第6話 現れた人
―ココミ―
朝職員室に入ると、すぐさまココミのところに大柄な女性がやって来た。
「中村さん。ここの新人はね、業務開始の一時間前に来て全員の机の掃除とお茶の準備、備品の整理整頓とやらなければいけない仕事がたくさんあるのよ?」
彼女は標的の藤原だった。
目視百キロは裕に超えていそうな肥満体型と、汗で張り付いたピチピチの服。そんな彼女は体臭と生乾き臭と香水などが混ざった強烈な臭いを纏っていた。さらに化粧は厚く所々で粉を吹いていた。
「あの。それって時間外手当は出るんですか?」
「は?」
「仕事って自分で言いましたよね? サービス残業みたいな無賃金労働が問題視されている世の中で、もしもこれに手当が出ないならそれはどうかと思うんですよね」
その瞬間、職員室中の空気が凍ったの察した。
「中村さん。この学校はね、そんなことよりも自ら率先して年長者を敬い助ける。それが教訓なの。あなたはここでは一番年下。年上の言うことは絶対に守るべきなのよ」
藤原に代わってそう言ったのは教頭の石川だった。
「なるほど。分かりました。以後気を付けます」
もちろん直す気などさらさらないけれど、今日はケンタが派手に動く日だからそれまでは自分から動くのは控えようと引き下がるココミ。内心では、三橋の時みたいにくってかかってやりたい気分だったが、今はその時ではないとぐっとこらえた。
残された時間で言われた通りに事を済ませると、朝礼なのか全職員が立ち上がり、前方に立つ
「おはよう。今日も我が校の伝統と国の未来のために子供達を教育していきましょう。ではいつもの言葉を全員で言いましょう」
直後全員の声が揃って
「若者は年長者のために。年長者が優雅に暮らす未来へ」
「そう。よく出来ました。私達に新しいことなんて必要ありません。生徒も同じです。新しい思想、新しい生き方。それらは全て悪なのです。それでは今日も仕事に励むように」
御影がそう言い終えると職員達は一礼し、自らの仕事に取り掛かった。
「あ、そうそう。今日はこの後大事なお客様がいらっしゃるから、お見えになったら応接室に通して頂戴。それですぐに私に伝えて頂戴ね」
御影の言葉と様子を自分の席で見ていたココミは心底気分が悪そうだった。
新しい思想、生き方は悪だと? だから恭を殺したのか?
我慢していた殺意がふつふつとこみ上げてきていた。でもここでもどうにか耐えた。
各教員が自分達の仕事の準備をしていく中、ココミはケンタが何かをやるタイミングを待った。でもいつ始めるかも分からないので自分の仕事をしながら気にかけることにした。
そんな時、あることに気が付いた。昨日いた自分への教育担当と言う名の監視がいないことに。
すると御影が石川を連れて職員室から出て行った。
「中村さん。これ、今日の仕事よ」
そこで藤原から膨大な量の仕事を振られた。その中には明らかに自分みたいな事務員じゃ出来ないものや、権限的にアウトなものまで入っていた。
「終わるまで帰るんじゃないわよ? いいわね?」
まだ朝なのにこの量を普通の人がやれば帰りは終電確定に違いない。しかしココミは何も言わずにそれに取りかかる。
藤原はというと自分の席で仕事もせずにお菓子を食べていた。さらに若い男性教員を呼び出しては、無いに等しい自分の色気と猛烈な悪臭を振り撒いていた。
臭すぎるって。服洗ってないでしょ絶対に。あと、太りすぎ。汗も臭い。というか、どうしてブスって変に頑張るかなぁ。中途半端なことを頑張れば頑張るほどどんどんブスになっていくってことを知らないのかなぁ。
と不可抗力的に三橋のことも思い出してしまった。非常に腹立たしいので、その思いも乗せて尋常じゃないスピードで仕事を片付けていくと、気が付けばラスト一枚となっていた。
それに目を通すと、頭の中に稲妻が走ったかのような衝撃を受けた。なんとそれは
「西野恭の死に関する報告書……?」
紛れもない妹の死に関する書類だったのだ。
自分から調べる手間が省けたことと、こうも易々と知りたい情報が手に入ったことに驚きと喜びを感じたココミ。
誰にも見られていないことを確認すると、焦らず確実に全面をスマホで撮影した。もちろん業務中の書類を写真にのこすことは犯罪なのは知っていた。だが、バレなければ犯罪じゃない。
そう思いながらも、僅かな罪悪感とともにすぐにスマホをしまって書類の内容を読んでみると、そこに記されていたのはココミが望んでいたような内容ではなかった。
日にちと簡略的な説明だけだった。
結論としては校舎屋上から飛び降りたことによる自殺を証明するものだった。
せっかく見つけたのにと悔しさに耐えるココミの手には力がこもり、震えていた。しかし最後まで目を通していくと、最終承認印の欄に本来あるはずの無い印が押されていることに気が付いた。
「なんでここに公正党のハンコが?」
校内の問題であれば学校長のハンコで十分のはずだ。しかしそこにははっきりと公正党の印があったのだ。
どういうこと?
政財界と繋がりがあるって聞いてたけど、この事件の裏には公正党がいたってこと?
ココミの両親は既に死んでいる。その時父の手には公正党のバッチが握られていた。
まさか、今回もあいつらが?
でも完璧な証拠は無い。それでも父は公正党の敵派閥である新生党に所属していた。もし何か公正党に不利な情報を持っていたのなら殺される理由があるということになる。もしも恭のことも公正党が何かしらの指示を出していたのなら、これは御影と他二人を消す以外にもやらなければいけないことがあるのかもしれない。
ココミはそう思ったのとともに心の中の復讐心が一層昂っていった。
だが今の問題はこの書類をどうするかである。写真に収めたとはいえ、このまま返すよりも今は自分で保管していたほうが何かしらで役に立つかもしれない。
直感的にそう思ったココミは、バレないように自らの化粧ポーチの中に折って入れた。
「あの……」
ココミが座っている位置から最も近い扉から声がした。びっくりしてそこを見ると、そこにはいかにもお偉いさんのような二人の男の人が立っていた。
「あらあら。本日はご足労いただきありがとうございますぅ」
ココミが行くよりも先に藤原が速やか且つにこやかに出迎えた。
「中村さん。御影校長と石川教頭を呼んできて。大至急よ。急いで」
その言葉によりあの二人がさっき言ってた客だと理解し、ココミは職員室を出て校長室に入った。だがそこに二人の姿はなく他へ探しに出た。とは言ってもどこに行ったのかの見当もつかないので、闇雲に歩きながら窓の外に目を向けたりもした。すると偶然にも御影と石川を発見した。二人で廊下を歩き、今まさに体育館裏へ消えていったところだった。
どうしてあんなところに。そう思いながらも二人の元へと急いだ。
どうにか到着すると、そこでココミは信じられない光景を見てしまった。辛そうにうずくまった一人の男子生徒が集団に囲まれ、それを御影と石川が不敵な笑みで眺めていたのだ。
その様子にすぐに声を掛けようとしたが、自分の中の何かが少し待つように静止させた気がした。直後、その男子生徒が周囲に向けて言葉を発した。
「ふざけないでよ…… どうしてあたしは自分に正直になってはいけないの? 体は男だけど心は女よ! どうして自分を押し殺して生きていかなきゃいけないの!」
そして彼の顔面に強烈な蹴りが飛んだ。すると御影が口を開いた。
「どうして? それは簡単よ。若者にそんな権利なんて無いから。あなたみたいな人がいると男女の結びつきが減り、出生率が下がるの。それは何を意味するか。私達年配者に年金を納める人が減って生活が辛くなるの。君達若い子は私達の養分なのよ。養分には自我なんていらないでしょう? 死ぬまで働いて私達を養っていくべきなの。分かる?」
「そんなのあたしは認めない。あたしはあたしだ。あたし達を養分扱いするのは間違ってる! こんなの許されるわけがない! 訴えてやる!」
ココミはその彼の姿に今は亡き妹の姿を見た。
恭も彼と似た境遇だった。体は女、中身も女。でも恋愛の対象は男ではなく女だった。
きっと妹も彼のようにいたぶられ、酷いことを言われて殺されたのだろう。そう感じると、ココミの足はその渦中へ進んでいた。しかしその目的は、ここには他の人もいるゆえに二人を殺すためではなく、この暴挙を止めることである。そして彼を救うことである。
「あ、やっと見つけました。御影校長、石川教頭。お客様がおいでです」
ココミは彼に魔手が及ぶ寸前に声を上げて全員の視線を集めた。
「あら、中村さん。自分の仕事があったはずでは?」
「終わっちゃいまして。あれ? その子怪我してるじゃないですか。私が保健室に運びますので、校長と教頭は応接室へお願いします。お偉いさんみたいです」
ココミはそう言い、中心の彼を支えながら保健室へ歩いていった。
「……ありがとう」
「ううん。君はよく頑張ったね。君は君でいいんだよ」
「うん……ありがとう。そんなこと、今まで誰も言ってくれなかったよ」
保健室に到着し、あとは擁護担当へ引き継ぐとココミはすぐに応接室へと向かった。
もちろん入ることなんて出来ないので廊下から盗み聞きした。僅かに聞こえる声の様子からして中にいるのは御影、石川、藤原。あとはさっきの人だろうと思われた。
どうにかして中に入れないか。入れなくても盗聴出来ないか。
そう考えているとココミは閃き、すぐさまお茶を用意した。そしてノックをすると
「失礼します。お茶をお持ちしました」
と扉を開けて入室した。
「中村さん。今は大事なお話中よ。後にしてくださる?」
「あ、すいません。新人はお客様にお茶を出すのも礼儀かと思いまして」
「いやはや、御影君。君のところの新人は教育が行き届いているねぇ。ありがとう。それじゃ貰おうか」
「大川さん」
御影が少し焦った顔で大川と呼んだ彼を見る。
もちろんココミはその名前につい反応してしまって彼を見た。その人はさっき職員室に来た二人のどちらでもなかった。
かの公正党衆議院議員の大川で間違いなかったのだ。
ココミは両親のことを思い出して飛び掛かってしまおうかと思った。でも、ここでもどうにかして平静を装うことに成功して耐えた。
「俺がいいと言っているんだよ? ささ、中村君だったかな。準備をしてくれるかい?」
「あ、ありがとうございます。では失礼します。飲み終わりましたらお呼びください。片付けに参りますので」
そうして彼らにお茶を淹れて退室した。もしも自分の心臓が動いていたなら、きっとその鼓動が暴れ回って鼓膜と意識を支配していたに違いない。扉の前でそう思ったのだった。
ちなみに、出したカップには超小型の盗聴器を取り付けていた。我ながらいい閃きといい仕事をしたと思った。あとは会話の内容をPCに保存し、恭の件やら学校の悪事やらに繋がりがあるかを確かめるだけ。そう思って職員室に戻りデスクで仕事をするフリをした。
その後はしばらくして藤原が大川を見送るために先に応接室から退室した。少しして残りの二人が出たのを確認すると、速やかにコップを下げて盗聴器を回収した。
そんな時だった。
「中村さん。ちょっといいかしら?」
と御影に呼ばれた。
まさかバレた? そんな不安を抱えながら校長室にて石川も交えて話が始まった。
「あなた、何か気になることでもあった?」
「いえ。どうしてです?」
「無いならいいわ。体育館裏であったこと、絶対に誰にも話すんじゃないわよ? 話したらクビを覚悟なさい。この学校では当たり前のことだから。郷に入っては郷に従え。分かるわね?」
あくまで自分は何も知らない、見てないという体でやり過ごす。だが、このまま校長室を出れば今回の件について無知のフリをして聞くことが出来る機会を失うと思い、少しだけ踏み込んだ質問を投げた。
「あの、さっきの方って学校には結構いらっしゃるんですか?」
「あなたが知る必要はないわ」
「そうですか。でもあの方、スーツの上着に公正党のバッチを付けてましたよね? それに、今日の仕事と言われて処理してた書類に自殺?って書いてあったものがありまして、その下に公正党のハンコが押してあったんです。なので少し不思議に思ったのですが、新人の私が聞いていいことではないですよね?」
御影と石川は揃って表情を崩さずに何も言わなかった。だが独特な静寂と圧があった。
「それでは、そろそろお仕事に戻ってもいいでしょうか?」
「かまわない。引き続き業務に励むのよ」
御影の突き放すような言葉を受けてココミは校長室をあとにした。
あの感じ。絶対裏に公正党がいる。恭のこともこの学校のしきたりも全部公正党が仕切っているに違いない。
と思いながら。
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