第10話 香り

「それで、えっと......百合......さん」


怪警察を後にした車内で2人は、式の一件の話を始めた。


「なんで言ってくれなかったんですか?」


百合は後部座席の端っこで腕を組みながら司牙に問い詰める。司牙の肩は縮こまって丸まっていた。

司牙はルームミラーにうっすら映る百合の様子を見ると、彼女は右の頬を少し膨らませていた。


「どうしたら機嫌を直してくれますかな......」


彼と共に一つ屋根の下で暮らして、司牙とあった日から随分自分の身なりを整えていた気がする。式の朝まで、彼は自分の手入れを怠らなかった。シャワー室を覗いてしまった一件から。


黙っていたことに悶々としているのに。


自分の式のために、父親としていいところを見せたかったんじゃ無いかと。

きっと、彼の夢が、家族を持つことだということだから。


「そ、そうやって驚かせたかったなら、言っておいてくれても嬉しかったんですけど......」


司牙は予想もしなかった反応に驚いた。


「そうしたら私、もっと歓迎します。今こうして私が拗ねるよりよっぽど良かったんじゃ無いでしょうか」

「確かにそうだね、今度はちゃんと言うよ」


——かっこよかったです、お父さん。


今朝言われた誉め言葉よりも、はっきりと、まっすぐ届いた。百合の顔を見ようとした瞬間、後部座席から人差し指で彼の鼻に指差した百合が身を乗り出して忠告した。


「でも司牙さん、一つ忠告だけします。あなたの姿を見て、奥様方はかなーーりご興味を示していますよ」

それを聞いた司牙は、眉間にシワを寄せて「え、何それ......」とまるで褒め言葉を理解していないようだった。



家に着いた2人は、百合だけを家に残し、司牙はパーティに向かう予定だ。

「本当に1人で大丈夫かい?」

「はい、以前にも手続きなどされていた時も1人でしたし、今日は式もあって “いろいろ” と疲れました」

自分のことで彼の時間を無駄にさせたくない気持ちで言ったつもりが、司牙は百合のいう “いろいろ” が喉奥をつっかえている。


「今度、防犯教室があるだろう。その時は渡目君が研修生として犯人役をすることになっている。それの立会いは僕が行くから、もう驚かせたりしないよ」


「司牙さん、私はもうなんとも思っていませんよ。それより一旦私のことは置いといて、早く渡目さんの歓迎パーティに行ってください!」


百合はそういうと司牙の背中を押した。彼を無理矢理車に乗せようとした時、顔だけこちらを向け、何かを伝えようとした。


「よ、よかったら、今夜湯船に使ったらどうだい?昨日ちょうど入浴剤を買ったんだ。ゆっくり浸かるといいよ」



「本当に大丈夫?」


もう、わかったから。




「防犯教室か」


古い教会にある一角の部屋で、男子生徒は1枚の予定表を眺めていた。


「ルウ、さっき挨拶したあの子ってお前のクラスの子だろ?今度紹介しろよ」

「スピ......お前相っ変わらずだな」


双子の名は兄のスピリットと弟のソウル、2人とも黒羽属だ。


2人は似ているようで似ていない、変わった双子だ。女子に興味のあるスピリットは、入学式で声をかけた百合が気になっているようだが、弟のソウルは全く興味を示していない。


「その防犯教室でかっこいいところ見せれば、イチコロだろ?」

スピリットは半笑いでソウルに水を刺した。


「あのな、俺はただ警察官になりたいだけなんだ。お前はどうすんの?」

「俺は別に興味ないよ。ただ、立候補して可愛い子たちが俺に釘付けになるっていうなら話は別だぜ」


そもそも黒羽属は、貴属種の中でも、社会的に見てもかなりの権力を握る種属だ。 “こっち” の歴史を創り上げたといっても過言ではないほど。そんな背景があるうちは、警察官になりたいといっただけで、すぐに引き抜いてもらえるのだ。


——黒羽がいるだけで安泰だ、という古い考え方。


ソウルは、情勢の上位に君臨する玉座に座り、組織をチェスのコマのように動かすだけになりたくない。

スピリットは、そんな彼の情熱が少しだけ羨ましくもあり、そこまで必要とする意味もあまりわかっていなかった。


そして今回舞い降りたチャンス、『防犯教室』


霊殿学院だけでなく、あらゆる学校では『警察推薦』というものが存在する。

成績優秀は勿論、正義感や戦闘力、洞察力が特に優れた生徒は評価され、将来も期待される。


今回の『防犯教室』では、実際の警官が生徒に指導することで適性を図り、認められた生徒には推薦状を渡すことがあるそうだ。


ソウルはこの学校に入った目的は勿論、成績優秀で入試では特待生として入学した。警察官になるために。


「ルウは、なんでそんなに警察官になりたいの?」


「なんとなく」


「なんとなくかよ! まあ、お前なんだかんだ言って黒羽にしては正義感強いし、悪くないんじゃない?」


スピリットがそういうと、黒い翼を広げ、部屋の天井につけらた寝床につく。


「そういえば、あの女、入学式だからって張り切りすぎだろ」

「ルウの口からそんな言葉が出るなんて珍しいな」


自分の興味のある話題が出たスピリットは、寝床から宙吊りになってソウルの話を聞く。


「匂うんだよ」


「何が?」

「香水だよ、振り撒きすぎなんだよあいつ」

ソウルの言葉にスピリットは困惑した。


「お前もとうとう女の子の魅力に気づいたか」

「絶対趣味が悪い、あの子だけはやめておけ」

「ていうか名前なんていうの?」


ソウルは座席表をなぞりながら彼女の名前を探す。


「百合っていうらしいぞ、あの子は」

「あの子はなんなんだ?」

「何って、うーん。俺らとは違うよな」


体にはネジや縫い目は?

なかったぞ。


頭に角は? それもなし。

体が透き通っていないから幽霊でもない。

俺らのような鋭い歯もない......


2人で考えても正解が見えてこない。


「じゃあ、注意するついでに聞いてくれば? 学級委員長」


ソウルは制服の横にかけられた学級委員の証である肩のマントを見つめて、彼女にアクションを起こしてみることに決めた。



一方で司牙の自宅では、百合はお風呂にお湯を溜めていた。

 “こっち” にきてから、シャワーしか使ったことがなかったので、いよいよお許しが出たくらいに思っていた。


「実家のお風呂よりおっきい、泳げちゃうかも」


彼女が寝っ転がれるくらい広いバスタブは、背の高い彼にはぴったりだ。

百合は、シンクの横の鉄製のバスケットから何種類かある入浴剤を手に取って、今夜の気分を決める。


「月の香り、星の香り......この二つは何が違うの?」


それぞれ蓋を開けてみると、全然違う香りがした。


「ふーん、なるほどね。こっちはなに?」


2つの香りの横に、まだビニールに覆われている新参者がいた。これが彼が言っていた新しく買った入浴剤であろう。


夜空の香り——


ふたを開けると、中から溢れ出るさわやかな香りで百合はときめいてしまった。


「あなたに決まり。さあ、私を疲れから解放して」


まだお湯が溜めきっていないところに柔軟剤を振りかけると、どんどん藍色に染まっていく。お湯が流れ落ちた先で、泡がぶくぶく生まれていく。


「へえ、これ泡タイプなんだ! 早く気づけばよかった」


百合は服を脱いで軽く掛け湯をした。冬の夜空の下を散歩するような、爽やかな香りがした。

「いい匂い」


軽く体を流したあと、足の先からゆっくり体を入れた。泡の隙間からキラキラ輝くラメが浮かんできた。まるで満天の星空に身を沈めている気分だ。


「そういうことか、やばぁ.....」


香りだけではなく、見て楽しむお風呂だった。波に浮かぶ泡が雲のようになっており、まるで天の川に体を浮かべている気分だった。


「これにアロマキャンドルなんて焚いたら、もう起きられないかも......」


目をつむって顔の下半分をお湯に沈め、ぶくぶく泡立てた。この夜は、独り占めだ。



次の日の朝


昨夜は久しぶりに1人の時間を多く取れた百合は、司牙が起きる前に先に起きていた。


「朝ごはん作ったら食べてくれるかな」


百合は冷蔵庫を物色する。

卵とベーコンとパプリカ。


薄切りのベーコンを焼いている間に、ボウルに卵を割入れ、かき混ぜた後に細かく切ったパプリカを入れ混ぜておく。

百合は、自分が作った朝食を食べてくれる彼の姿を思い描きながら、コンロに火をつける。


彼女は密かな野望を抱いていた、あることに気づく。


——これは、司牙さんの頬骨の下が見れるチャンスでは!


カリカリになったベーコンを火からおろし、細かく切る。さっき混ぜておいた卵液と合体させ、そのあと再度熱したフライパンに流し込む。


「......おはよう、いい匂いがする」


キッチンから空腹を誘う匂いで起きた司牙は、目をこすりながら冷蔵庫へ向かう。彼は、アイスコーヒーを飲み始めた。


「おはようございます、今オムレツを焼いているんです。いかがですか?」

「美味しそう、いただくよ」


まだ完全に開ききっていない彼のまぶたを見た百合は、作戦に出た。


焼き上がったオムレツを皿に移し、マグカップを握ったままソファーでうとうとしている司牙の元に朝食を運んだ。


フォークで一口サイズにきったオムレツを乗せて、彼の口骨へ運ぶ。


「はい、あーん」


意識がはっきりしない司牙は、オムレツに口を近づけるが、彼女の悪巧みに気付き、握っているフォークを持ち上げると自分の頬骨の隙間に流し込んだ。一瞬すぎて、百合はよく見えていなかった。


「あっ」

「んんー、とっても美味しいよ」


悔しくなり、百合はその場で自分の膝に軽くゲンコツを当てた。



朝食をとり終えた2人は身支度をする。


百合は櫛で髪をとかしに洗面台へ向かった。横目で空になったお風呂を眺めながら髪の毛を整えていると、ノックする音が聞こえた。


「今いいかな?」

「はい、どうかなさいました?」


司牙は、百合の肩に優しく手をおく。


「緊張してる?」

「正直、全然していません。昨夜は夜空の香りで癒されました!」

「そうか、それなら何より」


学校へ通う時は、彼が家を出る時間と同じため、毎朝彼と共に家を出て送り届ける。百合が人間であり、まだこの世界に馴染めていないことを考えると、行き帰りの道が1番危ないと感じていた。


「学校へ行ったら、渡目君がいるから、彼に相談するんだよ」

「わかりました」


学校でのことは、彼女ならきっと問題ないと信じていたが、念のため渡目にも話をしているらしい。だが、彼女が人間であることは伝えていなかった。人間であることを知って、自分がいない時に彼女の身に危険が及ぶ可能性を考えたからだ。


学校の近くまで車で来た2人は、少し離れた人気のないところで駐車する。今後2人の待ち合わせはここに決まった。


「じゃあまた後でね」

「はい!いってらっしゃいませ」


2人は別れの挨拶をした後、発進させた車の背中を百合は目で追いかけていた。

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