第7話 死神の見る世界
翌朝、ア-ジトに響くのは俺がサンドバッグを打つリズミカルな音だけだった。汗が顎を伝い、コンクリートの床に小さな染みを作る。
昨夜の戦闘の疲労は既にない。
目的を果たすその日まで、俺の身体は俺のものではなく復讐という名の機械の部品に過ぎない。
ふと、視線を感じて動きを止めた。ソファがあるはずの空間で、月詠が足を宙に浮かせたまま、興味深そうにこちらを見ている。
「なぜ貴方は、毎日同じように身体を鍛えるのですか? 魂の輝きは、それだけでは強くならないのに」
彼女の純粋な疑問は、死神としての価値観そのものなのだろう。魂こそが全てであり、肉体はただの器。そんな声が聞こえてくるようだ。
「……俺からしたら、そんなことを言われても逆に理解できんがな」
俺はタオルで汗を拭いながら答える。魂の輝きとやらで、銃弾が止められるわけではない。
トレーニングを終え、今度は壁に掛けたアサルトライフルの手入れを始める。昨日使ったばかりの銃だ。僅かな汚れも許さず、完璧な状態に保つ。その俺の手元を、月詠がふわりと近づいて覗き込んできた。
「その鉄の塊は、そんなに面白いものなのですか?」
「面白いかどうかじゃない。必要だからだ」
俺は短く答える。この鉄の塊がなければ、俺はとっくに死んでいる。そして、目的を果たすこともできない。俺にとって、それは命そのものだった。
昼過ぎ、俺は情報収集のために流していたテレビの前で、足を止めた。いや、足を止めさせたのは、俺の背後に立つ月詠の気配だった。
画面に映し出されていたのは、町の小さな洋菓子店を紹介する情報番組だった。
ショーケースに並んだ、色とりどりのフルーツが飾られたショートケーキ。純白のクリームに、真っ赤な苺が宝石のように乗っている。
「すごい……! なんて綺麗な……。あれは、食べ物なのですか? まるで、お花畑を閉じ込めたみたいです……」
月詠が、感嘆の声を上げる。
「あれは何ていう食べ物なのですか?!」
「あれ?……ああ、ケーキのことか」
「ケーキ!……わぁぁ」
その声は、昨夜の死神とは思えないほど無邪気で、純粋な憧憬に満ちていた。
「魂を刈り取るだけの私の世界には、こんなに彩り豊かなものは存在しませんでしたから……」
ぽつりと呟かれた言葉に、俺はテレビに視線を戻した。当たり前のように享受してきた日常の風景が、彼女にとっては未知の世界なのだ。
続いて画面が切り替わり、猫カフェの特集が始まる。小さな猫たちがじゃれ合う姿に、彼女の気配がさらに華やぐのがわかった。
「かわいい……! この毛の生えた生き物は、何というのですか?」
「……猫だ」
俺は、呆れながらも最低限の単語で答える。これから起こるであろう血生臭い戦いを前にして、この緊張感のなさ。魂を刈る死神だというのに、その実態はこれか。
だが、その純粋な好奇心に満ちた声を聞いているうちに、俺の中の警戒心がわずかに解けていくのを感じていた。
彼女は冷酷な死神であると同時に、何も知らないただの一人の“少女”でもあるのだ。
人の命を狩る死神。それだけで常軌を逸しているのに、その死神と共に行動するという有り得ない状況。常にこの死神に警戒するつもりでいたのに、目の前の年相応な少女を見ていると少し気が抜けてしまう自分がいた。
そんな束の間の平穏は、夕暮れと共に終わりを告げた。
アジトの重い扉が開き、調達を終えたギークが戻ってくる。その手にはいくつかの新しい機材と、俺たちの夕食が入ったコンビニの袋がぶら下がっていた。
「準備はいいか、レン」
ギークのその一言で、アジトの空気が変わる。
テレビを見ていた月詠の気配が、再び
「ああ。で、首尾はどうだ?」
「上々だ。お前のお告げ通り、南のオフィスビルは大当たりだったぜ」
ギークはそう言うと、テーブルの上に一枚の青図を広げた。俺が父の資料から見つけた古い設計図だ。
「このビル、表向きは普通のオフィスビルだが、地下二階に不自然な空洞がある。おそらく、ここが奴らの拠点の一つだ。それと、これを買ってきた」
彼がカバンから取り出したのは、壁や床の向こう側を透視するサーマルスコープと数個の小型ドローンだった。
「今夜の潜入ルートは、ビルの裏手にある地下駐車場からだ。警備は厳重だろうが、こいつらを使えば有利に立ち回れるはずだ」
ギークが手際よく作戦の概要を説明していく。俺はそれを聞きながら装備を一つ一つ確認し、身体に装着していく。
戦いの時が来た。
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