3. 奇妙なる出自と姓

 カボナールエンの手記の内容を信じ、あの異様な判決がエスカムに内在する問題によってもたらされたものであると考えるのならば、我々はエスカム自身の生い立ち、否、その生涯そのものについて調べねばなるまい。


 ところで、先程は敢えて隠したが、『魔法史大全(第25版)』のエスカムに関する記述には続きがある。


しかし、一方で、いわゆる曲線次元中の魔導反復線判決という極めて不可解な判決をムルマイトに対して下しており、これにより魔導学は約200年の停滞期を迎え、かつ帝国の強権体制時代が到来した。彼は二重の意味で魔法史上の境界そのものであり、彼以前の時代を旧魔法時代といい、また彼よりゲルスムンタ再興革命に至るまでの200年間を停滞期と呼ぶ。(中略)当時より知られていたように彼の生い立ちには不明の点も多く、さらには、2527年に突如として失踪しており、「創造的かつ破壊的な彗星」ともしばしば形容される。

     (魔法史大全(第25版) p. 757)


 『魔法史大全(第25版)』にも書かれているように、彼の生い立ちには実に不明の点が多いのである。というのは、彼に関する情報はどんなに遡っても山岳地方レーメル(現レーメル・トウ・サーレ)の平民登録簿の記録までしか辿れないのであり、これ自体もまた極めて奇妙な記録なのである。


 現在のレーメル・トウ・サーレ市の旧市街の内城東城門の傍に、市の古文書を蒐めた地下書庫がある。数ヶ月前にザルセン博士とともに、エスカム研究のためにこの書庫を訪ねた。流石は三次に亘るレーメル攻囲戦にも耐え抜いた山岳地方の要衝ということもあって、この地に市が築かれてからの平民登録簿が、ほぼ当時のまま完全に残っているが、この平民登録簿にエスカムが登録されているのである。以下に引用しておく(なお、引用文中「超術」とは魔術を意味する。魔法史上の転換線概念である「歴史上に於けるエスカム線」以前は一般的にこの言葉が用いられていた)。


 エスカム・レベルサーリア 男

レベルサーレ附近󠄁ニテ二千四百八十四年八月頃󠄀生ル(疑ヒ有󠄁)

父母トモニ不明 養親アリタレドモ已ニ死セリト云

備考 六日前󠄁ニ本市西方ノ林中ニテ氣󠄀絕󠄀シテ倒󠄀レタルヲ本市平󠄁民󠄀ルークル發見シタリキ

超術󠄁ニ秀デ其ヲ業トス 出自ニ聊不審アリタレバレベルサーレ村ニ照會セルモ上記ノ者󠄁及󠄁其親族ノ記󠄀錄󠄀無シト云 流民ノ類󠄀ヲ疑フモ性善良ナルコトト超術󠄁ニ秀デタルコトトヲ斟酌シ畏モ 神󠄀聖󠄁皇帝󠄁陛下ニ依リテ山岳州ニ封ゼラレタル大領主󠄁サルバーレンノ許可及󠄁市衙上󠄀級󠄁官吏全󠄁員ノ協贊󠄀ヲ以テ上記ノ者󠄁ヲ本市平󠄁民󠄀登󠄀錄󠄀簿󠄁ニ登󠄀錄󠄀セリ

   二千五百十年四月四日登󠄀錄󠄀


 全体的にかなり不審な記述であるように思われる。が、ザルセン博士によれば、当時の山岳地方の平民には親の名を知らぬ者や(※15)、出身地が不明であったり出身地に関して虚偽申告をする流民、また官吏がそういう流民を斟酌の上で正式に平民と認めることも事例としてはかなりあったらしい。むしろ注目すべきなのは、当時より魔術の才能を持ち合わせていた点と、一見すると特に不審な点のなさそうなエスカムの姓だという。

 姓の一体何処が不思議なのか。(非常に込み入った話にはなるのだが)ザルセン博士によれば、山岳文化圏において、註15で書いたように、真名を明かすことが基本的に禁忌とされていた以上、姓が実質的な名前の機能を果たしていたという(※16)。さて、エスカムの姓はレベルサーリアであるが、これはレーメルと同じく山岳地方に属し、その北方に位置するレベルサーレという村名(元々は川名だが)に位置を表す後置詞「イア」が付いたものであり、典型的な地名姓である。しかし、山岳地方では前述のように姓が実質的に名前の機能を果たしていた以上、レベルサーリアのような村名や町名由来の地名姓は山岳地方の姓としては不適当である(※17)というのである。

 山岳地方の首府たるレーメル市の当時の記録官は、平民登録簿にレベルサーリアという姓をそのまま記載しており、流民に対してありがちな官吏の裁量による創姓ではない可能性が高い(市にとっても都合が良いので、創姓にあたっては山岳地方の姓の慣習に従い地名姓を避ける筈である)。つまり、レベルサーリアという姓はエスカム自身の口から記録官に伝えられた姓である可能性が高いのである。そして、レーメルと同じく山岳地方に属するレベルサーレ出身の人間が、レベルサーリアという姓を名乗るのは、山岳地方の文化から考えると極めて不可解なことなのである(※18)。

 エスカムの両親・養親について、既に魔術の才能を既に持ち合わせていたこと、林中での気絶等も検討すべき重要な問題ではあろうが、いかんせん平民登録簿以外の記録がなく、検討のしようがない。しかし、姓だけとってみても、エスカムの異常性についてお分かり頂けるであろう。


──

※15 少しばかり補足しておくと、当時の土着宗教トル教の互いの真名を知ることで婚姻が成立するという教えから、隣人は勿論、親族であっても(特に年長者を)真名で呼ぶことが忌避されていた。そのため、往時には余りにもよく知られていた寓話「親の死に際へ急ぐ男の話」のように、極端な例になると、生涯に亘って親の名を知らぬこともあったという。現在ではこの風習はトル教の衰退とともに廃れていったが、極度に人口が少なく文化の消滅の危機にさらされているカルミサーレ以北の北方山岳地方では今なおこの文化が残存しているらしい(エルイメル『トル教と山岳文化』p. 38)。


※16 もっとも、これはあくまで血のつながりのない他人間の話であって、親族内では単に息子や父上などと、その家族的属性で呼んでいたらしい。(同上 pp. 25-26)


※17 このような理由から山岳地方の姓には、動物名や住居周辺の目印となり得るもの——コルタクシ三本の木など——といったものが多い。


※18 虚偽姓の類の可能性もないわけではないが、山岳地方出身であるのに、かえって官吏に不審を抱かせるような虚偽姓を名乗るのも奇妙な話である。この点も不審であったからこそ、記録官は「レベルサーレ村ニ照會」したのであろう。

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