第21話🐒「君が攫いたい子は、あの女の子なんだな」
(んな会話してたからって、来るか普通? バイト先に!)
申し訳なさそうな知里佳、しれっとした笑顔の真壁、何も考えてなさそうな顔の猫、そしてきょろきょろとせわしなく周囲を見回す春待の四人組が現れたとき、柳楽はオーダー表を取り落としそうになった。
「なんか話してて中華の舌になっちゃってさ。凌くんバイト先中華料理屋だから、押しかけてきちゃってごめんね」
「……全然いいよ。できるだけ売り上げに貢献してくれると助かります」
四人は思い思いのものを注文し、楽しく談笑していった。
思いついたままにあれやこれやと注文する渡移と、偏食の激しい春待、それをにこにこと適度にコントロールしながらよく食べる真壁、そして浮かない顔でラーメンをすする知里佳。
そこに入りたいという希望と、関わってはならないという拒絶と、疎外感が綯い交ぜになって心に影を落とした。
結局、柳楽は一度も知里佳の顔をまともに見ることはできなかった。
四人組が帰ったあと、どっと疲労感が襲ってきた。
夕食時の忙しさのピークも過ぎ、店は落ち着いた空気になる。柳楽は食器を下げ、食洗機に食器を一枚ずつ並べていく。
明日の仕込みをしながら、店長がニコニコと話しかけてくる。
「楽しそうだったなぁ。友達かい?」
「同じマンションの人たちです。友達って、言えるのかどうかは解らないですけど」
「友達は大事にするべきだ。特に俺たちみたいな奴には貴重な存在だ」
実はこの男も人間ではない。飛頭蛮という化物だ。中々他人には見せることがないが、夜になると首が外れて部屋の中を飛び回るらしい。よく見るとぐるりと首の周りに薄らと線が走っている。
奥さんは「首? 飛んでるよ〜。でもいびきがうるさいとか歯ぎしりで眠れないとかそんなのに比べるとだいぶマシかな」と言っていた。それが夫への愛ゆえか、本当に就寝時に何も気にしないおおらかな性質ゆえかは分からない。
「……自分の正体も晒せないのに、友達なんて言えるんでしょうか」
「ただの人間だって大なり小なり秘密を抱えてるもんだ。特に柳楽くんは母親が人間だし、ちょっと毛深くて猿っぽいだけじゃないか。気にすることないだろう?」
「……俺の一番の問題は生態ですよ」
たこ焼きパーティーのときの醜態を思い出して顔が熱くなる。二人きりになっただけで理性が蕩けてしまいそうになる。あのときもし他のメンバーがいなかったら。想像するだけで恐ろしい。
「誰だって好きな女は攫いたいもんだ。君はそれがちょっと特別衝動が強いだけだ。何の問題もない」
「性犯罪者になるのは絶対ごめんです。俺はちゃんと浪人生活一年できっちり終わらせて、四年間の間に国家資格取って税理士が公認会計士か行政書士になるんです」
「計画的な人生だなぁ」
店長はトントンとリズミカルに野菜を切っていたが、にやりとこっちを向くとこう言った。
「君が攫いたい子は、あの女の子なんだな」
手から皿が零れて床でけたたましい音を立てた。皿は綺麗に真っ二つに割れる。柳楽はのろりと床に落ちた破片を拾う。
「……スイマセン。バイト代から引いといてください」
「いいよいいよ、一枚くらい気にしないで。ほんと君、若くて可愛いなぁ」
店長はけらけらと笑う。他人事だと思って馬鹿にしやがって、と柳楽はむっとする。
「柳楽くん」
店長のへらへらとした顔が真顔になる。
「何ですか」
「『自分が人間じゃないから』は君の生きる世界において、何かを諦めたり、不都合に生きることを受け入れる理由にならないと俺は思う」
「はぁ」
「まぁ、ちょっと俺の場合は人と同じ部屋で寝ることができないから、出張多い仕事とかできないし、職業選択の自由は限られたけどねー。ま、俺料理好きだしいいんだけど」
「……だから、何ですか」
柳楽はじろりと店長を見る。
「つまりは、アレだ。彼女と上手くいくといいなってオッサンからのエールだ。あ、でも避妊はちゃんとするんだぞ! まだ君は学生未満なんだから」
本日二枚目の皿が床に落ち、砕け散った。
本日のバイトは終了。まかないとして具がたっぷりの五目焼きそばを食って帰路につく。オイスターソースの味が麺に絡みついてとても美味い。
駅からマンションへ続く道は今日は一人きりだ。今夜は誰かに気を使う必要もなければ楽しいおしゃべりもない。
ワイヤレスイヤホンではずっと英単語を流している。外国語は苦手だ。暗記系科目は苦手ではないが、覚える単語が膨大すぎる。満遍なく成績をキープしているが、英語には足を引っ張られている。
ポコンとメッセージの受信音。母からだ。今日も明るく楽しく下らないメッセージだ。自分がいなくても、一人でも楽しそうだとほっとする。
柳楽の頭の中で店長の言葉が頭の中でぐるぐると廻る。
「『自分が人間じゃないから』は君の生きる世界において、何かを諦めたり、不都合に生きることを受け入れる理由にならないと俺は思う」
それは、とてもいい言葉だ。本当にそうならいいのに。だが、実践するのはなんて難しい事だろう。
(だって、俺が諦めなかったら、傷つくのは橘さんだ)
柳楽は子供の頃から人一倍背が高かった。身体が大きかった。人を押しのけても前に行こうとはできなかった。だってそうしたら人を傷つけてしまうから。
小学生のとき、片親だということをからかわれて、つい本気で怒って強めに押したら、その子は軽く吹っ飛んで机にぶつかり、骨を折った。
その時のショックは今も心の深いところでじくじくと根を張っている。
今はその頃よりもずっと身体も大きく力も強い。感情のままに行動して誰かを傷つけるのはもう嫌だった。
もっと感情のままに生きられたら。そう思うことはある、しかしそれによって感じる心の負債は、欲望を発散することよりも窮屈だ。
(俺は俺の中の野生が吐き気を催すほど嫌いで仕方ないんだ。橘さんや皆にこんなところ、絶対見せられない)
ぼんやり思考を巡らせていたら、マンションの前に着いていた。『ニコニコマート』は今日も元気に営業中だ。暗くなった外に煌々と店内の灯りが眩しい。
いつか自分の中の野性と折り合いがつけられるようになれば、また訪れられるだろうか。ジャスミンティーはそれまで売っているだろうか。それは、柳楽にとって叶うかも分からない、あまりにも遠すぎる光だった。
柳楽はもやもやと思案にふけりながら、十階までの階段を重たい足で上がった。
そこに、彼女がいた。
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