第10話「偽りの英雄と、敵への施し」

 その日、野戦病院はこれまでで最も激しい戦闘による負傷者でごった返していた。俺も医療チームも、不眠不休で治療に当たっていた。

 そんな中、一人の伝令兵が駆け込んできた。


「申し上げます! 魔王軍の幹部、『黒翼のヴァルガス』を捕虜にしました! しかし、深手を負っており、虫の息です!」


 魔王軍の幹部。敵の重要人物だ。兵士たちは色めき立った。


「すぐに情報を聞き出すんだ!」

「いや、いっそ殺してしまえ!」


 殺気立つ兵士たちを、俺は制した。


「どけ。俺が診る」

「聖医様!? 何を言われるのですか! こいつは敵ですぞ!」

「黙れ。俺の前では、誰もがただの患者だ」


 俺の気迫に、兵士たちは道を開けた。担架の上には、漆黒の鎧を纏った魔族の男が横たわっていた。その胸には、魔法で焼かれた酷い傷がある。

 診察すると、内臓まで達するほどの重傷だった。このままでは、数時間ももたないだろう。


「手術の準備を」


 俺が静かに告げると、医療チームだけでなく、周りの兵士たちも凍りついた。


「正気ですか、カナタ先生! 敵を、それも幹部を助けるなど……!」


 エリアナまでもが、信じられないという顔で俺を見ている。


「俺は医者だ。目の前で死にかけている者を見捨てることはできない。それが人間だろうと、魔族だろうと、関係ない」


 俺の決意は固かった。反対を押し切り、俺はヴァルガスの緊急手術を開始した。

 それは、これまでで最も困難な手術の一つだった。魔族の体の構造は、人間とは微妙に違う。だが、医学的な基本原則は同じはずだ。俺は前世の知識を総動員し、慎重に治療を進めていく。


 手術が終盤に差し掛かった、その時だった。


「全員、武器を捨てろ! 聖医カナタを、国家反逆罪の容疑で捕縛する!」


 野戦病院に、武装した王国騎士団がなだれ込んできた。率いているのは、宰相ダリウスの息がかかった騎士団長だ。


「反逆罪……? 何かの間違いだ!」


 レオンが剣を抜き、俺の前に立ちはだかる。しかし、騎士団の数はあまりにも多い。


「聖医殿が魔王軍と内通している証拠は挙がっている! おとなしく投降しろ!」


 騎士団長が突きつけてきたのは、捏造された映像が映る魔法の水晶だった。俺は全てを理解した。これは、宰相ダリウスが仕組んだ罠だ。そして、俺が今、敵であるはずの魔王軍幹部を手術しているこの光景は、その「証拠」を裏付ける、最悪の状況証拠となっていた。


「待ってくれ! 話を聞いてくれ!」


 俺の叫びもむなしく、騎士団は俺を取り囲む。

 万事休すかと思われた、その瞬間。

 手術台の上で意識を取り戻したヴァルガスが、ゆっくりと身を起こした。そして、彼の背中から、巨大な黒い翼が広がる。


「……貴様が、私を助けたのか。人間の医者よ」


 ヴァルガスは状況を即座に理解したようだった。彼は鋭い目で騎士団長をにらみつけると、その場にいる全員に聞こえるような大声で言った。


「この者は、我ら魔族の敵ではない。もしこの者に指一本でも触れるなら、魔王様は王国全土への総攻撃を命じられるだろう」


 ヴァルガスの言葉に、騎士団は動揺する。敵の幹部が、なぜ俺をかばうのか。

 その隙に、レオンが叫んだ。


「カナタ、エリアナ! 今のうちに逃げろ!」


 レオンと、彼を慕う一部の兵士たちが、俺たちの逃げ道を作るために騎士団と対峙する。


「しかし!」

「ぐずぐずするな! あんたはこんな所で終わるべき人間じゃないだろ!」


 レオンの言葉に背中を押され、俺はエリアナの手を引いて、野戦病院の裏手から脱出した。

 味方であるはずの王国から追われ、敵であるはずの魔族に助けられる。皮肉な運命だった。

 俺は、英雄から一転、国賊となった。真実を明らかにし、宰相の陰謀を暴くための、孤独な逃亡劇が始まった。

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