第20話🐒「何かあったの?」
「だーれだ」
予備校、そしてバイト終わりの駅からマンションへの帰り道、後ろからそう言われて顔に手が回された。その手は残念ながら鼻のところで止まっている。目には届いていない。
「真壁さん、いきなり何してんだ?」
柳楽が振り向くと、そこには真壁の人懐っこい笑顔。
「前から言おうと思ってたんだけど、さん付けいらないよ。同級生だし。オレも名前で呼んでいい?」
「別に構わないけど」
「じゃ、これから凌くんって呼ぶね」
「真壁さ……俺も友哉って呼んだ方がいいかな?」
「好きにしたらいいよ。真壁でも友哉でも」
それからマンションまでの道すがら、他愛もないことを話した。いつかの夜道とはちがう、穏やかで楽しい道中であった。
学部は違えど、真壁の通う大学は柳楽の志望校だ。
センター試験及び二次試験の日に高熱を出し浪人したということを話したら、これでもかと言うほど同情され、そして笑われた。
真壁の家のベランダには最近三毛猫がよくやってくるそうだ。にゃんにゃんとうるさいので開けてやるといつも何かしらの食べ物を強請っていくらしい。
渡移だな、とピンときたがあえて口には出さなかった。
男二人の足だとマンションまではそう遠くもない。あっという間に、『メゾン・ド・ベル』に到着する。
「あっ、おれコンビニに用があるんだよね。凌くんも寄ってくでしょ?」
ぎしりと柳楽の身体が固まる。あのたこ焼きパーティの日以来、ニコニコマートには立ち寄っていない。知里佳と顔を合わせるのを意識的に避けていた。怖かったからだ。柳楽は何気ない風を装い真壁に笑顔を向ける。
「いや、俺はいいよ。最近金欠気味だしコンビニ入ると無駄に買いすぎちゃうからな。先上がるよ、おやすみ」
そう言って背を向けようとした。
「ちりちゃんのこと、避けてるってホント?」
思いもよらないところからボディブローを食らった気がした。
「……そんなことないけど。どうした? 突然」
「ちりちゃんとは大学でよく顔合わせるんだけど、言ってたんだ。あの日からコンビニに来てくれてないって。あのとき、何かあったの?」
「別に、何もない。俺の事情で、真壁には関係ないことだから」
そんな言い方しかできない己の不器用さが嫌になる。
事情は説明できない。したとしても信じてもらえるわけがないと諦めている。
『俺は女を襲う化物だから、彼女に近づくことを避けているんだ』なんて、誰が信じるというのだろう。
真壁はくしゃりと笑う。
「まぁそうなんだけどね、せっかくであった同じマンションの同年代なんだから、仲良くできるのに越したことないじゃん? ちりちゃん、凄く寂しそうだったよ」
その言葉は自分への好意を感じ嬉しいような、申し訳ないような、柳楽の心の中にさざ波が立つ。
柳楽は知里佳に確かに好感を抱いている。でもそれは、知里佳が魅力的な人間である以上に、魅力的な「雌」だからだ。肉欲と愛情を同列にしてはならない。俺はもう二度と彼女に関わってはいけないのだと柳楽は心に重く蓋をしていた。
本音か嘘なのか解らない言葉が思わず口から滑り出た。
「俺は、真壁と橘さんが付き合えばいいなと思ってるよ。お似合いだと思う」
「そうなの? でもこればっかりはお互いの気持ちが必要だから、どうなるか分からないよね。少なくとも、ちりちゃんは、俺のこと見てないと思うけど」
ちょっと待ってて、と言って真壁はコンビニに入る。二、三分すると出てきてビニール袋からペットボトルを取り出す。触れるとひやりと冷たくて気持ちいい。
「ジャスミンティー、好きなんでしょ? 俺のおごり」
「……ありがと」
「またみんなでパーティしようよ。美味しかったし楽しかったよ。渡移さんも春待さんも会う度にまた集まろうってすごい言ってくるんだ。勉強の邪魔にならなければ」
「俺は……」
誘えとも誘うなとも、来いとも来るなとも言えなかった。
真壁は黙って柳楽の背を押し、二人は階段の前で別れた。
久々に飲むジャスミンティーは、煮出したものとは違い薄くぼんやりとしていたが、その慣れた味が心地よかった。
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