4. 異例の出世と変心——そして失踪

 さて、その後エスカムは如何にして異例の出世を果たしたのか。そして、あの異常な判決と200年の停滞期とを残し失踪したのか。以下では彼の生涯を追っていきたい。


 エスカムはレーメル市の「壁内平民」(※19)として2512年までは民間の魔術使いとして、基礎魔術にて市民の諸々の雑事を請負い、或は魔導学を志のある市民に教えて生計を立てていたらしい。そのような生活を続けていた中で2512年10月の秋に転機が訪れる。すなわち、ライカールとの出会いである。


 レーメル市に監察使の一員として派遣されていた帝国政府の中枢院魔法局長(※20)ライカールの自伝によれば、「ふと、市内で噂の魔術使いとやらを冷かしに」東通りの外れのエスカムの住処に行って彼と話してみたところ、エスカムの高度な第二次元魔法の理解に驚愕したらしい。体制魔法界のトップであった彼をして「そこらの黄銅だろうと思うていたら実は黄金であった」とまで言わしめている(※21)。かくてエスカムはライカールに「拾われ」、帝都リサガロクに足を踏み入れることとなった。


 平民であったエスカムは、その天才的な才能と、ライカールの積極的な援助により、2513年には 第18代神聖皇帝陛下との謁見を許された。このとき、 第18代神聖皇帝陛下より帝都市民の身分を賜り、晴れてリサガロク市民と正式に認められたのであった。エスカムがクラッドでの学修を経ることなく中枢院魔法局より魔導士資格を授与されたのは、同じ頃であろうといわれているが、確かなる証拠は見つかっていない(※22)。が、少なくともこの特例による資格授与の背後に、ライカールを中心とした改革派がいたことは疑いようもない。


 さて、エスカムは中枢院魔法局付の魔導士として未だ未完成であった第二次元魔法の研究を重ね2514年には第二次元魔法をついに「完成」(註8を見よ)せしめている。さらに、エスカムはその輝かしい功績を評価され、保守派魔術官僚をも含んだ圧倒的賛成(※23)により2515年にはライカールより中枢院魔法局長の地位を譲られている。とはいえ、「新参者」エスカムの余りにも急激な地位の上昇とその才能を妬んだ者も決して少なくはなかった。やや時間を巻き戻すが、中枢院魔法局長の地位を譲られる直前の2514年9月6日にはエスカムに対する冤罪未遂事件(※24)が、2515年には暴漢に襲われて怪我を負う事件も起きている。話を戻すが、このような状況の中、僅か31歳にて中枢院魔法局長に就任した彼は次々に改革を行っていく。その際たるものは 第18代神聖皇帝陛下への奏上により、中枢院に属する一小局に過ぎなかった魔法局を魔法省に昇格せしめた(かつ、エスカム自身が魔法局長からいきなり勅命により魔法省大臣となった)ことであろう。現在にまで続く魔法省の確立は、その後の魔法史を良くも悪くも大いに転変せしめたことは言うまでもなく、国家体制と民間の「妖術」との緊張を生み出すことになったのであり、まさに革命的事象であった。


 ところで、この頃に青蛇派と大志派の対立が愈々激しさを増すようになる。というのも当初は権力争いの「ついでに」行われていた第二次元一般魔法の発見を巡る争いが、エスカムによる第二次元魔法「完成」により、政治的主導権を握る極めて重要な要素となったからである。第二次元魔法の「超越」を志向する超越主義者(※25)の多かった大志派がエスカムのバックに付き、対する保守派の多い青蛇派は必然的に反エスカム的な立場をとるようになる。エスカムは否応なく政争に巻き込まれていくのである。


 このような中でエスカムに再び転機が訪れる。2516年4月1日、ライカールら改革派に説得された軍務大臣や財務大臣らにより、エスカムを大魔術裁判院院長に任命すべきとの奏上がなされ、これが御裁可されたのである(※26)。この奏上は、水面下でエスカム寄りの改革派や大志派(のうち特に超越主義者)と、青蛇派を中心とした反エスカム保守派との間での折衝や、ライカールに対して事前に示された宸慮を経ているらしいが、エスカムの生命自体は勿論、奏上の二ヶ月前に起こった帝位の「突如なる分裂」(※27)による情勢急変も大いに関わっているということは言うまでもない。ともあれ、エスカムは「一身上の都合」により魔法省大臣を自らの意思という建前で辞任し、直後の2516年5月18日に勅命により、魔術に係る事件の終審を行う大魔術裁判院の院長に任命されたのであった。


 エスカムは大魔術裁判院院長として魔術事件を処理する(高度な魔導学の知識は勿論、帝国法学と当時急速に確立されつつあった魔術法学の知識を要求される大魔術裁判院にて何らの支障なく活躍できたという点も、エスカムの天才性を如実に物語っていると言えよう)傍ら、魔導学者として低次元魔法とは根本的に性質を異にする(※28)第三次元魔法の研究を始める。この研究は2518年に、少なくとも高次元魔法は魔導学上の単線領域に於ける計算では不可能とする反単線理論に、魔導磁界概念を取り入れて、反単線理論を具体化した「二重の反単線理論」として結実する。


 二重の反単線理論は、問題のムルマイトの曲線次元中の魔導反復線には勿論のこと、その革新性から改革派、保守派双方に多大な影響を与えた。政治的にはエスカムの研究を支援していた大志派は愈々その勢力を拡大し、対する青蛇派は政界での発言力を低下させ、旧来的魔法利権も大きく奪われることとなった。魔法神権説はもはや力を失い、魔導学的には第三次元魔法の曙光となり、軍事的には軍事魔導学の基礎理論となり、魔術法学的には時空概念を前提とした法理論の再構築に迫られるなど、あまりにも大きすぎる発見であったのである。いずれにせよ、エスカムはこの功績により、帝国における魔導学の最高機関であった魔法研究機関藍星会の第二代総裁に満場一致で選出されたのであった(2519年)。


 さらに、その翌年2520年にはムルマイトが、「曲線次元中の魔導反復線理論」中で、極めて難解な曲線次元中の魔導反復線理論を、エスカムの二重の反単線理論を発展させて打ち立てたこと、そしてエスカムが少なくとも「当初は」それを賞賛していたことは、既に述べた通りである。そして「曲線次元中の魔導反復線理論」発表の翌年たる2521年12月3日に、極めて大規模な天空異常が発生するのである(後に詳述する)。その翌年、2522年3月には北方諸侯国群で大動乱、すなわち北方大戦乱(※29)が始まる。エスカムの変心はちょうどこの頃であったらしい。


 2522年12月2日、エスカムは突如としてムルマイトの逮捕を、裁判院院長の特別権限を以て命じた。かくてムルマイトは逮捕され、帝位が「再統合」された年である2523年2月1日の曲線次元中の魔導反復線判決を経て、すぐに斬首による方法の死刑が執行された。さらに中枢院が魔法治安防衛令を発令したのとほぼ時を同じくして、エスカムは自らの生み出した高次元魔法理論について自己批判をした上で、藍星会における魔導学の「郭清」を命令し、恩師ライカールの意志を継ぐ(なお、ライカールは2521年に病死している)改革派を弾圧した。特にエスカムを信奉し高次元魔法を希求する超越主義者に対する弾圧は苛烈を極めたらしいが、あまりにも異常であることがお分かり頂けるであろう。かくて魔導学200年の停滞期にして強権を振るう帝国の圧政期が始まったのである。


 その後、エスカムはどうなったのであろうか。エスカムは大魔術裁判院院長と藍星会の総裁を兼任しつつ、魔導学者として研究も継続していたらしい。が、彼の最大の功績であった筈の高次元魔法研究は自ら封印してしまったらしい(※30)。エスカムは2526年の慣例による満期退官まで大魔術裁判院院長としてその職務を全うしたということは先に述べた通りである。しかし、翌年2527年8月15日、彼は藍星会本部に「總󠄀テ終󠄁ツタ。總󠄀裁ヲ辭󠄀職ス」と書かれただけの短い手紙を残し、行方をくらますのである。その後の彼についての記録は残されていない。


 ここまで読んできた読者には、エスカム自身の発言などが引用されていないことについて不思議に思われた方も居るかも知れない。実はエスカムは(判決文や公文書などはともかく)自らの日記や私信の類の多くを廃棄しているらしいのである。ザルセン博士が様々の文献を渉猟してエスカム自身の発言を『高次元魔法形成期史料集成:闇のエスカム』中にまとめているが、博士の精力的な調査にもかかわらず、未だにごく僅かしか蒐集できていない。故にエスカムの内的な人物像を把握するのは極めて困難なのである。



──

※19 つまり、当時からエスカムの魔術は一目置かれていたということであろう。流民は基本的に外民として扱われることが多かったからである。


※20 当時、魔法省は存在せず、中枢院直属の小局たる魔法局に過ぎなかった。


※21 ザルセン『エスカム周辺人物記録集成:書簡 日記篇』p. 458


※22 当時の資格証書交付記録は2603年の大火災で焼失している。ただし、2513年8月8日付の中枢院日誌に、城内の研究部屋がエスカムに与えられたという記録が残っているので(言うまでもなく破格の待遇である)、この頃より中枢院付の魔導士の地位を与えられていたらしいことが分かる。


※23 「もとより我々の主張は、基礎的超術の完成に至らずにその上位に存在する高度なる超術について研究することは、超術に内在する危険を解き放つのみならず、それが神より与えられし超術に対して極めて冒涜的な行いであるというものであったが、今や新星──すなわちエスカム氏の登場によって基礎的超術は完成し、我々の憂慮はあたかも太陽に払われる霧の如く消失したと言って良いだろう」保守派のうち、いわゆる多数派の漸学派長老ウルバーテの発言『エスカム周辺人物記録集成:書簡 日記篇』p. 695


※24 改革派を目の敵にし、保守派に資金援助をしていた当時の財務大臣カーラルの不審死への関与を疑われたらしい。結局、極めてしょうもない私怨で殺害されたのを、その背景事情の揉み消しと、同時に「鼻の出来もの」たるエスカムを「消す」ために、カーラル派の官僚と魔法局内の原理的保守派の協力によりでっち上げられた冤罪であった。ライバック『蠢く陰謀:帝国史の裏側を探る』(検閲済版)p.87


※25 エスカムによる第二次元魔法「完成」に大きな影響を受けた青年貴族を中心とする魔導学運動。従来の魔法神権説とそれを信奉する保守派を超克し、第二次元魔法のさらに上にある高次元魔法を希求する一派であった。エスカムを信奉していたが、皮肉にも曲線次元中の魔導反復線判決以後は弾圧された。が、一部は南方国境方面に逃れてその命脈を保ち、ゲルスムンタ再興革命では黎明軍団を組織して、新体制の主導権を握ることとなる。


※26 帝国中枢院文書局『二千五百十六年勅令集 附裁可及勅許』p. 152


※27 2516年2月17日に突如として 第18代神聖皇帝陛下の異母兄にして2494年に廃嫡の上、外縁島嶼の某島に幽閉されていたメヌカールが、密かに本土(南方国境付近)に上陸した上でケーレンバク市を本拠地とし僭称帝として挙兵した事件。メヌカールの廃嫡については以前より政治的陰謀説が囁かれていたことや、僭称者メヌカールがそれなりにカリスマ性を有していたこと、またエスカムら改革勢力に親和的であらせられた 第18代神聖皇帝陛下に畏れ多くも反抗心を抱きつつあった原理的保守派がメヌカールの挙兵に加担したことで極めてややこしい事態となった。つまり、帝国政府は激しく対立していた改革派・大志派と保守派・青蛇派の合作の必要に迫られていたのである。


※28 低次元魔法は、魔導学概念上の存在体の変形、顕在・潜在化、現出・消失化に係る魔法であり、存在体概念それ自体で完結するが、高次元魔法は存在体概念に時空概念を持ち込み、低次元魔法の瞬間性や固定性を超克する魔法であり、根本的に性質が異なる。


※29 この大戦乱は北方諸侯国の一国たる北カルメク侯国が 第9代神聖皇帝陛下の勅令を蔑ろにして突如として周辺諸侯国に攻め込み、北カルメク侯国に協力する諸侯国と神聖帝国庇護下の諸侯国との間での大戦争となった。これ自体は僅か三ヶ月程で鎮圧されたものの、極めて不可解な——北カルメク侯国は最初期に平和裏に神聖帝国への服属を誓った侯国であり、自らの破滅をわざわざ招来する戦争を引き起こす理由は、周辺諸侯国との関係においても神聖帝国との関係においても全くなかった——事件として知られている。


※30 「師は死んでしまったのです——もしも師が今なお師自身で居られるのなら、自らの輝かしき功績の将来への可能性を悉く摘みとり、あまつさえ自らの行っていた高次元魔法研究を他ならぬ師自身が師自身に対して禁ずる筈はないからです。」エスカムの弟子たる超越主義者レイカラムの言葉;ザルセン『エスカム周辺人物記録集成:書簡 日記篇』p. 1042

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