第一章
日常の終わり
会議室は今日も死臭に満ちている。
――もちろん比喩だ。誰も死んじゃいない。
スーツ姿の同僚たちが互いに真剣な顔で、業務や責任を押しつけ合っている。俺はというと、書類をめくりながら、必死で
「瀬戸くん、どう思う?」
不意に名前を呼ばれる。しかし、慌てない。
「……現状の仕様では、おっしゃる通りかと。バグを潰すより、運用でカバーする方が、工数はかかりませんし」
ありきたりで、責任の所在をぼかす言葉。『そうですね』以上の意味はない。周囲が軽く頷くのを確認して、また黙る。こいつらも、中身のある発言なんて期待してはいない。
下手に改善案なんて出したら――『じゃあ瀬戸くん、きみ主導で頼むよ』と来るに決まっている。
仕事とは、時間を切り売りし、合間に飛んでくる面倒ごとをいなす作業だ。そう割り切っているはずなのに、時々ふと思わないでもない。
――俺の人生、何をしているんだろうな、と。
◇◇
定時を少し回って退社した後、スマホに着信が来る。地元、横浜時代の友人だ。
「理人、今から合コンなんだけど来ない?」
久しぶりに聞く声。魅力的な提案のはずなのに、胸は躍らない。
「相手はグラドルの卵に、PiPiにも出てるモデルだぞ」
はい、解散。
確かに性欲の対象として大変に魅力的なのは否定しない。
しかし、そんな自己顕示欲と自己評価の高い女は、男に対する要求スペックも高いのだ。年収、学歴、顔面偏差値。俺に欠けているものを一つひとつリストアップされ、微笑みながら切り捨てられる未来が見える。
そもそも、このタイミングでのお誘い。どうせ急用で来れなくなったどこかのハイスぺ男子の穴埋めだろう。
「六本木だな。すぐに行く」
短く答えて通話を切る。
――おかしい。断る流れだったはずだ。
風俗街のネオンを横目に『そういえば、二年くらい帰ってないな』と、ここから一時間程度の実家を思い出しつつも、大江戸線の乗り場へと向けて歩き出――。
――新宿通りを挟んだ向こうにあるはずのネオンが巨大化して迫ってくる。
錯覚か? 性欲で頭がおかしくなったか?
いや、ネオンだけじゃない。ビルも、人も、車も、空も。
――すべてが迫って来て押しつぶされる。
周囲がふさがれ、何も見えなくなる。
暇つぶしの人生もここまでなのか。
もうすぐ給料日なんだけどな。
――痛い!
押しつぶされる痛みじゃない。
全身がバラバラにされて、裁縫針で無理矢理縫い合わせているような痛み。
悲鳴を上げているつもりなのに、自分の声は聞こえなかった。
喉は裂けるほどに痛むのに。
意識はそこまでだった。
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