舞台の幕開け

2148年10月31日 13時40分

冴木市 白桜大学 冴木キャンパス西館B棟 調理実習室


冴木市文化総合アリーナでの大会当日が、目前に迫っていた。

会場は3部門の競演を前にすでに熱気を帯び、行政や報道機関、市民代表までが注目している。

優勝作品は市販化も検討されるとあって、

学生たちの挑戦は単なる学内活動を越え、社会全体に響くものとなっていた。


そんな緊張の只中、白桜大学のキャンパスにはテレビ取材が訪れていた。

カメラが調理実習室に入り込み、蒸気の立ちこめる鍋や冷却中の器を映し出す。

リポーターが笑顔でマイクを向けた。


「和食と洋食の出品は当日まで非公開とのことですが、

 スイーツについては一部情報を開示できるそうですね?」


代表して前に立ったのは宮本だった。

篠森は腕を組み、香坂は端末を手に香りのデータを確認している。

水無瀬は緊張を和らげるように柔らかく笑う。


「今回、私たちが挑むのは“プリン”です」


カメラの前でそう告げると、取材陣から小さなどよめきが起きた。

派手な飴細工や氷菓が予想される中、あまりにも素朴な一皿。

まだ多くの市民にとって「プリン」という言葉は曖昧な響きに過ぎなかった。


リポーターが問いを投げる。

「プリン……それは一体どんなお菓子なんですか?」


宮本は一呼吸置き、言葉を選んだ。

「卵と牛乳、砂糖を混ぜて、ゆっくり蒸して固めます。

 上にはカラメルと呼ばれる焦がし砂糖を流しかけます。

 とてもシンプルですが、

 だからこそ一口で“これだ”と感じてもらえるかどうかがすべてなんです」


水無瀬が補足する。

「なめらかな口当たりと、ほろ苦いカラメルの対比が特徴ですね。

 僕らは、その食感を再現するために水分や火加減を何度も調整してきました」


香坂も冷静に続けた。

「派手さはなくても、文献に基づいた確かな復元です」


篠森は飄々とした口調で締めくくる。

「甘さの立ち上がりと余韻まで含めて、“全員が納得する味”に仕上げてある。

 あとは当日、審査員の舌で確かめてもらうだけだ」


取材スタッフは熱心にメモを取りながらカメラを回し続けた。

シンプルな説明であるはずなのに、そこには奇妙な緊張感が漂っていた。プリンは地味だ。

しかし地味だからこそ、人々の記憶と感情を呼び起こす余地を秘めている。


放送を見た市民からはさまざまな反応が寄せられた。


「プリン? 名前は聞いたことがあるけど、どんな味なのかな」

「地味すぎないか? 勝てるのか?」

「いや、逆に気になる。食べてみたい」


賛否は入り混じったが、それだけ人々の心に引っかかる響きを持っていた。


取材を終えた後、研究会の空気は静かに引き締まった。

和食班はだし巻き玉子、洋食班はチキンソテー。

それぞれが非公開で最後の調整を続けている。


スイーツ班もまた、ただの菓子を越え、

過去と現在を結び未来を開く象徴としてプリンを仕上げなければならない。


宮本は調理実習室の窓から夕暮れの空を見上げた。

「いよいよだね……」

その声に、仲間たちは頷いた。


「俺達のメニュー預けるぞ!」

舞台に上がれるのは4人。調理時間が限られるため工程が多いスイーツ班が優先される。


冴木市文化総合アリーナの幕が上がるその瞬間を思い描きながら、

研究会の心は一つに固まっていた。

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