第21話 ICTルールの叩き台

~ ルールは縛るためじゃない。守りたいものをはっきりさせるためにある ~



放課後の会議室。長机の上にノートパソコンが三台、ホワイトボードの前にマーカーが並ぶ。窓の外はうす暗く、校庭の端に残った跳び箱が風に揺れていた。学期末が近づくと、学校はいつも少しだけ息を切らす。僕もまた、深く息を吸って座った。


「では、来年度のICTルールについて、叩き台を」

教頭の声に、僕はうなずいて立ち上がる。彩花が横で微笑み、小谷は腕を組んでいる。生活指導の先生、情報主任、図書の先生。大人のまなざしが静かにこちらに集まる。


「最初に、私の前提です」

ホワイトボードに一行目を書く。

「禁止ではなく、『守りたいものの宣言』としてルールを作る」

一拍置いてから、次の行を書く。

「守りたいもの=子どもの安心/学びの集中/家庭の時間/プライバシー」

マーカーの先がわずかに震える。だが言葉は定まっている。参観や発表会で、僕は“禁止”が感情を逆なでしやすいことを見た。けれど“守りたい”なら、人は歩み寄れる。


彩花がうなずく。

「いいですね。では、具体に落としましょう」


僕は用意してきた紙を配った。タイトルは「ICTの約束(案)」。文の主語はすべて“みんな”。命令ではなく、合意の文にした。


一、授業中の撮影はしません。最後に記念タイムをつくります。

二、撮影した写真や動画は、SNSや動画サイトに公開しません。

三、授業の記録(黒板や作品)は、学校から同じものを共有します。

四、端末は学びのために使います。困ったら合図で止めます。

五、持ち帰りがある日は、家庭での使い方を家族と決めます。

六、困ったときは一人で抱えず、先生と家族に知らせます。


小谷が紙を持ち上げた。

「“合図で止めます”って、面白いな」

「参観や舞台で使った“止まって戻る”のやり方を、画面でも共有したいんです。いきなり取り上げる前に、止めて、戻る」

「なるほど」


情報主任が口を開いた。

「技術面の補足が必要ですね。フィルタリングの設定、アップデートの時間帯、クラウドの共有範囲」

生活指導の先生も続く。

「トラブル時のフローも欲しい。誰に、どの順で知らせるか」

僕は急いでメモを取る。


教頭がまとめた。

「方向性は良いと思います。明日までに“守りたいもの”の宣言文と、実務の付録を足して、保護者会にかけましょう」


会議が終わったころには、窓の外はすっかり暗かった。廊下の蛍光灯が冷たい光で床を照らす。僕は職員室の自席に戻り、パソコンを開いた。空白の文書に、ゆっくりと文字を置く。


最初に、宣言を書く。


わたしたちは、子どもの安心と学びの集中、家庭の時間、そしてプライバシーを守るために、ICTの使い方を話し合い、決め、見直します。ルールは罰のためでなく、安心のためにあります。


次に、具体を並べる。言い切るより、合意の文で。禁止の言葉を避けるのではなく、理由を先に置く。


気づけば、ページが埋まっていた。保存しようとしたとき、画面の隅が点滅した。メールの通知。件名には「ICTの約束案について」とある。送信者は大翔の母親だった。


本文は、思ったより短かった。


先生、いつもありがとうございます。

家での端末の使い方を、息子と話すきっかけがうまく作れませんでした。学校から「家庭で決める」という言葉をもらえると助かります。家庭の約束を子どもが学校で話してもよいのかも悩んでいます。だめだと言われるのが怖いのだと思います。


胸の奥が少し痛んだ。家庭は学校の延長ではない。けれど、学校が“話していい”と背中を押さなければ、言葉にならない約束もある。僕は返信を書きかけて、指を止めた。まず、叩き台に“家庭の時間”の段落を足そう。


家庭の時間は、学びを支える大切な時間です。端末の置き場所、使う時間、使わない時間を、家族で話し合って決めます。家族で決めた約束は、学校でも尊重します。わからなくなったら相談します。


打つたびに、胸が少しずつ軽くなる。あの参観の日に感じたことを、文字にするだけだ。拍手の音、合図、戻り方。全部、文になる。


一息ついたところで、ふと、別の不安が顔を出した。撮影の公開制限について、反発は必ずある。去年も、「遠方の祖父母に見せたい」「保護者限定のアルバムならいいのでは」といった声が上がった。僕は“禁止”の代わりに“共有”を置きたい。学校から同じ写真を配れば、個人の公開欲求は少しだけ収まる。


メッセージアプリに通知が来た。学年のグループだ。彩花から。

「保護者アンケート、今日の夜に配信していいですか。設問案を載せます」

続けて小谷が短く返す。

「OK。自由記述を広めに取ろう」


アンケート案を開く。設問の一つに目が留まった。「写真や動画の公開について、学校からの共有があれば個人での公開は控えられますか」。僕は“はい・いいえ”に加えて、「控えるために必要な条件」を入力できる欄を提案して追記した。


ここで、画面の時計が二十一時を回った。僕は席を立ち、給湯室で紙コップに湯を注ぐ。湯気が少し甘い匂いを運んでくる。夜の学校は、音が少ない。鉛筆の転がる小さな音さえ、大きく響く。


席に戻ろうとしたとき、廊下の先に人影が見えた。養護の先生だ。手には保健室の鍵。僕に気づくと、少し微笑んだ。

「まだ?」

「もうすぐ終わります。明日、案を出したいので」

「倒れないようにね。温かいの、飲んで」

「はい」

雑談が数十秒。けれど、心の張り詰めはそれだけで少し緩む。


席に戻り、最後の見出しを書く。トラブル時の連絡フロー。連絡先、時間帯、記録の取り方。短く、迷わない順番で。思えば、舞台の進行表も、参観のアナウンスも、やっていることは同じだ。人が迷わないように、次の矢印を先に置く。


保存。ファイル名は「ICT_約束_叩き台_v1」。送信先は彩花と教頭、小谷、情報主任、生活指導。送信ボタンを押すと、肩が少しだけ落ちた。


そのまま帰ろうかと思ったが、机の引き出しからノートを取り出す。今日の一行を、ここに置いておきたかった。


ルールは罰ではない。合図であり、帰り道だ。


ペンを置いたとき、スマホが震えた。彩花からの既読と、短いメッセージ。

「『家庭の時間』の文、とてもいいです。明日、教頭と通します。お疲れさま」


帰り道、風が強かった。駅までの道に貼られた選挙のポスターがはためき、アスファルトの隅に紙屑が転がる。信号待ちの間、僕は胸ポケットの小さなカードを指でなぞった。そこには、いつもの五行がある。最初の一文、合図、深呼吸、次の一文、誰かの挑戦を応援。


翌朝。教頭が赤ペンの入った紙を持ってやってきた。追記は三つ。フィルタリングの説明の明記、家庭での端末紛失時の連絡先、学校からの写真共有の頻度と方法。僕は一つずつ修正し、文を整えた。


三時間目が終わったあと、職員室に保護者からの電話が入った。番号の表示に見覚えがある。参観で録画を止めた父親だ。

「もしもし、先日の件ではどうも。……あの、ICTのルールの案、読ませてもらいました。『共有するから、個人は控える』っていう文が、いいと思いました。うちは遠方の祖父母に画像を送りたい時があって。学校から同じものが届けば、それで十分です」

意外だった。僕はゆっくり息を吐いた。

「ありがとうございます。全家庭に同じものを、という形にします」

「それと、“家庭の時間”のところ。宿題と端末の切り替えが難しくて、いつも揉めてました。家で決めた約束を学校も尊重してくれると、子どもに言いやすいです」

「はい。『家の約束を学校でも尊重』、明文化して提示します」

電話を切ったあと、胸の中に温かいものが残った。敵だと思っていた人が、味方に変わる瞬間。僕が変わったわけではない。言葉の置き方が変わっただけだ。


放課後、叩き台は職員会議で全員に回った。反対は出なかった。質問はいくつか。写真共有の頻度は月一か、単元ごとか。端末の持ち帰りは学年ごとに差があってよいか。議論はあったが、方向は揃っていた。最後に教頭が言った。

「この叩き台、来週の保護者会で意見を募り、四月に正式決定に持っていきます」


職員室に戻ると、机の上に一枚のメモが置かれていた。差出人は図書の先生。走り書きでこうある。

“『記録』の扱いに、図書室の利用記録も触れておくと安心です。子どもにとっては閲覧の秘密が大事です。”

僕は頷き、付録の項目に「閲覧履歴の扱い(学習支援の目的に限る)」を加えた。


夕方。教室の掲示板に貼った「教室の約束」の横に、A4の紙を仮留めした。タイトルは「ICTの約束(案)」。子どもたちにも見えるように、漢字にふりがなを打った簡易版だ。水野が近づいて読み、ふと僕を見る。

「“SNSに公開しません”って、ゲームの動画は?」

「自分だけが写っていて、誰かが嫌な思いをしないなら、家の約束の中で考える。学校の友達や先生が写るものは、公開しない」

水野は少し考えてから、うなずいた。

「じゃあ、オレの宿題の動画は家で決める。ばあちゃんにも聞く」

「いいね」

横で岡崎が、家庭の時間の段落を指でなぞった。

「ここ、家で読む」

「読んで、家の人と決めていい。決めたら、教えて」

岡崎は「うん」と言って、ランドセルに紙をしまった。


日が沈むころ、僕は黒板の前に立って、ゆっくりと教室を見回した。ルールが空気を冷やすことはある。けれど、守りたいものを先に置けば、約束は人を温める。参観の日、舞台の日、子どもたちは合図で戻ることを覚えた。ならば、画面でも戻れるはずだ。


窓の外で、風が一段強くなった。掲示の角が少しだけ浮き、また壁に戻る。僕はホチキスで留め直し、深呼吸を一度。明日、保護者へ配る最終案を印刷する。その前に、もう一行だけ、叩き台の末尾に足しておこう。


約束は更新していきます。失敗の数だけ、戻り方を賢くします。






保護者会当日。最初の質問は予想外の方向から飛んでくる。「先生、AIで宿題をやってきたらどうしますか?」――僕は、白い紙の上で一瞬ペンを止めた。

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