2. 異常なる変心

 この点について、カボナールエンのいささか難解な手記は手掛かりとなり得る。2522年6月5日付の頁の記述によれば、エスカムは「黒い影を伴っていた——否、彼自身影そのものであった」というのである。カボナールエンは典型的な保守的魔術官僚の一人であり、エスカムと対立していたからこそ、このように評しているようにも思われる(高次元魔法発展期の当時にあっては、嫉妬、恨み、讒言の類は当たり前の話であった)が、魔法的保守派と革新派の対立という、そんな単純な話ではないようである(後述するように、エスカムとカボナールエンの間には実は良好な関係が築かれていた可能性すらある)。

 さらに、カボナールエンは直前でマルエルの誓いの徵(※6)を記した上で次のように記している。


エスカムの才能を非凡であると認める者は多くいるし、それは私も認めるところである。が、しかし、それが「何処で、誰によってもたらされたのか」という根本的問題を問う者はいないのだ。そして何よりも彼はクラッド(※7)を卒業は勿論、入学すらしていないのである。


 さらにカボナールエンは先の記述の直後に「私とて彼に同情せざるを得ない。しかしこの真実はあまりにも危険過ぎる。」と極めて意味深な記述を残しているのである。

 果たしてカボナールエンはエスカムの何に同情したのか? そしてあまりにも危険過ぎる真実とは何なのであろうか?


 ところで、カボナールエンに「影そのもの」と評されたエスカムとは、実のところ、どのような人物であったのか。『魔法史大全(第25版)』にて「26世紀の大魔導博士にして第9代大魔術裁判院院長、第2代魔法研究機関藍星会の総裁でもあった。初期に於ては有力なゲルスムンタ体制の擁護者であり、反単線魔導学説に磁力説を取り入れ、これを二重の反単線理論に昇華せしめたこと等の数々の功績で知られる。」(魔法史大全(第25版) p. 757)と評されているように、彼は極めて優れた、革新派魔導士であった。第二次元魔法を完成(※8)させ、さらには第三次元魔法の入口とも言える、トリックによらない継続的操作魔法、つまり人間の精神に持続的に干渉する魔法とその対抗魔法を、二重の反単線理論の応用的計算によって発見するなど、その成果だけを見ても非常に重要な人物である。経歴的にも僅か32歳にして大魔術裁判院院長の位を 第十八代神聖皇帝陛下より直々に賜り(もっとも後述するように極めて政治的な思惑があったのだが)、35歳にして大魔術裁判院院長と藍星会の総裁を兼任するに至り、政界や宮廷にさえも(わざわざ解説するまでもないが、当時は統治機構の権力分立がまったくなされていない)絶大な力を及ぼしていた。エスカムの研究によって、結果的に旧来的魔法利権を大きく喪失することとなった当時の青蛇派の有力閥族ケルメン・レルエメン(※9)の「彼は太陽よりも強力な光源であった。この世界に必要不可欠な存在ではあろうが、その余りにも強大な力は私を干物にしてしまった」という自嘲を含めたエスカム評は、その絶大な力を的確に言い表していると言えよう。


 第一次元魔法の時代を終焉せしめたエスカムは明らかに革新派であり(というよりかは、彼の周りに集った人々が革新派と呼ばれるようになったとも言えるので、魔導学における革新性そのものといった方が適切かも知れない)、「新魔法」誕生の象徴的理論とも言える、二重の反単線理論を打ち立てた彼の信念に従うのならば、極めて反動的色彩を帯びたあのような判決を出す筈がなかった。むしろ、あのような反動的判決は、それこそカボナールエンのような保守派が下すような判決であった。そして、驚くべきことに、ムルマイトの曲線次元中の魔導反復線理論には、以降で見ていくように、エスカムの二重の反単線理論が大いに関わっていたのである。


 魔導学者ガルバによれば、魔導反復線は二重の反単線理論と密接に関わっており——非常にざっくりと解説すれば、つまりそれらが単に魔導線の相似という点だけではなく、魔導学における天空概念上の北極において双方が結びつくことによって分散型幾何学図形をなすのだという——そもそもエスカムの二重の反単線理論なくして魔導反復線理論は成り立ち得なかったという(『高次元魔導線の基礎理論』 p. 527)。そして、エスカムら魔術裁判官によって死刑宣告が下されたムルマイトはその論文「曲線次元中の魔導反復線理論」の謝辞で「エスカムの二重の反単線理論なくして我が理論を打ち立てることは出来なかった。エスカムに最大限の賛辞を贈りたい」と述べているのである。


 さらに、最新のエスカムに関するザルセン博士の史料研究によれば、当時の司書官に宛てた2520年4月3日付の書簡において、ムルマイトの前掲論文を自らの研究の発展的継承として称賛し、これを魔導学一級論文として推薦したいが、自分は理論的当事者であるためにその推薦が出来ず悔しく思っている旨の記述があるのだという(『高次元魔法形成期史料集成:闇のエスカム』 p. 147)。つまりエスカムは、少なくとも当初は曲線次元中の魔導反復線理論を称賛していたのであって、あの異常な判決までの間に矛盾的とも言える異様な心変わりをしている(※10)。


 この心変わりを解き明かすことによって、エスカムらによる(判決の中心にエスカムがいたことは疑いようがない)異常な判決が下された原因を突き止めることが出来よう。心変わりの原因としては政治的陰謀(※11)、エスカム自身が精神病の類を患っていた可能性(※12)、極めて高度な魔術的干渉(※13)などが挙げられようが、どれも妥当ではなさそうである。或はカボナールエンが言うところの「余りにも危険過ぎる」真実を誰かに知られてしまい、それを「人質」とした脅迫を受けてあのような判決を下したのであろうか。妄想だけは膨らんでいくが、いかんせん証拠が全くない以上、なんとも言えない。

 さて、ここでカボナールエンの言葉を思い出そう。


黒い影を伴っていた——否、彼自身影そのものであった。(中略)エスカムの才能を非凡であると認める者は多くいるし、それは私も認めるところである。が、しかし、それが「何処で、誰によってもたらされたのか」という根本的問題を問う者はいないのだ。そして何よりも彼はクラッドを卒業は勿論、入学すらしていないのである。(中略)私とて彼に同情せざるを得ない。しかしこの真実はあまりにも危険過ぎる。


 改めてこの記述を見てみると、エスカムは何らかの異常な背景事情を抱えていたらしいことが分かる。カボナールエンの手記は極めて抽象的であったり暈された文体で書かれているのが特徴であるが、エスカムに関するこの部分の記述は、カボナールエンらしからぬ直截的な印象を受ける。カボナールエンが重要視しているのは、エスカムがクラッドを経ずに高度な魔導技術・知識を身につけていた点であり、この点と、彼をして「同情せざるを得ない」と言わしめた、あまりにも危険過ぎる真実とが関係しているらしいことが、直後の記述との関係から読み取れよう(※14)。エスカムの変心の謎は外在的なものではなく、エスカム自身の内部に存在するのである。


──

※6 マルエルの誓いの徵とは、文字通りマルエルに対する神聖な誓いであり、その徵の支配域に記された記述には、絶対に虚偽誇張が存在しないということを命に賭けて誓う、当時においては絶対的な神前誓約であった。


※7 魔法大学院のこと。当時、第二次元魔法は、その基礎理論でさえも魔法大学院での高等教育がなければ理解できないものであったし、極めて優れた魔導才能を有していると認められた者に対する特例(エスカム以外に対する適用例は現在に至るまで無い)を除き、魔導士になるためにはクラッドへの入学を義務付けられていた。


※8 当時、狭義の出現魔法・消失魔法については、限界説と無限界説(正確には未知理論存在説と言うのが正しいかも知れない)とで対立しており、この問題は未解決問題として知られていた。エスカムはこの問題について、出現魔法・消失魔法自体に内在する量的問題と空間的問題、魔導主体の三者の関係に着目し、最終的に相対的空間限界論により、狭義の出現魔法・消失魔法には限界があることを証明した。


※9 ケルメン・レルエメンの名誉のために一応補足しておくと、その父グルタルセ・レルエメンが魔法利権の護持のためにエスカムらの「新魔法」を毛嫌いしていた。結果的にレルエメン家は新魔法研究に積極的援助を行っていた大志派には勿論、同派中の有力閥族にも遅れをとり、没落貴族の代名詞となった。


※10 後々検討することになると思うのでついでに触れておくと、2520年4月3日以降の2521年10月10日の藍星会の会議上で、難解なために、ほとんど理解されていなかったムルマイトの当該論文について、エスカムが好意的な発言をしている(藍星会議事録 2520年〜2525年 pp. 498-501)ので、エスカムの変心は2521年10月から2522年12月の間、より時期を絞るとするのならば2522年の中頃と考えられる。


※11 エスカム自身の絶大な力を考えれば、誰かの政治的陰謀に巻き込まれるようなことは考えられないし、ましてやムルマイトを自身の研究を継承する者として称賛していた筈のエスカム自身の政治的思惑による陰謀である筈はない。


※12 判決より3年後の慣例による満期退官まで極めて正常に職務を全うし、さらに大魔術裁判院院長退官の翌年の「失踪」にいたるまで藍星会の名誉会長の地位にて魔導学者として活躍していたのであり、これもあり得ない。


※13 現在であればともかく、当時の魔術水準から考えてあり得ない。


※14 そもそも何故エスカムの事情をカボナールエンが知っているのか、という問題については後に触れる。



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