、理解されようとなんて思ってはいなかった。私も継承の儀式をするときは、こんな感じだった気がする。でも一応、訊いてみた。
「どう?理解できた?」
「…ごめん。全然何言ってんのかわかんない」
「でしょーね」
「結局、移動できるのは過去だけ?十二代目の貴方みたいに」
「え?うーん。それはネタバレだから」
「あ?」
「いや言っちゃお。もうどうでもいいし」
私は視線を逸らして、教えてやる。
「十三代目六月未結。今回の継承で貴方は『過去を移動する力』に加え、『未来を移動する力』を得るそうです」
「…は?」
「貴方は、過去、現在、未来を自由に往来することができるようになる。全部、この『時間を自由に移動する力』を得るためだった」
六月未結が呆気にとられていた。やっぱり顔に出過ぎている。
「今私たちが居るのは、二〇一二年。つまり貴方からみた過去。ここから貴方が元の時代へ帰るにためにも、エラの力を継承し、『時間を自由に移動する力』を得る必要があります」
「…うん」
「よし!じゃあアニメ観て」
「え?なんで?」
「えっと、ここ二十年くらいの時間移動をするには…二〇一二年はこれとか、二〇〇四年はこれとか、その年に対して明確なイメージを持たなきゃいけないんだけど。そのイメージを作り出すために、各年代のアニメを観ます」
「わかった」
恐らく、気分を落ち着けたいんだと思う。泣いた後も殺された後も、これを観ればある程度気持ちが落ち着く。六月未結は、私はそういう奴だった。
(1a)
ポップンから赤いスマホを取り出して、アニメが観れるサブスクアプリを開く。
今は二〇一二年らしいけど、何故かこのスマホでは、最新作品の最新話のアニメを観ることできた。案外、魔法もテキトーなのかもしれない。
私は灰色のソファの上で横になりながら、スマホの小さな画面を肘置きのクッションで支えた。エラはお散歩にいったらしい。一人、リビングでアニメを観始めた。
正直エラが言ってる事、めっちゃ難しかった。けど、何となくわかった気がする。
エラは六月未結。そして恐らく今までのエラの行動は、次の六月未結をここに導くための作業だった。
エラの力が継承を経るごとに強まっているのは、過去の十二人分の六月未結の魔力を継いでいるから。私で十三人目。十三人分の六月未結の魔力があれば、『時間を自由に移動する力』を得ることができる。
エラの目的は変わらず、魔法少女の存在を、この世から消すことなのかもしれない。もちろん、魔法少女を殺さないで。
十二代目エラの過去を移動する力だけでは、魔法少女を消すことはできなかったらしい。私が『時間を自由に移動する力』を手に入れれば、自由に時間を操ってようやく魔法少女をなかったことにできるのかもしれない。
「…ん?」
時間を改変できれば、魔法少女を無くすどころか、もしかしたら人の死を無かったことにできる?
「んー」
自分でも何を考えているのかわかんない。アニメもそう。時間要素が出てくると一気にややこしくなる。けど、ここで思考を止めては、またアズマさんや陽葵…のように死ぬ人が増えていくだけだと、そう思った。
*
「よし!そろそろかな?未結ちゃん」
「うん。きも」
「私、二百歳くらい年上だけど?」
それにしては、今の私と容姿が全く変わっていないように見える。
家の真っ白いバスルームの中、空の浴槽に入ったエラが、私を招き入れた。今から力の継承が始まろうとしている。
私とエラは、浴槽の中で向かい合った。これから彼女の発されるであろう彼女の言葉に息を呑む。
「…じゃあさ、今私が言ったこと全部、忘れて?」
「え?」
思わず、エラの顔を二度見した。けど、冗談を言っているようには見えない。
「なに?どーゆーこと?」
「手、繋いで。目、瞑って」
エラが私の手を粗っぽく掴んでくる。私は言われるがままに目を瞑った。
「え?」
そして目を開く。私たちを取り囲む景色が一変していた。
寂れた古臭い電化製品店のような場所に、連れてこられたらしい。旧型洗濯機やら大きな掃除機やらが入った段ボールが積まれた棚に、私たちは包囲されている。目の前には、見たこともないような分厚くて小さなテレビが置かれていた。
「なに?」
エラが転移魔法を使ったことはわかる。けど、意図が読めない。
「観よっか。とりあえず」
「なにを?」
エラが地べたに座り込む。白いドレスが土埃で汚れてしまうことには、全く気にしていないようだった。そんな彼女は無骨に言う。
「魔法少女は、何も救えない」
「え?」
「時間の改変なんてできない」
「な…」
「座れ」
膝が勝手に床へ落ちた。そこから身動きを取れなくなる。
傍に座ったエラは、灰色の床に転がっていた白と黄色と赤のケーブル三本を手繰り寄せていた。
「グチッ」
彼女はそれを、自身のこめかみにぶっ刺す。
「これは、エラが歩んできた過去の映像」
古臭いテレビが、液晶の上でジリジリと静電気を立てながら、映像を映し始めた。
(x)
「シチミユア!」
「…はい?」
「君一人で一個軍隊いや、世界をも覆せる力があるんだろ!?なのに君はッ!愛国心という物が微塵もないのか!」
拍子木を叩いたような音がした。
「あ、やば。やちゃた」
めっちゃ気ぃ抜いてた。知らない高齢の男性が座っていた座布団が、少し潰れている。その他には塵すらも残っていなかった。
途端に、低い長机を囲むように座っていた大人たちの目が泳ぎ始める。政治家、官僚、権力者なのに威厳の欠片もない。
「あの…ごめんなさい。これ、あげます」
私は食べかけの紅葉饅頭の一欠けらを、隣に座っている向田さんに渡した。
「いいんだよ。実際、あまり気に入らない奴だったからさ」
「…はい」
「そうだ。お詫びといってはなんだが、次はコレを頼めるかな」
向田さんは、私が渡した紅葉饅頭の欠片とスマホの画面を突き出してくる。
「せーじか?」
「いや、政治家だった人かな」
「はい…あの、羽さわんないでほしいです」
結局、その日の依頼を受け入れたのかどうかも憶えていない。気がついたら、荘厳なお屋敷を基礎ごと消し飛ばしていた。
消滅魔法を打った後は、手のひらに微かな熱が残る。その熱も黒い雲から落ちてきた小雨に攫われた。濡れた敷石を一つ一つ確かめながら、敷地の出口へ引き返す。
原初の魔法少女になってから、たぶん半年くらい経った。案外、半年間で私の心の内はある程度満たされてしまって、もう特にやりたいことも何も残っていない。もとより、趣味も何一つ無かったし。
「…った」
急に右手の甲と指の関節が痛んだ。魔法少女になっても自律神経は再生しない。目の端に浮かんだ涙と降りしきる雨粒が、頬の上で混ざり合った。
痛む指先から、また魔法を放つ。屋敷の門の近くに停まっていた送迎用の高級車のドアを消滅させて、運転席に滑り込んだ。車内に染み付いたタバコの匂いが、雨の匂いと絡み合っている。最悪だった。
ピンクの頭をハンドルに預ける。クラクションが夜の街に響き合った。そのまま、クラクションに頬を擦りながら、頭を垂れていく。腿の上に腕を置いて、その腕上に額を載せた。汚れたピンクのスカートしか見えない。
何か慈善的な方向で、魔法少女の力を使えたらと思って始めたお仕事だったはず。
けど、実はそんな事は建前で、父を殺した償いをしようとしているだけだったと気がついたのは、もう後戻りできない程人を殺した後。今だった。
人殺しの償いのために人を殺して、人殺しの償いのために人を殺して、人殺しの償いのために人を殺した。
あれ、なにしてたんだっけ。またすぐそうやって、自分を泣かせようとする。少し泣いて死にたくなって朝になったら、はい終わり。死ねないもんね。ずっと、ずっとそんな…。
「ガチャ」
え?
「クラクションうるっさ」
助手席に、誰かが乗り込んできた。
私は、恐る恐る頭を上げて、声のする方を伺う。
「ね、ゆあ」
「え?だれ」
「え、うーん。エラ?エラ」
白いドレスを纏った女性が、そこに座っていた。ライトが点いていない暗い車内でも、僅かに見え隠れしている月光に照らされて、彼女の白銀の髪やドレスが輝いていた。
「へいき?」
彼女の声は、口元を覆った鋼鉄のマスクのような物に遮られている。そのくぐもった声は、私の耳元を優しく撫でた。
「へいきです」
へいきじゃない。へいきじゃないです。とまでは言えなかった。誰にも頼らない。これは私が勝手に病んで、勝手に死ぬことでしか解決しない。でも、死ねないから。
「あれ…え?」
「ん?なに」
「なん…でゆあのことしってる」
「あー、ファン。フォロワー。スキ」
絶対違う。なんとなく彼女の吐く嘘が見抜けた。
「…なんで、なにしに来たの?」
「あいたくて。それだけ」
彼女は一切の澱みなく、そう言った。白い前髪の隙間の瞳が、真っ直ぐ私を見据えている。こわい。
「じゃあ、行くね」
「え。どこ…」
「ごめん。あえてよかった。がんばれる」
彼女は消えた。音を置き去りにするでもなく。全くの無音で居なくなった。
助手席には、一枚の純白の羽が残っている。拾い上げてみた。ぜんぜん羽じゃない。薄い人の皮膚みたいな物だった。
(Fragment)
「一方的ー。めっちゃ」
「なにこれ」
「歴代エラのあゆみ」
(x)
土足で、やたら広々としたリビングに降り立った。目の前のソファには、幼い少女が座っている。
「ゆあちゃん」
私は声を掛けた。六月未結至上、エラ至上、類を見ないほど朗らかな声を。
「えっ…」
少女は薄桃色のワンピースのパジャマを着て、白いぬいぐるみを抱えていた。
当然、空港で見た王路の顔を思い出す。今の少女は、王路より年下のはずだけど、その顔は既に絵画に描かれた天使のようだった。不気味なティントの思い出が砕け散る。
少女は、見たこともないようなサイズのテレビの画面に食い入っていた。彼女は一度だけこちらを向いたものの、またテレビに顔を向けている。私と彼女は、顔も合わせないままに会話を続けた。
「だれ?」
「あっごめんね。急に」
「だれ?」
「えーっと、私はエラ」
「えら?」
「…うん」
なんか子どもって苦手なのかもしれない。ゆあなのに何を考えているのかあまりわからない。
私は、彼女が座っていた巨大な白いソファに腰を下ろした。まずは基本的な会話から始めてみる。
「何観てるの?」
「てび」
てびらしい。少女は、てびを観ながら棒付きの小さな飴を舐めていた。
よく辺りを見ると、ソファの前にあるガラスのローテーブルには、黒くて四角い皿が置かれている。皿の上に、食べかけのカニパンとチュッパチャプスと…チャンジャ?チャンジャが載せられていた。彼女がつくった朝食なのかもしれない。
「おどって」
「え?」
少女が観ていたアニメが、今正にエンディングを迎えようとしている。その曲を踊れとのことらしい。
「ねぇ」
「あ、うん」
私はテレビの前に立って、構えてみる。言われた通りに、エンディングのダンスを踊った。振りはあってるはず。
「ハァ…ハァ」
「うたって」
「いぇいいぇいいぇい」
サビを歌いながら踊る。
「…」
なんか御気に召していないようだった。私が頑張って踊っているのにも関わらず、彼女はぬいぐるみの黄色い耳をクルクル弄って遊んでいる。
そのまま踊り続けて、エンディングが終わった。コマーシャルが流れ始め…。
「ヒュンッ」
「おっぶな」
少女が、咥えていたチュッパチャプスをこちらにぶん投げてきた。私は被弾するギリギリのところで避ける。
「バン」
しかし、チュッパチャプスストロベリークリーム味は止まることを知らない。棒付きの飴は、まるでダーツの矢のようにテレビの液晶にめり込んだ。
「やば」
テレビの画面の右下が真っ黒になっている。大きな液晶の角に、銃撃されたような丸く黒いチュッパチャップス痕が残った。
「…う」
「は?」
少女は何故か泣き出しそう。こいつやばすぎる。
「直せる!直せるからよ!」
私は彼女を宥めようと必死で訴えた。しかし、七海結愛も止まることを知らない。耳が潰れそうになるほどの声量で少女が泣き始めた。
「…えっと、これ!これあげるから!これ観てね!」
私は咄嗟にポップンから赤いスマホを取り出す。すると、彼女は一瞬で泣き止んで物珍しそうな顔をしながら、スマホを引っ掴んできた。
そういえば、この年代にはまだ、このスマホは発売していない。もっと未来に発表されるはずスマホだった。けど、泣かれるよりはマシ。
「それ、いろんなやつ観れるよ」
少女が知らない未来の作品も、バッテリーが尽きない限り観れるはず。
「それあげるから。使い方わかんなかったらパパに訊いてね」
え、優しいお姉さんすぎ。完璧だった。
私は壊れたテレビに右手を翳す。次の瞬間、破裂していた液晶が元に戻った。ゆあの家を去ってから気づく。テレビを直したのなら、スマホを渡す必要は無かった。
(Frangment)
「ゆあ、めっちゃかわいー」
「これ、十二代目?」
「いや、もっと前。三とかその辺り」
「スマホは?」
「あげたんだって」
(x)
「うーん。結愛ちゃんくらいの子はみんな地下ドルとか、番組出たりして、オーディションからアイドルとか。あとはモデルやりながらショップ店員みたいな感じじゃない?大体」
「へぇ。陽葵、詳しー」
未結はそんな受け答えを口にしながら、公園の遊具でじゃれる子どもたちを眺めていた。
日曜日の昼下がり、街を散歩してたところで、偶然、未結と出会った。そのまま近くにあった公園でお喋りすることになって、今に至る。なんかおばあちゃんみたい。
「アイドル結愛ちゃんみたいなー」
「絶対そういうのやりたがらない。アイツ」
「そうなの?仲良いの?」
「ううん。けど別に、ほんとはやる気ないんだと思う。ゆあも。依存してるから続けてるみたいな…」
未結と喋ったのは中学生のとき以来だったけど、不思議と会話には困らなかった。二人とも、こうして共通の話題があったから。
「中学のときに、友だちが上げた写真か動画がバズって、そのアカウントそのまま貰って続けてるだけなんだって。誰かがどっかで言ってた」
明らかに、未結の声色が落ち込んでいた。結愛ちゃんが未結の何なのか知らないし、何処かで琴線を踏んでしまったのかもしれない。
未結は、薄くて小さな古本の背表紙を俯きながら撫でていた。私は焦って話題を切り替える。
「…てかさ、未結めっちゃかわいくなった!」
「そ?」
「うん!中学のときより、垢ぬけてる」
「私、実年齢二百歳以上だから。陽葵なんてばぶ」
「え?」
あまり何を言っているのかわからない。けど、その言葉を裏付けるような風格を彼女は湛えていた。
「どういうこと?」
「ん?いやめっちゃ当たり前だけど、普通にメイクも美容も、長年やればやるだけ上達するに決まってない?」
「え?うん。…いやでもそういう問題じゃない」
言って数秒後に後悔する。こうやって子どものように駄々をこねて、他人に当たってこれが駄目だってわかってるのに。
「そう。今がいちばん大事だよね。今日はそれを陽葵に話しに来たんだけど、いい?」
私は俯いた首を無理やり縦に振る。未結の視線を頭の先に感じた。
「なんか、別に自分を肯定しなくてもいいんじゃない?って思う」
未結は言葉に詰まらない。私とは大違いだった。
「私たちは、今日の自分を否定して、明日の自分を積み上げていく。そういう、明日の自分で今日の自分の傷を舐めるような努力をすることしかできないんだと思う。他人の言葉とかで、本質的に自分が救われることなんて無いと思うから」
じゃあ、今こうしているのは何故なのか。それを問いたかった。私は青い空に視線を向ける。彼女の言葉だけに集中したかった。
「私たちは、言葉の何も出来なさと暴力性を知らなかったから…言葉という凶器を、あればあるだけ掘り起こしてしまった。もう、あの社会を元に戻すことなんてできないと思う」
未結は一呼吸おいてから続ける。
「過去を変える力なんてないし」
それは、深い諦念に見えた。
「悔い改めて、良い言葉を使おうが、社会も、辛い現状も変わらない。言葉ってそもそも無力だから」
未結の言ってること、頑張って理解しようと思う。救いの手を無下にしたくない。
「でも、初めからこの価値観って…自意識の、自分の中の感情の問題なんだと思う。例えば、ある程度、自分に自信が無いと人に告白できないでしょ。その、他人と関わる前の、『ある程度』を作り出す段階で生まれる前提的な問題だと思う」
「…うん」
「だったら鼻から、この自意識を他人に救える訳がない」
だんだん、追いつけなくなってくる。少しの足掛かりしか得られなかった。
「結局ね、私が言いたいことは…最低限、自分だけでも救ってあげられることを目指すべき。他人に何を言われようとと、何をしようと、自分を救えるのは自分の行動だけだよってだけ」
録音して、文字に起こして欲しいと思った。さっきまで、伸ばされていたはずの救いの手は、もう何処か知らない場所へ引っ込んでしまっている。すぐに彼女が話題を切り上げたからでもあった。
「で、陽葵はこの後、死ぬの?」
「は?え?」
未結には直接そのことを話していない。何なら今日、ちょうど自殺をしようと思ったところで、彼女と出会った。だから、今日の自殺は止む無く差し止めになっている。一先ず、尋ねた。
「なんで未結が知ってんの?」
「顔。そういう顔してるから。死にたがってる顔」
「なにそれ。…じゃあ、もし私が自殺するとして、止めないの?」
「うん」
「なんで?」
「え?人の趣味とかやってること、どうしても否定したい瞬間なんてある?そういうのあんまわからないんだけど」
未結はベンチから立ち上がって言う。
「陽葵は、陽葵の道を行けばいいと思う。誰の邪魔もせず、誰にも邪魔させず」
「格言?」
「どっかで聞いた。どこだっけ」
私も立ち上がった。これで、お話しは終わりらしい。結局、何も掴めなかった気がする。
公園で未結と別れてから、ホームセンターに向かった。電動ドライバー、縄、ブルーシート、保険の黒いビニール袋をセルフレジに通す。明らかに周りの目を引いていた。さっさと死にたい。
(Frangment)
「これは私。十二代目。この会話も結局、無かったことになってた。時間は変えられないから」
「へぇ。…てか別に、ゆあアイドルやりたがると思う」
「は?なんで?」
「楽しいこと、ほんとは好きだったんだと思う。今はあんなでも」
「つらいと思うけど?」
「むりかも」
(x)
「こんにちは。みゆさん」
かわいらしい声とかわいらしい指先に肩を叩かれた。振り返ってみる。
「え、ナナミ結愛?」
「うん!」
「ちょっと話しませんか?」
スターバックスコーヒーの窓際、端の席に座らせられた。私の向かいの席に座るナナミ結愛が、おすすめのカスタムを施したフラペチーノを奢ってくれて、困惑に満ちた放課後を過ごすことになっている。とてもじゃなけど落ち着けない。
「で、話って?」
「えっと…昨日、体育のとき休んで話してたでしょ?」
ナナミ結愛が顔を覗いてきた。綺麗な瞳に射止められる。
「なに?」
「あ、ごめん。別に怒ってない!なんか…不思議?に思っただけ」
「なにが?」
フラペチーノを奢られたから、トントンになってはいるものの、私がナナミ結愛に付き合ってやってあげていることには変わりはない。
その上、訳の分からない話を振られて、少し癪に障った。そんな私の苛立つ視線は、彼女のキラキラした眼光に当てられて消し炭になる。そういうところも余計に癪だった。
「貴方は幸せじゃないから、嫉妬するの?」
ナナミがかわいらしい声で問いかけてくる。
「え、なに。キレてる?」
「ううん」
そんな訳がないと思った。自分もあまり人に褒められるような性格をしていない。だから、彼女の沸点がわかる気がする。気がするだけかもしれないけど。
「貴方は幸せになりたいの?」
「なに?こわいんだけど」
「…わかんないから訊いてんだけど」
彼女はやっぱりキレていた。奢ってくれたことには感謝している。だから、彼女の話を聞くだけ聞く義理は一応ある。私は答えた。
「いや、わかんなくて当然でしょ。だってめっちゃかわいいじゃん?」
「私?」
私は無言で返す。わかっている癖に聞いてくる。意味不明だった。かわいらしい彼女が言う。
「別に私は人に妬まれるとか、慣れてるしどうでもいい。皆が幸せになれればいいなって思うだけ」
「なに?さっきから、何言ってんの?」
「別に。…なんで泣きそうなの?」
「は?」
そういえば、目が乾く。胸で呼吸が詰まっているような感覚がした。頭の困惑が貧乏ゆすりを加速させる。
そこで突然、ナナミが立ち上がった。
「ごめん。時間無駄にしちゃった」
話は終わりらしい。最後までよくわからない。
「これ、あげる」
テーブルの上にスタバチケットとお札が数枚置かれた。
「いらないんだけど」
「もう、帰るから」
「え?なに?」
彼女は鞄やら何やらを手にして、席を離れていく。椅子に掛けていた、ふわふわしたアウターを羽織った。最後、彼女は一度だけ振り返って言う。
「私の苗字。ナナミじゃない」
「あっ。へー」
「貴方の名前は?」
「…未結」
「え」
そこで、ナナミが動きを止める。彼女の大きな瞳が、しばらく瞬きを忘れていた。
「六月?」
訊いてくる。首を縦に振った。
「…そう。ばいばい。ありがと」
彼女は香水の残り香と金銭だけを置いて、颯爽と出口へ向かった。その背中を啞然としながら見送る。掴みどころが無くて、一方的な人間だと思った。私と棲んでいる世界が違う。
(Fragment)
「ん?なんだこれ」
「え?知らないの?」
「いや、前の映像が残ってる。巻き直さないと」
「なにそれ」
「…にしても、きっもちわるいな」
「でも、いまは変わっていってるから」
「は?むりでしょ。開き直ってんの?」
(x)
「…」
泡。泡。泡。
「…」
「ゆ」
泡。手。泡。
「…」
「あ!」
泡。手。泡。
「…」
レインボーブリッジのライトアップを歪ませている水面へ、思い切り手を伸ばす。私は、白いドレス袖が幾ら水を含んで重くなろうとも、ここで彼女を掴まなきゃいけない。
沈んでいく、ゆあの身体を引き上げた。
*
いつだかに瀬良さんとゆあが来ていた静岡の旅館に来ている。平日だからか、この高級和室になんとかチェックインすることができた。というか、魔法で過去に飛んで予約した。
「なんか、ぜんぜんわかんないです」
ゆあが浴衣の帯を直しながら言った。数時間前、彼女が羽織っていた海水に塗れパーカーは、コインランドリーへ搬送されている。
「…」
関係性が、文字通り逆戻りしていた。だだっ広い和室は会話も夕食も何もない。
「なんか私のこと知ってそうだし、私のこと好きそうだから言いますけど…」
ゆあは、流石に耐えられなくなったのか、窓の方を向きながら切り出した。
「独りにして欲しい。関わってこないでください。これは最大限の譲歩です。私、もう嫌なんで。自分が、社会がぜんぶきらい。これ以上、励ますとか宥めるとか、しようとしてきたら…殺します」
「…うん」
「そもそも、なんで助けた?どうやって?なんで止めたんです?」
私は必死に頭を回す。もう口籠ったりしない。思っていることを口にした。
「私、魔法少女なんだよ」
「は?」
あ、間違えた。
「いやち…」
「なにいってんの。は?うざ…あー」
「ごめ、間違え…」
今まで過ごしてきた時間は何だったのか。私は私に問い質したかった。彼女を前にした途端、語彙も何もかもが無くなってしまった。
でも、言葉が止まない。零れるように声が連なった。
「あの…なんでも、叶えてあげるから。お願い…死なないで欲しい。嫌」
と、つい縋ってしまう。もう何も考えることが出来なくなっていた。
すると突然、ゆあが立ち上がる。彼女は素足で机を越えて、座椅子に腰掛けた私の脚の上へ馬乗りになってきた。折り畳んでいた両脚の上に、彼女の軽やかな体重が載る。
「死ね」
彼女が握っていた黒いボールペンが、私の喉に突き刺さった。痛みを感じるより先に、舌の上へ血が昇ってくる。ただ、今更どうこう言うでもない。
私は、皮膚に鮮血が垂れ始めると同時に、口に溜まった血液と唾液を喉奥へ押し戻した。
「死ね」
一度ボールペンが喉元から抜けて、また同じ位置に突き刺さってくる。これが三回繰り返された。
「死…ね」
「ア」
「ほんとに…マジで殺すから!」
ペン先が少し逸れて、私の鎖骨を削る。ガリガリと骨伝導が鼓膜を揺らした。
「ネ…」
ダメだ。物理的に言葉を紡げない。収まるまで待つことにした。
「は?え?」
ゆあは、私の再生力に慄いている。彼女が私の皮膚の上に開けた穴は、最早、何処に開いていたのかすら検討がつかないほど、綺麗に消え去った。
「なん…で。死ね…死ね死んで」
ゆあはボールペンを手放して、私の肩を掴んでくる。そのまま全体重を私に預けてきた。
「ちょっ、ゆ、倒れ!」
木製の座椅子が傾く。
「いった…」
私の後頭部は畳の上に押し付けられて、そこに重なるように、ゆあの額が落ちてきた。彼女の額を受け止めた鼻筋に、鈍い痛みが染み入る。
「うわ。あ、ごめんなさ」
ゆあは謝りながら、起き上がった。彼女は傍に転がっていたボールペンを拾い上げている。
「ここ、ここならいい」
私は仰向けのまま、右手のひらを示した。私は現状、座椅子の座面に沿って、脚をガニ股に広げている。とりあえず手を刺してて欲しい。体勢を直したかった。
「もう…い」
ゆあが私の身体の上から退いていった。彼女は、そのまま窓辺に行って、膝を抱えながら座り込んだ。私も起き上がって、血を飲み込む。和室に満ちる冷えた空気も同時に肺へ取り入れた。
「…あー!あー!ん」
ゆあが声を上げて、泣き始める。
「ごめん。ゆあ」
「…」
「聞いてほしい」
おこがましすぎたか。或いはもっと別の言葉を…。いや、違う。
私は客室を今一度、眺めた。窓に映る黒い稜線が、それを背にうずくまる、ゆあの身体の輪郭を際立たせている。客室に高級感を落とす照明も、和室ならではの畳の香りも、何をも彼女には関係がなかった。
無限に過ごした時間の中で、私は肌身に感じ取っている。いくら過去に戻って、ゆあを言葉で諭しても、魔法少女化を阻止しても、彼女はいつも何処でだって、泣いていた。
要するに、彼女の精神の翳りを晴らすことは如何にしてもできない。時間の改変なんてできなかった。ゆあに対して、私は、とても無力だった。
何代も続いた力の継承も、初代の私が魔法少女を消すために、そして何よりゆあの死ぬ世界を変えたかっただけなんだと思う。結局、それも無意味な徒労だったと、未だすすり泣く彼女の姿が物語っていた。
あの日、空港で彼女と話した、魔法少女と殺意の意義。殺意は何も幸せにしない、死は肯定できるものじゃない。これは断言できる。でも、それだけじゃなかった。
魔法は、誰も救えない。
全く無力で、そのくせ殺意を備えた凶器。魔法少女はそういう道具だった。そういえば、ゆあを苛んだのも、そんな物だったような気がする。そう考えると、魔法少女が彼女を救えないのは、妥当な気がした。
私は息を吸って、全く無益な言葉で赤裸々に伝える。
「あの…魔法少女って、案外何もできなかった」
ゆあが聞いていなくてもいい。それでも続ける。
「魔法は、救いたい物だけ、どうやっても救えない。なんでかはわからない。ごめん。それでも私、ゆあの事どうしても止めちゃった」
「…」
「これは言い訳なんだけど、もう一回、純心を信じて、夢を叶えられると思っただけ。人を助けてヒーローになれると思ってた」
だって…。
「私、魔法少女なんだよ」
これで終わり。
「もう、行くから」
嫌だ。嫌だけど。嫌なんだけど。これを、最後の一回にすると決めていた。
私は踵を返して、襖を引く。
「待って」
「うん。なに?」
「自殺止めたの、無意味なことばっかいってるのも…絶対、許さないから、から」
「わかった。じゃあ…」
右手を振った。彼女は見ていないけど。
「ばいばい。ゆあ」
廊下へ出る。
「あれ」
てっきり、ボールペンをぶん投げられると思っていた。後頭部を撫でてみる。ボールペンは刺さっていない。
「…」
なんか、泣いた。
(Frangment)
「ね?これも十二代目私。自殺を止めても、この後ゆあは死んだことになった。しかも何故か魔法少女化。結局、時間改変はできないんだよ」
「…え、なんかおかしくない?今の」
(X4)
「なにが?」
私は半ばキレ気味に、六月未結の手首を掴む。そして、また転移した。
自宅の浴室の中。薄暗がりの白くて狭い浴槽の中に、私と六月未結は向かい合う。数分前と同じ格好だった。けど、事は理解できたと思う。親切に教えてやった。
「わかったでしょ?陽葵も、ゆあも、救えてない。私は、何も変えられない」
「…いや」
「ん?なに?」
「まだ…」
「あのさ、なに気取ってんの?」
「…ツ」
六月未結が私の顔目掛けて、拳を振りかぶってくる。私は頬骨でそれを受けた。痛覚は、ここ数十年内に見る影もなく何処かへ消えてしまっている。口腔に温もりを感じてから、流血していることに気が付いた。
「ふふ。ほら、もっと八つ当たりしなよ。得意でしょ」
「…」
浴槽の中で、六月未結が膝を突く。浴室中に、ゴンと鐘を撞いたとうな鈍い音が反響した。
私の口から流れた赤い血は、六月未結の膝元へ滴っていく。白い浴槽の底に簡素で小さな血溜まりができた。切れた口で言う。
「思ったでしょ?魔法少女も消せて、あわよくば陽葵も…ゆあを助けられるって」
「…」
「ねぇ、思ってたんでしょ?都合が良すぎない?お姫様じゃないんだよ。私は」
私は、六月未結の顎をヒールで蹴り上げた。彼女の後頭部が浴槽の縁にぶつかって、また鐘のような音を響かせる。
「時間の『修正力』ってやつがあるらしい」
これは無力さの証明だった。
「魔法でも、イノリでも、時間改変できない、動かせない出来事が時間上には存在する。これは、その出来事に、修正力とかいう謎の力が効いているから。人の死や生みたいな大きな出来事は、とりわけ修正力が発生し易い。死も、不死のイノリみたいに不完全な状態でしか操れなかったでしょ?」
「…」
「原初の魔法少女が生まれること。増えていくこと。陽葵とゆあの自殺。ここまでのシナリオはもう修正力が効いてしまって、これ以上時間改変できない。つまり時間改変なんて、もうできない。魔法少女を消すことも、できない」
私は、浴槽の底にできた血溜まりを覗いた。滑らかな赤い円の中に、私の顔貌が反射している。
そこには、目が落ち窪んでいて、隈と涙袋が混在した蛞蝓のような何かが睫毛の裏側に息づいている私が居た。上手くなったメイクで隠しても、私は私のままだった。
「別に彼女らが自殺したことを、救えなかったのは最早どうでもいい。死が成り立たせる幸せなんて無いとか、言葉で言っても伝わらない。そんなのわかってる」
私は浴槽の縁に腰掛ける。頭を俯かせている六月未結に事実を浴びせ続けた。
「問題なのは、何も救えない思想が、夢が、救いの手が、選択を煩わせてる。私が!…ああ言ったせいで、陽葵は悩みながら自殺したと思う。私が阻害した」
散々、吹聴したけど、公園で陽葵に話したときも、旅館でゆあと話したときも、結末は何となく察していたと思う。それでも動いてしまうのは、私の悪癖。もうこんなこと、やめなきゃいけない。息を吸ってから、告げた。
「魔法少女は、言葉は、無力で暴力性を持ってるだけじゃない。邪魔なんだよ。単純に」
少し口角が上がる。なんか面白おかしくなってきた。
「わかるでしょ?未結ちゃん。ゆあに会って、人の邪魔をして、私が本当は何をしたかったのか」
「…痛い」
六月未結が呟く。
「違う」
「いたい」
「ねぇ」
「いたかった」
「うん」
「もう嫌」
「あのさ」
私は六月未結の両肩を掴んだ。彼女の骨が軋むまで、指をめり込ませる。
「本当は?」
幼子を諭すように詰問した。
「ほんとは…」
やっと、六月未結の唇がまともに動き始める。
「私、独りが寂しかった」
彼女は口早に続けた。
「私は言葉を、魔法少女を信じてるんじゃない。依存していただけ。この力を使って、人に会いに行きたかった。私は私自身の魔法少女の力を離したくない。これが、最後のふたりとの繋がりだから」
「…で?」
「私の魔法生物がいなくなったら、私の中のゆあの意識の欠片も、全部なくなっちゃう。だから、私は過去を切り離したくない。これが無いと、やっていけない。私、ずっと独りが寂しかった。ぜんぶ、わかる」
彼女の言葉が脳味噌の中を駆け巡っていく。記憶や夢、思い出、あの子の声、その全部が言葉になって、頭蓋骨の裏側を熱した。
「そう。貴方は結局、矛盾してる。魔法少女を消すとか言いつつ、自分の魔法少女の力は手放したくない。なぜなら誰にも会えなくなるから。甘いんだよ。馬鹿」
掴んでいた六月未結の肩を解放する。俯く彼女に追い打ちを掛けた。
「初代の私は、最終的に『時間を自由に移動する力』を手に入れれば、大事な友だちを救えるって思ってた。だから…王路を殺すシナリオを組んだ。最後には、その人殺しもなかったことにできるって思ってたから」
空港で王路を殺した感触を思い出す。王路を殺すことは、ここに六月未結を導くための『フラグ』だった。あれは、初代の私が示した継承の儀式をセッティングするまでの一つの工程に過ぎない。
「でも、こうして継承を重ねていく途中で、先代の私たちも、修正力の存在に気づいたんだよ。私たちが継承を重ねる間も、修正力は勢いを増して様々な出来事へ波及してってる。どんどん、いろんな物事が書き換えられなくなっていってるんだよ」
「…」
「いや、当たり前だよね?どんなに頑張ったって、そんな都合よく時間を書き換えられるようになる訳ないじゃん」
私は六月未結の顔を再度覗いた。意外にも泣いていない。その様が、少し神経が逆撫でる。
「あなたがエラになっても…魔法少女はこの世から消せません。守りたい友人は守れません。大事にしなきゃいけない友人を、生き返らせることもできません」
最後、最大限の恨みを乗せて、彼女の思考を握り潰す。
「何処にも行けない翼を持って、何処へ行こうと貴方は望むの?」
無窮の時間が過ぎたように思えた。私と六月未結、私と私は対となって、自家撞着的問題のやるせなさを反駁している。無言ではあったけれど、それはもう言葉の扱い方が分からなくなったからだった。
頭が可笑しくなるほど魔法や信念に依存して、挙句言葉で人の邪魔をする。全部、実のところは我が身可愛さ。人の邪魔をしたって、私は孤独が嫌で仕方なかった。誰かに会いたかった。
過去の私は、自身と人の純心さを信じるだのと言っていた。
信じることは、愛だとか清らかな感情じゃない。邪な劣情のような依存心。ただ、縋っているだけだ。気持ちが悪い。幼児みたいだ。
(1b)
「ふふ」
「ん?」
思わず、笑みが零れた。浴槽の底にできた血溜まりに、私の笑顔が反射している。口元のホクロが歪んで見えた。
「どうした?未結ちゃん」
「辛い。いっぱい辛い思いをしてる。私たちって」
「…は?」
笑いながら言葉を連ねる私に、エラはただ言葉を失っている。
「信じないと駄目。それに依存しても駄目。じゃあどうしたらいいの。ぜんぶ、うるさい。説教臭い。そういうのがいちばん嫌い」
私は腹の底から喉を穿って声を上げた。
「言葉は無力なんでしょ?じゃあ、初めっから私に説教垂れるな。結局、あなたも邪魔してる。現実だけを突き付けて、無理だってあきらめて、一緒。ずっと一緒じゃん」
私は指で血溜まり掬って、立ち上がる。そのまま、エラと同じように浴槽の縁へ腰を下ろした。一直線になった視線で彼女と睨み合う。
「そうやって、最後は何になるの?この後、どうしようとか考えてないんでしょ。継承はしたいの?六月未結をどうしたいの?無責任に道を増やしたり、塞いだり。ほんとに馬鹿」
散々言われたから、思い切りやり返した。けど、ここで終わらない。彼女に訊く。
「でも、助けようとしてくれたんでしょ?」
「…え?」
「人の気持ちを考えるのが苦手でも、頑張って人と話してみたり…人を救おうとして、無我夢中で時代を駆けて、いろんな言葉を紡いだ。それが無意味で、無力で、貴方のためでしかなくても、私は…」
私は縁から立ち上がる。声が浴槽中に反響した。
これはずっと考えていた、言いたいこと。
「みゆちゃんががんばってること知ってるよ!」
喉の奥から何かが生えてくる。それは、救いの手じゃない。それでも、人の『手』であることに変わりはない。
私の喉奥から伸びる手は、勢い任せに口腔へ向かう。指の腹が喉の裏を這って、舌の上で暴れた。
「ベキ」
やがて、十本の指が口の内側から歯をへし折る。
「あ…え?」
当惑するエラをよそに、喉奥から生えた手は私の両頬を掴んで、唇をこじ開けた。裂けていく口の端に連なるように、皮膚、顎、果ては頭蓋骨まで割れていく。そこで舞った血潮は徐々に落ち着いて、背後に紛れていた私の真の姿が露になった。
首から二本の腕を生やした化け物の私は、七海結愛は、浴槽の中で突っ立っている。
「ぐっ…」
私は、首元から伸びた二本の手で、ハートマークを作ってみた。
「なに?それ…なに。まじで」
みゆちゃんは声を震わせている。なんか耳とか付いてないはずなのに声聞こえてウケる。
「がしゃ」
突然、みゆちゃんが壁に掛かっていたシャワーヘッドを掴んだ。
「はい」
みゆちゃんは、何故かシャワーの水を私に浴びせてくる。めちゃくちゃ冷たい。
私は、首から生えた腕をシュルシュルと収める。声を出したかった。
「つめたい!」
いつもの私の、七海結愛の声。
「もうちょっとでお湯んなる」
「つめたい!」
私が着ている黒い服が、びしょびしょになった。みゆちゃんが着ている白いドレスは、さっき私が噴き出した血に塗れている。
いつもの私の視界で捉える彼女は、少し背が高かった。
(1c)(XXVlll)
みゆちゃんの家のリビングのソファに、並んで座っている。私はみゆちゃんのお母さんの服を借りて、みゆちゃんは変身を解いて装束のような白一色の私服を着ていた。私が着込んでいるのは、デニムのセットアップみたいなやつ。腿辺りに大きな穴が開いたダメージジーンズに、年期を感じた。
「びっくりした?」
「うん…うん」
「ねー!」
みゆちゃんはさっき泣き止んだのに、また泣いている。幾重にも薄い生地が折り重なった白い服の袖で目元を拭っていた。
「メイク、崩れるよ?」
「いや、むり…ぜんぶ」
「あ、ごめん。殴った」
「ううん。私も蹴った」
私はソファから飛び退いて、テレビ台の辺りを物色してみる。
「なに?」
「気になんない?」
「なる」
私はテレビ台に収まっていたゲーム機のHDMIケーブルを引き抜いた。それをそのまま手のひらに刺す。
あのときの、空港での出来事が、リビングのテレビに映し出された。
(20)
腕の中、ゆあが冷たくなっていく。降り続ける雨の方が温かく感じた。彼女の身体は冷えた金属のように、ただ重さだけを残している。
「…」
違う。死なない。これじゃあ、ゆあは死ねない。彼女が言っていた。
『不死のイノリを無効化するには、自分と同等かそれ以上の魔法少女の魔法を受ける必要がある』
彼女は、私が何もしなければ、死に続ける。何度も再生して、死んでを繰り返す。思い出せ。まだなんかある。魔法。イノリ。死。継承…。
「みゆちゃんのこと、許さない。絶対に」
ゆあが答えた。死にかけている彼女の声は、掠れている。
「…くな」
暗示した。泣くな。泣いてるから何もできない。私は、ゆあより強い魔法少女。だから今度こそ。今が最後だと思って…。
「治れ」
ゆあの砕けた肩から、赤い繊維が伸び始める。彼女の薄くて白い肩が、また形を成し始めた。しばらくして、彼女が口を開く。
「ア…なん」
喋れるようになっていた。ここから私の番。
「エラの思い通りになんかならない」
「で、お。でも」
「負けると思ってんの?」
「え」
私はテキトーな言葉で煽る。
「私たち魔法少女なんでしょ?」
「…うん」
ゆあは薄々わかっているはず。エラが誰なのか。私でさえわかっているから。
「大丈夫。また会える」
「え」
「ずっと一緒なんて言わないで。言わなくても一緒だから」
我ながら格好付いたと思う。もう声は震えていない。
「翼、折れろ」
私の背中から覚えのある落雷のような音が唸りを上げた。
『ゆあ。ぜんぶ、あげる』
(Fragment)
「私がみゆちゃんの魔法生物を継承した。あとは私がイノリで容姿を変えた。前やってたやつと一緒」
「…」
「エラの、貴方の目的がわかってたのに、私たちがそれに従う訳がないでしょ。前回の私たちがどうしたのかは知らないけど、今回のみゆちゃんはこうなる未来を選んだ」
(XXVlll)
映像が終わって、もう手にケーブルを刺しておく必要もない。私は左手に刺さったHDMIケーブルを一気に引き抜いた。金色の端子に、私の血液がこびりついている。もう使えません。
「なんでもあり?」
みゆちゃんが訊いてきた。
「魔法でしょ?」
「めちゃくちゃ」
笑い合う。
私は再び、ソファに腰を沈めた。横に座る彼女の手を取ってみる。ピンクのネイルとピンクのネイルが擦れた。嬉しかった。
「マジで…寂しかった。一人で、何もできなくて」
みゆちゃんは、そう言って肩を寄せてくる。無限の時を経た彼女の肩は、硬く重かった。
「…みゆちゃんのこと魔法少女にしたの私なんだから、みゆちゃんがいま辛い想いしてるのも私のせいでしょ」
心底そう思う。辛い物事に彼女を巻き込んだのは、間違いなく私だった。
「なんでいまさらそういうこというの」
「別に、みゆちゃんに好かれるようなことしてない」
「めんどくさ」
「でも…」
「もういい!よくわからなくない?なにがあったかとか」
みゆちゃんが声を張り上げる。その様が、エラと呼ばれている全能の魔法少女とは思えなくて、頬が綻んだ。横目で伺う彼女の頬も、珍しく緩んでいる。
「みゆちゃんって、たまにやさしいのこわ」
「優しい?優しくしてるつもりないけど」
「こわ!」
「はい」
なんでもない会話だった。何気に、こういうの初めてな気がする。彼女には、いろいろパーソナルなところを見せすぎたかもしれない。でも、心地は良かった。だから、最後にやり残していることを遂げる。
「みゆちゃん」
「ん?」
「私が此処に居るのは、みゆちゃんが考えて進んだ努力の結果。みゆちゃんが考えて進んで、自分自身を助けてあげただけ」
浮かんだ言葉を、ただ紡いで伝えた。私にはこういうことしかできない。
「今も、また考えてるんだと思う。だから、ぐるぐるして依存してる。でも、依存することは信じた果ての結果だと思うから。依存しても、考えて、あとは一歩踏み出すだけ。そうすればもう一度、みゆちゃんはみゆちゃんを救えると思う」
「…うん」
「救いの手なんて無くても、過去を変えられなくても、全員を幸せになんてできなくても、自分の未来くらいは、考えて、幸福に変えていける。でしょ?」
こうして、綺麗事を並べ続けること、中々性に合っていないとは思う。でも、こういう行動を肯定してきたのが、彼女だった。
綺麗事の言葉、ただの夢物語。それが如何に稚拙だとしても、元来、私たちはそういう物事を信じる純粋さを持っていた。だから、何度でも無力な物すら信じられる。彼女の時を超える魔法は、私にそう教えてくれた。
続く言葉は、そんな彼女に中てられた、私の蛇足。
「さっきみた空港の映像。私は…みゆちゃんの背中みて、憧れちゃった。私は私の未来を考えて変えようと思う。よ」
やっと言い終えた。心拍数の高鳴りがうるさい。
「…ふふ」
みゆちゃんが笑った。
「なに!?」
「ありがと。ゆあ」
彼女は、私の手を握ったまま立ち上がる。強く握られすぎて、ちょっと面白かった。
「行こ?」
「…え」
私はみゆちゃんに手を引かれたまま、さっきの浴室に戻ってきた。小さな血溜まりが未だに残っている浴槽に、二人で足を突っ込む。それからみゆちゃんは、天井に嵌った照明を見上げながら口を開いた。
「たぶん私の答えは、何処でもいいから誰かと一緒に居させて貰うこと。魔法少女を消そうなんて無理な事してたのも、ゆあの、誰かとの最後の目的だったから。本当はその目的に縋ってただけなんだと思う。全員救うのなんて無理って言ってたのに。一人でいるうちに頭おかしくなっちゃって」
彼女は今までの旅路を頭上で思い浮かべているみたいに、ただ一点を見つめている。
「王路もゆあも、何回も殺した。ゆあはできる限り償おうとしてるんでしょ?私も一緒。償わないと」
「…うん」
「じゃさ、償った後どうしたい?何がゆあの答えだと思う?」
「私は…え、待って」
ここで察した。
「…なんで、なにも言わないの」
「ん?私、口下手なんだよ。結局」
彼女は何の感慨も無さそうに淡々と言う。そうだった。彼女は本当に、口下手で、勢い任せで、自分都合で、夢見がちで、そうやって無理矢理ぜんぶを解決しようとしたり、でも、一歩踏み出す。私は、そんな彼女の…。
「みゆちゃんって、ほんとわがまま」
「ふふ。これからも直んないから。一生よろしく」
私は首を縦に振る。そのまま項垂れ続けた視界は、浴槽にできた赤い染みを見つめることしかできない。今まではそうだった。そんな私は、もう辞めなきゃいけなかった。ぐしゃぐしゃの顔を上げる。
「私は、できる限り償ったあと…」
湿る両頬を拭った。私は彼女の手を取る。こんなに下手くそにしか笑顔を繕えないのは、今までも、これからも、一度だってないと思った。それでも、祈る。
「みゆちゃんみたいな魔法少女になりたい!」
(x)
一三回目のエラの継承。ここで此の永い永い逃避行は終わりを迎える。
「バキッ」
浴槽の中、人がプレスされていた。爪先が新しい血で温まる。裾が重くなる。足が動かなくなる。血液は、思ったよりも質量と重さがあった。踝の上から脹脛にまで熱が満ちて、ピタリと音が止む。
私は思い浮かべる。
現代。元の時代。画面の向こうの、あの子の背中。
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(x)
高校校舎の屋上のフェンスを越えた縁に、私は腰を下ろす。
眼前を覆ったのは、フィクションみたいな夕焼けだった。向こうにビルがあって、それが黒い影に染まってて、紫と青とオレンジで、すごくきれい。
この陽の下では、純白の四翼はキャンバスに成り代わる。一枚一枚の羽に、見事な影と光のコントラストが描かれていた。私は右の翼を一撫でする。
「ポップン」
私が呼ぶと、その翼の先に口が生えた。
「ボク、疲れたよ!馬鹿ほど!」
あの浴室を発ってから数年。いろいろな時代へ行った。結局、魔法少女を消し去ることはできなかった。修正力とかいう謎の力が働いていて、如何なる時間改変も成し得ることができない出来事が、時間上には多々ある。別に知ってたんだけど。でも試してみた。駄目だった。それでもいい。そういう話だったから。
「…」
こんなに綺麗な夕景が広がっているのに、私の視界を占拠するのは、抱えたドレスの裾と膝だけだった。いつの間にか、この体勢が癖になってる。いつからだっけ。
私は縁から立ち上がって、フェンスを乗り越える。屋上の床に両足を付けた。背中を銀色のフェンスに預けて、屋上の中央一点を見つめる。背後にある夕陽が、後ろ髪を弱く焦がした。
「これで終わりにしよう」
そう宣言する。
「うん!やろっか」
翼に巣食う化け物が言った。
「ポップン、私を、離れろ」
ブチブチと、四枚の翼の根元が音を上げる。背中の皮膚と肉が縦に裂けて、私は絶叫した。
(零)
二千…何年かはわからない。僕が一歩進めば、携帯のカレンダーは一年進むし、僕が一歩下がれば、カレンダーは一年後退する。
六月未結とエラの攻防をスカイツリーの下で見ていて、気がついたら何処かわからない時代を彷徨っていた。
僕はマンションの内廊下を歩きながら、ポケットから煙草の箱を取り出す。
最近、街にある喫煙所の数の機微で、自分が今現在、何年辺りに居るのか推測できるようになった。カレンダーよりも説得力がある。
恐らく、今僕が居る時代は、元居た時代から十数年前辺りだった。ここに来るまで、ちらほらと喫煙所を見かけている。少し減った煙草を数えつつ、また箱をポケットに仕舞った。
ようやく到着した、目的の部屋の前で立ち止まる。流れるように押しボタン式のインターホンを鳴らした。
「こんばんは。あれ、七海結愛さん?」
「んぇ」
黒髪を肩まで垂らした少女が、玄関のドアの隙間から顔を覗かせている。幼いなりにも、よく見知った風体だった。
夜十時を過ぎたというのに、この家の主は幼い彼女にインターホンの応対をさせている。まぁ、日和に日和った家庭でも無い限り、何の気概もなく人を殺戮に先導をする人間が育たないかとも思う。
義母の深い愛情を注がれた僕はかなり幸福だったんだろう。一生、門限あったし。義母の優し気な口調を真似つつ、僕は少女に訊いた。
「結愛ちゃん、はじめまして。僕の名前は瀬良」
「えら?」
「うん。お父さん、お母さんにお話しがあるんだけど居ない?」
「パパはねてる。お母さんはいません」
「そっか。これ、荷物。玄関に届いてたよ」
「やた!」
少女の目が輝き始める。なんでこれがああなるのか。最早、恐れを覚えた。
僕は小さな段ボールを、少女の腕に預ける。郵便物を受け取った彼女は、ドアを開けたまま、そこで封を切ろうとした。自制心が育っていない。
「結愛ちゃん、なにが届いたの?見せて」
僕はしゃがみ込む。
「かわいいね?」
「うん!パパががんばったんだって」
「…へぇ。ちょっときて」
僕が少女の手を引いて、連れ出そうとしたそのとき。
「やめなさーい!」
引き止められる。これもまた、覚えのある声だった。
「…はぁ」
振り返ると、マンションの内廊下の仄暗い照明の下、白い人影が見える。純白のハーフツインテールと四枚の翼。うざったいくらい眩しい。
「結愛ちゃん」
僕は少女の腕を引いて、小さな身体を手繰りよせる。そのまま少女の頭に手を添えた。
「え」
少女の顔に浮かんでいた笑みは、この数秒の内に消え失せてしまっている。僕と白い人影が交わす問答に、困惑している様も見えた。
「瀬良さん、貴方ですか。『時を貪る灰色の化物』。エラの名前を勝手に騙ってるやつは」
「動くなー。喋んなー。死んじゃうですよー」
僕の脅迫を理解したのか、足元の少女が逃げ出そうとする。
「大丈夫。助けてあげる」
そう少女の耳元で囁いて、彼女の震えを抑えつけた。
「え?え?パパ…」
少女は交渉材料でしかない。話すべき奴を見据えて言った。
「一言でも発したら、これを燃やす。聞け」
「めぴ」
「殺すぞー」
少女の頭を撫でながら、舐めた態度の白い魔法少女を睨む。僕は、本心と目的を、彼女に告げた。
「母を生き返らせろ。時間を、変えろ」
「むりです」
「じゃあお前は誰なんだよ」
「私は…魔法少女」
白い魔法少女は、舐めた態度を辞めない。ただ、僕は彼女の力を知っていた。
「エラ。お前の力なら、時間を変えられるんでしょ?」
「いや、いろんな時間で魔法少女と人を殺しまわってるせいで、あちこちで修正力が誘発して、時間と事実がぐちゃぐちゃに…わかんないか。もうこれ十三回目なんですけど」
「ん?できないなら、もういい。黙…」
いつの間にか、右腕が斬り飛ばされている。遅れて、視界を純白の翼が覆った。彼女のスピードに、僕の感覚が追いついていない。
「チッ…」
斬られた肩が熱かった。ただ、舌打ちを漏らしている間にも、右腕は生え変わっている。僕は新しく生えた右手で、傍に落ちた古い右腕を拾い上げた。
「舐めてんの?イノリ使えよ」
「貴方を殺したくないんです」
そういうエラの足元には、さっきまで僕の脚に縋っていた少女の姿が見える。これもさっきの一瞬の間に攫われていたらしい。気取った彼女が言う。
「貴方のお母さんは、救えません。ごめんなさい」
「…三木。彼女、は」
「ごめんなさい。たぶん無理です。私が無力で…」
「僕のせい?」
「だけではないですけど。大きな時間の改変は、もうできません」
僕も時間の仕組みについて理解しているわけではない。時を自在に飛べる彼女の言っていることの方が正当性がある。
「瀬良さん。その子は、七海結愛です」
「…わかってるけど」
「この後、瀬良さんは、その七海結愛に魔法生物を『継承』することになっています」
「…は?なんで?」
僕の問い掛けは無視される。エラは淡々と続けた。
「数年後、七海結愛は自殺を機に魔法少女として覚醒。魔法少女を増産することになっています。その後、多発する魔法やイノリの時間改変と修正力の発生で時空が歪んで、七海結愛の魔法少女化以前の過去に魔法少女が発生したり、そこからも波及するように様々な時間で魔法少女が発生します」
僕も知らない時間改変と魔法について、講釈を垂れてくれているらしい。ありがたかったけど、エラの言うことは何も理解できない。彼女も理解されようとしていないように見える。
ただ、さっき彼女に言われたことが、気掛かりだった。僕はこれから七海結愛に魔法生物を継承することになっているらしい。それについて僕は問い直す。
「で、要は何?」
「えっと、要はつまり…『瀬良さんの意識は、時間上にうまれる全ての魔法少女の意識に、薄っすらと溶け合う』ことになっています」
「は?」
困惑は止まない。続く彼女の言葉を反芻する。
「魔法生物には、拠り所としている魔法少女の意識の欠片が、うっすらと蓄積されています。継承を行えば、それもそのまま、受け継がれていくんです」
「…」
「瀬良さんが七海結愛に魔法生物を継承することで…瀬良さんの意識は七海結愛へ、七海結愛を介して時間上で生まれる全ての魔法少女へ。そうやって広がっていく」
どうも、嘘を言っているようには見えない。それでも解せない点があった。
「なんで僕がそんなことすんの?」
「ある意味で貴方のお母様にも、三木さんにも再会できるからなのかもしれません」
腑に落ちた。
「で、エラにもその時間は変えられないんでしょ?お前は何しに来た?」
「賭けです。まだ、変えられるかもしれない。修正力が発生しないかもしれない。ここで貴方を止められたら、この後の魔法少女を消せるのかもしれません」
「…あそ」
「人の気持ちなんて、どうでもいい。そういうの私にもわかります。けど、他人が転んでいたら手を差し伸べられる。そういう純粋な気持ちから、貴方は生まれたんじゃないんですか?貴方はだんだんそうなってしまっただけ」
どうもエラは、僕を説得しようとしている。彼女は取って付けたような綺麗事をつらつらと並べていった。今更、わからない。僕は思いの丈をが鳴った。
「…なにが」
「え?」
「なにがわかんだよ。何?人から全部奪って、どういう立場で物言ってんだよブスが」
もう、困惑はしていない。頭に過った思惟を連ねている。
「…ごめんなさい」
「そんな言葉で許されるとでも思ってんの?ふざんけんな。もう…どうでもいい。どうでもいいんだよ」
紅いネイルを付した指先を握り込む。無意識でいて、やけくそに喉をかき鳴らした。
「僕だって、矛盾して間違ったことしてるって自覚してる。人の気持ちを蔑ろにする正義なんてない。わかってる。そして一度失くした物が返ってこない事も知ってる。…それが寂しいんだよ。只、誰かに怒って寂しさを埋めてる」
脳から湧き出た言葉が、スラスラと口から流れ出る。頭に血が巡った。
「母の言った通りにできなかった。けど、死にはしない。母が救ってくれた命だから。僕は、一生生きる。人を殺して、憂さを晴らしながら生きる。僕の矛盾と誤りと殺意を受け入れる」
息を吸った。声で胸と喉が裂く。
「あっちも僕を一生理解できない。僕もあっちを一生理解できない。もうそれでいいだろ」
終わった。全部を吐いた。これで終わり。
「…そうですか。私は」
「なに」
「変えます。ごめんなさい」
「そんなこと土台無理だって、なんで解んない?エラってそんな夢見がちお姫様だった?」
「私は…エラじゃないです」
「は?」
「私、エラになれていますか」
「…なにいってんのかわかんねー。無理だろ。舐めんな。死ね」
僕は握っていた古い右腕を、自分の胸板に突き刺す。全ての感覚が、胸中の痛覚に偏った。痛み以外を何も感じない。息を切れ切れにしながら、唱えた。
『七海結愛。お前に全てを授ける』
最後まで自棄だったなと、思い返す。
最初から、エラを呼び出すとか、正義がどうとか、どうでもよかったのかもしれない。大事の人の死を無かったことになんてできないことも、何となくわかっていた。
僕はただ、シチミユアに怒りたかっただけだ。
怨嗟の輪を嫌いながらも、そこに身を寄せて、否定して、寂しさを埋めていた。悲しかった。どうしようもなかった。もう、泣きたくなんてなかった。
だけど、僕は…。
液状になった鈍色の身体が、少女の下へ驀地する。
(x)
夕暮れの屋上、翼が捥げる痛みの狭間で、白いツインテールが溶解を始めた。それに倣って、白いレースが、白いフリルが、白いリボンが、白濁の土塊へ姿を変えていく。
変身が解けて、私は素顔を晒け出した。解かれた桃色の髪が夕凪に煽られて、肩の上で暴れる。
「シチミユア!魔法少女の力無しで、ボクに、この僕に!勝てるわけねェだろ!」
屋上の床に落ちた、白い染みが叫んだ。染みの表面には、血管や小さな腕、口、胸、脚、眼、鼻、耳が、全部が生えている。
「僕に返せ!身体!莫迦ァ!」
「嫌」
「あ?ああ?ボクは、僕が。ガ生き。殺…キえない。舐めんな」
私は制服を纏っていた。数年ぶりの堅い袖の心地が、身体を包んでいる。ブレザーから手を突き出して、背後にある屋上のフェンスを掴んだ。
「ベキ」
フェンスの柱の一つを無理やり引き抜く。
「剣!剣!剣!」
私が唱えると、フェンスは熱を発しながら、形を変えていった。右手に銀色の剣が生成される。無論、剣の刃先が向く先は、夕陽のもとで蠢く、白い染みのような『蝋の塊』だった。
私が、今、この時、この場所で、全ての原因と因果を改変する。これは私にしかできない。ローファーで一歩を踏み出した。
「チッ」
身体が重い。蹴り出そうとした足が上手く動かなかった。視覚、触覚、次々薄らいでいく。死体への逆戻りが始まっていた。
「ん」
蠟が這いずりながら近づいてくる。カサカサと音がした。
「ガンッ!」
剣をぶん投げて、蝋を床ごと串刺しにする。
「くんな!とまれ!とまれ!」
畳み掛けるように祈った。
「アガ…、燃え、燃え」
蝋は動きを止める。その表皮には、血が染み出ていた。白い蝋の怪物は、血と夕陽に燃やされている。
「…んっ」
ただ、私も突然の眩暈に襲われて、肺から湧き出る血反吐をそこらにばら撒いた。自然と身体が床に倒れ込む。
「あァ…あ」
なんで、こんなことしてるんだっけ。普通の生活が、前まで此処にあったはずなのに。
「ぐ、う」
違う。これは私の償いだから。私が片を付けないといけないことだから。
「エぁう」
母に会ってみたい。過去に行けるんだから会いに行けばよかった。
「あ。あい」
まだ終わってない。まだ魔力が残ってる。イノリを、魔法を打たないと。彼の隙を見て、負けるって思わせたところで。
「い」
起き上がる。身体を起こす。
「あっ」
血溜まりの上で足を滑らせた。私の背中を支えるはずのフェンスが無い。全部、私のせい。
私は、背中から屋上の縁を越えて宙に投げ出される。
「…」
晩冬の夜空は、一秒毎にその様相を変える。
さっきまで私の瞳孔に反射して煌めいていた、あの橙色なんてもう何処にもなかった。
私は暗闇を縦に裁断する。
「ポ」
落下する私に追い縋ってくるものがあった。
紺色の空に、白い布のような物体が広がる。
白い物体は、流れるように私の顔面を包んだ。息を殺される。
髪が、服が燃えている。燃えていた白い物体から火が移ったようだ。業火に包まれながら、私は落下していく。
*
『くるし。くるしかった。ゴホッ』
「ごめん。ごめんね。ゆあ、聞いて」
『やだ…もうやだ。パパは』
「おねがい」
『…』
「私の大事な友だちからの伝言。最後の…祈り」
『ん』
「六月未結のこと、みゆちゃんのこと許さないで」
『え?』
「あなたはこれから彼女にされること、全部許さないで欲しい」
*
背中に地面の気配がする。
遅れて、そらに身を委ねた浮遊感、あの独特なエクスタシーが心臓を包んだ。
落ちているのか、高ぶっているのか、わかんない。
業火はやがて温もりとなった。
『__________いて!』
果たして言葉を発せたのだろうか。鼓膜を揺らすはずの私の声が、亡霊のように気配だけを残して搔き消された。黒いコンクリートの上で骨身が破砕した轟音に。
(一)
「王路?どした?」
「したよね?音」
「ううん」
「行ってくる。理科室の外?」
「えっちょ」
*
「なにこれ。白い…絵の具。ん?」
「は?人!?息して…死ん…。王路!?」
「…綺麗」
「あんま近づくなって。ほら」
「うわ。血ぃついた。汚な」
Ella @ioi_ioi
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