第2話

夜明けとともに、白花の草原は淡い光の粒を散らして目覚めた。

 女神の残した光の残滓――空に瞬く無数の粒が、薄明の空へゆるやかに溶けていく。


 焚き火の灰を片付けながら、銀紫髪の少女は軽く伸びをした。

 「よく眠れた?」

 柔らかな声に、ハルトは眠気を含んだ返事を返す。

 「……ああ。君のおかげで。」


 二人は簡単に支度を整え、村へと続く道を歩き出す。

 白花の草原から森を抜けると、道はやがて灰色の薄明に沈む大地へと続いた。女神の祝福が届かぬ土地は、どこまでも寒々しい。


 やがて小川を渡り、緩やかな丘を越える。遠くに柵で囲まれた村が見えてきた。

 煙突から薄い煙が風に運ばれ、焼き立てのパンの香りがほんのり漂ってくる。長い旅路の果てに、ようやく温もりを感じさせる景色だった。


 村の柵門をくぐると、家々の窓から灯火が漏れ、薄明の冷えた空気をやわらげていた。

 「まずは宿を取りましょう」

 「でも俺、お金なんてもってない」

 「心配しないで。あなたが手ぶらなのはわかってる。――女神に仕える者として、困っている人を放っておくわけにはいかないの。」


 宿屋に入ると、木造の梁から暖かい光が差し込んでいた。旅人たちのざわめきとパンの焼ける香りが広がる。

 銀紫髪の少女は腰の小袋に手を伸ばし――ふと動きを止めた。

 「……ない。」

 「どうかしたのか?」

 少女は蒼白になり、もう一度荷物を探したが、小袋はどこにも見当たらなかった。

 「さっきまで……あったはずなのに。」


 その時、宿の床に黒い羽根が一枚、ひらりと舞い落ちていた。

 ハルトはそれを拾い上げ、眉をひそめる。

 「……これ、さっきすれ違った黒い影が落としていったのか?」

 少女は息を呑み、小さく頷く。

 「……盗まれたんだわ。」


 受付の女性が気遣わしげに声をかける。

 「お二人さん、お部屋はどうします?」

 「……いや、俺は野宿でも――」

 ハルトが言いかけた瞬間、少女が遮った。

 「だめよ。装備も整っていない状態で外で野宿だなんて危険すぎる。〈護り香〉の残りも少ないし、森の近くでは魔物が出るかもしれない。」


 少女は息を整えると、薄い革袋を取り出した。中には数枚の硬貨が静かに音を立てた。

 「非常用に別でとっておいたお金が少しだけあるわ。食事や街までの馬車賃を考えると、一部屋しかとれないけど。」

 女性が鍵を渡し、二人はようやく部屋を確保した。


 粗末ながらも清潔な一室で荷を下ろした後、二人は一階の酒場に降り、暖かいシチューと焼きたてのパンを注文した。香ばしい匂いが空腹を刺激する。


 その時、酒場の奥から男たちの話し声が耳に入った。

 「また出たらしいぜ、黒羽の連中。街の近くでも最近よく見るって噂だ。」

 別の男が続ける。

 「村を通った旅人から金を奪ったって話もある。女や子どもでも容赦なしだとか。」


 少女の表情が一瞬、鋭くなった。

 ハルトは先ほど拾った黒い羽根を思い出し、息を呑む。

 「さっきの……君の財布を奪ったのもそいつらじゃないのか?」

 「……可能性は高いわ。」

 「黒羽って、ただの盗賊じゃないのか?」

 リュシエルは低く答える。

 「そう思っている人も多いけど、実際は氷冥王ヴァル=ノクトに仕える組織と噂されているの。現れた場所には必ず黒い羽根を残し、各国で暗殺や略奪、情報操作を繰り返して――女神ルミナの加護を弱めようとしている危険な集団よ。」


リュシエルは一瞬だけ視線を落とした。その蒼い瞳に、かすかな憂いがよぎる。


その沈黙が、言葉以上に黒羽の脅威を物語っていた。


 ハルトは拳を握りしめ、唇を噛む。

 「でも出会ってから君に頼りっぱなしだ。このままでは申し訳がたたない。何か俺にできることはないか?」

 「そうね……」

 リュシエルは視線をわずかに伏せ、蒼い瞳に迷いの色を宿した。

 「それじゃ――私が所属している冒険者ギルドに入らない?」

 「冒険者ギルド?」

 「討伐や護衛、採取など、街や村から寄せられるあらゆる依頼を冒険者に仲介しているの。報酬も得られるし、冒険者証は身分証にもなる。情報も集まるから、あなたの記憶の手掛かりが見つかるかもしれないわ。」

 「記憶の手があるを探すにしてもお金や情報は必要だし……君に少しでも恩を返せるなら。」

 ハルトは頷いた。

 「俺、入るよ。冒険者ギルド。」

 リュシエルの表情に、ふっと安堵と微かな笑みが広がった。

 「……ありがとう。あなたがそう言ってくれて、うれしい。」

 「じゃあ明日、ギルドへ案内するわ。まずは見習いとしての登録と初依頼を受ける手続きからになるはずよ。」


 「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はリュシエル。」

 「これからよろしく、ハルト。」


 「こちらこそよろしく、リュシエル。」

 ◇


 そのざわめきを、酒場の片隅で一人、フードを深くかぶった金髪のハーフエルフの少女が耳を澄ませていた。

 細い指先が無意識にマントの裾を握りしめる。

 「……黒羽。」

 その名を心の中で繰り返し、伏せた瞳に一瞬だけ影が落ちた。

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永冬の地で記憶を失った俺が仲間達と氷冥王に挑む @hachikotoyonko

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