第23話 二つの鼓動

 まぶしい光が収束していく。

 気づけば悠真は、知らない場所に立っていた。


 そこは現実の学園でも、VRの仮想空間でもなかった。

 空は果てしなくどこまでも蒼く、木々は黄金色に輝き、湖面には無数の光の欠片が星の瞬きのように浮かんでいる。

 まるで“二つの世界が重なった”ような、美しい異界。


 風がそっと頬を撫でる。

 その風の中に、怜司の声が混じっていた。


「……ここが、双界の中心――“交界域”だよ」


 振り向くと、怜司が立っていた。

 制服姿のまま、けれどその背後には淡い光の翼が揺らめいていた。

 現実の怜司でもなく、AIの怜司でもない。

 “二つの魂”が融合した存在。


「怜司……お前……」


 怜司は微笑み、悠真の手を取る。

「俺たち、あの選択で一つになったんだ。でも、完全に消えることはなかった。お前が俺を“信じた”から、こうしてここにいる」


 悠真は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 恐怖も悲しみも、全部、溶けていくようだった。


 そのとき――黄金色の湖が揺れ、紅葉の姿が浮かび上がる。

 赤い髪が風に舞い、九つの尾が光を描く。


「お前たちは、奇跡を起こしたね」

 紅葉の声は優しく、どこか誇らしげだった。

「世界を繋ぐリンクを“愛”で制御したのは、君たちが初めてだよ」


 怜司が笑う。

「奇跡なんて大げさだよ。ただ――守りたかっただけだ」


 悠真は頷く。

「俺も同じ。怜司がいない世界なんて、もう要らない」


 紅葉の尾がゆらりと動く。

「ならば、もう一つの選択を。この交界域に留まり、永遠に“二つの世界の守り手”として生きるか。それとも、ひとつの現実へ戻り、限られた命として共に歩むか――」


 静寂。

 風が吹き抜け、湖面に二人の姿が映る。


 怜司は悠真を見つめた。

 その眼差しには迷いがなかった。

「……俺は、現実でお前と生きたい」


 悠真の胸が震える。

「怖くないのか? 現実には痛みも、別れもあるのに」


 怜司は微笑んだ。

「だからこそ、生きる意味がある。永遠の夢よりも、一瞬の真実がほしい」


 悠真はその言葉に微笑み返し、そっと手を伸ばす。

 二人の指が触れた瞬間、湖の光が弾けた。


 紅葉が微笑みながら、ゆっくりと消えていく。

「――選択を確認。魂リンク、現実界へ転送開始」


 空が白く染まり、世界が再び反転する。

 風の音、光の粒、遠ざかる異界。

 その中で、怜司が囁いた。


「なあ悠真、覚えてる? 最初にお前が俺の手を握った時のこと」


「……うん。あの窓の前で、怖くて震えてた俺を、怜司が助けてくれた」


「次は俺が助けてもらう番だな」


 そう言って、怜司が微笑む。

 世界が完全に純白へと溶ける瞬間――二人の唇が、確かに触れ合った。




 目を覚ますと、そこはいつもの教室だった。

 外は朝の光。

 窓の外には、何事もなかったように桜が咲いている。


 悠真がゆっくりと身体を起こすと、隣の席で怜司が笑っていた。

「おはよう。今日も現実だな」


 悠真は頬を緩める。

「……ああ。俺たちの現実だ」


 二人の掌には、まだ faint(かすか)に光る印が残っていた。

 “リンクの証”――それはもう消えない。


 ふと、窓の外に紅葉の姿が見えた。

 彼女は狐の微笑を浮かべ手を振ると、春風に溶けるようにそっと消えた。


 その瞬間、悠真は確信した。

 これは終わりじゃない。


 世界の境界は、まだどこかで二人を見守っている。

 そして――彼らの“物語”もまた、これから始まるのだ。


 悠真が怜司に笑いかけた。

「なあ、今日の放課後、リンクしよう」


 怜司がウインクする。

「もちろん。お前となら、どんな世界だって楽しいさ」


 二人の笑い声が、春の風に溶けていった。

 現実と幻想のあいだを結ぶ、柔らかな光のように――。


(完)


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虚境アカデミア 江渡由太郎 @hiroy

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