天才魔導士エスカムとは何者か
古蔦蘆越嶁
1. 異様な、あまりにも異様な判決
正暦2523年2月1日第1号(通1045号)大魔術裁判院判決(通称 曲線次元中の魔導反復線判決)が、その後少なくとも200年間の魔法史、否、総体としての歴史そのものを揺るがしたことはわざわざ言うまでもないことであろうが、その判決の背景に闇に葬られた真実があるだろうということは、判決の下された直後より様々の立場から囁かれていた。これを、当時「俗界」でその勢力を拡大しつつあった、いわゆる青蛇派と大志派の政争(※1)等の影響により不可避的にもたらされた政治的冤罪、或は「啓蒙」を恐れた体制内の保守派による極めて大掛かりな陰謀であろうと唱えた者も多く居たようである。ともあれ、当時の帝国政府が魔法治安防衛令(160人会議を経た法律ではなく、帝権を直接に委任された中枢院が独断で、かつ短期間で発令できる中枢院令であることが重要である)を以てこの判決の背景事情を調べようとする者を弾圧したことは、そしてこの判決以後、帝国が200年にも亘る「停滞期」に突入したことは、よく知られている。
さて、そのような判決を取り巻く動き以上に奇妙なのは、大魔術裁判院院長たる天才魔導士エスカムを主席とする13人の魔術裁判官によって書かれたこの判決文の内容そのものである。これによれば、「破󠄀壞󠄀的邪󠄂性化󠄁ノ危󠄁險󠄀性󠄀ヲ多分󠄁ニ內󠄀包󠄁シタル魔󠄁導󠄁計算實驗󠄀ヲ魔󠄁術󠄁省ヘノ屆󠄀出ナク公然ト行ヒタル」こと(有罪理由一)、そして「當該行爲ノ旣󠄀遂󠄂ニ依リテ 神󠄀聖󠄁皇帝󠄁陛下ノ魔󠄁術󠄁大權ヲ明󠄁白󠄀ニ侵󠄁害󠄂シ 帝󠄁權ヲ冒󠄁瀆󠄀」したこと(理由二)、性質上「曲線次󠄁元中ニ於ル魔󠄁導󠄁反復線ハ其槪󠄀念󠄀自體󠄀ガ謂ハバ犯罪的」なものであり(理由三)、その魔導計算は「魔󠄁術󠄁秩序ト畏モ 神󠄀聖󠄁皇帝󠄁陛下ノ領ロシメシ給フ 帝󠄁土󠄀ノ安󠄀寧󠄀トハ勿論ノコト現存世界自體ニ深󠄀刻󠄀ナル危󠄁機󠄀」を齎すような極めて脅威的な力を発揮する(理由四)ことを理由に(後に見るように厳密には理由三と理由四を理由として:理由一と理由二は抵触魔術違法性阻却二重の法理の適用により違法性が阻却されている)被告人たるムルマイトに極刑が下されたのである(大魔術裁判院判例集 pp. 521-524)。さらに裁判院院長たるエスカムは補足意見として、その「破󠄀壞󠄀的邪󠄂性化󠄁ノ危󠄁險󠄀性󠄀ヲ多分󠄁ニ內󠄀包󠄁シタル魔󠄁導󠄁計算實驗󠄀」、すなわちマルカステン定数に基く魔導反復線の計算既遂こそが北方諸侯国群に大動乱をもたらし、2521年12月3日の夜空に観測された幾何学図形(※2)は犯罪的魔導計算既遂の何よりの証拠だと言うのである。しかし、高度な魔導計算による現象であることが明らかな天空異常についてはともかく(しかし、実はこれも極めて不可解である。後に詳述する)、魔導反復線の計算既遂と北方大戦乱との間に、直ちに因果関係を見出せないことは、魔導士見習ですら分かる(というか、分からねばならない)話であるし、そもそも、当時は曲線次元ですら研究途上であり——つまり第二形態の曲線次元たるメルセル次元すら証明されておらず高度曲線次元を導くマルカステン定数の魔導的正当性を証明できない——せいぜい有力学説に過ぎなかったメルセル方程式からなるマルカステン定数を魔術裁判上の有罪の証拠として持ち出しているのは、やはり異常であるとしか言いようがない。
にもかかわらず、大魔術裁判院判決に於いて机上の空論でしかなかった曲線次元中の魔導反復線があたかも「強力ニシテ異常ナル脅威」として明確に認識され、ムルマイトに死刑判決が下されたのであろうか。
判決文本文の核心部分を見てみよう。
當󠄀該󠄀魔󠄁導󠄁計算實󠄀驗󠄀ハ我等ガ 神󠄀聖󠄁皇帝󠄁陛下ニ捧ゲラレタルモノニシテ且其ガ極テ純󠄀粹󠄀ナル探󠄀究󠄀心ニ據󠄀ルモノナリシコト加ヘテ正規ナル査術󠄁ヲモ經󠄀タルコトヲ考フレバ其限リニ於テ所󠄁謂抵󠄀觸󠄀魔󠄁術󠄁違󠄂法性阻却二重ノ法理(※3)ニ據リ其違󠄂法性ノ阻却サルベキハ明󠄁白󠄀ナリ
然レドモ當󠄀該󠄀魔󠄁導󠄁計算實󠄀驗󠄀ハ第二次󠄁元魔󠄁導󠄁方󠄀程󠄁式(※4)ノ發見ヲ受󠄀ケテ確立サレタル「アルマニム基準」(※5)ヲ逸󠄁脫󠄀シ加之魔󠄁術󠄁秩序及󠄁 帝󠄁土ノ安󠄀寧󠄀延󠄂テハ世界ノ破却ヲモ招來スル危󠄁險󠄀性󠄀ヲ包󠄁含󠄀シタルモノト言ハザルヲ得ズ
(大魔術裁判院判例集 pp. 524-525)
「「アルマニム」基準ヲ逸󠄁脫󠄀シ」という点に着目する限りにおいては、かなり無理矢理ではあるが、無視できない邪性化の危険性を有すると考えられる魔法の規制について規定していた当時の魔法基本法第3条、旧魔術制限令第4条の規定の趣旨からもその合理性は認められるように考えられない訳でもない。しかしながら、エスカムの補足意見ほどには露骨ではないにせよ、やはり「魔󠄁術󠄁秩序及󠄁 帝󠄁領ノ安󠄀寧󠄀延󠄂テハ世界ノ破却ヲモ招來スル危󠄁險󠄀性󠄀」などと述べているあたり、その危険性をあまりにも誇張した暴挙的判決であることは疑いようもない。そして、そもそも、この判決が下されるまでの従来の判決はいわゆる
——
※1 いつの時代にもありがちな、貴族の勢力争いが起源ではあるが、当時急速に発達を始めていた第二次元一般魔法の発見を巡る争いに進展し、さらに帝位がいわゆる「突如なる分裂」に至ったことによって極めてややこしい政争となった。
※2 「魔󠄁法省觀󠄀氣󠄀局號外 二千五百二十一年十二月三日日󠄀沒󠄀後ヨリ其二時間後ニカケテ原因不明󠄁ナル第二型ヲ超越セル大形幾何学図形ガ南天ニ現レ次󠄁第󠄀ニ西ヘ向ヒテ竟󠄀ニ消󠄁失セリ(中央觀󠄀測󠄀所󠄁)」
なお、空中幾何学図形は高度な魔導計算によって生ずる必然的現象であるが、当時は第二型(高度第二次元魔法の魔導計算で出現する)が限界であり、これを超越する大規模空中幾何学図形の出現は一大事件であった。この事件については後ほど詳述する。
※3 クルセ判決によって確立された、魔術犯罪の構成要件に該当する事例について、それが純粋で積極的な魔法発展の信念による研究、又は帝国への純粋な奉公としてなされた研究であり、かつそれが少なくとも三級以上の魔導士の査術を受けていた場合には違法性が阻却されるとする法理。なお、曲線次元中の魔導反復線判決は、先に示した如く破滅的な危険性を以てこの法理の適用除外対象とし死刑または無期の禁錮の刑に処すべきとする、破滅的危険の絶対的考慮事項性の法理を初めて示したが、この判決以降の判決では一度も用いられることなく、最終的に2745年7月13日第27号(通7732号)魔法文書流出事件判決において、間接的にではあるが、破滅的危険の絶対的考慮事項性の法理は探究の原則的自由について定めた第4次改正帝国憲法第48条、刑罰の適正性(適切・比例原則)について定めた同86条等に抵触し、違憲であると判示された。
※4 いわゆる第二次元魔法を可能たらしめる魔導方程式のこと。
※5 アルマニムの勅令にて定められた、魔法は純粋でなくてはならず(ただし、あくまで性質上の話で魔法の悪用はそもそも別問題である)、邪的性質を孕んではならないとする基準。しかし、アルマニム基準は本来、邪的性質を明白に孕んだ魔法に適応するべき基準であって、そもそも研究段階の魔導反復線計算にこの基準を適応することは明らかに背理である。
※6 スライメン以外の裁判官が悉く死刑論に傾くこと自体が極めて異様である。エスカムの権力とは、それほどまでに強力であったのである。
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